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09年 11月

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772. 11/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅弁と弁当、日常か非日常か

771. 11/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  もともと野洲や守山はパークアンドライドの先進地だと思うのだが

770. 11/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ビールお弁当お菓子と週刊誌、冷凍みかんも

769. 11/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  琵琶湖線を蒸気機関車が走り抜ける休日

768. 11/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  準急と区間急行はどちらが速いか

767. 11/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  持たせ切りという今や死語に近い言葉

766. 11/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鉄道とは本来全天候型であるはずだが

765. 11/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  いつでも受け入れできる24時間年中無休

764. 11/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  京都中央と呼ぶと郵便局のようだ

763. 11/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  選ばれる列車と選ばない電車

762. 11/5  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  南郷洗堰と天ヶ瀬ダムは強制突破で

761. 11/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  晴れ間に突然雨が降ってくる季節がやってきた

760. 11/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  地域が支え、地に足をつけて頑張っている姿

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅弁と弁当、日常か非日常か

 

11/30

先日、長距離ホームの売店はお弁当必須だよなぁと書いたところ、九頭竜川の氾濫原(失礼な言い方だ!)にお住まいの方から、

「最近は某梅田の百貨店地下でお弁当を買っている」とお知らせをいただいた。

確かにデパート地下のお弁当も内容豊富だし、時間によっては割引もあるし、中には自分で好きなおかずを詰められるものもある。

もちろん駅弁は地方色豊かな楽しいものだし、大阪駅にも古くからの定番駅弁があるのだが、

今は選択の幅が急激に広まって、駅弁もそのなかの一つにしか過ぎなくなってしまった。

というか、昔に較べて相対的に駅弁の存在価値は小さくなってしまい、今や時刻表にある「弁」のマークすらずいぶん少なくなってしまった。

例えば手元の1974年、まだ湖西線が暫定開業の頃の時刻表を見ると、大津や彦根でも弁当を扱っているし、さらには柘植にも。

今の時刻表を見ると草津に「弁」マークはあるが、いまでは草津の駅ホームには売店すらなく、柘植はおろか亀山も「弁」マークがない。

もちろん草津でも大津でも、そして野洲でも改札前にコンビニがあって簡単に弁当や軽食を入手できるから、駅弁がなくても何ら不便はないのだが。

 

しかし最近のコンビニ弁当自体競争激化で大変なようだ。

電車の中には390円弁当のポスターがかかっている。

そう、もともとコンビニ弁当は駅弁ではなく日常の食事、わざわざ旅行の時に捕るものでは本来ないはずである。

でも駅弁一つでコンビニ弁当二つ買えるのも事実。

まぁ二つもいらないか。

でももっとびっくりなのは、新大阪11/12番のKIOSKで、駅弁と390円コンビニ弁当が並んで売られている事実である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  もともと野洲や守山はパークアンドライドの先進地だと思うのだが

 

11/27

帰宅時の新快速の窓からふと守山駅東側の駐車場を見て驚いた。

いつのまにかずいぶん車が停まっているのである。

今年の初め、できた頃はまだ停まっている車はほとんどなく、これならわざわざ線路を潰さなくても、

と思っていたのに、いつのまにか大盛況である。

いったいどこから降って沸いてきたのだろうかと思うくらいに車が増えた。

駐車場に車がいることがいいこととは限らないかもしれないが、おそらくはこの駐車場内の運転者は

ほとんどが守山から鉄道利用ではなかろうか、それはいいことであろうと思われる。

 

守山駅東側というと駅の勢力圏は守山市内というよりむしろ栗東市内と思われる。

例えば辻あたり、あるいは伊勢落とか六地蔵とか、手原の駅にはちょっと遠いところで

どうせ駅まで車利用なら守山まで行く方が手原より便利だから、という理由は容易に想像がつく。

草津線も国鉄時代に較べればずいぶん便利になったのだが、それでもほとんどの場合京都大津へは乗換が発生するし、

やはり琵琶湖線との列車本数の違いは如何ともしがたい。

湖南市内、本来甲西が最寄り駅となるような岩根や下田からの野洲駅利用者も結構いるようだし、

どうせ車で駅までいくなら便利な方が、となるのは当然だと思う。

もともと国道一号線の道路状況が悪く、最寄り駅から電車利用が定着している県南部地域ではあるが、

新規にできた収容力のある大きな駐車場がそこそこ埋まるくらいの新たな鉄道利用者の

需要ができたのであれば、うれしいことだと思う。

もちろんその分手原の利用者が減ってしまったのでは困るのだが。

 

しかし、この駐車場、新規参入ということもあってか、一日利用400円という安さである。

もともと駅東側、駅からわずかに離れたところに比較的規模の大きい駐車場があったのだが、

そこに対抗するためにも価格を安く設定したのだろうか、と思う。

もっともその既存の駐車場は一転して駅から遠いというハンディを負ってしまい、

今度は一日あたり最安値で260円というこれまた破格の安さになっている。

野洲駅にもこの守山駅の既存駐車場の大きな看板が立っている。

もっとも野洲市内から守山駅へは野洲川を渡らねばならず、野洲川を渡る橋の道路事情が悪いので、

わざわざ守山駅まで行く車は野洲市内からは少ないと思うのだが。

まぁ安さで釣られることはあるかもしれないな。

 

そういえば守山駅東口といえば、名神栗東ICから近く、道もわかりやすいところである。

尾張美濃や北陸からの名神利用の京都観光客を拾うことはできないのかな。

1200円くらいで守山京都往復+京都市交通局一日利用ができると受けそうな気がするのだが。

琵琶湖線新規需要開拓とエコ観光、受けそうに思うのだがなぁ...

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ビールお弁当お菓子と週刊誌、冷凍みかんも

 

11/25

昔蒸気機関車が列車を引っ張っていた頃は、長距離列車が途中駅で何度も機関車を交換していたものである。

蒸気機関車は石炭と水を自分で積んで走っているので、積載量で連続して走れる距離が決まってしまう。

おおそよ最長200kmほどだったそうで、ちょうど名古屋、大阪、岡山と交換していくと適当な距離になる。

あるいは京都基準だと亀山や福知山がちょうど1運用区間になるのだが、そのようにして各地に機関区が点在し、

大きな駅で機関車の交換が行われていたのである。

機関車の交換は今まで引っ張っていた機関車がまず側線に逃げ、奥で待機していた新しい機関車がバックで列車に連結する作業で、

そのために機回し線というのがホーム横に側線として存在していたのである。

たとえば京都の現1番線や草津の現1番線、ホームのない線路がが機回し線の役目を果たしていたのだ。

同じようにかつて大阪駅では11番線が機回し線の役目で、もともとホームがなかった。

11番線にホームができるのは東海道線電化ののちの話で、電化当時の10番線発車の特急列車の写真を見ると

北側にはホームも建物もないのがよくわかるのだ。

 

そんな昔話から幾年月、一旦大阪駅改良工事で廃止されていた11番のりばが再び来月20日から使用開始になる。

今の間借りのような9/10番ホーム後方からの発車風景は見納めになるが、やっと昔に戻るかと思うとほっとする。

そもそも始発駅で特急が通勤客の列に紛れ込むのはおかしな話であって、長距離列車の発着するホームというのは

華やかで厳かでなくてはならないというのがわだらんの持論である。

京都0番線は一部通勤電車も入るもののどことなく他のホームと違う雰囲気を持っているし、新大阪11/12番線もちょっと隣のホームとは違う。

近鉄が難波・上本町・阿部野橋・京都・名古屋と各始発駅で特急乗車用ホームを持っているのは先人が狭い構内で苦心して確保した結果であろう。

やはり有料特急は通勤通学用電車と違うものであって、乗車するのもちょっと格のあるものでなくては。

もっとも今の特急が通勤にも利用されるような特別でないありふれた存在であると、

なかなか華やかさというのは求められないのかもしれないが、それでも特急用ホームには旅立ちという雰囲気はわずかに残っているように思える。

 

大阪駅の新11番はどんな雰囲気になるのだろう。

やはりまずは弁当とお土産を売っている売店、まずはこれがなくては。

通勤客が夕刊紙を買う売店とは違うものでなくてはならないのだ。

もっとも最近はコンビニ形式の売店ばかりで、そこに華やかさなど求めるのは間違いかもしれないが。

昔11番にあった売店は車両の形をしたユニークなものであったが、今度はどうなるのだろう。

いずれにせよ11番の使用開始で、夕方通勤時のやたらうるさい駅員の声が少なくなることは間違いなく、ありがたいことだ。

何しろ今は乗車位置がホーム中央からずれているので、案内や業務放送がやたら多いのだ。

特急が9/10番からいなくなって少しは静かになってくれるとありがたい。

 

でも11番ホームができてもっと喜ぶのは寝台特急日本海の機関車が撮りやすくなるヲタなのかもしれない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  琵琶湖線を蒸気機関車が走り抜ける休日

 

11/23

今日勤労感謝の日はSL北びわこ号の運転日。

この北びわこ号に使われる機関車C56は運転当日梅小路で出庫整備のあと、EF65に引かれて米原まで送り込まれるのだが、

その途中野洲で運転停車し貨物列車と702Kを待避しているのだ。

もちろん時刻表に載っているわけでなく、しかもホームのない4番線に停まっての話なので気づくことも少ないと思われるのだが、

それでも野洲市民のかなり限られた人間ではあるが、ギャラリーが機関車の回りに集まっている。

出発時には大きな汽笛を鳴らすので、汽笛を聞いておやと思う駅近くの住民も多いと思う。

機関車は停車中しきりに蒸気を吹きあげて、まさに臨戦態勢。

EF65に引かれた姿であるが、迫力満点である。

 

ところで、先日11月19日はこの野洲を含めた湖東線米原京都間の電化完成の日、1956年のことで、もう53年も前のことになる。

逆に言えば53年前までは当たり前に蒸気機関車が煙を吐いて走っていたわけで、

電化されて登場した80系電車などの煙を吐かず明るい塗色の電気列車はさぞ羨望の的だっただろうと思う。

地元の小学6年生が80系電車の試運転に試乗したそうなのだが、なんともうらやましく思える。

この電化当時の時刻表を見ると米原京都が電車で1時間20分、客車列車で1時間40分程度。

今のT電は米原京都を日中1時間7分で走るので、電化当時に較べて4駅も停車が増えたのに、ずいぶん早くなったものだ。

ちなみに急行列車(もちろん客車であるが)も電化当時米原京都をおよそ1時間かかっていて、今の新快速がいかに俊足かよくわかる。

このあたりは線路規格がよく、車両の速度性能がダイヤに反映されやすい琵琶湖線区間の特徴かと思う。

大きな曲線もなく、路盤のよい近江盆地を走る区間は蒸気機関車の時代も、あるいは今の電車でも何か気持ちよく感じる。

やはり大阪付近の周囲が立て込んだ中を走るのとは違うな、とつくづく思う。

 

ところで、そんな米原京都を先日16日の深夜に新幹線N700系が駆け抜けた。

最高時速330kmの高速運転のお披露目であったが、米原京都がおおよそ18分であったそうだ。

C62が俊足を飛ばしておおよそ1時間のこの区間、規格違いではあるがついに20分を切る時代。

梅小路蒸気機関車館で休んでいるC62は南側を通り抜ける新幹線を見ながら何を思っているのだろうか?

少なくとも蒸気機関車の時代は機関車1台ごとに物語があるほど個性があったのに、今の新幹線は没個性がキーワードだからなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  準急と区間急行はどちらが速いか

 

11/22

土曜日の朝のことである。

せっかくの三連休だというのに、中日日曜日に地元の会合に召集がかかってしまい、

どこにも動けない中途半端な三連休になってしまった。

もっとも車はどうせどこへ行っても混んでいるだろうし、思い切って遠くに行くほどのお金もないし、

ましてや天気もはっきりしないようだし、全てが中途半端になってしまった。

とはいえ、せっかくの休み、しかも朝外へ出ると空気の澄んだ気持ちのいい天気。

これなら、と久しぶりにモノレールに乗ってみることにした。

千里丘陵からの梅田ビル群を眺めてみようと思ったのである。

門真市から蛍池まで天気の崩れないうちに乗ってみようと思ったのである。

 

さて、京阪電車に乗らなければならない。

JR京都駅から京阪電車というといくつか案があって、とりあえず七条まで歩く、東福寺まで奈良線に乗って乗換、

あるいは近鉄電車に乗って丹波橋乗換、このあたりが一般的かと思う。

高槻から枚方のバスという案もあるが、今日は突然桃山から歩いてみようと思った。

最初奈良線に乗ろうとしたのだが、東福寺の乗換がこの時期大騒ぎであることを思い出し、急遽思いつきの案である。

なので、桃山で降りて駅が近いかどうかわだらんにとっては未知の世界である。

が、桃山を降り、大手筋通りを歩くこと5分、あっさりと京阪伏見桃山駅に着いた。

心配無用のわかりやすい道であった。

いままであまり京阪の中間駅に用事がなかったので、特急以外の京阪電車に乗る機会がほとんどなく、ちょっとわくわくであった。

ところが、ホームにはいると、特急通過のあとにやってきた準急淀屋橋行き、これが枚方市まで先着なのだ。

枚方市で特急に乗り換えると次は京橋になってしまうので、門真市目的のわだたんは乗換不可。

さらに準急は萱島から守口市まで通過で門真市へは萱島で乗換である。

電車の乗り換えは同一ホームで何も問題はないのだが、伏見桃山から門真市まで延々と各駅停車の旅である。

もちろん各駅停車はまた楽しいし、なにより今日は急ぐ移動ではない。

空いた車内でのんびり、しかも最前列の座席が取れて前面展望もよく、外を眺めるには打ってつけ。

淀川畔の府道の渋滞を見ながら電車は順調に進んでいく。

 

しかしダイヤや停車駅というのは難しいものである。

もともと京阪は緩急結合で小さな駅も途中から優等列車に乗って

大阪まで最短時間で移動できるよう組んであるのだが、ちょっとその流れからはずれてしまうとなんとも面倒に思える。

確かに京都方向からわざわざ門真市でのモノレール乗換するような客はめったにいないだろうし、

あるいは例えば大阪市内から摂津へ行く場合はほとんどが大日経由だろう。

門真市に優等列車が停まらないのもまぁ仕方ないかとも思える。

そもそも通過線にはホームがなく、優等列車が停まれる構造になっていないということもある。

 

しかし思うのは、京阪の列車種別の多さである。

ずっと伏見桃山から門真市まで各駅停車しながら、乗ったのは準急と区間急行である。

他に特急と快速急行がデータイムにあるが、昔に較べるとずいぶん種別も増えたし複雑化してしまった。

昔の日中ダイヤは特急、急行と準急・普通の4本建てだった(と記憶する)が、今は日中は急行がなく終日では7種類にもなる。

大阪にいかに早く着けるか、できるだけ乗換を減らせるか、の結果、緩急結合・遠近分離の苦心作であろうことはよくわかる。

でも列車種別が増えるのは、一見の客には優しくないし、対大阪でなく線内の小駅同士の区間利用では

結構やっかいとなるようなケースも今日のわだらんのように起こりうるのだろうと。

対岸の阪急京都線も同様で、日中は特急・準急と普通で同じように急行がない。まだ列車種別が少ないだけ救いがあるが、

これは逆に取れば阪急は全体に駅間が長く、駅数が少ないのでまだ種別が多くなっていないと考えることもできる。

列車種別が多いのは関西の私鉄の特徴なのかもしれない。

京阪や阪急京都線の場合は特急が京阪間の途中駅に停まるようになったから余計に種別が増えたのだろうけれども、

どうみても日中の特急は急行と呼んだほうがすっきりするように思える。

日中特急がないのはダイヤの目玉としてはよろしくないのかもしれないが、

一見利用者にはわかりやすいのではないかなぁ、と扉上の停車駅表を見ながら考える。

JR西の肩を持つつもりはないが、でも本線系が新快速と快速・普通のみの3本建てで、

これが終日変わらないというのは実はわかりやすさという目に見えないサービスではないのかな、と。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  持たせ切りという今や死語に近い言葉

 

11/20

ネットの掲示板に投稿されていた写真で知ったのだが、

山手線大崎駅の改札口は並んだほとんどの自動改札がIC専用機で、きっぷを入れる改札機は1つしかないそうだ。

首都圏、特に大崎のように大きなビルに入っている会社の通勤客はほとんどがSUICAを持っているだろうから、

通勤客が困ることはないのだろうけれども、やはり異様な光景なのだろうと思う。

まぁ野洲ですら最近はICカード専用の改札機が出現するくらいだから、

きっぷを受け付けない改札機が並ぶのも珍しいことではないのだろう。

実際きっぷを使う改札機はきっぷの搬送など回転部分やベルト駆動部分がたくさんあるのに対して、

IC専用機ならカードリーダがあれば済むわけで、保守管理はずいぶん楽だろうと思う。

かくいうわだらんもICOCAを持っているわけで、毎日改札機に定期券をこすっているのである。

確かに定期券入れからわざわざ出さなくても改札を通れるわけで、ありがたいとも言える。

たまに鞄ごと改札機を叩いているおねえさんもいたりして、改札を通る姿を観察しているのは案外面白いのかもしれない。

 

が、そもそも昔はきっぷを駅員が切っていたわけで、今はその仕事を乗客自らが行っているのだ。

つまり鉄道会社からすればまるまる駅員の削減になっているわけだ。

もっともその分運賃が安いわけでもなく、乗客の持ち出しではないか、などとぼそぼそ言ってみる。

まぁ機械相手なら駅員の態度が悪いなどという文句は出ないわな。

 

そんなIICOCAを朝早くに使うとポイントが付くサービスがまた期間限定で始まった。

わだらんからすれば、毎日同じように713Mに乗って大阪に7:27に着くだけでポイントがもらえるありがたいサービス。

でもわだらんがポイント付加機にカードを入れている間、他の誰かが後ろに付くとかあるいはわだらんの前に先客がいるわけでもない。

改札機を見る限りずいぶん多くの人間がICカードを使っているようなのだが、SMARTICOCAの客は意外と少ないのだろうか。

だからこそ着膨れ対策とはいえ、わざわざ乗るだけでポイントをつけてくれるのかな、とも思う。

その分セルフの割引と考えておくか。

 

ちなみにオランダ鉄道は改札がないのだが、きっぷを窓口で買うと自販機で買うより高いのだ。

そのうち日本でも出札や改札で駅員を介するときは割り増しが付くようになるのだろうか。

少なくともJR東日本の普通列車グリーン券は既に料金二本立てだな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  鉄道とは本来全天候型であるはずだが

 

11/18

11月も半ばになって冷え込む日が増えてきた。

琵琶湖の水質のことを考えると雪はたくさん降るほうがよいのだが、かといって電車の運転に支障が出るほどの雪も困りもの。

とはいえ、最近は温暖化のせいか降雪は間違いなく減っていると思われる。

少し前までは北陸線内で雷鳥が立ち往生したとか騒ぎも年に数回あったのだが、最近はそんな話も聞かない。

もちろん最近は事前に列車をどんどん間引いてしまうし、何かあればすぐ運転見合わせにするので、

列車がどこかで立ち往生するような話が少ないことはある。

でも列車の乱れが線路上の積雪に依るものより単なる分岐器不転換によるものの方が多そうだ、とはわだらん的勘である。

いずれにせよ、雪に列車が強いに越したことはなく、雪の中でも安定して輸送できることこそ鉄道の最大の利点ではないかと思われる。

今年の雪はどうだろうか。

 

しかしなんとも情けないのは雨で遅れる電車である。

火曜日17日のことであるが、何となく804Tに乗ってみた。

大阪17:38の快速米原行きで悪名高い6両の電車である。

17:45の3498M新快速が少し遅れているとの表示だったので、高槻までT電で進もうかと乗り込んでみた。

車内はよく混んでいるが、わだらんはありがたいことに新大阪で着席できたので、このまま野洲まで乗っていくことにした。

新駅効果なのだろうか、最近高槻京都間も以前より乗客が増えたような気がする。

この804Tも短い6両編成でなおさらなのだろうか、高槻を出て京都まで先頭車両では立ち客が切れることはなかった。

乗客の純増になっていれば新駅の投資効果もあったということなのだろうが。

 

さて、804Tは大阪でほぼ定刻であったのだが、先行電車の遅れをもらって高槻3分延。

ここから徐々に遅れをだし、京都では大量の滋賀県民を飲み込んで7分延、

そして客扱いに手間取りつつ進んでいくと石山で10分延となってしまった。

草津の停車も手短に切り上げたものの、結局野洲に9分延であった。

もちろん後続3500M新快速も野洲で7分延となり、さぞ新快速の客は前が詰まったのろのろ運転にいらいらしていただろうと思う。

どうみても琵琶湖線内の遅れ拡大は客扱いの手間取りにしか思えないのだが、これはどうしたものだろう。

もちろんこの日に限ったことではないので、この日の車掌氏のドア扱いが下手だったということでもないはずだ。

つまり雨で簡単に遅れてしまうような列車の設定がよくないとしか思えないのだ。

いやダイヤが悪いわけでなく、短い編成が問題。

乗務員氏もよく状況をわかっているようで、野洲で3500Mと挨拶を交わす804T運転士は

よく愚痴をこぼしている(つまり804T遅れが3500M遅れを生むのが当たり前になっているということだ)し、

某chのスレにも乗務員氏の書き込みと思われる804T遅れ常習の話があったりするのだが。

できることなら湖西草津線用113系廃車を1本遅らせて221系4両を1本本線に戻して804T〜739Tの増結をしてほしいところなのだが、

でもコスト増ではこのご時世苦しいか。

いや、新駅効果で少しはT電の乗客も増えているはずだし、第一雨のたびに遅れるというのは本来の列車運転の姿ではないし、

6両を短いと感じるのは決して贅沢ではないと思うのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  いつでも受け入れできる24時間年中無休

 

11/15

木曜日の夜、昔世話になった方の通夜があり西中島南方まででかけた。

淀川通に面した大きな葬祭場で、同時に6つ(それ以上か?)の葬儀が行える大きな会館であった。

葬式はどうしても特定の日に重なるし、かつ直近まで予測できるものでないので、葬儀屋稼業もいわば列車の指定席みたいなものか、と思う。

常時フル回転では新規受付ができないわけで、いざというときに客を逃してしまったりする。

ましてや最近の斎場は事前に互助会などで金を落としてもらっているわけで、会員が使いたいときに使えないのは問題である。

結婚式場はその点先まで予約を詰めることができるので、建物や設備に無理に余裕を持たす必要はない。

ならば葬儀屋の方が楽ではないと見える。

とはいえ、葬儀屋の方がむしろ言い値で商売できるわけで、収益率はいいように思えるが。

 

そういえばバブル華やかりし頃、東海道新幹線のG車指定が取れないと問題になったことがあった。

その結果今のG車3両連結が定着したわけだが、確かに単価の高い客が不満を感じるのはよくないし、客をみすみす逃すのは経営上もよくない。

いつも京都で新快速から見ている新幹線のG車は決してよく乗っているとは思えないが、でも急な客を受け入れられる余力がないといけない。

なんとなくそのあたり、葬儀屋に通じるものもあろうか、葬儀屋も装置産業、設備投資が必要なのだろうな、と妙に感心してしまった。

 

そんなお悔やみに全く関係ないことを考えている内に通夜も終わり、帰宅すべく葬儀場を出た。

ふとまわりを見ると北へ上がる交差点があり、道に沿ってそのまま進んでいくと阪急京都線の踏切を越え、さらに北へ進めることができた。

遠くにどうやら117系らしき窓の明かりが見える。

そのまま歩けるのかと地図もなく歩いていくとうまい具合に宮原総合車両所の南側境界まで到達。

道路との間にある背の高くないフェンスから車庫内をゆっくり覗くことができる。

遠くから見えていたのはやはり117系で8連貫通編成。

団体か何かの臨時でやってきているのであろう。

車両数に余裕があり、日頃集約臨などに使われることの多い117系であるが、こうやって宮原で休んでいる姿は最近あまり聞いたことがない。

昔宮原はかつて117系の自宅であって、ここに24本の117系が住んでいたのだが、今や117系はむしろ京都の顔になってしまったような感もある。

とはいえ、夜の静まり返った車庫の中で静かに休む117系はやはり存在感たっぷりである。

もちろん寝台車など車両がずいぶん以前より減ったように思えるからなおさらなのかもしれないが。

 

そんな宮原区の南側、道路から見やすいところにある洗浄線にトワイライト編成が停まっていた。

翌日の仕業に備えるのだろうか、洗浄線に編成状態で停まっている。

顔を向けているのは電源車カニで、特徴あるスイートでないのが残念だが、でも何かオーラというか、独特の雰囲気があるように思う。

そういえば夜行列車の中でも特にこのトワイライトは急に客がやってくることがまずない、みんな利用者は事前に予定を立てて寝台の予約を取る。

それなら定員一杯まで事前に予約を受け付けられる、むしろそうでないと困る。

そう考えると、このトワイライトという列車(あとカシオペアもだろうが)、いわば結婚式場である。

本来満員ばかりでは困る鉄道輸送の中では特異な存在である。

もっとも結婚式は夫婦で一回だし、トワイライトに乗ることもそう何回もあるわけではなかろう。

葬儀屋は夫婦であればたいていは二回縁があるし、やはり葬儀屋の方がいい商売か。

ただ鉄道の場合競合輸送機関があるわけだから、なかなか言い値というわけにも行かないが。

 

そんな静かに休む車両たちの上を新幹線が時折走っていく。

いつでも乗れるが謳い文句の新幹線、たとえは極めて悪いがまさに葬儀会館みたいなものか。

開いていて当たり前、満席では困るのだ。

まぁ、実際急にあわてて新幹線に乗る(つまり割引なしで)場合のいくつかは葬儀会館へ行く目的であったりするのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  京都中央と呼ぶと郵便局のようだ

 

11/11

オランダやドイツの大都市、例えばアムステルダムやフランクフルトにはアムステルダム駅もフランクフルト駅もない。

もちろん町の中心に大きな駅があるのだが、それぞれアムステルダム中央駅とかフランクフルト中央駅などと呼ぶ。

つまりその都市の中心となる駅であり、都市内の他の駅とは区別されているのである。

これがロンドンやパリのように複数のターミナル駅を持つところだと、そもそもロンドン駅やパリ駅という駅がない。

幸いにも日本の場合は大阪と新大阪のような少数の例を除いて、京都や名古屋、札幌のように

路線が集まる駅があって、それぞれその都市の名前がついて代表駅であることを語っている。

外来者から見ればたとえば京都駅といえば京都の玄関となる駅であり、

新幹線のような長距離列車の発着する駅というイメージがわかりやすい。

とはいっても、神戸のようにどちらかというと神戸駅より三ノ宮駅の方が中心であったり、

福岡の玄関駅は博多であったりと簡単には割り切れなかったりする。

わだらんとしては例えば京都中央駅とか名古屋中央駅という名でもいいではないかと思うのだが、

長い駅名は面倒だし、今でも大きな不都合はないのだから、それでもいいのだろうか、と思ったりもする。

 

都市の玄関駅は堂々として華やかでなければならない、というのがわだらん的理想である。

少なくとも野洲駅は野洲市の玄関駅としての機能を果たしているし、

高槻の玄関はあくまで高槻駅であって、摂津富田駅ではない。

悲しいのは大津で、大津駅が玄関かと言えばこれがちょっとあやしく、中心市街地の玄関は浜大津であるし、

さらには湖西線には大津京駅などという駅まであってどうもぼけている。

大津市内の中心市街地の衰退が話題になって久しいが、わだらん的にはそもそも大津であれ浜大津であれ、

駅前に人がたまるような商店街なり大型店なりがないのがそもそも寂しいのではないかと思うのだ。

浜大津の場合は大型施設があってもそれが道路で上手に分断されてまとまりがないのは余計に寂しさを出しているようだ。

 

ターミナルとは路線も集まるが人も集まるところで、それがあって都市の玄関と言えるように思うのだ。

昔の京都駅はどちらかというと市内交通と都市間交通の接点という面ばかりであったが、

地下街ができ駅ビルができ、と駅自体の集客力が急激について、恐ろしいほど人が多くなった。

京都観光客の入り込みも増加の一途で、ますます京都駅は人が増えた。

これからのような紅葉の季節はまたなおさらである。

 

新長田駅で人身事故が起きて振替輸送ありとのことで、阪急京都線に乗って烏丸から地下鉄で京都駅に出てきた。

京都駅のホームに上がると、待つ間もなく幸いにも遅れ804Tが12両でやってきた。

どうやら宮原で明日朝の700Mと702Mとなるために寝ていた編成を急遽呼び出して大阪からスジにのせたらしい。

長い編成のおかげで先頭車は大きな混雑もなく、人身事故後の帰宅としてはずいぶん楽であった。

 

たまに地下鉄に乗ってみたりするのは楽しい。

ましてや振り替え輸送票で無賃ならなおさらうれしい。

で、たまに地下鉄に乗ると、ずっと京都市内の駅にもかかわらず、「京都」駅があるのがどうも気になる。

路面交通なら京都駅前ですむところ。

地下鉄で「京都駅前」駅はおかしいが、でも京都にいて京都駅とはどうも違和感を覚えるのだが。

外来にはやはり京都中央の方がわかりやすいのではないかな、

と多数の通勤客に混じる外国人観光客を見ながら考える。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  選ばれる列車と選ばない電車

 

11/8

先日から葛西紀之さんの書かれた「国鉄改革の真実」という本を読んでいる。

何しろ難しい話、特に多数の人の名前が次々出てくるので、その度に前を読み返して理解し直さねばならず、

また数字もぴんとこない大きさばかりでこれまた難しい。

しかし何より難しいのは、鉄道の本であるにもかかわらず、いわゆる車両の話が前段にほとんど出てこないことである。

本の主題は国鉄改革であって、わだらんが考える国鉄改革といえばすぐに分割の方法や、

車両の運用などを考えてしまう(これは以前に書いた「国鉄最後のダイヤ改正」進士友貞著に詳しい)のだが、

この葛西さんの本には分割に伴うダイヤや運用について詳細に触れた部分はない。

そのほとんどが人、組織にかかわる話で、このあたりの話は当然外部、特に単なるヲタにはわからないことだらけである。

もっとも今ならこの本の中身でいくつもなるほどと納得できる話が次々でてくるが、

実際分割民営化前後を見ていたはずのまだ若かったころのわだらんにはおそらく理解できなかったであろう。

最近になって政治的な力というのがおぼろげにわかるようになってきたが、国鉄が民営化される前後なら、

わだらんにある知識はせいぜい中学校の公民程度のレベルであったのだから。

そう考えると一度今の目で当時の新聞を読んでみるとまた何か発見があるのかな、と思ってみたりする。

 

しかしともかくこの葛西さんの本はヲタ的な話がほとんどない。

後段のJR化以降の東海道新幹線の考え方については車両の高速化についての話が出てくるが、

それはあくまで経営戦略として東海道新幹線をどうとらえるかの視点であって、趣味的な要素はほとんどない。

そのような考え方、つまり鉄道をビジネスとして冷静に見る目は、なかなかヲタに理解されにくい部分があるのかな、と思う。

特にJR東海の初代社長がヲタ的要素の極めて強い方であったから、葛西さんが冷たいという印象がより強いのかもしれない。

が、しかしこの本に書かれた東海道新幹線の考え方を読むと、ヲタとは違うビジネス的な鉄道への思い入れが伝わっているように思う。

鉄道会社として存続発展していくためには利用者に支持されねばならないという考え方がよくわかる。

今の東海道新幹線は例えば一見さんや外人観光客に冷たいという部分もあったりするが、

でも最大の顧客である出張者に対するサービスはよいのではないだろうか、と思う。

わだらんは残念ながら新幹線に常日頃乗ることがないので、そのメリットをあまり享受できないのであるが。

 

ところで、その葛西さんの本では270km運転車両への統一、あるいは編成統一によるメリットを強調されている。

実際今のヘビーユーザーである出張者は時間帯こそ選ぶものの、列車について特定のものを選ぶという感覚はあまりないのだろうと思う。

目の前の次に来る電車、次に乗れる電車が選択されるわけで、そのためには運転される車両のレベルが

性能的にもサービス的にも揃っている必要があるわけだ。

結局新幹線で食堂車が生き延びられないのもその点ではないだろうか、

つまり多くの利用者にとって食堂車が編成内にあると安心できるサービスが供給できないのであれば、

食堂車を一部にでも残しておくことは困難である、というわけだ。

事前に食堂車があるかどうかを調べる客は一部のみで、有無を気にしない客は事前に弁当を買う、または車販で済ませてしまう。

列車を選ばないという選択は、やってくる列車がどれも同じもの、という前提でなくてはならないわけだ。

だからこそ乗客は時間を気にせず時刻表も不要で駅にくることができる、あるいは予約時に前後の列車の選択範囲を持てるのだ。

ずっと昔のように列車を指名買いするような時代ではないのだ。

 

そう考えるとわだらんの場合でも新快速も夕方以降は野洲まで大阪から15分おき、

もちろん細かく見れば座りやすいとか座りにくいとかの違いはあるが、でも同じ形の車両が同じ所要時間で運んでくれる。

その統一性があるからこそ通勤利用に苦になく利用できるものだ。

逆に本線快速のグリーン車が1980年になくなったのも、列車によってついていたりいなかったりと

グリーン車サービスに統一性がなかったためであろうかと思う。

もし全ての快速に当時グリーン車がついていれば、今の展開が変わっていたかもしれないし、逆にその時代を最後に快速電車、

特に播磨や近江への中距離電車がいつでも来る通勤電車感覚になったのだろうと思う。

 

この7日で新幹線500系の東京乗り入れが最後の1往復になった。

もはや風前の灯火である。

葛西さんも強調されているサービスの統一性、あるいは事故復旧後の回復のためには仕方のないことであると

充分理解はできるのだが、ただヲタ的には特徴ある、人気ある車両が消えていくことに少し寂しさを感じてしまうわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  南郷洗堰と天ヶ瀬ダムは強制突破で

 

11/5

文化の日、少しは文化的な行動を、と琵琶湖博物館に行ってきた。

といってもわだらんが見るところは結局琵琶湖と淀川水系の地域を航空写真に撮ってタイルに貼り付けた

大きな部屋を歩くことでほとんど時間を使ってしまい、他の展示をきちんと見ない。

いつもながらだが、飽きもしないものだ、と自分で笑ってしまう。

そこにあるのは大垣から西宮、伊賀盆地や亀岡盆地、関西空港までを含んだ大きな地図で、

パソコン画面上とは違う、何かワクワクする感じがする。

もちろんわだらんはすぐに線路を追うのだが、近江盆地の中、湖東平野のあたりは

東海道線も新幹線ものびのび走っているようで見ていて気持ちいい。

もしもっと琵琶湖が大きくて、湖岸が山に近くて平野部分がなければ、

でも琵琶湖の湖上交通が活躍していたのかもしれないな、などと想像したりする。

実際戦前まで琵琶湖には定期航路があったし、例えば米原大津間を1時間で結べる高速フェリーがあれば、

ある程度の需要はあるのだろうか、などと思う。

もっとも静かな湖面を大型の高速フェリーが往来するのはあまり風景的にはよろしくないか。

 

琵琶湖の周囲の山々、伊吹や比良、御在所に降った雨雪は琵琶湖に流れ込んで最終的に大阪湾に注ぐ。

淀川だけ見ればずいぶんゆったりした流れで、かつては船が上下して水運盛んだったわけだが、

琵琶湖から淀川となるまでの間、瀬田川・宇治川の流れは河川交通には向かない。

このあたり、空から眺めると京都と琵琶湖の間が街道も鉄道も道路もずいぶんルート取りに苦労した様子がよくわかる。

さすがに新幹線は音羽山をまっすぐ抜けているが、名神高速ですら谷に沿ってくねくね。

もっとも名神高速は藤森から上栄町近くまで旧東海道線をほぼ忠実になぞっていて、

25‰の勾配と曲線規格が高速道路と初期の鉄道線路に共通なのかと思ってしまう。

ちなみに木ノ本から敦賀、今庄までも旧北陸線に高速道路がほぼ沿っているし、九州道も八代以南では肥薩線ルートだわな。

わずかな谷筋でもそれを使って登れるところまで登って、最後にトンネル。

昔まだ土木技術の初めの頃の敷設・保守や登り下りする機関士のみなさんの苦労はさぞたいへんなものであったのだろう。

 

そういえば、琵琶湖に注ぐ川に沿う鉄道というのはあまりない。

川が短くて鉄道を敷くほどのものでないということなのだろう。

あえて言うなら野洲川〜袖川に沿う草津線くらいのものか。

もし日野川に沿って、あるいは愛知川に沿って近江鉄道が延びていたらどうなっていただろうか。

まぁ大阪京都間は淀川に沿っているのだし、大阪から米原、さらには近江塩津までは淀川水系に沿って走っていると言えるか。

あんまり川に沿って走っている雰囲気でもないが。

 

先日野田に行く用事があったついでに新規開店した尼崎の平和堂に寄ってみた。

いつもながらの店内でこれといって変わったものはなかったが、おもちゃ売場にひこにゃんぬいぐるみを見つけた。

今のところひこにゃんグッズの最西端かな、と思う。

そんなJR尼崎、かつては神崎と呼ばれていたところ。

神崎川を渡って駅に着くのだが、その神崎川も淀川水系。

彦根で琵琶湖にお船を浮かべれば、いつかは尼崎にたどり着くかな、もっとも江口の淀川から神崎川への水門が通れるかどうかか、

などとすっかり暗くなってわずかに光る瀬田川の川面を車窓から見ながらためにもならない考え事。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  晴れ間に突然雨が降ってくる季節がやってきた

 

11/3

寒波がやってきた。文化の日は朝からいかにも冬を思わせるどんよりした曇り空。さぁーと雨が降ってはまたやんで。

もう少し気温が低いとみぞれ混じりなのだろう。

それでも野洲のあたりは正午前にはすっかり雲は取れ、空気の澄んださわやかな晴れ間になった。

 

とはいえ、湖西側は雲が張り付き、しかも低い位置に虹が出ていて、いかにも小雨が降っている雰囲気。

今年は雪が多いのだろうか。

そういえば、先日野洲駅の構内にある資材倉庫を開けて、分岐器に使う暖房機の点検をしていた。

古いコンテナをそのまま倉庫にしたもので、駅構内にそんなコンテナがあるのはもちろん気がついていたのだが、

開いているところは初めて見た。

あぁ、そんなものが入っているのだな、とびっくりしたり納得したり。

設備の方がいろいろと触っておられた。

東海道線では野洲までが分岐器用暖房機を持っている駅で、雪国の証なのかな、と思う

(草津は何か最近電気式か何かが設置されているようだが、よくわからないのだ)。

そういえばまた最近路盤に緑のネットが目につくようになった。

雪の固まりが落ちてバラストが飛散することを防止するもので、いつのまにか冬の風物詩になってしまった。

 

もうすっかりあちこちで冬支度の時期になった。

ところで冬の風物詩といえば、最近の定番が北陸特急の迂回運転。

湖西線を経由する特急が強風による運転見合わせを事前に回避するために米原回りをするのだが、本当にこのところ多くなった。

湖西線の途中駅で抑止を喰らうくらいなら先に迂回しておけということなのだろう。

確かに抑止でいつ運転再開になるかわからない状態で停まっているよりは、

多少時間が延びてもどんどん走れる方がいいに決まっている。

そんな抑止などの運転規制が増える時期がやってきた。

北から、つまり山を吹き降りる風が強くなる時期の今や名物。

夏の間は南風が湖面から吹き付けてもあまり問題がないようなのだが、冬の比良颪はとてもきついそうだ。

最近付けられた防風柵の効果はどれほどなのだろう?

何せ実際の強風を体験したことがないのでわからないのだが。

 

迂回運転のおかげで、月曜日に野洲を日本海が通過していった。

久しぶりに見る野洲での寝台特急であるが、迂回のために見ることができるのは本来歓迎すべきことではないのだろう。

うれしさ半分、というところ。

雪が降らないと琵琶湖の水循環に影響があるそうなので適度に雪が降ってもらわねば困るのだが、

でも風はあまり歓迎されることではないな。

願わくば山にどんと雪が降って、平地はそれなりに風も弱い静かな日々を、と思うのは贅沢か。

自然相手は難しい。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  地域が支え、地に足をつけて頑張っている姿

 

11/1

京阪大津線のお祭りに行って来た。

ここ数年毎年出かけているのだが、こぢんまりとした錦織車庫に目一杯人を集めて、今日も盛況であった。

毎年連続して大津線感謝祭の日は晴天に恵まれ、日頃の大津線に携わるみなさんの心がけか、と思えてしまう。

何しろ大津線はなかなか採算がとれず、補助金で欠損を穴埋めしている状態である。

鉄道を支える熱意は、職員のみなさんの乗客への接し方でいたいほどわかる。

あまり騒がれないのだが、大津線は実によく洗練されたLRTだと思う。

どうも日本でLRTというと新しいタイプの路面電車、つまり低床のLRVが走るところという印象が強いのだが、

本来のライトレールというのは短い駅間隔の路線を高頻度で、かつできるだけ車両が生活路面に近い形のもの、

と定義していいのではないかと思う。

実際オランダでは旧国鉄民営化のオランダ鉄道、つまり高速で編成も長く、駅間が長い路線をヘビーレール、

その逆をライトレールとして分けて整備を進めていて、駅間の短いヘビーレール区間はライトレール化

(富山と同じ例)になっていっているし、ヘビーレールの横にライトレールが併設された区間もあって、

まさに琵琶湖線・湖西線と京阪大津線の関係と同じである。

そこには競合ではなく、補完関係があるのだ。

短い駅間隔でできるだけ駅への移動距離を少なく、かつ途中駅で高速のヘビーレールに乗換ができる、

というまさに絵に描いた光景が大津線ではできている。

とは言っても大津線が路面を走るのはごくわずかだし、車両が低床でもないし、と取り上げられる要素が少ないのが残念である。

確かに大津線には最近の新車がなく、石坂線側はかつての京津線準急車のお下がりであって、インパクトに欠ける。

とはいってもこの先新車が出るような雰囲気もなく、しばらく現状のままでは今後もあまり脚光を浴びることがなさそうだ、

というのは極めて残念なことに思える。

こうなると以前からくすぶっている石坂線の草津延長や、琵琶湖大橋併設橋による堅田守山間軌道新設のような話が

早い時期に上がってこないか、と期待をするところである。

あるいはもう少し浜大津付近が元気になって人を集めてくれれば、と思うのだが、

でもアーカスも明日都もなかなかぱっとしないな、と残念に思う。

大津線も浜大津も市民による支える催しがいくつもあるのだが。

 

でもとにかく大津線感謝祭は盛況である。

小さな車庫の催しで、車両も当然限定され、ヲタ的にはあまり興味を引くものはないのだろうか、あまりヲタの姿は見なかった。

もちろんこの日は南海千代田工場公開とか佐久間レールパーク閉園近しなどとヲタを呼びそうな行事が重なっているおかげで、

ヲタがほとんどいない、子供向けのファミリーイベントでいいものだと思う。

賞品や残念賞が定規というまた実用的なもので子どもも喜ぶ。

そんな子供向けとはいいながらも、実際の電車と同じモケット柄を使用したミニ電車とか、なぜか細かい機器展示とか、

毎年ながら職員のみなさんのまじめさ、感謝の雰囲気がよくわかる、面白いものだ。

車庫内を走り回る電車好きの子どもたちがこの先大津線を引っぱっていってくれれば、とそう願わずにはいられない。

 

ちなみにわだらんがこの大津線感謝祭で最も楽しみにしているのは、

あの「ぼわぁーん」と泣くタイフォンの足踏みペダルを操作することである。

願わくはもう一段踏み込んだ少し高い「ぶわぁーん」音も出してみたいのだが、

あまり音が大きいので高い方は外しているそうだ。

唯一大津線感謝祭で残念な(もちろん事情がわかるのであくまで愚痴であるが)話である。

もう三条通から電車が消えて12年、感謝祭にやってくる多くの子どもたちは

京都までこの小さい電車が行き来していたことを知らないのだ。

 

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