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09年 6月

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717.  6/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  前向きに慣れてしまうと後ろ向きが好きでなくなる

716.  6/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  京都の駅から遠いのがかわいそう

715.  6/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  西日本パスにもエコポイントがあれば面白いのに

714.  6/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  タキというタンク貨車が石油やセメントを運んでいた時代

713.  6/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  静岡市や富山市はどうやって警報を出すのだろう?

712.  6/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  立ち飲み屋なら立って飲むのが当たり前

711.  6/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  取り替えるのならインバータ、頭にいいかはわからない

710.  6/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  適度な田舎、これがいい

709.  6/9  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  やるならパンダの顔を持つシートでどうだ

708.  6/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大阪のご当地ソングはグランシャトーかな

707.  6/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅で食べるから駅弁

706.  6/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  音階を変える電車はあるが、駅の音は味気ない

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  前向きに慣れてしまうと後ろ向きが好きでなくなる

 

6/29

日曜日朝のことである。

駅に向かう途中で既に野洲始発の新快速がホームに入っているのが見えた。

これはいかん、と急いでみたが、駅に着くとちょうど新快速は発車してしまった。

草津に行くのが目的なので、新快速にこだわる必要もなく、次の普通電車に乗ることにした。

ところが野洲10:04発の普通電車753Tは730Tからの直接折り返しである。

それに気づいたのは野洲駅おねえさんの親切な案内放送のおかげで、

途中まで1番ホームに降りかけていたのをあわてて戻って2番ホームへと降りる。

下りは1番ホームという感覚がわだらんだけでなく多くの野洲駅利用者に染みついているので、

ホームが異なる際の案内放送はありがたいものだ。

 

ただ2番ホーム発にも2パターンあって、出庫時に下り本線列車と交錯するので2番ホーム発のものと、

上り列車から直接折り返す下り始発列車があるのだ。

わだらんが毎朝利用する713Mも2番ホーム発でこれは前者の理由、

よく帰りに利用する3498Mの野洲折り返しの827Tは後者の理由である。

前者の理由なら車庫から出てくるので、車内整備された状態だが、

後者の場合とりあえず車内のゴミはメンテックさんが片づけてくれるが、座席の転換まではしていない。

そこで先ほどの後者の例となる野洲始発の電車はほとんどの座席が進行方向に背を向けた状態で発車する。

多くの姫路発着の新快速は同じようにホームで直接折り返すのだが、そういう列車の座席の向きを観察していると面白い。

特に18切符期間中の夕方上りの新快速は姫路で必死に座席を確保したのだろうか、

グループ客、特に中高年の女性のグループを中心にして座席の向きが逆さのまま大阪まで戻ってくる。

車内滞留客や乗り込む通勤客が空いた席の向き修正をするのだが、

多くの場合座席に人が残っているケースが多く、なかなか座席がすべて転換しない。

同じような例は敦賀でもあるようで、休日下りの新快速で逆さ向き座席があるのは特に異様に思えるのだ。

 

ところが平日の827Tは新快速の直後の発車なので、野洲での利用客が少なく

座席確保にあまりに余裕がありすぎて、各自が好きな座席に座れる。

不思議なもので、多くの客がドア前の座席に座る。

ここなら前列を一つ倒せば自分は前向きに座れていて、かつ向かい合うことがない。

そんな計算をしているのかどうか、でも多くの827T野洲駅利用者がそうやって座席の向きを変えながら座っていく。

まぁこのあたり転換クロスシートに慣れている客かどうか、普段乗る客かどうかに依るものなのであろう。

きっと休日の姫路からの帰り客は座席の向きより座席確保に必死な姿が想像できる。

 

ところで753Tは先行新快速に客を吸われて野洲守山ではほとんどがらがらのまま、栗東で大量の買い物や行楽客が乗ってくる。

観察していると座席をみんな転換して前向きに座っている。

自然と譲り合いができていて、順番に座席を倒していく。

だれともなく始めるこの光景、ある意味琵琶湖線の風景として特筆すべきことなのかもしれないな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  京都の駅から遠いのがかわいそう

 

6/25

新入生が巷にあふれるのは春先のことであるが、田植えの終わる頃になると新入生もそろそろ落ち着いてきて、自分のペースが掴めてくるようになる。

となると今度はその自分の行動で会話が他人と成立するわけで、特に学生の多い時間帯になると、

そんな自分の行動や自分の周囲の人間について話をしたくてしょうがないらしい。

夕方京都で大量に乗り込む滋賀県人は男女問わず大声で話し込んでいる。

あまり人の話に聞き耳立てるのは好きではないが、それでも聞こえてくるものの中には気になってそのまま聞いてしまうものもある。

どこに住んでいてどこの学校に通っているのか、どういう通学経路なのか、ヲタ的に聞いているとなかなか面白かったりする。

 

そんななか、ある日の敦賀行き新快速の車中の話である。

京都で座れたわだらんの隣に京都から乗り込んだ大学生のおねえさん二名、高校時代の同級生で久しぶりにあったらしく、

まずはどんな生活なのか互いに話し込んでいる。座ったわだらんの頭の上をそんな話が飛び交うので、

なかなか眠りにつけないのだ。

聞いていると結構面白かったりする。

一人は梅津近くの某よその国言葉大学、もう一人はさらにその先、嵯峨の某お絵かき造形大学ということがわかった。

しかもよその国言葉大学のおねえさんは自宅が虎姫以北であることもわかった。

嵯峨のお絵かき大学のおねえさんも京都に近くないことはわかったのだが、場所の特定が会話の中ではできない。

ただ、朝6:10の電車に乗って通学しているとのことなので、田村だろうか、と勝手にわだらんは想像している。

嵯峨のおねえさんは京都から地下鉄に乗ってさらに阪急に乗換、しかも桂でまた乗り換えて松尾までの道のりだそうだ。

梅津のおねえさんも嵐電などを利用しているそうで、これまた京都駅から遠い。

もともと京都の大学は京都駅から遠いところが多いのだが、京都市内とはいえ、西はずれだとさぞ大変だろうと思う。

 

しかし考えてみるとずいぶん湖北は近くなったものだ。

昔まだ国鉄時代は大阪京都から米原より先、いや彦根でも新幹線を使う例は多かったし、

ましてや長浜の北などといえば完全な旅行気分であった。

長浜以北から彦根までの流動はあったが、長浜から京都大阪へ通勤通学するというのはよほどの物好きばかりで、そもそも通勤圏ではなかったのだ。

ところが新快速の延長増発で心理的な距離はぐっと縮まり、彦根や長浜から京都大阪へ出てくるのに何の抵抗もない時代になった。

実際野洲での下り一番、3405Mやそのあとの3409Mあたりに乗ると、野洲で既に座っている客はそっくりそのまま大阪までメンバーが替わらない。

もちろん全てが長浜からの客ではなく、近江八幡あたりも大量にいるはずなのだが、でもとにかく野洲を越えての通勤客は多いのだ。

そんなこともあってか、このおねえさんは自宅から京都市内の西はずれまで毎日通っているらしい。

電車の中が退屈だ、などとわだらんには縁のない話で、そんな通学時間の過ごし方や学食のメニューなど話し込んでいる。

会話の中には電車が異音感知で遅れて長浜以北の電車が50分待ちになったので母親に長浜駅まで向かえに来てもらったとか、

毎日の電車の苦労話も聞こえてくる。

まだ人身事故にはあったことがないらしく、電車が大きく遅れた話で盛り上がることはなかった。

これから先、きっとさまざまな輸送障害に出会うことになるだろうに、と思う。

ちなみにこの二人、それぞれにどういう着席客が途中で降りそうなのか、どの車両が空いているか、いろいろ研究しているらしい。

毎日電車に乗る人間は老若男女を問わず考えることは一緒だな、と妙に感心するわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  西日本パスにもエコポイントがあれば面白いのに

 

6/23

JR東日本の車両には「この車は従来車の1/3のエネルギーで走っています(意訳)」というステッカーを貼った車がいるそうな。

実際インバータ制御の電車は必要以外の電力を架線から取らないし、ブレーキで発生した電力は架線に返す。

従来の抵抗制御では、電力を大量に取り込んで必要ない部分は熱として放出しているので、たいそう省エネである。

ならばエコポイントでもつければ、体力の弱い中小私鉄でもインバータ車が導入できそうだが、

エコポイントはあくまで個人消費拡大が目的であって、そんな産業用機械を相手にすることはなさそうだ。

そのエコポイントの交換品には、あんまりエコに関係なさそうな商品券とかもあったりして、

結局省エネ社会の構築か、単なる消費拡大施策かよくわからなかったりする。

とはいえ、せっかくの国の政策にまんまとひっかかったのか、わだらんも思い切って冷蔵庫を買い換えた。

エコポイントが合計15000点あるので、とりあえずICOCAにチャージしようかと思っている。

少なくともエコポイントで公共交通利用が少しでも増えるのならエコなのだろう。

もっともわだらんの場合ICOCAにチャージしてもこれが全て公共交通利用になるわけではなく、

むしろコンビニでお菓子や缶ビールに化ける方が多いので、結局商品券に換えるのとあまり違わないような。

 

先日、週末に琵琶湖線を団体列車が走っていた。

沿線にはかなりの鉄ヲタが出ていたようである。

わだらんも偶然野洲駅通過に出くわしてそういえば何かみんな騒いでいたよな、と思い出す。

わだらんとしてはどうも臨時列車には興味がなく、むしろいつもの電車に変運用がかかるほうがよほど興味深いのだが、

一般的には珍しい列車が走れば格好な被写体になるわけだ。

とはいえ、最近は団体の臨時列車が減っている。もともと団体旅行が下火で、列車を使う移動がほとんどなくなってしまった。

バブル華やかな頃は団体に用いる臨時列車の編成があちこちにいて、豪華設備を競ったものだが、

今となっては臨時用の編成がいること自体が珍しくなってしまった。

貸切バスとて同じ状態で、十数台もバスを連ねた団体旅行など今となっては昔語りで、そもそも貸切バスですら豪華設備を必要としないのだ。

団体旅行と言えば低価格の会員募集型ばかり、となれば質素な室内設備で充分である。

ましてや列車利用など期待できそうにもない。

観光やレジャーの移動が小単位、自家用車の移動ばかりになってしまったのは今の世の中仕方ないとしても、

そういった移動が少しでも鉄道利用に転移すればそれこそエコポイントではないか、と思うのだが。

 

ところでわだらんの買った冷蔵庫は某カタカナ文字家電会社製のものである。

冷蔵庫が国内製なら草津市の工場のもののはずであるが、こういう場合は地産地消とは言わないのだろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  タキというタンク貨車が石油やセメントを運んでいた時代

 

6/19

湖北でかわいそうな殺人事件があった。

不倫の果てに交際相手を殺してしまうという、とてもかわいそうな、でもどこにでもあるベタな話である。

巻き込まれた方々はさぞご心労大変なものであろうが、まぁ何も人を殺さなくても、と部外者が思う。

とにかく人の命は尊いものである、とよく理解しなければならないのだが。

ところでこんな例にするのは失礼千万であるのを承知の上で続けると、被害者が長浜市、遺体発見が米原市で、

勤務先が高月町という湖北の地理勉強になるような話である。

高月町のガラスメーカーといえば貨物ヲタなら誰でも知っている有名なガラス工場で、

つい最近2年ほど前までタンク車が高月駅から専用線で工場内専用線へと出入りしていたところだ。

ガラスの製造工程での熱源にするのだろうか、石油類のタンク車が四日市からやってきていて、

そのタキ車やりとりのために一日一本、貨物列車が停車して入れ換えをしていた。

昔から変わらない貨車の姿は何か見ていて安心できるものであった。

 

一般貨物がコンテナ化でほとんど集約された国鉄末期でも専用貨物はまだまだ元気だった。

滋賀県内でも高月と鳥居本、守山、石山で石油類タンク車が、近江長岡と彦根・膳所ではセメント車が出入りしていて、

ずんぐりむっくりな黒い胴体のタンク車が東海道線を日に数回走っていたものだ。

駅での入れ換えものんびりしたもので、機関車が数量の貨車を引き連れて待避線の先へ引き上げ、

そのまま後退して側線に入って貨車を切り離し、もう一度機関車のみが引き上げて隣の側線へ入り、別の貨車を連結して引き上げ、

そしてもとの列車に戻って、と入れ換えの名の通り行ったり来たりしていた。

高月は側線がなく本線上で入れ換えをしていたのだが、確かにいまのように列車が増え高速化している状態では列車扱い自体やっかいに思える。

貨車の扱いがなくなるのはやむを得ないのかもしれないが、でも貨車で運べる量を道路輸送にすれば

その分通行量も燃料も喰うわけで、環境にやさしいものとは言い難いだろうに。

 

守山の貨物側線の跡地にできた駐車場が今年正月明けのできた当時に較べて流行ってきたようで、駐車している車の数が増えている。

もともと守山は駅の東西にそこそこ大きな立体駐車場があったのだが、駅となりにできた駐車場のおかげで、

以前からの駐車場はポイント制やカード割引など顧客のつなぎ止めに必死である。

まぁ車で最寄り駅まできて、そこから電車というのはとてもエコなのだけれども、

でも今でも側線の雰囲気が残る駐車場は何か見ていて少しつらいものがある。

長大貨物、専用貨物が復活する日があるのだろうか?

 

ところで冒頭に書いていた殺人事件の遺体発見現場は米原市の旧伊吹町内のようだ。

近江長岡から伸びていた専用線に近いところのようで、これまたタキ車に縁のあるところのようだ。

まぁ事件に関係する人間にはそんなタキのことなど知ることはないと思うのだが、

でも遺体発見がタンクの中などと聞くとどうしても貨車しか頭に浮かんでこないのは困ったものだ。

まずは被害に遭われた女性のご冥福を祈ることにしよう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  静岡市や富山市はどうやって警報を出すのだろう?

 

6/17

雷は馬の背を分ける、と昔から言う。もともと局地的な雷であるが、最近は温暖化の影響なのかよりゲリラ的に鳴っているように思う。

火曜日の夕方に滋賀県から京都府にかけて局地的に雷雨になり、宇治市内では時間雨量77mmだったとか。

アメダスの記録を見ると甲賀市内大原でも66mmの大雨だったようで、草津線はこの日夕方以降ダイヤが乱れていたそうだ。

野洲もこの日は夕方ざっと雨が降ったのだが、アメダス記録では10mmである。

そんなに野洲と大原が離れているわけではない(基準を何にするかで見方はかわるが)のだが、ずいぶんと天候の違いは大きい。

ちなみに甲賀市大原とは、旧甲賀町役場らしい。現在の草津線甲賀駅はかつて大原市場駅と言っていたのであるが、

甲賀駅からほど近いところが観測地点のようである。さらに余談を続けると、野洲市役所にも雨量計と地震計がある。

わだらんの家からごく近いところに市役所があるおかげで、遠くにいても地元の様子がわかるのはありがたい。

 

ところで、気象庁が警報その他の気象情報の地域わけを現在の郡市をある程度まとめた地域から、市町村単位へと細かくするそうだ。

ゲリラ豪雨に対応できる高性能レーダーを備えて、きめの細かい情報を流すことにするそうだ。

わだらん的には今の地域わけでも充分細かいと思うのだが、でも一般の方からすれば

具体的に市町村名が出る方がよりわかりやすいと思うし、親切なのだろうと思う。

とはいえ、平成の大合併でできた大きな市では果たして細かくなるのかどうか、

実際甲賀市では土山と信楽でずいぶん天気は違うように思えるし、新長浜市など南の田村と北の余呉では雷雨積雪などずいぶん違うはずではあるが。

琵琶湖線はこのところ細かいぶれはあるものの、大きなダイヤの乱れはなく極めて順調である。

これから気温が上がってくると豪雨の心配をすることになるのだが、まぁ野洲市はさほど広いわけでもなく、

地形的にも変化が少ないので、警報類は実感が掴みやすいかな、と思う。

ダイヤの乱れはないに越したことはないのだが、水曜朝に野洲川の水面を見てもいつもと変わらないようだ。

多少の豪雨は我慢して、雨で電車が乱れなければいいではないか、と無事な毎日を祈ってみる。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  立ち飲み屋なら立って飲むのが当たり前

 

6/15

ほぼ毎朝いつも同じ電車になる、とあるおねえさんがちょっと気になっている。

ちょっと変わった風貌で、通常のOLには見えないのだけれども、でもやはり学生ではなさそうだし、何しろほぼ毎日同じ電車なので、

まじめな決まった行動パターンであることは間違いない。なので、一度観察してみたいと思うのだ。

ところが、早朝の野洲始発の電車では、みながバラバラに窓際に座る。

誰か窓側に座っていればわざわざ隣通路側に座ることはせず、どこか別の座席を確保するのが当たり前である。

草津や南草津で通路側、つまり隣に座ることしかできない空席を選択できる余地がない状況なら、どこにでもみな我先にと席を取りに来るが、

野洲ではそんな決死の様相など全く不要である。

ということはその気になるおねえさんの隣にはずっと座ることができないわけで、観察は不可能ということになる。

まぁ、仕方ないか、と思う。

不思議な行動をしておねえさんに不審がられるのは本望ではないわけだから。

 

毎日電車に乗りながら、できることなら隣がずっと空いていてくれればいいと思うのだが、現実はそうも行かない。

朝は草津、あるいは栗東で隣に座られるし、帰りは座れるだけありがたく、隣がどうこう選んでいる余裕などないのだ。

とはいっても、夜の上りだと、草津を過ぎて隣が空くことは時折ある。

特に長い編成のT電や、野洲着の新快速などでは草津を過ぎて隣が空いて、のんびり過ごすことができることも多い。

なんとも贅沢な通勤だ、と思う。

ところが、まれにわだらんが窓側に座っていて、しかも周囲の多くの座席が1列分まるまる空いているにもかかわらず、

隣通路側に座ったおじさんがずっと居座ることがある。

わだらんが通路側ならとっとと空いた窓側席に移動するのだが、時折そんな周囲の状況に関知しないおじさんがいる。

これがかわいいおねえさんならいつまででも隣にいてほしいと思ったりするのだが、とにかく周囲が空いても動かないのはおじさんが多い。

かといって窓側のわだらんが動くのもなんか損をしたようで面白くない。

せっかく車内が空いたのに隣のおじさんにつきまとわれているようで、そんな日は特につまらなく思う。

 

ところで今日は別の意味で面白くないおじさんに出会った。

京都でかろうじて通路側座席が確保でき、ひと寝入りしようかと思った矢先、わだらんの隣に立ったおじさんが缶ビールを空けたのだ。

まだ鴨川を渡っている最中でしかもそのおじさんは、通路わだらんの真横に立っている状態である。

自分がビールを飲んでいるときには気にならないが、人がビールを飲んでいるときは結構音とかにおいとか気になるものである。

おまけにそのおじさんは、東山通をくぐった先、まだトンネルの手前で今度は袋入りピーナツを出し、がさがさごそごそ。

そして山科に着く直前にはさらにもう一本缶ビールを空けている。

せっかく寝ようと思った矢先、すぐ耳元でがさがさごそごそされてはかなわない。

せめて座ってから飲めよ、と愚痴をぶつぶつ。

立っているうちからあわてて飲むのはよほどすぐに降りるのだろうか、と思っていたのだ。

ところが、そのおじさんは石山でわだらんの前に座るとそのまま寝てしまったようで、野洲でもまだ寝ていた。

彦根や長浜まで帰るのか、それとも単なる寝過ごしか、別にわだらんが心配することではないのだが、

座ってから飲もうや、やっぱり思わずにはいられない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  取り替えるのならインバータ、頭にいいかはわからない

 

6/13

特急サンダーバードに新車が入る、と223系の車内吊り下げ広告が踊っている。

先頭1号車クロが貫通型もどきになったことぐらいしか外見ではわからず、

おそらく一般人には何が新しいのかほとんどわからないのではないかと思う。

逆にだからこそ新車のPRをするのかもしれないが。

でも考えてみれば現在のサンダーバード量産車が世に出てまもなく15年、

これでは新車と言っても大幅に外見が変わるものでなければ、今まで見慣れた車両と違いがわからないのだろうと思う。

15年もたてばそろそろあっと言わせる新車が出てもおかしくない頃であるが、でも681系の完成度が高かったのか、

あるいは新型特急車を設計する余裕がないのか、ほぼ昔のスタイルそのまま。

とはいえ、これはサンダーバードに限った話ではなく、同じ頃に出てきた223系も未だにマイナーチェンジを繰り返しながら増備が続いているし、

東海の313系にしても、九州の813系にしても、状況は変わらない。

国鉄時代、103系や113系、あるいは485系が長きに渡って技術革新もなく増備が続いた、と批評する連中も多いのだが、

ならば今の223系や313系、あるいは683系あたりも後世批評の的になるのだろうか。

もっともヲタの批評など偏った部分についての話が多いわけで、幅広い範囲での評価をできるヲタというのはいないのかもしれない。

 

ところで、温暖化防止の温室効果ガス削減が叫ばれていて、省エネ・エコがブームである。

新型電車は地球に優しいエコタイプなどと鉄道会社がPRに努めているが、一般人に理解してもらえるのだろうか?

雷鳥485系をサンダーバード683系に置き換えれば省エネになるはずである。

まぁそろそろ485系も引退しておかしくない車齢、今のブームで一気に置き換えとなれば社会的にも話題になるかと思うのだが。

でもこの先1000円高速が長期休みの平日にも拡大されるようでは、せっかくの省エネ新車の話題もかすみそうだ。

エコカーへの買い換えを優遇するのも雇用を守る点で大事だと思うのだが、でも環境面なら

まずは公共交通を安くかつ便利に利用できるよう支援すべきではないのかな、と思うのは鉄ヲタわだらんだけではないであろうと思う。

新車の投入で北陸線特急がより盛況になることを祈りたい。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  適度な田舎、これがいい

 

6/11

日本でおそらく一番使われているであろうポータルサイトのトップに「なぜか人口が増え続ける滋賀県のヒミツとは?」などという見出しが踊っている。

別に特別秘密があるわけでなく、ただ単に便利でかつ住宅取得が比較的容易であるという簡単な理由だと思うのだが、

それでも周囲から見ると、いや日本全体の中でもとても特異な状況なのらしい。

まぁそうやって取り上げてくれるのは地元民としてはうれしいことであるし、なにより人口が増えるというのはこの世の中ありがたいことであろう。

鉄ヲタにすれば利用者が減る一方より増える方向であるほうがいいわけで、やはり恵まれていると思わねばならない。

もっともヲタの中には、特に瀬田や南草津が15分に一本、国鉄時代から変わっていないことをぶつぶつ文句言っている連中も多いのだが、

これとて日中は確かに30年前からあまり変わっていないものの、早朝と夕方以降はずいぶんと増発されているし、

なにより国鉄時代と比較すれば新快速の大増発で、草津や石山の利用客が分散されているのはとても効果大のはずである。

 

昭和50年代、わだらんが岐阜から京都へ出てきた折りは、帰りの電車で京都から近江八幡あたりまでずっと立っているのが当たり前であった。

今でも休日夕方の上り電車はよく混んでいるが、まずは本数が増えているし、当時に較べて車内の人の出入りがずいぶん増えたように思う。

電車の本数が増えれば当然利用する選択肢が多いし、しかも昔は新快速など夕方にはなく、

普通電車で近江八幡あたりまでずっと立っているのは、新快速で立っているよりも余計にしんどいなぁ、と思い出してみる。

当時はまだまだ線路から田畑ばかりが見えていて、こんな田舎なのになんで電車がこんなに混んでいるのか、とぶつぶつ言っていたのだ。

瀬田川を渡れば草津川までほとんど線路の周囲に人家はなく、草津を出て草津線が分岐すれば守山まで田んぼしかなかった、と記憶にある。

念のため国土変遷アーカイブスで当時の航空写真を見てみると、ほぼわだらんの当時の記憶は正しく、線路の周囲は田んぼばかりである。

その頃に田んぼを買い占めておけばいまでは大金持ちになっているはずだが、タイムマシンでもない限り空想ごとであるな。

南草津の西側もいよいよマンションが立ち並びだして、田んぼの風景はずいぶん減って、

車窓の視界がずいぶん狭くなってしまったのは残念であるが。

 

大阪18:52の野洲行き新快速に乗る。発車間際にホームに上がったので、当然座ることはできず、しかも高槻下車客も見つからず京都まで立ち客。

それでも混雑した車内とまで言える状況でないのはありがたく、しかも京都で座ればのんびりゆったり。

京都で大量の乗車を飲み込んだ車内は石山、草津と今度は大量に客を掃きだし、守山を発車すればもう車内は閑散と。

石山で向かいに停まった普通電車に乗り換えれば瀬田南草津にもとても便利で、

かつ野洲でその先接続がないので、大津や草津で乗ってくる客はほとんどいない。

まさに大阪京都から滋賀県南部地域への帰宅列車そのものである。

野洲に着けば閑散とした車内であってもやはり8両分客が集まればそれなりに改札も集中するし、

逆にこんなに乗っていたのか、と毎度のことではあるがちょっとびっくりもする。

 

そんな帰宅客に逆行するように、野洲から乗車する帰宅客が改札を通っている。

野洲にはそこそこの規模の事業所が複数あって、結構野洲へ通勤してくる客も多い。

見ていると下りホームへ降りる帰宅客のほうが多そうだ。

人口増加は大阪京都への通勤が容易であることが理由であろうけれども、

また一方で仕事場が多数あるのも事実で、何かと交通便利なところが一番の強みなのだろう、と思う。

 

野洲駅を降りて自宅への道すがら、ちょうどこの時期は田んぼが水を大量に必要とする時期なので、道沿いの用水路は流れも速い。

野洲の駅周辺はさすがに人家が建て込んでいるが、ちょっと離れると田んぼが広がる。

大量の水が流れる用水があちらこちらで維持されているのは田舎の象徴なのだろうか、でもそれが気に入っている。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  やるならパンダの顔を持つシートでどうだ

 

6/9

ここで政治の話をするのは本意ではないのだが、世の中どうしてもお国の事情でいろいろと問題が起こる。

鉄道の世界もまさにその事情で左右されるものである。

過去からゲージ論争があったり、戦争に巻き込まれたり、戦後に酷使されたり、選挙のために新線開業したり、

そして赤字が出て廃止されたり、と細かく言い出せばきりがない。

大分県の有名な温泉地では一政治家のために線路がぐるりと大回りしているし(結果的にはよかったのかもしれないが)、

複数の駅前には銅像や胸像があることからして、歴史に名を残す人の行為としての鉄道事業は魅力があるのかもしれない。

 

ところで、そんなお国のいくつかの事情で休日の高速道路が安くなった。

口の悪い週刊誌や夕刊紙には機器普及に関するいろいろな話が載っているが、

機器普及は別としても1000円乗り放題という発想が他の政党に対抗する政策であることは想像が容易につく。

まぁこれで一部の観光地は5月の連休中潤ったわけで、それなりに経済効果はあったのかもしれない。

しかしわだらん的には一部地域の多客繁盛より、鉄道バスへの影響が大きかったことが心配である。

JR東日本がかなり大きな減収になった、と新聞の見出しが踊っている。

全てが高速道路値下げの影響ではないのだろうが、あまりうれしい話でないのは事実だ。

しかもJR東日本ならまだなんとか耐えられるかもしれないが、九州や四国、あるいは長野県内のバス会社では

稼ぎ頭の中距離高速バスが大きな輸送減少になっているそうで、かなり心配である。

地方のバス会社は路線バスの赤字を高速バスで補填している形のところが多く、

このまま高速バスの減収が続くと、まず地方の路線バスが持たなくなるのではないか、と心配してしまう。

お国の事情も大事ではあろうけれども、でもその事情で公共交通が先細りするのは悲しいものだ。

 

そのJR東日本が新たな行楽用切符を発表している。2日間有効の東京周辺5000円乗り放題、

しかも下諏訪や会津若松までの比較的遠くや一部私鉄フェリーまで使え、特急券別買いで利用可というなかなかすぐれものである。

これなら18切符より使い勝手がよほどよさそうである。

こんな切符で家族連れの休日鉄道旅行が増えればいいな、と思う。

 

そんなことを想いながら新快速に揺られていると、夕闇迫る向日町運転所の下り出発線に381系くろしおが停まっている。

車体に描かれたパンダの絵はかわいいが、たくさんの家族連れを呼べるものだろうか。

正直、少しインパクトが薄いように思えるのだ。

旭山動物園号のハグハグチェアには是非乗ってみたいと思うので、余計にそう思えるのだろうけれども。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大阪のご当地ソングはグランシャトーかな

 

6/6

長野県人ではないわだらんであるが、「信濃の国」の歌詞一番は歌うことができる。

亡き父が昔々に人の披露宴に出るのでなぜかこの「信濃の国」を歌うことがあったようで、

夜にぶつぶつ暗記していたのを横で聞いていて覚えてしまったのである。

ちなみにこの歌、歌詞は六番まであるのだが、わだらんは一番しか覚えていない。長野県人がすべて六番まで歌えるのかどうかは知らないが、

調べてみると歌詞六番は碓氷峠の鉄道を歌っていて、ヲタ的にはちょっとうれしかったりする。

長野県人以外にはほとんど見向きもされない歌なのかもしれないが、でも地名地理を覚えるに便利な歌であることは確かなようだ。

 

世の中ご当地ソングなるものがあって、その地域に愛されたり、あるいは観光の材料になったりしている。

とはいっても、今の岐阜市民がみんな柳ケ瀬ブルースを歌えるとは思えないし、

大阪のようにいくつかそれらしき歌があってもどれが一番知られているのかよくわからなかったりするし、

なかなか定着するのは難しいように思える。

そういえば京都市民はみんな通り名数え歌が歌えるのだろうか?

 

このところ横浜港開港150年記念の観光行事がいろいろ展開されている。

あまり横浜に縁のないわだらんとしては、そもそも今のみなとみらい地区も、あるいは中華街もよく知らない。

散策すれば楽しい発見もいろいろありそうなのだが、なかなか出かける機会がない。

京浜急行も相模鉄道もほとんど乗ったことがなく、出かけるきっかけはいくつもありそうなのだが。

そんなあまり横浜に縁のないわだらんではあるが、ふと金曜日に目にとまった吊り広告がある。

いしだあゆみのヒット曲、ブルーライトヨコハマの歌詞を港からみなとみらい地区を見た夜景をバックにポスターにしている。

わだらんの座った前から4列目の位置では、運転席すぐ後ろにかかったその吊り広告の細かい歌詞を書いた部分を読むことはできなかったのだが、

でもわかってしまうところが悲しいおじさん世代なのだろうか。

このブルーライトヨコハマは1969年のヒット曲だそうだ。

ということは奈良区や日根野区の103系あたりにこの歌の生まれたのと同年代の車がいるはずで、その車たちも同じ吊り広告を下げているのだろう。

 

ご当地ソングなるもの、定着には時間がかかるものであるようだ。

あと40年たったとき、ひこにゃん音頭が彦根のご当地ソングで定着しているのか、今から楽しみにしてみよう。

ひこにゃんと同じ年生まれの223系はきっと40年後も元気にしていると思うのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅で食べるから駅弁

 

6/3

もう10年近く前のことになる。

新幹線グランドひかりの食堂車がいよいよ営業休止になる、というのでお別れに乗りに出かけた。

もちろん貧乏性のわだらん故、東京博多間などという大それた旅行ではなく、新大阪名古屋間のみの乗車である。

その頃は新幹線エコノミー切符というのがあって、大阪名古屋を4200円ほどでひかり自由席に乗れたのである。

座席に座るつもりなど毛頭なく、新大阪で乗り込んでまだ鳥飼まで行かないうちに食堂車へと向かった。

が、今で言う葬式鉄のはしり、食堂車付近だけ異様な熱気で、待ちの客が大量に出ている。

少々焦ったが、何とか京都で着席できた。

何しろ食堂車に乗るのが目的なので、食堂車で食事ができないことでは何のために大枚叩いて新幹線に乗ったのか、となるのである。

なんとか座れたおかげで、ちょっと落ち着つくことができた。

とは言っても、こちらは独り身、当然相席である。座席は全て埋まっていて、こんなに繁盛した食堂車は久しぶりである。

 

一時期ひかりに食堂車がついた頃、つまり博多開業後しばらくの間は側廊下式36形式の食堂車に列をなしていたころもあったのだが、

もう食堂車終焉の頃には「これでは続かないな」と思われるような惨憺たる状況だったのである。

何しろ食堂車でビールを頼んだら缶ビールが出てくるありさまで、

もちろん担当会社や営業所によって違いはあろうけれどもずいぶんがっかりした記憶がある。

そんな状況だったので久しぶりに繁盛した食堂車でわくわくしていたのだが、さすがに混んでいると食事が出てこない。

まずオーダーがきたのが既に草津を過ぎまもなく野洲川を渡ろうか、という状況で、ビールをちびちび飲んではいたものの、

結局ビーフシチューとご飯がやってきたのは木曽川を過ぎてからであった。

もともと40分程度の乗車時間で贅沢はいえないのだが、とにかく清洲の東海道線との合流地点あたりまでで食事をして、

枇杷島の庄内川を渡りながら精算して、なんとか名古屋で降りたのである。

まさにせわしいだけの食事兼乗車であったが、今でも一人笑いをしてしまうおかしな体験であった。

まぁあんな食事はもう二度とすることはないし、そもそもこの先新幹線に食堂車ができるはずもなかろうに、と思う。

 

野洲図書館で「トワイライトエクスプレスレディー」なる本を借りてきた。

まだまともに読めていないのだが、斜め読みしていて、トワイライトの往路はランチをしていることを知った。

トワイライトの食堂車といえば晩の豪華なディナーばかりが話になるのだが、

大阪発ならビーフシチューやカレーライスが食べられると知って、俄然興味が出てしまった。

といってもそう簡単に乗れる代物ではないし、さすがに一人の旅行でトワイライトに乗ることは家族が許してくれないであろう。

まぁいつの話がわからないが。

 

6月から在来線の特急列車が全面禁煙になった。

もともとたばこ嫌いのわだらんにとってはとてもうれしいことなのだが、でもいままでたばこを吸えるのが長距離列車というイメージであったのだが、

いまや長距離も通勤電車もあまりかわらないようだ。

もっとも長距離といったところで、金沢や鳥取で2時間半程度なら大げさに長時間とも言えないか。

距離の長さは時間換算すると昔に較べてずいぶん短くなったものだ。

例えば大阪東京もいまや2時間半が標準では、たばこを吸えなくてもなんとかなるだろう、というところか。

ましてやそんな状況なら食堂車などますますこの先出てくるとは思えない。

あくまでトワイライトエクスプレスは非日常の乗り物であって、仮に長距離であったとしても、それが用事のために移動手段にはならないのだ。

列車で優雅に食事を、というのはあくまで特別な空間なのである。

 

先日塚本で公衆立ち入りのあった時である。

17:45の3498Mに並んでいるわだらんの前に防護無線を受信した4039Mサンダーバード魚津行きが停まってしまった。

わだらんの並ぶ列の先にはお弁当を広げた出張者と思われるお兄さん。

ドアも閉まって発車して安心して食事ができると思ったとたんに列車はホームにかかった状態で停まってしまったのである。

お兄さんは開けてしまった弁当はしまうのが面倒なのか、食べ続けている。

結局運転再開までの間、つまり大阪駅ホームにかかった状態で停車中の間にお弁当を食べ終わってしまった。

せっかく走りながら車窓を楽しみながらの食事(と思っていたかどうか知らないが)が駅に停まっている間の食事になってしまった。

まさに駅弁である。

まぁ救いなのが、このおにいさんの席が進行右手、つまりホーム側でないところであったことだろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  音階を変える電車はあるが、駅の音は味気ない

 

6/1

先日、地元で笛吹きをされている方の話を聞く機会があった。

この方は目の見えない方で、あんまマッサージが生業なのだが、ボランティアで笛を吹きながら障害に対するお話をずっとされている。

この方の話を聞いていると目の見えないハンディを全く感じさせないとても楽しく幸せな日々のように聞こえるのだが、

でも実際にはいろいろと苦労が耐えないのだろうと思う。

目の見えない世界というのはわだらんには想像できないし、ましてや目の見えない鉄道ヲタというのはたぶん難しいのだろう。

もっともこの方は小さい頃から既に視力がなく、この方に言わせると中途失明者のほうがたいへんなそうなのだが。

 

ところでこの目の見えない方が笛を吹くきっかけになったのが、電車の車掌の吹く笛の音だったそうな。

車掌の吹く笛で電車が動く、それが子供心にずいぶん印象深かったそうだ。

確かに中年(と認めたくないが)わだらんも笛を聞くと何となくうれしくなる。

ましてや最近は笛を吹かない場合も多く、笛を吹く場面に出会うとうれしいものだ。

 

笛に限らず昔当たり前だった鉄道の音がずいぶん変わってきたように思う。

わだらんが小学生だった頃の津駅はまだ腕木式信号機で、タブレット発行機から聞こえるチンチンという音や、

分岐器を変える転轍レバーのガタンという音を聞いて列車が着く予告にわくわくしたものだ。

自動信号で音は出ないし、転轍機はパネルで触るとなってしまっては運転関係で一般乗客が聞くことのできる音がほとんどなくなってしまった。

今時野洲駅にいても駅窓口から聞こえてくるのは一斉同報のチャイムくらいのもので、

ましてやそんなチャイムの後に聞こえる通告内容はろくな話しがない。

いわば聞こえなくてもなくてもいい音だ。

わくわくさせてくれる音は今の世の中、なかなかないものだ。

 

そういえば昔は改札といえば駅員が鋏を切符に入れていた。

大きな駅で改札がいくつも並んでいるところでは切符を切る音が絶えなかったし、若い駅員氏はみんな指の練習なのか、

切符を切っていなくてもずっと鋏をかちかちならしていたものだ。

今は改札に駅員はおらず、ましてや切符を切る音もない。

ICカードリーダーから出る確認音ばかり聞こえてくる。何とも味気ないものだ、とわだらん自身が改札でICOCAをあてながら考える。

 

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