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08年6月

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564.  6/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大阪でも客集め、大阪だから客集め

563.  6/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  急がないし、座れるし、たばこ吸わないし

562.  6/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  まさにまねき猫

561.  6/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  50分立つのと1時間座るのは大きな違い、と思うが

560.  6/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  転換クロスかロングシート以外は電車でない?

559.  6/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  葛野郡とか紀伊郡とか消えた地名も多いのだが

558.  6/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  事故の扱いに慣れるのはいいことなのかな

557.  6/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  川筋や街道筋を基本に地図を見るのはやめねばならぬ

556.  6/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  傘をたたんで乗り込むのは列車遅れの原因

555.  6/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  「川を眺める暮らし」とかいうチラシが入っていたなぁ

554.  6/9  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  「線路に降りると危険です」と書かれていた箱

553.  6/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  滋賀県湖東人に伊賀市の地名は難しいか

552.  6/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  通勤には環境に優しい鉄道利用を

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大阪でも客集め、大阪だから客集め

 

6/30

もう早くも一年の半分を過ぎようとしている。

月日のたつのは早いもので、正月には「今年こそまじめに生きよう」などと神社に賽銭を投げ入れたのであるが、

結局何も変わっていない、相も変わらず不規則で不真面目な生活をしている。

そんな夏への変わり時期、吊り下げ広告はセールの広告ばかりである。

梅田に京都に三ノ宮に、と。そういえば天王寺がないな、と捜してみるが気がつかなかった。

ところで、そんな吊り下げ広告の中にちょっと変わったものを見つけた。

野球の広告である。

夏になると「阪神甲子園球場には駐車場がありません」という広告が下がる。

この数年はオマリーが「阪神電車が一番や」とかなんとかの台詞吹き出しつきで出ていた、と記憶している。

今年も高校野球の時期になると吊りにかかるのであろう。

 

でも今日見つけたのは読売ジャイアンツの広告。

対広島戦を京セラドームで行う、という。

わざわざホームゲームを大阪で行うのも珍しいと思うが、そのためか電車に広告を打つのもまた珍しい気がする。

いや、大阪でもホームゲームが過去にあったのかもしれないが、少なくとも電車で広告は見なかったような気がする。

客集め、告知に精を出しているのかな。

セパ交流戦で、阪神は甲子園の平均入場者が4万3千人だったそうな。

毎回4万を集める集客力はなかなか恐ろしいものだと思う。巨人は大阪でどの程度集まるのだろうか。

ひょっとすると某新聞系販売店が大量に招待券を出す、のかな?

とはいえ、今年は阪神タイガースの調子がすこぶるいいようだ。

大阪の経済にはやはり阪神が強い方がいいようで、そうすると今年はこの先景気のいい話がでるのかな、と思う。

人が動けば金も動くわけで、お金の循環には役立つわけだ。

 

これからナイターが増えてくると帰りの新快速にメガホンを持った人間が大量に乗ってくる。

勝ったときはいいが、負けた試合では帰りの人間に元気がなく、何となく車内が暗い。

もちろん阪神だけが関西のチームでないことは重々承知しているが、やっぱりいろいろなインパクトは阪神が一番強いのかな、と思う。

 

昔は国鉄、阪急、近鉄、阪神、南海、西鉄と各鉄道が野球チームを持っていた。

いろいろ入れ替わりがあって、結局今は西武と阪神だけになった。

鉄道会社として集客力に欠ける、と見られてしまったのだろうが、でも逆に今の状態なら少なくとも阪神は

充分親会社の鉄道利用を増やしている、しかも定期外の客ばかりの優等生なのだろう。

そういえば、この新快速に使う電車も大垣まで定期運用がある。

中日ファンの多いところを走る甲子園球場の広告はどう見られているのだろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  急がないし、座れるし、たばこ吸わないし

 

6/27

朝ちょっと油断して歩いていると、どう間違ったのか713Mに乗り遅れてしまった。

ホームの階段を下りようとしたときに電車が出てしまったのである。

なんともがっかり。もともと713Mは、先行の貨物列車の影響を受けて延発する例が多く、それに慣れてしまって甘く見ていたのかもしれない。

次の715Mは米原からの12両、ホームも違うので駅の中を朝から散歩する結果に。

天気もいいし、まぁこんなものだ、と開き直り。

ちょうど車庫から安土回送になる電車がおでまししてきて、そういえばこの回送はなかなか普段見ることがないな、と独り言。

安土から姫路行きとなって野洲に再び6:52に顔を出す電車である。

もちろん回送で誰も乗らず、ホームにも人はいない。上りも6:20の904Mが出てしばらく静かな時間なのである。

一方、下りホームには電車待ちの人たちが。この715M、6:26発のあとには6:34の特急びわこエクスプレスがある。

少しずつ特急目当ての客が列を作っているが、長蛇の列、というわけではない。

せいぜい一両に2,3人程度。

月曜日ならもう少し多いのかもしれないが、金曜日ならまぁこんなものだろうと思う。

 

やがて715Mがやってきて、わだらんは11号車の客となる。

窓側はさすがにほぼ埋まっているものの、通路側と4人席、座席を選ばなければ余裕で着席できる。

とはいえ、さすがに草津で席は埋まり、瀬田では立つ客が目立つようになった。

石山も膳所も降りる客は少なく、車内はずいぶん混んできた。

大津でびわこエクスプレスが追いつく。車内はかなり埋まっている状態。

実際草津や石山でかなりの列になっていたので、なかなか盛況であろうことは想像つくが、もっと驚いたのは指定席に客がいたことだろうか。

グリーン車は客がいてもおかしくない、と想像つくのだが、指定席に客がいるとは驚いた。

もっとも通勤客ではないかもしれないわけで、一概に不思議と決めつけてはいけないか。

 

715Mとびわこエクスプレスは大津から結局長岡京の直前までほぼ併走であった。

715Mは京都で乗り降りがある程度あるが、びわこエクスプレスからの下車は715Mから見ている限り各号車数名程度のようで、

ほとんどが滋賀県内から大阪へ直通のようだ。

そんなお客で自由席はほぼ満席のようである。

野洲であれば、715Mに乗っても座ることに不自由は感じないが、草津や石山では座りづらいわけで、どうせなら特急料金払っても、となるのであろう。

回数券を買えば一乗車500円。

着席料と見るか、所要57分と72分の差の速達料と見るか、あるいは喫煙可能料とみるか、まぁ見方はいろいろあろうが、

わだらんには縁遠い特急であることは確かなようだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  まさにまねき猫

 

6/25

駅長という職、昔はとてもお偉い方のイメージが強かった。

そもそも駅は列車扱いの最前線であり、出発は駅長の指示なくしてできなかったのである。

もちろん常時駅長が全ての列車を監視できるわけではないが、小さい駅では通過列車の見送りなど、

あるいは大きな駅では数多くの駅員の頂点としてまさに列車の運行を一手に握っていたものだ。

どちらかといえば、営業より運転扱いのほうが主であったように思う。

とはいえ、大きな駅では賓客などあれば先導は駅長の役目であり、東京でも京都でも駅長はお出迎え見送りに忙しい日々であったそうな。

ところがいつの間にか、列車扱いは駅でなく司令所が行うこのご時世、おまけに切符の扱いも極力機械で客が自ら操作して購入する時代。

わだらんもこのところ通勤定期の継続はずっと機械で行っているし、区間外乗車もICOCAでそのまま、

駅の窓口に行くのはせいぜいICOCAのチャージ目的であって、これとて7月からは不可能になってしまえばますます駅の窓口は縁遠くなる。

駅の営業を子会社に委託する会社も現れるくらいであるから、まぁ駅長など以前の権威はどこか遠くへ飛んでいったようにも思える。

 

ところで、駅員にもいろいろな仕事があるのだが、かつては鼠を捕る駅員が英国にいたそうな。

とは言ってもこの駅員、実は猫で、猫を駅で飼うことによって鼠から鉄道を守っていたそうな。

確かに鼠は通信ケーブルを食べるし、電子基板の上で便をするし、分岐器に挟まったりと、鉄道にはやっかいな存在である。

英国国鉄が民営化の際、コスト削減で猫駅員を解雇したところ、鼠による列車支障が増えたそうな。

たかが猫、されど猫でなかなかあっぱれである。

猫が駅に住みつく例は日本でもいくつかあって、最近は玖村の猫がやたら動画サイトなどで人気のようだ。

確かに自動改札機の上で寝ている姿はかわいいもので、そこいらの駅員よりよほど乗客の出迎え見送りが上手なのかもしれない。

貴志川駅のたまは前年比10%の営業成績を上げたそうで、駅長としての手腕はすばらしいもの、田舎電車を全国ネットに上げる実力者である。

わだらんも近日駅長の姿を見物しに行こうか、と思ってはいるが、まさにそう思わせるところがスーパー駅長たまの経営手腕なんだろう。

野洲駅にもかわいいおねえさんが2名いるのだが、残念ながらたまのようなアイドルにまでなるのは難しいのだろうな

(もちろん彼女たちは充分かわいいのではあるが..)

というか、一般の鉄道駅で駅員を個々に売り出すのは無理だろうな。

 

ちなみに先の英国国鉄の話は、両備の小嶋社長のメッセージにあった話。

この小嶋社長のメッセージはなかなか面白く、読み応えがある。

またみなさんも時間のあるときに読んでみてはいかがだろうか。

両備グループHPの中にある代表メッセージである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  50分立つのと1時間座るのは大きな違い、と思うが

 

6/23

栗東市が財政難になっているそうな。

夕張になるかもしれない、と住民に我慢と辛抱をお願いして回っている。

わだらんからすればなんで?とちょっと不思議に思う。

新幹線新駅を作ると豪語していた時には建設債を発行しても充分回収できると説明していたのだが、

最近の説明では今の借金自体で既に首が回らない状態らしい。

ならばさらに借金を増やせたのかどうか、かなりいい加減な新駅計画ではなかったのかと思ってみたりもする。

結構背伸びをしていたのだろうか、あるいは用地買収の資金で財政が底をついてしまったのだろうか。

が、まぁ新駅計画はなくなったことなので野洲市民のわだらんにはあまり影響はないだろうと思う。

しかし一時期は日本で一番住みやすい市とまでなったところが急に財政難とはにわかには信じがたいものだ。

要はその住みやすい市になるためのいろいろな施策や施設が今になって負担になっているらしい。

だからといって住民サービスを急に縮小するのもずいぶんひどい話だな、と思う。

せっかく栗東によそからきてもらった新住民ががっかりするのはよろしくないかな、と。

まぁ今になって湖南2市3町が一緒にならなかったのが正解だったのか、とも思う。

もともと独立した市が合併すれば当然ハコモノは複数あるわけで、その維持費も結局全体の負担になってしまうのだろうし。

でも一時期の栗東は金持ち裕福と草津も守山も綱引きしていたのだが。

 

とはいえ、栗東に限らず滋賀県南部は少なくとも人口はまだ増えるらしい。

南草津の駅前はいよいよマンションが増えてきて、確かに街らしくなった。

まぁマンションのような高層建築ばかりが街の象徴ではないのかもしれないが、

少なくとも滋賀県の半分は琵琶湖で、人間の住むところはほとんどない、と思っている多くの県外者には

ちょっと都心的な風景は強い印象を与えるに違いない、とわだらんは勝手に思いこんでいる。

 

月曜日、電車が混む日である。

いつものように713Mに乗るが、やはり野洲でもいつもより乗客は多く、草津で既に座席は後ろ向きも含めてすべて埋まってしまった。

当然南草津では着席できず、である。

もちろん同じ713M車内でも編成前よりならもう少し余裕があるのかもしれないとは思われるが、

しかし南草津から最低京都まで朝早い時間に立っていくのは結構苦痛ではないかな、などといらぬ心配をしてみる。

「座れる野洲」はもう少し街の自慢になってもいいと思うのになぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  転換クロスかロングシート以外は電車でない?

 

6/21

ある催しがあって、久しぶりに梅小路機関車館へ行ってきた。

生きている蒸気機関車はやはり美しく頼もしく、かつ無骨な頑固者に見えて、なんともいい姿をしている、と思う。

各地にある保存機関車もまたそれはそれで趣があるのだが、やはり実際走るものはなにか違うオーラを出しているように見える。

そもそも蒸気機関車はやかんに車輪をつけたもので構造は本来極めて簡単なもの。

ピストン運動にクランク、リンク機構など、機械の動きの基礎になるようなものも多いし、何しろ回転部分がほとんど外から見えるというのは楽しい。

今日のスチーム号は8630でまた古いもの、簡単なロッドや連結棒はこんなものでも機関車の力が出るものか、とびっくりしてしまう。

園内は小さな子供連れがとてもたくさん。まだ機関車もわからないであろうと思われるベビーカーに乗った赤ちゃんなどもいて、親の趣味でないかい?

などとちょっと疑ってしまう。

まぁそれでも将来鉄道に興味を持ってもらえればいいか、と。

機関車館とはいえ、授乳室があったり、砂場などがあったりするのはやはり赤ん坊向けか、つまりはそんな客が多いのだろう、と思う。

 

ところで、いつも考えているのだが、ここにお迎え列車があるといいな、と思う。

京都の嵯峨野線ホームの先に切り欠きをつくって、キハ52を1両、片道200円くらいで運んでくれれば面白いのに、と。

ハンガリー・ブタペストやオランダ・ユトレヒトの鉄道博物館はそんな博物館へ向かう列車が運転されていて、なかなか博物館までの道中も楽しいものだ。

梅小路も中に入れば楽しいのだが、そこまでのアクセスがいいとは言い難い。

京都駅からのバスは混んでいるし、丹波口からの道は車が多くベビーカーなどとても危なく何か子供連れでも安心できるアクセスがあればいいのに、といつも思う。

キハ52なら単行運転が可能で、かつ架線のない機関車館の横まで入れるし、何しろレトロ調でいいのではないか、と思う。

 

機関車館の休憩所になっているオハフ50の中でしばらく座っていると、入ってくる家族連れが口々に「昔の汽車はこうだった」などという。

わだらん的には50系客車など新型で、かつそんなに懐かしいものでもないと思うのだが、一般的にはそんなものなのだろうか?

そもそもボックスシートが並ぶ車内が懐かしいのなら、金沢や富山など475系が活躍する今の北陸線は生きた博物館か?などと愚痴りたくもなる。

機関車館の上を時折113系が走っていくが、これもまもなく取り替えの運命で、そのうちボックスシートなる言葉がなくなってしまうのだろうか?などと危惧してみる。

やはり、だからこそ、キハ52に頑張ってもらいたい、などと思うのであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  葛野郡とか紀伊郡とか消えた地名も多いのだが

 

6/19

地名とは結構いい加減というか恣意的なもので、特に最近の地名は名付け親の思いとか、単なる宣伝とか、ちょっと首を傾げるものも多い。

とはいえ、そんな地名でも慣れてくると、あるいは根付いてしまえばそのまま受け入れられてしまうもので、

ひらがな地名の連続する某田園都市線とか東西南北だらけのさいたま市某区のようなそんな安っぽい(失礼か?)の駅名でもまぁそんなものか、

と思えるようになってくる。

わだらんの頃は常磐線の主要駅は「平」であった。

平機関区といえば、大型蒸気がごろごろいたところで、わだらんより20歳、いやもう少し上か、の年代のSLファンの

まさにメッカであったところであるのだが、いつの間にか「いわき」に改称されている。

その流れで行けば近い将来「大宮」駅が「さいたま」駅になってもおかしくないし、大宮市でなくさいたま市と紹介される鉄道博物館など、なんとなく不思議に思えてくる。

でも近鉄布施は東大阪にならない、小倉は北九州にならないし、まぁどうでもいいか。

布施が東大阪になったら小阪が怒るか?門司は北九州発祥の地と主張するか、地元の綱引きのようなものもあるのだろう。

もし明治時代に福岡と博多が分離して独立していたら平成の大合併でくっついたか、そうなったらひょっとすると博多市ができたか、

など妄想ネタは日本中どこでも見つけられるし、わだらんの地元でももし2市3町(草津守山栗東野洲中主)が合併していたら湖南市か、

ならば甲西と石部はなんだろう?みたいな話もいろいろ。

もちろん日本だけでなく、外国にしてもその手の話はいろいろあるわけで、もしオランダがイングランドに戦争で負けていなければ

、ニューヨークはニューアムステルダムのままだっただろうし、そんな名前は長すぎるからニューアムスなどと呼ばれている、かもしれない。

 

向日町西大路間の新駅が「桂川」になった。今時の名前にしては落ち着いたものか、と思う。

一部には「ジェイアール桂」などと騒がれていたりもしたが、まずはよかった、と思う。

個人的には所在地、京都市南区久世から「久世」を推していたのだが、まぁよし。

ちなみにこの久世は乙訓郡久世村からきたもので、久世郡とは違うそうな。

久世郡にない久世村など、もし今でも残っていればなぞなぞになりそうだ。

 

桂川というと、わだらん的にはすぐに「けいせん」という同字の九州にある駅が頭に浮かぶ。

が、さらに聞くと北海道にも桂川という駅があるのだそうな。

もっとも特急でざっと通っただけの区間なので、とてもそんな駅があるとは知らなかった。

地図を見ると海、噴火湾に徒歩1分くらいの海に面した小さな駅のようだ。どんなところだろう、一度降りてみたいなぁ。

まぁ、まずは京都の桂川駅が開業したら行ってみよう、何しろ未だに島本すら乗っているだけ、ホームに降りたことすらないのだから。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  事故の扱いに慣れるのはいいことなのかな

 

6/18

開通したばかりの副都心線がなかなか不調なようだ。

伝えられている話しか情報がなく、まだ乗ったこともないので安易な批評はできないが、

複雑な運行形態が騒ぎを大きくしている、らしい。

運行指令が列車の発車順序を間違えたとか、列車種別を間違えたとか、

不慣れな人的ミスが多いようなのだが、指令があわてる状態はいいことではない。

確かに小竹向原は西武と東武が入ってきて有楽町線と副都心線に分かれるのであるが

、構造的には尼崎を小さくしたようなもので、特別複雑でもないように思う。

尼崎の場合は本線優先を原則にすればその場で順序は決まるが、小竹向原の場合は分岐の両側が同等のレベルなので、

順序のつけたかが難しいのかな、とも思う。

あるいは、朝8時台で見ると有楽町線21本+副都心線15本の本数があるので、列車扱いの数は尼崎より多いかな、とも思う。

結局尼崎の場合は朝なら外側の快速、新快速はそのまままず流してやればいいわけで、そのあたりは既に慣れの境地なのだろうか。

もちろん近いうちには副都心線のダイヤも落ち着くだろうけれども、でも本来混雑緩和のための新線で、

その対象となる路線に振替輸送実施というのはなんとも皮肉に思える。

 

もちろん大阪の場合も以前運行管理システムを導入した当時の遅れはひどく、些細なことで遅れ出すと

拡大するばかりでちっとも戻らず、最終電車が夜明けになる、などという話は珍しくなかった。

今でこそちょっとの遅れならおおよそ小修正で逃げられるし、何か不通区間が発生しても

まぁ開通後3時間もたてば見た目の遅れはほぼ収束するように見える。

ただ、今のシステムでは個々の列車扱いがそのまま案内に流れてしまうので、

駅に次に来る電車が時刻表上何分遅れているかと見た目の列車の遅れは違うように思うのだが、どうだろう?

 

帰宅時大阪駅に上がると、尼崎で遮断竿が折れたとかで、微妙に電車が遅れている。

とりあえず10分遅れの804T、定刻大阪17:38の快速に間に合って、まず乗車してみる。

高槻まであとの新快速より先着し、結果的に新快速3498Mも遅れを作ってしまったのだが、それでも待っていればすむ程度の遅れでまぁよしとしよう。

わだらんは偶然茨木で804Tに座れてしまい、結局そのまま熟睡。

この電車、6両の短い編成でなかなか混雑が激しいのではあるが。

その後8分の遅れで進行する804Tは後続3500M新快速に草津で道を譲ることになり、わだらんも草津で乗換。

野洲には19:01着でまぁ無事に、である。

摂津富田のあたりから南草津まで寝ていたし、快適であった、としておこう。

 

ところがどうも後からの話では、このわだらんが帰宅した前後から六甲道で人身事故があって本線は大騒ぎになったようだ。

高架上で事故処理に時間がかかったそうだが、面倒な場所だったのだろうか?

状況がよくわからないのだが、再開に1時間を超える時間がかかったそうで、その間待たされたみなさんはさぞかし大変であった、と思う。

特にかわいそうにいつも思うのは京都以東の乗客で、はるか西の事故のおかげで電車は来ない、振替の手段はない、と忍耐ばかり。

一般の通勤客には車両運用だの乗務員手配だののからくりはわからないだろうから、

何で湖西線や奈良線の電車を回せないかなどと思うのだろうけども。

 

こんなときに草津線の直通がもう少しあれば、草津までの帰宅手段は確保できる。

ゆとりダイヤで減った京都発着の草津線電車の復活を祈ろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  川筋や街道筋を基本に地図を見るのはやめねばならぬ

 

6/15

 

あまりうれしくない話を聞いて、土曜の昼からあわてて桑名に向かう。

人の見舞いなどないに越したことはないのだが、でもこんな機会でもなければ新名神を走ることもなかろう、と実は結構はしゃいでみたりもする。

もちろん相手もわだらんのことをよく知っている人間で、「どうせトンネルを走りたかったのだろう」などと減らず口を叩く。

見舞いに来たのだから少しは有り難がれ、と思ったりもするが、まぁ本音を当てられたら悪い気もしない。

 

しかし新名神は広い。

もともと3車線で設計速度が140km/h(だったよな)なので、とにかく広く感じる。

特に驚くのがトンネルの圧迫感のないことで、いつもなら少々おそるおそる走っていく高速道路のトンネルが、実は地上部分より楽に思えたりする。

鈴鹿トンネル内では気がつくと145kmも出ていて一瞬焦る。それほど速度感覚が低く感じる圧迫感のなさなのである。

幅が広いとはなんとも楽なものだ。

しかしびっくりしたのはこの4kmの鈴鹿トンネル、入り口から出口が見えているのである。

いや、正確には入り口の時点では出口が見えていないのかもしれないが、かなり手前から出口が見えているのである。

4km長さでこんなものか、と驚く。もちろん近鉄の新青山トンネルや北陸線の深坂トンネルのように5kmを直線で掘った例もあるわけで、

この鈴鹿トンネルが特別な例ではないのだろうけれども。

しかし鉄道や旧街道の感覚でいると、最近の道路はなかなか想像ができない。

土山の次は関、そして亀山と繋がっているのがわだらんの感覚なのだが、この鈴鹿トンネルは土山から関を飛ばして亀山へ一直線で抜ける。

しかも抜けた先はほとんど鈴鹿に近いところ。

地図を見てここに新名神ができることは知っていたが、実際走ってしかも抜けるとすぐに鈴鹿の上のあたりの景色が広がってしまうのにはやはりびっくり。

野洲から桑名へは草津線経由で柘植亀山乗換が列車利用の場合であるが、こんな道路では何をしても鉄道は勝てまい、と思う。

 

桑名市内の友人の家近くまで行き、電話をすると「今、多度」だと言う。ならば国道258へ出ると返事を返すと、いや大山田の先だ、という。

多度町も今は桑名市に入っているが、某電子機器屋の新工場など多度の山側にいろいろなものができているそうだ。

で、そこへは従来の大垣への国道でなく、桑名市内から山を開いた住宅地の中を進んでいくのだ。

これまた行ってびっくりで、桑名の山奥にこんな大きな住宅地や工業団地があるのかいな、と。

しかも後から調べると、この住宅地、大山田中央のバス停からは名古屋への高速バスが時間4本も出ているのだ。

山を開いた住宅地が奥へずっと伸びていく中、もともとの集落のあった川沿いを進む養老鉄道や三岐鉄道北勢線は相手にされない、という悲しい現実。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  傘をたたんで乗り込むのは列車遅れの原因

 

6/13

寄り合いがあって、少し遅くなる。

大阪駅御堂筋口改札を抜けたのが21:09、なので21:15の新快速3532M狙いである。

まだ少し時間があるのでホームを最後尾1号車まで歩いていく。

昔の9/10番線はラッシュ時にはずいぶん狭く感じられ、ホームを歩くのもかなり苦痛だったのだが、

今の間はとてもホームが広く、なかなか快適。

あまりにホームが広いのは間延びする感じを受けることもあるが、やはり適度にホームは広い方が何かと便利に思う。

もちろんホームの幅は基本的には規格で、めったやたらと大きなものはないのだが、

それでも大阪駅の環状線1/2番ホームは少し広めのようだし、関西空港駅のホームも気持ち広いように思う。

一方狭いホームは結構目立つもので、高槻などはいつもホームに人がいる印象だし、

京都2/3番も割と広めに思うのだがなぜかあまり空いている印象がない。

整列乗車にご協力を、というわりには列がまっすぐ作れないのも困ったものだ。

ところで、最近高槻のホームに列を誘導する線が引かれている。

一般的には電車が到着すると扉の両側に1列で待つのが多いのだが、高槻の場合は片側に列を作るように線が引かれている。

おそらく直線で列を作ると、反対側のホーム端まで列が伸びてしまうからなのだろうか、

とはいえ、実際朝混雑時にはどんな雰囲気なのかちょっと気になったりする。

 

幸いにも3532Mは高槻で大量降車があり、着席できた。

そのまま睡魔に襲われ、目が覚めると石山であった。

よって京都の状況はわかっていないのだが、石山での車内の状況を見る限りそこそこ降りてあまり乗らなかったのだろう、と思う。

京都の琵琶湖線上り電車の場合、途中の石山や草津、野洲も近江八幡も、階段が比較的前よりにあって、後ろへはあまり乗客が流れない。

京都2/3番ホームの混雑も前地下道と後跨線橋の各階段の間で、跨線橋階段の後方、下り方はわりと閑散としているものだ。

 

梅雨に入ったものの、雨があまり降らない印象である。

野洲の上りのように上屋が短くホームが雨ざらしだとどうしても面倒で、混んでいても前よりに乗ろうとするお客が多いのは自然の理だろうと思う。

上屋の延長が乗客サービスの向上、列車の遅延防止には有効で、実際草津・石山に山科は下りホームの上屋の延長が3年?程前にされている。

上りも期待したいものではあるが、でも編成後ろが座りにくくなるのも困ったものか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  「川を眺める暮らし」とかいうチラシが入っていたなぁ

 

6/12

朝小寝坊して下り一番の新快速、3405Mに乗る。

野洲6:42発の電車である。

以前は6:48の時代もあったのだが、ゆとりダイヤのおかげで所要時間が伸びてしまった。

確かにあまりに余裕がないと、例えば霧とか降雪とかでももうすぐ遅れてしまうので、多少のゆとりは必要だと思うが、

でも草津や京都で一服できそうなのんびりした停車ではさすがにちょっと気分も滅入る。

朝がこれではちょっとよろしくない。

 

最近はこの3405Mに乗るときは7号車に乗っている。

本来御堂筋口改札を使うわだらんは11号車に乗るのが一番便利なのだが、朝のエスカレータはよく混むのだ。

これが早い時間、いつもの709Mあたりならまだエスカレータまでそんなに遠くないのだが、

3405Mでは座っているわだらんはまずドアまでたどり着くのが一苦労、

さらにその時点ではエスカレータの回りに人だかりができていて、なかなか進まない。

一方、7号車あたりから3番線側をとことこ11号車付近まで歩いていけば、

その頃にはエスカレータの人だかりも解消して、すっと降りていける、と言う算段。

さらには7号車は石山・大津の下車客が多く、どこかでだいたい窓側が確保できる、ありがたいことに。

何しろ11号車あたりだと、乗車しているみんなが大阪まで、野洲で乗ったときに

まわりにいた面子がそのまま大阪までずっと一緒なのである。

石山も大津もちょうど7号車あたりが階段に近く、近江八幡以北から、

つまり座席選択の融度のある人間は階段に近いところに座っているものだ。

 

そんなわけで、石山に近くなるとちょっと緊張。

結局今日はわだらんの隣にいた窓側客は山科まで乗車だったので、それまで通路側で我慢。

石山で大量の客が乗ってきて、通路側にいるとものが当たってきたり頭の上で新聞ががさがさしたり、ちょっと気になる。

でももっと気になったのは最近石山の駅南側にマンションが大量に建っていること、いつの間にあんなににょきにょき出来てきたのだろう?

確かに石山駅まで歩けるのは大きな魅力なのだとは思うのだが。

そういえば、平和堂の石山店の外壁がきれいにお化粧直しされている。

住人が増えて、売り上げが伸びたのかな?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  「線路に降りると危険です」と書かれていた箱

 

6/9

わだらんは寝入ってしまって全く知らなかったことなのだが、日曜の深夜近くになって、

高槻で上りT電(846M)の人身事故があったそうだ。

23:30頃というなんとも遅い時間。

最終の新快速がすぐ後ろにいたはずで、湖西線の最終はどうなったのか、

あるいは野洲への最終電車はいつ頃野洲に着いたのか、余計な心配をしてみる。

敢えて言うなら日曜なので通勤客は少なかったか、でも深夜は深夜で日中とは違う

遅れのやっかいさもあって巻き込まれた方の不幸に同情したりする。

もっともこの事故の場合、どうやら好きこのんで電車に喧嘩を挑んだ訳ではなく、

落とし物を捜していて電車に轢かれてしまったようで、なんとも不幸なことである。

本来なら誰か線路に降りた時点で列車防御の赤ボタンを押してもいいと思われるのだが、

既に遅い時間でホームにあまり人がいなかったか、あるいは人が線路に降りていたのに気がつかなかったか、残念ではある。

もちろん昔ならホームに駅員がいたので、まずは何か声をかけたであろうけれども、

今は駅員を呼ぶには階段を上がって改札口まで行かねばならぬ。

そんな手間をかけるなら自分でちょっと線路に降りて拾ってしまおう、と思うだろう。

とはいえ、一般的に電車ホームは地上高さ1100mmが基本、線路の路盤の高さを引いても

1m弱の段差があるわけで、降りては見たものの簡単に上がれないケースは大いにあろうかと思う。

ホームには足場がいくつか設けられていて、しかも最近は黄色に塗ったりして目立つような工夫もされているのだが、

なかなか一般人には理解されていないだろうと思う。

もちろん一般人というか、わだらんがヲタであるからホームの高さや足場の存在を知っているのであって、

そもそも線路に降りる際の危険予知みたいなものを一般の方がするとは思えない。

ホームの下に潜り込める待避場所があったりというのも一般にはほとんど知られていないと思う。

駅にはそんな掲示があったりもするのだが、基本的に線路に降りない、という前提である以上

、あまり線路に降りたあとにどうするかを論ずるのは適当ではないのだろう。

 

とはいえ、不幸にして事故は起こってしまった。

何でも亡くなられた方は北摂に教室を持つ学習塾の社長だったそうで、まわりもびっくりだろうと思う。

突然の事故に遭わないようには、線路に降りない、がやはり鉄則か。

わだらん自身も調子に乗らず自戒しなければ。

そういえば昔はホーム上の柱に「線路にものを落としたときは駅員にお知らせください」と

書いた箱があって、中にマジックハンドが入っていた。

最近気にしたことがなかったのだが、今でもあるのだろうか、今度捜してみよう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  滋賀県湖東人に伊賀市の地名は難しいか

 

6/6

木曜日の帰りのことである。

3498Mにかろうじて間に合い、しばらく運転席後ろ、正確には助手席側の後ろに立ち前を見ている。

大阪駅17:45のこの電車、このあとの18:00の長浜行きほどでもないが、よく混んでいる。

何しろ乗車待ちの列が先頭扉でも10番ホームにかかってしまうほどのもの、

電車の入線時にやっとホームに上がるようでは着席はおろか通路の中に入るのも難しい。

そこそこ乗車が進むと、扉のあたりに人が集中してしまい、なかなかそこを割って座席横の通路に入るのは難しい。

それでも高槻で客が少し入れ替わり、京都での着席狙いで通路に入る。

優先席の一列後ろに座っている母娘(と思われるが、ただし年輩である)が京都下車とみた。

 

ところで、立っていると、優先席に座っている親子に気がついた。

おかあさんはまだ若く、男の子は就学前のようだ。お母さんの膝の上で外を眺めて行き交う電車に声を上げている。

まだ小さい子供である。

新快速とそれ以外、としか区別が付かないようで、なんともかわいい。

島本手前ですれ違った向日町からの回送電車も新快速、という。

確かに大阪からは新快速になる回送電車なので、新快速と呼んでも間違いはないか。

とはいえ、高槻の1番線、ホームのない一番南側に停まっている同じく回送の223系を見て「電車のおうち」とはちょっと驚いた。

というか、わだらんが運用ヲタなので、高槻で時間調整をして待避中の223系を見てもなんら思わないのだが、

一般的、ましてや子供の目から見れば、何で駅のはずれに電車が止まっているのだろう、ということになる。

しかし、そのいわば場末の223系に気が行くのは、単に動くものに興味があるだけなのか、将来の鉄ヲタなのか。

まぁ鉄ヲタにならない方がたぶん人生はまともだと思うが。

 

考えてみると、少なくとも小さい子供が見ている時間帯で言えば、電車の種類とは今の世の中、そんなに数がないように思える。

たとえば野洲で言えば、結局日中通るのは221系と223系と貨物だけで、

しかも今の貨物列車はコンテナばかりなので昔のようにいろいろな形の貨車があるわけではない。

湖西線ならサンダーバードと雷鳥と新快速と普通電車か。

湖西線の場合は普通電車に223、221、117、113、321、207系が運用上走っているのだが、子供の見る時間帯はほとんどが113系ばかり。

むしろいつも同じ電車を見ていて、たまに違う電車が走るほうが喜びも大きいだろうと思う。

かくいうわだらんも昔々武蔵小金井で中央線電車を見ていて、オレンジの通勤電車に混じって特急あずさがやってくるとずいぶん興奮したのだそうだ。

本人はもうそんなことはすっかり忘れているが。

 

京都で座ったわだらんは一つ前の席にいる親子のことが気になって結局眠れず、小雨の外をぼんやり眺めている。

草津でカフェオレ色の113系に出会った子供は母親に「何て書いてあるの?どこにいくの?」と聞いている。

母親は「拓殖(たくしょく)?わからないからパパに聞いて」とその場をごまかしていた。

ま、一般的に柘植(つげ)なんぞ読めないものだ。

野洲についても小雨のままであった。親子は向かいの普通電車に乗って八幡まで行くらしい。

この先も楽しく無事に移動が続けばいいな、と思う。

ちなみに乗り換えた普通電車は223系である。

小さな男の子は新快速とは言わなかったのかな、ちょっと気になる。

ちなみに実はこの車内でもう一点気になったことがあった。

それはまた日を改めて書こうと思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  通勤には環境に優しい鉄道利用を

 

6/3

わだらんの住んでいる近所、守山や栗東はガソリン価格が比較的安いところである。

大津市内に較べると5円程度、京都市内にくらべ10円程度安い、はず。

はずというのは、最近までは確かに安かったのだが、この日曜に見るといつも利用する守山市内のスタンドが

既にレギュラー170円になっていたので、もう地域差はないのかな、と思ってしまう。

もちろんガソリンは安いに越したことはないと思うが、安易に自動車に頼らない生活のためには

ひょっとすると少しはいいのかな、と思っても見る。

 

昔の話である。名古屋の周辺はその頃から既に車社会になっていて、通勤は車、というのが当たり前だった。

特に周辺部の工場が散在するあたり、車利用以外は考えにくいところであった。

ところが石油ショックでガソリン価格が高騰すると、今まで車通勤だったもののうち、

電車の利用が可能な人は電車に乗り換えるようになった。

駅から工場まで送迎バスを出すような事業所も増えて、通勤客が電車に大量に乗るようになった。

ところが、当時の名鉄は通勤対応の体制ではなかった。

どうやって車利用者に対して電車の快適性をアピールするかが最重要で、パノラマカーに代表される、

どちらかというと詰め込みの効かない車両ばかりであった。

もちろんその考えは間違っていないと思う。

ところが、そんな状態では通勤客をさばくことはできない。慌ててちょうど出てきた東急の中古車を導入することになった。

電装品が当時の名鉄車両と似ていて扱いやすい、というのが中古車導入の大きな利点であったそうだが、

とにかくこの中古車は名鉄の中でほぼ唯一の3扉車両になった。

車両自体は中古のぼろではあったが、3扉の詰め込みの効く使い勝手のよさは通勤用車の認識を新たにし、

翌年新型車、当時の名鉄としては異質の3扉車両が出てきた。

結局名鉄車両はその後3扉車が増備の主流になり、結果的に2扉車を駆逐することになってしまった。

もちろん通勤利用に対応できるのが輸送の大前提である以上、結果的に通勤車の増備はやむを得ないものであったと思う。

ガソリン高騰が世にも珍しい大手私鉄間での車両の授受を引き起こしたわけであるが、

いわば大きな転換点であったことは間違いがない。

今のガソリン価格の上昇は車利用の通勤者を電車に向かわせるだろうか?

 

いつものように野洲6:14の713Mに乗る。

221系のふかふかシートでうとうとしていると、南草津で隣におじさんが座った。

メモを取りだして携帯に目覚まし時計をセットしているようだ。

メモを見ると、南草津と茨木、新大阪の時刻が朝の数列車に渡って書かれている。

こそっと横目で見ていると、おじさんはメモを定期入れに収納したのだが、一瞬見えた定期券には

よくある駅と駅の区間を示すものではなく、某鉄道会社全線と書かれていた。

そうか、この方は某鉄道の社員さんかならば茨木とはそこから車両基地のある鳥飼までのバス利用なのだろう、と想像がつく。

結局そのおじさんは新大阪で下車していった。

運転関係なのか、設備関係かどんなお仕事なのか外見では想像つかないが。

その鉄道も通勤客を運ぶケースが開業当時に較べてずいぶん増えたものの、

車通勤者が鉄道利用に移行するような通勤距離ではないな。

むしろ小旅行や出張に鉄道を利用してもらう、ということだろう。

ガソリンの値上げに関係なく、鉄道利用が増えれば大喜びだな。

 

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