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08年 12月

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645.  12/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗り換えがないことは売り文句にならないか

644.  12/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  わくわくさせてくれる電車は時代遅れか

643.  12/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  雪を楽しむ、雪に会いに行く

642.  12/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  入り口2つ、出口が1つってなんだ?

641.  12/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  世の中LEDの飾りライトのように華やかになってくれれば

640.  12/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  もっといい話の新聞ネタなら大歓迎なのだが

639.  12/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人口増加を越しそうな宅地増加

638.  12/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  0系といえば青モケットの転換座席だろう

637.  12/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  早起きすればいいことあるかな?

636.  12/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  きっかけが戦争というのは悲しい話であるが

635.  12/5  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  増結が年末行事で終わらなければうれしいのだが

634.  12/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  子ども相手に何がうれしいのだろうか

633.  12/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ホームでは使えず、オフレールのSCでタッチ

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗り換えがないことは売り文句にならないか

 

12/30

いまさらながら、熊本市電ご自慢の低床電車に乗ってきた。

最初の導入が97年なのでもう10年も前である。入った当時はいろいろと話題になったのだが、

最近は同型車の富山に話題を奪われたかちょっと静かである。

連接型の低床電車は最近のブームでいくつかの都市に入っているので、それ自体が珍しい物ではないのだが、

それでも実際に乗ってみるとやはり今までの電車と違うインパクトがある。

岐阜でずっと路面電車に乗っていたわだらん的には、そもそも窓が大きいのがまず目に付くところだが、

もともと路面電車の視点が街を見渡すには最適な高さで、乗って知らない街を動き回るのは楽しいものだ。

ましてやこの熊本は行って初めて知ったのだが、車掌のおねえさんが乗っている。

富山も高岡も同じ連接車であるが車掌はおらず、ちょっとびっくり。

車掌のおかげで前後両方の扉が利用でき、車内の狭い移動をしないで済むのは助かる。

低床車は車軸部分が床から飛び出て、どうしても床の利用面積が小さく、車内が狭くなってしまうので

、車両前部まで移動するのは結構面倒であったりする。

車掌のおねえさんもベビーカーの乗降の世話をしたりとえちぜん鉄道のアテンダント的なところがあって、なかなかいいなぁ、と眺めてみる。

ベビーカーやお年寄りをちょっと手助けしてくれる人がいれば、最近の電車や駅はとても便利になっていると思うのだが。

 

ところで、熊本に行ったのは例によって葬式厨、来年春で廃止になるはやぶさのしかもソロに乗るためであった。

初めてのソロでなかなか楽しめたし、列車もヲタだけでなく家族連れなども多く満員御礼でよかった。

毎日満員なら廃止にもならずそれこそ新型車両も入ったのだろうが、

さすがに熊本着がお昼では暇人でない限り、この世の中なかなか生き残れまい。

途中山口県内あたりでも降車は結構いたように見えたのだが、逆に山口県内ならそれこそ新幹線で簡単に移動できるわけで、

長い時間をかける列車の旅がなかなかすべての移動者にのぞもれている物ではないなと思う。

でも乗り換えなしで動ける直通列車、これは本当はとても大事なことではないのだろうか、

列車が直通することで移動が楽になる人たちも少なからずいるはずなのに、と熊本市電の車掌を見ながら考える。

 

ともかくことしも葬式厨の対象ばかりであった。もうわだらんの若い頃のなじみの車は消えゆくのみの時代になった。

とはいえ、今の車両や列車は今の時代に合わせて育ち改良された車である。

あと20年や30年もたてば見方が変わるだろう、ときっと思う。

 

 

そんなわけで、今年一年もいろいろありましたが、なんとかこうやってメルマガの材料に事欠かず、無事に続けられることができました。

これも皆様方の叱咤のおかげと感謝しています。

みなさまがどうぞよい新年を迎えられますよう、そして新年が事故のない平和な運転の続く日でありますよう祈念して今年の結びにします。

お世話になりありがとうございました。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  わくわくさせてくれる電車は時代遅れか

 

12/29

犬山のモノレールに乗ってきた。お名残乗車などというと少し聞こえもいいが、でも実際には初めて乗るもので、

しかもそれが最終日なのだから、お名残どころか単なる葬式厨、やじうまである。

とはいっても、いままでのったことのないものがそのままなくなってしまう、

しかもちょっと時間を作ればすぐに行ける距離のところだと、やっぱり乗っておかねばならないと思うのである。

先日桃花台ピーチライナーが廃止された後になって、やっぱり乗っておくべきだったとの後悔の念が急に出て、

やはり乗れるものは乗っておくべきだ、と思っている。

犬山のあたりなどかつて岐阜市内に住んでいたわだらんからすれば庭先のようなところであるが、

なぜかモノレールにもモンキーパークにも行ったことがなかった。

犬山成田山には友人と何度か初詣に行ったことがあったが、車で出かけたのでモノレールには縁がなかったのである。

 

そんなモノレールの最後の日、しかも犬山遊園駅に着くのはもう3時過ぎ、周囲はヲタであふれかえっているだろうかと

半ば警戒心で電車に乗っていたのだが、実際駅に着いてみると大きな混雑も混乱もなく、わりとまったりしていた。

もちろんいつもの時に較べれば相当人が多いのだろうけれども、別にモノレールのホームが入場制限されているわけでもなく、

乗車券の打ち止めもなく、当たり前のように運行されていた。まずは安心である。

実際乗ってみると車内は家族連れ、小さい子供も多く、ベビーカーもたくさん。

小学生くらいの子供はモノレールの車体と記念写真を撮ったり、車内ではおかあさんが小さい子供のビデオを撮ったりと楽しそうにしている。

ベビーカーの赤ん坊はとてもモノレールに乗ったなどと覚えていそうにないが、将来お母さんがその当時のビデオを見せながらお話しするのだろうか。

 

モノレールの終点は遊園地の入り口である。

改札を出ようとするとバイトらしい青年に入園券はお持ちですかと聞かれる。

そうだ、ここは改札ではなく入園口だったと思いだし、「いやそのまま帰る」ととんぼ返り。

もとから遊園地に入るつもりはなかったのでそれはいいのだが、だとすると今日の人出は遊園地にはあまり関係なかったのかなと思ってみたりする。

少なくともわだらんと同様に犬山遊園を3時44分のモノレールに乗った多数の乗客が遊園地に行くとは思えないのである。

とはいえ、明日からは遊園地へはバスである。

モノレールというちょっと変わった乗り物で行く遊園地っていつもと変わった体験で面白いと思うのだが、バスだとどうなんだろう...

まぁ乗客減少に加えてモノレール設備の経年劣化でこれ以上維持ができないという理由はよくわかるのだが。

 

経年劣化というとこのモノレールと同世代、つまりわだらんと歳の変わらないパノラマカー7000系も金曜日26日が定期運用の最後の日であった。

遊園地へ行くモノレールもそうだが、乗ってワクワクするような電車がどんどん消えていくのは寂しい。

今の世の中、まずは低コストと安全第一で、夢は鉄道にとって厄介者の時代であるが。

 

そんなことを思いつつ、ありがたかったのは岐阜と犬山遊園の往復が行き7700、帰り5300とどちらもパノラマカーの仲間であったことだ。

ちょっと柔らかいシートに座って長く連なる大きな窓からの景色を眺めているとちょっと贅沢な気分になれる。

2扉転換クロスという、今では時代遅れ、まもなく消えゆく電車で過ごす、何かとても懐かしい気持ちになれるひとときであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  雪を楽しむ、雪に会いに行く

 

12/26

夜行列車がまた消える来年の改正がやってくる。

昔は長距離の移動といえば夜行が当たり前だったのだが、今のご時世わざわざ夜行で移動するのは面倒らしい。

とはいっても廉価なツアーバスは繁盛しているので何か目的を持った若者ならまだ夜行移動も選択の範囲内なのだろうか。

とはいえ、ツアーバス自体は繁盛しているにせよ、もともとツアーバスの発祥となったスキーツアーは

最近とみに苦戦しているそうだから、やはり面倒くさいものはだめなのだろうか。

そもそも長く重たいスキー板をもってバスの集合所へ行くのがすでに面倒なのかもしれない。

バスですらそんな状況である。かつて夜行で信州へ向かっていたシュプール号などもう影も形もなく、

かつて日に3本も4本も夜行列車が出ていた時代が本当にあったのかと思う。

昔のように駅にスキー板を抱えた若者があふれることはもうこのご時世ないのだろう。

スキーへは手軽に自家用車で出かけてしまうし、そもそもその自家用車での夜行日帰りが当たり前になって

スキー宿も以前ほどのにぎわいがないそうな。

電車にスキー板で乗り込まれるのは迷惑ではあるが、

でもやっぱり若い人間がスキーだの海外旅行だのと出かけることにお金を落としてくれないと面白くないなぁ。

 

朝、家を出ると雪が降っていた。

例によって野洲の上空から亀山方向に流れる雲の影響で、関ヶ原より野洲や蒲生八日市あたりのほうが積雪の多い天候である。

結局野洲は日中ずっと雪だったようで、野洲へ夜帰ってくると駅構内も少し積雪が残り、

駐車場には雪で動かなかったのだろうか、屋根に雪を積んだ車がごろごろ停まっている。

本格的な冬の到来である。山間部は本格的な雪になるらしい。

スキー場には恵みの雪だろうか。

 

駅からの帰り道、積雪が所々残る道を小雪に降られながら歩いていると、うっすら明るい琵琶湖バレーのゲレンデが見える。

ゲレンデ整備だろうか、夜7時を回って照明が輝き、山の稜線に点々と明かりが連なっている。

このシーズンはいい雪に恵まれますように、そして夜行で信州といわないまでも、

せめて日帰りでも湖西線をスキー客がたくさん利用してくれますように。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  入り口2つ、出口が1つってなんだ?

 

12/25

大阪18:37の3508Mに乗る。

狙ったわけではなく、目の前で18:30の3506Mの扉が閉まったので、しかたなく3508Mに乗ることになったのだ。

もともとこの3508Mは乗車待ちの列が早い時間からできる非常に着席しにくい電車で、

既に18:22の湖西線新快速3504Mが発車するときには長い乗車列ができている。

そんなわけで、入線時にはほぼ座席が埋まってしまう。それでもその時点ではまだ3506Mの発車前で、

座席がほとんど埋まって立ち客がいない、あたかも座席指定車のような様相なのである。

ところが3506Mが発車してしまうと次からつぎへと乗車客が続き、あっという間に混雑度が上昇する、なかなか不思議な電車である。

 

ところでこの電車、もう一つ楽しみがある。

高槻と京都で内側の普通電車と同時発車が楽しめるのである。

通常の新快速は高槻京都とも普通電車の間に新快速が入っているダイヤであるが、

この3506Mと3510Mは通常の新快速の間に割ってはいるダイヤなので、高槻でT電開通待ちすることもなく、

草津を出てT電に頭を抑えられることもなく、極めて快調に走る電車なのである。

しかも、石山を出ると乗車する客もほとんどおらず、草津は下車客ばかりで、大阪や京都の出発時がうそのように車内が静まり返るのである。

長浜行きやT電接続の野洲行き新快速では草津でも守山でも乗車客がいるのだから。

 

さて、そんな3506Mに乗って一走り。高槻ではC電より先に発車するものの、

分岐器制限を受けている間に207系に追いつかれ途中まで追い越される悲劇。

でもさすがに120km/hと130km/hの制限速度の違いは大きく、槇尾川を越える時点で116km/hで走行中(運転台メータが読めた)の207系を追い抜いていく。

京都場内で先行810Tに追いつき、山科で再び810Tと並ぶ。

 

以前から新逢坂山トンネル内で隣に突然電車が現れる姿を見たいと思っているわだらんにはきょうはまさに打ってつけのタイミング。

2つの入り口で外内別々にトンネルに入って、途中で複線断面、内外が並んだ状態になってそのまま出口へ向かう、

ズボンのような形態のトンネルで、途中で内外を隔てる壁がなくなって突然壁から電車が現れるかのように見える、はずである。

きょうはまさに新快速3506Mが発車し遅れて810Tが発車。

新快速が分岐器制限を受けている間に810Tが追いつき、トンネルにほぼ同時で進入。

これは楽しみだ、と気分は絶好調。いよいよ隣から電車が現れる初体験である。

 

と一人悦に入るわだらんは異常な減速で我に戻る。

もう少しで内側線が現れるその直前、トンネル出口近くで突然停まってしまった。

内側線の電車のブレーキ弛緩音も聞こえる、もう少しのところであったのに。

なにやら大津駅でホーム非常ボタンが扱われたとのことで、非常停車扱い。

5分ほどで抑止解除になったものの、せっかく内外同時にトンネルから出てくるはず、と喜んでいたわだらんの夢は結局叶わずじまいであった。

またいつか、といいながらせっかく絶妙のタイミングだったのに、と一人でぶつぶつ言っているわだらんであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  世の中LEDの飾りライトのように華やかになってくれれば

 

12/22

12月も後半になってきて、少しづつ日の入りが遅くなってきた。

もちろんまだまだ早いのだが、それでもこの後どんどん日が長くなってくるのはうれしいものだ。

せっかく電車に乗るのなら明るいうちに、外の見える時間帯がいいなぁ、と思う。

もっともわだらんの場合、座ってしまえば帰宅時は寝てしまうので、日が長かろうと短かろうとあまり関係はないが。

 

とはいえ、この時期外が暗くなるとあちこちでサンタさんが壁を登ったりしている。

先日家に入っていた折り込み広告によれば某ホームセンターが既に飾り付け用LEDを値引き販売しているそうで、

まだクリスマスが終わったわけでもないのに、と思う。

もっともクリスマスの飾りなど過ぎてしまえば絶対売れないわけで、

在庫を抱えて年を越すのならまだとっとと売ってしまった方がいいのかもしれない。

 

今年は熱を出さず消費電力の少ないLEDライトが大はやり、どこもかしこも青と白の電球がちかちかしている。

見ていてきれいなのだが、どうも色合いが某飛脚の運送屋に似ている。

特に草津駅西口の某スーパーなんぞ、青白の色使いがまるでスーパーレールカーゴのコンテナである。

もちろんそんなことを想像するのはわだらんくらいのものだろうが、ならば電車、

SRCのコンテナが電飾できらきらしていればそれはまた面白いのではないか、と思う。

 

昔は路面電車に飾りをつけた花電車が時折お祭りで走っていたものだ。

最近はラッピングの広告電車ははやりだが、電飾の電車は見たことがない。

法律で制限があるのか詳しいことはわからないのだが、ラッピング大にぎわいのこのご時世でも

電飾をつけた電車が出ないのは何かやはり問題があるのだろうか。

新快速がぴかぴかしながら走っていれば、何か華やいだ気分になろうかとも思うのだが。

 

世の中いい話がない。

ニュースでは業績悪化だの人員削減だの、世の中が急に冷え込む暗い話ばかりである。

新幹線などでも平日の客足が少し落ちている、と社長会見にある。

心理的なものかどうか、わだらんがちょっと宴会に参加した帰りの金曜日の21:00の新快速が

わだらん予想に反して案外混んでいなかったのがちょっと気になる。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  もっといい話の新聞ネタなら大歓迎なのだが

 

12/18

水曜日、17日の夜である。大阪駅に着くと、ガード下に車がぶつかったとのことで、絶賛運転見合わせ中であった。

ホームに人があふれ、この先の列車は何が先発かまったくわからない状態である。

最近は改札に在線状況のわかる画面が置かれるようになった。

なかなかありがたいもので、これを見てもらうと尼崎8番に3496M、大阪17:30の新快速が停車中であることがわかる。

それなら9番でじっと待っていれば早そう、と判断できる。

運転開始直後の電車ならまだ比較的遅れ少なく順調に走るというのを最近の経験で理解しているからである。

 

やがて運転再開になり、大阪駅手前で停まっていたであろう特急が2本やってきて、そののち3496Mが入ってきた。

車内は相当な混雑であるがそれでも乗車は出来、通路に入って京都あたりで座席が空くのを待とうか、という魂胆。

結局7番C電、8番T電(802Tのようだ)が先行し、3496Mは大阪45分遅れ。

ここまで来れば新大阪外側12番でもいいような気がするのだが、

律儀な運転整理は例によってまったく遅れを減らす努力はしないようだ。

 

ところが、京都以降は指令がなかなか手際よく、3496Mは京都から普通扱い、

さらに後ろを走る3498Mは外側に振ってC電に頭を抑えられた802Tを救済し、

3496Mは野洲まで先行し3498Mを受け、さらにその後を3500Mが雁行する形で列車を捌いていく。

3498Mの223系8両は野洲派出へ一旦引き上げた後833Tになりのだが、今日は野洲2番で直接833T折り返し。

下りに遅れを持ち越さない上手な手配である。

3496Mの車掌氏はおねえさんだった。

もちろん声だけで、容姿もなにもわからないのだが、後続3498Mとの関係や、京都以降の見通しなどなかなか適宜上手に案内している。

遅れた電車は乗客もいらいらするものであるが、そこまで必要かと思うぐらいご丁寧に謝罪し状況を説明案内する声はなかなか立派に聞こえる。

車掌氏も本来より1時間も遅れてその分緊張の中の勤務が続いているはずなのだが、よく頑張っていると思う。

 

そんな小荒れの帰宅の翌日、なんともばかばかしい話が飛び込んできた。

地元野洲駅の駅前公衆トイレで事件を起こした車掌がいるそうだ。

しかもこの車掌、もと野洲駅勤務だったそうで、なんとなく覚えている。

どうしてしょうもない事件を起こして人生棒に振るのか、理解に苦しむ。

勤務のストレスはいろいろあるだろうが、だからといって事件を起こしていいわけがない。

困ったものだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人口増加を越しそうな宅地増加

 

12/16

確か鉄道ファンにあった佐竹氏の話(全くのうろ覚えで申し訳ない)だったと思うのだが、

いつも京都駅や山科築堤で鉄道写真、とりわけC62のような大型蒸気を撮っておられた方が「滋賀県は京都から遠い」と書かれていた。

確かにまだ電化前は京都から近江へ向かうローカル列車は時間1本程度しかなく、鉄道写真を撮るための足としてはいささか不便だったのであろう。

もとよりその当時は京都と近江の国の間に大きな山があって、それぞれ生活圏が別だったわけで、

ローカル列車が少なくても誰も不便は感じなかったに違いない。

何しろ蒸気の時代、今の新線経由をもってしても上り列車は京都大津が20分かかっていたわけだ。

 

その後ローカル列車は電車になって神戸大阪からの直通となり、その頃から近江の国は京都の隣町となった。

今となっては大きな買い物は京都の伊勢丹が当たり前の時代、草津駅前の駐車券を伊勢丹が負担してくれるご時世である。

とはいえ、まだ比較的最近まで瀬田川を渡ればのどかな景色が続いていた。

南草津も栗東もない時代、瀬田から草津の湖岸側はほとんど家がなく、ただ一面に田んぼが広がっていたのである。

今となってその頃はもう少し湖面が車窓から見えていたのではないかとも思うが、もう確かめようがない。

とはいえ、田んぼが広がる景色はそのままずっと米原、さらには柏原まで続いていたので、この場所がとりわけ印象に深いわけでもなかった。

ただ、瀬田の前後は京都からの帰りに初めてまとまった田んぼの広がる区間だったのではあるが。

 

先日JR西日本の昨年度の駅乗車人員上位50が発表になり、南草津が50傑に入ったと某掲示板で話題になった。

昨年数字から見れば500人程度の増加しかないが、でも毎日500人増えた、と言うのは結構大きいかもしれない。

ではあるが、例えば駅前に5つマンションが建って総戸数1000戸となれば、500人ぐらい通勤客が増えてもおかしくはないなぁ。

昨年の数字ならまだ西側の区画整理は途中のころ、となると今年の数字はもう少し増えているだろう。

立派なものだと思う。

 

そんな開発の波を受けてかどうか瀬田川を渡った先の湖岸側、東レまでの広い田んぼがついに宅地開発されるようだ。

最近まず基礎工事だろうか、道路が仮設で造られ、建設機械が動いている姿を見るようになった。

見通しの効くいい景色だったので気に入っていたがそろそろ広々とした雰囲気を味わえるのも終わりに近づいてきたようだ。

人が増えていくのは経済効果が大きく、地域の発展維持にはとても大切なのだが、

でも広々とした景色を見ることができなくなるのはわだらん的にはとても残念である。

ましてや、つい最近のこの景気の流れである。せっかく開発したのなら、無事宅地として人々を呼んでほしいと思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  0系といえば青モケットの転換座席だろう

 

12/14

きょうのさよなら運転をもって0系が営業線上から姿を消した。

わだらんが小さいときから慣れ親しんだとても思い入れのある車ではあるのだが、

いまの6両に短縮された姿は往年の輝きなど既にない、引退間近の悲しい姿にも思える。

わだらんとしては最低でも12両、もちろんビュッフェとグリーン車がないと、夢の超特急と呼びたくないのである。

それでも最終日でもあってずいぶんと人が繰り出したようである。どういうわけか、

車両の引退の際に「ありがとう」などと大声を張り上げる輩がいるが、

中にはどう見ても「ありがとう」と言いたいだけの奴でないか、などと思えるのがいたりして首を傾げてしまう。

そもそも今の若い、二十歳前後あたりなら0系がひかりでばんばん走っていた頃のことを覚えているかどうか疑問だし、

0系より500系に眼がいっていたのではないか、と思う。

かくゆうわだらんも100系ひかりと0系ひかりでは100系に乗っていたし、今でも新幹線は100系のイメージである。

0系は新幹線に0系しかなかったから輝いていたのかもしれない。

 

とはいえ、ひとつの歴史の区切りがついたのは間違いなしである。

この後500系のこだま転用で100系も先が見えてきたし、あるいは0系を追いやった張本人の300系すら追い出される状況である。

車種の少ない方が何かと運転上便利であり、車両統一はしかたない話だが、

また新幹線の世代交代が進んでいってN700だらけになるのもちょっと寂しいかと思う。

 

少し前の某新聞の日曜版Beに新幹線のダイヤが載っていた。

最近特に名古屋新幹線会社はダイヤの管理にうるさく、雑誌にもダイヤが載らない。

ましてや新幹線のダイヤなどいわば門外不出である。

もちろん新聞のダイヤもそれとわかって見るからそうなのであって、一般の方には何のことかわかるまい。

しかしそんなダイヤを見ていて改めて列車本数の多さに驚く。

昔は長距離移動には列車を選んで乗っていたものだが、少なくとも東京博多間の主要駅間なら駅へ行って考えればいい。

何しろ野洲から大阪へ向かう電車より東京から大阪へ向かう新幹線のほうが多い、

という長距離列車の荘厳さのかけらもない便利さなのだから。

 

木曜日の昼過ぎから急激に寒気を感じてついに金曜日は動けず何も食べられずに床に伏したままであった。

やっと土曜夕方起きあがり、日曜日は午後から買い物へおでかけ。

地元スーパーの真横をひっきりなしに通る新幹線を見ながら、でもやっぱり人を見に新大阪へ行くべきだったか、

とまだ少々悪寒の残る体で思案してみる。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  早起きすればいいことあるかな?

 

12/10

昔から何かの乗り物車中で睡眠中、減速に気がついて目が覚めることが多い。

先日キハ58にもう一度どうしても乗っておきたく松山まで夜行バスで出かけたのであるが、深夜IC通過で目が覚めた。

板野ICを出るところで、そこから藍住ICまで下を走る。

そうか、そんな走り方をするのか、と一人深夜のバスの中でびっくりした次第。

最近はわだらんとしてはあまり乗る機会の少ない夜行バスであるが、

かつてよくドリーム号で東京大阪を往復していた頃は、三ヶ日ICの減速で必ず目が覚めていた。

さすがに毎日乗っている新快速では減速で目が覚めることがまずないが、それでもおかしな減速をすると不思議と目が覚める。

防護無線受信で急停車したり、閉塞信号につかまって徐行したりすると不思議と目が覚める。

 

今日も野洲5:57の709Mで熟睡中のわだらんは減速に気がついて茨木川橋梁で目が覚める。

先日ここで目が覚めたときには3404Mに発見された仏様を目撃する羽目になるのだが、

今朝は3404Mと茨木川橋梁ですれ違い、つまり遅れなしということである。

ただ、その減速で目が覚めてちょっとびっくり、まわりがかなり白い、つまり霧の中である。

茨木はほぼ定時に出発したものの、線路横のマイカルが見えない有様で、その後岸辺あたりまでとろとろと走っていく。

幸いにも先行に列車がいるわけでなく、この列車単独の徐行ですんだおかけで、ずいぶんゆっくり走った割には大阪5分遅れであった。

ありがたい話だ。

 

結局この日はその後もますます霧はひどくなり、列車の渋滞が踏切横断や急病人を招いて日中を過ぎても大騒ぎであったようだ。

巻き込まれたみなさんはさぞ大変であっただろうと思う。

高槻から大阪まで1時間近くかかったり電車が全く来ずに来た電車に乗れなかったり、とみなさん大変である。

早起きして709Mに乗ったわだらんはいらいらすることもなく、5分遅れでまずまず快適であった。

 

しかし電車に乗っている間気になっていた。

電車が遅れるのはしかたないとしても、なんとか大阪駅に7:15までに到着してほしかったのである。

今の時期、スマートイコカの一挙両得キャンペーンで早い時間に大阪駅を利用するとポイントがもらえる。

別に早起きを日頃の信条とするわけでなく、ただ単にポイント目当てで709Mに乗っているわだらんとしては

列車の遅れでキャンペーン登録に間に合わないのは理に合わないことなのである。

しかしありがたいことに5分遅れで走ってくれた709Mのおかげで、今日もキャンペーン登録に間に合った。

霧による乱れにいらいらすることもなく、ポイントも付いて、一挙両得である。

やはり早起きは三文の得、であるか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  きっかけが戦争というのは悲しい話であるが

 

12/8

仕事場で滅入ることがあって、とっとと帰ることにした。

大阪駅17:45の3498Mに間に合うが、もちろん座れる位置に並べるような時間ではなく、かろうじて通路の中に入る。

ドア付近は出張者や営業外回りであろう仕事人が多数。

12月に入って何となく気持ち学生が少なくなったように見えるが、実際のところはどうだろう?

 

3498Mは膳所で外側を走る草津線電車を追い抜く。

今日も京都で着席でき、草津線5372Mの観察体制。

よく寝てしまうのでいつも観察できるわけではないが、4+4の5372Mが全て湘南色ならちょっとうれしかったりする。

で、さらに5372Mにはわだらん的な期待がある。

大津駅手前、逢坂山トンネル内で隣から「にゅ」っと出てきてくれないか、という期待である。

現在の逢坂山トンネルの上り線は入り口2つ、出口1つの変形トンネルである。

つまり、山科側では内側線と外側線それぞれに穴が開いているのに対して、大津側は一つのみ、二線分の大きな断面である。

1969年の複々線工事に際して、大津駅付近で充分な用地が取れなかったため、変形Y字型トンネルになったものである。

もともと複々線工事前は3線あったのだが、そのうちの一つ、一番北側のトンネルを改築して複々線にしたものである。

当時の目論見からはずれて、ずいぶん貨物列車は減り、線路容量に余裕があるが、

でも複々線のおかげで柔軟なダイヤが組めるわけで、万博対策とはいえ、当時の工事には感謝しなければならない。

 

ところで、もう少し話を遡ると、そもそも3線、つまり下り1線と上り2線になったのは太平洋戦争中の輸送力増強作戦に依るものである。

上り勾配の続く京都膳所間の上り線を2線にすることで、列車速度の遅い貨物列車の増発を可能にすること、

さらには東山と逢坂山トンネル内の煙抜け時間の確保をしたのである。

京都から大津へは上り一方の勾配が続き、トンネル内もずっと投炭しなければならない。

多くのトンネルは半分まで来ると下り勾配になって絶気つまり惰行で進めるが、この区間の東海道上り列車はずっと力行の連続である。

トンネル内は煙に包まれ、さぞ大変なことだったのだろう。

もちろん戦争を美化するつもりなど微塵もないが、でも戦争のおかげで今の複々線の母胎ができたと思うと、少々複雑である。

 

結局5372Mは大津先行で、トンネル内での出逢いはなかった。

いつの日か暗闇から突然出てくる電車を目撃したいと思いつつ、なかなか実現は遠そうである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  増結が年末行事で終わらなければうれしいのだが

 

12/5

金曜日で少々仕事場が落ち着かない日であったが、幸いにも夕方になって仕事が片づき、大阪18:00の3500Mになんとか間に合った。

よく混む電車だが、年末近くになって少し人の流れが変わったか、いつもほどでもない。

通路に容易に入り、新大阪で幸いにも座席が確保でき、今日もありがたい帰宅になった。

 

いつの間にかもう12月、野洲駅では恒例の半自動扱いが始まった。

まだ身にしみる寒さでもなく、あまりぴんとこないところもあるが、なかなか野洲らしくて気に入っている。

そんな野洲に3500Mで降りてびっくり。いつの間にか上屋ができている。

野洲駅上りホームは屋根の延長工事中で、今ある上屋の上下両方に延長するのだが上り方が工事が先行している。

つい最近柱がついたのは見ていたのだが、今日見てあれ、屋根がある、とびっくりした次第。

そういえば、昨日もおとといも、編成後ろ側に乗っていたので、上り方の進捗状況は見ていなかったっけ。

そんな屋根の下、ホームの反対側2番線には扉を閉めた223系が。あれ、223系?

しかも中間車?とあわてて編成を見渡すと、223系6000+221系の10両。

この804Tは悪名高き混雑6連なのだが、今日は10連である。

なので、停車位置も当然違い、しかも目の前には増結の223系が停まっているのだ。

運用番号を確認しようと先頭部を見ていると、運転士氏が「どこへ行く?」と声をかけてくれたので、

これ幸いと「なんで10両でしょう?」と聞くと、今日と12日が10両運転なのだそうだ。

なるほど、この電車は米原から折り返し845Tで、三ノ宮が22:54である。

ルミナリエ対策の増結であろう、と容易に想像がつく。

 

もともと年末行事であったルミナリエはあれこれ言われながらも今年も開催となった。

めでたいことだ。

とはいえ、暦の関係もあるのだが、今年は初日が4日とずいぶん早いように思う。

まぁ最近は11月の後半くらいからどこもかしこもイルミネーションが始まるわけで、季節の先取りなのか、単なる商売根性なのか、

まぁ月日の移ろいなどすっかり飛び越しているような。

まぁ、それでも何らかの季節が感じられるのはありがたいこと、としておこう。

願わくば804Tが年中10連であれば、季節感を感じなくてもうれしいことなのだけれど。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  子ども相手に何がうれしいのだろうか

 

12/3

旧知の友人と久しぶりに酒を飲みに摂津富田で途中下車。

しばし会話が弾み、時は流れる。もういい時間、と酔っぱらったまま飛び乗ったC電は京都行き。

ありゃ、困ったわな。

寝込んでしまってまたこのまま京都4番で逆戻りか、と警戒しつつ寝てしまい、ぱっと起きると西大路。

幸いにもまだ逆走しておらず、次は京都であった。

無事に降りられて安心したとたん、乗っていたC電は京都折り返しなしでそのまま入庫の運用であった。

これなら寝込んでいても何ら問題なかったのに、と半分無念に思う。

京都で乗り換えた新快速は12両の長い編成で、最後尾1号車に京都乗車で着席。

この編成は米原まで、となると乗り越さないよう気をつけなければ、

と気を張っていたがやはり酔いには勝てず寝てしまい、目が覚めると草津であった。

まぁ乗り越しせずよかったよかった。

 

気がつくと、通路を隔てた窓側座席にはOLさんだろうか、首を窓にあてて熟睡状態。

わだらんが自分自身で寝ているときは気にならないのだが、他人、特に若い女性が寝入っているとちょっと心配になる。

乗り越しとか、忘れ物とか、最悪痴漢とか。

まぁ男の場合、痴漢犯罪はほとんど考えられないと思うが、若い女性は何が起こるかもしれないし。

 

野洲駅がまた新聞ネタになった。

2日の午後、南口エスカレータで30歳の男が女子高校生のスカートの中にカメラを突っ込んで現行犯逮捕されたというのである。

確かにこのあたりの女子高校生でスカートの短い子は多く、悪くいえばそそられるのかもしれないが、

しかし高校生相手に大の男が、と思うとみっともない話である。

いや、高校生でなければいい、とかという問題でないのは十分承知しているが、しかしみっともないというか、情けないと思う。

もうちょっとまともな女性とのつきあいができないものか、のぞきや痴漢、さらには乱暴騒ぎが最近多発している困った世の中であるが、

結局は男が上手に女性とつきあえないからなのだろう、とわだらんは思う。

短絡的で幼稚な男が増えたのだろう、と困ってみるがどうしようもない。

駅や車内の迷惑行為が被害者のみならず、乗客全体への迷惑になっていることなど、犯罪者当人は考えていないだろう。

周囲から見れば迷惑千万、あほらしいものなのだが。

若いおねえさんはわだらんの横にくれば、少なくとも痴漢などの迷惑行為は絶対なく安心、

かつわだらんは緊張してしまって寝ることできず、従って降り損ねもない、と一石二鳥である。

 

大阪21:00の新快速3530Mは微妙に遅れて野洲着。わだらんは少々酔いながらも無事に下車。

件のおねえさんはまだ熟睡中。

近江八幡以遠が下車駅ならいいのだが、大丈夫なのか、ちょっと気になる。

何事もなく無事に目的地に降りられますように。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ホームでは使えず、オフレールのSCでタッチ

 

12/1

滋賀県には南彦根駅徒歩5分に本部を置く某地方スーパーが根を張り、県内に点々と店舗を持ち、外様を相容れない環境であった。

中内氏率いるダイなんとかは彦根堅田と近江八幡に店を出しては見たが全て撤退の憂き目にあい、

茨木に巨大な店を出して経営が傾いたマイなんとかは栗東を売り飛ばし、

近江八幡のばかでかい店舗は結局縮小均衡になってしまい、なかなかなじめなかった。

なんとか西大津と長浜に店を持つなんとかスコがぼちぼちやっていたようなものだ。

ところが、なぜか今年秋になって、大規模ショッピングモールが湖南に3つも現れ、

しかもキーテナントである食料品スーパーがなんとかスコであったり、多治見本部の某スーパーや稲沢本部の某スーパーであったり、

どちらかといえば滋賀県になじみの薄い店が入っている。

しかしこれだけぞろぞろできてきて、最初はいいとしても、一通り客が見て回った後、どうなるのかちょっと気になる。

特に守山にできたSCは食料品が多治見本部で滋賀県に全くなじみがないしそもそも守山や草津市内からは相当遠く、

わざわざ買い物に来るのかとちょっと心配になってしまう。

もちろんわだらんがそのSCに利害関係を持つわけではないので別に心配する義理はないのだが。

 

この秋にできた3つのSCとも、建物のどこからか琵琶湖が見える。

もちろん琵琶湖沿いの守山と新浜のSCは当然として、一里山にできたSCも遠くに湖面を見ることができる。

ちなみに一里山のSCは新幹線もよく見えるのだが、そう考えると、もう少し新幹線の高架が高ければ、

瀬田から草津にかけて、新幹線から琵琶湖が見えたのかもしれない。

眺めのよいテラスがどのSCもフードコートに設けられているので、琵琶湖を見ながらの昼食はさぞ楽しいものだと思う。

もっともこれからの季節、外に出ると寒いが。

 

日曜日、無料バスに釣られて一里山に出かけ、そのあと新浜に寄ってみた。

瀬田までの電車はいつものものであるが、そこからバスに乗るのはちょっと新鮮。

駅前の賑やかさでいうと野洲より瀬田のほうがよほど賑わっているが、まぁ仕方なかろう。

むしろ瀬田の駅前は今となっては南草津より貧弱で、でもそれが住宅地の入り口らしくていいように思える。

南草津はマンションも広場も立派すぎて味気ないように見える。

 

フードコートでうどんをいただいた。

新浜の某モールにあったうどん屋はなかなかおいしかった。

うどんだけ食べに行ってもいいように思える。

しかしうどん好きわだらんが新大阪や京都のホームにあるうどん屋で小銭を払ってうどんを食べるのに

某モールではICOCAでうどんが食えるという事実。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください