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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
09年 4月
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694. 4/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 特急は速さでなく着席可能が売り物か
693. 4/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車窓が田舎のままで利用者増加は贅沢か
692. 4/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 架線から電気をもらって電気で走る
691. 4/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 景気が悪くなると野洲から特急に乗れる?!
690. 4/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 「CS向上が信頼回復」ではなかったか
689. 4/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 昔は新幹線前部にひげをつけていたのだが
688. 4/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 特急・急行列車での長距離移動が特別な存在であった時代
687. 4/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 青春はあくまで本人がそう思えば青春なのだろう
686. 4/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 花より電車、でもなく花見も楽しみ
685. 4/3 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新幹線新駅中止で急に財政事情が悪くなる
684. 4/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ホームに入るのに駅員に一声かけていたころ
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 特急は速さでなく着席可能が売り物か
4/29
もうすぐ連休だからなのか、何となくわだらんも浮き足立っていて、どうも落ち着かない。
そうはいっても今年は連休にどこにも行く予定はないし、焦るあわてる必要は全くないのだが、やはり世間が連休だともうなんとなくけだるいムードに入ってしまっているようで、結局何か騒がないと落ち着かないのだ。
まぁ休みが多いと出費もかさむから難しいところもあるが。
そんなわけで何となくまっすぐ帰るのも嫌になって、突然帰りがけに鶴橋で近鉄電車を見ていた。
もちろんこれといった目的があるわけでなく、新しく阪神電車の入ってきた新しい奈良線と車両の入れ替わりがあった大阪線の行き交う電車を見ていただけである。
帰宅ラッシュの最中で次々やってくる電車は乗客の入れ替わり激しく、しかも電車が以前にも増して種類増え、見ていて飽きない。
今までの近鉄電車に不釣り合いな阪神のステンレス車体がやってきたりまだ営業運転開始から間もない新特急車22600系など、
そしてわだらんが小さい頃からずっとおつきあいしている元ラインデリア車の2410系や昔の憧れだった2610系など、多少姿は変われどみな元気に走っている。
しかし驚くのは特急の乗車率の高いことである。
奈良行きが6両でほぼ満席、鳥羽行きも8両でよく埋まっている。
19時のアーバンライナー名古屋行きで空席が多かったのを見ると、やはり乗客の多くは近距離客のようだ。
実際8両の鳥羽行きも後ろ4両は名張切り落としで、本来の特急の姿というより、八木や名張、あるいは生駒や学園前といったあたりの着席目的の客ばかり、であるようだ。
まぁそんな遅い時間から伊勢志摩への観光客が居るわけでもないし、驚くことでもないか、とも思う。
とはいっても、例えば京都まで雷鳥で着席目的の客を見ることは多くなく、はるかの京都行きは新大阪でがらがらなのを見ると
近鉄特急だから敷居が低いのか、あるいは特急利用でないと通勤できないのか(実際にはそんなことはないはずだが)
何かリピーターであろう特急利用者が定着しているのだろう、と思う。
でも考えてみれば、新快速で野洲まで帰るわだらんは特急料金を払わずともクロスシートの座席で時には酒も飲みつつ、睡眠しながら帰れるのである。
ありがたい話である。確かに着席できるのが難しい、だから必ず着席できる近鉄特急利用が多いのかもしれないが、
でも新快速でもそれなりに座ることができるわな、と新大阪下車客をうまく見つけてちゃっかり座ったわだらんがあれこれ考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車窓が田舎のままで利用者増加は贅沢か
4/24
立って京都までもしんどいなぁ、と今日は7/8番ホームに上がる。
ホームにあふれんばかりの客が入ってきたC電京都行きにすっと吸われていく。
車内はあっという間に人ばかりになり、ドア付近ももちろん通路も立ち客一杯である。
こんなC電を見ていると、やはり混雑の度合いが新快速とは異なるな、と改めて思う。
野洲を走る電車、221系・223系とも、周知の通り、転換クロスシートが並んでいる。
一般的にドア付近にどうしても立ち客、特にヘビーユーザーでない乗客が集中するので、通路まで入ってしまうと意外と楽なものだ。
もっとも混雑が激しいと、座席間の通路に入るのが大騒動であったりするが。
その点C電はあまり人の少ないところがない。もちろん扉間の深いところはそれなりに空いているのだが、でも新快速の通路内ほどでもない。
詰め込みの効くためには車内にあまり混雑の濃淡ができるとよろしくないわけで、ドア付近以外も人が多いのは本来の目的に合致するのだ。
4扉ロングシートというのはやはり輸送力重視であって、混雑するからこそ真価が発揮できるものだ。
2007年度の駅別乗車人員が載った滋賀県統計書がWEBに上がったので、さっそく表を加工し、わだらんのHPに揚げてみた。
相変わらず県南部地域の各駅は元気で、栗東も順調に利用客が増え、野洲も頑張っている。
まだまだ大阪付近の各駅ほどではないが、悪い内容ではないと思う。
この先景気が不透明で、新築のマンションへの入居や工場新設がどの程度進むか疑問ではあるが、
でも人口増加は県南部でもう少し続くようなので、このまま利用者が増えてくれればいいものだ、と思う。
そんなわけで大阪18:08の808Tに乗ってのんびり帰宅。
12両のT電で車内は余裕、隣のC電の混雑が嘘のようだが、大阪では座れず、しばらくドア横に立っている。
空いた席が見つかればすぐに動けるほどに車内の立ち客はまばら。
これなら転換クロスで充分である。
というか、本来混んだ電車が乗客サービスなのかどうかという問題はあるし、欧米では郊外電車は通勤利用であっても基本的に着席前提であるが。
まぁそんなのんびりしたT電でも人の出入りは多く、京都でも大量に乗ってくる。
そして瀬田や南草津で降りていく。南草津は某大学生利用だけ、と思いこんでいるネットの書き込み者も多いが、
でも実際一般の通勤者、しかも南草津在住の京都大阪通勤者が多いのだ。
決して学生利用だけではないのだが。
そんなT電でぼんやり外を眺めていると、いつの間にか瀬田川を渡った先の広い田んぼだったところの宅地造成がずいぶん進んでいるのに気がついた。
広い田んぼで気に入っていた景色なのだが、ついに住宅地になるようだ。
電車の利用者が増えることは増結や増発の前提条件になるわけで、またそれはうれしいのだけれど、でも車窓が家ばかりでは楽しみ半減なのだよなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 架線から電気をもらって電気で走る
4/22
電車保安やその他の条件を満たした車両で組成されたものを列車とする、と鉄道運転規則という法律で定められている。
細かいことはさしおいて、とりあえず本線上を走るものは列車なのである。
電車であろうと機関車に牽かれる貨車であっても列車としてひとくくりにされるわけである。
ということはヲタとしては仮に踏切で待っている場合でも「電車がきた」ではなく「列車がきた」といわねばならぬ。
電車といいたければ「電車によって組成された列車がきた」または「電車列車がきた」となる。
電車がきた、とは簡単に言ってはいけないのである。
とはいえ、いくらヲタでもそんな面倒なことは言わないから、結局「電車がきた」に落ち着いてしまう。
だいたいわだらんでも電車と列車の区別はいい加減である。
まぁ実害はないし、許してもらおう。
こんなことを思ったのは先日また名松線でキハ11が一人で走り出したという話を聞いたからである。
で、新聞の見出しが「無人電車走る」だそうで、確かに素人目からすればその通りだが、
でもこの場合乗務員もいない保安の効かない状態なので「車両」が正しくなる。
従って「無人車両走る」であればいいわけだが、これではかえってヲタ的過ぎて、一般人にはわからない。まぁ仕方なかろう。
まぁヲタ的には電車でない、気動車だ、と当然ツッコミがあるわな。
ただ、この事件、06年にも起こっているのがちょっと気になる。
その時は「幽霊電車」などと書かれてどちらかというと間抜けな笑い話ですんでいた
(といっても運転士は書類送検されたようだが)のだが、さすがに二回となるとちょっと笑えないなぁ。
本来電車と気動車は簡単に区別がつくはずなのだが、さすがに今の世の中、蒸気機関車が近代化されて
気動車が走り出すような時代でもなく、むしろ鉄道車両はなんでも電車、のご時世か。
大阪18時ちょうどの3500Mで野洲に帰ってくる直前、高山からの2036D「ひだ」とすれ違った。
今や野洲で見ることのできる唯一の気動車列車、いや唯一の電車以外の旅客列車なのだが、
もうまわりが全て電車であってはわざわざ気動車などと注目すること自体がヲタ的であろう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 景気が悪くなると野洲から特急に乗れる?!
4/18
ここで政治の話をする必要はないが、とにかく定額給付金というのが出るそうな。
法案成立前は「ばらまき」とか「子育て支援や医師確保に」などと給付金に首を傾げる話も多かったのに、
実際給付金がもらえるとなると今度は一転して「12000円分のおとく」が世の中にあふれる現象となった。
もちろんわだらんとしても政策的に賛同できないところはあるにせよ、でももらえるものはもらっておきたいと思っている。
とりあえず野洲市は5月の連休明けから申請受付、口座振り込みである。
おかげで世の中定額給付金がらみの売り出しやらおまけやら大騒ぎである。
滋賀県の駅前に鎮座する某スーパーは1万円買い物すればさらに3000円のおまけを付けた15000円分の値引き券を付けるという。
もともと買いたいものもあったのでその戦略にまんまと釣られてしまったのだが、
よく考えると15000円の値引き券をすべて使うには最低でも114380円以上買わねばならないわけで、
なかなかよく考えているわな、と感心したりがっかりしたり。
金曜日は3516Mで帰宅。大阪駅19:15の12両新快速で、比較的空いている。
その前3514Mも12両、さらにその前には大阪始発の新快速が続く時間で、ほとんどの客が先行列車に乗ってしまっているのだろう、この3516Mは座りやすい電車である。
なんともありがたい話だ。
今日も電車入線間近でホームに上がり、乗車列の最後尾から車内に入ったが、空いた状態で好きなところに立ちことができていれば、あっさり新大阪で着席。
しかも草津で前列客もいなくなって4人席を独占してごろごろしていた。
足を投げ出して吊り広告をぼーっと見ていると、「野洲」の文字が目についた。
日帰り会席旅行の告知で、赤穂や三国にならんで野洲が入っている。
野洲が観光地かどうか微妙だが、取り上げてくれる(いや、コースを設定するのに)のはありがたいことだ。
客がたくさん来てくれるとうれしいものだ。
そんな日帰りの安いツアーはおおはやりである。新聞折り込みで地元バス会社や大手旅行代理店のチラシが入ってくるのでよく見ているのだが、
○○食べ放題とか○○狩りとか食欲がらみのものも多い。
おまけにそんなチラシまで12000円を意識したツアーが入ってくるのは商売上手というべきか。
そんなわけでわだらんも定額給付金でどこか出かけようかと思っている。
当然のごとく西日本パスを使うつもりだが、12000円の2日ものにするか、16000円の3日ものにするか迷っている。
いずれにせよこんなきっぷが無ければ、野洲から特急に乗ることはおそらくまず一生あり得まい。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 「CS向上が信頼回復」ではなかったか
4/15
文句や苦情ばかり書くのは面白いことではないのだが、でも文句や愚痴になることもある。
なにしろ以前から遅れを戻すことのできない運転指令にあきれているのだが、14日もおかげで腹立たしい一日であった。
大阪駅に着くと朝霧での公衆立ち入りとかで17:45の3498Mが大阪時点で7分延、すでに草津折り返しが決まっている。
前にもあったとおりで、野洲まで行くと折り返しとなる運用上827Tを守るためという理由はよくわかるが、
でもそれはあくまで運用上の理由であって、わずかの遅れなのに草津で運転を打ち切られるのは乗客としては面白いものでは無かろう。
確かに列車としては守山野洲の2駅を切るだけであるが、篠原以北の利用者も多いのであるが。
そもそも3498Mから827Tに折り返すことに無理があるのだろう。改正後一ヶ月で既に2回もそんな目に遭っている。
ゆとり改正前に同じような運用があって無理ばかりしていたのだが。827Tに折り返しではなく、
819Tと3517Mの運用をいじればなんとかなろうに、と素人が頭をひねってみたりもするが。
ともする間に遅れの拡大して11分延になった3498Mは草津到着、強制下車。
まずは3498Mを少しでも優先させて走らすことはできないのかな?
遅れが拡大するばかりとはどうしたものだろう。
そして半ば予想したとおり草津には上り電車の姿はなく、ホームには人があふれてしまった。
そもそもなんでこんなに人が多いのかと思っていると、上り電車の間隔が開いていたようなのだ。
大阪を定刻17:38で出たはずの804Tが来ていない。これまた10分延。
そういえば京都で何か遅れどうこうのアナウンスがあったのはこれだったのかと納得。
しかし西大路で抑止させてまで京都で列車順序を守る理由は何だろう?
間隔があくほうが状況を悪くするはずなのに。
ましてや804Tはヲタから地雷と揶揄される6両の短い編成なのだが。
結局また草津で切られた3498Mの客はホームで立ち往生。
なんで802Tを6番で停められないかねぇ。
802Tの後からやってくる草津線5372Mが草津に入れないというのなら草津場内で5番に振ればよろしいがな。
5番からでも草津線出発は可能なのに。
と大阪7分延で始まった帰宅は結局野洲着が定刻3498Mに較べて30分延。
公衆立ち入りで支障があったとしてもまったく関係のないところで遅れが拡大する事実。
草津管区のお題目は「CS向上が信頼回復」ではなかったか、せめて切られた3498Mから目の前の802Tに乗れれば不満もそう無かろうに、
と6連の804Tに乗れない大量の客が残る草津上りホームを見ながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 昔は新幹線前部にひげをつけていたのだが
4/13
週末に録画していた金曜日のニュース7を遅れてみていた。
本来ニュースを遅れて視てもあまり意味がないのかもしれないが、だいたいいつも新聞ですらまとめて週末に読んでいるし、速報性などあまり関係ないのかもしれない。
どうせいつもネットでニュース見出しは見ているし、ゆっくりあとから読んだり視たりしてもよかろう、と思う。
そんなわけで、再び某有名なご夫婦の話である。
よく俗語で「お召し列車」という。特に仕事で、他のものを押しのけてでも優先して進める事象のことをそう呼んだりする。
戦前の話なら別にしても、今の世の中お召し列車がそんなに大騒ぎな、他の列車を押しのけてまで走るものではないのだろうけれども、
でもやはり実際にお召し列車が走るというのは名誉ではあるが、大騒ぎな話であろう。やっぱり警備は大変だし、
細かい時間を守って運転しなければならない、やっかいなものだ。
あってはならぬと思いつつ、もしお召し列車の運転直前に人身事故でもあったらどうするのだろうか、などといらぬ心配をしてみる。
そんな俗語があるのだが、でも世の中毎日毎日お召し列車が走っているわけでもなく、おそらく多くの方がお召し列車なるものを見たことがないのではないかと思う。
実際わだらん自身、自分の目でお召し列車を見たのは一昨年の新幹線と草津線で見たのが初めてで、なかなかそう簡単に見ることのできるものではないと思っている。
それでもお召し列車の運転は年間2回程度あるようで、追いかけるつもりであれば何度でも見ることができるものかもしれない。
実際鉄ヲタにとってお召し列車は格好の被写体なのだから。
時折新幹線で運転されるお召し列車は現在見た目ヲタでなければ区別できない、いやヲタであっても知っていなければ区別がつかないかもしれない。
あまり目立つと攻撃の対象になるそうだ。目立つのがいいのか悪いのか難しいものだけれども。
0系の時代はヒゲを付けて一目でお召しとわかるようにしていたのだが。
日曜日、野洲と篠原の間、篠原小学校近くの田んぼの中でしばらく電車を見ていた。
琵琶湖線と新幹線がどちらも編成ごとよく見えるわだらんのお気に入りの場所である。
天気も良く、のんびり。
ただ残念なのはやってくる列車が同じものばかりで、いまいち面白味に欠けるようになって残念。
行き交う300系や700系を見ながら、ここにお召し列車がやってきても、知らなければわからないよなぁ、
とこんな田舎でも新幹線高架下を走り回る警備会社の車を見ながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 特急・急行列車での長距離移動が特別な存在であった時代
4/11
4月10日はとある有名なご夫婦のご成婚50周年なのだそうだ。
いまから50年前の当時、ご成婚を祝って臨時列車が走ったり、また新婚旅行が定着する効果を呼んだり、と結構な経済効果があったのではないか、と思う。
もちろんわだらんが直接その時代を知るわけではないのだが、でもこの頃から白浜や宮崎といった観光地がもてはやされることになるのである。
特急・急行用車両の標準型が揃うのがこの昭和33年から37年頃で、長距離の特急や急行が日本全国至るところで走り回るようになったのだ。
今でも北陸線でこの世代の急行型電車がローカル運用で走っているが、風雪とトンネルの湿気に耐えつつよく頑張っているものだ、と思う。
まぁ本来なら新型車両に置き換わっていなければならないところだが、まだその世代の車が頑張らないといけない、
複雑な事情があるのも車両自身と利用者にちょっとかわいそうであるのだが。
その当時の長距離特急急行というと一等車の2両連結が一般的であった。
もちろん特急に乗ること自体敷居が高かったのだが、逆になかなか一般人が乗れない列車だからこそ余計に一等車の旅客が多かったのかな、と思う。
運転開始から長い間雷鳥しらさぎは一等2両、二等8両に食堂車の11両編成だったし、
紀勢線くろしおの名古屋発着一往復も一等2両に二等7両と食堂車の10両編成であった。
電車で運転されていた山陽線や北陸線の急行も、あるいは長編成気動車の山陰線や紀勢線、姫新線の急行もそうだった。
そういった長距離列車に乗ることは何か晴れがましく思えたような、少なくともわだらんがそういった列車に乗るときはとても緊張したものであった。
時代は下って今や高校生でも特急列車で通学する区間が現れる時代になった。
当然特急の敷居も格も下がってしまい(わだらんの思い込みかもしれないが)、見た目の風情も風格も何か頼りないように見える。
もちろんスマートで速そうに見える最近の特急車両はまたそれで魅力的ではあるのだが、
福知山線特急のように4両が当たり前になってしまってはずいぶん寂しいものだと思う。
ご成婚の文字が踊る夕刊紙を広げる旦那衆が目立つ金曜日の晩の落ち着いた新快速の車内で通路に立ち、闇夜手前のぼんやりした景色を眺めている。
すると上り大阪行きのしなのとすれ違った。
今日も基本に4両増結の10両編成の豪華版であった。
10両ということはグリーン車も2両ついた編成で、今となっては大阪駅でグリーン車を2両編成内に持つまれな列車である。
ステンレスの車体がわだらん的には少々安っぽく見えなくもないが、でも長い編成はまたそれでいいものだ、と思う。
季節もよく、観光に最適な季節になった。
長い10両の編成の座席ができるだけ埋まっているように、しかも短区間でなく長距離、
関西からの信州行き旅客が大量にいるように、と空に上がった満月にお祈りしてみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 青春はあくまで本人がそう思えば青春なのだろう
4/8
4月に入って2週目となり、そろそろ学校も始まった頃である。
電車から眺める桜はきれいなもので、また日が長くなったおかげで帰りも車窓が楽しめるようになった。
季節の移ろいは早いもので、朝は暖房の入っている電車も、帰りは冷房になっている。
もうすぐ10日、18きっぷの最終日。この春は結局18きっぷを買わずじまいであったが、
やはりムーンライト九州やムーンライト松山がないとちょっとそそられるものがない。
もちろん日帰りでも、あるいは一泊でも使い方はいくらでもあるのだが。
そんな最終日間近の火曜7日の帰りである。歯医者に予約を入れてあり急いで帰ろうと大阪駅へ向かうと、17:30の3496Mに間に合ってしまった。
もちろん乗車列に並べるような余裕時間はなく、とりあえず列最後尾から車内に滑り込む。
まだ通勤客が少なく、逆に行楽客ばかりでドア付近や運転台後ろで固まってしまい、なかなか通路に進めない。
その間に座席は中扉からの乗車客も加わってあっという間に埋まってしまった。
わだらんはなんとか人をかき分け通路に入ってみたものの、どうも着席者のなかに新大阪で降りるような雰囲気の客はいない。
これは京都までだめか、とまぁ桜でも眺めていこうと気分を切り換えてみる。
ところが、しばらく電車が進む内に状況がただものならないものであることがわかってきた。
そもそも新快速の一番の先頭部分なので、一見客が多いのは仕方ないのであるが、その様相がただものならないのだ。
先頭海側優先席の3人組が同一行動の18きっぷ族、その反対側山側優先席2名と通路の立ち客数名が一グループ、
その山側後ろ列が5人?の一グループ、そして海側は一列置いておそらく別ではあろうけれども老夫婦が二組。
山側のグループはさらに数名がまだ通路に立っているらしい。
こんな状況で、ほとんど個人客がいない。せめてものの期待を、と個人客らしい少し昔のおねえさんが二人並んで座っている横に移動してみるが、
当然高槻では変化なく、しかも京都手前で優先席の3人が下車するとわかった否や、おばさんの「こっちこっち」攻撃である。
結局京都でも座席客はほとんど動かず、しかも着席者はほとんどおばさんという恐ろしい状況になった。
さらに輪をかけて通路に立っているわだらんの横に、京都の土産手提げ袋満載の5人組おばさんが現れた。
東山トンネルに入ってまわりがやかましい中みなでかしましく談笑中。
まぁおかけで先日天竜浜名湖線(しかも地元なので天浜線と言っていた)にJR北海道が開発したDMV(とはいわず、変なバスと言っていた)が
試験運転したときの様子を聞かせていただくことができた。
5人組のうちの一人が試乗会に当たって行ってきたそうな。
車内はバスそのもので、電車(実際には気動車か)として線路を走っているときにはマスコミなどがカメラを持ってうろうろしているのに、
道路を走っているとバスで当たり前なのでだれも興味を示さないとか、運転免許の関係で線路と道路で運転手が二人いること、
道路は遠鉄バスの運転手が走らせて、遠鉄のバスガイドも乗っていたことなど、なかなか細かく話をしてくれる。
そのほかにも安倍川駅ができて生まれて初めて定期券を買ったことやらどうたらこうたら、と会話のネタはつきない。
他方で老夫婦は寝てしまったし、海側優先席を占領した団体は「米原で乗り換えたら座れるかしら」などとまだ通路で立っている仲間と話し込んでいる。
もちろん京都でさらに大量の乗車があり車内はよく混んでいるのだが、着席者の集団はまるで別世界のよう。
当然のように電車が進んでも座席は空かず、ついに草津を発車し補助椅子解放に。
でもどうやら一見さんが他にも多くいるらしく、補助椅子がほとんど開かないままである。
あくまで18きっぷ期間のしかも夕方の先頭車両、と特殊事情と説明はできるが、でもこの通勤帰宅の時間帯にもかかわらず一見さん率の高さは目を見張る。
今日は野洲までずっと立っての帰宅になりそうだ、まぁ仕方ないな、とあきらめよう。
と草津を出て思っていた矢先、わだらんが立っている隣に座っていた個人客と思われる少し前のおねえさんが鞄から本を取りだした。
読み始めた本の背表紙にある「越前町立織田図書館」の文字を見て、何か緊張していたものがどっと崩れたような気がした。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 花より電車、でもなく花見も楽しみ
4/6
桜の季節である。
昔はあまり花や季節に興味がなかったのだが、最近はやたらと花が咲いたり日が長くなったりと季節的なことに敏感になった。
歳をとったからか、でも若い人間でもすきなものはいるのだから、少しわだらんの興味の対象が変わったということにしておこう。
おかげで、電車の窓から桜が見えたり、線路際の桜を見に行ったり、風流に花見に出かけてみたり。
JR京都線沿線には工場敷地沿いに桜並木がいくつもあって楽しめる。
摂津富田や高槻、長岡京など立派なものばかりだ。
春になって日も長くなり、朝も車窓から花見ができる。
並木だけでなく、山に一本ぽつんとある桜もなかなかきれい。
とはいえ、特に朝は熟睡していてなかなか外を見ていられないのだが。
でもいつも車窓からばかりで、実際にその場で桜を見たことがないのが残念。
野洲のまわりには至る所に桜があって、ちょっと家から出ただけであちこちで楽しむことができる。
その中で一カ所、篠原駅の西側に長島神社という小さなお宮があって、そこに桜が一本、枝を大きく広げて立っている。
線路が築堤上で高い位置にあるので、電車と桜の花の位置が近い。
下から見上げると電車と花が両方楽しめる、わだらんのお気に入り。
日曜日、まだ三分咲きくらいかと思われるものの、しばらく花を眺めながら通り過ぎる電車や貨物列車を楽しんでいた。
この桜、樹齢がいかほどかわからないのだが、きっと東海道線が開通した頃からあったのだろうな。
行き交う列車、蒸気機関車の時代から特急こだま、そして今の新快速まで、ずっと線路際で見ていたのだろう。
もっとも寝台特急は深夜通過ばかりで桜の木は列車が見えなかったかな。
「さくら」が再来年、新大阪鹿児島直通の新幹線で復活する。
桜をモチーフにした意匠があちこちにある面白い車両になると思うのだが、でもやはりわだらんの頭の中にはさくら=寝台特急のイメージがあまりに強すぎ、ぴんとこない。
できることならリニア開通で余裕のできた東海道新幹線経由で東京・鹿児島中央間の「はやぶさ」と東京・長崎間の「さくら」の夜行新幹線がいいなぁ、と。
東京22時発、途中保守間合い等の余裕時分を合わせて博多6時半、鹿児島・長崎着8時。
これならビジネスユースにもにもにも対応可能かと思うのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新幹線新駅中止で急に財政事情が悪くなる
4/3
某経済誌が「住みよさランキング」というものを発表している。
先日今年のデータの速報値をネットで見た。なかなか自分の住んでいる地域を他の地域と比較する材料がないので、こういったデータはなかなか面白い。
とはいえ、これを見て引っ越しをするまでになるかどうか。
まぁ新規に住宅を買うときの参考にはなるかもしれないが。
で、前年に引き続いて栗東がずいぶん上位に出ている。
栗東をけなすつもりは毛頭ないのだが、正直草津や守山、そして野洲と比較してそんなに栗東だけ住みよい、とは実感できない。
新幹線新駅の中止で、市街地整備事業につぎ込んだお金のせいなのか、最近栗東は急激に財政が悪化したようで、
滋賀県が支援としてつなぎ融資をしたり、市民への行政サービスの質を落としたり、とあまりいいことを聞かないような。
もちろんわだらんが栗東市民ではないので、実際に住んだ場合とよそ者として見る場合が当然違うのはよくわかるのだが、
でもいわゆる県南部、湖南地域の4市は生活圏もほぼ同じであるし、物価や家賃が大きく変わるわけでもない。
商業的集積度では草津が飛び抜けているのだが、でもこの湖南地域の感覚では草津駅前に出かけるより周辺の大型郊外店に出る方がよほど多い。
そんなに地域差があるようには思えない。
まぁあくまでデータは目安なので、別にかりかりすることはないと思うのだが、ただ栗東が上位なのでに野洲がぱっとしないのはちょっと悔しい。
栗東の場合は政府出資の農林水産省傘下の某団体関係者に高額所得者が多いとかの特殊事情もあるのだろうか。
そんなデータに誘われてか栗東駅の利用者は順調に伸びている。
滋賀県統計書の新版が公表されたので、わだらんのHPのなかで前年比較をしているのだが、栗東は前年比5%増となかなか好調である。
駅前のマンション群が大幅に増えたとは見えないので、駅前マンションなどに入居した家族の子どもが成長して定期券利用者が増えたのかな、と思う。
もちろん駅から離れた周囲では相変わらず宅地開発が活発で、休耕田がどんどん住宅地に変わっている。
そのうち草津守山間の線路際には田んぼが無くなるのではないか、と思われる勢いである。
家ばっかりの車窓はあまり面白くない。でも琵琶湖線利用者が増えて電車が増発されれば、それはまたうれしいことではあるが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ホームに入るのに駅員に一声かけていたころ
4/2
野洲図書館はわだらんにとってなくてはならない存在である。
何しろわざわざお金を出して本を買わずともたいていの本が読める。
もちろん時折購入する本もあるし、そもそも図書館に通うだけでも出版界に貢献している、と勝手に自慢している。
そんなわけで、進士 友貞さんの書かれた「国鉄最後のダイヤ改正 JRスタートへのドキュメント」という本を借りて読んでいた。
国鉄の分割民営化からきょうで22年、早いものだ。
国鉄を知らない子どもがもう立派に成人しているし、国鉄どころか117系が現役で新快速に運用されていたことすら知らない人間も
いるのではなかろうか、などと思う。
わだらんは1987年3月31日深夜、汐留駅でC56の汽笛を聞いていた。
でもその当時、今よりずっとたくさん走っていた夜行列車はそんなセレモニーとかお別れお出迎えの喧噪に
全く関係なくいつも通りに走っていたのだ、と改めて当時のことを思い出す。
ところで、その信士さんの著によると、実際の分割作業は前年11月のダイヤ改正でほぼ決まったこと、
そして民営化で便利になることを強調するためにも地域密着、ローカル列車増発の流れであったそうな。
まだ若く理解の浅いわだらんは今読むとああなるほどとわかるのだが、当時はそんなことは全くわからなかった。
そもそもヲタに対する譲歩油量が今とは較べものにならず、月刊の鉄道雑誌と時刻表しか頼るものがなかったのだ。
でも新しい時刻表を開くうれしさはいまよりずっとあったのかもしれない。
もっとも61年11月改正は長距離列車にはあまり優しい改正でなく、当時わだらんがわくわくしていたかどうかはもう覚えていないが。
とにかく、この頃を前後に、普通列車は大増発された。
野洲駅は日中時間2本しかなかったものが今は7本、草津線貴生川以西は時間2本と国鉄末期に較べると本当に便利になった。
もちろん都市化は進み、人口も利用者も大幅に増えているのだが。
今日2日は朝冷え込み、比叡山の中腹から上は白い帽子をかぶった。
朝、明るくなるのが早くなったこともあり、いつもの713Mから見る車窓は朝日に光る比叡山がとても美しく見える。
そんな春の日、野洲駅ホームに待合室が完成し、使用が始まった。
寒さ暑さしのぎにとても便利な、今日のような寒の戻りや真冬深夜に野洲止めで降ろされる篠原以東客にはずいぶんありがたいものだと思う。
ただ、上りはまぁいいとして、下りホームにも待合室ができている。
もちろん上下向きで乗客を差別する必要はないし、下りになければ文句も出よう。
でも考えるに、下りは基本的に野洲乗車の客ばかり。
つまり、野洲駅利用者がホームで電車を待つわけだ。
もちろん今までも、そしてわだらん自身もそうであるが、でもこれはホームで電車を待つ、つまり駅舎の中で列車を待つのとは違うのだ。
昔、まだ電車が少なかったころ、野洲も近江八幡も能登川も、そして多くの中電区間の駅で、出札の向かい売店、
その売店と対面するように長ベンチが数脚、そして高い位置にいつもNHKを写すテレビ。
列車がやってくるとみな改札を抜けホームに出る。
つまりホームには列車到着の間近な時間しかいなかったわけだ。
今や野洲でも電車はホームで待つ時代。
電車の増発は便利この上ないが、かつての中電区間はいまや総国電化である。
あ、そもそも中電や国電という言葉自体が古いか。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |