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08年 11月

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632.  11/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  タッチとパンチは紙一重

631.  11/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  無料バスは集客の目玉か

630.  11/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大人の京都は静かな京都なはずなのだが

629.  11/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  複々線でありがたい

628.  11/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新駅開業で乗客が増えたのだろうか?

627.  11/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  周囲を白く包む美しく幻想的なやっかいもの

626.  11/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  有馬線はありません

625.  11/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  リリーフトレイン

624.  11/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  立って飲む、つまみは流れる景色

623.  11/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  川を越すと天気が変わる

622.  11/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  列車自体は早くなったのだが、列車がない

621.  11/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  なんとか警部の列車殺人事件は読まない

620.  11/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  粛々と旅程がこなせるために

619.  11/2  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  商業施設より集客力のある車両基地

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  タッチとパンチは紙一重

 

11/28

このところ朝頑張って早起きして野洲5:57の709Mに乗っている。

スマートICOCAの早起きキャンペーンにつられているだけの安っぽい理由で、

朝の時間を有効に使おうとか、体のために早起きしようとか、そんなまじめな考えはどこにもない。

事故などなければ大阪7:09着で、キャンペーンの時間に納まるのである。

次の711Mだと間に合わない。そんな理由で毎日早起きしている。

御堂筋北口のキャンペーン登録機は一台だけで、最初は並ぶ覚悟かと思っていたのだが、

実際に始めてみれば並ぶどころか利用者がほとんどいない。

改札で見ていると、多くの客がIC利用に見えるのだが、スマートICOCA利用者はまだまだ少ないのであろうか。

まあわだらんにとっては登録機前で並ぶ必要がないだけありがたいわけであるが。

 

しかし定期入れから出す必要がないのを謳い文句にしているICOCAを

わざわざ定期入れから出して登録機に入れなければならないのはちょっと面倒である。

どうせなら読みとり機に当てるだけで登録できるようにしてもらえればいいと思うのだが

まぁ機械の筐体がチャージ機と同じものなので仕方ないか。

キャンペーン中のわずかな期間のみの使用なのだから。

 

今はもうすっかり死語になってしまったが、昔は「持たせ切り」などとよく問題になったものだ。

改札係員が乗客から切符を受け取って鋏を入れてから返すのが本来の姿なのだが、

一部の横柄な駅員が切符を乗客に持たせたまま鋏を入れる、ぞんざいで横柄な状況。

よく国鉄末期の「客を客と思っていない」態度として世間のやり玉にあがったものだ。

今となっては、都市圏の駅では切符に鋏を入れるどころか、改札係員すらいなくなってしまった。

昔は改札口にずらっと駅員が並んでいたものだが。

 

先日某公共放送教育テレビの朝の小学生向け番組内でのコーナー「ひらめきリレー」の中で「自動改札」というのが出てきた。

小学生二人である姿勢をとることで何かを表現するのだが、この小学生の「自動改札」は一人が背中を丸めた形、

改札機で、もう一人は乗客で改札機、つまりもう一人の小学生の背中を手で叩く、というものであった。

つい最近まで自動改札とは切符を投入するものだと思っていたのだが、今の子どもにとっては自動改札は叩くもの、らしい。

もちろんわだらんも毎日4回、スマートICOCAで改札機を叩いているが、でも本来の改札とはちょっと違うような気もする。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  無料バスは集客の目玉か

 

11/26

西宮阪急の吊り下げ広告が新快速の車内で踊っている。

琵琶湖のはずれのほうからすればとてつもなく遠いところ、縁遠いところであるし

、実際主に阪神間の山手住民を狙った集客施設で新快速というかJR利用者はごく一部程度しか直接関係ないだろうけれども、

まぁ告知という点では効果大であろうか。

夕刊などにも取り上げられていたので、知名度は既に結構あるかもしれない。

もともとは西宮球場であったところの跡地利用なのだが、球場がなくなってもう長きになってしまいあまり球場の記憶もぴんとこない。

オリックスの移転が1991年からだそうで、もともとテレビ中継が少なかった球場なので、どうしても日本シリーズの一部試合などの印象だけが残っている。

そういえば球団経営自体私鉄はほとんど撤退してしまったし、球場が鉄道利用客誘致の目玉という時代ももう終わってしまったのだろうか。

今ある球場で直接鉄道会社が運営に絡むのは阪神と西武だけ、あとは地下鉄沿線だったり、JRだったり、単に大規模イベントで一くくりになってしまう。

 

大津には競輪と競艇があって、開催時には駅から無料バスが出る。

競馬場が無料バスを出すという話は聞いたことがなく、集客力の違いを表しているようだ。

競輪や競艇は大津だけでなく各地で無料バスを出しているし、あるいは往復乗車券提示で運賃負担などのサービスもあって、結構大盤振る舞いである。

大津の駅前からは競艇も競輪も無料で行けるし、津競艇は桑名や伊賀上野から、さらには尾鷲から無料バスが出ている。

そんな競輪競艇の無料バスに一度乗ってみたいと思うのだがもともとそういったたぐいのところに出かけたことがなく、どうしても躊躇してしまう。

 

ところで、今日26日は草津の某モール開店の日でもある。

西宮阪急の影でぱっとしないがここも相当な規模である。どちらかといえば市街地から少しはずれた場所ではあるが、草津からも大津からもそう遠くない便利な場所である。

逆にそのぶん車が集中しないかちょっと心配ではあるが、どうしたものだろう?

ちょっとびっくりしたのはこの某モールに向けての路線バスが結構充実していること。

もともと矢橋循環などの路線バスがあったとこりで、その系統立て替えではあるが、南草津から時間4本、瀬田から時間2本とはなかなか便利。

もっとも無料でなく、単に近場の路線バス乗り入れと言ってしまえばそれまでだが。

環境の話題もあってか、ここ最近できた守山も一里山のSCもバスアクセスを謳っていて車のみでない姿勢はうれしかったりする。

 

で、この週末からしばらくの休日、瀬田駅から先週開業した一里山のSCへ無料バスが出るそうである。

無料に釣られてちょっと出かけてみるか、と思う。

瀬田の線路を挟んだちょうど山側と湖側にできたSCへのバスが並ぶ姿はちょっと面白そうである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大人の京都は静かな京都なはずなのだが

 

11/24

いつの頃からか、京都は大人の観光地になった。

京都へ旅行するというと修学旅行と外国人客と決まっていたのだが、

最近は湯葉や湯豆腐の京料理だとか、川床の料亭とかあるいは嵯峨野だの東山だの鞍馬だのと修学旅行には縁のなさそうなものがやたら人気である。

おそらくは某旅客会社の「そうだ京都、行こう」キャンペーンあたりとその前後の大人向け雑誌の影響かと思われるのだが、

金を落としやすい年齢層の高い観光客が増えるのは経済効果がずいぶんありそうに思える。

金閣寺や清水寺だけでない幅広い京都の魅力が認知されるのは鉄道にとっても悪い話ではないと思う。

 

しかし最近、京都の特定日の混雑は異様である。

昨年東福寺に出かけたときはJR東福寺駅で改札を出ることのできない降車客の行列を目の当たりにしてびっくりしたことがある。

東福寺駅の改札は小さいもので多客に耐えれるものではないのだが、その前に東福寺駅前の道路が人で埋まっていたという、なかなか恐ろしい光景であった。

この時わだらんは開門前に並んだので入山券購入にわずか20分程度並んだだけで済んだが、

その後は寺の山門前に着くまでに長い行列をしていかなければならなくなった模様である。

これでは近郊から日帰りで気楽に、と思っていた観光客はここ一つで終わってしまいそうだ。

そんな多客に輪をかけて道路の渋滞がひどく、目的地になかなか着かないようだ。

市バス206系統で京都駅から清水坂まで1時間近く、とかいう話はざらにあるし、京都駅から七条通まで20分は覚悟だそうだ。

そもそも5系統や206系統などバスが来ても乗れるかどうかわからないような行列だし、まずます外来者はびっくりだと思う。

 

そんな状況を少しでも改善したいと昨年あたりからJRと京阪の東福寺乗換作戦を展開している。

確かに清水寺なら京阪五条(最近は清水五条というのだが)駅から歩ける(ちょっと根性がいるが)し、

平安神宮も知恩院も京都駅からバスよりは京阪の各駅からのほうが便利そうだ。

ただ、東福寺駅があんな狭い状況でかつ東福寺への観光客であふれかえっているとその乗り換えすら大丈夫かいな、と思う。

まだ山科で地下鉄乗換なら機動力がありそうなので、JRの京都市内駅+地下鉄+市バス均一区間内の乗り放題切符があれば、

外来者にもわかりやすいような気がするのだが。

 

山科駅のホーム中央付近から見える駅北側の民家で今年もクリスマスの電飾が始まった。

紅葉をめでる季節ではあるのだが、夜はもみじか電飾か、そういえば京都駅のクリスマスツリーは11月1日から既に点灯しているそうだ。

最近は秋と冬の季節の境がはっきりしないなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  複々線でありがたい

 

11/21

急激に冷え込んで北陸あたりでは雪の便りも聞こえてくるようになった。

もう11月も後半、いつ冬になってもおかしくない季節、琵琶湖線内もバラスト飛散防止のネットが目につくようになった。

冬と言えば関西ではカニか?福知山線などはカニの季節が一番の書き入れ時で、普段4両の特急が6両になったり。

まぁ雪に強いと列車が利用されるのはありがたいことだ。

とはいえ、福知山線の列車の遅れは即座に本線上りの遅れにつながる。

特急が単線区間で遅れを作ってそのまま新三田以南に持ち込むと、C電が遅れる。

少々の遅れなら大阪駅での停車時間で調整できるが、それを超すと高槻でT電と新快速の遅れを作ってしまう。

昔福知山線からのC電が京都行きだった頃は福知山線遅れを尼崎でT電がすぐに拾ってしまったが、系統立て替えで少しは遅れを吸収できるようになった。

とはいえ、単線区間の遅れはなかなか収束せず、長い時間C電を乱すことも多い。やっかいなものだ。

まぁ、多客でダイヤが乱れるのはある面歓迎されなければならないか、どうだろう?

 

ところが、今日は別の理由でC電が遅れを作ってしまった。

伊丹で踏切非常ボタン扱いとかだそうで、大阪駅に上がると7番側普通電車に遅れ表示。

5分ならまぁ大きい騒ぎにならぬかと、19:15の3516Mに並ぶ。

並ぶと言っても12両でもともと長い編成の上に、先行19:00の3514Mも12両、しかもその前には15分間隔に割ってはいる3本の新快速もあって、

この3516Mはかなり空いた、おそらく夕方以降の新快速のなかで最も空いている、着席しやすい電車である(と思う)。

19:07に列に入るが、それでも前から2人目であった。

目の前を遅れたタンゴエクスプローラーが通り過ぎ、やがて3516Mが入ってきた。

思っていたより車内残留客が多く、優先座席の前向き窓側で座席確保。

向かい合わせでかつ優先座席は少々居心地が悪いものの、この時間大きく混まず、経験上妊婦さんも少ないのでまぁ、よし。

結局新大阪を過ぎて寝入ってしまい、目が覚めると大津であった。

 

ところが、これまた目が覚めると世間が変わっていて、車掌氏は「電車遅れて申し訳ありません」と言っている。

寝ている間に遅れたのかな、徐行や停車をしていたのだろうか、全く知らなかった。

何かあったのだろうか、と立ち客がいなくなって座っていながら前を見る。

この3516Mは京都以降も外側線を走る電車で、やがて内側に何か列車がいることがわかる。

列車は先行の814Tで、南草津で追い越す。

結局草津で814Tの接続を待って3516Mが先発、野洲へは5分遅れであった。

あとから野洲着後運転士氏にぼそっと聞いてみると、高槻入線に手間取ったとのこと。

もともと3516Mは外側なので、あっさり814Tを抜いていったが、内側の新快速なら前がつかえてしまう。

複々線のありがたみさまさまである。

 

野洲に着くとホームも路面も濡れている。夕方小雨が降ったそうだ。

もっと冷え込むと雪になる天気、これから福知山・山陰線の天候や混雑具合が気になる季節である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新駅開業で乗客が増えたのだろうか?

 

11/19

このところ新駅開業の影響なのか、あるいは乗客の乗降マナーが悪いのか、どうも帰宅時の電車が微妙に遅れることが多い。

大騒ぎする遅れではないのだが。

 

今夜は混雑激しい18:00の3500Mで帰宅。

どうせ座れないのだからと少しホームを歩いて、電車が入ってきて列に並ぶ。

結局車両は4号車、ちょうど編成の中間である。

この場所、ちょうど大阪も新大阪も、さらには高槻も京都も階段に近いところで、最も人の出入りが激しい。

ということは考えようによっては座れる可能性も高いところ、といえるかもしれない。

実際大阪以西からの新大阪や京都客ならわざわざ編成の前後に動かずとも、中間あたりで座席を取れる可能性は高いわけで、

確かに乗ってみると大阪での降車に負けないくらい車内に残留する客が多い。

つまり大阪では座れる確率が極端に低いわけで、一見さんが頑張って列の先頭に並んだあげく座れなかった、と嘆く姿が目に浮かぶ。

もちろんわだらんは座れるどころか通路にすら入れず、かろうじて新大阪で中に入る。

数名の下車があったが、座席の横にいない限りはとても席を確保できる状態ではない。

でもそのわずかの下車客のおかげで、通路にわずかな隙間があいて、強引に中へはいる。

ドア付近に立っている人間からすればわざわざ人の間を動くわだらんが目障りだろうけれども通りすがりと許してもらおう。

そんな苦労の甲斐あってあっさり高槻着席。

ありがたいことだ。

 

目が覚めると電車が遅い。

いかにも警戒か場内停止を見ているような徐行中。

まわりは真っ暗、場所が最初わからなかったが、よく見ると草津の第一場内を越えたあたり、とわかった。

草津駅5番に先行804Tがいるのだろうか。

 

最近前を走るT電に頭を抑えられて微妙に遅れることが多いのだ。

今日も結局野洲で3500Mは4分遅れになった。

804Tは6両なので特に遅れやすいのかもしれないが、その前の8両編成の802Tでもよく遅れることがあるので、どうやら短編成ばかりが理由でもなさそうだ。

遅れの理由を確かめるにはわだらんが自分でT電に乗ればいいのだが、夜の早いこの時期、暗い中で単調なT電に乗ってずっと起きているのは至難の業。

どうせ寝てしまうのなら所詮5分程度の話なので、あれこれ考えない方が人生楽か。

 

とはいえ、やはり5分は大きいことかもしれない。

特に草津線接続などでは大きいだろう。

来年春にはT電がもっと編成を長くしてくれるよう、すっかり冬の様相になった星たちに願いを託してみよう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  周囲を白く包む美しく幻想的なやっかいもの

 

11/17

有馬温泉に宿泊したのは昨日書いたとおりなのだが、

泊まった宿(結構有名な、おそらく関西人なら誰でも歌えるCMソングの宿である)の部屋が道場三田方面に見通しの効くところであった。

西宮北ICのあたりや、山口町の山の上のガスタンク、あるいはおそらく有野台であろう高層住宅などがよく見える。

残念ながら夕方になって雲が出てきたので夕焼けを見ることができなかったのだが、仲居さんに言わすと晴れた夕方はちょっと感動ものなのだそうだ。

何となくわかる。

その仲居さんが「冷え込むと雲海が見える」と言っていた。

確かに谷がずっと下に見える。

帰ってから地形図を見ると、宿がおよそ標高400m、さらに部屋は12階だったので地上から20mくらいはありそうだ。

一方、例えば西宮北ICあたりで200m強、道場や三田あたりは標高150mほどである。確かに見下ろす位置で、雲海もきれいに見えるのだろう。

雲海、一面に広がった白い世界はなかなか幻想的である。

 

ところが、飛行機から見る雲海なら確かに雲だろうけれども、このような山の上から見る雲海というのは地平では霧の状態である。

空気中の水蒸気が気温の下がった夜から朝にかけて地面付近で冷やされて、飽和状態の水分が目に見えるようになったもの。

夜霧、朝霧などきれいな言葉なのかもしれないが、電車にとっては大敵である。

この部屋の窓から雲海が見えている朝はきっと福知山線は大騒ぎなのだろうと思う。

 

月曜日は朝からそんな霧で電車が大量に遅延したそうだ。

高槻あたりの車窓を写したものを掲示板で見たのだが、確かに前が見えない。

列車の運転は極論を言えば前が見えなくても信号さえ見えていれば走ることができるのだが、その信号が見えないようでは列車は走れない。

定められた信号の確認位置で信号が見えないと、確認できる位置まで最徐行しなければならない。

時速130kmで走れる、またそんなダイヤを組んでいく区間で時速25km以下の徐行ではすぐにダイヤは乱れるし、

来ない電車に乗客はいらいらし、開かない踏切は無謀横断される。

京都線や琵琶湖線のような列車本数の多いところでは、乱れが大きくなってなかなか戻らない。

ましてや相手は霧、自然現象でいつ解消するかもわからない。

やっかいなものだ。

 

山崎高槻あたりの霧の発生が7時前後からのようであった。

709Mに乗っていたわだらんはそんな霧の発生など全く知らずに、定刻に大阪着。

ICOCAの時差出勤ポイントにつられて朝早く電車に乗っていたのだが、結果的にこれがよかった。

早起きは三文の得、ということか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  有馬線はありません

 

11/16

金曜土曜と仕事を一日休んで一泊旅行をしてきた。

地元のとある団体旅行に参加してのものであるが、

こんな旅行でない限りわだらんが有馬温泉に泊まるなどというのはおそらくないであろう、と思う。

もちろん団体旅行の目的は決して有馬に宿泊するのではなく、神戸市とその周辺での勉強会である。

ただ、神戸といっても六甲の裏側、神戸市西区だの三木市だのともともとわだらんがほとんど知らないあたりで、バスでうろうろ一日半、

ときたま線路が見えるとほっとするが、しかし神戸電鉄、しかも粟生線では線路が見えても全然どのあたりかわからない。

某施設ではパンフレットに駅徒歩5分とあって、あわてて周囲を見回すがどこにも駅がない。

このあたり、神戸市お得意の山削り造成地で、谷に沿って走る神戸電鉄の駅など山の上の造成地からは見えないのだ。

ましてや取り付け道路も当然山の上を削ったところなので、方向すらわからず、なんとも不思議な感覚になる。

知らないところでもたいてい線路が見えるとほっとするが、線路が見えても安心できない、線路に関係ない道がどんどんできているのは、

バスにただ乗っているだけのわだらんとしては少々つらいものがある。

もっともこのあたり、川の流れが西へ向いて、しかも谷は東西方向が多く、なかなか簡単に地形が飲み込めない。

神戸の裏側(というと唐櫃や鈴蘭台などに失礼か)の雨水がぐるっとまわって明石や高砂で海に注ぐのはちょっと不思議に思える。

 

しかし山の中をずいぶん削ったものである。至るところに住宅団地や工業団地ができていて、

谷の街道筋から突然のような取り付け道路があったり、あるいは突然上から高速道路がやってきたりする。

阪神高速北神戸線などはもともと高いところを通っているので、ランプウエイが山をぐるぐる回って降りてくる。

あれだけ高いところをほぼ直線で道路が延びれば川に沿ってくねくね走る電車はとても所要時間で勝てそうにない。

有馬温泉へのバスがどんどん新設させるのがわかるような気がする。

金曜日の夕方に有馬温泉に着き、荷物をおいて団体の他の連中が風呂に入りに行く間、温泉街を散策してきた。

もちろん散策とは言い訳で、当然目的は阪急バスのバス停を見に行くためであったのだが、行ってみてびっくり、とにかく日帰り客が多い。

バス停でぞろぞろバスを待っている。

有馬が宴会客の低迷で日帰りに軸足を移して復活した話は結構有名だったりするのだが、

まさにその成功例を目の当たりにしたというか、高速大阪行きも、三田や宝塚への路線バスもよく乗っている。

三ノ宮への路線バスも結構乗っていて気になったのだが、ここからは見えない新規なぐり込みのJRバスはどうなのだろう?

 

こんな状況を見ているとふと昔あった国鉄有馬線が今JRで残っているとどうなっていたかと想像してしまう。

有馬温泉への足として定着していたか、ただ駅の位置が温泉街から離れているので若干不利か。

でも温泉客より西宮市山口地区の通勤の足として生き残る、いや大化けしたのでは、と思ってみるがどうだろう?

東西快速、木津発有馬温泉行きなどと想像してみるが。

 

しかしたかが一日半そんな山の上をうろうろしただけなのに、

午後新神戸トンネルを出た際に生田川を渡る223系を見て、「帰ってきた」と思ってしまうわだらんであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  リリーフトレイン

 

11/13

リリーフトレインという名前で呼ばれる列車がある。

わだらんが最初にこの言葉を知ったのは何かの書物でにあった記載で、欧州、特にフランスなどでバカンスの期間中、

避暑地や行楽地に向かう列車のなかで特定の混む列車について、その列車の直前に同じ運転区間、同じ(に近い)編成に

よる列車を走らせて、列車の混雑の緩和に役立てるのだそうだ。

日本でも昔は金星51号とか越後51号などという臨時列車があって、いわばリリーフトレインであった。

今でもムーンライトながらには臨時ながらが時折運転されるが、これも仲間になる。

ということはよく言われる救済臨とリリーフトレインは同意語になるわけだ。

 

もっともこのリリーフトレインというのは、主に特定の列車について運転されるわけで、一日1本とか2本しかない列車につけられるものだ。

なので、例えば雷鳥のように一定時間間隔で運転されている列車に救済臨という名付けは似合わない。

実際、ドイツのような1時間間隔で繰り返し列車の走っているようなところではリリーフトレインというのは見たことがない。

(ドイツでも夜行列車では救済臨がある)

つまりリリーフトレインというのは特定の列車に集中する乗客を捌くためのもので、規格化されたダイヤでは起こらないのである。

昔のように大阪から福岡まで「かもめ」や「つくし」に乗らなければならない、というのであれば確かに救済臨も必要なのだろうが、

今のようにのぞみが終日にわたって時間2本も走っている世の中では、臨時が走ってもなんの救済臨かわからない状態になってしまう。

 

といいながら、実は琵琶湖線には定例の救済臨がある。

春と秋に行われる県の体育大会で大量の高校生が彦根に向かうため、700Mの直前に臨時電車が走るものである。

もう3年ほど前であったか、6両で運転される700Mにこの体育大会のために高校生が集中し客扱いに時間がかかって大幅な遅れを出し、

かつ乗り残しが発生してしまったのである。

なんでこの時に、いままでも体育大会はあったのに、と少々不思議なところはあるが、

それ以来救済臨を700Mの前に運転するのが定例化してしまった。

しかしそんな救済臨が走るということは、琵琶湖線のダイヤもまだまだ規格化が遠い、ということになるな。

実際朝の琵琶湖線上りは下りに負けじと相当な混雑なのだがこれも結局のところ列車が少ない、編成が短いという問題の改善が

遅々として進まないためで、日中以降安定した成熟したダイヤの琵琶湖線もこの朝上りはずっと未成熟なのである。

 

夕方セクション内に電車が停まってしまったとのことで、20:00の3522M目標で大阪駅に向かったわだらんは25分遅れ表示に唖然とする。

結局20:02のC電高槻ゆき、茨木乗換824Tと乗りつなぎ、高槻から野洲まで座ってのんびり帰った。

新快速が一本抜けて、824Tもいつもよりかなり混んでいたのだが。

その3522Mは824T野洲着直後にすぐにやってきた。

ほぼ30分遅れで車内はよく混んでいる。みなさんお疲れさま、である。

 

しかしびっくりしたのは、3522Mの直後にほぼ定時の3526Mがやってきた。

しかも12両の長い編成である。直前を走る3522Mに乗客は集中し、あたかも3526Mのすぐ前を走る救済臨である。

救済された(いや、実際には救済臨ではないのだが)3526Mはまさにがらがら、こんなに空いている新快速を見たことがないぐらいによく空いている。

まぁいくら帰宅時ラッシュであっても、直前の列車に乗客が集まれば直後の列車はがらがら、ということのようだ。

1両に10人も乗っていない、しかも12両の新快速になぜか同情してしまうわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  立って飲む、つまみは流れる景色

 

11/11

ちょっと一杯立ち飲みで、などというのはおじさんの楽しみ方であって、若い人にははやらないだろうとは思うのだが、

でも帰宅途中に軽く酒を飲むのは楽しいことだ。

もっとも立って飲むからさっと帰れるのであって、腰を落ち着けて座って飲むのとはまた違った本当に軽い酒であって、

泥酔しないところがいい、などとわだらんは勝手に解釈をしている。

まぁ某首相には立ち飲みなどという安い酒は縁がないのだろうが。

 

しかし昔から通勤電車の酒飲みというと常磐線と阪和線が定番である。

決して常磐線や阪和線を見下すつもりなどなく、最も庶民的ないい電車ではないか、と思う。

むしろわだらんには某歌劇団電鉄のような上品で雰囲気は全く合わず、泥酔しない程度に電車の中で軽く飲める雰囲気こそ楽しいものだと思う。

 

どうせ混んでいるのだから、とあまり真剣に歩かないで大阪駅の改札をくぐると案の定18:00の混んだ新快速が頭の上で音を立てる。

ちょうど3500Mの発車であった。

18:15の3502Mなら今から並べば座れるが、かといってずっと待っているのも退屈、

と桜橋口に近い構内のコンビニで缶酎ハイと揚げせんべいを買って806Tを待つ。

わずか200円ではあるが、これで車内の友としよう、などとうきうきしながらホームにあがると結構な列ができている。

ならば、と以前から一度やろうと思っていたトイレ前に立って立ち飲みをしよう、と最後尾1号車の前扉の列につく。

景色を眺めながらの立ち飲み、これもまた乙なもののはずだ、とちょっとうきうき。

 

ところがそんな夢を一気に砕くように、やってきた電車に吸い込まれる乗客のしかもまだ列の早い、着席できそうな人間が2名、

とっととトイレ前の窓を占領してしまう。

さっそく一人はお酒を飲み出すし、もう一人は新聞を存分に開いて、もう自分の世界に入っている。

せっかく外を眺めながら軽く立ち飲みしようと思っていたのに、先客がいてはつまらない。

結局茨木まで立って、高槻で窓側を確保して、いつもの一杯と変わらない、ありふれたものになってしまった。

もちろん高槻を過ぎればトイレ前も空いているのだが、12両の最後尾、がらがらの車内でわざわざ立って酒を飲むこともあるまい、と思う。

せっかく大きな窓を横にして走る立ち飲み屋気分を味わうつもりであったので、ちょっと残念であるが。

 

酔いが軽く回って一寝入り。南草津で目が覚める。車内は落ちついていて、静かな時間が過ぎている。

ふと目を上げると0系新幹線の引退告知ポスターが。

この告知自体今まで何度も見ているのだが、そういえばビュッフェがあったなぁ、

もう一度ビュッフェで立って外を眺めてみたいなぁ、と急に思いが募るのだが、さてどうしたものか。

わだらんが社会人に成り立ての頃は、ビュッフェで外を眺めながらビールを飲む、

何かすごい贅沢な気分になったものだ、と少し昔を懐かしんでみる。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  川を越すと天気が変わる

 

11/10

朝5:57発の709Mに乗ろうと家を出る。

まだ真っ暗な闇の世界で、駅の周囲だけ煌々と電気がついている。

野洲駅の上りホームは上屋の延長工事が始まって、ホームの中心部を前後長い区間で囲いがされてずいぶん狭くなっている。

屋根が付くのはとてもありがたい話なのだが、ホームが狭いのはなんとも面倒である。

ただ、その囲いの柱に蛍光灯がおのおのついていて、少しホームが明るくなったような。

夜の暗さとまたちょっと違う朝の暗さであるが、でもやっぱり駅に電気がついて明るく出迎えてくれるのは心強いものだ。

 

もともと眠りの時間の少ない野洲駅であるが、すでに6時前ともなれば何本か電車は発着し、乗客もホームで電車を待っている。

理由はさまざまあろうが、みなさん早起きだな、と感心。

もともと野洲駅のあたりは東側の線路に近いところに三上山など山が連なっていて、日の出が遅い。

特にこの時期、ちょうど希望ヶ丘の奥、田中山の裏側から日が昇るので冬至の前近くになると7時でも日があがらない。

考えようによっては日の出を見やすい、とも言えなくはないが、やっぱり早く明るくなってくれたほうがいい。

そんな暗い中をみなさん駅まで駆けつけるのだから、ご苦労なことだ。

もっともこの時間に間に合わすように起床して仕業点検を行う運転士氏などもっと暗いうちから起きておられるのだろうけれども。

 

ずいぶんと朝冷え込むようになった今日この頃、そういえばまた線路のバラストの上に飛散防止用のネットが張られるようになった。

そろそろ冬支度である。

テレビの天気予報で「立冬を過ぎ各地で冬を迎える準備」どうのこうの、と解説していた。

そうか、栗東を過ぎると冬支度か、と一瞬考え込んでしまった。

確かに草津には分岐器融雪装置がなく、野洲にはついているのである。

新幹線のスプリンクラーも野洲川橋梁以北である。

なるほど栗東を過ぎて冬支度、と自分で納得してしまった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  列車自体は早くなったのだが、列車がない

 

11/8

また新名神を走ってきた。

何度走ってもこの距離感覚は掴みづらく、いや最初からこんなものだと思っていれば何も気にしたいのかもしれないが、

少なくとも土山で一号線を跨いだ直後にトンネルに入って、出たところが既に亀山の北はずれというのはなんとも不思議である。

確かに地図を見れば、土山のすぐ隣は亀山なのだが、昔の鈴鹿峠は一体どこへ行ったのだ、とぶつぶつ言ってみたりする。

というか、よろよろ登りながら進んで県境が鈴鹿峠の357m、でも新名神は既に標高300mあたりのところを

山の上に大きな橋を架けて走っているのであって、もともと高い位置でしかも長いトンネルで一気に抜けてしまえば峠などわかるわけもない。

むしろ面白いのはその後の東名阪道で、まだ比較的早い時期に作られた高速道路で、

当時はこれでもずいぶん山よりに作ったものだと驚いていたりしたのだが、

それでも三滝川や朝明川、員弁川などの川に向かって谷を降り再び尾根へ登る繰り返しの坂とカーブだらけの高速では、

確かに渋滞も起きるわな、と妙に納得してしまう。

昔なら谷へは降りるもの、尾根へは登るものが当たり前であったのに、

今の高速道路は谷は橋で越え、尾根は削って跨ぎ、とまるで地形を相手にしていない。

もちろん一般的に車の運転者なら地形に左右されずにそのまま突っ切る方がはるかに運転しやすいのだろうけれども。

まぁその意味では地形を全く無視する代表例はリニア新幹線だろうか。

直線ルートで中央アルプスをまっすぐ横切ってしまうのは確かに直線距離で経済的なのだが、

地形を楽しむなどと言っている余裕も時間もないだろうなぁ。

 

そんな山ばっかり直線で越えていくことに慣れてしまうと、今の草津線〜関西線ルートのなんとまどろっこしいことか。

せめて加太から柘植まで、加太の大カーブあたりからまっすぐトンネルを掘ってしまえば、

もう少し時間の短縮にも、あるいは関西線が東海道線の救済にも使えるのではないかいなと。

少なくとも名古屋〜草津間は米原回りより柘植まわりのほうが距離が短いのだから。

 

などと考えてみるが、トンネルを掘るなり電化するなりの近代化の前にまず、今の使えないダイヤが何とかならないかと唖然とする。

実はとてもとても悲しい出来事で急遽黒ネクタイをして桑名に行かねばならなくなったのだが、

肝心の関西線は月に一回の保守運休日と悲しみに輪をかける。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  なんとか警部の列車殺人事件は読まない

 

11/6

列車を殺人事件の舞台にするお話は欧州のコンパートメントから来ているのだが、

そもそも客車の構造はもともとの馬車をいくつか連ねたもの、つまり向かい合わせの座席を持った小さな箱をつなげたものから発達したものであるから、

隣の部屋がどんな状況かはわからない、密室状態なのである。

日本の場合コンパートメントが定着しなかったので、一般的に列車内に密室があるという状態はごく限られた車両である。

まぁ、最近は欧州でもほとんどの車がオープンタイプなので、やはりコンパートメントは時代に合わなくなっているのだろうか。

確かに乗り降りはしにくいし、車内の見通しが効かない、暗い車内であるのだが。

 

一時期東海道山陽新幹線にも個室があった。

二階建て車両の眺めのよくない一階部分をどうせ眺めが期待できないのなら個室にしてしまおうみたいな発想だったそうで、静かで落ち着いたいい空間であったようだ。

とはいえ、値段的なこともあり決して稼働率は高くなくそもそも二階建て車両が高速走行に適さないこともあって結局姿を消してしまった。

わだらんは結局個室には乗らずじまいであったが、乗ったとしても退屈だったのかなと思うしまぁいいや、と自分を慰めてみたりする。

いかにも新幹線個室内で撮ったと思われる大人向け映像があったりするのを見ると確かにそんなことをしたくなるのかね、とぶつぶつ言ってはみるが。

ちなみにA380の機内に高級な個室を備えたシンガポールの某航空会社は、「飛行中に愛し合わないでください」などとおふれを出しているそうだが、

それならよほど機内で楽しむ連中が多いのかいな、と思ったりする。

もっとも日本でも一部の連中が通学中にトイレ内で行為を行ったりすることがあるようで、時折列車内のマナーがどうこう、と問題になる。

でも行為が悪いのか、行為を列車内のトイレで行うのが悪いのかの区別があまりついていないようであるが。

 

そんな数少ない列車内の密室がトイレである。

飛行機だと煙探知機が付いているが列車ではそこまでのものは今のところない。

喫煙場になっているという指摘も多いが、それ以前に人生の終着駅にしてもらっては困ると思う。

4日火曜の上り大阪行きの特急ひだで、床に血が流れているのを乗客が発見し、車掌がトイレの鍵を開けたところ、中で男性が亡くなっていたそうだ。

時折列車に人生最後の瞬間をゆだねる方がいる、これは悲しいことだが、車内で人生にお別れする事態が起こるのもまた悲しいものだ。

トイレは個室であって、確かにまわりからは見えないが、あくまでトイレは用を足すところであって、

喫煙場でもラブホテルでも、ましてや人生最後の地でもないのであるはずなのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  粛々と旅程がこなせるために

 

11/4

よく仕事などで無理を通すことをもちろん比喩で「お召し列車」という。

まわりがどんな状況であっても、とにかくある一つのことを最優先に行う状況でよく使うのだが、

他のものを押しのけて最優先に進める様子は確かにお召し列車である。

戦前は天皇陛下がおでかけになるというともう大騒ぎであったようだ。

お召し列車の走る10分ほど前に露払い列車なる先行列車があって、それ以降分岐器は固定され、

対向列車は原則停止で、静かにお召し列車が通過するのを待っていたそうな。

もちろんお召し列車の乗務員に抜擢されればそれはもう名誉なことで、区の優秀な乗務員氏が選ばれて、秒単位で正確な運転を行っていた、そうな。

さすがに今は以前ほど厳格なことはないようで、時として一般列車にご乗車されることもある。

なので昔のような露払い列車などもちろんないのだが、それでも列車が通過するというと、やはり相当な緊張感はある。

最近は特にテロ対策でより警備が厳しくなったようで、わだらんの家からすぐのところを走っている新幹線の高架下を時折パトカーが通っていくこともある。

 

昔、お召しほどではないが、とにかく最優先で走らせる列車があった。

下関発東京市場行き5050列車というもので、冷蔵貨車をつなげて鮮魚を運ぶものである。

何しろ鮮魚でちょっとでも時間がずれて競りに間に合わなければ商品価値がぐんと下がるので、当然荷主は必死だし、走らす方ももう大変であった。

もちろんダイヤ上も相当早かったのだが何かあってダイヤが乱れたときにはとにかく最優先で走らせていた。

先行する普通列車などは次々待避させられて、まさにお召しのように走っていったのだそうだ。

その後貨物輸送の衰退と冷蔵貨車の老朽化でこの鮮魚列車はなくなってしまったが、

最近はスーパーレールカーゴがその後釜として新たなお召し相当の列車になっているようだ。

先日、10月28日朝だったか、関ヶ原で鹿を撥ねて車両故障か何かで大幅に深夜のダイヤが乱れたことがあった。

他の貨物列車が軒並み4時間や5時間遅れる中、わだらんの乗った713Mをさっそうと南草津で抜いていったのがそのスーパーレールカーゴであった。

いつもなら安治川口に朝5時半には着いているので、およそ1時間半の遅れ。

他の列車に較べて遅れがずいぶん少ないのがいかにもこの列車らしい。

まぁかつての特急こだまより速く走るこの列車、いかにも最優先、お召しに近い列車である。

もっともそうでないと、荷主と監督官庁からお目玉を喰らうのであろうけれども。

 

この三連休にかけて、陛下が京都に来られていて、新幹線にお召しが走った。

2日はせっかくなのでまた近くからお召しを見ようかと思っていて、すっかり忘れてしまった。

何しろお召しといっても普通の700系で、よほど注意をしていないとわからないのである。

見に行こうという気はあるものの、見ているだけだとなんだかわからない、つまらないのが今の新幹線お召し列車である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  商業施設より集客力のある車両基地

 

11/2

年に一度のお楽しみ、大津線感謝祭に行って来た。

相変わらず手作りの催しもので鉄道に携わる人々のこだわりが垣間見えるようで楽しいものだ。

わだらん的にはあのぼわぁーん警笛を自分で分で音を出すことができる、これさえできれば感謝祭の最大の目的を達成できたようなもので、あとはおまけ。

ミニ電車が午後電圧降下で出力不足になっていたなどと笑える話とか、わだらんあてにいつも情報をいただく方にもお会いできて楽しい一日であった。

最近他の鉄道車庫イベントにあまり行けていないのでよくわからないのだが、こんなに家族連ればかり、ヲタの少ない工場公開は珍しいのではないだろうか。

まぁ車両は特別なものがあるわけでなく、工場の規模も小さく、あるいはもともと撮影会的な要素は一つもないので、こんなものかな、と思う。

JR東海の浜松工場新幹線公開なども家族連れが多そうな気がするが。

 

大津線は以前京阪が経営分離すると話に上がっていたが、今の時点では沈静化しているようである。

とはいえ、決して乗客が増えているわけでなく、この先もずっと安泰ではなかろうと思う。

でも本来大津線はもっと評価されるべきであると思う。

少なくとも石山〜皇子山の区間は運転間隔も駅間距離も短く、気軽に乗れる本来のLRTとしてすぐれたものだと思うのだが、

どうも日本ではLRTというと低床の新型電車を入れたところしか仲間に入れてもらえないらしい。

800系にしても小さな車体に至るものを積み込んで、地下鉄から登山電車、そして路面電車と姿も自在変化するのに、なかなか乗客も増えない。

もっとも一般の乗客はすぐれた電車であっても、乗る機会があるから乗るのであって、別に車両性能がすばらしいから乗るものではないのだが。

 

結局のところ、大津線の乗客が増えないのは、浜大津の衰退が原因か。

大津線感謝祭で結局1000円分の浜大津アーカスの利用券をもらったのだが、これを使うのに苦労した。

レストランにでも入ればすぐに使えたのだろうけれども、晩飯には早すぎ、かといって見たい映画もなく、結局本を買って帰った。

これとて本屋でなくレンタル店の販売で買ったものであって、そもそもちゃんとした本屋やその他物販店がほとんどない状態では、なかなか買い物には使えない。

何店か空きになったスペースがあったり、今となっては吹き抜けの大きなスペースがなにか寂しい感じがする。

もちろんアーカスだけでなく、浜大津全体にそういった時間つぶしや買い物をできる店がほとんどない状態では、既存店舗の撤退もやむを得ないかと思う。

昔は浜大津にこんなに人が少ない、ということはなかったなぁ。

もっとも大津中心部の空洞化はみなさん思っておられるわけで、いくつかのNPO法人が市街地活性化の取り組みをしているのだが、

しかし郊外に次々できる巨大ショッピングモールの前にはなかなか思うようにはいかないようだ。

なにかこのあたり、どこぞの名古屋に吸われる県庁所在地とそっくりで、先行き不安を感じてみたりする。

大津線の場合は大津市が支援策をいくつかだしているし、滋賀県も草津方面への延長を模索していたりと、

行政も大津線を守る方向で動いているところがまだ明るいのだが。

 

残った金券でパフェを食べていた。

オープンテラス状態の店内から眺めていると行き交う人々のほとんどが京阪カレンダーかバルーンアートか、その他いかにも錦織車庫へ行っていましたとわかる家族連れであった。

みんな金券をもらったからやってきたのだろうか、でももし金券がなければきっとアーカスまで来ることはなかっただろうと思うと、ちょっとぞっとした。

 

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