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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
09年 10月
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759. 10/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地域が支えられなくなると破綻する
758. 10/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ こんなときにせめて草津線迂回ができれば
757. 10/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たま駅長にまけない招き猫にゃん
756. 10/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 交通の要衝は住み易さの現れか?
755. 10/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲は新快速が停まるおかげで旧岩根下田や鏡山村の玄関だが
754. 10/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ そのうち修学旅行も宅配便で荷物を送るようになるのだろうか
753. 10/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 政治家や官僚が趣味を仕事にはできないのだろうけれども
752. 10/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 団体でお参りする現在の多彩な宗派の中の少数派
751. 10/9 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 停まらないから騒がれない、誉められないのはかわいそう
750. 10/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 戦国武将と近江商人はどちらが強いか
749. 10/4 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 観光産業は人が集まってナンボ、の商売
748. 10/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 白い車体はメンテナンスが難しいのだろうか
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地域が支えられなくなると破綻する
10/30
先日台風の話を書いたところ、いつもいろいろと情報をいただく方から、
台風で流された岡山の吉井川にかかる橋の話をご教示いただいた。
たしかに鉄道が不通になればそれなりにニュースになるかもしれないが、
地方の道路の橋が流された程度なら全国ニュースになることも、時刻表に載ることもないであろう。
鉄道というのは扱いの大小があると入っても大判時刻表には必ず載っているし、
最近の乗換ソフトにも(たぶん)詳細に展開されていると思うのだが、生活道路の情報はまずない。
その道路がかつての鉄道線路であったとしても、一般にはほとんど興味のない、いわば道路として区別のないものである。
わだらんの住む滋賀県内は基本的に鉄道の廃線があまりないところ
(江若鉄道の例はあるが、ここも現在湖西線があって、鉄道が廃止になったという話とは少し違う)
のだが、それでもいくつか細かい線路を剥がしたところがあって、その多くが道路になっている。
微妙なカーブとか、いかにもかつて元線路ですよ、と教えてくれる。
とはいっても、そこを通っている多くの方々、しかも現役の鉄道線を知らない方はそこがかつて鉄道線路であったことなど関心ないであろう。
そんなことを考えたのは、先日の台風で運転を取りやめていた名松線の一部区間がいよいよ廃止になるとの話を聞いたからである。
いよいよ、というのは、今までどう見ても鉄道が残ったこと自体よく頑張ったと思う。
国鉄分割時には道路未整備で廃線対象からはずれたのだが、その後の道路整備も進んで、鉄道を維持する必要もなくなったということなのだ。
確かに救急や消防、万が一の災害対応には線路より道路の方がはるかに有益で、道路整備が特に中山間地で必要なのは痛いほどわかる。
でもそれは必然的に鉄道の存在意義を弱くして行くわけで、何か災害があれば、
この名松線や高千穂鉄道のように地元で復興する体力がない限り存続は厳しいのである。
名松線も昔ならまだ美杉村や白山町、一志町が支えたのかもしれないが、広域合併の今となって細かいところまで手が届かないのであろう。
地方財政の厳しさはローカル線の存続に直接繋がるわけだ。
いまのままでは、地元負担ができない限り名松線末端区間の存続は厳しいだろう。
これから災害ごとに地方線の廃線の話が出てくるのであろう。
輸送効率が最大のメリットである鉄道にとって、輸送単位の小さい地方線はますます危機になっていく。
滋賀県は幸にも自然災害が比較的少ない地域である。
これからも平穏で自然に優しい日々でありますよう、そして何よりこれ以上災害を契機とした廃線がないように、
とお願いするばかりである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ こんなときにせめて草津線迂回ができれば
10/27
キリンビールが北陸工場を閉鎖するそうだ。
まだ比較的新しい、きれいな工場なので、閉鎖するのはなんとももったいないように思うのだが、効率化のためとは非情なものだ。
このところビール市場は縮小傾向だそうで、時代の流れなのだろうか。
かくいうわだらんも今はビール風リキュールか、焼酎ばかり自宅で飲んでいて、ビールは外でしか飲まないし。
税率が変わってビールがもし安くなればまた需要が増えるのだろうか。
昔ビールは鉄道貨物のお得意さまであった。
1993年の北陸工場は鉄道に縁のない工場としてちょっと話題になったほどで、それまでにできているビール工場は
どこも鉄道線路が引き込まれていて、いつもビールパレット用のワム80000貨車がいたものだ。
このあたりなら、清洲に向日町、茨木、吹田、尼崎、さらには万富とかあるいは御手洗とか、
そういえば近江鉄道の多賀大社前からも専用線が伸びていて、彦根で国鉄線と貨車継走していたし、
今回廃止されるキリンビールの栃木工場に至っては、専用線を作ったものの、実質5年で使用停止というなんとも残念な事実もある。
ビール用貨車はたいてい常備駅が決まっていたので、貨車の表記をみると、「あああそこの工場か」とすぐにわかったものだ。
ところが今やビールは鉄道に無縁のものになってしまった。
ビールも鮮度が売り物になってくると、どうしても車扱貨物は不利になる。
下手すれば工場から本線に出すまでで半日かかるほどのペースでは、とても鮮度どうこうなどという話ではないのだ。
本来なら重く定型のビールは鉄道輸送にぴったりだと思うのだが。
いつのまにか茨木も向日町もいまや線路跡地が残るだけで、工場自体がなくなってしまうという、なんとも寂しいはなしである。
今やビール工場の立地は土地がまとめて取れてかつ高速道路に近いところが理想の立地であって、鉄道線路は関係のない世界なのである。
今日、いつものように朝野洲駅へ向かうと、見慣れない時間に上り電車がしかも安土行きの表示で停まっている。
何事だろうかと気に留めていると、早朝に稲枝で人身事故があったとネット上の新聞記事で読んだ。
早朝3時半のことである。
確かに乗客にはあまり迷惑な時間ではないが、それでも米原発着の始発電車など数本が影響を受けて2500人ほどに影響が出たそうだ。
しかし、深夜の東海道線の事故となると貨物列車は大騒ぎである。
713Mから見る限り草津も石山も膳所も貨物列車が抑止されているし、草津では内側5番線に貨物列車がいた。
内側を走る貨物列車はヲタのネタ的には面白いが、決してうれしいことではない。
なにより定時性が自慢のはずの鉄道貨物がその特性を発揮できないのは、なんとももどかしいと思うわだらんである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たま駅長にまけない招き猫にゃん
10/25
彦根の名物といえば、今や全国区のひこにゃんであろう。
いつのまにかゆるキャラなどというジャンルはできるし、かぶりものが地域興しになるブームになった。
かぶりもので言えば、野洲のドウタクくんの方がはるかに早く登場していたと思うのだが、こういったたぐいのものも
いかに早く知名度を上げるか、マスコミ受けするかにかかっているようだ。
もちろん最近はネットの個人発信がブームになることだってあるわけだから、必ずしも初期にマスコミ受けしなくても
あとからついてくるのかもしれないし、実際ひこにゃんも初めはネット上での人気が先行していたのである。
とはいえ、年賀状が来たとか、チョコレートをもらったとかと
7時のニュースのネタになるかぶりものなどそうそうおるわけはないはずである。
まぁとにかく彦根の知名度を上げるために莫大な貢献をしたと思うのだが、
全国的に彦根の位置を正確に認知されていればうれしいのだが。
そんなひこにゃんが招き猫になって全国のゆるキャラを集めたお祭りを開いたそうで、全国から120ものかぶりものが集まったそうだ。
よくもこれだけあるものだと思うが、それを目当てに観光客もどっと来て、会場は大盛況であったそうで、これまたまさに招き猫である。
めでたしめでたし。
観光客目当てに近江鉄道が記念の切符を出すというので、せっかくならその切符で
近江鉄道を探検しようかと土曜日朝に近江八幡まででかけたのだ。
10時半過ぎに改札に行くと、ところが通常のSSきっぷを出してきた。
記念切符は?と聞くと発売早々に売り切れてしまったそうである。
近江八幡の発売枚数が何枚かは聞かなかったが、それでも当日全線で1000枚なら最低でも50枚はあろうから、
ひょっとすると行列でもできていたのかな、とちょっとびっくり。
さらに近江鉄道に乗っていると、貴生川からの高宮行きに乗車中、日野から大量の団体客がその記念切符で乗り込み、
まさかの立ち客が出る騒ぎになった。
当然彦根や米原ではその切符を持った観光客らしき客も多く、こんなに近江鉄道に客がいるのか、
と思われるような一日であった。
多賀大社までの往復も夫婦やカップルがいて、しかも乗った電車はしまさこにゃん電車で、
とてもヲタには見えない乗客がよろこんで電車の写真を撮っているという、まか不思議な光景であった。
しかしこの550円きっぷ、なかなか便利でわかりやすいと思う。
このくらいの値段で半日つぶせるのは子守にはもってこいのようで、
おじいちゃんと男の子の組み合わせを数組見たし、家族連れも見かけた。
元の運賃がやたら高いということもあるが、なかなか使いやすい設定ではないかと思う。
もっとも外来の観光客にはこんな記念切符や大きなイベントがない限りなかなか使いづらいようにも思うのだけれど。
しかし近江鉄道の混雑にも驚いたのだが、もっと驚いたのは帰りの近江八幡から野洲までの新快速である。
もう夕方近くになって、そろそろ彦根からの帰宅客の多い時間かとある程度予想はしていたが、
入ってきた電車は平日ラッシュと変わらないような混雑ぶり。
しかも通路に入らずドア付近に固まってなんとも無駄な混雑である。
もっとも通路に入ったところで、どうせ京都まで着席客は動かないだろうから、座席を途中から確保するのは難しかろう。
もともとそれなりに観光客で混雑する休日夕方の下りが、招き猫でさらに混雑してしまった秋の一日であった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 交通の要衝は住み易さの現れか?
10/22
滋賀県彦根市を本部とする平和堂と和歌山市を本部とするオークワは、互いに不可侵条約を結んでいると聞いたことがある。
もちろん噂というか流布であって、ホントの話ではないはずなのだが、それでも和歌山・奈良・三重と、
北陸・滋賀・京都をメインに展開する様子を見ると、あながち嘘でもないように思う。
もちろん伊賀上野と水口とか、奈良と精華とかとある程度競合関係にあるところはもちろんあるのだが、
それでも表だって競合するところはないし、そもそも仕入れの共同会社を持っていたりと、なんらかのバランスはあるのだろう。
ところで、最近の平和堂は拡大が続いている。
買収とはいえ、岐阜・愛知県内にも店舗ができたし、大阪府下もずいぶん店舗が増えた。
駅前に平和堂がある模式図は某巨大掲示板でおなじみの滋賀を語るコメントであるが、
今や新快速から見えるだけでも高槻、岸辺も駅前に平和堂があり、さらには今度JR尼崎駅前にも開店したそうだ。
紀伊半島から出にくいオークワに較べて、東西に伸ばしやすい平和堂はずいぶん有利に見える。
やはり通過交通、地の利というのは重要なポイントなのだろうか、と思う。
滋賀県の人口が奈良県を越えたとニュースになっていた。
おそらく滋賀県人以外のほとんどは、滋賀県の面積の半分が琵琶湖で、人が住むところは少ないと思っている。
滋賀県の人口が奈良を抜いた話でも、やはりどこに人がいるのかと真顔で(たぶん)書き込んでいるものも見かける。
もちろん琵琶湖は滋賀県の1/6しかないのだが、印象として半分というのは致し方ないのであろう。
とはいえ、人口が増えるというのは住み易さ、便利さや地域性が評価されている結果でもあるので、うれしい話である。
もちろん人口増は県南部の住宅開発に支えられているのであって、湖北や湖西は人口が増えないという不均衡であるが、
京都大阪の通勤圏内で考えると仕方のないことではあろう。
東西に延びる交通網が自由に使える有利さ、立地条件は住み易さの理由の一つ、とみて間違いなかろう。
通勤至便、短い所要時間は通勤客の最大のメリットのはずである。
その通勤圏を担っているのが、琵琶湖線である。
いつものように713Mに乗ると、まだ6時半だというのに、南草津で立ち客が出る次第。
これからももう少し人口増が続くらしいので、できれば今の3405M下り始発新快速の前に新快速がほしいものだ、と思う次第。
びわこエクスプレスに草津や石山で乗客が並んでいるのを見ると、快適性・着席目的を別にしても、
単なる速達列車であるから、わざわざ特急料金を払っている人も多いはずだ、と思う。
もちろん新快速が増えれば、結果として特急料金減収という鉄道会社としてはあまりうれしくない話になるのだろうけれども。
最近いろいろやかましいリニア新幹線は亀山から奈良経由になるそうである。
これが奈良浮上のきっかけになるだろうか、でもリニア新幹線では通勤手段にはならないよなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲は新快速が停まるおかげで旧岩根下田や鏡山村の玄関だが
10/19
竜王町に山の上という地名がある。
集落自体は山の下にあるのだが、地域全体は竜王町の南部に広がる丘陵地で、いかにも山の上という名の通りである。
とても水田になるような平地はなく、なだらかな丘陵を利用して果樹園の広がる、なんとなくゆったりした風景である。
その中に農業体験公園があって、時折遊びに出かける。
取れたて野菜や果物が並ぶ直売所があったり、うさぎや山羊のいる公園(有料)があったり、と一日長居するまでのところではないが、気分転換にはもってこい。
下には名神高速が眺められ、さらに遠くは近江八幡駅前のビルが見える。遠くが見晴らせるのは気持ちがいいものだ。
ところで、その山の上へわだらnの支度から向かう通り道、ちょうど竜王ICの向かいのところで最近土地の造成工事をしているのに気が付いていた。
昨日通ると、いつのまにかショッピングセンターのような鉄骨が上がっている。
こんなところに何か大型施設が来る話があったか?と検索してみると、某不動産のアウトレットモールが来るそうだ。
今年1月に発表があったそうで、新聞にもあったのかもしれないのだが、気が付かなかった。
とにかく店舗数150程の大きな商業施設なのだそうだ。
敷地の裏は鏡山で、すぐそばにはぶどう狩り観光農園とか乳牛牧場とか、あまり大きな商業施設に周囲の雰囲気がマッチしなさそうにもみえるが、
でも調べると三重県長島にしても仙台にしても、今の時点でおおよそ市街地とは縁のないところばかりのようなので、そんなものかと思う。
入間の開業時には高速本線が停まるほどの大渋滞になったそうだが、ここのオープン時はどうだろう。
まぁ竜王ICの目の前であるので、少なくとも高速を降りた車が一般道の通行を阻害するようなことはないようなのだが。
それにしてもこの施設、最寄り駅を野洲にしている。
もちろん距離でいえば、篠原のほうが近いのだが、アクセス地図には野洲に「新快速停車駅」と注記し、野洲駅から東8kmと書かれている。
野洲が最寄りの表記が不思議ではないが、ここでも新快速の威力は凄いものだ、と考えさせられてしまう。
野洲駅からのアクセスバスでも出るのならまたそれは面白いと思うし、何よりオープンで騒がれるときに野洲も一緒にPRになればうれしいものだ。
ところで、わだらんの昔から空想ネタの一つに、鏡山トンネルというのがある。
大篠原から竜王ICまで直線でトンネルを掘れば、竜王町と野洲市の距離がずいぶん近くなるのではないか、というものだ。
能登川町と愛知川町も繖山トンネルで結ばれたのだから、野洲と竜王の間にトンネルがあってもいいのではないかいな、と以前から空想していたものだ。
このアウトレットもトンネルがあれば近いし、トンネルを通って旧蒲生町域や日野町にも近くなって、野洲が蒲生郡の玄関にもなるし、などと空想は広がる。
とはいえ、このご時世ハコモノははやらないし、まぁ無理だわな。
せっかく野洲が知名度を上げるネタなのにねぇ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ そのうち修学旅行も宅配便で荷物を送るようになるのだろうか
10/18
金曜日の帰りのことである。
大阪駅17:45の3498Mに間に合い、しかも新大阪で狙った客が下車して座席確保。
ほとんど入線ぎりぎりに大阪駅ホームに上がって新大阪で座っては、ホームで長いこと待った上に座れない方々に少々失礼かと気も引けるが、
でも座るのも勘と経験によるもの、と許していただこう。
まぁこの勘と経験があまり当たらないのが残念なのだが。
ただ、少なくとも大阪駅で窓側が空いたにもかかわらず窓側に移動しない客は新大阪で降りるケースが多い、とはわだらんの経験値。
ところで、3498Mの後ろには4001列車、特急日本海が追走してくる。
いまや高速で走る683系や223系に挟まれて最高110km/hしかでない性能で満身創痍の様相に見えるが、
とにかく今や大阪駅を出発する定期列車としては最長距離列車でもあるし、大阪駅を発着する唯一の機関車牽引の定期列車としてとにかく貴重な存在である。
まさか国鉄民営化の時点で長距離夜行列車がここまで減るとは想像できなかったのだろう。
もし分割民営化の時に長距離列車会社と地域会社に分けていれば、もう少し展開も変わっていたのではないのかなと今頃無意味に思ってみたりする。
夜行列車でもないのに熟睡していたわだらんは、京都で窓側客の下車で起こされる。
起こされたことに怒ってはいけない。これで窓側確保なのだから。
と、窓の外を眺めると、0番線に学生の集団が車両乗車位置に合わせて列をなしている。
ざっと4両分くらい?おそらく秋田か青森の高校生修学旅行なのであろう、寝台列車の上得意様である。
この特急日本海が夜行削減の荒波に揉まれながら沈没しないのはある一定の固定客に加えて、季節波動の団体が多いから、と聞いたことがある。
もちろん修学旅行の一団も季節波動の客の一つであるが、今となっては夜行列車での修学旅行はおそらくこの日本海利用しかないのではなかろうか。
あけぼので庄内発東京への利用があるのかどうか、でも日本海以外ではそれくらいしか浮かばない。
唯一の修学旅行利用も嘘ではないように思うのだが。
急行きたぐにもそうだが、東北地方からの関西方面移動の場合、特に日本海側は新幹線が利用できるの恩恵もほとんどなく、
かといって航空路線は団体客を吸収できるほどキャパがなく、と中途半端に不便であるが故に寝台列車が残っているとも思える。
関西対九州だと新幹線は本数多く、そして航空路線も座席数多く、寝台列車による移動をする必要はないとなってしまう。
不便が寝台車の利用を支えているのか、と思うとちょっと複雑に思える。
できればこの先も寝台利用の修学旅行が残ってくれればいいな。
あるいはもし九州発の関西修学旅行を積極的に夜行に誘導していれば、今でも九州行き夜行が残っていたのではないか、と独り言。
ところで、変わらないように見える修学旅行で気になったこと。
列を作っていた高校生(たぶん)がみなほとんどスーツケースを持っていたのである。
多くはソフトのもの、と見受けられたが、それでもキャスターに手持ち付きの立派なものばかり。
わだらんが修学旅行のころはリュックにビニール製スポーツバックが定番だった。
ぴかぴか光るエナメル仕上げの某スポーツ用品メーカー名付きバックを持つことがいわばステータスのようなものだった。
スーツケースなどとても縁がなかったなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 政治家や官僚が趣味を仕事にはできないのだろうけれども
10/16
あまりこの場で政治の話をするつもりはないのだが、誠司の話ならいいか、と。
もちろん今や毎日ニュースに登場する国土交通大臣の話である。
以前から鉄ヲタとしてヲタの中で有名ではあったが、昨日の鉄道の日祭りでは自ら鉄道好きとコメントしている。
もちろん鉄道に理解があるからこそヲタは過剰に反応するわけで、何かきっと今までとは違うものが出てくるのか、と期待してしまう。
8月の総選挙中、山科駅前で姿を見かけたので、今になってやっぱりあのとき駆け寄って握手すべきであったか、などとミーハーなわだらんはちょっと後悔。
これだけ毎日騒がれる国土交通大臣も珍しいかな、と思う。
もっとも国土交通省自体は既に以前からコンパクトシティとか、交通結束点としての駅活用とかの施策を打っているわけであるが、こんな話はヲタ理解度が少ないのだろうか。
広島電鉄の電停整備とか、富山ライトレールの設備改良とか、国の補助金でできたものはたくさんあるのだが。
これからヲタにもわかりやすい施策が出てくれば面白いのに、と思う。
とりあえず5000人以上の利用客のある駅のバリアフリー化を進めるとか、相互直通運転拡大による利便性を高めるとか、
鉄道輸送障害発生時の影響軽減のための駅改良とか、ありがたそうなお題目が並んでいるので、この先どうなるかな、と期待してみたりする。
輸送障害時の回復といえば、わだらん的には新大阪や茨木・山科での内外渡りの新設とか、京都駅改良とか、いろいろと思うところはあるのだけれど。
そんななか、大阪駅へ3516M狙いで戻ってみるとなにやら駅がやかましい。
なんでも大阪新大阪間で異音感知とかで、内側が結構乱れている。
外側は大きな影響なく、19:15の3516Mもほぼ定刻に9番へ入ってきた。
ところが、大阪駅の信号は遅れている18:54の8番814Tと並んだ3516Mの両方とも青現示。
しかも9番は進路予告が本線、つまり外側進出を指している。
これは外側線だと期待すると、まさにその通り3516Mはそのまま外側を走っていく。
不快な内側転線もなく、そして新大阪出発もそのままスムーズな加速で、なんとも気持ちいい。
もちろん新大阪まで外側の新快速は平日朝登りならなんら珍しいことではないのだが、わだらんの利用できる平日夜や休日では味わえない、貴重な体験。
大阪で窓側座席確保のわだらんにすればまるで特急に乗った気分である。
しかしつまらないのは同じような時間に宮原操近くで身事故が起きているそうで、北陸線特急は大幅遅れだそうな。
だから新大阪12番のりばに新快速に乗らない客が多数残っていたのだ。
人身事故の状況が不詳で軽はずみなことは言えないが、何か自殺者を減らすための突っ込んだ政策は打てないものか、と思う。
もちろん自殺防止策まで誠司の話にするつもりはないのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 団体でお参りする現在の多彩な宗派の中の少数派
10/13
もともと神社仏閣へのお参り旅行というのを日本人は娯楽として考えているのであろう。
もちろんきちんとした巡礼なりお参りなりの移動もあるはずなのだが、でも観光地としての神社仏閣にあまり宗教的な雰囲気を感じるものではない。
まぁ物見遊山的な旅行であるからこそ、門前町が栄えたりするわけで、例えば伊勢神宮の内宮前おかげ横町なんぞはどう見ても観光地であって、
伊勢神宮が宗教的にどうこうなどということはほとんど関係がないようだ。
いずれにせよ宗教上の理由があろうがなかろうが、有名な神社仏閣が人を集めるのは事実である。
ある時期の軍事利用などもあって、鉄道が有名神社仏閣につながり深いことは事実で、複数の路線が敷かれたところも多い。
伊勢神宮や金比羅宮は3路線が競合することになったし、豊川稲荷も伏見稲荷も成田山新勝寺も結果的に私鉄とJRが競合することになった。
他にも西鉄太宰府線や京阪男山ケーブルとか近江鉄道多賀線とか、参詣客目当ての路線は多い。
鉄道への貢献度はなかなかのもの、と感謝しなければならない。
今も一部の宗教宗派では、参詣の団体が列車を借り切って移動する。
かつては富士山の麓にあるお寺へお参りする団体が大量に臨時列車を出していた頃もあったが、
現在で目立つのは天理と金光に向かう宗教団体を乗せた臨時列車。
というか、他があまり列車での移動がなく、これらの参詣旅行が数少ない宗教団体臨時列車を今に伝えている、というべきだろう。
10月改正で、サンダーバードの一部車両が向日町の車庫に金沢から転属してきたそうだ。
本来西日本の特急列車を一手に引き受けていた名門向日町運転所の栄光はずいぶん陰ってしまい、
運転所の敷地に広がる線路はずいぶん空いてしまい、しかも朝713Mから眺める構内には今やヌシ主的存在の通勤用車両、
嵯峨野線や草津線の221系や113系すら見えず、車両の少ないずいぶんもの寂しい姿になってしまった。
構内南端にいた寝台客車群もいつのまにかいなくなってしまい、本当にがらんとした印象を受ける。
金光への団体客が利用したと思われる座席利用にした583系が佇んでいたり、
雷鳥用の485系が出発線にいたりする姿がかろうじて特急車両の存在を主張しているよう。
とはいえ、これからさらに団体移動は少なくなっていくだろうから、これら波動用の車両がいつまで持つのか心配になってきた。
何しろスキーバスすら自家用車の個人移動に追われて以前の勢いなどすっかりなくなっているのだから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 停まらないから騒がれない、誉められないのはかわいそう
10/9
台風がやってきた。
以前は9月26日が台風の特異日だったのだが、最近はあまり9月26日にやってきた記憶がない。
10月の上陸とは少々時期的に遅いようにも思うが、それでも伊勢湾台風に似通ったルートだとか、
平成になって一番強い台風だとか、などと見だしに載るような大型のものであった。
もちろんこの台風で被害に遭われたり怪我をされたりした方は多数おられるので、
あまり軽々しい話をしてはよくないが、幸いにも野洲のあたりでは大きな被害はなかった。
とはいえ、あちこちの立て看板が倒れていたり、あるいはマンションの自転車置き場がお祭り騒ぎになっていたりと、
深夜に吹き荒れた強風の威力を見るには充分であった。
以前から架線柱が倒されたり、内陸部に海水の塩分が飛ばされて架線の短絡事故を起こしたり、
と大雨とは違う台風の強風での被害は数限りない。
台風による強風で一度に1500人もの乗客職員の命を奪った洞爺丸台風などその最たるものだろうし、
室戸台風では瀬田川橋梁で急行列車が横倒しになったりもしている。
深夜に吹いたおかげで旅客の営業列車のほとんどは強風の影響を受けなかったのだが、
それでも当日朝は多くの列車が間引かれて、大騒ぎになったようだ。
とはいえ、線路施設に大きな被害がなかったのはありがたいこと、としなければならない。
ところで、わだらんは列車の乱れを伝えるニュースを見つつ、野洲市のある施設に出向いていた。
新幹線の線路横にある施設で、中にいる非鉄の職員さんが「ドクターイエローを撮るのですか」と声をかけてきた。
ちなみに施設に行った目的は全く鉄道に関係ないのだが、せっかく新幹線線路横の建物なので、
ベランダに出て新幹線の写真を撮らせてもらおうと思ったわけだ。
もちろん狙いはのぞみ6号、500系狙いである。
「もうすぐなくなるので」と職員さんに話しかけようかと思った寸前でそれ以上の新幹線話題をやめた。
非鉄の職員のみなさんは大きな窓からいつも見える新幹線を見てはいるものの、車両の違いなどはあまり気にしていないだろうから。
当ののぞみ6号は台風など何知らずの様相で定刻に通過していった。
昔は新幹線というと災害に弱いと叩かれたものだが、最近は雪にも風にも強い。
まだ新快速がまともに動いていないのに、新幹線はびゅんびゅん通っていく。
非鉄の職員さんたちも、いつもと同じだね、などと天候を気にしながら窓の外の新幹線を見ている。
そして昼から台風一過の青空の下、のぞみ29号が若干の遅れながら東京から戻ってきた。
首都圏のJR在来線がほとんど停まってしまい、駅間停車の列車で大騒ぎのなか、東京まで行って帰ってきている。
まるで平然とした顔つきのように、再び朝見た500系が九州に向け走り去っていった。
わずか十数分の東京滞在であったのだろうが、そんな過酷なダイヤがこなせるインフラというのはなんとも立派であると思う。
そして台風にも負けずほぼ定刻で列車を走らすことのできる新幹線開業以来の関係のみなさんの努力には
もっと褒め称えられるべきではなかろうか、とまるで地平をはう蛇のように見える500系の走り去る後ろ姿を見ながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 戦国武将と近江商人はどちらが強いか
10/5
わだらんの仕事場に立ち寄ってくれる中に安土町民の方がおられる。
わだらんが野洲在住であることをもちろん知っての会話が仕事の話よりいつも長くなってしまうのだが、
その話の中でもこのところ殊に安土町の今後についての話題が多い。
来年3月に安土町が近江八幡市と合併する、つまり安土町は消滅してしまう、ということだ。
今日の月曜日、4日の町長選挙で合併反対派が当選した翌日となれば案の定この話題で話し込んでしまった。
基本的に多くの安土町民は近江八幡市との合併をしなくても生きていける、町単独で大丈夫、と思っているそうだ。
ましてや一部の行政サービスは対近江八幡市で見ると安土町の方がいい部分もあるわけで、だから住民投票をしても、町長選でも、合併反対派が勝つわけだ。
でも議会や行政の一部には、敢えて悪い言い方をすれば自己保身のために合併を進める動きが止まらないようで、
このあたり民意の反映というのはなかなか難しいと思う。
とはいっても安土町がこの先単独で生き残れる補償もなく、難しいものだ。
最悪、合併しても安土の名前を残す方法はないものか、このあたりが落としどころなのだろうか、と思う。
近江八幡市は確かに湖東の中心都市であるし、もちろん新快速も停まる駅でもある。
一方安土は街の規模も小さいし、新快速も駅には停まらないが、でも教科書にも載って、映画のストーリーにもなる有名な城跡がある。
関西では近江八幡もそれなりに有名だとは思うが、全国的に見れば安土の方が知名度は高いのではないか、と思う。
ここで何回も書いているとおり、知名度が経済効果に直結するわけで、安土町民としてはその知名度がなくなるのを残念に思っているのだろう、と思う。
野洲市も5年前に野洲町と中主町が合併してできた市である。
合併でできる新市名をどうするか、公募で検討し、いくつかの案はあったのだが、結局野洲市で落ち着いてしまった。
もちろん野洲郡の中主町・野洲町であることが大きな理由なのだろうけれども、野洲の知名度が中主より高い、というのが本音の部分だろうと思う。
ちなみに野洲の知名度の話の中に「野洲行き」電車の存在があって、電車の終点だから、みたいな話が合併協議会や議会でもでたそうだ。
もちろん電車の行き先が市の名前を決めるほどの力はなかろうが、でもその引力になったのは事実だろうと思う。
大阪駅での18:37からの新快速野洲行き3連続発車などを見ていると、ちょっと野洲が立派に見えたりもする。
ところで、その野洲行きのもととなった車庫であるが、国鉄が車両基地を当初計画したときは安土または近江八幡で計画されたそうである。
ところが用地買収その他で折り合いが付かず、結局野洲に車庫を造ることになったそうだ。
もし安土に車庫ができていれば、米原の電留線の増設は不要であったのかもしれないが、でも逆に草津停まりが今より多いのかな、と思う。
当時は機関区や貨物列車が激減して電車ばかりとなるとは予測できなかっただろうけれども、
結果的には今の野洲に車庫があるのは運用上都合がよいものか、結果よしの話かな、
と思う。いずれにせよ、野洲に車庫ができたことはありがたいことで、当時の関係者のみなさんのご尽力の賜物として感謝しなければいけない。
でももし安土に車庫ができていれば、ひょっとしたら八幡との合併話で安土が主導権を取れたのかな、と想像してみる。
いや、別に近江八幡市には恨みも何もないのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 観光産業は人が集まってナンボ、の商売
10/4
この土日は鈴鹿でF1レースの開催日。
車好きの一大イベントであり、当然車利用が多いのではあるが、それでも少しは鉄道にもおこぼれがあって、
伊勢鉄道も近鉄も臨時列車を出している。
今回は地元が伊勢鉄道の駅までの歩道を整備したそうで、以前にも増して鉄道利用が増えればいいな、と思う。
欲を言えば、大阪からの直通臨時列車が出ないものかと思うのだが。
以前はF1というと、地元ではあまりよい印象を持っていなかったようだ。
確かに迷惑な話で、人がどっときて、道路は詰まるし、うるさいし、と。
でも、いざ毎年恒例のものがなくなって、静岡に行ってしまうと、今度は急に地元が開催に向けて騒ぎ出す。
確かに急に人が増えるのは迷惑だが、でも人が来るのはそれなりの経済効果もあるわけで、
金額の多少はあるにせよお金は落ちるし、当然知名度も上がる。
観客側からしても、きっと永年の経験と、比較的天候の安定する鈴鹿の方がよいのではないか、と思う。
市街地近くに騒音をまき散らすのは迷惑な限りだが、でも開催を地元が歓迎するというのはやはりそれなりの効果があってのことだろう。
人を呼ぶというのは手法がいろいろあるにせよ、目立つことが大事。
鈴鹿のみなさんはきっと遠方からやってくる観客をこれからずっと大事にするのだろうと思う。
遠方から人の集まる観光地に住んでいるというのは何か観光地住民としてのメリットがあるのだろうか?
飛騨高山の旧市街住民は陣屋前朝市に毎日行くのだろうか?
でも観光地に住んでいるというのは何かしらの優越感なりがあるのではないかと思うのだが、どうだろう。
少なくとも京都市民は何か独特の気質を持っているように思うのだが。
電車に野洲の駅プラン広告が吊り下がっている。
松茸すきやき食べ放題などというなかなかそそられるお題目である。
人がたくさん来てくれて、野洲がさらに有名になってくれればうれしいな、と思う。
有名な観光地にはちょっと材料不足かもしれないけれども。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 白い車体はメンテナンスが難しいのだろうか
10/1
いつのまにかもう10月になってしまった。
月日のたつのは早いもので、もう夕方ずいぶん早い時間に日が落ちるようになってきた。
秋の夕暮れはなんとなくもの悲しいもの、しかも日が落ちるとすっかり涼しくなって、夏の暑さなどすっかり忘れている。
それでも電車は毎日同じように走ってくれるわけで、ありがたいものだと思う。
ところで今日から特急雷鳥が少し減ってサンダーバードが増えた。
全体の本数は変わらず、ただ車両の取替が理由であるが、やはりこれで485系雷鳥の終焉近しと思ってしまう。
昔むかし、国鉄が収入を増やそうと急行列車を特急に次々格上げした時期があった。
急行用の車両は新製せず、特急車ばかりを新製したので確かに車は新しいものが多かった。
つまり乗客にすれば時間短縮と快適な車内でそれはよかったわけであるが、でもその一方で特急に乗らなくてはならない、
つまり値上げであったのも事実で、もしその頃の政策や労使関係が違っていれば、今のJR各社の存在は変わっていたのかな、と思う。
まぁ歴史の検証はともかく、そんな政策のおかげで、結果的に周遊券での特急利用ができるようになって、わだらんはとてもうれしくなった。
もう今から20年以上も前の話であるが、それまでとても乗ることのできなかった特急車両に乗り放題できるようになったのである。
九州内で宿代を浮かすために、夜博多から川内あたりまで特急に乗って、そのまま折り返し夜行の急行かいもんで博多に戻るようなこともよくやっていた。
特急に乗ると、いかにも「旅行をしています」という雰囲気でなんとも贅沢なものであった。
今では特急で通学する人間もいる時代、特急車に乗ることは特別なことではなくなった。
夜大阪発の下り北陸線特急も通勤客と思える人間を見かける。
ちょっとうらやましく思えたりもするが。
18:52の始発新快速で帰ろうか、と大阪駅のホームに上がると、ちょうどサンダーバード45号が発車して行くところであった。
ヲタにヨンダーバードなどとあだ名される最新の683系4000番台車である。
いかにも静かそうな車内を今はやりの緑ガラスの向こうに見ることができるのだが、でも車体が既にずいぶん汚れている。
富山大阪を1.5往復、およそ1000kmを毎日走る過酷な運用であることは知っているが、
どうもこのサンダーバード、683系も681系も全体に車体が汚れている。
せっかくの青白い塗装が水垢などで黒ずんでしまっている。
速さの証なのかもしれないが、でももともとからの特急色の485系が比較的きれいな車体であるのに較べて、
サンダーバードの車体の汚れがちょっともったいないと思えるのである。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |