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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
08年 2月
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511. 2/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 外が見えると楽しいね
510. 2/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 寝台特急は速いのか遅いのか
509. 2/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 看板列車なら意地でも定刻発車だろうに
508. 2/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ やかんのふたを持ち上がる力
507. 2/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 最後に一花咲かせてあげたい、か
506. 2/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 当時の車両が残っているか否か
505. 2/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地獄八景亡者戯
504. 2/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 降るべきところで降る雪はいいな
503. 2/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大騒ぎするほどの積雪でもないよな
502. 2/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 待たずに乗れる○○電車
501. 2/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 川を越えると雪の量が違う
500. 2/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 右に左に大カーブ
499. 2/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ リアルタイム中継
498. 2/4 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鈴鹿峠の大改良
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 外が見えると楽しいね
2/29
いつものように709Mに乗ろうと野洲駅へと向かう。
5:58発の朝早い電車だが、最近はもうぼんやりと外が見えるほどに明るくなった。
日が長いというのは気分的に何かうれしい。
窓側の最大の楽しみは外を見ることだ、と信じて疑わないわだらんである。
N700系新幹線未体験のわだらんは、あの窓の小さい車体がどうも心理的に合わない。
乗っている223系は車内どこからでも外が見えて、日が長いとそれだけ楽しさも増えるのであるが。
朝の野洲駅は早起きである。
4:44の始発電車は全国的に見てもかなり早いほうで、終電の1.32着と合わせて
あまり眠る時間の少ない、営業時間の長い駅である。
もっとも遙か昔は深夜に停車する普通列車もたくさんあったわけではあるが、今の世の中、
主要駅でさえ通過する(正確には客扱いしない)列車が多数ある中、普通列車だけの駅で、
朝早くから深夜までまじめにがんばっている駅というのはもっと称えられるべきだと思う。
そんな早い時間の電車にはたいてい常連さんがいる。
というか、野洲でわざわざホームの後ろまで歩いてくるのは常連さんばかりで、ほとんど毎日顔ぶれが同じである。
むしろちょくちょく小寝坊するわだらんのほうがよほど非常連、一見さんなのかもしれない。
その常連さんの中にひとりご婦人がおられる。
ちょっと珍しいお方で、始発で誰もいない、どの席でも取り放題でなぜかドアのすぐ前の通路側に座る。
わだらんが先に乗車位置にいるときは問題ないのだが、ちょっと駅に着くのが遅れるとさきに
このご婦人が車内にはいることになり、わだらんがいつも狙っている席に先に座る。
一般的にこの223系のような転換クロスシートでは、窓側の方が好まれる。
外が見えるということもあるだろうが、特に混雑した時間では、通路側は何かとやかましく、
窓側に引っ込んでいると静かで自分の空間が持てる。
混雑など関係ない静かな空間である。
海外へ行く長距離航空機ならトイレなどに行きやすい通路側を選ぶ人間が多いが、
新快速のような特に通勤利用なら途中で立つこともほとんどないであろうし。
実際、窓側に座っていた客が降りると通路側の客が窓側へ移動するのはごく当たり前に見られる光景で、
逆に大阪駅で窓側が空いているのに窓側に動かない乗客は新大阪で降りる確率が高い、
などといった見極めができるのだ。
ところが、始発でどこでも座れるような状態の時に通路側に座られるのはなかなかやっかいで、
わざわざあとから窓側へ入りに行くのもちょっと気が引ける。
これが草津まできて、座席の選択がなくなっている状態ならなんらご婦人をまたいで窓側を確保するのは問題ないのだが、
どこでも席が取れる状態でわざわざ人のいる隣に座りに行くのはちょっと勇気がいる。
かといって草津でわざわざ席を移動するのも面倒だし。
と、結局わだらんは扉間の座席の窓側を確保するのだが、途中で熟睡してしまい、件のご婦人がどこまでいくのか知らないのだ。
少なくとも大阪までの間で降りて行かれるのは間違いないようだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 寝台特急は速いのか遅いのか
2/27
この月曜日に日本海の発車が遅れたと書いたのだが、某掲示板の運行情報スレの書き込みによると、
京都駅で大阪ゆき寝台が15時前に目撃されていたようだ。
これが2号なのか4号なのか不明ではあるが、まぁ大幅な遅れであることは間違いない。
そこまで遅れて乗客がいたかどうか不明だが、東海道山陽筋と違って日本海側は新幹線があるわけでなく、
代替手段が限られるから、案外乗客がいたかもしれないな、と思う。
周囲がさらっと白くなった27日朝、野洲駅へ向かって歩いていると、いつものようにいると野洲派出からの回送電車が駅へ入っていく。
でもどうもいつもより大きいな、思って見ていると、電車は2番線に入っていく。
3番線で野洲6:02の900Mの前を米原へと向かう回5622Mなのだが、今日は2番線。
あれ、と思っていると、3番線をEF510の牽く貨物が通過していった。
この時間に見る列車ではないので、おそらく湖西線の迂回貨物だろう、とみた。
あとからJR貨物のHPを見ると、富山行き3091列車が遅れていたので、結果的にはそれなのかな、と思ったのだが。
さて、野洲5:58の709Mに乗って進んでいると、京都駅手前で機外停車。
なんでも京都駅のホームがふさがっているとか。
湖西線が朝から乱れているか、と。
ちょうど新幹線がトンネルに吸い込まれる手前の位置、ちょうどのぞみ102号が静かに走っていく。
しばらく信号の開通待ちで停車していると、隣に日本海がやってきた。
日本海2号、ほぼ定時である。
あれ、湖西線の迂回や徐行を免れたのかな。
車内は京都で降りる客が身支度中、意外とよく乗っている。
その多くが一般客らしく、これだけ乗っていればいいなぁ、と思う。
結局709Mは日本海2号の後を高槻から走ることとなり、
新大阪手前でまた機外停車、結局大阪着は9分延になった。
話は続くもので、帰宅時に大阪駅へ向かうと、先行の新快速が異音検知とかで17:45の3498Mが遅れている。
大阪着は4分延でまぁまぁだったのだが、ホームの出発反応器は10番線、日本海1号が先発と告げている。
あれあれ、と思って乗っていると結局大阪9分延、さらに新大阪で遅れ、京都で遅れ、結局野洲には15分延となった。
まぁ行きも帰りも日本海の後ろを走るなんていうことはそう滅多になかろう、と自分を慰めてみたりする。
実際、新快速のあとを追うのが寝台特急日本海の正規のダイヤなのだから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 看板列車なら意地でも定刻発車だろうに
2/25
大阪駅17:45の3498Mに間に合うか、と急いで9番ホームに上がる。
魚津行きのサンダーバードがまもなく発車です、としきりにアナウンスしている。
ところが、そのサンダーバードの案内と別に、「日本海一号」の遅れも案内している。
昨日の日本海側の天候不良で大阪着が相当遅れ、折り返しで整備のため、出発が1時間程度遅れる見込み、だそうだ。
なるほどそれで、ホーム端にカメラを持った人間がほとんどいないわけか。
しかし、ふと思う。下りの「日本海一号」は宮原の車である。
つまり、大阪駅のすぐ先、新大阪駅の下にある車庫が自宅で、その車が青森まで出かけて、3日目の朝帰ってくる、そんな運用である。
国鉄時代は広域運用で、青森と長崎を股にかけたような運用もあったが、今は単純に行って帰ってくる、簡単なものである。
ちなみに下りの「日本海三号」は青森運転所の車で、夕方青森を出て翌朝大阪に着き、その夜大阪を発ってさらに翌朝青森に帰るもの。
青森の車が遅れて折り返しに時間がかかるのはやむを得ないとしても、自宅に帰ってくる宮原の車が列車の到着遅れで折り返しに手間取るとは。
昔ならそんな遅れが出そうなことがわかった段階で、車庫の車を集めて別編成を仕立てたものだ。
もちろん今でも例えばサンダーバードであったり新快速223系であったりすれば、自分の家にはある程度の予備編成があって、
ダイヤ乱れや車両故障には予備編成を出すことができる。
予備といってもずっと車庫にいるのではなく、いわばその日一日車庫で自宅待機しているようなもの、
何もなければまた翌朝には次の運用でまた駆け回る、そんな車両がある。
むしろ予備車が少ないが故に軽微な故障に対応できない、と最近は少し予備車率を増やす傾向にある。
もちろん予備車が増えれば車両の運用効率は下がるし、コストはかさむし、鉄道経営的にはいい話ではないのだが、
安定した運転のための支出、ということになるか。
ただ、今や風前の灯火の寝台車ではその予備車すら確保することは難しいようである。
昔なら寝台特急を遅らそうものなら大騒ぎになったのだろうが今や予備車もなく、遅れはそのまま引きずってしまう、なんとも寂しい話。
夜行列車が旅行の主役、路線の花形だった時代はもう終わってしまったか。
しかし、この日本海一号」、幸いにもこの3月を乗り越え、まだしばらく走るようだ。
もっとも車両が青森持ちに変わる。つまりダイヤこそ今の宮原車のものだが、実際には宮原車の一往復は廃止になってしまうからである。
「銀河」と「なは・あかつき」も廃止され、関西出発の夜行列車、いわゆるブルートレインはこの「日本海」のみ、ずいぶん減ってしまうのである。
悲しい話であるが、わだらん一人ではどうにもならないな、と思う。
3498Mでは幸運にも窓側を大阪で確保でき、すぐに寝入ってしまった。
目が覚めるともう周囲はすっかり暗くなったなか、明るく照らされた向日町の車庫が見えている。
ちょうど今夜の「きたぐに」に使われる車両の整備中。
「きたぐに」用583系はもうずいぶんと経年車であるが、これからももう少しがんばって、夜行列車という存在をアピールしてほしいものだ、と思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ やかんのふたを持ち上がる力
2/24
車のマフラーをステンレスにすると、同じ径でも表面のざらつきがない分、鉄製のマフラーより性能が上がるそうだ。
要は排気量が同じ径でも多く、つまり燃焼効率が上がるのだそうだ。
ものを燃やすときは、もちろん燃えるための材料も大事だが、燃えた後の空気の流れというか、
排気をよく考えないと燃焼が続かない。
排気は結構大事な要素で、エンジンの性能を左右するものでもあるわけだ。
同様に蒸気機関車も排気、つまり煙管から煙突への流れが大事で、
上手に煙が流れて缶の中の空気が常に入れ替わるような構造が機関車の性能を左右するそうだ。
そのために初期は煙突にいろいろ工夫をしたものが多かったそうな。
が近代化蒸気、つまりD51やC57以降は煙突の形状も安定して、機関車のスタイルを印象づけるシンプルな形になっているのだ。
もちろんその後も煙突の周囲に板を立てて煙の流れをよくする工夫とか、
煙突の中に複数のパイプを設けて排気効率を上げてみる工夫など、
いろいろなことはあったのだが、いかんせん蒸気機関車自体の効率が悪く、
結果的に姿を消してしまうことになったのだ。
まぁ時代に遅れたのは事実だから。
そんなことを考えたのは、今日がSL北びわこ号の運転日であったからである。
SL、蒸気機関車は気温が低くなると煙突からの煙が白く大量になる。
もちろん本来の煤を含んだ黒煙の量は夏も冬も変わらないのだが、冬気温が下がると、
黒煙といっしょに出ている大量の水蒸気が冷やされて水を含んだ空気となって白く見えるのだ。
夏なら水蒸気はすぐに空気中に気化して、黒煙のみが残るのでどうしても煙は見た目黒くなる。
黒い煙と白い煙とどちらが迫力あるかは個人の好みにもよろうが、
今日のような暗い雪雲の中では、白い煙はあまりさえないような気がする。
その北びわこ号の運転日、24日の日曜日はまた野洲で大雪になった。
家の回りでざっと20cmはあろうか、駅に行ってみたがやはり雪まみれ、
野洲の車庫(野洲派出)を出庫してきた電車は屋根に大きな布団を乗せている。
それでも彦根は6cmとまた本来の雪の降り方ではないような天気である。
とはいえ、おそらく田畑の白くなっているであろう木ノ本あたりを走る蒸気機関車は
また夏とは違う迫力を持っているのだろうと思う。
が、朝の上りはダイヤ崩壊状態。間引きの上に来る電車が50分遅れとか、まるで時刻表があてにならない。
午前の北びわこ号の指定席を持っていた乗客は間に合ったのだろうか、ちょっと気になった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 最後に一花咲かせてあげたい、か
2/22
朝野洲を6:07の711Mに乗る。
窓側はほぼ埋まっているものの、通路側なら前向きが確保でき、しかも京都までで降りる客が8号車に多く、
いつも石山で京都で窓側に動き、結局また熟睡してしまう、ありがたい電車である。
今の時期、少しずつ明るくなってきていて、大津で並ぶ「銀河」がはっきりと見えるようになった。
ぱっと見る限りよく乗っているようで、さすがに大津まで来ると目覚める客も多いのか、
ブラインドを上げて外を見入っているのを多数見かける。
といっても、乗客の多くは鉄ヲタだろうから、途中寝ているのかどうかも怪しいが。
わだらんが以前「なは」の西鹿児島まで乗ったときも、「出雲」に乗ったときも、途中熟睡していて、
阿久根のあたりで海を見るとか、餘部鉄橋を見るとか、そんな車窓を楽しむことをまったくせずにひたすら寝ていたのである。
まぁ本来寝台車は寝るためのものであり、寝ながら移動するわけなので、わだらんは本来の寝台車の使い方として正しいはずではあるが、
わざわざ乗りにいったという点では全く理にかなっていない。困ったものだ。
今日も含めてこのところ、大阪駅に711Mで着き、ホームに降りると、隣にいる銀河に向かってカメラを構える人間がとにかく多い。
おそらく東京から乗ってきて、大阪について記念に写真を撮っているのだろう。
いつもこれくらい繁盛していれば、と思うのは葬式鉄の毎度のことである。
わだらんがまだ中学生の頃、夏になると銀河を見に何度となく東海道線の線路端に通ったことがある。
当時住んでいた家から自転車で約30分、笠松競馬の厩舎横がわだらんのお気に入りであった。
下りの銀河二号は岐阜が5:18、夏の間は明るい中を通過する銀河が楽しめた。
当時は既に特急用14系寝台車も多くなっていた時代ではあるが、14系や20系のようなスマートさではない、
ちょっと無骨な10系寝台車を連ねた長い編成はまたこれが迫力あるものであった。
もちろんわだらんにとってはそんな寝台列車などというもの、とうてい手の届くものでなかった、夢の列車であったわけだが。
「銀河」は廃止を前にしてこのところずっと8両編成である。
もちろんわだらんが見ていた12両編成の時代に較べればひ弱になってしまったが、それでも廃止が決定する前は6両が当たり前になっていたわけで、
廃止を前に少しでも人が乗って長編成になるのは、昔を懐かしむまでとはいかないまでも、せめてなくなる列車への花道であろう、と考える。
ちなみに711Mで大阪駅5番ホームに降りたときに、4番ホームの銀河は8両なら見ることができるが、
6両なら711M自身の影になってしまって、直接列車を見ることはできないのだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 当時の車両が残っているか否か
2/20
昔のことばかり言うとおっさん臭いと怒られそうだが、少なくともわだらんの知っている時代、つまり万博前後
(もちろん万博といえば大阪千里丘陵である)のあたりからであれば、おおよそどんな時代であったかは思い出すことができる。
もちろんそれ以前でも本を読んでいたりして知っていることがあれば、それもまた知識のネタとなる。
テレビドラマや映画で古いものが出てきたときに、それが当時を正確に描写するもの、
あるいはのちの時代に形だけ繕ったもの、いろいろなパターンがあるが、少なくとも鉄道の分野で
あまりに時代にそぐわないものはちょっとけちをつけたくなる。
もちろんすべての映画やドラマを見ているわけではないから大きな口は叩けないが、
昨年の某阪神銀行一族ドラマで出てきた神戸市電などを見ると、突っ込みを越えて怒りさえ感じてしまう。
もうちょっとまじめにやれ、と思う。
もちろん細かいことを言い出したらきりがなく、例えば最近テレビで見た某映画、「東京タワー建設時の昭和33年の夕日」の中で、
子供が高円寺へ出かける場面があったのだが、あれは都電から下りるときには2000型になっていないといけない
(都電荻窪線は狭軌で他の都電とはまったく別形式の2000型のみで運転されていたのである、そうな)のだが、
多くの人間はそんなことには全く気づいていない、と思う。
人に聞くところによると、例の小浜が舞台の朝のドラマで、小浜から大阪へ出かける場面で、キハ58が出てきていた、とのこと。
それは正しいのか?と気にされているそうな。
調べてみると、そのドラマの設定、平成5年の車両配置表を見ると、敦賀と小浜にキハ58(28も)が配置されているので、
少なくともキハ58がその場面に使われるのは正しいようである。
とはいえ、青の小浜色に塗り直したとは鉄ヲタ情報にはなかったので色までいうと正しくない、と言えそうだが。
今週から嵯峨野線に221系が入っているそうである。
嵯峨野線というと113系の宝庫でほぼすべての快速・普通電車が113系で運転される頑固な路線である。
そこにいよいよJRになって作られた車が入ることになる。
鉄ヲタ的には面白いが、一般人の反応はどうなのだろう。
今日の帰宅は大阪18:37の3508M。
京都19:21の嵯峨野線快速が221系とは他の掲示板で知っていたのだが、京都にさしかかったときは既に周囲は暗く、
221がどこで運用間合いの留置をされているのかすらわからなかった。
まぁそのうちどんどん増えていくわけだから、せめて今の内に113系でも撮っておこうかと思う。
近い将来、嵯峨野嵐山を舞台にした映画やドラマで、踏切か駅のシーンでもあって、
そこに221系でも登場すると、「この時には221系はいなかったぞ!」と大声を張り上げる人物がきっと約一名野洲にいる、と思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地獄八景亡者戯
2/18
野洲(正確には旧中主町だが)にさざなみホールというこぢんまりとしたホールがある。
17日の日曜日、小雪降る中をそのさざなみホールまで出かけてきた。
丹波篠山出身の某落語家がやってくるというので、落語を聞きに行ってきた。
楽しい時間であった。
演目の最後は地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)というものであった。
実はわだらんが以前丹波篠山出身のこの某落語家の演ずる落語をテレビで見たことがあって、それ以来ずっと気になっていたものがあった。
というのは、その落語がたいそう現代的な話になっていて、とある人間が死んでしまって三途の川を渡ろうと川べりにやってきたところ、
そこの茶店のお婆とのやりとりによると、今や三途の川には橋が架かっていて、しかもそれが1本でもいいのに3本も架かって
おまけに通行料金が高くて困っているそうな、という話であった。
えらく印象に残っていてそれをもう一度聞いてみたいなぁ、と思っていたところ、今回最後の演目で
その話をしかもさらに現代風にアレンジしてしゃべってくれたのであった。
たくさん笑わせてもらい、気分が良かったのである。
この日の話によると三途の川に架かった3本の橋は赤字続きだそうで、名前も赤字大橋というのだそうだ
(このあたり落語の笑いを理解するのにはちょっとした知識がいるそうな)。
この演目が地獄八景亡者戯というものだ、とは、帰りがけに演目の一覧が掲示されていてわかった次第。
帰って調べてみると元は上方の古典落語で、相当な大作なのだそうだ。
たしかに話のさわりで、ダイジェストですと注釈をつけていたのだが、実際の話はもっともっと前後に長いものらしい。
まぁ、それでも中入り後40分近くを一気に話すすばらしいものであった。
ところで、わだらんは見たことがないのだが、今の某公共放送の朝のテレビ小説は「ちりとてちん」という。
この名自体古典落語で確か長崎かどこかの土産物を題材にした話で、落語家の話。
中にはこの地獄八景亡者戯も出てくるそうな。
でしかもこの舞台が若狭小浜だそうだ。
そのテレビのおかげで落語への関心が高まっているらしい。
落語だけでなく、小浜の知名度もまた上がってくれれば
湖西線近江今津からの小浜へのバスの利用率も少しは上がるか、などと全く落語に関係ないことを考えてみる。
野洲は18日の朝も15cmほど積もって、このところ雪が続いている。
今津は日曜日の昼の時点で61cmの積雪になったようでたいへんな大雪である。
若狭もかなりの大雪、というかもともと若狭はあまり雪の積もらないところで、小浜の35cmはたいへんだろうと思う。
今津から小浜のバスは走れたのだろうか、何しろ国道303号の若狭と近江の境、熊川での積雪は1mを超えているそうである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 降るべきところで降る雪はいいな
2/15
今週はずっと寒いなぁ、と思っているとようやく冬らしい雲の流れになった。
夜更かしで小寝坊した15日の朝、下り一番の新快速狙いで駅へと向かう。
野洲6:44の3405M、最近寝坊が続いてよく乗っている電車である。
この3405Mに入る電車は前日の晩、大阪21:23の836Tで米原への向かい、入庫して米原の電留線で泊まるものである。
朝米原を出庫しそのまま出てくるので先日の踏切障害のような外因がなければ遅れる要素の少ない電車である。
今日は定刻で入ってきた。車内はいつものように前向きがざっと埋まって、向かい合わせが半分空いているくらい。
座席の選択の余地はないが、着席には問題ない程度の乗車率。
後ろ向きながらちゃんと座れてまずはよかった。
ところでこの3405M、今日は白い帽子をかぶってやってきた。
定時でやってきたということは途中の視界が悪くなかったということなので、米原で夜を明かした夜のうちにしっかり雪が降ったのだろうか。
途中130km/hでしっかり走ってきたのにそれでもちゃんと帽子をかぶっているということはそこそこの積雪量になったのではないか、と思う。
ちなみにこの3405Mの直前を走る717Mは安土発の電車で、野洲を出庫して安土まで回送し、折り返し717Mになる電車。
なので、昨晩は野洲の車庫にいたもので、当然屋根に雪は積んでいない。
レーダーを見るとその後も雪雲は敦賀から関ヶ原に連続して抜けているようで、
柳ケ瀬の積雪は日中も続けて増えていて、ついに夜には60cmを越してしまった。
一日で30cmを越える大雪である。やっといつもの冬、それらしい雰囲気になったか、と思う。
この天気だと近江塩津の駅のあたりもしっかりと雪が式になっているだろうから、
この週末に大回りを楽しむ都会の人たちにはいいプレゼントだろう。
3405Mは順調に走り、わだらんも草津で前向き席を確保して上機嫌。
逢坂山と東山のトンネル内では屋根の雪がまとめて溶けたのだろうか、ぼとぼとと窓を水が這う。
周囲よりトンネル内の方が少し気温が高いのだろうな、と思う。
そういえば今年は線路に雪が落ちているところをまだ見たことがない。
今度の雪でバラストに敷かれた飛散防止ネットがやっと今年初めて有効に働くのかな。
せっかく準備した冬支度、大雪でダイヤが乱れるほどでは困りものだが、
冬支度のおかげで定時運転できるくらいがちょうどいいね。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大騒ぎするほどの積雪でもないよな
2/13
三連休あけの火曜の夜、帰宅して落ち着いていた21時過ぎを回って風が強くなりだした。
道路に立ててある宣伝旗がびゅーびゅー音を立てている。
これは湖西線が停まるかと公式HPを見ると運転再開と出ている。
あれ、こんなに野洲で強風でもそんなものなのかな、と思って再び外を見ると今度は吹雪になっている。
おやおや、明日朝はさらっと白くなるか、と床についた。
さて、翌朝である。
さらっとというか、しっかり周囲は白くなっていて、ざっと10cmほどは積もっていようか。
まだ雪は降り続いていて、白く静かな世界である。
せっかくなので、少し明るくなって外の写真でも撮ってから出かけようと、と野洲を6:44の下り一番の新快速に乗るつもりで駅へと向かう。
野洲で積もっているということは、米原では大したことにはなっていないだろう、と読んだ。
実際、後から国土交通省のリアルタイムレーダーを見てみると、
雲が南東方向、琵琶湖を越え鈴鹿へ逃げていて、岐阜県側にはまったく雪雲がかかっていない。
アメダスでも米原市(といっても伊吹山の麓、旧山東町であるが)の積雪が0cmなどというにわかに信じがたい数値である。
これでは豪雪地帯の名が泣くなぁ、と思ってしまう始末。
さて、野洲駅で電車を待っていると、何と新快速より前に6:48発の719Mが下りてくるとのこと。
しかも719Mは定刻で、新快速3405Mだけが7分遅れ。
つまり、近江八幡で719Mは待避なしと考えるのは簡単だが、はて、3405Mは何で遅れたのだろう?
敦賀からくるものでもないし、米原で連結するわけでもないのに、と疑問に思う。
が、とにかく3405Mは7分遅れてやってきた。
もともとこの列車のスジは少し寝ている(つまりダイヤに余裕が多い)ので、少しはもどるだろうと期待していたのだが、
それでも乗客がたまったためか遅れはなかなか戻らず、結局大阪まで7分遅れを引きずってしまった。
のちに公式HPを見たところ彦根−南彦根間で踏切障害があったようだ。
障害検知が雪で反応したのだろうか。
とすれば、719Mのあとに障害検知異常が出てそれに3405Mが当たった、となる。
そうだったのか。
ところで先行719Mを瀬田で抜いた3405M、まぁ遅れの拡大もなくまずまず快調に走って高槻手前へやってきた。
内側には快速717Mが停車していて、高槻でいつも通り3405Mが先になった。
かわいそうなのはこの717Mで、せっかく高槻手前まで定刻で走ってきた(であろう)のに、この時点で7分の遅れをもらってしまったのである。
大阪まで先行させるべきではなかったかな、どうせ大阪駅は3405Mが4番、717Mは5番で待避可能なのにとちょっと運転整理を疑問に思う。
朝の7分は相当貴重だと思うのだが。
まぁ素人がどうこういう話ではないのだろうが、717Mに長岡京以遠から乗っていた乗客には迷惑であっただろうな、
と全く積雪などない大阪駅のホームでいらぬ同情をしてみたりする。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 待たずに乗れる○○電車
2/12
待たずに乗れる感覚とはどれくらいだろう?
20分は長いか、やはり15分までか。
かつて待たずに乗れる阪神電車は12分間隔だったが、時と場合によっては12分でも長いと感じるかもしれないし、
人によって取り方はかなり違うだろうと思う。
とはいえ、15分おきとするなら、時間4本以上を確保したもの、と言うことになろうか、と思う。
ちなみに関西の場合、阪急や阪神、京阪や地下鉄の末端区間は10分間隔のダイヤで、
JRでも大和路線や阪和線は多少のでこぼこがあるにせよ10分おき時間6本のダイヤである。
一方JRでも本線系は15分間隔で、対大阪で考えた場合に15分に2本以上の電車が利用できる
西大路−兵庫間は恵まれているのであろう。
もうすぐ島本駅が開業になるので今のT電、つまり高槻から各駅停車の快速を都まで快速運転しろ
みたいな意見がネット上に出てくるが、実際のところ、阪急対抗上快速も停車するであろう。
阪急の時間6本に比較して時間8本、うち4本は乗り換えなしで梅田へ最速、とはいい謳い文句になりそうだ。
まぁ1駅停車でもそう大きくダイヤのパターンが変わることもないだろうし、
今の京都・琵琶湖線のダイヤは細かいところではいろいろと言いたいことがあるものの、
まぁまぁよくできたわかりやすいダイヤだと思っている。
3年前だかに、朝の下りが1本増えて、野洲駅は早朝5:48からほぼ10分おきに下り電車がやってくる。
目的の電車に乗り遅れても次が来るし、座席を選らなければ着席可能な電車が次々やってくるありがたさである。
朝家を出たとたんに傘がいるとわかってばたばたしているうちに709Mに間に合わず、意に反して711M乗車になった。
まぁ次が10分後というのは心理的にはありがたい、待たずに乗れる、の範囲だろうと思う。
ただ問題はこの711Mが前後に較べて少々遅いのだ。
あと4分大阪に早く着いてくれてもいいと思うのだが、前後の関係があって難しいのだろう。
とはいえ、この3月改正で夜行の急行銀河が廃止されるとひょっとすると711Mの時刻立て替えがあるのだろうか。
京都で711Mが時間調整しているのは銀河を先行させるため、と思われるからだ。
銀河がなくなるのは残念だが、711Mが速くなるのならうれしいな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 川を越えると雪の量が違う
2/10
日曜日は朝からいい天気になった。昨日積もった雪がまだ道路際や屋根に大量に残っていて、きらきら輝いている。
わだらん的には雪は降っているときより積もった雪が日に照らされて輝いているのをみるのが好きなのであるが。
9日は大阪でも5cmの大雪になったそうだ。
そんな大雪になると六甲や宝塚の山腹にある住宅地はさぞかし大変なのだろうと思う。
野洲のあたりは10cm程度の雪ならば大した影響もなく、せいぜい歩道が歩きにくい程度だが。
それでも降雪中は視界がかなり悪かったようで、野洲駅ホームでしばらく電車を見ていたところでは
軒並み5分から10分の遅れを出していた。
電車自体が立ち往生するような雪の量ではないのだが、視界が悪いと速度が落ちる。
実際野洲駅ホームからは出発信号の先の下り第三閉塞と上り第四閉塞がいつもなら見えているのだが、降雪の間は全く見えなかった。
これでは安心して走ることもできず、新快速のように本来時速130kmで走るダイヤではこんな時にてきめんに遅れてしまう。
とはいえ、9日の雪は南岸を通る低気圧の影響のため、太平洋側で降ったわけで、
本来の多雪地帯の滋賀福井県境あたりはほとんど雪がない状態である。
やはり降るべきところで降ってもらわないと、と思う。関ヶ原もほとんど積雪がないようだし。
よく雷は馬の背を分けるというが、雪の降り方もかなり極地的である。
気温が1℃違うだけで大きく異なる、微妙な世界。
氷点下まで気温が下がれば雪で間違いないのだが、気温が2℃あたりだと雪と雨の境がなかなか細かい。
近江八幡で雪でも野洲は雨とか、野洲は雪で草津は晴れとか、本当に冬の天気は気まぐれで局地的。
まぁ最近はアメダスデータや高速道路IC情報などかなり細かい地点での雪をパソコン上で見ることができ、
ちょっと楽しんでいたりする。
野洲が朝さらりと白くなって、米原から降りてくる下り電車が屋根にごっそり雪を積んでいる、
そんないつもの雪の朝に今年は出会えるだろうか?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 右に左に大カーブ
2/8
昔から列車の名撮影地として知られる定番の場所があって、それぞれの時代にいろいろな列車が撮られている。
琵琶湖の周辺では瀬田川橋梁や近江長岡の東方、あるいは湖西線比良や北小松のあたりが
すっきりした編成写真が撮れるところとして有名で、近江長岡の場合は特に伊吹山をバックに編成全体が撮れたり、
俯瞰ぎみに撮れたりと、それこそまだ蒸気の時代からずっと名撮影地である。
ちなみに山科も以前は相当な名撮影地であったのだが、花山踏切が廃止され、線路への立ち入りができなくなって
以前できたような撮影は困難、おまけに琵琶湖疎水の周囲の木々もずいぶん生い茂ってしまい、
築堤を大きく回ってくる雄大な眺めもほとんど見えなくなってしまった。
個人的には疎水の線路端にちょっとした展望台を作ってほしいと思うのだが、これはヲタの願望のみであるな。
そんなことをふと考えたのは、昨晩いつも出入りしている掲示板に野洲駅の写真が上がっていたからである。
ところが、たいていこの近辺ならどこで撮ったかわかるはずのわだらんが、
この野洲駅の写真をまったく野洲駅とわからなかったのである。
何かとても悔しい気がする。
写真が少し望遠気味に撮られて前後の距離感覚が分かりにくい絵になっていたので気づかなかったのだが、
なるほどこんな絵になるのかいなとびっくりしたり、気がつかなかったことにがっかりしたり。
まだまだ精進が足りないなぁ、と思う。
そういえば、噂で聞いたのだが、山崎の西側、通称サントリーカーブに柵が設置されるらしい。
おそらく地域住民から不法駐車だの道路占拠だの、あるいは線路内立ち入りのような
馬鹿な鉄ヲタに対する制裁と思うのだが、またなにか列車と親しめる場所が一つ減るのは残念である。
もっとも昔山並みが見えた背景は今やマンションしか映らず、ちょっとつまらなくなってしまったのは事実であるが。
2月に入って一時期よりずいぶん日が延びた。
睡魔と戦いつつ、外を眺めながら帰ろうねぇ、と思った矢先ではあったが、いつも座れる816Tに乗ったとたんに
やはり寝てしまい、まわりが静かになって目が覚めた石山ではもうまわりは真っ暗。
結局精進ところか、周囲の景色の記憶が更新すらされないわだらんであった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ リアルタイム中継
2/6
日本で最初の生の国際映像は確かケネディ大統領の暗殺のニュースであった、と記憶している。
海を隔てた遠い国の出来事が家にいて見えるというのはなかなか画期的で衝撃的だったのだろうと思う。
それからおよそ40年、今ではわだらんが机に座ってオランダの踏切実況生中継など
見ていられるようになったわけでなんとも技術の進歩は恐ろしい。
さらには、ドイツ鉄道DBのサイトで駅の時刻表を引くと、リアルタイムでその駅での列車の遅れがわかるのだ。
定刻とか、遅れ+何分、と表示される。
おかげで野洲駅を発着する列車の遅れは駅まで行かないとわからないのだが、
ドイツの列車の遅れはリアルタイムで自分の机でわかるありがたさである。
まぁ、ドイツの鉄道が定刻であろうと遅れていようと、一般的にはどうでもいい話なのだが。
このところ、本線系は珍しく安泰である。
福知山線は相変わらず毎日微妙な遅れを出していて、9/10番ホームはいつも綱渡り状態であるが、
それでも大きな乱れにはならず、ホームに人があふれることもなく列車は出ていく。ありがたい話だ。
いつものように17:45の3498Mを待っていると、隣10番に特急日本海1号、青森行きが入線してきた。
ホーム端にはカメラを構えた鉄ヲタがたむろして、入線してくる列車に向かって写真を撮っている。
この日本海という列車、新大阪でも京都でも機関車がホームの先頭に停まるので写真にしにくい、難しい列車。
大阪駅でも引きが取れず、あまりいい写真になりそうにはないと思うのだが。
そもそも同じホームではなかなかいい構図にならないものだ。
大阪駅は北側の駅ビルが完成した暁に、11番線が復活するそうだ。
今のスジならサンダーバード39号が11番発、日本海が10番発が妥当なところ。
とはいえ、新駅ビルの完成まで日本海が走っている可能性が極めて少ないので、
今の編成を向かいのホームから眺めるというのはおそらくこのまま不可能で終わってしまいそうだ。
冬型の気圧配置になって、夕方からまた湖西線内で強風による徐行が始まった。
特急の一部は米原回りになったようだが、日本海は2本ともそのまま湖西線内を徐行で進んだのだろうか?
こんな時にDB式に各駅での遅れ表示がわかったりすれば、今頃どこだ?みたいな楽しみ方もできたりするのにねぇ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鈴鹿峠の大改良
2/4
第二次大戦前の昔、東京から下関までの弾丸列車が計画されたときの話である。
計画では鈴鹿の山を越え、野洲から琵琶湖へ出て橋で大津へ直線で進む、というものであったようだ。
ただ、軍部が「橋は攻撃目標になる」と懸念を示し、途中から琵琶湖の橋の案はなくなってしまったようだ。
このあたり、わだらん的にもう少し突っ込んで調べてみたいのだが資料がないのだ。
まぁ東山トンネルの一部開削の時点で弾丸列車そのものの計画が頓挫してしまったので、今となってはどうこういっても始まらないが、
仮に今の琵琶湖大橋の少し南あたりからまっすぐ膳所へ橋が延びていたら、さぞかし風光明媚な観光名所になっていたのではないか、と思う。
しかし最近の高速道路の高架橋は派手である。
特に3月23日開通の新名神、亀山−草津田上の場合、片側3車線(当面暫定2車線だそうだが)で、
車線の幅も少し広く、従って連なる高架橋はまるで万里の長城である。
もちろんわだらんは万里の長城を見たことがないので大きなことは言えないが、万里の長城は人工衛星からも確認できる大きな建造物らしい。
ならば、新名神の甲賀市内の高架橋も少なくともGoogleの航空写真でかなりの位置からわかるので、それに近いものではなかろうか、と思う。
鉄道と高速道路では曲線や勾配の規格が違うので単純な比較はできないが、今の新名神のルートで鉄道線路があれば、
関西線〜草津線の路線改良として貨物列車にはかなり使えるのではないか、と思う。
弾丸列車の計画もトンネルで一気に鈴鹿を抜けるのではなく、今の新名神に近いルートならもう少し現実味があったか?とも思う。
まぁ、もし国鉄の財政事情悪化があと5年遅かったら、米原−草津、明石−姫路は複々線になっていたであろうし、
山科から鳥飼への新線もできていただろうし、ひょっとするとその次あたりで加太峠の改良案が出てきていたかもしれない、
などとくだらない妄想を考えてみたりもするが。
そんな新名神が開通しても、どうやら今の時点で甲賀市内と大津京都を結ぶバスは出てこないようだ。
当面草津線は安泰だろう。新名神もICまでが結構遠く、地元では意外と時間短縮にはならないかもしれないな。
むしろ高速開通で1号線が空く方が地元にはいいことかもしれないし。
と、草津駅に停まっているほとんど原型の113系700代車(しかも5701編成だったりする)を見ながら、
草津線に新車が入るのはいつだろう、と考える。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |