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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
08年10月
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618. 10/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車が遅れる夢を見るのはいやだなぁ
617. 10/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ドラマは巨大なCMである
616. 10/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 0系の機器類は特急こだまの延長線
615. 10/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 寝ている間に走って遅れて
614. 10/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地球環境に優しい鉄道貨物
613. 10/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ イベントには電車バスをご利用ください
612. 10/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅が増えても種別が増えないありがたさ
611. 10/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 天高く財布細る秋
610. 10/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 屋根が伸びるとちょっと立派に見えるかな
609. 10/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 座るためにいつから待つか
608. 10/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ いつ座れるか、どれだけ座れるか、たまには思案
607. 10/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車は葬式鉄だが、船はどういうのだろう?
606. 10/3 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ボックス席が旅の友
605. 10/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車両が揃えば運用効率は上がる
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車が遅れる夢を見るのはいやだなぁ
10/31
木曜の朝というのはどうもわだらんにとって鬼門のようである。
よく寝坊をする。
それでもまだ勤務時間には間に合う時間に起きられるのだからよしとしよう。
もっとも先日のきたぐに故障事件も木曜で、この時はしっかり遅刻であるが、これは不可抗力だと認めてもらおう。
この朝もどうも憂鬱で、寝ては起きて、挙げ句の果てに目覚ましを止めてそれからまた寝て結局3407Mに走ってやっと間に合う状態になってしまった。
目覚ましを止めてから夢を見たのだが、なぜかわだらんが網干にいて、3番線始発の新快速に乗るため階段を駆け下りるところで目が覚めた。
結局その後あわてて駅まで走って、野洲始発の新快速に乗ることになったのだから、きっと夢が早く起きろと呼んでいたのかもしれない。
そんなわけで、何となく朝から落ち着かず、電車の中でずっと起きていた。
幸いにも窓側が発車直前ながら確保できて、ぼーっと外を眺めていた。
落ち着かず眠れないなんか不吉な予感は当たってしまった。
京都に着く直前、「甲南山手駅で人身事故発生」と車掌が一報。
情報の内容や時間的に見て、おそらく車掌が列車指令の無線を聞きながら伝えたのであろうか、京都は問題なく定刻で発車したのではあるが、
その後具体的な話が入って、当該が下りであること、今後遅れが見込まれる、と言う。
いつものように熟睡していれば目が覚めて列車が遅れて「ありゃ」となるところだが、この時は起きていたのでそんな第一報を聞くことができた。
電車はいつもと変わらず走っている。ひょっとすると高槻入線に手間取るか、と心配になってきて、
山崎を通過したあたりで携帯から公式の運転情報を見ると、「高槻−西明石間運転見合わせ」と出た。
これは一か八か、高槻で阪急に乗り換えてみよう、と覚悟する。
電車は心配のこともなく、あっさりとホームに入ってしまった。
隣には7:31の129Cが停車中、早くもこの時点でC電は7分遅れである。
ホームに降りると出発反応器は消灯、つまり発車できない、ということである。
やはりこれは阪急に乗ってみるか、とそのまま改札を抜け、商店街を走って阪急高槻市駅へと向かうことになった。
結果的に梅田に着いたのは8:13、本来の3407Mから20分遅れであった。
20分で収まったのをよしとするかどうかの判断はできない。
もし3407Mにそのまま乗っていればどうなったか、気にはなるのだが、実際の運転状況はわからないのである。
とりあえず遅刻にならなかったので結果オーライではある。
そんなわけで、寝坊もせず今日の朝は711Mでおでかけ。
今日はいつも通りやっぱり眠くなる。南草津までは記憶にあるが、目が覚めると淀川を渡っていた。
熟睡していても時間通り電車が走っている、当たり前のことではあるが、なかなか当たり前にならないのが世の中つらいところである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ドラマは巨大なCMである
10/29
わだらんはまじめに見たことがないのだが、某公共放送の朝の連続ドラマは松江と京都が舞台になっていて、
時折一畑電車が出てくるそうだ。
「いちばたでんてつ」と入力して「一端電鉄」としか変換しないわだらんのATOKも少々困りものであるが、
なかなか地元以外の人が地方の電車を知る機会は少ないのだろう。
地方の公共交通が苦境で、一畑電車もその例外ではないのだが、少しでも知名度が上がって、
出雲大社への観光客でも利用が増えればうれしいことで。
もともとドラマ自体が少々地元の観光案内みたいなところがあるわな。
近日出雲への夜行列車の復活運転がある。
京都23時10分発の出雲市行き臨時急行でドラマの関係か「だんだん山陰号」なる列車名である。
ダイヤ的には鳥取から米子まで4時間もかかっているし、出雲市に着くのは0時42分などと一般の旅行にはあまりにノンビリであるが、
まぁヲタや中高年相手の一日限りの列車ならまたそれもよし、であろうか。
個人的には帰路上り列車の京都着後の機回しを見たいとも思うが、どうしたものか。
そういえばこの一連の企画の中に後藤工場見学ツアーなるものがある。
月曜開催でわざわざ平日に米子に行かないと参加できない企画なのだが、ちょっと気になっている。
いわゆる工場の一般見学ではなく、月曜、つまり工場の稼働している姿を見られるのはずいぶんそそられるなぁ。
しかし、わだらんにとって、なかなか山陰というのは縁遠いところである。
かつて夜行の「ムーンライト八重垣」があった頃には何度か出かけてみたりしたものだが、
最近は特急出雲の廃止直前に出雲市まで行ってトンボ帰りしたくらい。
普通切符に新幹線利用だと片道で1万円になってしまうし、出費の向け先がどうしても九州や四国になってしまうのだ。
木次線もまだ乗ったことはないし、山陰線西部区間もほとんど知らない世界なのだが。
野洲駅で朝なんとなく、その某ドラマの広告を見てそんなことを考えていたのだが、いつも乗る713Mで新大阪に着くと、
ちょうど出雲市からやってきた中国JRバスが18番線の横、わだらん的にはよく「19番線」とぼそぼそ心の中で言っている駅場外で、
到着後の清掃をしているところに出くわす。
夜行でやってきて、休憩後昼前に再び出雲市へ向けて出ていくわけだ。
調べると片道5000円ほど。これならそう高くないか、とちょっとそそられる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 0系の機器類は特急こだまの延長線
10/27
もうすぐ新幹線0系が引退すると結構マスコミが取り上げているようだ。
特に今の中堅以上の年代にとって新幹線といえばおそらく誰もが0系のずんぐりむっくりの顔を思い出すと思うし、
実際0系の顔は特徴あるいまとなっては優しい顔に見えるとても印象深いものだと思う。
今のE2系でもN700系でも精悍な顔つきでかっこいいと思うのだが、おじさん連中にはきっと0系こそ新幹線という想いが強いのではないかと思う。
当時世間的には鉄道が斜陽になろうかと言われていた時代、決してみなが好意的でなかったなかを押し進めた先達のみなさまの苦労は
さぞたいへんなものだったのだろうと思う。
ただ、新幹線の技術そのものはいろいろなところで当時の在来線の延長線上にあり、新幹線のために特別に開発された技術というのは少なく、
それまでの技術の蓄積と改良が花開いたものである。
つまり新幹線のすばらしさは高速鉄道のために今までばらばらで進んできた技術を集めて改良してまとめあげたところにあると思う。
そのあたりは島秀男さんについて書かれたものなどを読むと詳しいし、斉藤雅男さんの本には開業前後の苦労話が次々出てくる。
悪い言葉で言えばレベルの低いトラブルが続出、ではあるが、それの克服が新幹線なのだと思う。
もちろん当時の人は新幹線の技術がすごいと思っていただろうし、それが故にさらに0系への想いが強いのだろうと思う。
0系は未来の鉄道を現実化したものだから。
しかしその後電車の世界はより早いものとなったし、省エネの観点からも不要な部分の電気を熱で捨ててしまうのはよろしくない、
当然車両も経年劣化する、と引退に至る理由は仕方ない。
今は省エネ第一、電気を無駄にせず、昔の電車の半分のエネルギーで走ります、などというのがはやりなのだから。
野洲に3498Mで帰ってきた。ホームは下り3515Mと上り802Tが入っていて、3ホームとも223系で埋まっている。
昔野洲といえば113系の天下だったのに、いつのまにか省エネ電車223系が主になっている。
時代の流れは仕方ないのだが、最近見たテレビの中で博多総合車両所の検修のかたが「0系は全ての基本です」と語っていた。
そういえば「113系は機器の動きが目で追えるのがいいのです」と新人教育にあたる工場(吹田?)の方のインタビューを見たことを思いだした。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 寝ている間に走って遅れて
10/24
金曜日、週末のなんとなくけだるいムードである。
仕事はまずまず片づいて、18:00の3500Mに乗ろうと急いで大阪駅に向かっては見たものの、途中でばててしまい、改札を通るときにはすでに18:00になっていた。
もともと混む3500Mなので、なんとなく混んだ電車もしんどいな、と内心想っていたのであろう。
そんなわけで作戦変更。18:02の1206Cで新大阪へ。
これも相当に混んだ電車で、おねえさんの大きな手提げバックに背中を押されてちょっと痛い。
新大阪に着き、C電と別れ。
二階に上がってコンビニで缶酎ハイを調達し、ホームを後ろに歩いていく。
大阪駅でホームを歩いて編成内の位置を変えるのは大変だが、新大阪なら比較的楽である。
ということで、鞄に缶酎ハイを忍ばせ、808Tの客となる。
さすがに新大阪からでは乗ってすぐの着席はできないが、それでも12両編成で車内は落ち着いている。
2号車中扉から入って通路に立ってしばらくぼんやり。
幸いにも茨木で着席でき、しかも窓側が取れてゆったりのんびり。缶酎ハイは高槻に着く前に終わってしまった。
そんなわけで、せっかくT電に乗って桂川初停車体験などと考えていたのに、
酔いが回って熟睡状態、桂川はおろか島本さえ知らないのである。
ところが、京都駅のざわめきで目が覚めた。車内がずいぶん混んでいる。
もともとこの808T、先行の806Tが12両でしかも京都で808Tの前を走る3502Mも12両、いつもなら大きな混雑にならない電車である。
今日はどうしたことか、しかも車内で「この電車が米原まで先着します」という。
野洲までならその通りだが、野洲でうしろの3504Mに抜かれるはずである。
あれ、と思っていると「向日町で踏切内線路点検」という。
おまけに新快速は遅れているのだそうだ。とはいえ、この電車も京都で既に20分遅れている。
わだらんが熟睡しているあいだに途中で停まっていたのだろうか?全然気がついていない。
結局ホームに人が大量にいたのか、山科でも大津でもかなり客扱いに手間取り、野洲に着いたのは26分遅れであった。
それでも座っている分、ずいぶん楽な帰宅であった。
新快速がなぜ遅れているのかはよくわからない。
野洲でも3504Mの姿はなかったし、
なにしろこの808Tが草津を発車する直前に4番に直接3502Mが入ってきたのである。
もし大阪駅で18:15の3502Mをずっと待っていたのであれば、
座ってはいただろうけれども結局35分遅れの3504Mで野洲着だったのかな。
酎ハイも飲んで熟睡してまずまず楽に帰れたのはありがたいということだ。
でも結局なんで新快速がそんなに遅れたのかはよくわからずじまいであった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地球環境に優しい鉄道貨物
10/22
昔の子供向けの鉄道図鑑にはよく「いろいろな貨車」みたいな項目があって、
運ぶ荷物の特性にあったそれぞれ異なった貨車とその記号が書かれていたものだ。
標準的な有蓋車「ワ」、無蓋車「ト」に加えて例えばタンク車「タ」とか石炭車「セ」とか冷蔵車「レ」などいろいろの車両とその記号があって、
それらが雑多につながれた貨物列車は色とりどり形もいろいろで楽しいものであった。
今でもプラレールにはそれらの貨車が何種類か揃えられていて、店で見ているだけでも結構楽しめたりする。
が、実際には最近の貨物列車はもうほとんどがコンテナに入れられたものをコンテナ貨車で積んで走るという、
外見的にはずいぶん味気ないものになってしまった。
もちろん細かく言えばコンテナも私有の特殊コンテナなどは個性豊かで楽しいのだが、私有の特殊コンテナはそれこそヲタの世界で、
なかなか人の目に触れることはないし、ましてや子供にわかりやすくなどという解説書もない。
まぁ輸送の利便性で考えるのが第一で、子供うけする必要はないのだけれど。
しかしコンテナ化に加えて、もともと鉄道貨物が急激に縮小したために貨物列車自体もずいぶん少なくなってしまった。
もともと滋賀県内には工場へ繋がる専用線がいくつかあって、セメントや鉱石などの専用貨物が引き込まれていたり、駅の側線に留置されていたものだ。
近江長岡、彦根にはセメント貨車が大量にいたし、さらに彦根には多賀のビール貨車、近江八幡には武佐のカーボン工場向け、
守山には旭化成のタンク貨車など地域の特性そのままの貨車があちこちで見られたものだ。
もちろん一般貨物もまだ残っていて、野洲でも草津でも貨物扱いをしていた。
野洲の本線上で機関車が貨車の入換をしている姿は今の様子からは想像できないけれども、その当時は電車の本数も少なく、のんびりしていたのだろう。
貨車の扱いはその後どんどん減っていき、滋賀県内ではこの春、高月にあった日本電子硝子専用線の扱い終了でついに貨物扱いをする駅がなくなってしまった。
鉄道貨物が環境問題で見直されているはずであるが、なかなか手間もかかり小回りの利かない鉄道貨物が簡単に復権するとは思えない。
朝いつものように713Mに乗る。
ちょうど日が昇って明るくなった守山駅の構内、ホームの先には広い空き地が広がる。
先月あたりから守山駅のホーム東側に広がる貨物側線の撤去工事が始まって、もうすっかりバラストのみ、単なる空き地になってしまったのである。
まだ整備が終わって間がたっていない東口広場が今となってはなんでもう少し待ってホームに近いところに持ってこなかったのか、と思う。
長い跨線橋は今となっては何も越えるもののない、単なる構造物になってしまった。
かつてはここから油槽所と富士車輌への専用線が延びていて、化学材料や石油を積んだタンク車が大量にいた頃を思い出す。
ちょっとした貨物基地だったのに。
昔といってもまだつい最近、もちろん地球温暖化が騒がれ出したあとの貨物扱いの終了であって、大昔ではないのであるが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ イベントには電車バスをご利用ください
10/20
野洲で大きなイベントがあった。
土日にかかるイベントで、主には土曜日がメイン、おおよそ20000人規模のイベントで、
土曜日は催しに合わせて京都野洲間の定期回送を臨時客扱いまでする大騒ぎ。
もちろん野洲駅は午前中電車が着くたびに改札から次々人が降り、野洲市役所までぞろぞろ行列。
市役所駐車場には会場の希望ヶ丘までのシャトルバス用にバスが大量にかり出されて、そこそこ広い駐車場もバスで埋まってしまった。
バス営業所といってもおかしくないくらい、20台ほどのバスが待機中であった。
やがてイベント用に次々とバスが出ていく。
そんな光景を眺めていて、わだらん的にはすぐに輸送力がどうこうと考えてしまう。
野洲市役所−希望ヶ丘間のシャトルにはどうやら25台が使われていたようだ(もう2,3台いたと思われるが定かではない)。
後から実際に乗ってみたのだが、市役所から希望ヶ丘まで片道10分であった。
ちょっと市役所でバスを見ているとでていったバスが戻ってきた。客扱いを含めておおよそ約30分で一往復となる。
ということはおおよそ1台で時間2回転、つまり時間50台の輸送力である。
開会式までおよそ3時間、1台40人乗車として50x40x3=6000人という計算になる。
これに竜王の自家用駐車場からのシャトルバスと団体の貸切を合わせるとまぁまぁそれに近い数字になるのかな、と思う。
野洲市役所のシャトルバスは多くが近江鉄道のあやめと大津の営業所の車であったが、
5台ほど京阪バスがいて、赤白の車体は野洲に普段なじみのないなかなか新鮮なものであった。
しかしバスの輸送力は電車に較べると少ないものだ、と思う。
223系8連であればざっと定員、つまり立ち客が吊革を持った状態でおおよそ1列車1000人は乗れることになる。
バスのべ120台が電車なら6編成ですむわけで、電車の輸送力はさすがに大きいものだと思う。
ちなみに野洲の希望ヶ丘で5年ほど前に「夢は現実になる」という歌手集団が屋外コンサートを行って、確か3万人だか人を集めたと記憶している。
このときも希望ヶ丘と野洲駅近くとの間でシャトルバスを運転していたのだが、
さすがに帰路乗客が集中したのかシャトルバスをあきらめ、多くの人間が野洲駅まで歩いていた。
それでも駅は大した混雑にならなかったのだから、電車の収容力はさすが、と言うことになる。
駅は結構警戒してベンチを外したり、階段を方向規制したりと準備したのだが、それが功を奏したのか、
あるいはバスの輸送力以上に駅の能力があったのか、大きな混乱ではなかった。
とはいえ、なんかこんな大規模なイベントなら、たまには信じられないくらい人のあふれる野洲駅を見てみたかったりするのだが。
翌日曜日は福井に出かけた。
本当はせっかく出かけたのでえちぜん鉄道にも乗りたかったし、せっかく福井まででかければいろいろともっとゆっくりしたかったのだが、
野洲での野暮用があって昼の電車で戻るという何とももったいないおでかけである。
そんなわけで福井駅上りホームに13時に上がると、ホームには大量のおねえさん方。
どちらかというとちょっと落ち着いたおねえさん、小さな子ども連れも多かった。
ホームはそんなおねえさんで埋め尽くされて異様な光景。
やがてやってきた419系の3両編成は、これが福井かと誰も信じそうにない非日常の光景。
よくここまで乗ったものだ、とびっくりである。
あとからわかったのだが、この日はサンドーム福井で近畿子どものコンサートがあったそうな。
6000人収容(とHPにあった)のホールで、電車利用を1/3の2000人と見ると、ざっと400人乗れる3両編成電車で5本分、まぁそんなものかな。
もしバスなら50台、結構大変だ。
おねえさん方はみんなぞろぞろ鯖江で降りていった。コンサート終了直後の鯖江駅を見たかったな、と湖北の琵琶湖を見ながら独り言。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅が増えても種別が増えないありがたさ
10/17
桂川駅が開業するのに伴い、ダイヤ改正があるそうな。
大阪駅でも時刻表を配布していたのでとりあえずもらってみたが、一体どこが変わっているのかわからず、まるで間違い探しである。
少なくともわだらんが利用するような時間帯は全く変わっていなかったし、
野洲に至ってはダイヤは変わりませんなどとご丁寧に張り紙までしてある。
そもそも桂川駅停車分は既に現在のダイヤで織り込み済みなので、大きくダイヤが変わるわけではあるまい。
もちろん高槻や京都なら1分程度の修正があるのだろうけれども。
今の東海道山陽線、いわゆる本線のダイヤはずいぶん前に現在の姿になっている。
国鉄民営化の直前に新快速が外側を走るようになってはや20年、
昼間のダイヤは現在と大きく変わっていないし、夕方以降も1990年の改正でおおよそ現在の形になっている。
もちろん細かいところはいろいろ変わっていて、
例えば大阪駅上り新快速が12時ちょうどのトワイライトエクスプレスの大阪発と競合しないように、琵琶湖線側と湖西線直通の列車をずらしてみたり、
あるいは深夜の増発や、高槻京都間の普通電車増発といった変更点は多数あるものの、
現在のパターンがもう20年近く前に出来上がって、それがそのまま生きているわけだ。
もちろん今のダイヤがわかりやすくシンプルでかつ完成度の高いものなのであろうし、ダイヤを変えないことが古くさいわけでもないので、それはよしとしよう。
最近の私鉄はやたらめったら列車種別を増やしてみたり、停車駅をいじってみたり、と結構ややこしかったりする。
その点、今の本線のダイヤは列車種別が3つ、停車駅の変化もほとんどなく、接続や待避の関係も単純かつよく考えられていていると思う。
もちろん細かいことをいえばきりがないのだが。
久しぶりに1990年4月の時刻表を見ていると、懐かしい列車が次々に出てくる。
ちょうど花の万博の開催時期で、万博関連の臨時列車が多数あったり、まだ夜行列車がそれなりにたくさん走っていたり、と当時を思い出してみる。
何しろ東海道山陽新幹線はほとんどが0系で、100系シンボルの二階建てマークが周囲を見渡しているように思える。
ひかりはほぼ全ての列車に食堂車またはカフェテリアがついている時代である。
あるいは夜行がまだ「ちくま」が客車で寝台車を繋いでいる。
せめて大阪京都だけでも乗っておけばよかった、と今になってちょっと残念がってみたりする。
もちろん野洲への最終はこの頃0時ちょうどで現在と較べて30分近く早いし、草津までの新快速の多くが野洲発着に延長されていたり、
と野洲大阪で見ればいまのほうがずっといいのは間違いないのだが。
3502Mに乗って、新大阪で座れる。
18:10にホームに上がって、18:20には座れたのだから上出来である。
千里丘でC電を抜き、山崎でT電を抜き、草津でその前のT電に追いつく。
新快速が速いのは常識としても1990年の頃に較べて4つも駅の増えたT電がほとんど同じ所要時間で走っているのが何とも立派だ、
と今の221系や223系を見て思う。
113系も当時はかなり頑張っていたのだが、やはり今の車にはかなうまい。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 天高く財布細る秋
10/15
朝ほんのちょっとの朝寝坊で、いつもの713Mに間に合うかどうか微妙なタイミングになってしまった。
全力疾走すればなんとかなりそうなのだが、さすがにそこまでの元気もなく、結局ゆっくり家をでた。
野洲6:26の715Mでいこう、とゆっくりのんびり。
駅の見えるところまで歩いていくと、2番線には回5642Mが既に停車中。
713Mの後に入線する安土回送となるもので、つまり713Mは問題なく出発していったのだろう、と想像がつく。
ところが、改札前に来ると、715Mは遅れ4分、さらに拡大中なのだそうだ。
なんでも近江八幡付近で濃霧だそうで、列車が遅れているのだそうだ。
そもそも改札に上がるその時、2093列車が通過していったのだが、
この2093列車はいつも瀬田で713Mを追い抜く貨物列車なのだが、それがおよそ5分遅れている。
となるとどうせ1053列車もそれくらい遅れていたのだろうから、1053列車の通過を待って発車する713Mも
4分程度遅れていたのではなかろうか、それならさっき走れば間に合ったか、などといまさら後悔である。
ついに今年も濃霧の季節になってきた。
既に福知山線内では濃霧で列車の遅れが出ているそうだが、琵琶湖線内では今年の夏以降初めてのように思う。
夜になって空気が冷えてくると、空気中の水蒸気が飽和してしまい、水滴になって出てしまうので霧が発生するのだが、
そのためには空気が冷えることと、風のない穏やかな快晴の夜でないといけない。
つまり空気の澄んだ、夜間に冷え込む季節になったわけで、つい最近までい暑いと騒いでいたのが嘘のようだ。
早いものでもう10月も後半である。
最近の10月は鉄道の日関連の行事がどこもかしこも花盛り。
わだらんは結局どこにも行けなかったのだが、まぁ話題が一般人に広まって鉄道を利用する旅行客が増えればまたそれでよし、としよう。
次の日曜は7000系パノラマカーの白帯復活記念運転だそうだが、時間も金もとれないしなぁ。
あたりがすっかり暗くなった帰宅時、野洲に降りると満月がホームの上で輝いている。
澄んだ空気で月の表情もよく見える。
うさぎが餅をついているかどうかは別にして、この先何を優先してお別れ乗車をすべきか、月をめでながらしばし一思案。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 屋根が伸びるとちょっと立派に見えるかな
10/13
地元野洲市で市長選挙があった。
しばらくの間野洲市では市長の選挙がなかったので、さぞ盛り上がるものかと思っていたのだが、
候補者が多数出た割には静かであったように思う。
わだらん個人的には地縁のつながりがあった候補者が負けてしまったので残念であるが、
まぁ新しい市長が何か変わったことをしてくれるかな、としばらく様子見である。
この新しい市長、伝えられるところによると、
「電車の終着駅でもあり、知名度があるのに駅前がなんとも寂しいではないか」と語ったそうな。
実際その通りで、特に乗り越し客が大量に出てくる深夜になると、駅前は空いた店舗はほとんどなく、静かというか、暗い。
まぁ都会の駅でもない限り、駅前が夜遅くまで明るい、ということはないと思うのだが、
それでもせめて駅前広場だけはもう少し明るい方がいいかもしれない。
ところで、以前から何度か野洲駅上りホームの上屋が短いことを書いた。
4両分程度しかなく、12両編成の場合だと編成後ろからでは上屋のない雨ざらしの空間を長く歩く必要がある。
あるいは、野洲で新快速と普通電車の接続の際にも、屋根のない場所で向かいの電車に乗り換えることがおきる。
どちらも12両、あるいは8両なら向かいに電車がいるのだが、編成長さが違う、
あるいは普通電車が6両であったりすると、屋根のないホームで乗換のために移動する必要がある。
いつもの通勤者なら当たり前の話だろうが、休日などの観光客などはちょっとびっくりかもしれない。
そんな野洲の上りホームの上屋が延長されることになった。
14日から工事に入るようだ。工事案内の掲示に依ると、完全に12両分ではなく、
前後に少し短いようではあるがそれでも大きな進歩であろうかと思う。
これで雪の降る寒い夜も少しは楽になるだろうか、あるいは駅員による雪かきの苦労も減るであろう、と思う。
とはいえ、屋根のない広々としたホームは天気の良い昼間、晴天の下では、なんとも気持ちのいいものである。
開放的というか、ひろびろとしたホームの眺めは野洲独特のものではなかろうか、と思う。
大阪駅のように大きなドームがかかるのはまた楽しみだが、でも屋根のない広い空はまた別の魅力か、と思う。
せめて今のうちに広々としたホームを満喫していようか、ちょうど空も高くなっていい季節であることだし。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 座るためにいつから待つか
10/10
先日、どの時点で座れるかの思案をしたのだが、今日は面白い光景にでくわした。
大阪駅9/10番のりばに上がったのが18:37、ちょうど野洲行き3508Mが出て行くところ。
9番の18:45発はぼちぼちと列ができていたのだが、先頭から3人目でとりあえず並ぶ。
この18:45の3510M新快速はいつも大阪を越える車内滞留客が多く、列の前のほうでもなかなか座席にありつくことは難しい。
ただ、大阪を越す人間が多いということは新大阪や高槻の下車客が多いということで、上手に見極めをつければ座りやすい電車でもある。
多くの一見さんは席がないと見るとすぐにドア付近に固まるのだが、それをかき分けて通路に入っていくのがこつ。
結局今日も無事に新大阪で着席できたので、待ち時間と合わせて立っていたのは12分ほど。
なかなか快適な帰宅であった。
さて、その3510Mを待っていると、別の乗車目標位置におじさんが陣取った。
12両編成の12号車、先頭車の後扉の位置である。
つまり、わだらんが並んでいる8両編成の先頭8号車の前扉の隣の列、ということになる。
19:00の3514Mは12両なので、それを待つ、と思われる。
そのおじさんが列の先頭に立ったのは18:40頃、従ってあと20分ほど電車の到着まで待っていることになる。
どこまで帰るのだろうか、彦根か長浜あたりだろうか。
少なくとも18:52の大阪始発の3512Mにならまだ余裕で席の確保できる時間である。
あるいは米原までこの18:45の3510Mに乗れば野洲で810Tに追いつくので、米原まであとの新快速3514Mより先着となるわけで、
そう考えるとこのおじさん、わざわざ3514Mを待っているということはおそらく新快速停車駅の遠方まで行く、とおおよその想像はつくのである。
しばらく見ていると、そのおじさんについて少しずつ列が伸びていく。
やがて3510M運転士氏が現れる。おじさん列より後ろに運転士氏が立つ。
この時点でおじさん列10名ほどの中にいた2人ばかりが、ホームにある発車案内を見てあわてておじさん列から抜ける。
つまりこの列では次の電車が来ない、と理解できたわけだ。
やがて3510Mが入線し、わだらんたちの列の前に先頭車前扉が停まる。
あわてたおじさん列の人たちがこちらにやって来るが、当然座れるどころか、乗り込み列にすら入れない。
そんな喧噪を横目に見ながら、おじさんは微動だにせず、悠々とホームで待っている。
結局おじさん列はおじさん一人になった。
このままあと15分のんびり待っているのだろう。
しかし思うに、座り易さなら前扉のほうが間違いなく楽である。
でもわざわざ後扉位置に列を作るあたり、ひょっとするとこのおじさん、なかなかのくせ者で確信犯的にわざわざ紛らわしいところに立ったのかな?
などと勘ぐってみたりする。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ いつ座れるか、どれだけ座れるか、たまには思案
10/8
比較的まともに仕事が片づいて、大阪駅に17:50頃到着の見込みになった。
もう少し早く17:45の野洲行き3498Mに間に合うとよかったのだが、ちょっと間に合わない。改札を抜けるところでふと悩む。
野洲というところ、電車の本数も比較的多く、便利なところである。
時間はそれなりにかかるが、座るための手段はいくつかあって、ダイヤの乱れでもない限り苦行を強いられることはまずない。
最悪でも京都でほぼ着席できるので、おおよそ30分の辛抱。
その点同じ1時間でも三田や明石までおよそ40分覚悟の神戸線・宝塚線より恵まれていると思う。
さて、17:50とするとどうしようか、17:53の快速806Tは12両で発車間際でも高槻で着席可能、
18:00の新快速3500Mは京都まで立つのを覚悟、18:15の3502Mは12両でいまから並べば大阪で着席できる。
とすると、806Tは18:13頃着席、3500Mは18:29頃着席、3502Mは18:14頃着席となるわけだ。
ちなみに3502Mは草津で806Tに乗り換える必要があるわけで、それならずっと大阪駅のホームに立っているより806Tに乗っていた方がいい、ということになる。
さらに考えると806Tは高槻からほぼ1時間の着席時間、3500Mは京都から30分弱の着席のみ、それなら806Tのほうがゆっくり寝ていられる、となる。
もちろん3500Mのほうが野洲には早く着くわけで、その分早く家に帰れるのだが。
とまぁそんなわけで806Tに乗って今日はのんびり帰宅、と相成った。
12両編成の先頭12号車は神戸線内で前より階段が少ないこともあって大阪到着時点で空席もある。
ざっと乗り込んで、座席が埋まる。列の最後尾近くにいたわだらんは着席できなかったものの、
通路の中央部分に立って、四方の座席を狙える位置、なかなかよい。
結局、茨木で着席でき、その後は京都も知らず、石山まで小一時間夢心地。
まわりの旦那たちが開いている新聞には株安だのノーベル賞だの大きな文字が踊っているが、
わだらんには直接関係ないさ、と周囲がますます明るくなった南草津の西側を見ながら独り言。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車は葬式鉄だが、船はどういうのだろう?
10/6
このところ葬式鉄の材料があふれかえって消化しきれない。
とりあえず名鉄7000系にはもう一度乗りたいし、まだ乗ったことのない犬山のモノレールもやっぱり捨てられないし、
どうせ大騒ぎになる九州夜行には早いうちに乗っておきたいし、富山に残るキハ58は気になるし、
そもそも500系新幹線の東京乗り入れもいつまで持つかわからないし、0系はこの11月で引退が決まっているし、ととても食べきれない。
でも桃花台線ピーチライナーのようにやっぱり乗っておけばよかった、と後悔するのも悔しいし、どうしたものか。
そんななか、この数日ずっと悩んでいる。
なっちゃんの引退が迫っているのである。
なっちゃんの引退でぴんとくる方は少ないかもしれない。決して星野知子(古い!)ではなく田中麗奈でもなく、
なっちゃんという名前を冠した青森函館間青函航路の高速フェリーである。
双頭船の大型フェリーで38ノットの高速を出すまだ就航2年目の新しいものである。
さらに1隻が今年2月に加わって2隻で青函航路を往復していたのだが、昨今の燃料高騰で11月から運休、航路撤退だそうだ。
大型フェリーの船旅はなかなか面白く、機会があれば乗りたいと思っていた。
特に最近バルト海の大型フェリーに何度か乗って以来、横になれる船旅もいいものだ、とよく思っている。
まだできたてほやほやの最新船がすぐに運休してしまうのはなんとも残念で、是非いつか復活してほしいものだが、なかなか状況は厳しいらしい。
航路というのはなかなか安定しないようだ。
もちろん古くからずっと定着しているものも多いのだが、老舗の航路であっても明石岩屋のたこフェリーのようにいつ休航してもおかしくないもの、
福山多度津のようにこのところの燃料高騰であっさりやめてしまうもの、
あるいは津と中部空港の高速艇のように1890円が突然2400円に運賃値上げになるもの、どこも状況は厳しいようである。
そもそも船というもの、最近の一般人には夜行列車同様なじみ薄いものだろうと思う。
四国へ船に乗る必要はないし、北海道は飛行機で、となると船に乗る機会などほとんどなかろう。
わざわざ港まで行くのは面倒だし、いわゆる離島航路以外は厳しい状況なのだろうと思う。
昔船で海を渡るのが当たり前だった時代は、駅の乗換案内に航路が書かれているものが珍しくなかった。
確か笠岡や三原なども航路名の乗換案内があったと思うし、大津には琵琶湖汽船乗換の案内がある。
大津の場合は観光目的で微妙に定期航路と目的は異なるが、それでも港が近いですよ、
という案内はなんとなく旅に出ているようでちょっとうれしくなったりする。
駅に鉄道の日乗り放題切符の案内が出ている。
どこか出かけてみたいものだがさすがに普通列車で青森まではほど遠い。
このままではやはりなっちゃん乗船は無理のようだ。こうなったらなっちゃん2隻をジャンボフェリーが買ってくれないか、
とひたすら祈念することにしよう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ボックス席が旅の友
10/3
2日木曜日の朝のことである。
以前木曜日に583系で痛い目にあったのだが、またこの朝も中途半端に寝坊して3405Mの客となった。
もちろんダイヤ通り走れば就業時間には充分間に合うし木曜日は確かにすいているのである。
この日も野洲で前向き座席を確保し、熟睡状態である。
別に後ろ向きに座ることを生理的に受け付けないわけでもないのだが、何となく前向きに座る方が優雅な気分になれる。
どうも優等列車は前向きに座るもの、前向きに座る列車がいい車両、という感覚がもう永年しみこんでいるのだろうと思う。
もっとも欧州ではもともと車両は馬車からの発展なので、向かい合わせに座るのが当たり前、前向きにこだわることなどないので、
韓国にフランスのアムストム社が高速鉄道用車両を輸出した際にはなんで前向きにならないのだ、と苦情が大量にあったそうな。
韓国人の前向き信仰をフランス人が理解していなかったためだろうが、
案外韓国人の前向き信仰には日本の新幹線などの影響も大きいのかもしれない。
いつものように熟睡し、観覧車で目が覚めると大阪駅。
いつものようにホームに降りてちょっとびっくり。人が多いのだ。あれ、と思って見回すと、向かい3番に583系が停まっている。
つまり3405Mの後に発車する福知山線2533Mが発着線変更で4番になっていて、そのための列がホームに長く伸びているのだ。
一方3番に陣取ったのは座席車扱いの583系、岡山県西部に本部を構える某宗教の団体客用臨時列車であった。
車内はそれぞれ地区ごとの割り当てがあるようで、9号車は満席、10号車はまったくの空席だらけであった。
そんな満席の車内では朝からお弁当を広げたり、大げさな身振り手振りで話し込んだりと発車前からずいぶん和やかな雰囲気。
乗客全員がある一つの目的のためという限られた世間ではあるが、でもこれから楽しく出かけるぞ、というなにか気持ちの和む車内の様子を見ることができる。
座席扱いの車内は当然ボックス席である。
とはいえ、通勤電車のボックス席よりはるかにゆったりした広い座席はさぞ快適だろうし、周囲とも話しやすいだろうと思う。
そんな雰囲気を見ていると、やはりボックス席もいいものだと思う。
もちろん見ず知らずの客と4人で座っているとどうしても窮屈だし、苦痛にもなるのだが、
逆に空いているときには足を伸ばして楽に過ごせるし、あるいは向かいに座った人と話が弾むかもしれない。
そんなわけで前向き信仰にどっぷり浸かったわだらんではあるが、ボックス席は嫌いでないのである。
もちろん後ろ向きに座るのは残念に思うが、前向きならボックスのほうが空いた車内では好きだ。
いつもの223系も実は車端部のボックス席が好きだったりする。窓も大きい(2次車以降)しね。
ついこの前八幡浜までキハ58と四国7000電車でボックスを充分楽しんだわだらんではあるが、またどこかボックスで足を伸ばして出かけたくなった。
そういえば、583系の座席車には乗ったことがない。
「きたぐに」にはなかなか乗れないから、また近日北陸へでも出かけてみようか、北陸線はボックス席の宝庫なのだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車両が揃えば運用効率は上がる
10/1
223系が本線に初めて登場した頃は223系の他に221系や117系、さらにはもちろん多くの快速は113系で運転されていた時代。
223系がやってくるとなんとも珍しいものを見たものだ、と思っていた。
今のように223系が当たり前になってしまうとそんな珍しさはどこかに飛んでしまい、またか、とでも流してしまう。
わだらん的には運用を追いかけるためには223系だからこそよく観察すべきなのだが、なかなか当たり前に思っていると運用ごとの使用車両をメモ取ったりまでできない。
運用ヲタ失格か。
まぁ駅で見ていても223系とたまに221系が来るくらいのもので、車両の変化という点では以前のような面白みや華やかさはなくなってしまった。
しかたのないことであろう。
そういえば先日の日曜日、野洲川の河原でごろごろしていた際、700系こだまを見かけた。
新幹線700系といえばのぞみの代表車両ではあるのだけれども、最近はN700系に追われてひかりやこだまとして運用される例が増えている。
1999年量産開始でまだ10年にならないのに早くも運用主体がひかりに移行してきているのはずいぶんもったいないようにも思えるが、
もう300系の一部には廃車も出てきているし、世代交代の早い新幹線車両ではこれまたしかたのないことであろう。
ところで、東海道新幹線は原則として形式を跨いで車両の振替が可能である。
つまり何かの理由でダイヤが乱れた際に本来の運用に当てる車両と違う車両で代走してもなんら問題がないよう、座席数や車内設備を極力揃えているのだ。
今の東海道新幹線は全て時速270km出せるもので揃えられているわけだ。
もちろん車体傾斜ができ高加減速のN700系ダイヤに700系を当てると遅れが出てしまうが、それでも手っ取り早く折り返しをあてがうことができる。
そうすることで少しでも見た目の遅れを取り戻そう、悪く言えばごまかそうという戦略である。
車両の形式間での違いが少ないというところはあるが、よく工夫されたものだと思う。
もちろん究極的には全ての車両が皆同じ形式同じ編成で統一されていれば一番楽なわけで、今の山手線などは運転整理がずいぶん楽だろうと思う。
その分同じ車両ばかりでつまらないが。
大阪19:45の3516Mに乗る。
ホームに上がった時点では既に電車が入線している、つまり乗車列の相当後ろの位置から乗ったのだが、
車内通路奥へと人をかき分けて進んだおかげで新大阪下車客のあとをしっかり座席確保してしまった。
大阪駅で長い時間待っていた方には少々悪い気もする。
そんな3516Mでさっそく熟睡し、目が覚めると草津だった。
ずいぶん草津を過ぎると車内も落ち着き、寝ている人もちらほら。みんなお疲れモードである。
ただ、この3516Mは気をつけないといけない。野洲着後入庫せず直接折り返しの843Tになるのである。
入庫しないので車内巡回もなく、野洲で起きないとそのまま再び逆戻り。
新快速で上ってきた電車が快速で下っていくのも223系の増備の進んだ結果であって、運用を考える上でもずいぶん役立っているのだろうと思うのだが、
そんなことを知ってか知らずか、もうすぐ姫路行き発車だというのに、逆向きに座ったままの旦那が数人。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |