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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
09年 2月
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670. 2/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 山越えて通勤通学
669. 2/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車の画一化は世間が味方、ヲタには敵だ
668. 2/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 金は天下の回りもの
667. 2/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 2扉車ならではの静寂もあるはずだが
666. 2/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 線路の点検が降雪のためでなく
665. 2/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 橋上駅ではホームで何もできないなぁ
664. 2/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今日は13日の金曜日、来月も13日の金曜日
663. 2/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 某巨大ショッピングモールの玄関口でもある
662. 2/9 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れが人為的に拡大する不思議
661. 2/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅前に必要なものって何だろう
660. 2/4 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 空気中の水分の七変化
659. 2/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ロングシートで飲み食い同時は難しい
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 山越えて通勤通学
2/28
60-70kmという距離は中京・関西ではなかなか微妙な距離のようだ。
野洲大阪が72.5km、大阪草津は65km、大阪篠山口が66.1kmでおおよその1時間、ざっと通勤圏の最縁部と見てよさそうである。
ちなみに上本町名張も67.2km、さらには名古屋津間が近鉄で66.5kmとなかなか条件が揃う。
これが電車の遅い東京周辺では小田急秦野や東武伊勢崎線羽生あたりなど1時間を超えてしまい、
東京近郊なのに田舎扱いされてしまうようなところになるが。
とはいえ、例えば野洲でも篠山口でも、あるいは名張でも、朝乗ってしまえばとりあえず都心まで1本で向かえるわけで、
座れる状態ならまだ快適なのだろうと思う。
田舎の残る外縁部でも、立ち通勤覚悟の瀬田や大和八木あたりよりずっと楽に思えるが。
もっともこういった1本長距離通勤の場合、何かあって列車の運行が止まるともう大騒ぎである。
発生場所にもよるが、一般的にはまともな代替輸送の成立しないところが多く、
例えば野洲だと京都までの私鉄振替輸送では家に帰れないし、福知山線にしても宝塚以北で列車が運転できなくなったら代替案がほとんどない。
そんな事故がないことをいつも願っているしかないのだが。
ところで金曜日27日、早朝に近鉄電車が山の中で脱線した。
幸いにも死者は出なかったが、架線柱をなぎ倒し、車輪がバラストに突っ込んでなんとも無惨な姿になった。
当然大阪名古屋の特急は運転休止なのだが、「新幹線に振り替え輸送した」などという話はない。
振替輸送は通勤利用を救済するのが目的なのだろうな。
しかし、以前聞いた話によると、津市内の住民で、名張の県立高校に通う子がいるそうな。
調べてみると、津と名張は急行普通電車でおおよそ1時間。
山を抜け生活圏の違うところを行き来するのでわだらんから見ればずいぶん遠くに感じるものだが、でも電車も空いているだろうし、
通学する当人たちは慣れてしまえば無理せず電車通学しているのだろうな、と思う。
わだらんなんぞ未だに津名張間という通学通勤客がいること自体信じられないが。
朝駅に行って電車がないと告げられた高校生、さぞびっくりしたことだろう。
この近鉄の脱線事故で乗客9人と報道されていた。
早朝の始発電車、しかも津・名古屋への方向である。
観光客がいるとは考えにくくほとんどが常連の通勤通学者なのだろうと思う。
決して都会でない区間で、しかも長大トンネルで川筋をわけるような山越えを常時往復している通勤客というのも結構大変に思う。
距離的には津名張で50kmほどだが、毎日72kmを行き来しているわだらんであってもずいぶん遠い距離に見える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車の画一化は世間が味方、ヲタには敵だ
2/25
この春のダイヤ改正版時刻表が発売になった。
全国版と関西版(それでも携帯全国と銘打っているが)の2冊の時刻表を揃えて結構な出費になった。
これに今回は近鉄時刻表も購入せねばならず(いや義務でもなかろうが)さらに出費がかさむ。
たかが時刻表ごときでとも思われそうだが、それでも決して小遣いが潤沢にあるわけでなく、
かつあれこれ葬式厨用に資金を用意しておかねばならないとなると、なかなかそう簡単に時刻表も買えなかったりする。
今回の改正は東京から、あるいは大阪からでもあるが、九州への在来線直通列車がついに消えてしまったり、
あるいは大阪の本線筋で終電が繰り上がったり、と事前の報道ではあまりいい内容ではなさそうな。
さらには漏れ聞こえてくる内容もいい話しでなく、結構戦々恐々としていたのだ。
が、実際詳細を見てみると、少なくとも野洲基準では悪くない、むしろ深夜最終近くの大阪発列車が
結果的に所要時間短縮になっていたり、あるいは下り夜間が増発されたり、とむしろ改善点もあったりする。
個人的には米原発草津行きという琵琶湖線内完結のローカル電車がなくなるのが残念だが、
これとて草津止めの電車が大阪姫路まで直通するようになるわけで、一般客からみれば歓迎されるものだと思う。
細かい修正点はまだ他にもあろうが、九州への寝台特急廃止以外はわだらん的にはよい改正のようだ。
ところで、最近気になるのが新幹線500系の処遇である。
野洲で時折500系を見かけると運が良かったと思うのだが、今となってはわずか一日2往復、つまり4回しか野洲を通らず、
ただやみくもに線路近くにいたのでは姿を見ることができなくなってしまった。
少し前までは時計代わりになったのだが、今となってはN700系も次々やってくる状態で、
かつ300系のぞみもまだ多数あって、列車の特定がしにくくなった。
つまり時計代わりにならないわけだ。
ところで、その500系が東海道区間で疎ましがられる理由が他の車両との互換性がよくないことである。
300系が大量増備されるに従って、異常時に編成ごと差し替えをしても乗客案内に支障がないよう、
列車編成内での各車両の定員や設備を揃えるようになった。
確かにダイヤが乱れても編成に差がなければ折り返し列車を差し替えるのに支障はなく、ましてや新幹線は支線などないので、
多少行き先の遠近はあってもどこか本線を外れるなどということはない。
ダイヤの乱れの影響を抑えるための策であり、その効果は大きい。
もちろんヲタ的には結果として来る列車が面白みのない、それこそ時計代わりにならない状況になっているのはしかたのないことであるのだが。
東北新幹線も新青森開業に備えて列車編成の規格化を進めるそうで、昔のようないろいろな列車が混じって走ること自体
今の世の中に合わないようだ。
確かに東北上越の各新幹線は東海道に較べれば複雑怪奇なところがあって、一旦乱れるとなかなか収束しない。
ダイヤや編成の画一化は面白みを奪うが、いざというときのことを考えると致し方ないのだろう。
火曜日の朝、いつもの713Mに乗ろうと野洲駅へ向かうと、入線してくるのは223系であった。
前日の南草津事故の影響だろうか、正規の401運用表示、これも編成ごと運用を置き換えた、ダイヤ乱れ対策なのだろう。
221系の運転時分なら223系でまかなえる、いわゆる上位互換である。
が、わだらん的には223系になると8席座席が少ないという大きな問題である。
この日も少しホームに降りるのが遅れたわだらんはいつも713Mで乗る定位置が取れない状況である。
もちろん座ること自体には影響はないものの、でもいつもの場所が確保できないのは少し面白くない。
たかが8席、されど8席、車両によって定員が変わるのはやっぱりよろしくないか。
そう結局本線も近いうちに223系ばかりになってしまうのだろうけれども。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 金は天下の回りもの
2/23
歯医者の予約を取ってあったので、急いで仕事を切り上げ大阪駅へと向かう。
ちょうどサンダーバード39号の発車時刻にホームに上がり、12両の長い編成を見送る。
車内は閑散として静かな雰囲気。
この乗車率なら12両はおろか9両編成でもまだ過剰に見えるが、なぜか月曜金曜はこの39号は12両。
金曜は確かに混んでいるが、月曜はなにか折り返しの関係なのだろうか。
いつもそこそこ座席が埋まってくれると列車を見送るのも楽しいが、あまりに空いた列車を見送るのは悲しいものがある。
山陽新幹線の乗車客が15%減、と報道にある。
出張者の減少や旅行手控えで全体に移動人口が減っているのは山陽新幹線だけでなく、東海道新幹線やあるいは空路でも同様らしいのだが、
その手の暗い話を聞くとなんとなく気が滅入る。
世の中金のまわりがよくないのは、やはりよろしくないな、と。
とはいえ、新快速3498Mはいつもの混み方。多少季節による変動はあるが、曜日などによる大きな変わりはなく、普段通りの表情であった。
野洲には定刻で着き、歯医者にも間に合い、問題ない帰宅であった。
ところが、後から知ったことなのだが、今日の午後、南草津で人身事故があったそうだ。
新聞によると23歳男性が自殺と見られる飛び込みを上り新快速にしたそうで、おおよそ1時間運転見合わせがあったそうだ。
相も変わらず人身事故は減らず、ましてやこの世相で余計に暗くなる雰囲気、もちろん電車が遅れるのは迷惑千万だが、
でも命を絶たねばならないほど追いつめられたのか、何も自分の命を放棄する必要はないだろうに、と思う。
もちろん人それぞれ事情があるはずで、それを軽々しく言うつもりはないが、やはり世の中明るい話題で金回りがいいことがありがたいだろうし、
このトンネルを抜けて景気がよくなれば、人身事故も減るのかな、と期待してみたりする。
とはいえ、人身事故には驚かないが、事故がなかったような列車ダイヤの回復には驚く。
もとより琵琶湖線側、京都以東の列車の捌きは悪くないのだが、今日のように午後の事故で夕方何もなかったような様子は立派である。
もっとも事故に慣れてしまう、処理がうまくなるのがいいことかどうか、考え込んでしまうが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 2扉車ならではの静寂もあるはずだが
2/20
時期的に学生が少し減ったのか、米原からやってくる朝の711Mは野洲で窓側が確保できるようなぱらぱらとした乗車でやってきた。
もともと金曜日は平均して乗車が少ないし、今朝は雨でもあるので輪をかけて空いているのかと思う。
そんなわけで221系のドア前、肘掛け小テーブルのついた座席で窓側を確保してのんびりくつろいでいる。
通勤電車でこれだけのんびりできるのは贅沢なことだと感謝している。
もっとも贅沢な空間は通勤電車、混雑時には面倒なことであって、ダイヤの乱れなどの異常時が起きるととたんに客扱いに手間取ったりする。
あるいは一部の6両編成の列車などはいつも混むと口の悪いヲタが地雷だなどと揶揄しているのだが。
とはいえ、やはり自分のスペースが確保できる転換クロスシートはありがたい存在である。
電車は草津石山と進んでいき、車内に立ち客も増えてきた。
そんななか、この711Mは山科で大量の乗車がある。向かいに先着している湖西線電車1803Mから人が流れ込んでくる。
もともと湖西線の各駅から京都を越える高槻大阪方面へは山科乗り換えが常識で、
琵琶湖線内から着席している京都下車客の座席を狙えるし、なにより平面移動、階段の上り下りなしで
大阪へ直通する琵琶湖線電車に乗り換えられるのが利点である。
しかもこの711Mは湖西線1803Mより3分京都先着で、湖西線からの京都までの客も結構乗ってくる。
が逆に見ていると湖西線電車にそのまま残る客も多数で、京都への数分の先着より座ってのんびりのほうがいい、という選択肢もあるわけだ。
この1803Mは117系の8両編成。一部座席の改造された通勤タイプの車。
でも往年の新快速用の風格たっぷりのいわば優等車である。肘掛け付き座席だし。
今でこそ2扉で厄介者扱いの117系だが、でも通勤時間帯を除けば湖西線にぴったりの車ではないか、と思う。
ゆったりとした座席、2扉の広い空間。
117系のうち福知山線時代に座席を改造されたものは帯の色が変わって、福知山色などといわれているのだが、最近元の色に戻った車が増えている。
色だけ見ればオリジナル、つまり国鉄時代の登場時そのもので、そのうち国鉄時代がどうのこうの、とブームを焚き付ける輩が出てくるだろうか?
1803Mもそんな原色車の、風格ある8両編成。
でもよく考えるとこの原色の8両貫通は国鉄時代にはなかったのだけれどなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 線路の点検が降雪のためでなく
2/18
月曜日の帰り、野洲駅から歩いている途中でひらひらと雪が舞ってきた。
気温がそれほど下がっているわけでもなく大したことにはならないな、どうせほんの少し舞うだけだろう、などと思っていた。
ところが、翌火曜日の朝はおやっと思う程度に白くなった。
ざっと見ると5、6cmだろうか、車の上やフェンスの上などは真っ白である。
道路のアスファルトは少し地熱があったのだろうか、黒いままで、一面の銀世界とまでいかないのはちょっと残念だったりするが。
しかし今年は雪が少なく、野洲でまともな積雪を見たのはひさしぶりである。
おまけに今年は雪雲の流れが以前にも増して南よりで、この日も結局積雪になったのは野洲川から愛知川を中心にするところらしく、
アメダスで見ると関ヶ原は全く積もっていない。
本来降るべきところで降らないのはどうも気になるところで、これも地球温暖化のせいなのだろうか、などと考えたりする。
そんな天気である。
定刻で雪の中を走ってきた711Mはドアまわりに雪をこびりつけて、いかにも寒そうな気配である。
ただ屋根には雪がほとんど載っておらず、米原で夜明かしの間にはほとんど雪が降らなかったのだろう、と容易に想像がつく。
野洲からしばらくは田畑に雪が積もってまだ日の出前の暗闇の中でぼんやり光る。
草津の手前まで雪があったのだが、さすがに草津駅の構内近くまで来るともう雪はない。
もともと草津から石山のあたりが一番雪の少ないところ。
大津駅あたりまで行くと今度は比叡山が近いせいか結構白かったりするのだ。
ところで先日の休みに昼間電車に乗っていて、草津駅構内の分岐器がちょっと気になった。
分岐器が温風式になっているのか、何か以前と少し違うような気がしたのだ。
この雪の朝、ぼんやり暗闇の中で見る限りでは確かに分岐器まわりははっきりしているように見える。
以前ならカンテラの炎が見えていたのだが、どうやら遠隔操作による温風式にしたのだろうか。
もちろんそうすることによって人力は省けるはずなのだが、昔々は駅員さんが分岐器一つずつにカンテラをつけて回るのが
よく新聞ネタなどになったものだが、今のような単純なスイッチ一つでまとめてどん、では風情はないな、と思う。
とはいえ、雪の害がないのはある面ありがたいことかもしれない。
いつもの冬ならそんな光景が当たり前なのだが、今年は数えるほどである。
今日水曜日朝、長浜と今庄の間で電車が徐行していたそうだ。
これが雪ならいつもの風物詩、いつもの区間だが、地震による徐行ではなんとも力の抜ける話である。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 橋上駅ではホームで何もできないなぁ
2/16
駅のホームに何があるかなどというのは実際にその駅を利用していないとなかなか気がつかないもので、
ましてやその駅を利用していてもいつも同じような位置で乗り降りしていることが多いので、結局ホーム上に何があるかわからないことが多い。
昔は確か大阪駅のホームにポストがあったのだが、今もあるのかどうかよくわかっていないし、公衆電話すらどこにあるか記憶がない。
金曜の帰宅時大阪駅の改札でおねえさんが駅員に「公衆電話はどこか?」と尋ね、
「各ホームにあります」とおねえさん駅員氏が答えているのをちょうどそば聞きしたのだが、でもホームのどこにあるのだろう?と考え込んでしまった。
いくつかの駅のうどん屋ならどこにあるかおおよそ見当はつくが、最近改札内うどん屋は消える傾向にあって、
以前の記憶が確かでない可能性も多く、これすら当てにならない。
そもそもホームから売店類が減っている。
以前にも書いたことがあるのだが、彦根や草津、高槻・茨木など主立った駅ホームの売店がいつの間にか飲み物の大きな自動販売機に変わっていて、
今琵琶湖線内では米原と山科・京都でしかホーム上で買い物できるところがない。
橋上駅の続く琵琶湖線内では、改札横にコンビニや売店のある駅は多いのだけれど、ホームからわざわざ階段を登ったあげく、改札を出なければならない。
野洲もあるいは近江八幡でも彦根でも。
草津ではまだ幸いにも改札内にコンビニがあるのだが、しかし跨線橋上である。
以前のホーム売店のように簡単に買い物ができるものでもなく、ましてやコンビニのレジで並ばされるようならわずかな時間での買い物ができない。
品数が多く選びやすいのはありがたいが、でもコンパクトな売店のほうがわずかな時間で簡単に買い物できるような、
そしてなにより列車に近い方が安心して短時間でも買い物ができると思うのだが。
昨年末から野洲駅上りホームの上屋増築工事が始まり、いつのまにかずいぶんと進んでいる。
東京方はすでに全て工事が終わり、神戸方の新設もほぼ完成したのをなんとなく毎日眺めていたのである。
ところが、金曜日になって突然従来からあった上屋部分が囲われているのに気がついた。
基本的に帰宅時は編成前より、その多くは先頭車に乗っているが故に、跨線橋より後ろ側の工事の様子をよく観察していなかったのである。
もともと跨線橋の神戸方、つまり編成後ろよりには昔ながらの小さな屋根と屋根の下にベンチ、自販機と公衆電話があった。
おそらく野洲駅は橋上化される前、つまり単なる跨線橋で線路を越えていた時代からそのままの姿ではなかったか。
そんななんともこぢんまりとしたかわいい雰囲気で気に入っていたのだが、この部分を撤去して新しい屋根をつけるようだ。
既に従来の屋根部分は撤去されて、柱である古レールがむき出しになっている。
そして囲いの中はベンチも自販機も、そして公衆電話も撤去されて、素っ気ない姿である。
屋根が完成すればまた何か置かれるのだろうとは思うのだが、でもいままでの小さな屋根が気に入っていただけに、ちょっと残念。
屋根を伸ばせといつも思っていた割に、いざ屋根が伸びると残念とかいう、身勝手な話である。
栗東も守山も、あるいは篠原も、ホームに待合室がある。
野洲には残念ながらホーム上の待合室がない。
上屋延伸で何かホーム上にできるのだろうか、
待合室はどうだろう、などと楽しみわくわくではあるが、でもホーム上にいまさら売店ができることはないだろう。
ダイヤ乱れの時なんぞに何か露店でもやってみようか、といつもたくらんでいるのだが...
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今日は13日の金曜日、来月も13日の金曜日
2/13
13日の金曜日というのはあまり縁起のいいものではないらしい。
まぁいちおう仏教を信仰するわだらんにはあまり関係はないはずだが、話のネタにはなる。
もっとも縁起の悪い話をネタにするのもあまり面白いものでもなく、実際わだらんは18:37の新快速に乗っていたので問題なく助かったのだが、
大阪19:00の3514Mが山崎で事故に遭ってしまったそうだ。
口の悪い掲示板の連中は13日金曜日のたたりだ、などとへらず口。
でも何か悪いことを期待したわけではもちろんなく、別の意味で13日の金曜日というのがずっと気になっていた。
いや、冗談半分で寝台特急「富士」の寝台券を申し込んでおこうか、と思っていたからだ。
今日がちょうど一ヶ月前、つまり今日発売の寝台券が東海道山陽線を下って九州へと入る最後の寝台券なのである。
別に最終日にこだわっているわけではないが取れるものならとってみてもよいかなと思っていた。
単なる野次馬根性であるが。
ところが、朝小寝坊してしまい、713Mに駆け込むのがやっとで、みどりの窓口に立ち寄るのをすっかり忘れていたのだ。
申し込みどころの騒ぎでなく、結局単なる妄想で終わってしまった。
まぁせめて最終日、上りは4時前なので無理としても、下りは野洲0時半すぎなので、野洲で見送りをしてみよう。
ヲタなんぞどうせ寝ていない、寝台側も通路側もカーテン全開、みんな張り切って起きているのだろうから。
とはいえ、この日を持って、野洲から定期の客車列車が消える。
明治24年に野洲駅が開業して以来、ずっと機関車の牽く客車列車が走っていたのだが、
これで定期列車としては1往復の気動車を除きすべて自分で走ることのできる客車、つまり電車で編成される列車ばかりになる。
このご時世、自走できない客車を連ねて走るのはいろいろと面倒なことが多い、それはそれでよくわかるのだが、
昔のような雑多な種類の客車を連ねて走る、いろいろな行き先やいろいろな特殊車、食堂車や寝台車、そして郵便車や荷物車など、
1両ごとに異なる種類の車をつなげてごとごと走る、という列車はもう過去の記憶の中でしかない。
絵本「やこうれっしゃ」(西村繁雄さん作)に描かれた旅の姿、列車の姿は今となっては単なる昔話になってしまった。
寂しいことだが。
駅に停まっているときの本当に何も聞こえない静寂、これこそ夜汽車、動力を持たない客車の醍醐味であった、とわだらんは思っている。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 某巨大ショッピングモールの玄関口でもある
2/11
週中の祝日である。
わだらん的には休みは長く続く方がいいのだが、たまにぽつんと休みがあってもまぁそれはそれでうれしいものだ。
そもそも昔は土曜日は半日仕事をしていたわけで、熱海が発展したのは新幹線で東京からわずか1時間、
土曜の午後に仕事を終えて出かけても夕食が宿でゆっくり食べられ温泉に浸かれるからであって、もし半ドンがなければ熱海は繁盛しなかったのではないか、
もし昔から週休二日なら白浜や山中はもっと派手になったのだろうかなどと考えてみる。
そんな休みの日、午前中ふらふらと南草津へ出かけてみた。
最近南草津に降りたことがなく、図書館にでも行ってみようかと思ったのである。
南草津駅前には草津市立南草津図書館があって、野洲市民なら自由に本が借りられるのである。
南草津の改札は天井の高い開放感のある感じで小綺麗である。
野洲も守山も、あるいは草津にしても天井が事務的な高さなだけでゆとりはなく、ましてや今となってはちょっと狭苦しい感じになっている。
南草津も平日朝の工場勤務の方や学生があふれる時間ならさぞ大変なのだろうが、
今日は休日で日中ながら学生も目だたず、人も適度にばらけていて、高い天井がより高く感じられたりする。
昔まだ南草津駅ができた当時、西側はおろか東側も半分は区画整理の終わったばかりの遊休地で、
今は某米国巨大資本に買われたスーパーができたときの開店セールはその遊休地を使った未舗装ぼこぼこの仮駐車場だった記憶がある。
でももうそれから10年近くがたち、某スーパーのまわりはマンションなどで取り囲まれ、ずいぶん小さくなってしまった。
そういえば国道沿いにある某銭湯の開店した当時は電車から銭湯の「ゆ」の看板が見えていたなぁ。
図書館の入っている建物は6階建てで周囲から見ればそう大きな建物ではないのだが、駅から直接3階に入れる便利な構造。
というかもともと南草津の駅が築堤上に作られたので、駅前広場との高低差が結構あって、一階広場から改札口まではかなり長い階段を登られねばならない。
もともと改札までに必ず階段を登る必要があるのは橋上駅の定めであるが、南草津は特に長い。
そんなわけで、改札と同じ高さで歩道橋、今風に言うと空中回廊ペデストリアンデッキが図書館のある建物の3階につながっているのだ。
草津や栗東は同じような歩道橋が建物2階でなので南草津の構造が他と違うところがよくわかるのだ。
せっかく出向いてみたのに、図書館は祝日で休み。
そういえば野洲図書館も祝日休みだわな、と着いてから気がつく愚かな話。
それでも南草津の最近の様子が観察できたのだからよしとするか。
ただ、駅の両側にたむろするバスの数を見てやはり驚く。
某異音モールへのバスは時間4本。
この南草津発着便増発のために、守山野洲発着のバスがずいぶん減便されたのだ、とバス利用しないわだらんが直接関係ないのに恨み節。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れが人為的に拡大する不思議
2/9
本来素人が文句をいうべき筋合いではないだろうし、文句をどうこう書くのは好きではないのだが、でもやはり文句を言いたくなってしまうことがある。
常日頃人生何でも笑って過ごせるのが一番健康のコツだと思っているのではあるが。
地元でちょっとした寄り合いがあって、間に合うようならおいでと声をかけてくれたので、そそくさと仕事を切り上げ大阪駅へと向かう。
今日も一日出入りの激しい忙しい日だったが、帰る間際にどうしても処理しなくてはならない案件がなく、とりあえず仕事場を出る。
大阪駅に着いたのが17:27、余裕があるわけではないが、それでもこれならなんとか17:30の3496Mに間に合った、とちょっと小躍りで改札を通り抜ける。
が、その次の瞬間、改札上の発車案内に3496M敦賀行きの案内がないのに気がついた。
あわてて改札で尋ねると3496Mは運休だという。ならば3498Mはどこにいるかと聞くと芦屋だという。
それなら3498Mを待つか、T電より早いだろう、と判断してみる。
ホームに上がるとまったく乗車列がない。先頭扉の列先頭を確保して、電車の到着を待つ。ただ、3496Mは運休なのに列がないのは何でだろう?
新快速は運休なので快速利用をと乗客の誘導があったのだろうか?
一方内側線は西明石で迷惑行為だとかで17:38の804Tが8分遅れでやってきた。
6両の221系はドア付近が超満員のようで、ちっともドア扱いが終わらない。
結局5分近く停まってやっと出ていった。通路はまだ余裕がありそうだったが、でもよく乗っている。
混雑時の間延び後の電車が6両T電であるケースがやたら目につくのだが、何かジンクスでもあるのだろうか。
そんな7/8番ホームの様子を9番線から見ていたが、やがて遅れた3498Mがやってきた。
大阪駅10分遅れである。
何でも兵庫駅で3496Mが車両不具合で運転打ち切りだったそうで、車内は大阪を越える滞留客が多く、空席が出ない。
列先頭でかろうじて最前部位置の優先席区画でなんとか座席を確保し着席する。
電車はよく混んでいて、通路側に座ったわだらんの横にも大量に人がやってくる。
優先席にいるのはこういうときにはどうも気分がよくないが、幸いにもご老人や妊婦さんの姿はなくちょっと安堵である。
しかし例によって列車整理のできない運転指令である。
10分遅れの3498Mはまず内側17:53の快速806Tの開通待ち、さらには遅れ17:47の1204C開通待ちで、結局大阪発は15分遅れ。
そこまで新大阪13番にこだわらなくても、T電やC電を待たずに外側を走ってもいいはずだと思うのだが、とにかくなぜか遅れを拡大する運転整理である。
案の定高槻で806Tの3番開通待ちで機外停車、さらには京都で804T開通待ちであろう再び機外停車、そして琵琶湖線内は内側で804Tに追いつきのんびりごろごろ。
結局野洲に3498Mが着いたのはほぼ30分遅れの19:13であった。
2番には804Tが停車中、これまた新快速3498Mからの乗客をうけては見たものの6連はさすがにきつく、なかなか客扱いが終わらない。
そんなこんなで30分遅れの804Tが出ていった。わだらんはありがたく座っていたからよかったが、結局大阪駅で見ていた804Tが野洲先着というのは何か腑に落ちない。
さらにはもともと10分遅れだった3498Mが大阪野洲間でさらに20分の遅れ拡大とはどういうことか。
何か支障があって遅れ拡大ならまだあきらめもつくが、単なる列車扱いの間違いで遅れ拡大とは一体何のための運転整理か、と疑問に思う。
もちろん手抜きとか不真面目とかと言うつもりはないが、もう少し何か別の整理方法があろうに、と思う。
少なくとも大阪駅では通告券出せるはずと思うのだが。
遅れ拡大の3498Mに続いて3500Mが10分遅れでやってきた。
野洲以前でずいぶん3498Mが積み残しをしたのか、車内は運転間隔が短い割によく混んでいる。
野洲を出た時点でも通路まで人が立っていて、ご苦労なことである。
しかしなんともおかしいのが、3500Mの発車まもなく806Tがやってきたこと。
12両の806Tはさすがに前を走る新快速が客を拾っていったのか、草津で3502Mを待たず見捨てたのか、がらがらでやってきた。
これならいらいらしなくても12両の806Tでのんびり帰ってくれば、なにもきりきりしなくてもよかったのに、と結果論ではあるが、なんとも面白くない話である。
そんなわけで今日は大阪駅に着いてから野洲駅まで1時間45分。
寄り合いにはかろうじて顔を出したがなんとも中途半端な夜であった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅前に必要なものって何だろう
2/6
世の中ものが売れなくなって大騒ぎになっている。
自動車産業のような裾野の広い分野では、大企業の自動車会社以上にそれを支える小さな工場が、
あるいは半導体産業のような特定の地域に大規模な工場があるものなど、不景気などという言葉を通り越した悪い雰囲気になってしまった。
野洲市にも東の丘陵地帯に携帯電話の部品などの電子・半導体機器を生産する京都本社大企業の工場があって、多数の方が野洲駅を利用している。
つい去年始めには「工場規模を2000人から4000人に拡大する」との話だったのだが、
先日の新聞には「今後契約満了の派遣社員の継続手続きはしない」と報道があった。
野洲駅の周辺にも派遣社員用と思われるアパートがたくさんあり、
いつも派遣会社のマイクロバスが駅前やアパート周囲などを巡回しているのだが、この先どうなるのだろうか。
ということを思ったのも、今週、野洲駅南口の整備計画を野洲市が見直す、と新聞に出ていたからだ。
現在の市長が当選したとき、「野洲駅前をもう少し賑やかに」と語っていたし、実際13000人が乗車する駅にしては確かに駅前が静かだ。
守山と利用者の規模は変わらないのだが、守山のほうがよほど都会である。
まぁ都会と田舎の区別は何で付けるかは個人の感覚で決まるのであって、基準があるわけではないが、
少なくとも人が集まる場所が少ないことだけは間違いない。
だからといって、無理にハコモノを作るのももったいないし、そう広場での車の出入りが大騒ぎでもないのに、
広場を跨いで歩道橋を延ばすのももったいない。
計画の見直しはこの時期いいことだと思う。
大阪19:00の3514Mで野洲へと戻ってきた。
直前に野洲行きの新快速が続き、この電車からの野洲降車は比較的少ない。
とはいえ、一時改札前はざっと人垣が出来、南へ北へ三々五々人が去っていく。
一方でこれから電車に乗る客も多く、改札外にも結構な人がいる。
野洲駅が駅の規模の割には比較的利用者が多いのは、利用が朝出て夜帰る通勤需要だけでなく、
朝来て夜帰る通勤需要も多いからではないか、といつも思う。
バランスの取れたいい形で、それでこんな小規模な駅施設でも回っているのだろう、と。
南口に降りると、いつもの某洋菓子チェーン店がまだ店を開けていて、店の明かりが周囲を照らしている。
一時期賞味期限切れ商品の偽装問題の関係で店を閉めていたときはさすがに周囲も暗く、今店に電気がついていると何かほっとしたりする。
駅前が静かなのはいいことだが、でもやっぱり明るい店がたくさんあれば少しは華やかだろうか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 空気中の水分の七変化
2/4
この冬は全体的に暖冬なのか、まともな雪をまだ見たことがない。
いつもなら野洲で数回ちゃんとした積雪があるのだが、今年はまだない。
湖西の山間部はそれなりに降ったようだが、湖西線が大雪で電車が難儀したとは聞いていない。
北陸地区も同様に積雪は少ないようで、せっかく野洲駅構内にもバラスト飛散防止ネットを貼ったのに威力を発揮できる機会がなさそうだ。
第一この冬は野洲駅の分岐器融雪装置が稼働した日があるのだろうか。
そんなわけで、今朝も何となくなま暖かい雰囲気。
もちろん気温はそれなりに低いのだろうが、真冬の冷たさではない。
ぼんやりした嫌な予感のする空気である。
それでも野洲駅に着くと特に遅れの情報もなく、713Mはいつものように派出所から出てきて、いつものように野洲始発で発車する。
守山栗東と少しずつ客は増えていき、座席はどんどんと埋まっていき、これまたいつものように瀬田では立ち客も出た。
そんな車内の様子を半分眠りながら気にしていたが、山科で目がさえてしまった。
大築堤へと進んでいく途中、薄明るくなった窓の外を見ると案の定霧が出ている。
昔の御陵駅のあたりは視界の外で、九条山のあたりは霞どころか山を知らなければ田んぼや湖と見えてしまうような何もない、何も見えない白い世界。
この様子だと嵯峨野線山間部あたりは大丈夫だろうか、と気になる。
幸いにも東山トンネル前後で視界がさほど落ちることはなく、電車は順調に進み、定刻で京都を発車する。
一旦車内は空いて、落ち着いている。
ところが、京都を出るとまた雰囲気が怪しくなってきた。
梅小路の蒸気機関車群は白い世界に包まれ何も見えず、手前に留置されている嵯峨野トロッコがかろうじてぼんやり見える。
トロッコの車体色が派手だから見えるのであって、白い221系なら見えないかもしれない。
さらに進むと霧は濃くなり、桂川鉄橋では3本先の向日町連絡線の橋梁が見えない状況になった。
当然電車は速度が落ち、桂川駅の通過は停車する電車の方がよほど早く感じられるほどゆっくりとホームに進入ししずしずと進む。
ホームで待っている一人一人の表情まで読めるようなゆっくりとした歩みは結局向日町を過ぎたあたりまで続き、運転所も中程近くになってやっと速度が上がってきた。
第二閉塞は視界が効いてよく見えたのだろうか。
結局長岡京は4分ほど遅れたものの、その後は目一杯がんばって、久々に221系の高速運転体験である。
結局大阪着は2分ほどの遅れであった。
濃霧の徐行区間がまだそう長くなく、他の列車と干渉しなかったので助かった。
ありがたいことだ。次の715Mは大阪で15分程度遅れになったようで、乗っていた713Mがまだ目くじら立てる遅れでなかったのはありがたい。
しかし特に今年は霧が多いような気がする。
もう少し気温が下がれば霜やあるいは雪になるのだろうし、逆にもう少し気温が高ければ水蒸気で目に見えないはずなのだが、何とも微妙なところである。
むしろ雪のほうが電車が遅れてもみんなのあきらめがいいかもしれないなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ロングシートで飲み食い同時は難しい
2/2
わだらんのつまらない話にいつもおつきあいをいただいているみなさまにはいつも感謝をしている、というか頭が下がる。
そんなみなさんからいろいろなお話をいただくので、ずいぶん参考になったりまた話のネタになったりとこれまたたいへんありがたく感謝している。
先日窓枠の話を書いたところ、阪急利用のかたから阪急のクロスシート車には窓枠がないと教えていただいた。
なるほどもともと阪急電車の車体はロングシート用で窓枠部分を座席の背もたれとして使っているし、
なにより阪急電車の場合ブラインドを窓下から持ち上げるタイプなので、窓枠が物置として使えないという構造である。
まぁロングシートでは窓枠に物を置くような必要がはないのかもしれないが、
それでもクロスシートの京都線特急や、神戸宝塚線の一部車両だとゆったり座ったついでに何か飲んだり喰ったりがあってもおかしくないなぁ。
窓枠というと今はなき新幹線0系2000番台車を思い出す。
実際に体験された方がいるかもしれないが、シートピッチが少し広がってゆとりができましたとの謳い文句の代わりに
斜めに加工されたFRP成形の窓枠にはものを置くことができなくなって、ずいぶん不便に感じられたものだ。
今でこそ蓋の閉まるペットボトルが当たり前であるが、少し前までは缶類にしても土瓶型お茶にしても
一度開けてしまうと立てた状態で置かなくてはならなかったので、窓枠に物を置くのはとても重宝だったわけだ。
大阪17:45の3498Mに乗る。
午後に灘であった人身事故の影響はなく、定刻通りに8両編成でやってきた。
ただ運番がいつもと違うので、ダイヤ収拾の段階で運用変更がかかったのだろう。
そのせいなのか、やってきた223系は窓側肘掛け付きの1000番台車。
わざわざ窓枠の縁に段差をつけてくれている造作の細かい車である。
運良く高槻で通路側に座れ、どうせなら窓側肘掛けを使いたいなどと欲を出すが、隣のおねえさんは実は結局野洲までずっと一緒であった。
おねえさんはそんな肘掛けがあるのを知ってか知らずか、肘掛けは使っていなかったようだし、窓枠にも何も置いていなかった。
まぁそれが普通といえば普通であるが。
ところで、窓枠に物を置く、車内で飲み食いすると書いた続きの話だが、湖西線小野から大阪へ通勤されている方から
「湖西線では10年ほど前まで夜に車販があって結構売れていた」とお話をいただいた。
琵琶湖線内では221系で車販を見た記憶がないので、琵琶湖線撤退後も湖西線では車販が続いていたことになる。
このあたり草津や米原の弁当屋に取材してみるとちょっとした研究対象になるかな、と考えてみる。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |