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09年 7月

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728.  7/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  列車を宇宙から観察する時代

727.  7/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新車もいつかはボロになる

726.  7/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路端は昔敬遠されていたはずなのだが

725.  7/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  メジャーは大津や神戸、マイナーは地元

724.  7/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  向かいは大島、これは串本節

723.  7/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  昔は安房峠釜トンネル対応の特別仕様バスがあった

722.  7/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  接車事故や線路転落を防ぐにはやはりホームドアだろうか

721.  7/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  車内の混雑混乱を横目で見られる余裕が救い

720.  7/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  道床は常に崩れていくものなのだそうだ

719.  7/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  遅れ野洲行きが草津打ち切りにならない安心感

718.  7/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  経済状況の悪化とか社会不安などと大きな話をするつもりはないが

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  列車を宇宙から観察する時代

 

7/29

列車と列車の保安というのは鉄道開通の時から今に至るまでずっと長いおつきあいなのだが、

技術の進歩や周囲の情勢で次々改良が加わってきた、いわば生き物のようなものである。

使われる路線によって保安設備も線差(千差)万別、原始的でかつ確実な通票方式や

司令所による遠隔監視までいろいろと方式多く、それだけで何冊も本が書けたりする。

色灯三位式自動信号機の最初は京阪だそうだが、最近は信号機に速度指示を加えるものも多かったりして、なかなか複雑である。

例えば草津駅5番線は青信号が出ず、常に黄青色の二灯の点灯する状態、正式には減速指示での発車となる。

つまり「出発進行!」ではなく「出発減速!」なのであまりしゃんとしないのだが、

これも発車してしばらくすると60km/h制限があるので、むやみやたらと走り出してはいけない、というお知らせ付きなのである。

 

一般に鉄道の信号機は軌道回路、つまりレールを流れる電流によって列車の有無を検知する。

つまり連続する線路を区切り、その一区切り内の軌道電流を検出して列車を有無を調べるものだ。

いわばトイレの鍵みたいなもので、一区切りに列車がいれば、後続列車は手前で待っていなさいとなり、

そのトイレの鍵にあたるものが信号機であるわけだ。

軌道回路で区切られた区画は信号無視や故障がない限り安全なもの、つまり後続列車は入ってこない状態であるのだ。

区切りを多くすれば多くの列車を走らすことができるので、区切りは多い方がいいのだが、

かといって多すぎると運転士の信号確認は大変だし、地上設備費用はかさむし、このあたりの折り合いが難しい。

最近は移動閉塞という考え方も出てきて、前の列車との距離を計測して追突しない保安設備とする研究が進んでいるそうだ。

今までの閉塞という概念を崩す進歩として定着するのかどうか、見物である。

そういえばこの移動閉塞、JR東日本では無線基地局を使うのだが、JR北海道ではGPSで列車位置照査するそうだ。

ちなみに既にJR貨物がGPSで列車位置検出をしているが、このものは直接閉塞や保安には関係ないのである。

 

今日も小雨混じりの夕方である。

例によって6連の804Tは微妙に遅れを出して、南草津で後方の新快速3500Mは追いついてしまった。

瀬田から狼川橋梁への上り坂は本来新快速ならばんばん飛ばしていくのだが、前の閉塞信号の減速表示で急に萎えてしまった。

結局草津までとろとろ走り、そしてまた栗東から守山までまた804Tを追いかける、いわゆるケツなめの状態になってしまった。

こんな時に移動閉塞が使えたら、もう少し減速区間が短くてすむのかな、と思う。

もちろん804Tがせめて8連なら、なにも新快速が頭打ちになるような遅れを生まないのかもしれないのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新車もいつかはボロになる

 

7/27

三重県津の実家に行く用事ができて、日曜日に久しぶりに草津線で113系に乗った。

今となってはボロ電車の象徴のようなものであるが、わだらんにとってはなじみ深い、まさに幼なじみであって、かつ都会のにおいを運ぶ電車という特別な存在でもあった。

大垣区配属の80系電車が豊橋−米原間で幅をきかせていた当時、岐阜駅に一往復神領区の113系がやってきていた。

朝の上りで大垣から名古屋へ向かい、そのまま中央線に直通するものだったのだが、なんともやぼったい80系に較べて113系はずいぶんと洗練されたように見えていた。

もちろん冷房もない時代だが、でも113系に出会えることが何か特別にいいことのように思えていたのだ。

やがて80系の置き換えに大垣区にも113系が配属され、しかも半分は冷房つき新車であった。

冷房もさることながら、ユニット窓や大きなシートピッチの2000番台はまさしく新車の輝きを持っていた。

なにしろ同じ113系でも残り半分は宮原と高槻区の中古であったのだから、そうなるとますます2000番台新車は輝いて見えたのだ。

 

そんな栄光の時代もずいぶんと昔のことになってしまった。

今から約40年前に新快速が初めて運転されたのはこの113系を使ったものだが、どうものちの153系新快速の印象がみな強いようで、113系新快速のことはあまり語られることはないようだ。

何しろ先日立ち読みしたとあるアナウンサーの書いた本には「新快速が万博輸送に使われた」などと書かれているが、実際には万博の終わった10月が新快速の運転開始であり、

他の記載部分も含めて、正直がっかりというかちょっと怒りが出てきた。

わだらんよりかなり年上で、いまも鉄道ネタの多いラジオ番組をやっている(と人に聞いている)、関西ではかなり有名な方の認識がこんなものか、と思うと、残念に思う。

そんな話もあるように、もう少し113系の栄光の時代に理解があってほしいものである。

 

久しぶりに乗った113系は体質改善で座席が223系と同じ転換クロスシートのものであった。

もとは2000番台のシートピッチ改良車なのだが、転換クロスになってしまっては、そのありがたみはわからない。

ボックスシートの楽しみである空いた車内で前の座席に足を伸ばしてごろごろ、という田舎の電車の過ごし方ができないのは残念だ。

でも一般客には古くさいボックスシートより転換クロスシートのほうがよほど快適だろうし、なにより草津線や湖西線の沿線の子どもには、

今の113系はかつてわだらんが眺めていた80系のように見えるのかもしれない。

わだらんが最近になってやたら80系電車を懐かしく思うように、将来113系も過去の車になるだろうが、せめていまのうちにたくさん乗っておくべきだろうか。

少なくともいまの若いヲタよりはよほど113系に愛着を持っているのだから。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路端は昔敬遠されていたはずなのだが

 

7/23

あまり話題にもなっていないのだが、今年は東海道線全通120周年なのである。

1889年7月に現在の膳所長浜間が開通して(正確にはもう少し細かいのだが)、東京から大阪神戸までが列車で直通できるようになったのである。

つまり野洲の近辺が東海道本線の最後の開通区間なのであって、それから120年がたったのである。

とはいえ、取り立てて特別大騒ぎするわけではないし、特別列車が走るわけでもない。

琵琶湖線内、つまり最後の開通区間の主要駅には昔の写真を飾るパネルがあって、その地元も懐かしい写真を飾っていたりするが、

これも滋賀県以外のPRが薄いようで、どうもいまいち、マスコミに大きく取り上げられることもなく、ちょっと寂しい。

野洲駅もパネルがあって、昔まだトンネルだった家棟川や、以前の野洲駅駅舎が写真展示されている。

特にまだ橋上化前、野洲駅北側がまだたんぼだったころの写真はなかなか一般の方にも印象深いようである。

1970年代前半の頃、当時ホームから北側に見えるものといえば田んぼしかないという、今の野洲駅からは想像つかないものだ。         

もっとも、その当時、つまり万博の前後などといえば、駅の片側が田んぼなのは野洲ばかりでなく、近江八幡や能登川、そして草津でさえ同じ状況であった。

栗東も南草津など駅のみならず住宅すらない、田んぼのなかに線路があるのみなのだ。

さぞいまよりずっと見晴らしがよかったのだろう、と思う。

 

このところ栗東守山のあたりで車窓から見える範囲の、つまり線路からかなり近いところでいくつか田んぼが埋め立てられて住宅地として分譲されている。

わだらんのような鉄ヲタでないかぎり、わざわざ線路のそばに家を構えなくても、とは思うが、まぁ駅に比較的近い分譲可能地もそろそろ少なくなってきたのだろうか。

その新規分譲地の一つに守山駅の北側、吉身の陸橋を越えた先の三角地がある。

そもそもなんで三角かというと、もともとこの吉身の陸橋下からずっと貨物の専用線が旭化成までずっと延びていて、その分岐にあたるところであったからだ。

今では専用線の北半分は道路になり、駅に近いところは倉庫と住宅になってしまったが、でも線路跡を追いかけるには充分の雰囲気が残っている。

もし今でも線路が残っていれば播磨田までのライトレール化ができたかも、あるいはもっと延びて堅田までつながっていたかな、などと勝手な想像をしてみるが、

でももしそんな鉄道に囲まれた分譲地では売れないだろうな、と朝日のなかで揺れる分譲中の旗を見ながら独り言。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  メジャーは大津や神戸、マイナーは地元

 

7/20

夏らしいというと何が夏の代名詞か、個人によってそれぞれ想いはあろうけれども、わだらん的には花火大会を思い出す。

夜空に舞う花火ももちろんきれいであるが、一方で花火大会に集まる観客の輸送事情を見るのもまた楽しい。

以前にも書いたかと思うのだが、7月終わりと8月初め、岐阜市内の長良川で花火大会があり、中学生の頃から何度となく出かけていき、花火とその輸送を眺めていたものだ。

当時元気だった岐阜の路面電車、名鉄岐阜市内線が花火輸送の主役で、花火当日は夕刻から使える電車を全て繰り出して大騒ぎであった。

そんなお祭り騒ぎが今も花火輸送の興味の原点であろうと思う。

いや、花火輸送だけでなく、大量に一度の輸送、これは例えば甲子園球場の阪神電車のようにいろいろとドラマがあって面白いと思うのだが。

 

わだらんが毎年楽しみにしている野洲川花火大会が、19日の土曜日に無事雨もなく終了した。

野洲川の河川敷、新幹線と8号線の間で打ち上げられる花火は、栗東市と野洲市の共催なのだが、野洲市側はシャトルバスを出して観客輸送をしている。

一方の栗東市側は駐車場へ誘導するだけで特にバスによる輸送をしているものではない。

実際栗東市側の会場に行ったことがないのでなんとも言えないのだが、野洲市側は少なくともバスは盛況である。

野洲駅徒歩5分の市役所前から無料バスが出るので、もっと市外県外の客も呼べそうに思えるのだが。

 

滋賀県内は花火大会が比較的多いところである。

比較的大きな河川敷や琵琶湖があって、かつ人口もそう多くなく警備にもお金があまりかからない、というのが理由ではなかろうか。

実際十三塚本の淀川花火大会などを見ていると、確かに人は多く派手であるが、でもその警備や誘導など手間がかかって人出もかかって大変に思う。

その点野洲の花火など身軽なものだ。

そもそも昔はそんなに警備も誘導もなかったのだし、岐阜の電車が元気だった頃は、せいぜい駅員が観客誘導をしていた程度で、別に問題もなかったのだけれども。

 

まぁ事故もなく平和に花火大会を見ているのはなんともうれしいものだ。

河川敷の芝生に寝ころんで真上に上がる花火を見るのは野洲川の特権だ、と思っている。

大津や他の花火大会では間近でしかも寝ころんでビールを飲みながら、というわけにはいかない。

大きな花火の破裂音の合間に野洲川を渡る新幹線の音が聞こえてくる。

今日の新幹線の乗客は野洲川と愛知川の花火大会を車窓から堪能できて幸福もの。

でも新幹線の乗客には野洲川も愛知川も、地元民のための花火大会の情報はあまり伝わらないのだろうな。

知っていないと走行中の新幹線の車窓で花火を見るのは至難の業、であろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  向かいは大島、これは串本節

 

7/16

仕事場でお顔を会わせるおねえさん、といっても既に子育ての終わったおねえさんであるが、の生まれが山口県である、と最近もののはずみで知ることができた。

となると当然山口のどこか、ということになるのだが、聞くと愛媛県との境に近い屋代島、というところであった。

わだらんは屋代島というのがすぐにわからなかったのだが、なんとなく瀬戸内海で愛媛に近いので「みかんのたくさんとれるところですよね」と聞くと、その通りだという。

最近は過疎化が進んで、農協も支所が閉鎖されてしまい、お金を出すのにおじいさんはわざわざ向かえに来てもらうとか、

みかんの木は放っておくと状態も悪くなるし虫も付くので、とりあえず自分のみかん畑は人に頼んで消毒してもらっていること、などといろいろ教えてもらった。

ただ話を聞いていたイメージでは屋代島というのはもう小さな島で、船で防府あたりから渡るところだろうか、と思っていた。

ところが、あとから地図を見ると、屋代島というのはいわゆる大島のことであった。

所在地は周防大島町で、その大島のことを正式には屋代島と呼ぶのだそうだ。

でもわだらんには大島という名前しか浮かばないし、それはもともと国鉄連絡船の大島航路の印象から来るわけで、

橋が架かっても最近まで国鉄バス・中国JRバスが連絡船のかわりに橋を渡っていたのである。

残念ながらわだらんにとって国鉄バスはおろか、大島大橋すら渡ったことがないのだが。

 

でもこの大島大橋、山陽線の車窓からよく見える風光明媚な橋で、海をあまり見られることのない山陽線の車窓の中では、

尾道糸崎あたりと並んでわだらんのお気に入りのところである。

そういえば柳井松山間のフェリーが大島に寄港するはずだ、などと時刻表をみながら、一度行ってみたいものだ、

のんびりしていたいなぁ、と大阪駅で帰りの新快速を待っていた。

まさに運良く座れた18:00の長浜行き3500M、乗ってからいつものように車内をきょろきょろ。

あれ、仲間由紀恵の因島ポスターがないなぁ、といろいろ見ていると、なんと車内広告はハワイ州観光局の貸切車両であった。

ハワイ50選という名所のかずかずが掲示されているのだが、あれ、ハワイ島のことはBigIslandと呼ぶのだな、そうかハワイ大島か、と一人納得してしまった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  昔は安房峠釜トンネル対応の特別仕様バスがあった

 

7/14

都議選で自民党が大敗したと世間では大騒ぎである。

もともと予想で勝てないと言われていたのだし、さして大騒ぎすることもなかろうにと思うのだが、

でもやはり今後の日本が変わるやもしれないと考えると、無関心ではいられない。

少なくとも民主党が政権を取れば、高速道路の無料化がいつの日か政策課題に挙がるわけで、

わだらん的には公共交通への支援策がどうなるのかが一番の関心事である。

とはいっても高速道路が無料になれば、重複するような国道工事は減るかもしれないし、

そもそも名神が無料になれば栗東以北の国道8号線はずいぶん空くのではないか、と思う。

何せ野洲市内の8号線は栗東で名神を降りて北上するトラックが多いのだ。

 

朝野洲始発の713Mに乗り、草津までは一人でゆったりし、そして草津で隣に人が座るのがいつものパターン。

今日もそんな一日の始まりであったのだが、今日隣に座ったおじさんは座るないなや

かばんから某大手旅行代理店出版部発行の上高地ガイドブックを広げた。

ページをめくるのに合わせてちらちら見ていたのだが、ふと気がついた。

つまり、今の上高地への玄関は名古屋大阪の場合高山なのである。

どうしても上高地というと松本から新島々経由しか頭にないわだらんであるが、でも今は安房トンネルができて高山側からも楽々と中ノ湯まで到達できるし、

ましてや東海北陸道から高山清美道路であっさりと高山盆地にやってくることができるわけだ。

わだらん的には上高地というところ、夜行で出かけるイメージなのだが、今は朝出て昼には着くような感覚である。

何しろ高速バスで名古屋高山間が2時間半とは恐れ入る。

信号少なく流れやすいとはいえカーブ続きの41号線を走っていた時代とは様変わりである。

まぁこんなに高山や上高地が近くなったのなら、ETC1000円割引で大挙して車が押し寄せたのも理解はできる。

とはいえ、高速で飛ばしている車には下呂温泉や郡上八幡の街並みなどはあまり関心がないのだろうけれども。

 

そんなことを考えてぼーっとしていた帰りの新快速で野洲に帰ると、上り大阪行きひだがちょうどやってきた。

用務客もいるのだろうか、本来観光特急であるはずなのだが、いつもある一定の客がいて、まったくがらがらという姿を見たことがない。

もちろん3両という短編成であるからなのかもしれないが、でもひだ利用客に高山や上高地を目的とする客はいるはずだ。

何とか高速道路に負けじとひだも頑張ってもらいたいと思うが、さてこの先世の中どうなるのだろう。

ところで朝のおじさんは結局ずっと上高地のガイドブックを眺めながら京都で降りていった。

平湯温泉あたりの宿紹介をしきりにめくっていたが、狙うところはあるのだろうか?

平湯も栃尾も新穂高ものどかな露天風呂を持つ温泉地である。

たまにはそういう静かな温泉地でごろごろしていたいと思うが、でもこのところの1000円ブームではノンビリもできないだろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  接車事故や線路転落を防ぐにはやはりホームドアだろうか

 

7/12

先日目の見えない方のお話を聞いたときのことを書いたが、この時もやはり「駅のホームは恐い」と話を聞いた。

黄色タイルの誘導帯があるのだが、わだらんも含めてこれが目の見えない人への命を守る極めて大事なものだ、という認識がない。

本来もっと誘導帯の重要性をわからなければいけないのだが、そもそも無理に設置したのではないかと思われるような

怪しげな設置があったりすると、そもそも誘導帯自体の目的をもっと世間に、もちろん鉄道会社にも知らしめる必要があるのではないのかと思う。

バリアフリーというとすぐに車椅子というイメージが先行する(と思う)のだが、

でも目の見えない人、耳の聞こえない人、本来いろいろな人に伝えなければならない情報があるように思う。

とはいえってもわだらんがそんな方々の日頃の不都合や要望を把握しているわけではないので、あまり大きなことを言えるわけでもないのだが。

 

昔わだらんがまだこどもの頃は線路が今よりずっと近かった。

線路際にフェンスなどなかったし、駅では貨物扱いホームには簡単に入れてそこからすぐに線路に降りることはできたし、

だいたいホーム端はスロープになっていて、入ろうと思えばどこからでも列車に近づくことができた。

とはいってもそれで例えば留置車両に落書きする悪ガキはいなかったし、こどもが駅で電車に轢かれた話はあまり聞いたことがない。

が、最近気にして報道を見ていると、どうも線路に転落するのは目の見えない方より健全な方、つまりは酔っぱらいのほうが多いように思う。

一時期ホーム上の酒類販売の是非についてもめていたはずなのだが、結局そのままのようである。

ホームで飲酒して転落するより、外で飲酒した結果線路に落ちるほうが多いのだろう。

少し前に京王井の頭線の永福町で大学生がお年寄りを突き落としたとニュースになったが、あの話も結局殺人目的ではなかったと決着したと記憶している。

自分が気持ちいいだけなら問題ないが、他人を巻き込んだり、他人に迷惑をかけるような飲酒は困ったものだ。

ホームからの転落防止にはやはりホームドアが有効なのだろう。

ヲタ的にはあまり評判のいいものではないし、わだらんもできることならホームドアなどない方がうれしいのだけれど。

 

そんなことを思ったのは、先日朝に起きた守山の人身事故について、わだらんにいつもおつきあいをしていただいている方からご指摘を受けたからである。

亡くなられた守山市内のおねえさんは、貧血気味であったそうである。

確かにこの日は朝から蒸し暑くしかも急に雨が降ってきたので、とてもすがすがしい朝という雰囲気ではなかった。

そんな中、貧血でふらふらと倒れ込んで、結果として命を落とされたのだとしたら、それはまたとてもかわいそうなことである。

ましてや周囲の方々からすればさぞ驚きと悲しみが深いことであろう。

もしホームドアがあれば助かったか、と考えるとやっぱりホームドアは必要なものだろうか、命を救えるいわば万里の長城なのだろうか、と思ってみる。

そして「自殺であろう」という書き方がたいそう失礼であるやもしれないので、気になされた方にはお詫びしなければならない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  車内の混雑混乱を横目で見られる余裕が救い

 

7/6

月曜日というのはどうも気分が重い。

休み明け、これからまた仕事をしなければならないという義務感というか倦怠感というか、

どんよりした気持ちである上に、月曜日は朝の電車が混む、という難点もある。

この日もいつも乗っている野洲始発の713Mに乗ろうと家を出る。ところが明るい夜明けと裏腹に結構な雨が降っている。

これはいかん、と家へ戻って傘を取ってきたのがこの日の全てであった。

つまり、傘を鶏に一旦戻ったために713Mに乗れなくなり、後続の野洲6:26の715Mに乗ったところ、この電車が事故に遭ったわけだ。

 

715Mは定刻に野洲にやってきた。

大阪着があとの新快速と大きく変わらないためか、編成後尾は比較的空いている。

野洲でも座りやすい電車なのだが、さすがに窓側が取れるかどうかは運次第である。

でもこの日はわざと窓側を空け、通路側に座っていたおじさんのおかげで窓側を確保できた。

野洲で乗った時点から隣に人がいるのは少々面白くないのだが、まぁ贅沢は言えまい。

そんな715Mは守山の駅に近づき、いつものように減速を始める。別にふだんと変わりことなく、何も気にしていなかったのだが、がくんと停まってしまった。

わだらんの乗っている11号車はホームからはずれている。

停止位置を行き過ぎ、ならまぁ起こることもあるが、停止位置手前で停まるのはいいことではない。

案の定、しばらくの沈黙の後、車掌が「ただいまこの電車で人身事故が発生しました」と言う。

それでも車内は至って静かである。わだらんを含め、11号車の乗客は26人。

時折電話の声はするが、でも大声を張り上げたり、車内を動いたりする人間はいない。

わだらんはというと、窓側にいわば押し込められた形で動くことができず、そのままじっと座っている。

動いてまわりの様子をうかがいたかったのだが、下手に動いてこの後座席確保できないようならそれはまた問題だ、と結局何もできないのだ。

ましてやわだらんの乗っている11号車からは先頭へはいけない。

この715Mは221系6+6の編成で、先頭まで車内からは通り抜けができないのだ。

一方、動かないうちに時間だけはどんどん過ぎていく。遠くに見える守山駅のホームには見る見る人が貯まっていっている。

もちろん多くの利用者は事故があったことなど知らず駅へ向かったであろうから、時間が立てばホームに客が増えて当然である。

ただ、ホームにいた客の中には目撃者もいたであろうし、あるいは事故処理の現場を見たりもしているだろうから、

野洲や草津で動かない電車を待っている客よりはずっと状況を理解しやすいだろうとは思うのだが。

 

さて、静かな車内もおよそ30分が経過し、車内を少しずつ人が動いていくようになった。

トイレに行ったりするのだろうか。

やがて救急隊員が車内に回ってきて、気分の悪い客がいないかどうか確かめている。

車内はまだがらがらなので気分の悪くなる雰囲気ではないが、でもずっと停まったままというのは精神衛生上よくない。

結局どんな事故であったのか、何か問題があったのかわからないまま負傷者救護、事故処理と

現場検証、車両点検が終わって電車は動き、守山でやっと客扱い。

ホームにいた客がどっと車内に入り、座席は埋まり立ち客もぱらぱら。

いつもの715Mなら草津で全席埋まる状態なのだが、これでは先が思いやられる。

 

50分ほど遅れた715Mは栗東でも大量の客を飲み込み、草津ではついに積み残しが出る。

扉扱いには手間取り、遅れは拡大していく。

こんな状態で当然南草津も瀬田もホームにあふれた乗客を乗せられる余裕もなく、結局何のためにドアを開けたのかわからない状態である。

石山膳所大津と降りた客の分だけ乗れる状態が続いて京都は70分遅れの8:11着。

その後も先行C電に頭を抑えられたり、茨木で客扱いに手間取ったりして、大阪着は8:52、定刻より76分遅れと相成った。

わだらんは座っていたので電車が遅れた以外大きな問題はなかったのだが、でも途中駅の利用者にとっては迷惑以外の何者でもない。

しかも後続はさらに手間取ったようで、特急びわこエクスプレスは715Mを抜くことができず、そのあとの新快速はまともに走れず、

当該列車に乗っていたのがまだ不幸中の幸いであった。

 

のちの報道によると、自殺と思われる亡くなられた方は守山市内の36歳の女性であったそうな。

何も人生死に急ぐ必要はないのに、わだらんが遊び相手をしてあげたのに、などと思ってみても仕方のないことであるが、

月曜朝からこの状態なら憂鬱な月曜日がますます憂鬱になってしまう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  道床は常に崩れていくものなのだそうだ

 

7/4

野洲図書館が特別なのかどうかよくわからないのだが、結構わだらん以外に誰が読むのだろうかと思うようなヲタ向け本が野洲図書館にある。

加えて県立図書館にも結構なヲタ本があって、わだらんはずいぶん助かっている。

難しいものばかりではなく、えちぜん鉄道やトワイライトエクスプレスのおねえさん本などもあったりして、

館長を初めとする図書館のみなさんには頭が下がる。

 

ところで、最近いわゆる鉄道本、分類686(産業−運輸)に入らない鉄道本が以外と多いことに気がついた。

多くの図書館が536(機械)・546(電気)を686にまとめているのだが、野洲図書館は516(土木−鉄道)が独立していて、

そこにも難しいヲタ本が並んでいる。

その中で「新幹線・保線のはなし」という本を借りてみたのだが、正直内容が濃すぎてよく理解できない。

もちろんおおよそ書いてあることはわかるのだが、でも数値の図表やチャート図を見ても、それをどう解釈すればいいのか、よくわからないのだ。

ただまぁよくわかったことは、線路というのは日々変化し、以前と同じ状態に戻るのは至難の業であること、

でも全体を通してよい状態に保つことは可能なこと、なにより乗り心地改善やスピードアップのために乗客の目に見えないところで

数限りない工夫がされていること、などなどずいぶん勉強になった。

スピードアップというとどうしても車両ばかりに眼がいくが、

実は車両やその走行を支える縁の下の力持ちがいるからこそ成り立つものだ、と改めて感心する。

そう考えると、某中央鉄道会社が新幹線の売り込みにあくまでシステムとしての新幹線にこだわっているのがわかる気がする。

でも逆に最近はやりの上下分離、公設民営とは相容れない考え方なのかもしれないが。

 

そんなことを思いだしたのは、土曜の午前中、新快速に乗り合わせたすてきなおねえさんを見たからである。

黄色の蛍光たすきの入った作業服に黄色のヘルメットを持ったかわいい若いお姉さんが野洲始発の空いている新快速に守山から乗り込んできた。

乗り込んだとたん、ケーブルを運転台から引き込んで、最前部ドア広場の中間に機械を広げた。

つまりはほぼ先頭台車の真上の位置になるはずだ。

そこで車体の振動を計る(であろう)機械を広げたのだ。

設置準備をして、パラメータ設定をしたのち、草津駅を出て少し進んだ492km位置から計測を始めた。

まだ車内は空いていて、計測器はドア広場の中央に鎮座し、保線のおねえさんが見守っている。

計測器の表示窓を覗いていると、縦方向と横方向をデジタルで記録している。

内外振り分け分岐のところで横に0.5Gとか、走行位置や揺れ方をずいぶん克明に記録しているようだ。

先に書いた本「新幹線保線のはなし」でもやはり正確な位置での車体の揺れや線路のひずみの読みとりと修正に苦労されている姿が書かれている。

いままさに目の前で動いている機器とそれを見守る若い保線区のおねえさんが線路を守ってくれることで、快適な電車通勤ができるのだ、と改めて思う。

 

しかし保線の方々は本当に大変だと思う。

夏は暑さでレールが延び、冬は寒さでレールが割れ、かんかんでりの日も、どしゃぶりの日も、日夜レールを守ってくれている。

そういった保線や電気など、いわゆる裏方さんをもっと紹介するものがあってもいいのにな、とかわいい保線区のおねえさんを見ながら考える。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  遅れ野洲行きが草津打ち切りにならない安心感

 

7/3

7月に入ってしまった。

もう夏至も過ぎてこれから日照時間がだんだん短くなっていくのはなんとも残念であるが、これも仕方ないことだ。

でもせっかく明るい時間に野洲に帰ってこられる日はなんとなくうれしいものだ。

せっかく電車に乗っているのなら外が見える方がうれしい、と思うのはわだらんだけではないと思うのだが。

 

そんな小雨混じりの金曜日、無事に机も片づいて大阪駅へ向かう。

3498M、17:45に間に合う時間にホームに上がる。

ところが、どうも様子がおかしい。

列が短いなぁと思ってみていると、3498Mは15分遅れの表示で、先行17:38の804Tが京都草津先着とアナウンスしている。

なるほどそれで列が短いわけだ。

アナウンスによると大久保での異音感知だとかで遅れているそうだ。

15分遅れならまた草津切りか、困ったものだ。

だが逆に804Tは地雷と呼ばれる短い6両編成なわけで、座れそうな3498Mを捨ててまで混んだ804Tに乗ることもあるまい、とそのまま9番ホームに残ることにした。

案の定ドア付近に一杯に人を飲み込んだ804Tが見た目ちょっと重そうに出ていく。

その後もホームで行き交う列車を見ながら待つことしばし、となり8番には次の806Tが12両でやってきて、適度に混雑した程度で発車していく。

ただ、その15分後になる808Tは15分遅れと案内があり、いつもより気持ち806Tは混んでいるように見える。

やがてほぼ15分遅れて3498Mが9番ホームに到着。間隔が開いていたからであろう混んでいた車内は、

ざっと人が降りてわだらんは無事着席。

電車はその後京都までは後続3500Mのダイヤに載った形で順調に走っていく。

珍しく草津打ち切りの案内もなく、また石山でも下り827Tに遅れの表示がなく、どうしたものだろうかと不安になる。

しかも石山では先行804Tに追いついたようで、そこからずっとのろのろである。

編成の短い地雷6両の804Tは客扱いに手間取っているのだろうか。

結局3498Mは石山−野洲間でさらに10分を越える遅れを出し、野洲に着いたときには28分遅れになっていた。

先行804Tが野洲2番で客を拾って能登川まで先行だそうだ。

遅れを出しながらも3498Mで野洲まで無事帰れたのはありがたい話だ、と思う。

 

ところで本来3498Mの折り返しとなる827Tと草津ですれ違ったのだが、運用番号が209の表示。

つまり3498Mの30分前に野洲行きとして走った編成で、一旦野洲派出に収容の後、いつもより早く出てきて827Tとして運用されているようだ。

一方遅れの3498Mはこれまた臨時扱いで派出に引き上げ、となると20:01の3531M前編成になるのだろう。

この3531M前編成は正規が209だが、遅れ3498Mからの233運用で回しても姫路か網干でちょっと細工をすると簡単に元の運用に戻る。

つまり827Tと3531Mは加古川で待避の関係なので、運用を入れ替えても大きな問題にならないのだ。

確かに分割併合が2回増え、野洲駅と派出間も1往復増えるが、でもダイヤの柔軟性はずいぶん違うと思われる。

なにより普通電車との接続が野洲か草津かでは大きな違いがあるのだ。

逆に言えばこうやって回るのならなんで常日頃3498Mを草津で切るのだろうか。

 

6両の804Tは野洲で3498Mの客を大量に拾ってまた混雑した状態で発車していった。

しかし先日の吹田人身の時もそうであるが、なぜかこの地雷と呼ばれる短編成6両の804Tが

運転再開直後、あるいは運転間隔の開いた後続列車になることが多いのだろうか?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  経済状況の悪化とか社会不安などと大きな話をするつもりはないが

 

7/1

交通事故で命を落とす方が毎年8000人ほどいるそうだ。

多くの場合、ついさっきまで元気だった方が事故で命を落とすわけで、周囲のみなさんはさぞや大変だろうと思う。

が、もっと問題なのは、自殺者が毎年30000人もいることで、何で好き好んで自殺をするのかと思うが、

自殺をする人間にはそれほど大変なことがあるのだろう。

とはいっても本来自殺したからといって誉められる話ではないし、遺族の方々の苦労を考えるとなんとかして自ら命を絶つのはやめてほしいと思う。

もちろん電車のダイヤが乱れるのは迷惑以外の何者でもないのだが、人の迷惑など考えていたら自殺なんぞできないだろうなぁ。

 

そんな6月の最後の日、地元で買い物をする用事があって早く帰ろう、と大阪駅で17:45、3498Mの列に並ぶ。

3人目でこれならまず座れるだろう、と安堵していた17:40頃、様子が一転し、

人身事故発生で9番線のサンダーバードが出発する気配がなくなった。

サンダーバードが出ないことには新快速は入線できないし、そもそもこのままではいつ帰宅できるのだろうと不安になる。

その後しばらくしてどうやら人身事故は吹田駅構内であること、内側線は運転可能であること、新快速はしばらく運転できない、とアナウンスが入る。

どうしたものか、と様子を見ていると隣の8番線から804T、17:38の快速が出発するとの話。

もともと人のあふれている7/8番ホームに新快速の列からの移動も加わって、

いつも混んでいる6連の804Tはもうお祭り状態。それでも何とかドア閉めできて出発していった。

それを9番ホームで見送っていたわだらんも、ついにホーム移動。やがて15分遅れの806T入線。

大阪17:53の大垣行きで、12両の長い編成。いつも比較的空いているのだが、さすがに今日は混んでいる。

何しろ新快速は運転見込みが立ちませんとしきりにアナウンスしているので、わだらんを含めて大挙して9番ホームから移動してきているのだ。

それでも12両の長い編成はありがたく、西大路で無事に着席できた。電車はその後も多少客扱いに手間取りながらも、なんとか20分遅れで野洲に到着。

帰ってこられてまずは何より。もっとも野洲についた時点で19:35、もともとの予定より1時間も遅かった。

結局買い物はできず、くたびれもうけの帰宅であった。

 

さて、そんな大騒ぎの翌日、18:52の大阪始発でゆっくり帰ろうかと大阪駅10番ホームに上がるとこれまた様子がおかしい。

ホームに上がるまで全く知らなかったのだが、15時過ぎに須磨海浜公園で人身事故があったそうな。

結局18:52の3512Mは18:45の3510Mの化けで大阪始発にはならず、しかも5分遅れだそうな。

あくまで3512Mに対して5分の遅れであって、本来の3510Mからすれば12分の遅れなのだが、もう大した遅れではないわな、と半ば慣れっこ。

それでもその後は無事に進んで、まぁまぁ順調な帰宅だった。

何で二日続けてこんな災難が続くのだろうと思うのだが、しかし自殺を防ぐ手段はなかなか有効でなく、

ましてや吹田の事故のようにわざわざホームの柵を乗り越えてまで電車に飛び込んでしまうようでは鉄道会社としてもお手上げであろう。

 

経済状態がよくなれば少しは自殺が減るのだろうか?しかしかわいそうなのは事故当該の後ろを走っていた「はるか40号」(であろう)の乗客である。

結局2時間近く缶詰されたようだ。

まだ空港帰りであったのが救いであろうが、でもとにかく自殺が周囲にもそして鉄道利用者にも迷惑であることは間違いないな。

 

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