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09年 1月

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658.  1/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  窓枠をテーブル代わりにするのは見栄えがよくない

657.  1/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗ったことのない新路線を想像するのは難しい

656.  1/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  長距離列車は駅の華であったと思う

655.  1/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  守山市小浜町

654.  1/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  拡大しない微妙な遅れならまぁいいか

653.  1/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  家が増えれば家電も売れるだろう

652.  1/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  長い編成の列車を待つのは常連さん

651.  1/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  待って5分、遅れて5分

650.  1/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  裏口という言い方はあまりいい言い方でないのだろう

649.  1/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  いつもの車、日常の車窓

648.  1/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  座席数が増えることは当然座りやすくなるわけだ

647.  1/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鍵をかけると「使用中」

646.  1/5  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  今年も先が思いやられる

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  窓枠をテーブル代わりにするのは見栄えがよくない

 

1/30

半井小絵さんが午後から雨になる、と昨夜伝えていたので大きな傘を持って朝駅へと向かう。

野洲始発713M、221系のドア前座席を確保してちょっとうれしい。

ドア前の固定座席は小さなテーブルが窓側についていて、長い傘をちょっと立てかけておくのに便利。

何より今時こんなテーブルがついているのがうれしいもの。

昔の急行型車両には小さなテーブルに栓抜きまでついていて、お弁当だのみかんだのをのっけて喜んでいたものだ。

今の電車ではなかなかそんな遊びもできず、ましてや大量生産の223系では窓側座席の肘掛けすら省略されてしまいなんとも残念な限りである。

もっとも小さなテーブルがあったら、またそれはそれでゴミが散乱したりする可能性もあるわけで、

通勤利用が主な目的の電車ではなかなか遊び道具というのは難しいと思う。

 

そんな天気予報が当たって、帰宅の頃には本降りになった。

大阪駅に着いたのが微妙な時間でどうしたものか、と考える。

18:22の敦賀行きには間に合わず、10番乗り場には既に18:37の野洲行きが入線し、座席はすっかり埋まっている。

もちろん9番の18:30の列も長く、かといって18:52を待つ元気もなく、結局18:30の3506Mに乗ることにした。

続行の新快速がある分、大混雑とまではいかないが、それでもなかなかの混みようで、

ドア付近は常時人が絶えないまま電車は進み、野洲についても状況はあまり変わらず、補助椅子に人が座って少し立ち客が減った程度である。

雨降りで冬にしては気温が高いのか、混雑の人いきれもあってか車内はいつの間にか空調が入っている。

ちなみにわだらんは高槻で運良く座れて気分も上々、休養も取れてうれしい限り。

 

しかし今年は雪が少ないと思う。

野洲でまともに雪が降ったのは年末年始のちょうど休暇の間くらいであとはほとんど雪を見ていない。

関ヶ原はこの冬まともに積雪があった日がないのではないか、と気になってしまう。

雪が少ないと琵琶湖の水温が高くなる傾向があって、あまりよろしくないのだが。

野洲についてもやはり寒さが感じられず、ホームで長時間停車中の223系12両の808Tは

半自動扱いにもかかわらず半数くらいの扉が開いたままになっている。

本当に寒さが堪えるときだと車内滞留客がとっとと扉を閉めてしまうのだが、今日のような寒さを感じない日はみんなそこまで敏感にはならないのだろう。

そんなのんびりとした808T車内では高校生が部活帰りで家まで持たないのか、パンをかじっている。

空いた車内で座席に物を置くのはまぁよかろうと思うが、しかし窓枠にものを並べてあまり上品には見えない。

こんな時に小さなテーブルでもあれば見栄えが多少よくなるだろう、と思う。

 

ありがたいことに野洲駅上りホームの上屋増築は北側が終わって、結構な雨降りながら傘いらず。

せっかく屋根が付いたので、3506Mと808Tをホームで見送ってみる。

雨の中闇夜に立て続けに消えていく223系を見ながらかつてこの野洲のあたり、

湖東線区間の普通電車に弁当売りの車販カートがいた頃をちょっと思い出した。

ペットボトルでない、紐の持ち手のついたプラでできたお茶しかなかった時代の話である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗ったことのない新路線を想像するのは難しい

 

1/28

地元でも道を聞かれてとっさに答えられるというのは難しい。

以前ここに書いたのだが、大阪駅で韓国からの旅行者に動物園前駅南のホテルの地図を見せられて「どういったらいいか」と聞かれ、

改札を出て地下鉄御堂筋線に乗れ、と答え、地下鉄の階段まで案内した。

ところが、別れてからふと考えると、なにも改札を出て地下鉄に乗らなくても環状線で新今宮まで行けばすぐでないか、と気がついた。

もちろん彼女たちの姿はもう見え無くなっていたし、間違いではないのだから深追いする必要もないのだが、

でも我ながらみっともない、と悔しい思いをしたことがある。

だいたい新今宮と動物園前はほとんど目の前の位置関係なのだが、でも外来の人間にはわかりにくいし、

大阪に住んでいる人間でもどの程度気づいているだろうか。

なかなか知っているつもりでもとっさに位置関係を頭に浮かべるのは難しい。

 

朝711Mに乗ろうと改札めがけて走り込んでいくと、なにやら窓口で駅員のおねえさんが時刻表の索引地図とにらめっこしている。

気になってどこを捜しているのかちょっと声をかけると「もりや」と言う。

あれ、どこだ?と一瞬考えるが茨城県だっけ?と聞かれて思い出す。

そうそう柏の川向こう、と守谷を頭に浮かべる。

ここまではよかったのだが、何しろ最近東京にでかけていないわだらんである。

最初に頭に浮かんだのは常総線である。いや、つくばエクスプレスだ、と少し時間をかけてやっと出てくる。

おねえさんはつくばエクスプレスはJR?と聞く。いや違う、乗り換えは秋葉原、とまでなんとか繋がったところでなにやら電車の音がする。

あれ、711Mが出てしまったわな。

結局出張か何かであろうおじさんにおねえさんが秋葉原でいいですか、

と問いかける問答まで聞いてホームに降りたのだが、乗る電車は次の713Mになってしまった。

それなら無理に家から走ってこなくてもよかったのに、とぶつぶつ自分に文句を言う。

が,713Mの車内に入って座ったとたん、そういえば秋葉原でなくても北千住でもよかったのか、

運賃は都区内で一緒だし、なんで北千住がすぐにひらめかなかったのか、とこれまたこれまたさらに自分に欲求不満。

でも北千住だと上野でまた乗り換えがあるからどっちがいいのだろうか、

と結局今となってはどうでもいいことにずっと悩んでいるうちに電車は草津まで進んでいる。

まぁどうでもいいから寝よう、と。

またあのおねえさん駅員さんの顔を見かけたら顛末を聞いてみようかと。

 

ちなみにかつて岐阜市民であったわだらんが、最初に「もりや」と言われてとっさに頭に浮かんだのは

茨城県の守谷でも防衛庁事務次官だった守屋でもなく、かつて名鉄岐阜市内線(鏡島線)にあった森屋である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  長距離列車は駅の華であったと思う

 

1/26

先日のJR西日本からでた春の臨時列車案内によると、ついにこの春快速ムーンライト九州の運転がないようだ。

もう廃止という噂は今まで何度となく聞いているのだが、実際に公式に運転なしの話を聞くとやはり寂しい。

この列車のおかげで何度となく九州へ18きっぷで出かけてきたし、逆にこの列車がないとそう簡単に九州に出かけられないように思う。

もちろん新幹線を使えば、それこそ新快速を待つのと同じ感覚で九州へ出かけられるわけで、本来なら何も不便を感じないはずだが、

それでも夜行で出かけるから翌朝一日使えるのであり、あるいは大阪に戻ってきてそのまま出勤できるのであり、なにより安く行けることが大きいのだ。

新幹線では、安く切符を買っても博多往復24000円、そうなると可処分小遣いの少ないわだらんにとっては

今までのようにちょっとお出かけ、とは行かなくなってしまう。

時の流れとは言え、残念である。

 

もう今から20年以上前になると思うのだが、大阪からの九州行き夜行急行列車が廃止になった改正があった。

この夜行急行は当時周遊券で乗れるとても重宝な列車だったのだが、寝台特急化の流れの中で乗客減少を理由に廃止されてしまった。

もちろん廃止直前、つまり九州急行末期の利用者のほとんどは周遊券利用者だった(はず)だし、

多くの一般旅行者にとっては座席で夜を過ごすのは楽でなかったはずで、廃止も致し方なかったのであろう。

今となってはその寝台特急すら姿を消してしまうわけで、そもそもわざわざ夜に移動する、

時間をかけて移動する人間はごく限られた存在なのだろうと思う。

それでも昨年12月末に帰路ムーンライト九州に乗ったときにはそれなりに高齢の方もおられて、決して貧乏学生相手だけでないと思ったところであるが。

 

しかしこのムーンライト九州も廃止となると、富士はやぶさの廃止日、つまり3月13日深夜を最後に、

九州いや山口・広島県内へ向かう列車が大阪駅から姿を消す。

しかもサンライズ瀬戸出雲とも大阪駅で乗車できる列車ではなく、となると大阪駅からの西行き方向はスーパーはくとの倉吉行きが最長列車なのか。

下り長距離列車が次々出発していった大阪駅の2号ホームはいまやかつての威厳がすっかり無くなってしまい、

夜の主役は長距離夜行列車ではなく、通勤客であふれかえる新快速である。

まぁ仕方ないか。

 

幸いにも偶然大阪駅で座れた3498Mの窓から、ぼーっと外を眺める。

長岡京を過ぎて京都総合運転所の線路が広がり、宵の口、闇の中に車両たちが静かに休んでいる。

いつのまにか車庫の主役は湖西草津線や嵯峨野線用の113系や221系になってしまい、特急車両は数えるほど。

かつて優等列車整備で日夜大忙しであった向日町運転所の面影はもうないように思う。

南の端で休んでいるムーンライト九州に使われていた14系客車が何となく寂しそうに見えるのはわだらんの勝手な想像だろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  守山市小浜町

 

1/23

オバマ大統領が就任するというので小浜市はお祭り騒ぎなのだそうだ。

直接何の縁もゆかりもなく、ただ名前が一緒というだけで騒ぐのも滑稽ではあるが、でも知名度が上がることは特に地方にとっては重要なことであろうかと思う。

少なくともマスコミが取り上げてくれれば若狭以外の人々にも伝わるだろうし、それで観光客でも増えれば地元として大歓迎なのだろう。

何しろ今の世の中いかに知ってもらうかが重要で、もしひこにゃんにしても最初にネットやマスコミで取り上げられなければこんなにメジャーにはならなかったのだろう。

そう考えると選挙みたいなもので、名前の連呼もやはり意味があるのかな、と思う。

連呼される対象、取り上げられる対象になるのがまず一番だろうけれども。

 

わだらんの仕事場での話であるが、わだらんが滋賀県在住と知っている人間が、朽木に行きたいとものを聞いてきたことがある。

ネットで案内を見ていてそれにはちゃんと行き方が書いてあるのだが、まず安曇川が読めない。

「あどがわ」と教え、そして駅前から「こうじゃく」バスだ、と。

間違っても「えわか」ではない、と念押ししておいた。

多くの人間は「こうじゃく」と読むのは難しいだろうし、ましてや「こうじゃく」と聞いてもそれが近江+若狭とは理解できないだろうと思う。

滋賀県人のなかにも若狭が滋賀県のすぐとなりと理解している人はどれだけいることか、と思う。

ちなみにわだらんの使っているATOKでもこうじゃくが江若とは変換できず、登録するのも面倒くさいので「えわか」と入力していたりする。

かつての江若鉄道は残念ながら若狭へ行く途中で終わってしまったのだが、構想・計画として今津上中間の鉄道建設を地元自治体が要望しているわけで、

将来ひょっとすると湖西線経由の小浜行きができるかもしれない。

オバマ大統領が小浜行き電車に乗って琵琶湖の車窓を楽しんでくれればそれはまた格好のマスコミネタになるだろうが、

仮にオバマ大統領が2期8年やってもその間に琵琶湖若狭湾快速鉄道が開業することはないだろうなぁ。

 

帰宅時、守山駅前に停まっている江若バスがふと目に留まってそんなことを考える。

おおよそ1時間おきに江若バスが守山まで琵琶湖大橋を渡ってやってくる。

停まっているのは守山駅20:10発の堅田駅行きのようだ。

このバスを使えば、琵琶湖線内が事故その他理由で停まったときに湖西線利用で堅田まで出て、

そこから江若バスに乗れば野洲駅まで徒歩20分弱のところまで来ることはできる。

まぁそんな帰宅方法をとらずに済むに越したことはないが。

 

そんな江若バス(+近江鉄道の共同運行)の琵琶湖横断エコバスのルートのすぐそばには小浜町という地名があるのだが、

地元関係者以外はほとんど誰も知らないだろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  拡大しない微妙な遅れならまぁいいか

 

1/21

大阪18:00の3500Mになんとか間に合うか、と大阪駅御堂筋口のエスカレータを駆け上がる。

階段ならば電車が到着すれば大量に人が降りてきて、流れに逆らって階段を上がるのが苦行だが、エスカレータならとりあえず階段を上がることを妨げるひとはいない。

自分のペースで階段を上がれないのが難点だが。

結局エスカレータを上がっている最中に下る人とはすれ違わず、つまりまだ電車が着いていないとわかる。

もともと、とにかくよく混む電車である。

どうせ列に入ってもまとな立ち位置が確保できるわけもない、とホームを歩いて編成後ろへ向かう。

電車は少々遅れて入ってきて、降車客と交錯しながら後ろへさらに歩き、結局車掌の前、つまり最後尾扉から車内へ滑り込む。

実際どの扉もよく人が張り付いていて、「ドア閉めます」の声であわてる多くの乗客が扉で右往左往する。

まぁどの扉も一杯なので、目の前の扉にからだをねじこむのが正解なのだが。

 

ところでこのところ微妙な遅れに毎日遭っている。

月曜朝は野洲のあたりが濃霧で10分遅れ、昨日は午後に須磨で公衆立ち入りがあったそうで17:30の新快速が遅れていたらしく、

17:40に大阪駅ホームに上がるとなんと17:45の3498Mの列先頭になった。

野洲着は6分遅れになったが、まぁ悠々大阪駅着席で、この程度の遅れならまぁよし、としよう。

 

今日の3500Mは大阪2分延であったが、高槻の場内で待たされ遅れが拡大。

本来なら千里丘で抜き去り姿をもう見ることのない京都行きC電に追いつかれてしまう。

どうやら須磨かどこかでT電が急病人かなにかあったらしく、遅れを出している様子。

高槻で車内通路に入り込んで立ち位置を確保、さすがに編成後ろは高槻でよく降りる。

あれ、珍しく高槻で駅員の姿を見る。

通告券でも出したのだろうか。

ちょっと高槻の出発に手間取り、C電が先発。

それでも島本で再び抜き、さらには長岡京でT電、さらに西大路でC電を抜いていく。

が、また京都場内機外停車中に今抜いたC電(218Cか)にはまた抜かれてしまう。

せっかく機嫌良く走っていたのに信号待ちの間に隣に抜かれるのは気分のいいものではないな。

 

京都で無事に座ってすぐに寝てしまい、山科で一旦目が覚める。

電車は外側を走っている。

高槻で見た駅員はやはり通告券を持っていたのかな、と思い出す。

とはいえ、あまり頭も冴えないまままた寝てしまい、草津を出たところで目が覚める。

守山の発車案内を見ると本来なら先行する804Tがこの3500Mのあとのようなので、外側を飛ばしている間に804Tをどこかで抜いていたようだ。

野洲には6分遅れで着き、隣には802Tが停まっている。

ヲタでない限り、野洲でちゃんと普通電車が待っていればそれが802Tであれ804Tであれどうでもいいことだろう。

なにも遅れ遅れと大騒ぎしなくても、と思ってみたりもするが。

 

大阪駅で人を押し込むように車内に入った3500Mではあるが、さすがに野洲までくるとずいぶん落ち着いている。

もちろん立ち客はたくさんいるのだが、自分の好きなところに立てる程度で、ゆったりとしている。

いつもながらの光景だが、やはりあまり混んだ電車には乗りたくないな、と思う。

 

ところで昨日はその公衆立ち入りの影響だろうか、3500Mは12両だったようだ。

3498Mと運転間隔が近くかつ12両ならさぞゆったりだったのだろう。

ちょっと見たかった気もする。

ちなみにその分3502Mは8両だったようで、これはまた阿鼻叫喚だったか?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  家が増えれば家電も売れるだろう

 

1/19

家で使っているビルトインタイプの200v電熱器のスイッチが効かなくなった。

これでは料理もできないしお茶も飲めない。なんとか急場は代替品でしのげてもずっとこのままというわけにも行かず、

あわてて電熱器を買いに行くことになった。

野洲から草津方向へ車を走らせて緑山田上申計図と4軒続けて回って、おおよそものの目星はついた。

栗東と草津で4件まとめて回れるのは効率がいいが、正直あまり代わり映えのしない商品をあまり変わらない価格で売るのも大変だろう。

しかしこうやって続けて回ってみると、電気屋というもの、店員によってずいぶん印象が違うものなのだなぁ、とつくづく思う。

こちらは事情が事情なのでものを決めたらあとはどう動くかが決断の材料なのだが、人によってはそれでもまだ商品説明をしようとしたり、

あるいは工事内容の説明に要領を得ないなど、聞いていていらいらするような場面も多い。

困ったものだ。

世間がこれだけ悪い悪いと連呼している中、10万円を超える商品をすぐに決めてしまおうとするいいお客のはずだが、

そう扱ってくれないとちょっと面白くなかったりする。

電気屋も大型商品はなかなか売れないと報道されているのだけれど。

 

住宅の着工軒数が前年割れを続けているそうなのだが、こんなご時世でも不動産屋はとりあえず住宅地を造成しないといけない。

守山と栗東の間線路沿いで数カ所造成中だし、石山と瀬田の間ではかなり大きな造成工事をしている。

瀬田川を渡った上り列車は大きな左カーブをしながら坂を上っていくが、その右側、つまり湖側で大きな宅地造成をしているのだ。

わだらんがまだ中学生であったころからずっと変わらない広いたんぼが広がるところであったのに、この一年で急激に変わってしまった。

これで造成が終わり家が建つようになればさらに印象が変わってしまうだろう。

広がる田んぼはわだらんのお気に入りの景色だったのだが、残念だ。

 

まぁそうやってまだ人口が増えそうなので、あれこれ量販店や大型店が進出してくるわけでこれもいわば時代の流れかと思う。

逆に言えば今の日本で人口が増える地域というだけで自慢できそうな勢いであると思うのだが。

家電量販店が密集しながら互いに生き延びられる、と。

 

大阪駅18:22の3504M敦賀行きに間に合い、京都から808T、米原行き普通電車で帰宅。

12両のT電は京都を出た時点では特に編成中央で混雑が激しいが、徐々に空いていき、編成後部は南草津でがらがらになった。

瀬田も南草津もよく降りる。

南草津はまだまだこれからも駅前西口近辺の高層住宅や西側のちょっと離れた造成地などこれからますます住民が増えるようだ。

電車の利用者が増えて編成が長くなれば野洲住民にもありがたいことなのだが、朝下り電車でいえば、

南草津の利用者増は瀬田の着席率低下につながるわけで瀬田利用者からすればやっかいであろう。

でもそこまで考えないかな。

瀬田も南草津も結構ホームが狭く感じたりするものだ、と階段を登っていく人たちを見ながら考える。

 

で、なんで家電量販店はみんなカタカナなのだ?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  長い編成の列車を待つのは常連さん

 

1/17

無事に一週間が終わって少々ばて気味の金曜日、座って帰ろうと18:15の3502Mを狙って大阪駅に向かう。

本来なら18:00の3500M発車前に12両位置に並べば確実なのだが、まぁ高槻でもいいや、とのんびり構えて18:10過ぎにホームに上がる。

先頭位置なら比較的車内にすぐに入りやすく、新大阪で降りそうな出張者が見つかればしめたものである。

 

ところが、ホームに上がってみるといつもと様子が違う。

誰も12両の位置に並んでいない。ホームの案内表示は8両表示を示している。

あれ、これは大変である。

電車がやってきた。8両で、いつもの短い編成位置に停まる。

車内は当然混雑しているし、乗車の列も相当長く、なかなか進まない。

結局わだらんは通路どころか、ドア横に滑り込むのがやっとで、しばらく苦行を強いられることになった。

車内の案内によれば赤穂線内で車両に不具合がおき、編成を短くしたとのこと。

ダイヤは乱れず列車はほぼ定刻に走っているので、運行状況HPに載ってくる話ではないな。

そんな事情は駅に行ってからわかるもので、今更あとの新快速にするかともならないし。

どっちにしろこのあとの新快速は湖西線経由の敦賀行きと米原回りの敦賀行きがどちらも8両でやってくる、

座席確保が極めて難しい列車が続くのである。

 

しかし不思議なものである。

この前後の18:00も18:30も8両、しかも長浜・敦賀行きである。

その両電車とも特によく混む電車ではあるが、こんなドア横にしか場所のないことはあまり経験がない。

みんな長い電車と知って18:15の3502Mを待っていて、8両編成でもしかたなく乗っている、そんな感じがしなくもない。

実際大阪駅では18:00の3500Mの発車前には結構な列が先頭12号車にはできているのだが、

ここに並んでいる人間は最初から3500Mに乗るつもりはなく、長い3502Mを待っている人間である。

ということは三ノ宮でも尼崎でも大阪でも12両編成はホームの前よりに長く伸びる停車位置なので、

こんな混雑した車両は先頭8号車だけなのか、と考えてみたりする。

まぁ5号車や4号車あたりの客はあまり着席にこだわっていないか、もしくは通勤客でない一見さんが多いように思うのだが。

ちなみにちょっと計算してみると4+4の8両だと座席480、8+4の12両だと座席は764、ざっと5割り増しとなる。

当然ながら長い編成のほうが座りやすいわけだ。なんとか京都で座ったものの、車内の混雑はかわらず。

石山を過ぎればもう閑散とするいつもの3502M先頭車の面影などどこにもない。

3500Mは結局8両編成に乗客を詰め込んで草津までやってきた。

待ち合わせの大垣行き806Tはいつもの12両。

先頭12号車はやたら空いている。まぁいつもの806Tと大きな差はないのだが、

新快速からわざわざホームを移動して先頭12号車まで来る客はほとんどいない。

どうせ806Tはこの先空いていく一方でどこかで座れるわけだし、この先の琵琶湖線内は先頭車両ほど改札や階段に遠い駅がほとんどで、

みんな近い車両に乗るわけだ。

 

新快速がやがてすべて12両になるそうだ。

実にありがたい話なのだが、12両が当たり前の感覚になったとき、何かで運用が乱れて8両編成になったときにはさぞがっかりするのだろう、

と今からまだ2年後のことを考える。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  待って5分、遅れて5分

 

1/15

「待たずに乗れる阪神電車」という一時期の阪神のキャッチフレーズがあった。

当時阪神電車は12分ごとのパターンダイヤで、12分が待たずに乗れる間隔かどうかわだらん的には少々疑問ではあったが、

でも12分待てば電車が来るわけで、時刻表なしで電車に乗れるのはやはり謳い文句になるのだろう。

そう考えると待つ感覚というのはどれくらいだろうか?

大阪市交通局の地下鉄中央線は時間8本で地下鉄としては比較的間隔が長く、また千日前線も7分おき、これだと何となく電車が来ないなぁ、と思ってしまう。

寒い冬に風の通り抜ける地上駅江坂で8分待つのもつらいものだ。

一方御堂筋線の新大阪以南での4分おきだとすぐに電車が来る感じがするし、あるいは名古屋の東山線などでも電車を待つ感じはあまりない。

5分間隔ではすぐにくるとまでは思えないのだろうか。

まぁそんな感覚もあくまで気持ちの問題であって、例えば新大阪から大阪までJRなら時間16本、ならすと3.75分に1本あるのだが、でも続々と電車が来るようには思えない。

もし新大阪も大阪もホーム1面で捌いていればまた印象も違うのだろうけれども。

 

水曜日の話である。

微妙に遅れている3506Mを見送って18:37の3508Mに乗る。

大阪始発の野洲行き新快速で、京都までは相当な混雑なのだけれども、いつもなら京都から空く一方で、草津を過ぎれば足を伸ばしてゆったり帰宅の電車である。

京都着席を狙って適当に車内に入り、これまた微妙に遅れている発車を待つ。

なんでも灘で普通電車に車両故障があったとかで、7/8番乗り場はちょっと混乱している。

こちらは大阪始発で関係ないわな、と構えていると発車間際になって京都から各駅に臨時停車する米原行きになると車掌が言う。

あれあれ、と新大阪で一旦ホームに降りると案内は新快速京都行きになっている。

 

この先大丈夫かと案じるものの、高槻で座れてしまい、途中を知らず目が覚めると膳所であった。

しかもホームの発車案内表示は米原行きと出している。

どうやらわだらんが寝ている間に京都から810T、大阪18:22の快速電車に化けてしまったようだ。

しかもこれまた微妙に遅れながら野洲に着き、すっかり810Tに成り代わった電車はいつものように3510M、大阪18:45の新快速を待っている。

京都から琵琶湖線内の客からすれば単純に810Tが少し遅れながら走っているだけに映る、なかなかよい捌き方である。

もちろん大阪から乗った人間にすれば野洲までちゃんと来るわけだし、瀬田南草津と栗東の利用者にすれば石山で乗り換えずに済むわけで

、少々時間は余計にかかるものの、上手なさばきかたである。

どうやら本物の810Tは大幅に遅れているようだが、少なくとも大阪から先の客にとっては新快速崩れの米原行きがあったおかげで見た目に変わらない、

みな丸く収まるなかなかよい列車整理であったと思う。

代走810Tは結局野洲で遅れ5分、でも5分の遅れなら誰もそんなに文句は言うまい。

遅れは困るが、待てる範囲ではないかな、と。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  裏口という言い方はあまりいい言い方でないのだろう

 

1/12

昔のたいていの地方にある国鉄駅は駅前から集落や市街地に向かって一本道が延びていて、

集落の中心地から駅舎へはいると正面に改札、その左側に出札があって、改札を通るとすぐにホームであった。

駅は線路に対して市街地側にしかなく、一方駅の裏手は田んぼの広がる人家のないところであった。

野洲も守山もあるいは草津もその例外でなく、野洲の駅裏は広大な田んぼだったし、

守山の駅裏は化学工場と煉瓦を作る工場だった。

草津の駅裏は田んぼと紡績工場で、これらそれぞれが開発された現在でもおおよそ何の跡地か想像できる街路になっている。

 

駅裏というのは寂れたさみしいところで、ちょっとした規模の駅で裏口のある駅、例えば昔の岐阜や大垣、あるいは富山のような

地下道や小さい跨線橋の先にある小さな出入り口がその小ささで裏口であることをことさら強調していたように思う。

しかし今となっては駅裏などというと失礼な、むしろもともとの駅舎側表口より発展している例などもあって、裏口などという言い方は廃れてしまった。

高槻はもともとの駅舎は北口、天神さんに向いて駅舎があったのだが、いまはどう見ても南口のほうが華やかに見える。

 

昨日の新聞に膳所駅の改築工事の記事が載っていた。

現在の地下道の方式ではバリアフリー化が難しいので、新たに線路上に橋を架けて、そこに改札等の機能を持たせる、というのである。

要するに橋上駅舎化で、ついでに駅の南側にも出口を作ろうということのようだ。

今でも線路を跨ぐ跨線橋はあって、国道側から膳所駅を利用することは可能だが、

現在は一旦線路を全て跨いだ上で改札を通って今度は地下道からホームへ上がるやっかいなルートであることは間違いない。

橋上駅舎化で、国道側からすんなりホームには入れることは現在のいわば南口側を利用する住民のみなさんにはずいぶんと便利になるのだろうと思う。

琵琶湖線内は今となっては構造上盛り土にある山科と大津を除くともうほとんどが橋上駅になっていて、構造上の差異はあまりない、

いわば個性のない駅舎ばかり並んでいるのだが、これも都市化の発展に合わせてとなっては致し方あるまい。

膳所駅改築の話が具体化し、篠原も既に駅舎整備の構想がまとまりつつある。

となると残るは稲枝だけか、稲枝も将来的には変化があるのだろうか。

 

日中大阪市内に出かけていて、18:15の3288Mに新大阪から乗る。

新大阪乗車でも編成前後は比較的空いていて、あっさり着席。

この3288M、12両なのでやはり8両とは混雑度が違う。

休日夕刻の比較的混む時間であるが、12両ならやはり編成前後は空く。

空いた車内は静かでとても快適。電車は高槻京都と人が降り、乗客のまばらな車内を満月が照らしてくれている。

静かな車内はお月見に最高であったりする。

こんな12両編成がすべてになるととてもうれしいのだが、しかし大阪駅の改良工事完成で乗客が増えるとどんな感じになるのだろう。

そういえば大阪駅の改良工事はいわば裏口の再開発と橋上駅舎取り付けである。

工事の内容はとても大規模で大げさなものだが、内容だけで語ると琵琶湖線内各駅の橋上化と変わらないものだ、とちょっと独り言。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  いつもの車、日常の車窓

 

1/11

氷見へ出かけてきた。

たまには家族で動かないと家庭崩壊になるやも、と出かけた旅行であるが、

それでも18きっぷで普通電車乗り継ぎで移動するわけだから、家族側からすればあまりいい旅行でないのかもしれない。

それでも、敦賀金沢、金沢高岡、高岡金沢、金沢福井の各列車とも6両で比較的空いていて、なかなか楽しい車内であった。

むしろ帰りに唯一奮発した福井米原のしらさぎが車内落ち着きすぎて、家族の旅行に似合わないようなものである。

やはりわだらんの家族もどうも贅沢な旅行はできないようだ。

とはいえ、やはりかつての急行型、北陸線の普通列車は落ち着くものである。

決して強がりでなく、適度の広さのボックスシートは家族での旅行にもってこいであるし、

各駅停車ながら比較的高速で走る列車は周囲の広げる景色と合わせて一種の爽快感を演出してくれる。

むしろ特急のほうが速さに過剰に期待してしまいかえってストレスがたまるのかもしれない。

今庄や松任での特急待避は適度な気分転換にもなって普通電車の楽しい移動の手伝いをしてくれる。

もう40年選手ばかりの北陸線ローカル電車であるが、もうしばらく安泰そうなのでこれからもできるだけ堪能しておきたいと思う。

何しろわだらんがまだ若い頃はちょっとした旅行といえばもっとも身近な存在であったボックスシート、急行型車両なのである。

急行列車の削減で普通列車にいわば格下げされてしまったのだが、それでもかつての急行型の権威は幾所にも残り、

そしてその走りもまだまだ健在である。今となってはボックスシートなどはやりでなく、両端2扉は古くさい構造なのだけれども。

 

しかし予想以上に新幹線工事が進んでいてびっくりした。

金沢駅構内と森本までの区間で新幹線高架ができているのは以前来たときに見ていたが、

いつの間にか松任〜金沢の間でも新幹線工事が始まって、早いところでは路盤の工事が進んでいる。

確かに白山市内に作られる車両基地までが着工範囲であることは知っていたが、この区間でもこうやって工事が始まっていることを知ると、

いよいよか、と思う。

新幹線金沢開業の折りにはローカル電車も大きく変わるであろうから、

この愛すべき急行型による普通電車も鬼籍になってしまうのだろうけれども。

 

そんなわだらんからすればちょっと思い込みのある電車ではあるが、いつもの利用者にはいつもの電車にしか映らないのだろう。

わだらんの向かいに座っている通学で使っている高校生なんぞこの電車のありがたみをわからないだろう、と独り言を言ってみるが。

まぁわだらんもわざわざ関東からその俊足を体験するためにやってくる人間が多数いるその新快速を通勤利用しているのだから贅沢な身分なのかもしれないが。

 

氷見線に乗って雨晴海岸を行く。

車内は高校生が多数を占め、一部の観光客が窓に広がる景色を見逃すまいと必死である。

不幸にして立山連峰は見えず、静かな富山湾のみが車窓を埋めている。

それでも広がる海を見る車窓は楽しいものだ、と身を乗り出すわだらんのまわりには

会話を楽しむ友人同士やゲーム機に必死に向かい合っているものなど、高校生には日常の車窓なのであろうか、誰も関心を示すものはいない。

贅沢な身分である、とうらやましがるわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  座席数が増えることは当然座りやすくなるわけだ

 

1/8

突然欧州ネタで申し訳ないのだが、わだらんがお気に入りの駅の一つにハンブルグ中央駅がある。

ドイツ北部、港町で栄えた大都市の中央駅で、列車の発着も多く人通りの絶えない大きな駅である。

ここは欧州の中心駅では比較的少ない通り抜け型、しかもホームが堀割状態で、駅の南北を跨ぐ跨線橋からは7面あるホームを全て見渡すことができて、見ていて飽きないのだ。

欧州の中心駅は多くが阪急梅田や南海難波のような頭端式。

列車の先頭がずらりと並ぶ姿は壮観だが、駅全体を見渡すスポットがほとんどない。

オランダに多い通り抜け型の中央駅は大阪駅や名古屋・博多駅のようなホーム高架に地上自由通路型で、これまた駅を見渡すことが難しい。

そんな意味でハンブルグ中央駅はちょっと異質なしかもご機嫌な構造をしているのである。

大きなドーム屋根に覆われた高い空間はとても上品に見える。

時折やってくるディーゼル機関車が煙をばらまくのが難点であるが。

 

そんなハンブルグ中央駅の雰囲気に似てきそうなのが現在進行中の大阪駅改良工事である。

大きなドーム屋根で覆われたホームの上には跨線橋がかかり、おそらくはそこからホームを見渡すことができるのであろう。

今からちょっと楽しみである。ホームの上にはいつの間にか橋が架かり、やがて姿を現すであろう橋への階段の取り付け工事などが進んでいる。

そのために一部ホームが狭いのはちょっと面倒であるが。

 

さて、そんな駅改良工事による乗客増を見込んだのか、一部報道に依れば2年後に新快速が全て12両になるらしい。

もちろん末端区間では4両とかであろうし、当然米原や姫路で分割併合が行われるだろうけれども、

大阪駅通過時点ではおそらく全ての新快速が12両になるのだろう。

確かに一部列車、例えば大阪駅18:00の3500Mや野洲8:33の3425Mなどずいぶんと混んだ状態なので、

これが12両になれば車内の様子は劇的に変化するだろう、たぶん。

座れないまでも立ち位置に余裕があるのとないのではずいぶん違う。

通路の中に入ってめぼしい人の横に立てることと、ドア付近で立ち客に揉まれるのでは心理的にも肉体的にも疲労度が違うし、

なにより椅子取りゲームにすら参加できない状況ではどうしようもない。

その点12両編成に伸びればかなり違うだろう。

しかも編成が長くなると、慣れない客はどうしても階段に近いホーム中ほどを利用するので、編成の前後では混雑がかなり違ってくる。

毎日利用する通勤客にとっては自分お好みの位置が選択できる幅が広がるわけでありがたいことこの上ない。

京都駅ビル開業の時には高槻京都間の大増発がトピックであったが、大阪駅では新快速の編成増強が目玉、となるわけだ。

高槻京都の大増発は一部駅利用者の優遇であるが、新快速の編成増強は広範囲に効果が期待できそうである。

駅の改良工事の完成も楽しみだが、長くなった新快速は楽しみというよりおそらく朗報であろう。

 

大阪19:15の3516Mで帰宅。

大阪駅にはぎりぎりで着き、ホームに上がると既に乗車列が半分程度車内に吸い込まれた状態。

先頭12号車の前扉に走り寄り、列の最後尾から車内に入り、比較的まだ人の少ないドア付近から通路へと入っていく。

通路は立ち客もまばらで、幸いにも横4人+後ろ2人の6人を見渡す位置に立てる。

これなら誰か新大阪で降りるだろう、と。

幸いにも狙ったとおり新大阪での下車客がおり、大阪駅で全く乗車待ち列に入らずとも新大阪で着席、なんともありがたいことだ。

これも12両編成のなせる技、しかもこの3516Mはその前の19:00発3512Mが12両、さらにその前には7分半間隔で新快速がおり、比較的空いた電車なのである。

全てが12両で運転されれば、こんな狙いの電車もさぞ増えるであろう、といまからちょっと期待してみたりする。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鍵をかけると「使用中」

 

1/6

最近は帰宅時の電車の中でいわゆる夕刊紙を読む人が減っているような気がする。

多くの人間は携帯の画面を見ていて、もちろん最近はメールだけでなくテレビを見ている人も多い。

これも時代の流れだとは思うが、テレビ画面は別としても携帯の画面では人の情報を横からいただくことはできない。

夕刊紙なら少なくとも見出し程度は読めるので、おおよそ何が話題になっているかあたりはわかるのに。

まぁ個人の世界重視の時代であるから仕方ないと言えばそうなのだろうけれども。

 

そんななか、偶然人の夕刊紙記事をちら見していて、明日が昭和天皇崩御の日であると知る。

確かに昭和64年は7日しかないわけで、周知のはずだが、でも新聞の見出しを見るまで思い出さなかった。

もう20年、早いものである。その後の「平成」の元号を掲げた官房長官氏は既に過去帳入りされているし、

まったく音楽の流れていないスキー場なんぞ、この時だけだろう。

 

もう昭和が去って20年、国鉄がなくなって20年を過ぎ、今の若い世代には昔の国鉄の時代の話などわからないことばかりなのだろうと思う。

そもそも今の若い世代では電車の窓を開けることなどぴんとこないのだろう。

でも掲示板などではそんな若い世代と同じ土俵になるわけで、きりきりいらいらすることも多いのだが。

だいたい国鉄の時代には線路に人が立ち入ったから運転を見合わせるなんてこともなかったし、

そもそも「轢かれた方が悪い」わけで、それが当たり前であった。

 

尼崎で3時過ぎの公衆立ち入り、列車遅れの知らせを聞いて、どうせダイヤは戻っていないだろう、

とタカをくくって大阪駅のホームに上がると、目の前を17:45の3498Mが定刻で発車していった。

なんだ戻っているのかな、と新大阪までC電で向かうと、おねえさん駅員が「はるかは運休」としきりにアナウンスしている。

公衆立ち入りの影響で折り返しが間に合わないそうだ。

直接関係しない区間の列車が来ないような乱れだったのかな、といぶかってみるが、とにかく公衆立ち入りで今は轢いた方が悪いのである。

 

なんともややこしい世の中になった、とそんなことを考えて新大阪から乗った3500Mは223系の1000番台。

97年製造の後期車ではあるが、もう10年選手。

生まれた頃から223系を見て育った若い世代には昭和の時代などわからないわな、

とぶつぶついいながら幾分車内の空いた石山を出てまぁトイレに行くか、と。

するとトイレの前で懐かしい「あき」の文字を発見する。

そうか、このトイレはまだ国鉄の時代とほとんど変わっていなかった、とちょっと喜んでみる。

もちろんそれがトイレ利用者にいいことかどうかは別だ。

とはいえ、99年製造の223系2000番台車ではトイレは拡大版自動ドア、もうそこには「あき」の文字はない。

この97年製の車が昭和の名残の最後の砦か、と改めて思うわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  今年も先が思いやられる

 

1/5

朝起きられるかどうか心配していたが無事目が覚めて、年末年始の休暇明け、久しぶりに野洲5:57の707Mの客となる。

ホームに降りると既に707Mは据え付けられ扉が開いていて、座席にはもうぱらぱらと乗客が着席している。

いつもとかわらない光景と思いつつ編成後方へ歩いていく。

するとわだらんの乗る後ろ編成は窓の構造の変わった現時点での223系最終グループ、つまり比較的新しい車であった。

新春から何かいいことがあろうか、とちょっと期待してみたりする。

 

しかし最近はネットのおかげでいろいろなことがわかる。

年末年始、津に帰省していたわだらんであるが、元日早々運行状況HPで人身事故を知る。

よりによって元日から、しかも初日の出とほぼ同じような時間に電車に喧嘩を売らなくてもよかろうにと思うのだが、

正月であっても思い詰めてしまうと関係ないのだろうか。

初詣でで電車に乗っておられた方も多かろうに、初詣から人身事故の乱れに巻き込まれるのもなんとも縁起が悪そうな。

 

まだ新しい車に当たってこいつは春から縁起がいいかなと内心喜んでいたわだらんは、異様な徐行で目が覚める。

停まったのは新大阪で、しかもここで運転見合わせだという。

甲子園口手前で人が倒れているのが発見されたとか。

新年最初、仕事始めが人身事故かとあきれかえってみるがどうしようもない。

電車は動く気配もなく状況もよくわからず、隣のC電ともども抑止されている。

車内から多くの乗客が降り始める。

駅での抑止のせいか、車内は平穏だが、やはり居心地はよくない。

休み明けの最初がこれかいな、結局今年もあまりよいことはなさそうだ、と思ってしまうわだらんであった。

 

 

とはいえ、皆様方にはきっとよい新年を迎えられたこととお喜び申し上げます。

本年もわだらんにおつきあいのほどどうぞよろしくお願いいたします。

 

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