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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
09年 9月
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747. 9/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 嵯峨野トロッコ列車のトロッコは屋根の付いた豪華仕様
746. 9/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ やがては台風にも負けない運行インフラができるのだろうか
745. 9/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 来年は新快速運転40周年
744. 9/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 山岳地帯のクイーンと呼ばれていたことも
743. 9/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車を持てない高校生だから鉄道の上顧客
742. 9/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電車がダイヤ通り走る環境整備
741. 9/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ DMVやリニア地下鉄は技術輸出ができるだろうか
740. 9/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 編成変更でダイヤを守れるのならありがたい
739. 9/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 朝夕の通勤に新快速が利用できるありがたい時代
738. 9/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 近江南部、太神山は砂防の先進地
737. 9/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 乗ることを憧れにするような電車
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 嵯峨野トロッコ列車のトロッコは屋根の付いた豪華仕様
9/28
先日の紀勢本線全通50周年記念亀山駅イベントで、軌道保守に使われる軽四輪の展示をしていた。
バイク用エンジンを4輪台車に付けた、いわば自走トロッコである。
簡単な風防が付いているだけで、屋根もドアもなく、極めて開放的な乗り物である。
こんな目線の低い車両で線路を走れば、電車に乗るのとはまた違う車窓の楽しみができるのではないかいな、乗ってみたいと思う。
でもサスペンションも何も乗り心地に関する装備はないので、たぶんすぐに振動で体が参ってしまうか。
この手の軌道軽車両はいろいろなものがいろいろなところにあって、例えば草津駅には運転設備の実習用の軽四輪が置いてある。
信号を確認しながら草津駅構内に設けられた仮想の路線、三上駅と東山駅の間を往復するもので、
せっかくの設備なのだから日を決めて一般にも開放すればさぞ受けるだろうにと思う。
ちなみに北海道の美幸線跡はトロッコで実際に旧国鉄線を走ることもできるようだが、営業線をトロッコで一般人が乗って走るのはまず無理だろう。
名松線あたりなら観光の目玉になるかもしれないが。
そんな四輪台車姿のままのトロッコを見ていると、黒部峡谷鉄道や嵯峨野観光鉄道のトロッコは立派な客車ではないかいな、と突っ込んでみたくなる。
しかし日夜そんな保守車両に乗って軌道や設備の保守にでかける保線や通信・電気の関係者の方は毎日ご苦労なことだとつくづく思う。
最近草津駅近くの草津線線路際に真新しい枕木が並んでいる。
近日交換になるのだろう。枕木の交換というと深夜にバラストの突き固め・整形と併せて行うのが一般的で、ここも近日夜間工事になるのだろう。
ジャンピングトレインなどと揶揄される草津線であるが、少しずつでも改善が進んでいくのはありがたいことだ。
もちろん揶揄の材料がなくなるのはヲタ的には少し残念であったりするが。
金曜日の朝、いつもと変わらず713Mに乗ろうと野洲駅へ向かうと、いつもは見ない上り貨物が次々通過していく。
713Mにはなんら影響がなく、大阪駅には定刻着でわだらんには何も影響がなかったのだが、
あとから見ると、尼崎駅構内で深夜に線路保守の方が通過する上り貨物に接触する事故があったそうだ。
新聞にはダイヤへの影響はなかった、と書かれていて、実際抑止後の運転開始は始発電車前なのでなにも問題はなかったのだが、
でも貨物列車と荷主の方には迷惑な話である。
当該列車が下関発東京行きであったそうで、きっと急送品も載っていたのではないのかな、とちょっと心配。
しかし列車の遅れは迷惑であるが、でもなにより作業現場での事故が無くなるように、
と亀山駅で撮ったレールスクーターの写真を見ながら祈念してみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ やがては台風にも負けない運行インフラができるのだろうか
9/26
今年の夏は結局暑かったのだろうか?梅雨が長かった割にはお盆過ぎから雨がほとんどないような気がする。
いままでの年だと、夕方になって甲子園口駅付近で信号への落雷があって、
ダイヤが大騒ぎになるのが日常茶飯事だったのだが、今年はその手の乱れに逢っていない。
丹波丹後や但馬は雨で電車が何回か止まったようだし、智頭急行はしばらく災害運休していたのに対して、
なぜか本線、少なくともわだらんの通勤利用においては穏便な日々が続いている。
天変地異は鉄道の大敵であるし、かつては台風で多くの乗客や職員の方の命が奪われたりしているので、
いい天気に恵まれるのはありがたいことだ。
もっとも渇水で騒ぐようになるのも勘弁で、やはり物事ほどほどがいい、ということだ。
滋賀県というと割と自然災害に縁がないように思えるが、実際には過去に何度も大水に襲われている。
ちょうど今日は伊勢湾台風から50年なのだが、野洲市内も日野川の堤防が切れているし、草津川も決壊している。
今は堤防が少しずつ強化されているし、なにより予報がきめ細かくなってはいるが、一方で予期せぬ大雨が突然襲ったりして迷惑この上ない。
この夏は平和だったなどというと佐用町で避難中に足をすくわれて亡くなられた
一家四人の御霊(もちろん他にも多数の方が亡くなっているので、その全ての方々にだが)に失礼か。
今でも姫新線の一部は不通になっているし、災害のない年などというのはわだらんの残存中にあるのだろうか。
そんな台風の特異日のなか、湖西線長等山トンネルの写真を撮りに出かけてみた。
写真の出来はいまいちだったのだが、天気がいいのがうれしい限り。
瀬田川の橋梁を渡れば、遠く湖面はきらきら光って、心洗われるよう。
でもそんな気持ちのいい車窓を見ていながら、かつて台風で列車が倒されて亡くなられた方がいる場所である、
とやはり台風の頃になると考え込んでしまうのである。
そしてそんな事故が起きても、橋詰に仮駅を作って唐橋を徒歩連絡としてまで列車を走らせた当時の関係者の仕事ぶりにやっぱり驚くのである。
天変地異がやっかいなのは利用者とて同じことだが、今は無理せず安全優先の世の中である。
災害が起きて列車が停まった以降の混乱は昔の比ではなかろうと思う。
少なくとも室戸台風の頃は、大阪まで野洲から通う人間はいなかっただろうから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 来年は新快速運転40周年
9/23
長いような短いような秋の連休が終わった。
そもそも「彼岸とは、迷いの世界から悟(さと)りの世界へ至る教えで、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、
智慧(ちえ)の6つの教えを実行すれば、幸福になることができると示されています。」(曹洞宗のHPによる)そうだが、
多くのみなさんにはあまり仏教行事も敬老の日も関係なさそうである。
まぁ故郷への帰省は別としても、海外へ墓参りに行くとは考えにくいわな。
何しろシルバーウィーク、略してSWなどとマスコミが騒いでいるが、本来SWとはスイッチのことではないのかい、と突っ込んでみる。
しかしとにかく世間は盆正月やゴールデンウィークと同じレベルであって、高速道路もまた同じである。
混むのがわかっているのだから、少しは車の外出を控えればいいではないかと不特定多数に文句を言いたくなる。
まぁ渋滞に巻き込まれるのは自業自得だと笑ってみるが、渋滞に巻き込まれた路線バスや定期便トラックはかわいそうである。
そろそろ次の暮れ正月あたり、1000円効果が薄れて渋滞が減る方向であればいいのだが。
さて、わだらんはまじめに帰省して墓参をしてきた。
福井の方から公共交通活性化イベントにどうぞとわざわざお知らせしていただいていたりしたのだが、
今回は墓経もあったりして、せっかくのお誘いがかなわないのが残念であった。
結局休み中帰省はしたものの遠出もせず静かに過ごしていた。
ではあるが、せっかくの地元イベントであるので、と亀山駅での紀勢線全通50周年記念催しに出かけてきた。
亀山へと向かうキハ11の車中でヲタ数人やイベントに向かうと思われる家族連れなど、車内は混雑している。
おまけに降り立った亀山駅前の広場はこれまたなかなかの人出と賑わいで、これほどまでに亀山駅と駅前広場に人がいるのを近年見たことがない。
それこそわだらんが小さい頃は駅構内で列車の仕立て解体の入換が休むことなく続いて、ホームには駅弁売りの姿もあってずいぶん活気があったものだが、
その後優等列車の廃止に歩調を合わせるようにどんどん寂れていった。
JRになって列車本数は若干増え、規格ダイヤが少しずつ整備されてずいぶん便利にはなったものの、駅前の寂れようは見ていてつらいものであった。
この日のようにイベントがあったから、という理由であったとしてもこれだけ人が集まってくれればさぞ駅舎も喜んでいるだろうと思う。
これからも定期的に鉄道をネタとした町おこしイベントが続くといいな、と思う。
しかし残念なのはこのところわだらんの地元でそんな鉄道イベントが少ないということだ。
尼崎での脱線事故以来、京阪神地区では客寄せパンダ的なイベントを自粛しているようだが、
でも例えば2006年11月19日は東海道線全線電化(または湖東線区間電化完成)50周年であるし、
今年は東海道線全線開通(または湖東線区間開通)120周年であって、野洲駅で記念のパネル展をしている。
せっかくなのだから、記念イベントを膳所か米原あたりでやってもいいのに、とちょっと残念に思う。
鉄道イベントで少しは乗用車移動の家族連れが電車に乗ってくれないものか、ひとりでぶつぶつ、ぼやき節。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 山岳地帯のクイーンと呼ばれていたことも
9/18
ドイツの高速列車ICEは日本の新幹線と違って、高速新線区間以外は普通の在来線を走る。
というか、ドイツ、いや欧州の場合軌間がもともと1435mmで新幹線と同じ。
新幹線は従来の列車と交わらない閉鎖的な鉄道なのだが、逆に欧州の場合新幹線のような
特別の線路を持っているのは一部区間で、いわば国道のバイパス、峠の新道のイメージである。
高速新線区間では時速300kmで走るが、在来線は時速200kmまで。
もっとも在来線で200km出せる線路路盤はうらやましい限りであるが、そんな従来の車両の豪華版とでも言える車両故、
わだらんはどうもICEを「ドイツの新幹線」と呼ぶのには抵抗があるのである。
わだらんがホテル代わりによく利用するバーゼル発キール行きの夜行ICEは高速新線を全く走らない(在来線改良区間は走っているが)。
でもICEという列車なので、いわゆる特急にあたるICやEC列車を利用するより正規運賃は高い。
つまりICEはその車両自体が料金の対象であって、速さはあまり関係ないようなのである。
新幹線がむしろ速さで料金を取るのに較べると、そのあたりもICEを新幹線と呼ぶには違和感を覚えるのだ。
もともと日本では特急といえば他のどんな列車より速かった。
もちろん今でも基本的には一番速い列車なのだが、新快速が走る区間、
つまり名古屋〜岐阜と京都〜姫路では特急と新快速の速度差がほとんどない。
つまりこの区間に限って言えば特急料金は特急車両に乗れる料金であって、決して速さの代償ではないようだ。
朝の上り特急は福知山線でも阪和線でも同じような状況で、特急車両に乗れるというか、着席料金と言ってもはずれないだろう。
特急であっても速くないのだ。とはいえ、特急車両というと豪華な車両のイメージ、どうしてもそう思えるし、そう思いたい。
今でこそ食堂車もなく、ただシンプルな座席が並ぶだけの空間であるが。
でもそれが特異な空間であろう。
デッキで区切られた車内は落ち着いた特別な場所、さすがに外との区別のない新快速とは違うものだ、と感じるのだ。
ボロとか鈍足とは揶揄されるはまかぜに新車が入るそうな。
キハ181系が決して鈍足ではないはずなのだが、いかんせん新快速と速度差が出ないのは悲しいことだ。
まぁ重厚というか頑丈な重たい車体ではとても軽快に走る223系より速いようには見えないのだが。
でもキハ181系自体は苦労人、いままで走る区間ほとんどでその性能をフルに出すよう要求され、板谷峠も鳥居峠もあるいは中国
勇退を前にして紀伊半島をくるっと臨時で走れるそうだ。
父親キハ82は紀勢線の主であったが、キハ181が紀勢線を走ったことはなかったはず(亀山多気間を除く)。
亀山駅で展示もあるようなので、連休中津に帰省しがてら、キハ181に逢ってこようかと思う。
車両が古くなってもでもやはり特急車、その雰囲気を味わってみよう。
往年のくろしおのイメージが浮かぶだろうか?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 車を持てない高校生だから鉄道の上顧客
9/17
岐阜の名鉄600V線があっさり廃止になったと思われる理由の一つに、関市と岐阜市では高校の学区が違うことがあるそうだ。
学区制は普通科に限った話ではあるが、でもやはり高校生が通学に利用するのとしないのではずいぶん問題が違う。
もし関市内から岐阜市内へ高校生が大量に美濃町線を使っていれば、ひょっとすると600v線の運命が変わっていたのかもしれない。
三木鉄道が廃止されて北条鉄道が残っているのはやはり高校生の流動に合致しているか否かの違いのようであるし、
もし学生が昔のようにたくさんいれば、島原鉄道の南半分が廃止されることもなかったであろうかと。
それほど高校生は鉄道、特に地方の鉄道にとっては生命線なのである。
滋賀県の場合は幸いにも学区制が廃止されて全県区、つまり滋賀県内どこでも高校に進学できるようになっているし、
彦根や近江八幡に県南部から通学する流動もあって、高校生の電車利用は多い。
草津線も近江鉄道も高校生の姿が多く、まだ安泰のように見える。
もっとも子どもの数が今後しばらくの間は減少が続くので、どこかで利用減のしわよせは来るのかもしれないが。
新しい政権になって、子ども手当の創設であるとか、高校学費無償化の話が出ている。
鉄ヲタの話題はどうしても高速道路無料化の鉄道への影響とか、国土交通大臣が鉄ヲタだとかという話に向いてしまうのだが、
でも子どもに政府としてお金を出す、あるいは子どもを持つ家計の補助をするという話が
鉄道の利用者維持に確実に結びつくかといったような話はほとんどない。
どっちにしろ半年や一年で結果の出る話ではないと思うが、でも将来に渡って子供が増えることは鉄道にとって悪い話ではないと思うのだが。
しばらく気にしていないうちに、高槻駅北西側の再開発がずいぶん進んで、高層ビルが姿を現している。
来年春の大学開学を目指して工事を急いでいるのだろう。
最近は学生確保も交通便利なところでないと、なかなか大変なようだ。
沿線に大学ができるというのは、通学客による利用者確保にとても有益。
高槻駅前という立地条件のよさで、四方八方から学生が集まれば、ひょっとすると本線電車の編成増に繋がるか、
などと淡い期待を持ってみる。
一般的には高校生より大学生の方が通学範囲は広いはず。
ということは高校生の時代にまず電車通学に慣れておいて、大学生になっても下宿せず
自宅通学生を増やすキャンペーンを鉄道会社がやってみるのはどうだろう。
某ハンバーガーチェーン店のように小さい頃から味を覚えさす、ということは同じように
小さい頃から電車に慣れさせる、電車を身近に感じてもらうような。
子ども手当で需要喚起、となればよしか。今の西日本パスも雷鳥往復割引切符も、家族旅行には便利なもの。
そんな切符が出るようになったのもいわば高速料金引き下げがきっかけ。
そう考えると体力勝負かもしれないが、今のような格安の切符は無料化対策でぜひ継続してもらいたいもの。
その体力維持のためにはやはりベースとなる固定客、つまり学生がたくさん利用するように。あれ、鶏が先か卵が先か?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電車がダイヤ通り走る環境整備
9/14
宗教と政治の話は人前ではあまりしないように、とよく言うのだが、
それでもやはり政治と日頃の暮らしがある程度繋がっているので、時には政治に話題の中心が行くのは致し方あるまい。
ましてやこの時期、政権交代と世の中大騒ぎで、この先がらっと世の中が変わるかもしれないのだから。
高速道路無料化の話は公共交通にとっては先行き多難な話だが、一方で炭酸ガス削減の話は鉄道に風を起こしてくれるかもしれない。
この先温暖化防止に鉄道が大きな役割を果たしてくれるといいのだが。
その政権与党の中に、野洲も含まれる滋賀3区の国会議員がいる。
なんとも印象に残る不思議な名前なので、選挙上も名前だけで有利かと思われるほど。
この国会議員、元鉄道マンである。
本人の話をHPで見ると、政治家を目指した理由の一つに、「鉄道自殺をする人が多い、なんとかしたい(意訳)」とある。
この議員さん、かつて広島地区で運転士をしていたそうだが、実際に事故にも遭っていたのだろうか。
事故の惨状を目の当たりにして、社会を変えようと思われたのだろうか。
そんな経歴の持ち主の議員さんなので、この先鉄道に有利な社会を作ってもらえればうれしいものだ。
自殺を減らす社会作りももちろん是非お願いしたいものだ。
地元で寄り合いがあって、19時に集まれと召集がかかってきた。
仕事もなんとか切り上げ、17:30の3496Mに乗る。
乗車列に並ぶような余裕はなく、ホームに上がると既に電車が入ってきている状況である。
野洲に早く戻らねばならない状況なので、座るのは二の次。
それでも京都で無事座席が確保でき、とりあえず落ち着く。
大阪を出るときにはまだ周囲は明るかったのだが、京都を過ぎるともうあたりは暗くなった。
日の暮れがずいぶん早くなったと感じる季節、もうすっかり夏の気配は飛んでいってしまった。
夕闇の中、3496Mは無事に定刻に野洲に到着。
そういえば、この夏は落雷による停電騒ぎもなく、このところダイヤに乱れがない。
当たり前といえば当たり前だが、でもこれだけ安定して電車に乗れるのはありがたいことだ。
野洲まで定刻で戻ったおかけで寄り合いにも間に合った。
このまま大きな乱れなしで毎日電車に乗れることを願うのだが、自殺のない社会に変わっていってもらえればなおうれしいことだ、と思う。
ちなみに滋賀3区の議員さん、交通関係の組合関係にも顔が広いそうだ。
公共交通支援の風も起こしてくれるとそれもまたうれしいものだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ DMVやリニア地下鉄は技術輸出ができるだろうか
9/12
日本航空が欧米の航空会社の支援を受けることになるそうだ。
日本の翼と言われながらも利用客は伸び悩み。
夕刊紙に踊る海外ツアーはほとんどが海外航空会社利用で、JAL利用というのは宣伝文句にはなりにくいらしい。
わだらんは加入当時のKLMオランダ航空のマイレージプログラムであったノースウエストワールドパークスの会員なので、
JAL国際線での欧州渡航は1回しかない。
最初の頃はNWとKLがメインだったのに、いつの間にかノースウエストはデルタに買収されているし、
KLMはエールフランスと経営統合されているし、比較的弱小であったはずのNW-KL連合はいまや世界有数の会社規模になってしまった。
欧州は航空自由化でナショナルフラッグといいながらオーストリア航空はルフトハンザに買収されるし、
サベナベルギー航空やスイス航空は少し前につぶれてしまったし、なかなか華やかに見える航空業界も大変である。
そんな国際競争ばかりの航空業界に較べて、日本の鉄道業界というのはあまり海外とのやりとりがなかった。
鉄道のことはじめはイギリスだったし、初期の機関車は全て輸入だったのだが、いつのまにか車両輸入はほとんどなくなってしまった。
戦後交流電化技術や、DD54の輸入などわずかにあったりはしたが、新幹線も通勤電車もいわゆる国産技術である。
欧州の各都市を席巻する路面電車、シーメンス社のコンビーノも広島電鉄のグリーンムーバーで定着するかと思いきや、
その後の増備はグリーンムーバーMaxなる国産車になっているし、なかなか日本の国内で輸入車両というのは定着しないのかな、と思う。
ちなみになぜか軌道保守車両はオーストリア製がやたら多く、国内製はあるのかどうか。
どうも軌道保守機械の世界だけは日本の機械メーカーが勝てないようである。
世間では最近新幹線技術の海外展開が盛んに取り上げられるようになった。
政治の話はなかなか難しいが、今度の総理大臣は二酸化炭素排出削減に積極的なようで、
海外との排出権に環境に優しい鉄道技術が海外展開できるようになればいいかな、などと思う。
今日は土曜日で仕事は休み。ふらりと野洲駅へ出かけるとちょうど飛騨古川行きの下り特急ひだがやってきた。
さらっと埋まった座席を見るのはうれしいものだが、なにより力行ノッチの入ったキハ85系をみることが平日はできないのでなによりうれしい。
上り大阪行きは平日でも野洲で見る機会はあるが、のんびりゆっくり流す姿しか見られないのである。
そんな力行するひだから聞こえてくるのはイギリス製のカミンズエンジンの唸り音。
わだらんに取ってはキハ75でも、あるいはオランダ鉄道のDM90でもと珍しくない音なのだが、でも野洲で見られる珍しい輸入物である。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 編成変更でダイヤを守れるのならありがたい
9/11
信号の扱いを駅でしなくなってから、なかなか臨機応変に発着線や列車順序の変更ができなくなっている。
今の列車運行システムになってずいぶん省力化できたのは事実だし、列車の接近案内などは以前より細かくなっているので、
それなりに効果はあると思うのだが、それでもいざというときになかなかダイヤが戻らないのはもどかしい。
なによりおそらく司令員多忙であろうからと思われるのだが、列車のいない空いたホームを目の前にして
場内開通待ちで停車している時間などまさに無駄そのものである。
駅で信号を扱っていた時代なら、それこそ場内停車の状態で警笛を鳴らせばあわてて進路を引いてくれたりしたものだが。
そんな状態を口の悪いヲタはわだらんも含めていつも文句を某ちゃんねる掲示板に書いてはいるのだが、
良識あるヲタの意見のまとまるところとして、新大阪と山科に渡り線を増設しようという話がある。
今の指令体制で細かい進路変更ができるかどうか疑問なところはあるが、
それでも新大阪上りで外側から13番のりばに転線できると、新快速・快速とC電が大阪新大阪間を同時並列で走行できるはずである。
いつもそうしろとは言わないが、でも何かの時に使えるときっと選択の幅が広がるのに、と思う。
今日の帰り、20:15狙いでホームに上がると、まだ20:00発の3522Mがホームにいる。
どうやら19:53の822Tが遅れていたようで、19:55発の236Cがこれから発車するところ。
わだらんも乗り込み発車待ちにおつきあい。
結局3522Mは3分遅れで大阪駅を発車。もし新大阪まで外側線を走れたらここまで遅れなかったかと思うのだが。
それでも遅れは822T単独であったようで、3522Mがまじめに走っても822Tに追いつかず、
かつ高槻場外もほとんど待たされず、結局3522Mは京都1分延で収まった。
822Tもいつのまにか回復しているのか、いつものように長岡京で追い抜く。
ところが、追い抜きざまに気が付いたのだが、この822T、201+101運用表示の12両である。
通常8両なのでなにかあったのだろうかと京都で3522Mを降り822Tを待ってみた。
京都で席取りに破れたのがきっかけではあるが、せっかくなのでのんびり12両T電で帰ろうかと思った次第である。
案の定、822T最後尾は京都でもう数人しか乗っておらず、のんびりゆったり。
混雑した新快速からみればまさに極楽である。
早い新快速と座れるT電、そんな棲み分けができたらまた便利かと思いつつ、でもまずは安定輸送、
乱れてもすぐにダイヤの戻るしくみのほうがやっぱり重要だろうか、と空いた車内で考える。
結局12両になった理由は何だったのだろう?
そしておそらく12両になるであろう大阪0:00の姫路行き最終新快速の乗客の驚きはいかほどか、
とあれこれ考えるが、かといってそんなことはどうでもいいか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 朝夕の通勤に新快速が利用できるありがたい時代
9/5
とある人に紹介してもらったブログを見てみた。
新幹線がまだ岡山までだった頃、東京発の唯一の九州急行として残っていた「高千穂」に乗り通した方の乗車記である。
もちろんいわゆるボックス座席で延々と東海道から山陽を下っていく列車自体懐かしいのであるが、
わだらん的にはすれ違った列車たちの写真を眺めるのもまたずいぶんと懐かしいものであった。
中でも京都駅東方、鴨川橋梁の上での新快速153系などは、当時の憧れでもあった颯爽とした153系を思い出してはしばし瞑想に耽っていた。
岐阜に住んでいたわだらんからすれば153系は大垣車をいつでも見ることのできる環境で、決して珍しいものではなかったが、
なぜか宮原車の新快速塗装はずいぶんかっこよく見えたものだ。
当時大垣区は153系といっても155系混用で、非冷房車も多かった。
一方の宮原区は冷房車で揃えられ、編成の見た目もきれいであった。
今から思えば大垣区の方がよほど趣味的に面白かったはずなのだが、当時中学生であったわだらんには
まだそんな面白みを見いだすことはできなかったのだ。
何しろそのころの東海道線名古屋口の普通電車は80系の時代、しかも全金車が多数あったいわばエリート集団なのだが、
当時は80系なんぞ「ぼろ」としか思えなかったのだ。
もっとも当時はデジカメなどないから、写真を撮るのは結構小遣いがかかるものであった。
どうしても写真を撮るのがおっくうになっていたのは仕方がないか、といまになって自分を慰めてみたりする。
一方、この頃は湖西線が開業できたて、まだ北陸特急が湖東線、つまり現在の琵琶湖線を走っていた頃の話である。
ちょうどわだらんが自分で時刻表からダイヤを起こすことができるようになった頃で、
もちろん今のようなパソコンソフトなどなく、レポート用紙に定規でダイヤを作っていたのだ。
ほとんど小遣いのいらないレポート用紙に向かって、時刻表から各地のダイヤを引いては喜んでいた。
その頃の湖東線は少しずつ普通電車が増え、日中も2時間3本以上が運転されるようになって、
かつ北陸特急や東海信州からの特急急行も多く、河瀬・能登川・安土・近江八幡そして野洲と待避がランダムに発生していて、
ダイヤを起こしていくのはとても面白いものであった。
今では鬼籍に入った守山下りでも待避があって、当時まだ新しかった橋上駅舎を待避中に見に行ったものだ。
ちょうどこの1970年代後半、いまの琵琶湖線は橋上駅舎化の嵐で、多くの駅が橋上駅舎になった。
名古屋口には橋上駅舎はほとんどなかったので、やたら印象に残っているものだ。
守山もこの頃既に東側に大きな集合住宅ができて、貨物側線が剥がされた以外ほとんど変わっていないし、
草津も野洲も、橋上駅舎になった頃から今もあまり変わっていない。
この高千穂乗車記に出てくる京都駅東側も配線は変わらず、周囲も変化なく、車両こそずいぶん世代替わりしたが、
雰囲気は今もほぼそのままである。
そんな中、当時に較べ京都以東、つまり現琵琶湖線区間の列車本数が倍増したのはうれしい限り。
でもその多くが新快速分で、瀬田膳所はその頃から列車本数が変わらないと現在のネット上で騒がれる始末。
あのころの休日上りの湖東ローカルはずいぶん混んでいたよなぁ、今よりずっと混んでいたのでは、と思う。
もちろん月に一度程度の中学生旅行者の感覚と、いまの毎日通勤利用するおじさんの感覚では違うのだろうけれども。
でも昔は夕方ラッシュになると6+6の12連連発であった。
153系がラッシュに対応できた頃と比較するのは正確ではないし、なにより新快速が朝から深夜まで使えるありがたいご時世なのだが、
でも今日も多客で遅れがちの6連地雷の804Tに当たって速度を落とすこれまた混んだ8連の3500Mに乗っていると、
新快速6両編成が短編成の画期的な列車と騒がれた頃をちょっと懐かしんでみたりする。
高千穂乗車記
http://blogs.yahoo.co.jp/gunmano_kumasan/16483765.html
(著者に無断ですので、くれぐれも荒らしなどしないでくださいね)
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 近江南部、太神山は砂防の先進地
9/2
京都市と大津市が隣同士なのは有名だが、大津市が宇治田原町とも隣同士だというのはあまり知られていないのではないだろうか。
というより宇治田原町がどこかも知られていないのかもしれない。
もちろん宇治田原町を卑下するつもりは毛頭ないし、失礼な書き方は承知の上であるが、なかなか山間部の地理というのはぴんとこない。
もっとも宇治田原と大津の境のあたりはゴルフをする方ならよくご存じの方もおられるかもしれないが。
そんな大津市の南、京田辺市あたりからの南山城、近江南部に連なる山岳地は古来禿げ山であった。
大仏殿を作るのに木を切り出してそのまま放置されていたとかで、またずいぶん悠長な話とは思うのだが、
そんな禿げ山でかつもろい花崗岩地質はあちこちに天井川を作った。
野洲市内にもかつて東海道線に天井川トンネルがあったし、奈良線や片町線に乗ると至るところにトンネルがある。
もちろん大きな川でないのでごく短いトンネルで、かつ最近は水路のみ線路の上を跨いでいるような簡易なものに取り替えられたものも多いのだが。
奈良線や片町線、あるいは草津線の天井川トンネルが路盤切り下げで電化に対応したのに比して、草津市内の狼川はトンネルを廃止してしまった。
かといって川の付け替えをしたわけでもなく、天井川をそのまま乗り越す形で新たに線路を造った。
野洲市内の家棟川の場合は川を付け替えをしたので、電化時に既に不要となっていた堤防をばっさり切ってしまい、勾配がまったくない。
一方この狼川は天井川乗り越しの珍しい例であろうと思われる。
今でも狼川の煉瓦積みトンネルポータルは残るのだが、なかなか電車の窓から見るのは難しい。
おそらくは明治22年の建設時のままと思われるので、何らかの保存ができるものなら、と思うのだが。
余談だが、草津市内の湖南幹線(道路)の草津川にかかる橋梁を現在解体する工事が進行中。
橋を取り壊す工事はなかなか珍しいのでは、と思う。
そんな狼川近辺にはまだかろうじてまとまった田んぼが残る。
おそらく市街化区域外(草津市に確かめればすむことなのだが)とおもわれ、住宅地化もされず、のどかな景色が広がっている。
お盆明けからは天候もよく暑い日も続いて、稲がずいぶん黄色くなった。
既に刈り取りの終わった田んぼもあり、秋の訪れを感じる。
最近まで瀬田川橋梁の東側にも広い田んぼがあったのだが、昨年から宅地開発が始まって、
野洲以南でまとまった田んぼを見ることができるのはこの狼川周辺、つまり瀬田南草津間のみになってしまった。
しかも狼川乗り越えで線路が少し高く、眺めの良さはなかなかのすぐれもの、とわだらんは気に入っている。
この先も長きに渡っていまの景色が見られるように、と思う。
それにしても昔は草津石山間も線路のまわりはずっと田んぼだったのである。
電化前の昭和20年代後半の写真をみると、それこそこのあたり、見晴らしのきくよい眺めであったようだ。
このころなら車窓から湖面も見えたのだろうか、と田んぼの向こうに眼をやってみるが、
よく考えると電化前は線路は今より低い位置にあったので、どんな景色だったのか、ちょっと想像がつかないと気がついた。
もしドラエモンのどこでもドアがあったら、その時代に戻って確かめてみたいものだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 乗ることを憧れにするような電車
9/1
京都駅へ新幹線500系を見に行ってきた。
乗れば済む話だが、なかなか乗るための時間やお金が出てこない。
せっかくならグリーン車に乗ってみたいとも思うのだが、いつの日か。
とはいえ、500系自体の引退も近づいてきたので、あまり悠長なことは言っていられない。
そもそもわざわざ入場券を買ってまで500系を京都に見に行ったのは、まもなく500系同士のすれ違いを見ることができなくなるからである。
500系のぞみが最盛期だった頃、京都では2時間に一回、500系同士が並んでいた。
それは時刻表で見て知ってはいたのだが、これといって興味を持つものではなかった。
確かに500系は子どもの憧れとなるすばらしい車だとは思うのだが、しかしその特徴ある先頭部を上手にホームで写真に収めるのは難しい。
ホームの端までやってくる先頭部分は長すぎるのである。
そんな理由を勝手に付けていたりしてしばらく新幹線をあまりよく見ていなかったのだが、
11月9日をもって東海道区間から1往復が消え、ついに東海道区間を走る500系は1往復になってしまうのである。
そうなるとやっぱり葬式厨の血が騒ぐわけで、見ておけるうちに京都駅で今や偶然とも思える500系の並びを見ておこうと思ったのである。
ところが、きちんと調べていなかったものだから、ホームに上がってから実は上下列車とも副本線側に入るとわかったのだ。
つまり500系が隣でなかよく並ぶわけではなく、ホームを挟んで外側同士で停車するのである。
これではますます写真にならない。
とはいえ、そんなこんなで待っていると500系上り28号と下り29号が相次いでホームに入ってきた。
上りホームの下り方先頭部でわだらんはその光景をしばし見ていたのだが、数人が写真を撮っている。
ヲタもいたが、小さな子ども連れも多かった。
もっとも子どもにせがまれてか、あるいは親の趣味に子どもが駆り出されたのか区別はつかないのだけれど。
とかく狭いと実際乗る人間にはあまり評判のいいとは言えない500系であるが、それはおそらくその後に出た700系が
あまりにいい出来なので比較論でそうなってしまったのではなかろうか、とちょっと同情する。
少なくともわだらんが2回ばかり新大阪博多間を乗った感覚では狭いとは感じなかったのである。
もっともわだらんの場合、二回とも通路側だったので、これが窓側だと多少受けるイメージが違うのかもしれないが。
とはいえ、やはりかっこよさでは500系に勝るものはあるまいに、と思う。
確かにN700も鼻の長い精悍な顔つきであるが、子どもに人気が出るのかどうかな、と思う。
夏休みが終わって高校生が電車に再び乗ってくるようになった。
あたかも自分の部屋の中のように、緊張感なく過ごしている高校生たちを見ていると、電車のおでかけも慣れである、と思ってしまう。
さすがに混雑した新快速の車内なので、座り込んだりものを食べたりとまではいかないが、それでも緊張感なく話し込んでいる。
これが新快速だからありふれた毎日の話なのだが、もし新幹線だったらどうなるのだろう、修学旅行なら少しは乗車に感激するのだろうか。
いや、もう高校生にもなれば、そのほとんどは新幹線であろうと新快速であろうと、単なる移動手段でしかないのかな。
逆に思えば、500系の横で写真に収まっていた小さい子どもたちが高校生くらいになったときに、
西の端でこだまとして静かに余生を過ごしている(と思われる)500系を見て、何か思うことがあるのだろうか、と思う。
こののち、一世を風靡するような、子どもに絶大な人気を得るような、印象深い電車が出てくるだろうか。
個性の強い電車はこの先もう流行らないのかもしれないが。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |