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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
08年8月
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591. 8/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 篠原から見えるのは御在所だろうか?
590. 8/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 秋の長雨より夏のゲリラ豪雨のほうが恐ろしい
589. 8/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ のんびりと車窓を楽しみながら駅弁タイム
588. 8/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄子の次は鉄母?
587. 8/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 通勤電車でもロマンスシート
586. 8/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 阪神ファンは京セラドームへ便利になるか
585. 8/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 自己責任、事故責任
584. 8/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車で旅が自由にできる平和
583. 8/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大量輸送の花形、電車
582. 8/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遠くの雨まで心配する余裕がないな
581. 8/4 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ SLの時代は米原大阪1時間35分
580. 8/3 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 高校生はお得意さま
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 篠原から見えるのは御在所だろうか?
8/31
受かりもしない試験を受けに京田辺市まで出かけてきた。春頃には受かる計画を考えていたのだが、
まぁそううまいこと人生進むわけもなく、このざまである。
かといって試験代を払った以上単に欠席するのも面白くなく、片道390円の出費で久しぶりに近鉄電車に乗る。
試験を受けに行くより近鉄に乗るのが目的だったような。
いつの間にか京都線内もシリーズ21なる新車が増殖し、
わだらんが慣れ親しんだもともと単色塗りを経験していた車はもうずいぶん少なくなった。
今のシリーズ21は新車の割には前面展望があまりよくなく、
また側窓もブラインドを下ろされるとほとんど外を見ることができない、車窓を楽しむには幾分つらい車である。
いつもが221系など前も横も比較的外を見ることのたやすい電車に乗っているわだらんからすると、
せっかく新しく内装もきれいなのに、外の見えにくい電車は残念に思う。
とはいえ、たまにしか乗らない電車に乗るのは楽しい。
おまけに往路の電車が大久保で特急待避となってさらに楽しい。
大久保駅のあたりは周囲に較べて結構標高があり、かつ駅も高架でより高い位置にある。
もちろんもともと周囲が低すぎるのであって、大久保のあたりでもせいぜい31mほどの高さだが、
それでも小倉や富野荘では15m程度しかないので、ずいぶん上がっているのである。
木曜金曜の大雨とはうってかわって、今日は雲の高い、穏やかな天気。
大久保の高架ホームからは久御山の高速道路高架やさらには大山崎JCTなども見える。
ならばあのあたりが淀か、長岡京はあそこか、などと考えているのは楽しい。
高槻と枚方の間、淀川で山並みに間のあいた先には六甲の山が見えている。
いつも山崎の先で眺めている山並みの麓を走っている、少し不思議な感覚である。
暑い日曜日ではあるが、何となく空気が澄んでいる。
少し秋の気配が感じられるような。野洲のあたりではこの週末から稲刈りも始まった。
日が短くなるのは残念だが、遠くの山並みが見えやすくなるこれからの季節、
まずは電車から見える遠くの山の特定を始めてみようか、となんとなく考えてみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 秋の長雨より夏のゲリラ豪雨のほうが恐ろしい
8/30
金曜日の朝、いつものように家から歩きだし、途中の角を曲がると駅構内が見える。
ここで見られる列車が朝の時計代わりになったりするのだが、この日は見慣れない貨物列車が停まっている。
あぁ、やっぱりかと思う。
野洲駅の4番線はホームのない上りの待避線で、いつもは貨物列車が新快速などの待避に使っている。
この日停まっていたのは大阪貨物発東京貨物行き5068列車であることがわかった。
木曜日28日の晩、ちょっと出かけた。
近くの自治会館で野洲川の改修工事についての説明会を聞いていた。
野洲川は下流域がかつて天井川で、何度となく氾濫しているのだが、放水路が完成してすっかり災害に縁遠くなった。
とはいえ、堤防の強度が充分とは言えず、中流域を中心に堤防の補強工事や河道の拡張を行うのだそうだ。
その説明会の帰り道、東の方向で大きな積乱雲からしきりに雷光が見えている。
音は聞こえないので、さぞ遠いところだろうと簡単に想像がついた。
夜家に戻ってレーダー画面を見ると濃尾平野が真っ赤になっている。
なるほど、あの雷は名古屋から岐阜にかけての雷雲だった。
各地の雨量計や川の流量計、某ちゃんねるの運行状況板などから、このあたりがただごとならぬ状態であることがわかる。
ネットの実況中継というのはありがたいもので今やテレビのニュースなどより速報性にすぐれている。
もちろんそれ故不正確な情報なども垂れ流しになる問題点はあるが、でも遠いところの情報を
あたかも自分の近所のように理解できるのはありがたいことなのだろうと思う。
そんなわけで、貨物列車が野洲に抑止されていることは予想できていた。
まさに予想通りで朝停まったままの貨物列車を見て、やれやれと思ったり、お疲れさまと思ったり。
その日の帰り、大雨に全く無縁な地域を走る新快速は定時運転、3500Mはいつものように野洲に19時わずか前に到着。
薄暗くなった中、4番線には朝見ていた貨物列車が抑止中。
24時間手配、つまりまる一日遅れることとなった5068列車が野洲でひたすら時間が立つのを待っている。
この先無事に東京まで進めるだろうか、東の天気を案じてみる。
それよりもっと心配なのは、いつもわだらんに情報を送っていただく稲沢在住の方や
岐阜市内の低地に住むかつての同級生などに何も被害がないように、と。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ のんびりと車窓を楽しみながら駅弁タイム
8/27
旅行に出ると車中で食べる食事は楽しい。
とはいえ、なかなか駅弁には手が出ず、お菓子やビールにつまみなどといったたぐいのほうが多いのだが、やはり楽しい。
最近は駅構内でコンビニ弁当も簡単に手に入る。
駅弁より少々安価なのがうれしい。
しかも、最近は鉄道旅行ブームでいろいろな本やテレビ番組が名物駅弁を取り上げてますます駅弁がブランド化しているような気がする。
やはり千円近くするような駅弁を次々買い求めて旅するようなことはわだらんにはちょっと無理なようである。
世の中は夏休み、帰路の新快速車中も子ども連れや若者の姿が目立つ。
いつも上りの先頭車両に乗るわだらんにとってはますますそんな旅行者の姿が周囲にごそごそいる。
18切符の季節、旅行者は上り先頭に集中するのである。
もちろんそんな時期だからこそ、京都での下車も多く、敦賀行きなんぞでもたいてい京都で窓側が取れる。
もちろん降りそうな人間をよく観察しておく必要はあるが、二人席がごそっと空くことも多く、ありがたい。
つまり京都まで立つ前提なら、むしろ窓側を結果的にこの時期のほうが取りやすい、ということになるのだ。
特に西からの土産物を持った人間には要注目。
もみじ饅頭や讃岐うどんは旅行者のわかりやすい目印だったりする。
特に理由もなく急いだわけでもないのに、17:30の敦賀行き3496Mに乗れた。
いつものように混雑した車内だが、京都で座れ、窓側を確保して、さっそく熟睡。
やがて隣のごそごそ音で目が覚める。
電車は石山を出たところ、京都で座ったときの隣はちょっとおなかの柔らかそうなご婦人だったのだが、目が覚めると若い男が座っている。
どうやら石山でご婦人は降りたようだ。
で、その若者、何を開くかと思ってみていると、膝の上で駅弁を開きだした。
もちろん周囲は立ち席多数、その若者の横にも学生のおねえさんが立っている。
そんな状況で駅弁を開いた若者、食べ出すと結局草津で終わってしまった。
なにも5分程度で食事が終わるのなら、こんな混雑した車内でなくとも、もっと八幡以北あたりでも充分と思うのだが。
まぁビールなどアルコールを飲まないだけ良しとするか、
でも混雑した中で無理に食べなくてもいいと思うのだけれどなぁ...
これなら鞄の中にピーナツを隠して食べるおっさんのほうがかわいいような。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄子の次は鉄母?
8/25
久しぶりに勤め帰りにデパートへ寄ってみた。
毎日梅田を通っているのに、ほとんど寄り道もせず、いつもまっすぐに帰るわだらんである。
たまにデパートへ入ると何か都会にきたような気がしてちょっと興奮したりする。
帰路の新快速車中でおねえさんが横に立っても無反応なわだらんであるが、
デパートのエレベータで隣におねえさんがいると緊張してしまったりする。
そんなわだらんが向かった先は鉄道模型ショーである。
阪神百貨店と阪急百貨店が共同開催の催しで、それぞれのデパートがそれぞれの個性で展示物を出していてなかなか面白いと思う。
とはいえ、展示物自体は基本的に子供向けで、小さな子どもが見て喜ぶような電車を周回レイアウトで見せるものがほとんどである。
東京や静岡で開かれるような模型業界の展示会ではなく、あくまで客寄せパンダなのだから
あまり奇抜なものや個性的なものはなく、新幹線に新快速や関西私鉄の車両が主である。
もちろん運転側の好みと思われるような80系電車や583系の編成ものなどもあるし、
阪急では欧州の列車の運転会もあったりして、多少こだわりがあるのかな、とも思う。
まぁ小学生やそれ以下の子どもに欧州の列車はあまり身近なものではなかろうから、このあたりは大人向けなのかもしれない。
もっとも模型を通して海外の鉄道に興味を持つ子どもが出てくれればれもまたよし、と思う。
子どもが会場に多いということは必然的におかあさんがたも大量にいるわけだ。
我が子が模型を運転していたり、和歌山電鉄車両の撮影パネルで顔を出していたり、とおかあさんがたも写真を撮るのに大忙し。
子どもに引っぱられてではあろうけれどもおかあさまがたも結構楽しそう。
子どもに釣られて電車を好きになってくれれば電車を利用したょっとしたおでかけが増えたりするのかな、などと思う。
こどもの絵本などを一緒に見ていれば、おかあさまがたも鉄ヲタ知識がつくのかな。
結局模型展示よりも隣接の物品販売で掘り出し物がないか捜すのに時間を費やしてしまい、
おまけにほしいもの、例えば過去のダイヤグラムは高すぎて手が出ないし、
運転時刻表スタフは同じようなものばかりで食指が動かないし、あまりぱっとしない寄り道であった。
そんな帰り道、乗った新快速はおねえさん車掌さんであった。
将来おねえさんレチやおねえさんウテシのみなさんがおかあさんになったとき、
子どもを鉄ヲタにするのだろうか、などと車内の案内を聞きながらちょっと気になった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 通勤電車でもロマンスシート
8/22
欧州の列車に乗っていると、コンパートメント、つまり個室をよく眼にする。
というか、一般的にはコンパートメントが標準で、日本のような中央廊下で広い客室に座席が並ぶ、
いわゆるオープン席というのは最近の流行なのである。
そもそも列車とは乗合馬車から発展したもので、最初は馬車、
つまり箱の中に座席が向かい合わせにある4人掛けからのスタートである。
もともと客車もマッチ箱のような小さい二軸客車で、まさに馬車に車輪がついたようなものである。
その後ボギー車の登場で車体長はずいぶん伸びたが、その長くなった分横に個室をたくさん繋げたかたちになった。
個室はそれぞれ壁で仕切られていて、客室へは個室それぞれに扉がある。
つまり車体に10も12も扉がついたもので、つい最近までロンドン近郊の通勤電車ですら、そんな電車があった。
ターミナルに着くと、一斉に扉が開いて人が降りてくる壮観な光景である。
ちなみに扉は外開き、つまりホームに係員がいて、扉は開け閉めしてもらうもの、である。
なので、自分で扉を開けるときは窓を開けて手を車体の外に回して扉を開けなくてはならない。
欧州大陸では側廊下式車体が普及して、9〜12部屋の車体の両端に扉のあるかたちが標準である。
一等車と二等車では座席幅つまり個室の面積が違っていて、そのため窓の割付が違っていたりする。
それでも最近は欧州でもオープンタイプが増えてきて、個室は車内の一部に置かれるようになるものが増えてきた。
ちなみにICEもTGVも基本的にはオープン席になっている。
日本ではオープン席が当たり前なので違和感がないが、欧州の個室に慣れた人にはどう思われるのだろうか。
ところで、個室は向かい合わせである。
つまり座席の半分は進行逆向きになるわけだ。
日本では前を向いて座るのが優等席の象徴になっているようで、JR東海の313系の新車のように
客室の有効面積を削ってでも全ての座席が前向きになるような車まである。
ところが、欧州ではもともと前を向いて座ることにこだわらず、
あるいは途中で進行方向が変わることもしばしばあるので、後ろ向きであっても何も気にしない。
むしろ気にするのは日本からの旅行者ばかりのようで、以前フランクフルト空港から乗ったICEの一等オープン席で
前向きに座っていたのは日本人ばかりなどという恐ろしい光景にも出くわしたことがある。
前を向かないと正しい乗車ではないらしい。
朝ちょっと寝坊して717Mに乗る。
安土からの電車で、野洲に入ってくるときはさらりと窓側が埋まっている。
近江八幡で後続の3405M新快速は充分座れるので、
717Mに乗っている客は新快速の停まらない駅利用者のみということになる。
とは言ってもこの時間ではまだ膳所では下車客は多くなく、むしろ長岡京あたりの利用者が多いように見える。
そんな717Mは野洲で座るのには苦労しないが、さすがに窓側を取るのは難しい。
が、実は扉後ろの4人席はまるまる空いていて、みんなが二人掛け前向きに座っているのだ。
もちろんわだらんも例外でなく、二人掛けの通路側に座っている。
4人席ががらがらな光景は確かに異様だが、わだらんとて同じ行動をとるのでこんなものか、と思う。
当たり前の光景なのだ。
でもこの光景、欧州人には理解できそうになかろう。というより、
まず座席の向きを変えられることが不思議なのかもしれない。
欧州では優等車であっても座席は前か後ろどちらかの固定で、
わざわざ背づりの向きを変えてまで前向きに座るなどということすらできないのだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 阪神ファンは京セラドームへ便利になるか
8/20
近鉄電車が道路を走って阪神電車の尼崎車庫にお出まししたそうな。
道路を走るといってもトレーラーに載った状態なので、その陸送自体は決して珍しいものではないが、
でも阪神の車庫に近鉄電車がいるのはさぞ不思議な光景なのだろうと思う。
もちろん既に阪神電車が近鉄西大寺車庫にいるので、近鉄電車の中にいる阪神電車も同じように不思議な光景なのであろうけども。
できるできないと永年騒がれていた阪神電車の難波延伸がもう来年に迫っている。
阪神電車が難波に行くのが画期的なのか、近鉄電車が神戸に行くのが画期的なのか、
まぁいずれにせよ今までにないルートなので、最初は物珍しさの客も多いだろうと思う。
昔はいろいろな線区にまたがって走る長距離列車が国鉄の中では珍しくなかった。
今では柘植までしか行かない草津線で昔は普通列車でも鳥羽や和歌山市まで直通するような列車があった。
とはいえ、その当時は一日に一本とか二本とか、つまりその列車を選んで乗る時代であった。
国鉄民営化のあたりでずいぶん直通運転が切られてしまったのだが、その後徐々に直通運転が増えている。
しかも都市型の本数の多い直通運転系統で都市近郊から都市近郊への直通電車の増加は多少なりとも人の流れを変えているようだ。
もともと地下鉄を中心とする相互直通は首都圏のお得意技であったが、今はむしろ大阪近郊が全国の手本のようだ。
しかももともと競合路線の少なかった首都圏でも最近は競合を意識した直通運転が花盛りになって、
わだらんには既についていけない運転系統がやまほど。
そもそも副都心線なんぞダイヤの構成すら理解できていないし、
まずは山手線に競合路線が出てくる自体がもう浦島太郎状態、世の中変わるものだ、とつくづく思う。
京都と神戸を結ぶ、と言えば昔は阪急が主体であったように思う。
国鉄電車は運賃高く、もともと選択の順位は低かったような。
もっとも今では新快速の本数も多く、定期券や昼得切符では運賃差もなく、そうなると乗換がない分JRに分があるような。
新快速で大阪駅をまたがって乗る客の多いこと。恐ろしいものだ。
そんなわけで18:15の12両新快速を待っている。
その前を走る18:08の快速808Tも12両で、大阪駅に入ってくる3502Mは比較的すいている。
とはいってももちろん窓側がとれるような状態ではなく、通路側の空いている席を必死で確保する状態である。
まぁ、3人目で大阪着席なら上出来だ、と。
阪神なんば線開通で、JRも東西線経由の快速が増えるのだろうか?
神戸線からの大阪直通の快速T電が一部東西線経由になると多少新快速も影響を受けるのだろうか?
ちょっと心配だったり楽しみだったりする。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 自己責任、事故責任
8/18
時の小渕官房長官が「平成」と書かれた色紙を出してきてからはや20年、オリンピックでも平成生まれの人間が珍しくない世の中、
一方でわだらんにはいろいろとガタがきているようで、体のあちこちがなんだかんだ異常をきたしている。
そんなわけで最近医者にちょくちょく出かけたりして無駄な金を使っているのだ。
今日も歯医者で1040円払い、この1040円が使えるならたまには特急で大阪京都を通勤してみたい、などとぼそぼそ思ったりする。
ところで、今日歯医者であるものを見つけた。びっくりシールである。
なかなかかわいい歯科衛生士のおねえさんに「倒しますよ〜」と言われてデレデレとしていたところ、「足をちゃんと椅子に載せてください」などと怒られる。
なるほど後からよく見ると、椅子の下にセンサーマットがあって、足を載せていると椅子が動かない構造になっているようだ。
おまけに椅子にはびっくりマークが「ちゃんと腰掛けてください」などと警告している。
何も患者にわざわざ椅子が怒らなくてもよかろうに、と治療を終わって医者に聞くと「子どもが椅子に挟まれる事故を防ぐため」だそうだ。
でも歯医者の椅子くらい倒すときに周囲を確認すれば問題ないだろうに、などとぶつぶつ言ってみる。
なんかびっくりマークが責任転嫁しているようで、ちょっと面白くないなぁ、と思う。
とはいえ、最近はびっくりマークだらけである。
電車に乗れば至るところにびっくりマーク、ドアのまわりには「手を挟むな」、窓には「非常時以外開けるな」とか。
あーだこーだわざわざ言わねばならないほど乗客の質が落ちたのか、鉄道側がやたら心配性になったのか、なんかみっともないなぁ、と思うのだが。
歯医者に行くために焦って乗った3498M、せっかく大阪を定刻17:45に出たのに、茨木駅第四場内で防護無線受信、あわてて停止。
茨木摂津富田間で踏切無謀横断があったとのことで、結局高槻6分延、野洲着5分延であった。
踏切横断ごときでわざわざ列車を停めるなと言いたいところであるが、これだけびっくりマークが必要となる世の中、
無謀横断する方が一方的に悪いだけではなかなか解決しない、ある意味居心地の悪い世の中になってしまったようである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車で旅が自由にできる平和
8/16
ネットの普及というのはありがたいことなのかどうなのか、最近はますます多種多様のものがネット上に転がっていて、
いろいろな情報を見ることができる。
そんななか、
http://uk.youtube.com/watch?v=khNM7dt3TdU&NR=1
というものを見つけた。
艦載機ムスタングがひたすら射撃を行う、なまなましい映像である。
いかに戦争が単なる喧嘩で、かつ大がかりな装備で相手を傷つけるか、愚かなものであるかを物語っているように見える。
中でも、途中半分以降に出てくる映像では、鉄道に対する艦載機の機銃掃射の場面が。
撃たれた弾丸の先に本来戦争に全く関係のない乗客や、卑劣な環境下で必死に働く鉄道員のみなさまがおられる、と思うと涙が出てくる。
機銃掃射といえば、中央線湯ノ花トンネルや大山口駅の悲劇が有名だが、日本の各地で機銃掃射による被害があった。
守山駅でも攻撃があったそうだ。
列車に弾丸が降ってくるとはいったいどんな状況なのだろう、想像がつかない。
「けれども列車は入ってきた」とは、宮脇俊三先生の「時刻表昭和史」にある
名文である。これを読むと、実は日本が大変な中でも必死で列車が走っていた状況がよくわかる。
欧州戦線と違って、日本の場合は橋梁などへの被害が少なく、何とか列車を走らすことができたのは恵まれたわけで、
終戦後の復興にも鉄道が多大な貢献をしている。
鉄道が戦中に置かれた状況はこの時刻表昭和史に詳しく書かれているのが、
今の平和を考える材料として、もっとこの本が活用されてもいいのに、と思う。
今年は特にオリンピックの関係か、あまり戦争と平和に関する話題が少ないように見える。
でもそもそも鉄道が走っているのが当たり前、自由に旅行ができるのが当たり前、ということが本来とても大事なことだ、
と鉄ヲタの若い連中がもっと理解してほしいものだ、などと年寄りのような独り言。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大量輸送の花形、電車
8/14
勤務先がすこし早めの盆休みに入って、この一週間仕事に行く必要がない。
電車に乗る機会を奪われると言うのは残念であるが、仕事をしなくていいのは実にありがたい。
盆も関係なく働いておられる方も多いのだから、休めることに感謝、である。
さて、そんなわけで9日の土曜から14日の今日まで、母親の住む津に帰っていた。
わだらんが小学校に通っていた時分はまだ津の街の中心部には人があふれ、路線バスの本数も多かった。
いまや郊外店の乱発(というと語弊があるか)で中心部の商店街から人影は消え、
アーケードの中はシャッターどころか、建物すらない歯抜けの状態である。
もちろんこんな話は津だけでないのだが、やはり県庁所在地、県の中心でこれではちょっと心配である。
市内活性化に市や各種団体がやっきになっているが、大金を出資した空港への港ですら、高速船が燃料高騰と乗客減で値上げをするそうな。
人を市内から遠ざける話ばかりが目につくのである。困ったものだ。
ところで、その帰省中の10日に津の花火大会があった。
昔から花火大会にはできるだけ足を運びたいわだらんである。
もちろん出かけていき、花火を堪能してきた。
海面近くで爆発する花火など、なかなかきれいで試行を凝らしたものが続く。
海岸沿いに集まった観客も大喜びである。こんなに津に人間がいたのか、と不思議になるような人出である。
当然花火終了後は観客が一斉に海岸から堤防を上がっていくので、壮絶な混雑ができる。
とはいえ、警備があるわけでもなく、前が進むまでのんびりゆっくり、気長な人捌けである。
このあたりが津のいいところなのだろうか、と思う。
我先にと人を押しのけるような輩もおらず、ただ淡々と粛々と人のかたまりが動いて行く。
一部は駅への臨時バスへと流れるが、臨時バスの本数が少ないのか、臨時バス終了予定時刻になっても、列はまだ長いままであった。
8日は恒例のびわこ大津花火大会であった。
この日は不幸にも開始に間に合わず、終了間際を大津駅のホームで見たものであった。
もちろん花火はきれいなのだが、むしろこの日はいつも見られない臨時電車が
観客を捌いていくところがまた面白い、いわば琵琶湖線のお祭りのようなものである。
例によって今年も大量の観客が大津駅に押し寄せ、ホームへの入場規制をしながらその観客、帰り客を掃いていく。
電車の収容力は1列車でおよそ2000人、どんどん乗客がホームに現れてはまた列車に吸い込まれる、
その繰り返しはなんとなく見ていて飽きないものだ。
津の花火が終了後、花火大会近くの岩田川に架かる橋が車両の通行を禁止された歩行者専用になっていた。
かつて近鉄電車が走っていた廃線跡であり、橋桁は当時の線路用のものに舗装を加えたものである。
通常の道路ではない、特異な形状がかつて線路だったことを語ってくれている。
もし電車が今でも走っていたら、どんな花火観客輸送になったのだろうか、
橋の上を歩きながら少し考えたが、いまいちイメージが沸かなかった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遠くの雨まで心配する余裕がないな
8/6
温暖化のせいなのか、雨の降り方が以前にもまして派手になってきたように思う。
命を落とされた方もこのところ続いているのであまり軽々しく言うのは不謹慎であるがとにかく雨が降ったら水から上がる、とまずはもう一度。
もちろんわかっていても急な増水などあろうから、とにかく身を守る術を再度確かめねば、と思う。
大阪市内で急に雨の降り出した水曜日の夕方、あわてて仕事場を切り上げて大阪駅へ向かう。
レーダー画面は市内を赤色に塗りつぶした状態である。
幸いにも仕事場のあたりは一度降った雨が上がって小康状態、急いで駅へと向かう。
大阪駅のホームに上がるとなぜか8両先頭位置にほとんど人がおらず、中間の扉のところに大量に乗客が。
どうやら列先頭の客が乗車位置をあまり理解していなかったような。
でもおかげで17:38にホームに上がったものの、前から二人目。
あっさりと座ることができた。ありがたいものだ。
3498Mが大阪駅を出るころには大粒の雨が降り出し、窓を叩く音がうるさい。
いつもなら座った時点で熟睡なのだが、どうも外が気になって眠れない。
電車は微妙に遅れている。
大阪駅での2分の遅れは少しずつ拡大して野洲では6分の遅れになった。
確かに途中茨木のあたりはひどい大雨だった。
(ちなみに帰宅後調べると枚方は時間71mm、2時間で97mmの大雨であった。)
大阪駅ではしきりにホームの電光案内が東海道新幹線の運転見合わせを伝えていた。
京都新大阪運転見合わせとのことなので、野洲までの間にもっと状況は悪くなるかと心配していたので、まずまずこの走りなら助かった。
遅れの拡大は先行T電の遅れに依るもので、天候のせいでなかったのはありがたい。
京都手前では桂川を渡る700系新幹線を見たので、運転見合わせは短時間で解除になったようだ。
ややこしい話にならずでよかった。
ところで、大津駅停車中に面白いものを見た。
JR東海・醒ヶ井〜柏原間大雨運転見合わせという案内である。
確かに滋賀県内の区間だが、どうもとても遠いところのように思える。
そんな情報も流せるのはとても親切だと思うのだが、やはり縁遠い地では人ごとだ。
このあとの808T大垣行きがどうなるか、どうなったかは野洲ではよくわからない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ SLの時代は米原大阪1時間35分
8/4
北京五輪が近づいてきた。
イベント云々でおだてられるのは好きではないが、五輪の開会式の入場行進は好きだ。
まぁ半分も場所と名前が一致すれば上出来、といつも思っている。
いちおうユーレイルグローバルパスの使える国と中国韓国あたりはすぐにわかるが、アフリカはもちろん、中東でも怪しいものだ。
もちろん欧州にしてもバルカン半島などは位置関係がはっきりしないし、4年に一度は世界地図を見ながらゆっくり勉強するのもいいかな、とそれだけが楽しみである。
ちなみに冬の五輪は参加国が限られるので、いまいちなのだ。
五輪に合わせて、中国の高速列車が開業したそうな。
シーメンスのICE3と日立のE2が並んでいる姿はどう見ても異様だが、それを自国技術と自慢できるところも異様に思う。
日本人からすれば、列車だけ速くなってもよくない、高速列車は総合技術だ、という。
実際その通りだと思うのだが、中国人(韓国人も)にはまず列車が速くなればいい、という感覚らしい。
台湾は列車だけ高速ではいけないと建設途中で気が付いたものの、方向転換が難しく結果的に日本と欧州の合作新幹線になってしまった。
700系の運転台に欧州人の運転士が座っているのはやはり異様なのだろう。
とはいえ、やはり高速鉄道の主役は車両である。
新幹線の建設前、151系特急こだまが高速試験で163km/hをマークした。
日本の電車の父、島秀男さんは160km出せれば東京大阪は3時間で行けるようになる、と考えていたようだ。
つまり、平均160kmなら東京大阪を3時間半で行ける、ならば平均160kmで走れる線路を造ればいい、と周囲を固めていったそうな。
もちろん、特急でも6時間半の時代である。
東京大阪を3時間で結べるなど、世間は信用していなかったのだ。
ところがいつの間にか新幹線ができてまもなく半世紀、開業時4時間だったのに今では2時間半になってしまった。
線路自体は何も変わっていないわけで、車両がより軽くなり高速性能に長けた結果が大幅な時間短縮になった。
もちろん通信や制御技術の進歩もあるが、でも最大の特徴は高速車両であろう。
そう考えると、中国の今回の高速鉄道はまず車両から、である。
今後の展開はどうなるのだろうか、設備が自国技術で洗練されていくのか見物である。
特急こだまが東京大阪を6時間半で結んでいた頃、米原大阪は途中京都のみ停車で1時間16分だった。
110km/hが最高速度であった。こだまの運転に合わせて線路は一部区間を除いて110km/hで走れるよう整備されたのである。
ところが、今や通勤電車にもかかわらず130km/hで新快速が走っている。
125などと書かれた制限速度を島秀男さんが見たらさぞびっくりするだろう、などと運転台の後ろでぼんやり眺めている。
大阪始発なのに座れない敦賀行き、はなから座席を取ることなど考えず、京都まで立てば12両のT電に座れるからね。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 高校生はお得意さま
8/3
播但線に乗ってきた。
電化された南部区間は単線の低い規格の線路ではあるものの、103系電車のおかげと直線の多い線路構成のおかげで結構体感速度は速い。
比較的列車頻度も高く、全ての駅で列車交換が可能とダイヤの面白みもある。
こんな単線でかつ高頻度運転、高速運転できる路線が実はわだらんのお気に入りで、例えば草津線もしかり、この播但南線も、あるいは篠栗線あたりなどなど。
加古川線や小浜線は列車速度が遅くつまらないし、筑肥線もかつては好きな路線だったのだが筑前前原まで複線になってダイヤの面白みはなくなってしまった。
もちろんこれらはわだらんの勝手な選り好みであって、筑肥線は本数増加で乗客サービス的にはよかったはずだが。
そんな好きな播但南線である。
寺前から姫路に向けて進んでいくと、土曜の午後、学生らしき人間を中心にどんどん電車が混んでくる。
4両でも結構な立ち客になって、これなら103系ロングシートでも悪くない、と思う。
中古の103系とはいえ、大きく更新された車体はまだまだきれい、しかも全車電動車の鋭い加速はなかなか楽しい。
電車はたくさん乗ってくれてナンボの世界、がらがらではつまらないのである。
昔、播但線が非電化だったころは収容力の大きい6両の客車列車が入っていた。
今でも一往復の221系6連が入っているが、昔はそんな長編成客車列車が次々と姫路に向けて朝やってきた。
50系客車が入る前にはオハ41という通勤型客車がいて、のちにはその流れを汲むキハ58の5500番台なる車もあった。
両端にしか扉のない中長距離型の車体にもかかわらず、車体全部をロングシートにした、まるで車内で運動会でもできそうな広い空間を持つ車であった。
確かに車内は広いのだが、扉が以前の車体そのままでは乗り降りが大変であったことは想像に難くない。
今は何かとマナーが悪いと叩かれる高校生、かつてこんな客車で通学していた頃はマナー云々と言われていたのだろうか?
高校生が支える地方鉄道、播但線はこれからも通学需要は維持できるといいなぁと思うのだが。
そんな土曜の翌日、野洲駅へ行ってみると近江高校応援列車の時刻表が掲示してあった。
野洲のあたりからも彦根へ通う高校生は多く、琵琶湖線の需要を支えている。
そんな地元民のためか、野洲を含めた琵琶湖線内の多くの駅に停車して応援団を集めに行くようだ。
が駅に行った時間が遅く、既に列車はでていった後で、目撃することはできず。
おそらく223系か117系あたりだったのだろう。
残念ながら近江高校は惜敗してしまい、甲子園から姿を消した。
応援列車も見たかったのだが、見逃して残念なのは近江高校の紹介。
ひょっとしてひこにゃんは出ていたのだろうか、彦根の紹介が見たくて近江高校を応援していたなどと大声で言いふらしてはいけない。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |