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08年7月

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579.  7/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  56/64で87.5%

578.  7/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  夏休みで助かった

577.  7/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  これではダイヤは戻らない

576.  7/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ひがし大寺とにし大和

575.  7/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路の点検は人海戦術

574.  7/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  元気な命が生まれてきますように

573.  7/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅から歩ける施設が便利です

572.  7/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  冷房車は冷房車ステッカーで宣伝周知

571.  7/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  油槽所へ油送する輸送コスト

570.  7/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  試合に勝っても事故には勝てぬ

569.  7/9  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  移動空間は快適な睡眠空間

568.  7/7  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  昔は夜空もきれいだったのだろうな

567.  7/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅まで運ばれる、駅から運ばれる

566.  7/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乱れを期待するのは不謹慎だが

565.  7/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  千里丘の北側の民家もちょっと気になる

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  56/64で87.5%

 

7/31

しかし夏休みである。

18切符利用者と思われる若者が大阪以西から座っていて、どこで降りるか判断が難しい。

野洲行きに乗る遠距離18客は一般的には少ないが、大阪17:45の3498Mのように播州赤穂始発で、

しかも播州赤穂で西からの客を受けるような列車だと野洲行きであろうと何だろうと遠距離客がいる。

赤穂から3498Mに乗って姫路で一段落としをすれば姫路始発の3500Mに乗れて、かつえきそばも食べられるのだが、

そんなわざわざえきそばを食べるために降りる客は少ないか、とにかく見極めが難しく、座席の確保に難儀するのである。

 

ところで30日朝のことである。

いつものように野洲6:14の713Mに乗ろうとするとやってきたのは223系だった。

本来221系で運用されるこの電車、どうやら月曜午後のくだくだダイヤを引きずったようだ。

前日、つまり落雷ダイヤの翌朝に711Mが223系、という情報はあり、それはぐだぐだダイヤの翌朝なら珍しくないことである。

もともと711Mに入った電車は翌朝の713Mに入るのが正規の運用なのだが、

711Mで朝米原から出てきた電車は他の車両と連結されることなく一日仕事をし、そのまま野洲に宿泊に来るので、結局ずっと223系のまま運用された、ということになるのだろう。

いちおう223系は221系の上位互換に当たるので、221系の運用を223系で行うのは問題ない。

このあたり、車両の統一は運用やダイヤの作成上、あるいは異常時のダイヤ復元にとても有効で、223系が本線でさらに繁殖するのはしかたがない、と思う。

もちろん車両を見る楽しみは減ってしまうが。

 

ただ、問題なのは223系は座席数が少ないということである。

もともと混雑に強い、ラッシュ時の乗り降りを楽にするためドア付近のスペースを広げたものだが、結果的に223系は221系より座席が少ない。

昼間や休日なら補助椅子も使えるが、ラッシュ時では一車両あたり8席が結構大きく影響するものである。

実際223系が713Mに入ると、草津で既に立ち客が出る。夏休みで学生のいない期間ですらこの状況なので、普通の日ならさらに着席できない客が増えるだろう。

もとろん立って乗るなら221系でも223系でも変わらないのだが。

ちなみに221系4+4の8両が223系4+4の8両に変更されると座席数は476が400とずいぶん減ってしまう。

宝塚線で最近223系が221系に代わって運用を始めたが、朝の三田では着席率がかなり落ちたのではなかろうか、と思う。

 

大阪駅のホーム上にあった業務用小屋が撤去されて、環状線の電車も9番線からよく見えるようになったこの頃、夕日を浴びる阪和線直通の223系をよく見る。

日根野の223系は座席3列で、本線車よりまださらに座席が少なく、下り方先頭車に至ってはわずか30席しかない。

しらさぎの贅沢なグリーン車ですら36席あり、寝台車のベッド34よりまだ少ない。

もちろん床面積を広く取った結果であって、座る、寝る目的の優等車と性格が違うのは重々承知だが、あまりに座れないのも整列して電車を待つ甲斐がないような。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  夏休みで助かった

 

7/29

昨日のひどい天気から一夜明け、まだ雲の多いもののまずまずの天気になった。

今日も朝から暑くなるだろう、とぶつぶついいながら駅へ向かう。

ちょっと寝坊していつもの713Mに間に合わず、下り新快速の一番、野洲6:42の3405M狙いである。

学生が減る時期なので、いつもより少し座りやすい。

もちろん、もともと座ることは問題ない電車なので、要するに前向きに座れるか、である。

ちなみにそのあとの新快速は野洲始発なので、座席にこだわるなら始発を待てばいいわけで、なかなか恵まれた環境である。

 

電車に乗ろうと改札から階段を下りると、ブレーキの弛緩音が聞こえる。

あれ、と思うと既に二番線に次の新快速がいる。

しかも椅子は後ろ向きのまま。

いつもならこの3407M、発車間際に電留線から上がってくるのだが、なぜか今日は既にホームにいる。

ひょっとすると下り方から回送でやってきたのか、と思わせる雰囲気である。

やがて3405Mがやってきた。

部活で試合でもあるのだろうか、中学生らしき集団がいたりしたのだが、無事に座席を確保。

ドアすぐ前の二人席でなかなかよい。

すこしうとうとしていると、隣のおじさんが下車の用意をする。

石山下車、これで難なく窓側確保と喜んでいると、窓の隣に717Mが走っている。

野洲6:36の播州赤穂ゆき普通で、いつも石山から長岡京まで3405Mと抜きつ抜かれつの併走をする電車である。

が、あれ、様子がおかしい。最後尾で播州赤穂の表示。

もともと717Mは12両で、後ろ4両は姫路落としである。

そのため、最後尾は姫路の行き先表示であるはずだが、今日は8両らしい。

石山も大津も案内は8両で示されていて、つまり編成短縮である。

717Mは野洲を回送で出庫し、安土から折り返しで営業運転となるのだが、どうやら野洲で昨夜車両が不足したようだ。

石山手前で12両の上り回送とすれ違ったのだが、ひょっとするとこれも野洲への送り込みかもしれない。

夏休みで多少空いている分、717Mが8両でも回るようだが、夕べはよほどダイヤが戻らず、車両運用がぐたぐたのままだったのだろう。

 

夏休みの減車というと、どうも災害がらみを思い出す。

中でもはっきりと記憶にあるのは1982年8月の王寺駅冠水騒ぎで、この時は王寺駅留置の100両がまるまる床上浸水してしまったのある。

当時の関西線で100両一気に車両が取られるのは大きな話で当然電車は間引き運転。

それでも足らない電車を本線や阪和線から借りてきて、関西の国電全体が編成短縮の大騒ぎになった。

この時に「夏休みで助かった」と誰かがコメントしたという。

実際学生がいるといないでは結構な差があろう。

 

717Mは京都では相変わらず出入りが激しいようで、立ち客を多く乗せたまま3405Mより先に発車していく。

茨木では無事に客を捌けたのだろうか、ちょっと気になった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  これではダイヤは戻らない

 

7/28

昼から大阪市内もひどい雨になった。

神戸市内では亡くなられた方もあるそうで、なんとも自然は恐ろしいと思う。というか、近年天候の荒れようがだんだん派手になってなってきているようで、これも温暖化の影響かと心配になってしまう。

さて、そんな状況である。

当然電車はまともに動かず、大阪駅の改札上には60分遅れとか順番のひっくり返った発車順序とか、絶賛大崩壊中である。

新快速の発車案内はなく、9番には丹波路快速の223系が停まったまま。

7番のC電京都行きが京都まで先着、のアナウンスに釣られて乗り込む。

時刻は17:45、乗った電車は210Cで、65分遅れである。

 

ところが相も変わらず指令の手が足りなのか、高槻場内で渋滞。

しかもその間にがらがらの野洲行き12両新快速(運番からすると17:15の3494Mらしい、これも45分遅れだが)に抜かれる始末。

ホームが空いているのに電車は進めず、新快速はとっとと行ってしまうし、指令も旅客案内もなんなんだ、とかなり不快。

結局210Cは京都第二場内でもおきまりの機外停車で、結局京都着17:02、大阪から1時間17分かかっている。

ちなみに客扱いやその他で遅れはほとんどなかったので、余計にかかった29分はほぼ高槻と京都の機外停車である。

昔はもう少しまともに走ったのだが。

 

しかし、驚いたのは野洲に帰ってきてからである。

京都から約2時間遅れの798Tで野洲に着くと、下りも電車がないようで大騒ぎである。

それでも20:01野洲始発の新快速3525Mは車両調達ができて、5分ほど遅れて入線してきた。

ちなみにこの3525Mは高槻で抜かれた憎き3494Mの折り返しである。

結局3494Mは順調に走っていたのだろう、などと考えながらしばらく改札階で電車を見ていた。

ところが信号を引いているにもかかわらず電車は出ない。なんと車掌がいないのだ。

車掌は野洲着の新快速で折り返し乗務なのだろう。

ところが上り新快速が来ないので、車掌がいないのだ。

ホームには野洲19:34の833T車掌がいて、指令や当直に3525M乗務か?

と聞いているが、結局833Tに乗れ、という指示だったようだ。

ところが833Tは大阪17:45の3498M折り返し車両充当で、これまた野洲に影も形もない。

結局3525Mはホームに据え付けられたまま20分たっても出発できず、本線を塞いだままであった。

その間に3508M、3512M?の新快速野洲止まりが続けて到着。

車掌がそのどれかで来るのだろう、とそれ以上駅で電車を見ることはせず、帰宅することにした。

 

しかし結局のところ駅場内開通待ちにせよ、乗務員や車両のやりくりにせよ、指令がどこまで段取り良く回すか、しか解決策はないだろう。

集中管理のほうが効率よく列車扱いができる、これを否定するつもりはないが、

異常時のダイヤ収拾が外野から見ても疑問符だらけのようでは、本当にそれが正しいのか、

少なくとも乗客のためになっているのか、考え込んでしまう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ひがし大寺とにし大和

 

7/27

夏休みになった。

高校生はかえって夏休みの方が部活などいろいろと用事があるようで、本人もそうだが親もなかなか大変のようだ。

先日葬儀で一緒になった方に高校生を持つ親であるかたが多く、話を聞いていてなかなか面白かったのだが、

親より部活で遅く帰ってくる、あるいは朝練で親より早く家を出るなどと聞かされると、大変だと人ごとならぬ心配をしてしまう。

もっともわだらんが高校生の時分も、毎日ふらふらまともに帰宅していなかったので、さぞ親も心配していたのだろうか。

先日、713Mに乗ったときのことである。

朝6:14発のいつものわだらんの通勤電車だが、どこか試合にいくのだろうか、高校生らしき小集団が先に車内に入り、

わだらんがいつもいる席を占領してしまった。まぁ仕方ない、かと。

そこでいつもより1両前、7号車に乗ってみた。もちろん始発で、着席にはなんら問題はない。

ただ、いつもの席がとれなかったのはちょっとしゃくに障るが。

 

そんな車内で、通路を挟んだ向かいにいた高校生を見て、ちょっとびっくり。

いつも見るような高校生ではないな、とちょっと観察していると、「Nishiyamato」と腕に書かれているのを発見。

夏は白シャツに校名を入れて制服にしているところも多いだろうから、そんな制服なのだろう、と見ていた。

ただ、よく考えると、西大和とは、奈良の西大和学園のことだろうか?

と後から調べてみると、JRの王寺または近鉄大輪田が最寄り駅のよう。

学園のHPを見ると、大阪駅7:44(現行7:43の誤りか?)の快速電車で間に合う、と書かれている。

これなら713Mで間に合うし、近鉄京都から田原本経由でも間に合いそうな気がする。

とはいえ、毎日こんなに通学に時間をかけているのだろうか?

ざっと野洲から2時間半、往復5時間ともなれば、さすがに電車好きのわだらんでもしんどいな。

ちなみに調べるとここには寮もあるので、いつもは寮生活か?とも思う。

 

そういえば、大阪の某芸人が女優と結婚して品川に住んでいるそうな。

毎日自分の番組のために朝のぞみに乗って出かけてくるそうな。

先日は寝過ごして岡山まで行ってしまい、番組に遅刻したらしい。

毎日のぞみで通勤とはなんとも優雅、でも寝過ごして岡山までとはなんとも派手な話。

まぁ芸人だからできる芸当なのだろうけど。

寝過ごして近江八幡あたりでびっくりしてしまう小心者とは世界が違うようだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路の点検は人海戦術

 

7/24

今を去ること43年前、1964年、つまり新幹線開業、東京オリンピックの年の6月、新潟平野とその周辺で多大な被害を出した新潟地震が発生した。

この地震で歩道橋が崩れ、気動車が1両まるまる下敷きになってつぶれてしまった。

このつぶれた車はキハユニ17 2という車で、生まれた当時は関西線の準急かすがとして、名古屋−湊町間に使われたものであった。

あっけない事故廃車である。

その新潟地震で世に液状化という現象が広く知られることになった。

今でこそ埋め立て地などでは液状化のおそれがあるなどと地域防災ハザードマップに現されたりするものだが、当時砂や水が湧き出ることに驚きがあったようだ。

その10年ほど前には福井地震があって、この時も北陸線がしばらく不通になっていたのだが、

そう考えると北陸から東北、北海道はやはり印象にある地震が多い、ということなのだろうか?

 

今回の地震(24日午前0時26分のもの)は、幸いにも日本海縦貫線での大きな被害がないようで、今日の大阪駅には青森行き日本海がちゃんとホームにいた。

昨年は地震で長期間運休していたし、最近は低気圧や台風通過の際にあっさり運転取りやめになってしまう夜行列車であるが、

今日はちゃんと運転されるようでなによりよかった。

東北新幹線は仙台以北で昼過ぎまで運休だったようだ。線路を歩いて目視で点検していくわけだから、時間もかかる。

しかもほぼ1か月前に大きな地震を受けたばかりのところだから、なおさら慎重になったのだろう。

被害がなかったのは幸いではあるが、ただ正直もう少し運転再開が早くならないか、と思う。

 

昔は台風が来ようが地震があろうが、走れるものなら列車を停めずに走らせた。

1934年の室戸台風で瀬田川橋梁が破損した際には、瀬田川を渡ったさきに仮駅を設けて、瀬田の唐橋を経由する徒歩連絡で列車を運転させたそうである。

今のご時世、そんな芸当のできる設備も人もいないわけで、緊急時対応が本当に昔より良くなったのか、少し疑問である。

ひょっとすると、昔なら地震の際ももう少し運転再開の立ち上がりが早かったのではないか、と思うのである。

 

とはいえ、今日もこうやって夜行列車が発車できることはいいことだ、と内心喜んでいると、帰りの新快速の車窓から上りのトワイライトを目撃。

高槻が18時過ぎなので、6時間ほど遅れている。どうやら青函トンネルを出た先で抑止がかかっていたようだ。

深夜の地震で、目が覚めた乗客はさぞびっくりしたことだろう。

まぁ遅れてでも大阪まで無事帰ってこられたのはよかった、と思わねば。

しかし乗客もさることながら中の乗務員氏たちも大変だっただろう。

こんな遅れの時には食堂車はどう営業するのだろうか、ちょっと気になったりもする。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  元気な命が生まれてきますように

 

7/23

18:00の3500Mは混む電車である。

17:45の3498Mを目の前で逃してしまい、乗車列の先頭位置に並んではみたものの、到着した電車は車内混雑甚だしく、

下車客の流れは悪く、車内滞留客も多く、列の先頭位置にもかかわらず、結局4人掛け、優先席しか座れないのは困ったものだ。

まぁ座れただけでも良しとするか、しかし夏休みで子供の数も目立つし、学生の旅行客みたいなものも多いし、混雑の質がちょっとよろしくない。

まだ通勤客ばかりのほうがよほど混雑していても気持ちよく乗れるものである。

 

そんなわけで、いまいち座席位置に納得できないものの、まずはぼちぼち寝ようか、と思った矢先、通路に立っている女性にふと眼がいった。

おねえさんと呼ぶより少し落ち着いた感じの方である。

ただ、少し下目の目線が気になった。

わだらんの座っている位置からは斜め横にしか見えず、何か重いものでも手に提げているのだろうか、などと考えていた。

ところが、どうもそのおねえさん、様子がおかしい。

ちょっと苦しそうな表情をする。

あれ、と気になってしばらくちらちらおねえさんを見ていると、おなかをさすっているようだ。なるほど、妊婦の様子。

確かにおなかの締めのないかぶりの服を着ている。

 

妊婦服というのはなかなか判断が難しい。

だいたい半井小絵さんにしてもありゃ妊婦だぞみたいな服をよく着ているし、そもそもおなかが出てくる具合は

人によってずいぶん差があるので、単純に服装では妊婦を判断するのは難しい。

もちろんおなかをさすっていれば偽善者わだらんとしては放っておくわけにいかず、とりあえず席を立つ。

手を伸ばしておねえさんの肩をたたいて手招きする。

座席に着いたおねえさんは落ち着いた様子でわだらんを見てお辞儀をする。

で、結局先頭位置で並んだのに立つ羽目になったわだらんは、視界の悪い優先席でぼーっと外を見ている。

優先席の部分は窓に大きなシールがあって、ブラインドが上がっていても視界がよろしくないのである。

おねえさんは結局京都まで乗っていた。

わだらんは京都まで座れず、残りの優先席に座っている3人は関心なく、

少なくともわだらんの隣にいたのは若い兄ちゃんであったのだが、席を譲るつもりはない様子である。

まぁこのご時世仕方ないか、と思うとちょっと残念である。

京都での降り際、安産でありますよう、と声をかける。

その時点で気づいたのだが、彼女は妊婦マークを手提げにつけていたのだ。

目立たないのか、周囲が気づかないか。

わだらんの横に立った妊婦さんはぜひおなかをさすってほしいものだ。

そうすれば確実に妊婦であると気がつくなぁ。

でも、もし大阪京都のこの時間で少し時間に余裕があるのなら、是非17:53か18:08のT電、快速電車をお勧めする。

ともに12両で編成前後は空いているのだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅から歩ける施設が便利です

 

7/20

ある人が亡くなって最期の別れに行ってきた。

人との接し方、人への話し方、まさにわだらんの師となった方で、年下のわだらんにもいつも笑顔で話してくれる心の優しい方であった。

知り合って6年、これからもっともっとお話を聞きたかったのに、わずか56年の命で終わられるというのは残念でならない。

せめてわだらんも亡き方に少しでも近づけるように心掛けていかなくては、と思う。

 

そんなわけで久しぶりに湖西線に乗った。和邇まで山科から117系でごとごと。

落ち着いた色調の車内は、いつもの通勤と違う、何か異空間のようだ。

毎日湖西線や草津線で117系利用の方には失礼ではあるが、ちょっと遠足気分である。

もっとも目的が目的だけに浮かれる気分ではないのだが。

ところで、葬儀の場というのもやはり都市と地方で差があるようで、都市部では駅に近いところがやはり好まれるようなのでが、

地方では車の停められる広い場所の確保できるところ、いわゆる郊外型の葬祭場、まるでショッピングセンターに似た立地のようだ。

221/223系網干車の車内には「駅に近く便利」と謳い文句の葬祭場の広告がある。

確かに例えば野洲から神戸や姫路にもし葬式に出かけるならやはり駅から近いところが便利だなぁ。

とはいっても、滋賀県内なら車で動く方が便利だし、今回結局葬祭場の帰りも人に車で野洲駅まで送ってもらった。

和邇から野洲まで、車で動けば琵琶湖大橋を渡ってほぼ直線なのである。

車の表定速度も高く、山科回りの電車より速くついてしまう、という地方の車事情そのままの現実である。

なかなか鉄ヲタといえども電車移動に固執できないものだ。

だいたい地方の葬儀に遠方から来る人間はどうせ電車を降りてタクシーで式場に出向くわけで、無理に駅に近い狭いところより

広い駐車場で低い建物の方が何かと都合よく、結局地元の人間は車で向かうことになってしまうのだ。

 

しかし、葬祭場が線路に近いというのは考え物である。

故人をしのぶ読経の間、通過するMT54の音を雷鳥だの113系普通だのと聞き分けているようでは、師とする故人にまったく失礼である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  冷房車は冷房車ステッカーで宣伝周知

 

7/16

コンチキチンの音色と共に梅雨が明けた。

これから猛暑が続くと思うと憂鬱だが、まぁ夏は夏らしい方が景気にも稲にもいいわけで、しばらくは我慢しなければ。

とはいっても冷房の効いた車内は快適で、昔の蒸し暑い満員電車からはずいぶんと楽になったように思える。

日本で最初に鉄道車両に冷房をつけたのは南海鉄道(現南海電鉄)で、なんと戦前1936年につけたもの。

当時現阪和線に対抗するためのサービスであるが、いかんせん戦争が始まってしまうとこんな贅沢品はすぐに取りやめになってしまった。

 

のち、特別料金を取らない冷房車というと名鉄5500が最初。

これまた1959年製と時代の先駆となる車で、通勤にも使われる電車としては画期的なもの。

ところが、やはり冷房装置は金のかかるもので、実際には1970年代になってから通勤電車の冷房が一般化する。

もちろん特急など優等車は既に1960年代には冷房が着くのが当たり前であったのだが、一般大衆に普及するのに時間がかかったわけだ。

わだらんが子供の頃は冷房車というと宝探しのような状態であった。

まだ本当に冷房車が珍しい頃、山手線で偶然冷房車に当たったわだらんは窓を開けようとして周囲から白い眼で見られたことがある。

何しろ冷房が一般化する前、窓は開けるものだったからだ。

 

1971年に国鉄が通勤車の冷房化を計るための試作車を世に送り出す。

山手線の10両編成と東海道山陽快速の7両各一編成。

東京が山手線用というのは東京の顔でもあり看板電車であるので順当として、

関西地区が快速用113系であったのはもちろん東京の103系と違う車種という判断もあるのだろうけれども、

関西で私鉄対抗上も本線快速でまず冷房をという心理があったのだろうと思われる。

そのあたり、今でも新快速に目玉車両をまず投入することと同じ流れだろう。

 

大阪18:00の3500Mに乗る。

列後方であったが、運良く通路奥にはいることができ、しかも偶然に新大阪で連れの二名が降りて、窓側を確保。

まだ明るい車窓を眺めていると、吹田工場には新車できたての福知山地区用223系が8両繋がって停まっているのを発見。

昨日車両工場から送られてきたもののようだ。

看板電車223系の地方直接投入も時代の流れかと思うが、この電車で置き換えとなる現在の福知山地区電車のなかに、

1971年に冷房試作車としてデビューした車両が含まれているのは何かの因縁なのだろうか?

今や冷房がない電車は田舎でももう限られたものしかない。

猛暑の中ありがたい存在であるが、冷房つき電車は貴重なもの、贅沢なものという感覚は今の若い人間にはないのだろうな、と思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  油槽所へ油送する輸送コスト

 

7/14

週末に津に帰省してきた。

帰省といっても片道1時間の行程で、旅行気分でもない。

とはいえ、名古屋のテレビを見るとやはり地域差を感じてしまう。

安治川口の某パークのCMは+500円パスポートではない2日パスを宣伝していたし、逆に鈴鹿市内の某サーキットでは「新名神で近い」などという謳い文句はなかった。

基本的に名古屋圏と京阪神圏の行楽地は重複する部分が多いと思っているのだが、でも関西人には三重県は遠く感じるのだろうか?

もう一つ地域差を感じることがあった。出かける前に守山のいつものスタンドでガソリンを入れると177円であった。

ICチップ会員でそこそこ安いと思うのだが、同じICチップの使える津市内のスタンドでは172円であった。

もともと守山栗東はガソリンの安いところではあるが、津から四日市にかけてはもう少し安いようだ。

輸送面のコストが反映されているのだろうか、確かに四日市から近いところは何となくガソリンが安いような気がする。

少なくとも名古屋市内では北部より23号線沿い、つまり四日市に近い方が間違いなく安いのであるが。

 

昔、守山駅の東側に油槽所があって、ここから小口でガソリンを配送していた。

守山までは四日市、正確には塩浜からタンク貨車で大量に石油類が運ばれ、側線で貨車からタンクへ荷卸ししていた。

今でも荷卸しの線路は残るが、駅構内の側線はほとんどはがされて中途半端な空き地になっている。

本来なら駅徒歩0分のすばらしい立地条件なのだが、線路の跡地利用は進まない。

おそらく守山市はなんらかの案を持っているのだろうが、わだらんはよく知らない。

毎日電車の窓から「もったいない」と見ているだけである。

 

でももっともったいないのはせっかくある石油荷卸し設備も線路敷地も放棄されたままなことである。

確かに積み替えて小口配送するより、四日市から直接大型ローリーで各スタンドに配送する方が手間が少ないことは何となくわかるのだが。

むしろどうせ原油が上がるのなら、さらに輸送コストが上がって、また鉄道貨物の一括大量輸送が見直される時期がくればうれしいな、と思う。

 

昔、貨物列車が守山の3番乗り場(4番線)に停まって、機関車が入れ換えをはじめる横を野洲を朝9:17発の新快速から眺めることができた。

貨車はそのまま荷卸し線へ押し込まれ、機関車は単機で梅小路へ下っていくものであった。

今から思えば、ちゃんと入れ換え中の様子や、ぽつんと出発開通待ちの機関車の写真を撮っておくべきだった、と後悔することしきり。

貨車の入れ換えは見ていて楽しいのだけれど。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  試合に勝っても事故には勝てぬ

 

7/11

阪神タイガースが順調である。

大阪の景気にはやはり阪神が強くないとよろしくない。

今日も無事に阪神タイガースはさよなら勝ち。

もっとも延長11回ともなるといい加減早く決着が付かないかな、と思う人間も多かろう。

試合をたくさん見ることができるのは楽しいことなのだろうけれど、あまりに遅くなると子連れとかは大変だろう。

 

甲子園の試合が9:00ちょうどに終わったとすると、そこから六甲颪を歌って、阪神甲子園駅まで歩いて、電車に乗って、で梅田10時か。

この時間だとまだ通勤客も多く、かつ週末や真夏、年末年始は酒飲みも多く、電車は結構混んでいる。

通勤客だけならまだ人が多くても混雑は落ち着いているが、一般客、しかも遅い時間の電車に乗った経験の少ない客が多いと、

整列乗車も乗車時の車内入り込みのタイミングもわだらんの思うようにはいかず、少々いらいらである。

ただ、鉄道会社からすれば非定期客はありがたい話でそんな客がたくさんいることは経営上いいことなのだ。

とすればやはり阪神が強い→甲子園に客が入る→非定期客が電車に乗る、の循環はいいことなのだろう。

阪神が久しぶりに優勝した1985年は、まだ国鉄の時代。

もちろん電車も少なく、野洲への最終電車は大阪23:26である。

(しかもこの電車は京都行き普通電車で京都でC電から京都発野洲ゆき電車に乗り換えのおまけ付きだ)

福本豊が「遅くなると加古川の人が家に帰られへん」と名言を語ったが、

確かに福本さんが現役の頃だと加古川(姫路)への最終も大阪23:25で、大きく間違っているわけでもないようだ。

幸いにも今は野洲の最終は梅田0:27、これならまぁどんなに試合が遅くなってもとりあえず梅田まで戻ってくればなんとかなる。

もちろん加古川にしても大阪0:02が最終なので、甲子園からJR西宮までタクシーを飛ばせば12時に甲子園を出てもなんとか帰れそうだ。

まぁこんな遅い時間までつき合うとなると観客も体力勝負かもしれないが。

 

せっかく延長までして阪神が勝って、気分良く梅田まで帰ってきても今夜はまた島本で人身事故、夜になってダイヤが崩壊中だそうだ。

遅くまで電車があるからいいとするか、でもいつ電車が来るかわからないのも困ったもの。

勝利の余韻が間引き運転の混雑電車で一気に吹き飛んでしまうのは残念だろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  移動空間は快適な睡眠空間

 

7/9

この夏の海外旅行は不調だそうだ。

確かにツアー料金が5万程度の韓国やグアム行きで燃料費上乗せに2万も取られてはかなわない。

というか、何かばかばかしくなってしまう、と思うのが一般的な感覚だろうと思う。

とはいえ、扱い量の減る旅行会社からすれば死活問題で、航空機の席を埋めねばならないし、ホテルの長期契約もあるだろうし、困ったものだろうと思う。

勤めの帰り、大阪駅の改札前で某最大手旅行代理店がチラシを配っていた。

後から知ったのだが、なかに団扇があったようで、これならもらっておいてもよかったな、とちょっと後悔。

一方で、安治川口に近い某テーマパークは+500円で期間中入り放題なる入場券を販売している。

夏休み期間は遠距離団体客が減るので、近場の客をたくさん呼び寄せる作戦なのだそうだ。

この価格なら繰り返し入場するには適当なものに見えるし、なにより後からまた来ればいい、と思うと無理に行列の中で頑張ってアトラクションを回る必要もないだろうし。

もっとも無理に回らなければ結局飲食店や土産物に時間をかけるのでパークの狙いはそんなところにあるのだろうと思う。

 

しかし、新快速に着席を狙うにはやっかいな季節がやってきた。

日の長いこの時期、夕方に遊びから帰る客がちょうど通勤客と交わって混雑に輪をかける。

今日も18:00の3500Mを狙おうとホームに上がると、既に先頭扉位置に乗車列ができていて列の先頭は某パークの大きな土産物袋を持った女性の集団。

しかもその後ろにいるのが韓国人親子で、これまたガイドブックを開いている観光客で、とても着席を狙う殺伐とした雰囲気ではない。

かといって既に他の扉位置にも乗車列ができていて、他の位置ではなおさら座れそうにない。困ったものだ、と思いつつ電車を待つ。

観光客などあまり乗り慣れていない客は通路奥へと進まない。

下手をすると入ってすぐの座席位置で他の同行者を待つようなことも多く、後の客が進めないことも多いのだ。

 

電車がやってきて、降車客が大量に吐き出される。

車内はざっと空いたようだ。

さて頑張って進んでおくれ、と願ってみる。

ところが幸いなことに列の先頭集団はそのまま運転台後ろに立ち、中へ入らず。

わだらんの直前の韓国人親子は扉から入ってすぐの優先席に並んで座り、前に人がいなくなって車内奥へとそのまま進んだわだらんは

通路側ながらなんとか大阪駅で着席ができた。

こんなに簡単に座れると思っておらず、ありがたいことである。

満員電車の苦労をせずに毎日通勤できることはきっと恵まれているのだろう、と思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  昔は夜空もきれいだったのだろうな

 

7/7

七夕である。

星に願いを、などというと柄にもないと怒られそうだが、それでも願い事の種は尽きない。

もっとも物欲はそう強いわけでなく、大型液晶テレビもハイブリッドカーも今はそんなに興味はない。

やはり出かけてみたいところが山ほどあるので、願い事に一番なのはどこでもドアがほしい、となるだろうか。

どこでもドアはなかなかの優れもので、場所も時間も超えて移動できるのである。

ならば七夕の夜でもあるので、是非どこでもドアで天野川のほとり、近江長岡に行ってみたい。

しかも1954年、昭和29年の七夕の日に行ってみたいものだ。

 

七夕には天の川がなくてはいけない。

実際の宇宙での天の川というのはなかなか見えにくいらしく、都市圏の夜の明るい空でははっきりしないそうだ。

でもそんな宇宙に関係なく天の川と言う川は米原市内に実際に存在し、伊吹山の麓から琵琶湖まで水を届けている。

七夕前の六月には蛍が大量に飛び蛍祭りの開かれるところでもある。

一方同じ淀川水系にもう一つ、交野から枚方市内を流れる川にも天野川と名前が付いている。

この二つの川が何か同じ由来を持つのかどうかは知らないが、交野の天野川は市を上げた七夕祭りで京阪電車が特別電車企画をする凝りようである。

川自体は特別何か違うようなものはなくどこにでもあるごく普通の小さな川なのだが、名前が天野川というだけで騒がれるのは幸運なのだろう。

ちなみに周囲がすっかり都市化した枚方の天野川に較べて、米原の天野川はまだまだ自然も豊か。

琵琶湖に注ぐ河口のあたりは風情があってわだらんのお気に入り。

ちなみに1954年にこだわるのは、その翌年米原電化になる最後の夏、C62やD52の大型蒸機が朝から晩まで休むことなく行き来していた頃を見てみたい、

つまり黒岩保美さんの「くろがねの記憶」の時代を実際に見てみたいといつも思っているからである。

 

19時14分にいつものように野洲に帰ってくる。

空は薄雲が広がり天の川を見ることのできる夜空にはなりそうもない。

というかそもそもちゃんと天の川というものを見たことがない。

天体観測などというと大げさだが、せっかく大阪よりはおそらく星の見えやすいところに住んでいるので、

よく晴れた夜にでも田んぼの真ん中にでも出かけてたまには星を見上げてみるか。

もちろん「好きな星は北極星」などと声を張り上げるようなことはしない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅まで運ばれる、駅から運ばれる

 

7/6

日曜日の午後、近江八幡へ出かけた。

買い物目的なので、車のおでかけ。

鉄ヲタなのに安易に車を使うなと怒られそうだが、やはり荷物だの家族だのあるとどうしても車になってしまう。

本来そんな時でも電車バスが簡単に使えるようになっていればうれしいことなのだが。

しかも今日の目的地は近江八幡でもつい最近まで田んぼであったところ、駅の東側である。

稲沢市本社の某スーパーマーケットと刈谷市本社の某ホームセンターが並んでいる、どちらかというと滋賀県にはあまりなじみの薄い企業の店舗。

もちろん岐阜市内で生活していたわだらんにとってはどちらもよく知っている店であるが、滋賀県内でどれだけ知名度があるのか、とちょっと不思議に思ってみたりもする。

この稲沢本社のスーパーマーケット、滋賀県の一号店は水口である。

わだらんの家からそう遠くない国道一号線沿いにあって、ここもできたときはまだ周囲は田んぼだったのに、

いつの間にか家電屋だの外食屋だのができて、国道から店舗が見えなくなってしまった。

田舎なのに都市化の波は早いものだ。

 

昔、水口から近江八幡へは国鉄バスが走っていた。

正確には水口ではなく三雲駅からで、隣り合う甲賀郡と蒲生郡を結んでいた。

旧の下田村や山之上村のような鉄道駅から遠いところに国鉄がバス路線を持っていたわけである。

もともと水口の旧市街地と東海道が鉄道から離れてしまったために、水口を中心とするバス路線が多数敷かれたもので、

亀山から鈴鹿峠を越えて草津までとか、水口から信楽を経て加茂とか、そして三雲から近江八幡へと国鉄バスが走っていた。

しかも結構本数が多かったのである。

もっともその頃は集落・街道筋とそれ以外の田んぼ森林ははっきり区別がついていて、バスは集落を縫って走り、その終点が鉄道駅という極めてわかりやすい路線であった。

今の世の中、田んぼを埋めてどこにでも大型店舗ができてしまう世の中である。

もともとのバス路線に面している郊外型大型店舗の方が少ないのではないか、と思ってしまう。

車に頼るからどこにでも店舗ができる、不便な土地の確保しやすい場所に店舗が建つから車で行く、この循環の輪はそう簡単には切れそうにない。

さらに言えば今の世の中、不便なところでも次々住宅は建つわけで、何が不便で何が便利かどうもよくわからなくなってきた。

鉄ヲタわだらんはすぐに駅から近いかどうかを便利不便のものさしにするが、それは一般的ではないように思えることが多い世の中である。

 

近江八幡までおよそ12km、およそガソリン1Lである。つまり180円ほど。

電車は190円。つまりガソリンが上がるほど電車との運賃差は縮んでくる。

鉄道駅と周辺をこまめに結ぶ足さえ確保できれば、電車に乗ることは財布にも地球にもやさしいことだ、と誰もが納得してくれそうな状況なのだが、

果たして駅の周囲の足がスムーズに繋がる手段がこの先整備されるのかどうか、あまり先は明るくなさそうな。

何しろどこの自治体も財政が裕福ではないのだから。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乱れを期待するのは不謹慎だが

 

7/3

水曜日のことである。

いつものように御堂筋口北口へ向かおうとしながら、何となく運行情報を見ると茨木で人身事故、振り替え輸送中とある。

それならばたまにはと阪急梅田駅へと行ってみる。

実際には運転を開始していればJRに乗る方が早いわけだが、金を払わず阪急に乗れるのならそれもいいかな、と考えた。

そうでもしないとわざわざ阪急に乗る機会などなかなかないのだ。

改札口で定期を見せて、振替乗車券をもらう。券面には振替該当区間の地図がある。

よく見ると面白いもので、たとえば千里線は吹田まで、淡路天六間はなし、伊丹線はあるが嵐山線・箕面線や甲陽園線はなし。

要するにJRに相当する区間、というわけなのだが、逆に取ると阪急の路線のほとんどがJRと競合しているわけで、

それはまた競合ばかりでたいへんなことなのだろう、と改めて思う。

 

ホームに上がるとちょうど17:40の快速特急がいた。

先頭まで歩いていき、とりあえず前扉の位置で立つ。

もう少し前にホームに入れば座れた雰囲気の閑散とした雰囲気。

十三で少し乗客が増えたが、それでも通路にいる立ち客はまばらで、ざっとみると立ち客は20人程度か。

もう少し編成後ろ側ならもっと客がいると思われるが、それでもいつも見ている新快速に較べればずいぶん空いている。

昔の阪急京都線特急の感じからするとまさに半減、と思う。それだけJRに客を取られたということになるのだろう。

もちろん高校生の減少で実際の輸送人員自体も減少したのだろうが、ちょっとかわいそうな気がする。

 

高槻市に停車し、1/3程度の乗客が降りた。

わだらんも窓側座席を確保し、のんびりゆったり。車内はかなり空いて、より一層静かな雰囲気になった。

長岡天神、桂と降りて多少乗る、と続き、地下線へと入る。西院、大宮と入れ替わりがあって、烏丸到着、大量の下車。

わだらんも降りて、地下鉄へと。地下鉄も阪急の振替乗車票でそのまま乗れる。

地下鉄四条18:31の竹田行きで京都駅2番ホームに上がったのが18:38。

ちょうど遅れの804Tに乗ることができ、野洲へと帰ることになった。

この804T、そういえば高槻市から上牧の間でずっと平行していた電車のようだ。

何もなければT電が京都まで20分ほどで走れる区間なので、京都の駅に入るのに時間がかかったのか、

停車が伸びたのか、まぁ偶然にもすぐ電車があったのには助かった。

とはいえ、JR京都まで梅田からほぼ1時間、やっぱり時間がかかるものだ。

ただで乗っている身だから文句は言えないが、やはり普段使える方法でもないな、と思う。

むしろこんなときだけ、まぁたまにあるからいいものだ、と。

 

ちなみに翌朝いつもの713Mに乗ろうとすると、今朝に限って12両だった。

昨晩のダイヤの乱れが尾を引き、車両運用ががたがたになった結果だとうは思うが、

おかげで車内はずいぶんゆったり、瀬田でも着席可能な状態である。

人身事故があってダイヤが乱れるのは困りものだが、たまに違う経路で帰ったり電車の編成が延びる分にはうれしいことかもしれないな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  千里丘の北側の民家もちょっと気になる

 

7/1

18:15の3502Mに乗ろうとホームへ上がるエスカレータに乗っていると、銀色の車体が見えてきた。

人も大量に降りてきて、あれ、もう電車が着いたのかな、と一瞬焦る。

確かまだ発車までに余裕のある、列の短い座れる時間に駅にきたはず、と思いながらホームに上がってみると、停まっていたのは大阪止まりの篠山口からの電車だった。

この週末から福知山線に223系が入っているのだが、そんなことはすっかり忘れていた。

もともと夕方以降の9/10番ホームは新快速が使用する、つまり223系のみがやってくる。

そこに白い車体、221系がくれば大阪止まりの福知山線からの電車、と簡単に区別がついていたので223系がホームにいると思わず新快速か、と勘違いしてしまう。

新製後まだ日の浅い福知山線用223系は車体もきれいで、夕日にあたってぎらぎらしている。

とはいえ、なんでも無機質のステンレス車になるのはちょっと残念だ、とも思う。

昔わだらんの幼い頃は、オレンジや黄色、水色に塗られた通勤電車のおもちゃが遊び道具であった。

茶色が一般車の代名詞であった当時、明るい色に塗られた電車は新型、あこがれの電車。

いまでは色のある電車のほうが旧型に思われてしまうのはなんとも悲しいものだ。

やはり帯でなく、ちゃんと車体に色のあるほうが電車らしくていいのに、と思う。

 

E2系新幹線が田端で落書きにあったそうだ。

この手の落書きは最近ちょくちょくあって、なんとも迷惑千万なものであるが、これだけ鉄道、

しかも東京の新幹線基地でいとも簡単に落書きに逢うのはちょっと問題でないか、と思う。

もちろん落書きをすることが悪いわけで、犯人を擁護するつもりなど毛頭ないが、サミット前の警戒重点時期にこの有様、とちょっと気になる。

まぁ何もなく無事にサミットがおわればありがたいことだが、しかし落書き厨は困ったものだ。

ステンレス車では落書きはできないのかな?表面ラッカー処理をしているので、スプレーが乗らないかな?

もしそうならそれは一つ車体の長所になるのかもしれないのだが。

でも落書き防止などというそんな理由でステンレス車を語るのも情けないねぇ。

 

大阪駅を出て、新大阪に向かう右側、環状線と分かれてまだほどないところにある線路沿いの建物の壁に落書き厨のいかにも好きそうな落書きがある。

電車からもよく見えてあまり気分のいいものではない。

しかしもっと気分のよくないのはその落書きがどう見ても線路から書かれたように見えることだ。

落書きは許されることでないが、またそのために線路に立ち入るのもまた許し難いことであるな。

千里丘駅北側にある民家の壁の落書きも。

 

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