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07年 11月

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472.  11/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  どこで降りるか、どこまで行くか

471.  11/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  招き猫、ひこにゃん

470.  11/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  そうだ 京都、行こう。

469.  11/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  高槻西口利用者は1号車

468.  11/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  かつては野洲京都が1時間

467.  11/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  秋色に染まる電車

466.  11/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  次々出発新快速

465.  11/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鉄ヲタはお客より列車が目的

464.  11/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ボールを追って線路に入るな

463.  11/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  迂回路確保もままならず

462.  11/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  最近は珍しくない珍客

461.  11/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  いつも乗る電車を見送ってみる

460.  11/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鬼が笑う話だな

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  どこで降りるか、どこまで行くか

 

11/28

地元での用事があって、急いで帰ってこなければならなかった。

本来なら無理に乗る必要のない17:30の3496Mに乗り込んで、座れる見込みもなく周囲も暗くなって外も見えず、つまらない帰宅になった。

大阪駅で3496Mは5分遅れ。

姫路御着での踏切安全確認のため、らしい。

 

その5分のおかげで大阪駅ホームをすたすた歩き、最後尾1号車までやってきた。

ところが、既に長蛇の列、10番線まで達している状態ではこれから並んでも大した立ち位置はとれまい、と半ばあきらめ。

しかもこんなときに、とよく観察すると、8両編成の最後尾1号車の後扉は桜橋口階段にもっとも近く、下車客もかなり多いことがわかった。

中扉とほぼ同時の列の動き、車内進入であった。

ということは、むしろ8両編成の1号車なら、中扉に並んだ方がましか?

と新たな発見である。これは検証せねばならない。

 

そんな3496Mは混雑激しく、新大阪の下車もほとんどおらず、面白くない。

それでも新大阪下車客のおかげで通路に入ることができた。

立った位置の座席は窓側・通路側とも旧おねえさんであったお方が着席し、本を読んでいる。

荷物も少なそうで期待が持てる。

しかも、窓側はどうやら高槻で降りそうだ。富田を過ぎ、本をしまった。

 

ところがどっこい、高槻で降りるどころか、寝てしまった。まったく。

しかも通路側の以前のおねえさまも梅小路をすぎ、携帯を鞄にしまったのに、京都で降りない。

全くもって当てはずれ。

あわてて周囲を見回してみるが、空席はすでになく京都でも着席できず。

なんとなく面白くないので少し動いてみた。

サラリーマンらしきおじさんと買い物帰りらしき旧おねえさん。

どちらもすぐに降りそうな仕草、特に旧おねえさんの方は駅に着く手前になると携帯をしまうのに、

また駅を出ると携帯を出してメールか何かを読んでいる。あれあれ。

結局草津でおじさんが降りてやっと着席。ちなみに最初に見ていた二人のうち窓側で寝た方はなんと山科で降りていったのである。

 

実はこれだけ下車駅の読みがはずれるのは数少ないのだが、はずれはすべて旧おねえさんである。

つまり、旧おねえさんは自分の下車駅でなくてもとりあえず降りる身支度をするのではないか、ということだ。

少し前も大阪18:00の3500M車内で、いかにも新大阪で降ります、みたいな態度の旧おねえさんが

結局野洲でもまだ降りていない場面に出くわして、そのときもたいそう悔しい思いをしたことがある。

 

ということで今日の教訓、旧おねえさんの下車駅を見極めるのは至難の業。横に立つのは避けよう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  招き猫、ひこにゃん

 

11/26

彦根城築城400年祭が終わった。

期間中の来場者は764,484人だそうで、これを開催期間250日で割ると3,058人/日となる。

これはとても大きな数字で、1日3000人ということは50人乗り観光バスなら毎日60台が来た計算になる。

何しろ稲枝・安土・篠原の平均乗車数より多いわけで、休日の混雑たるや相当なものだっただろう。

まぁ76万人のうち70万人くらいはひこにゃん目当てだろうけれども。

 

もちろん、お城やお祭りが目当てではないにしても、それだけ人が集まったのは喜ばしいことではないか、と思う。

言っては悪いが、大阪からも名古屋からも中途半端な距離で、普段なら何か目的がなければ観光に行くようなところでなく、築城400年祭はいいきっかけだったのだろう。

なかなかイベント類が氾濫してどれもこれも同じような催しが多い中、よく健闘したと思う。

来場者のうちの電車利用客はどれだけいただろうか?

特に愛知・岐阜からの電車利用客はおそらくほとんどいなかったと思うが、大阪京都からの電車利用客はそれなりにいたはずだ。

やはり新快速の実力はたいしたもので、休日ともなると朝の上りは行楽客らしい小グループが多数乗っている。

もちろん18季節は当然だが、非18期間でも結構乗っているのだ。

そういう方々は新快速に乗ること自体が非日常であって、わだらんや多くの滋賀県人のように新快速が生活の一部、という状況とはまたまったく違うのだろうけれども。

 

月曜日の夕方、大阪駅18:00の3500Mに乗る。

15分あとにしようかと迷ったが、なんとなく待つのも面倒だと思い、とりあえず乗り込んでみた。

比較的新大阪で下車する客の多い時間帯なのでかなり期待をしたのだが、残念ながら新大阪での着席はできず、高槻では争奪戦に敗れ、京都で座ることになった。

京都で大量の下車、まぁ当たり前ではあるのだが、一方で車内に大量に客がいる。

みんな京都を越える滋賀県民(だろう、たぶん)なわけで、移動を苦にしないあるいは苦にすることのできない人間なのだろう、とまわりを見回す。

滋賀県は大阪からは遠くないのだよ、ともっとPRしてもいいのにね。

住み易いし、遊ぶところもいっぱいあるし。

今日のもへろん氏と彦根市の民事調停は収束の方向とのこと、まだまだひこにゃんにがんばってもらわねば。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  そうだ 京都、行こう。

 

11/25

24日の土曜日、以前から、行きたいと思っていた念願の紅葉の頃の東福寺へついに出かけてきた。

とあるアニメ映画のエンドロールで見て以来、一度は東福寺の通天橋を紅葉の頃に見てみたいと思っていた。

もともと東福寺自体今まで訪れたことはなく、今回ミーハーな動機ではあるがいいきっかけになった、と思う。

しかし、最近の京都の観光客の多さには参る。

全体に多いのならまだいいのだが一部の特定日に集中して観光客が現れ、怒濤のように動く。

恐ろしい。

京都市は各種の施策の成果だ、と自慢しているし、それはその通りなのだろうが、

一部特定日の205系統や5系統、206系統のバス乗り場混雑や四条通の歩道の歩きにくさなど、ちょっと行き過ぎではないか、と思う。

 

当然24日もその特定日のまっただ中、間違いなく混むと踏んで、朝早くに出かけた。

野洲7:46の3209Mから、京都8:17の1613Mに乗換、東福寺駅には8:20に着いた。

確かに大量の客が降りたが大きな混雑にもならず、改札も通路もそのまま抜けられ、東福寺の山門には8:30に着いた。

まずまず順調である。

ところが、拝観料を買う窓口で大量に列ができている。

みな考えることは同じようで、開門と同時に入れるくらいに早出をしてきたようだ。

長い列に入って少しずつ、某舞浜のアトラクション待ちのように進んでいく。

それでも待つこと20分弱、伽藍の中に入ることができ、もみじを楽しんだ。

確かにきれい、来る価値はあるし、取り上げられる理由もよくわかる。

伽藍の中、境内は広く、通天橋の一部で混雑した以外は結構ゆっくり楽しめた。

まだ高くない太陽が適度に日ざしを与えてくれてとても美しい色合いであった。

 

ざっと見ること1時間、帰路へとつく。

門前の列はきれいになくなり、いつでも参拝できる状況であった。

なんだ、これなら無理に早く来なくてもよかったのか、とちょっとがっかり。

みんな朝に集中するのかな、と思っていた。

ところが、東福寺駅へむかう10分足らずの道中で状況が把握できた。

つまり途中、門前にある臥雲橋や、その入り口、さらには通りからの入り口になる北門や、そして極めつけは東福寺駅、

と途中にボトルネックとなる関門がいくつもあって、そこで入り込みが絞られているので、結局門前は混雑していないわけだ。

東福寺駅は電車が出てもホーム滞留客が減らず、ホームに立っている応援社員がマイクで客に呼びかけたり携帯で連絡を取り合ったりしている。

もともと狭い東福寺駅のホームである。

ちょっと下車客が集中するともう一杯。

おまけにとってつけたような狭い階段で構成させるホームから改札、そして表への跨線橋は人があふれている。

これでは電車を降りてから表、本町通に出るまで10分や15分、平気でかかりそうである。

なんともご苦労なことだ、と思う。

 

古来、東福寺駅は国鉄と京阪の間に改札がなかった。

つまりキセルが可能だったのだ。JR化後の複線化などで駅の構造は変わり、今やJRから京阪への乗換はずいぶん手間がかかる乗換になってしまった。

最近は東山通の交通事情の悪さから、「JRから東福寺乗換で京阪へ、東山へ」としきりにPRしている。

でも、この状態では乗換自体にずいぶんと時間がかかってしまう。

ただでさえ時間6本、互いが接続のないダイヤである。

目の前で電車が行ってしまってはなんともがっかりだろうと思うし、混んだ中では疲れ倍増である。

バリアフリーの叫ばれている昨今、もともと同一平面のJRと京阪のホームなのだから、

壁を外して自動改札の通路を造るだけでもずいぶんと違うと思うのだが、無理なのだろうか?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  高槻西口利用者は1号車

 

11/21

火曜日、12両の18:15発3502Mにぎりぎり間に合うか、と大阪駅へ駆け込んだ。

改札を通るまさにその頭の上を雷鳥41号と思われる列車の音が聞こえている。

それ急げ、とエスカレータを駆け上がると、そこには長蛇の列がまだ動かずに止まっている。

もういつもなら新快速の入線があるはずなのに、と案内板を見ると5分遅れ、とある。

なんだ、わかっていたらもう少し歩いたのに、とちょっと舌打ち。

例のゆとりダイヤ以降、微妙な遅れがほとんどなくなり、昔なら15分発で15分に駆け込んでも乗れることがたびたびあったのだが、

最近は異常時でない限りは定時で発車している。

それが当たり前なのだが、もう少し、というところで逃したりすると、以前を思い出してはひときわ残念がるのである。

 

とはいえ、今日は5分ある。なので、ホームを後ろへと歩いていく。

10番線側は18:22の湖西線新快速3504Mの乗客がこれまた長い列を作っている。

その列の前、ホームの端をすたすた歩いていくのだが、なかなかこれが歩きにくい。

狭い列とホーム端の隙間を進むのだが、同方向の追い越しもあるし、反対に歩いてくる人間のすれ違いもあるし、思ったようにはなかなか進まない。

結局その間に3502Mが入ってきて、2号車後ろドアから車内に入る。

1号車なら確実に高槻で座れるのだが、2号車はどうかと様子見をしたいこともあってまずは車内に入ってみる。

が、新大阪での下車客が付近におらず、結局高槻でも人が動かず、京都まで立つ羽目になった。

これなら新大阪で一旦ホームに降りて1号車まで走っていった方がよかったか。

やはり高槻下車客は1号車に集中するらしい。

もっとも今日の場合は遅れていることもあっていつもより車内は混んでいて、いつもと少し違う状況かもしれないが。

 

5分遅れは大阪の停車時間とその後の走りでわずかに縮まり、京都で3分延、そのまま草津まで3分延の状況であった。

草津で受けた808T大垣行きも3分延となって、野洲までやってきた。

米原までの間で808Tが回復できるかどうかはよくわからないが、808Tが野洲を出る時点では、

長い12両編成の最後尾1号車はもうすっかり落ちついて空席の目立つ車内になっていた。

 

野洲のホームの風がずいぶん肌寒くなった。

もうすぐ師走、そろそろ野洲駅での長時間停車時の半自動扱い時期だなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  かつては野洲京都が1時間

 

11/19

冬将軍がやってきて、急に寒くなった。

とはいえ、もう11月も後半であるし、寒くなっても当然か。

日の入りは相当早くなって大津ではすでに16:50を割り込む早さ。

つるべ落としの秋の暮れとはいうが、まぁ暗くなるのが早いのはどうも心理的によくないというか、何か寂しく思う。

ところで、そんな今日11月19日は、実はある記念日なのだが、ほとんど知られていない日である。

そう、今から51年前、米原京都間の電化完成で、東京から大阪まで東海道線から蒸気機関車が消えた日、である。

もちろん、蒸気機関車が消えたといってもそれはあくまで本線列車のみの話で、たとえば草津京都間には草津線に直通する蒸気機関車が残っていたし、

膳所や米原など小運転や入れ換え機関車から煙が消えるのはずっと後のことである。

が、とにかくこの日のダイヤ改正で、東京から大阪(神戸)までの列車はすべて電気機関車が牽くことになって、窓を開けていても石炭の煤煙が入ってくることはなくなった。

ちなみにこの当時は窓は開けるものであって、窓から手を出してけがをしてもそれは手を出した人間が悪い時代である(当たり前なのだが)。

 

ところで、一般的にはそうやって東京から大阪まで電気機関車が牽く改正、と思われていて事実その通りなのだが、わだらん的には別の意味がある。

つまりこの米原京都間の電化完成で、京都明石間の急行電車が米原まで延びた、つまり今のT電、高槻から快速となる普通電車の運転形態が始まった日である。

電化開業前の東海道線、米原京都間のいわゆる湖東線区間の普通列車は、東京発大阪行きや名古屋発広島行きなどという長距離普通列車と、

一部米原発京都行きや野洲発京都行きなどの区間列車で構成されていて、1〜2時間に1本程度であった。

湖東線の区間列車は蒸気機関車が牽く客車で京都まで、大阪への客は京都発の急行電車(現在の快速)に乗り換えていた(もちろんわだらんが当時を知っているわけではないが)。

一方、長距離の普通列車は郵便や荷物の積み卸し、あるいは編成組成作業などで京都で長時間停車するものが多く、

またもともとが長距離客相手の列車であったので、大阪へちょっと出かける、という感覚ではなかった。

つまり、湖東線電化で、大阪からの直通電車が入ってきた日がまさに大阪への通勤圏になった初日、と思えるのである。

もちろんまだ1956年の時代に野洲からの大阪通勤者がいたとは思えないが、少なくともこの日を境に大阪への直通電車は漸次増発されていくのであった。

そもそも、逢坂山と東山の長い二つのトンネルを煙まみれで毎日越えるような通勤はできないわな。

 

日がまだ昇る前の709Mに乗る。野洲ではまだがらがらの車内も順番に客が増え、瀬田では立ち客が出る。

こんな早朝から10分おきに電車が来るのも大したものだが、またそれに客が乗っているのもまた不思議なものだ。

もし電化開業前の野洲や草津の駅員氏が元気なら、いまのこの風景はどう映るだろう?

まぁ、その前に南草津周囲や野洲の北側の変化に驚くだろうけれども。

 

当時の時刻表をダイヤ形式で載せています。ご参考までに。

http://www.geocities.jp/yasummoya/aged/timetable_history.htm

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  秋色に染まる電車

 

11/17

丹波篠山に出かけてきた。

金曜の一泊で、土曜日の午後にその会合は終わり、篠山口駅へ戻ってきた。

ちょうど2番線留置中の奇妙な顔をした113系が停車中。

のんびりとした秋の日ざしに照らされていい顔色をしていた。

 

昔は客車の色は茶色であった。

機関車の煙の汚れが目立たないようになのか、あるいは木造客車の時代の漆やニスの色を引き継いだのか、とにかく茶色であった。

のちに車内を蛍光灯照明にしたり、窓枠をアルミサッシに改造された、いわゆる近代化客車が青色になって出てきた。

電車はもう少し色の付いたのが早く、1949年末から現れた80系湘南電車がいわゆるオレンジと緑の塗り分けででてきた。

この色合いは当時の鉄道車両の常識を覆したもので、直流電車の標準色となって、今でも湖西線や草津線の113系が纏っている落ち着きのある色である。

福知山線にいる113系はクリーム色に帯が入っている。

最初の福知山線113系はもう少し深い黄色であったが、どうもおでこの丸い113系には単色系は似合わないようだ。

そもそもおなじおでこが丸かった80系や70系の単色塗りは青坊主とか茶坊主とあまりいいあだ名を付けられてはいなかったので、やはりよろしくないのだろう。

その点ここの113系はクリームベースのおでこではあるが、窓回りに茶色の帯を巻いているので、少し精悍に見える。

色使いというのは難しいものだ、と思う。

 

尼崎で乗り換えた新快速が湖西線敦賀行きであったので、山科で乗換、ついでに米原側のホーム端で電車を眺めていた。

山の木々が少し色づいて、柔らかい日差しがいかにも秋ですよ、と語っているようだ。

少し傾きかけた太陽にぎらりとステンレスの車体が反射する。

それはそれできれいなのだが、どうもとげとげしい感じを受ける。

やはり電車には色を付けておいてほしい、とわだらんの勝手な願いである。

保守費低減や車体軽量化には相容れない、わだらんの単なる願望ではあるが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  次々出発新快速

 

11/14

13日の火曜日のことである。

15時少し前に立花で人身事故があった、との情報を仕事場でJR西のHPから入手していた。

つまり、どうせ帰宅時、18時前後でもまともに電車は来ないか、来たとしても運用変更なりなんなりでどれか決まった電車を狙うのは無理だろう、と悟っていた。

ならば、大阪始発の新快速なら、多少遅れることはあっても運休にはならぬな、と18:37か18:52のどちらかに乗ろう、と適当に大阪駅へ向かってみる。

帰宅直前に不意な用事ができて、結局ホームに上がったのは18:35。

案の定、9番には18:00の3500M米原行き、これは長浜行きの末端打ち切りなのだが、がホームに停まって信号待ち。

車内は混んでいる。

ただ、10番には18:37の3508Mが停車していて、こちらにかなり乗客もいるので、ドア付近はかなり混んではいるものの、すし詰めではない。

さて、どうしたものか、と出発案内を見ると、18:00が35分遅れと出ている下に18:30敦賀行き5分遅れ、とある。

この5分遅れはそれが正しい5分遅れなのか、

さらに拡大する過程での5分なのかちょっと判断つかず迷っていた。

 

ところが、である。

何となくホームの後ろ側を見ると、そこに新快速がいる。

現在の9番ホームはおおよそ19両収容可能な長いホームで、新快速の12両編成停車位置の少し後に第三場内信号がある。

つまり後を走ってきた3506M、大阪18:30の敦賀行きがその第三場内で停止しているのである。

同じホームに二本の新快速がいる光景である。

なるほど、出発案内は18:00、18:30、18:37の順に並んでいるので、どうやら目の前の3500Mが出た後に18:30発の3506Mを出すらしい。

そこで開いているドアの前で次を待ちます仕草の列の先頭に立ち、しばらくホームで待っているとやがて37分遅れで3500Mが発車していった。

さて、どうなるかとわくわくしていると、案の定目の前に3506Mがやってきた。

しかも出発も進路開通して、すでに青信号。

わだらんはあっさり窓側座席を確保して、10分遅れの18:40に大阪駅を出たとたんに睡魔に乗っ取られてしまった。

目が覚めたのは石山、京都で手間取ったらしく、少し遅れが拡大したものの結局野洲には12分遅れで無事到着。

大阪駅を18:35にホームを上がって野洲へ19:40、しかも着席。

いやはやなんとも贅沢でありがたい話である。

車掌氏は「遅れましてご迷惑をおかけします」という。

確かに坂田以北への乗客には電車が遅れているのは間違いないのだが、わだらんのような野洲までの人間なら何も苦労せず、電車が遅れても迷惑になっていない話。

ありがたや、ありがたや。

ただ、こんな異常時のことをよかったと思っているのはやはりよくないね。

 

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鉄ヲタはお客より列車が目的

 

11/12

朝、家を出てみると、あたりはまだ夜であった。

もう日の出はすっかり遅くなり、少し肌寒く感じるようになった。

確かにもう11月も半ばまで来たのだから、冬の気配があっても当然だ、と思う。

とそんなことを考えつつ野洲駅のホームに出ると、いつのまにか分岐器加温器(というのかな、正式名称は何だろう)が取り付けられているのに気がついた。

今年は雪がたくさん降るだろうか?

降ればやっかいだが、降らねば琵琶湖の生態系に悪影響が出るわけで、確かに最近めっきり雪が減ったのはやはり地球温暖化の影響なのだろうな、と思う。

 

そんなことを考える今日12日はもうすっかり冬型の気圧配置。

帰宅時に高槻で雨が降り出し、南草津までずっと雨。まいったな、と思っていると野洲では雨が上がっていた。

といっても偶然の産物で、家についてしばらくするとまたざぁーっと降ってきた。

雲が切れて青空が見えているのに突然雨が降るのは日本海側の冬の日常。

もっと気温が低ければ雪になるのだろうけれども。

そんな気まぐれの天気のおかげで、今日は虹を見た。

膳所から瀬田まで、雨は降っているのだが遠くは晴れ、琵琶湖の湖面方向に虹が出て、ちょっと得した気分になった。

何かいいことがあるといいなぁ。

 

虹の見える時間、つまり今日は実は半日休みをもらってとっとと昼で帰ってきた。

草津線を珍客(というと失礼だな)、日本で知名度が一番高いと思われるご夫婦が琵琶湖線〜草津線を走る臨時列車でおでかけになる日、

ちょっと様子を見ようか、と仕事をさぼって野次馬ざんまい。

定期列車では入らない草津の電留線にはるかがとまっていて、やはりいつもと違うちょっと張りつめた雰囲気。

お客様の宿に近い大津も、途中臨時列車が走る膳所も石山も瀬田も南草津ももちろん草津も、ホームに駅員や警備員が出ていた。

いつもこれなら飛び込みなど起こるはずもないのだが、と一人でぶつぶつ言ってみたりする。

しかしこの肌寒い天気の中、ずっとホームになっているのはさぞしんどいだろう。

せめて風が緩ければまだいいのに、と合羽姿で上屋からはずれたところにいる駅員さんを見ては少し恨めしげに空を見上げてみるわだらんであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ボールを追って線路に入るな

 

11/11

金曜日のことである。

大阪駅17:45の3498M狙いで改札を抜けると、17:38の804Tに間に合ってしまった。

それなら新大阪まで行くか、と7/8番ホームに上がると、今日は8両だ、という。もともとこの804Tは6両の混む電車なのだが、8両なら少しは楽か、と車内にはいると実際楽だ。

通路に余裕で入れ、かついかにも「すぐ降りますよ」らしきおじさんが座っている。

窓側が空いたのに窓側に移らず通路側に座っている。これは狙い目、

とそのおじさんの横に立つと、案の定新大阪で降りてくれた。結局新快速への乗換はせず、そのまま静かに野洲まで乗っていくことにした。

 

ところで、先日池袋で自殺する女性に降ってこられた男性が亡くなったそうだ。

空から人が降ってきて、自分の頭を直撃するという悲しい出来事。

かたや西の方では人違いで撃たれた方もいて、なんとも理不尽な話。

好きで命を落とすわけでないのに、どうして急に人生を終わらされてしまうのか、回りももちろんだが、本人もきっと無念の一言だろうと思う。

 

水曜日に山崎の線路点検に巻き込まれたわだらんであるが、木曜日はなんとか助かった。

木曜日は例の富田村踏切で人身事故があって、これも結構運転再開とその後の運転整理に手間取ったようである。

人に迷惑をかけるような人生の終わり方だけは絶対にしてほしくない、と切に思うのだが、きっとせっぱ詰まった状態ではそんなことは思いつかない、

のだろうなぁ。たぶん冷静に判断できたら自ら命を絶つことはないだろう。

 

ちなみに金曜日の朝、大阪7:39の715Tは通常12両のところ、8両であったそうな。

いつも利用している通勤者の方にはなんとも迷惑な話。

ちなみに金曜日はサッカーボールを追いかけた大学生が線路に入って列車の運転がしばらく停まったとのこと。

いい年した連中が、と思うのだがこんなばかばかしい理由でも列車は遅れてしまう。迷惑な話だ。

列車遅れが起こって編成両数が増えるのはありがたい話だが、でも本当は決められた時刻に決められた電車がきちんと来るのが一番当たり前の話。

平和な日がどうぞ続きますように、そして無念に命を落とす方がこれ以上出ませんように。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  迂回路確保もままならず

 

11/8

近江鉄道・バスのHPを見て知ったのだが、守山−堅田間のバスが夜間に増えている。

おそらく守山市の湖岸近くの住宅地の通勤需要か、と思うのだが、まぁバスの本数が増えるというのはいいことだと思う。

堅田駅の最終は21:37と結構遅く、なかなかよい、と思う。

乗客が定着してくれるだろうか。

 

大阪駅の9番に上がると目の前で17:45の3498Mが出ていってしまった。

仕方なく18:00の3500M狙いで列の先頭に並ぶ。

この3500Mは大阪駅での車内滞留客が多く、下手をすると先頭でも座れないなかなか混んでいる電車であるが、

まぁなんとかがんばってみよう、とのんびりホームで立っている。

やがてスーパーはくとがホームの後ろに停まっているのをぼーっと見ていたのだ。

 

ところが異変が起きた。一旦「ドア閉めます」で戸締し、赤ランプが消えたのに、再び点灯、つまりドアが開いたのである。

目の前の9番線出発信号機は突然赤に変わってしまった。どうもおかしい、とそわそわ。

もちろんわだらんの後ろにはかなりの長い列ができているのだが、異変に気づいた人間はまだいない。

誰も待ちながらホームのレピーターなど見ないものだろう、というか、知らないわな。

 

しばらく時間が過ぎ、18時になってしまった。

もちろんはくとは動かず、従って18時の新快速もやってこない。はて、と思っていると「高槻山崎間で踏切内に人が倒れている」とのアナウンス。

しばらく運転見合わせのようだ。おまけにそれからしばらくののち、「本日の新快速長浜行きは10番線に変更」とのアナウンス。

せっかく先頭にいたのに、とぶつぶついいながらホームの中をうろうろ。

おそらく新快速3500Mは大阪駅手前で機外停車のまま時間がたってしまったので、とりあえず大阪駅の空いている10番線に入れよう、ということだろう。

列の先頭にいたのに残念ではあるが、この変更はすべきことだ、と思う。

 

結局大阪駅を43分遅れで出発した3500Mは瀬田を過ぎ前の804Tに頭を抑えられ、遅れが拡大して野洲の時点では55分遅れであった。

もっとも偶然にもわだらんは高槻で座ってしまったので、京都がどんな状態であったかはわからない。

まぁ、とにかく大阪から2時間がかりであったのは事実である。

 

大阪駅で出発を待っている間、ふと堅田からのバスのことを考えた。

地下鉄で新大阪まで出て、新幹線で飛ばして、京都から湖西線に乗れば堅田までは行ける。

それからバスで飾磨田町まで行って徒歩30分もあれば何とか帰ることはできる。まぁそこまでしなくても何とかなるか、と踏みとどまっていたのだが、

家に帰ってみるとまさにちょうどその時間、新幹線京都駅で人身事故があって新幹線も止まっていたようだ。

なんともはや、平和に帰れる日が当たり前であると願いたい。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  最近は珍しくない珍客

 

11/6

18:15の12両新快速3502M狙いで大阪駅の御堂筋口改札を通ったのだが、18:08の810Tに間に合ってしまった。

810Tも12両、ホームを急ぎ歩いて4号車に乗り、さらに新大阪で歩いて2号車へとやってきた。

ざっと見ると最後尾1号車の方が2号車より混んでいる。

おそらくは高槻西口利用者が最後尾に集中したのだと思うが、どうも12両の編成を見る限り最後尾1号車の方が、2号車より混む傾向がありそうだ。

もう少しよく観察してみなくてはいけないが。

ただ、T電の場合、1・2号車は茨木で階段から遠く、おそらくは茨木での着席は難しい、と今まで敬遠をしていたのだ。

今日は観察、としばらく通路に入って様子見である。

新大阪で降車以上の乗車があり、扉付近はざっと人が立っている状態だが、通路内はほとんど人のいない静かな状態。

まずまず落ち着いた車内である。

偶然か茨木で降りる奇特な方がいて、無事座ることができた。

なんと階段から遠いところ、と思ってしまうのだが。

 

高槻でざっと客が降りると車内は一気に空いてしまった。

長岡京も向日町も階段が遠く、京都では乗車があるものの、石山も南草津も草津も階段が遠いせいか、思ったほどの乗車はない。

新快速12両だと、もう少し京都で後方にも乗ってくるので、このあたりは通勤客の移動距離の関係かもしれない、石山や瀬田なら無理に座れなくてもいいか。

結局わだらんは山科手前で寝てしまい、気がついたら草津であった。

横も前もおらず、座席を倒して例によって4人分を一人で横になってごろごろと野洲まで。

それでもホームにでると結構な乗客数。

ということは編成中央はそれなりに乗っていたか。

 

もう空気はひんやりとする頃になった。駅の階段まで歩いていく途中、3番線を通過列車、とのアナウンスで振り返ると、雷鳥がやってきた。

今日も湖西線の風規制らしい。

最近は多くなって驚かなくなったが。

ちょっと寒々しい雰囲気のホームを通過していった列車が風を巻き上げて、よけいに寒く感じるようになった。

もう11月、そろそろ冬支度かな。

 

せっかく楽に乗れる810Tである。

次に乗るときは酒でも買い込んで一人宴会とするか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  いつも乗る電車を見送ってみる

 

11/4

2日の金曜日、向かうところがあって、野洲6:51の3407Mに乗り、新大阪で降りた。

新大阪からは歩いていけるところで、少し時間に余裕もあったので、わざと先頭に乗ってみた。

いつもこの電車に乗るときは11号車か12号車、つまり編成後ろ位置なので、こんな時には先頭に乗っていつもと違う車内の様子を見てみようと思ったのだ。

野洲でざっと窓側の席が埋まり、守山でさらに乗ってくる。これで1号車でも4人がけ席を除くとほぼ満席状態になった。

草津では向かい合わせ4人席もすべて埋まり、立ち客が一気に出た。

京都で降車あり、ざっと車内が空くが、乗車もあって再び混雑した車内になった。

ところが、高槻では思ったほど乗車がなく、高槻を出た時点でまだ新聞を半分ほど広げる余裕がある。

いつも乗っている編成後方では石山の時点で通路の座席横すべてに人がいる状態で、

そのままの状態で大阪まで推移するのだが、やはりかなり空いているように思える。

 

大阪駅の3/4番ホームは最近の改装で下り方に階段ができ、桜橋口へ降車する際は以前よりずいぶん階段が近くなった。

旧ホームの時代、12両編成の先頭というと階段から遠く、かつての国鉄時代の荷物扱いの遺構が残るまるで場末の様なところであった。

下り方向へ帰宅する場合は人が少なく着席しやすい位置だが、降車する側から見れば、階段にたどり着く頃には既に大量の降車客でちっとも出口に進まない状況であった。

最近は少し改善されたのだろうか?

それでも先頭が空いているのは、やはり御堂筋線乗換客が多い、ということだろうか?あるいは阪急だろうか?

阪神電車や四つ橋線ならわざわざ混んでいる御堂筋口を使うことはないはずだし。

もし下り新快速から阪急乗換客が多いとすると、豊中池田や六甲岡本あたりへの客が多いのか、

ならば遠い将来阪急電車が新大阪乗り入れなら客の流れは変わるのだろうか?

 

3407Mを新大阪で見送ってみる。

驚いたのは6号車とか7号車、編成中間が想像以上に空いていたこと。

ドア周りは別にしても、通路の部分は向こう側窓を見とおすことができる。

これなら、夕方の18:00や19:30の上りの方が混雑度だけならずっと上だな、とかなりびっくりであった。

たまにはいつもの電車をゆっくり観察するのも着席のためには必要だな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鬼が笑う話だな

 

11/1

列車ダイヤの改正とは、旧国鉄時代は1年前から始まるのだそうだ。

各地(鉄道管理局)のスジ屋、つまりダイヤを作成する職人たちが大旅館に集合して、

まず長距離列車のスジ、つまり時刻をひき、そこから列車種別に沿って、順次各列車のスジを決めていったのだそうだ。

例えば特急白鳥のダイヤは盛岡・秋田・新潟・金沢・大阪の各管理局にまたがるし、

白鳥の青森発着時刻には青函局やさらには北海道の時刻も大きく影響されるので、

まさに全国規模の大改正ともなると大騒ぎだった、

と本で読んでいる。さぞかし現場は修羅場のようなものだったのだろう。

大旅館で行うのも、各局の担当者を一堂に集めるという物理的な問題と、

温泉に入って頭を冷やす、あるいは考えを練る、という配慮だったそうだ。

 

JRの分割体勢になって、他社乗り入れ列車はずいぶん減ってしまった。

もちろん長距離列車の衰退という大きな流れではあるが、今のダイヤでは下関を越えるJR九州の車はなくなったし、

関西線ももちろん電化非電化の壁はあるにせよ、とにかく直通列車はなくなってしまった。

貨物列車はその特性からか、ほとんどの列車が複数の旅客鉄道会社を跨ぐのだが。

ヲタの間では、現在進行形の223系増備が、来年春開業のおおさか東線に関係するのでは?といろいろと噂になっている。

新車で登場してもう3ヶ月も本線に出ない車がいるとか、遠い福知山に新車が取り込まれたとか、

推測だの願望だのがあちこち散歩しているように見える。

まぁ春になればわかることだが、それまで我慢できないのがヲタの心理か。

 

今日から11月。そろそろまた世間がやかましい季節がやってくる。

既に某フライドチキン屋はクリスマス予約などと看板を出しているし、駅には年末年始の列車予約先行受付などといったチラシもある。

年末年始をどうしようか、ぼちぼち考えるとしよう。

 

日の短いこの季節、此花区の某遊園地の閉園時間も早く、大きな袋を下げた遊園地帰りの客と帰宅に競合する季節でもある。

大荷物が邪魔なのは仕方ないにしても、ちゃんと並んで電車に乗ろう。

サラリーマンはちゃんと並ぶぞ、と小言を言うのはわだらんがおじさんに着々と近づいている証拠だろうか。

来年春の改正ダイヤも今頃いろいろ策を練っているのだろうな。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください