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10年  2月

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809.  2/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  入ったら出る、ところてんのような主要駅

808.  2/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  次の電車は○両できます、と聞いて並ぶ位置をずらせるのは慣れた通勤客

807.  2/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  270kmで走ることができれば、それ以上はいらない

806.  2/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  きっぷが残らないと記憶にも残らないのだろうか

805.  2/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人に頼らず自分でこなす、というと聞こえがいいが

804.  2/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  2両編成の電車は手短でかわいいのだが

803.  2/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  雨の日は慎重に運転しましょう、と免許更新で言われる

802.  2/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  移動に不都合のない程度の積雪がいい

801.  2/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  土地の高度利用と農地転用はイコールでないと信じたい

800.  2/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  なじみのある列車はお別れ乗車、なじみがなければ最後の乗車経験

799.  2/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  電車が五里霧中では困るから

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  入ったら出る、ところてんのような主要駅

2/26

 

昔々の国鉄時代、しかもまだ荷物電車があったころ、大阪駅の6番線と7番線の間には中線があって、荷電クモニ83や切り離された113系付属の4両編成などが停まっていた。

1972年からで1986年までの間、快速は新快速待避のため大阪駅で5分ほど停車するのんびりムードで、電車によっては編成の増解結を行っていたのである。

もちろんその当時は長距離列車で機関車の交換や荷物・郵便車の連結解放が多数あって、今では想像つかないが、大阪駅の構内に車両がごろごろいたのである。

 

まだそんな増解結や入れ換え作業があったからこそ、主要駅の風情があったものなのだが、今となっては大阪駅構内での車両の増解結はなく、

列車も全て入ってきた編成がそのまま抜けているので、単なる通過式の駅、待避線を持つ中間駅でしかない。

ホームで直接列車が折り返すことがない、全てが通り抜ける駅というのは大都市の通勤電車や私鉄ならともかく、大都市の主要駅としては希にみる構造ではないか、と思う。

列車を捌くためには列車が全て通り抜ける方式が便利だし、無駄にホームを列車が占有することもないので、味気なさはあるものの、なかなかよくできた構造であろうかと思う。

無駄がない分、ホームの使用効率は上がるわけで、確かに大阪駅を発着する大量の列車電車を5面10線で捌いているものだ。

まぁ朝の北近畿が8番線に着いたり、夜の雷鳥到着が5番線に着いたり、と電車ホームにやってくる特急というのもちょっと悲しいものに見えるのだが。

 

そんな大阪駅で大々的に進められている改良工事もいよいよ終盤戦。

新規に11番乗り場が整備されて、北陸特急はいわば専用ホームから発車することになった。

やはり風格ある長距離列車は専用の空間がなくてはいけない。

確かに新しい11番乗り場はどことなく今までの大阪駅ホームとは異なる、独特の空間を引き出しているように見える。

が、そんな特別ホームを使って新快速が出入りする、そんな工事期間がやってきた。

直近まで使われていた拡幅9番のりばをもとに戻すためであるが、その間夜の大阪始発新快速は11番発、いわば大阪始発のエリート列車である。

その11番発新快速の最終日、わだらんも11番乗り場に上がってみた。

どうもわざわざホームを変える客、おそらくはほとんど一見客であろうけれども、これらの客がいないせいなのだろうか、18:37の3508Mは思いの外空いていた。

もちろん発車の頃にはドア付近に立ち客が大量にでる当たり前の光景になっていたが、少なくとも一本前の18:30の新快速が出る時点でまだ空席があるというのは確かにいつもの日より空いているのだ。

金曜日だからか、あるいは学生が減る時期であるからなのか、でも確かに空いている。

まさか11番のりばだから一般客が遠慮したとも思えないのだが。

 

そんな3508Mはわだらんを乗せ大阪駅を定刻に出発した。

いつもはわだらんが通ることのない線路であるが、だからといって特別何かあるわけでも、あるいは何か特別なものが見えるものでもなかった。

雨の中滑りつつ223系電車は進み、特別な線路の上という感覚をその滑りが消してしまっている。

いくら特別なホームからの発車であっても223系ではぴんとこないなぁ。いやわだらんが特急ホームに似合わない、ということか。

 

仮設幅広ホームの撤去が終わった9番のりばは、もう工事用柵も取り払われてすっかり営業運転モード。

また昔々の懐かしい中線が姿を現している。

とはいえ、今では上り電車ホームと上り列車ホームに挟まれて中線の体をなしていない。

このあとどう使われるのだろうか、気になるところだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  次の電車は○両できます、と聞いて並ぶ位置をずらせるのは慣れた通勤客

2/23

 

年末が一番自殺者の多い時期だとわだらんは永年思いこんでいたのだが、実際には年度末の方が多いそうなのである。

何も好きこのんで死に自分をおとしめる必要はないと思うのだが、当の本人はきっとそんなに冷静に考えることはできないのだろう。

どう考えても走ってくる電車に向かって体を投げるのは冷静に考えれば恐くてできない。

というか、そんなことを考えること自体を止められる社会でなければならないはずだが、なかなか世の中よくなることはない。

交通事故死が順調に減っているのにたいして、自殺者が3万人を越したまま減らないのは困ったものだ。

体もそうであるが、心も健康で過ごしていたいものである。

 

夕方適度に仕事を切り上げ、いつものように帰宅の徒についたのだが、大阪駅に入ると様相がおかしい。

案内表示には元町駅で人身事故があってダイヤが乱れているというのである。

17:45の3498Mは5分遅れと表示がでている。

わずかに時間があるとコンコース内の売店を覗いているうちにいつの間にか3498Mは出発していった。

あれ、ととにかくホームに上がると、次の3500Mは10分遅れながら12両と表示がでている。

10番ホームの最も東より、先頭にもかなりの人の列が既にできている。

みんなこの時間に12両でくるというのでうきうき気分なのであろう。

もともと18:00の3500Mはよく混む電車で、その発車の頃には次の12両3502Mを並ぶ人の列ができているのだが、

今日のように3500M自体が12両なら、わざわざ15分待つ必要もないわけで、

そんな慣れた通勤客がいつもと違う乗車位置を選んで列を作っている。

事故によるダイヤの乱れは困ったものだが、でもいつもより電車が長くなるのはありがたいことだ。

結局3500Mは11分遅れで大阪駅着、隣のサンダーバードの発車を待って14分遅れで発車。

わだらんもかろうじて優先席後ろ向きの座席を確保し、のんびりする。

結局京都の入線に手間取り、さらに前のT電に頭を抑えられて野洲着が19分遅れであった。

それでも座って帰れたのはありがたい話である。

もちろん事故に感謝するのは本末転倒であるが。

 

しかし、事故に慣れるというのは本来困るものであるが、それでも今日の場合後続の3502Mがほぼ定刻で走っていて、

大阪駅では3500M乗車に対して「次の草津行きにもご乗車下さい」と分散利用を誘導している。

以前ならこんなガイドはなかったのだが、遅れている電車がいつ頃駅に着くかという

きめ細かい情報とその伝達はずいぶん昔より親切になったと思う。

この場合、3500Mのすぐあとをこれまた12両の3502Mが走っているわけで、さぞ3502Mは空いていていただろうと思う。

 

ところで、野洲で確認すると3500Mは4+8の12両だったのだが、前4両の運用番号からすると

どうもこの12両は3494M、大阪17:15の3494M編成のようだ。

一方草津で3502Mを待つべく6番線停車中の大垣行きは203運番表示。

これも800T崩れと思われる。

ダイヤが乱れているときに、次の電車はいつ頃来るかがわかって案内できるようになったのは、列車運行管理システムのおかげなのだろうか。

そして、遅れている列車に化けて列車の遅れを少なくさせる(悪い意味で言っているのではない)ことも事故慣れの結果なのだろうか。

まぁ乗客も大騒ぎすることなく、これも事故慣れといってしまえばそれまでなのかもしれないが。

まぁとにかく事故がないに越したことはないのだし、事故慣れをありがたいと思うことは困った風潮であろうけれども。

 

ところで新快速が2本続けて12両でやってくるアナウンスの横で、8番線快速は運転間隔が開くとアナウンスしている。

しかもやってくるのは6両だそうだ。おそらく草津にいたT電が802Tもどきであったことから、

おそらく大阪駅で間をおいてやってきたのは804Tからずらした808Tだったのだろうと思う。

しかしなんで運転間隔の開いたときに限って地雷6両がやってくるのだろうか。

いつもなら快適12両の808Tに慣れた客はさぞかし6両にびっくりするだろう。

ちなみにわだらんは8両固定編成で上がっていった806T大垣行きが米原でどう車両交換するのか、気になってしかたない。

まさか8両固定編成を大垣まで突っ込むとは思えないのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  270kmで走ることができれば、それ以上はいらない

2/21

 

500系のぞみに乗ってきた。しかもグリーン車である。

とはいっても京都名古屋間だけ、という貧祖な乗車である。

東京まで行きたいものだが、そこまでの時間もなく、ましてやお金もなく、わずか36分の贅沢である。

それでも帰りのきっぷと合わせて1万円にもなると、わだらん的には大旅行である。

最近は距離より金額で旅行の大小を測るようになってしまっている。

ムーンライト九州があったときの九州など小旅行の部類であったが。

しかしこの京都名古屋間のいわば無駄な新幹線乗車は過去にもしていて、

100系V編成食堂車撤退時には座席に座らずずっと食堂車でビーフシチューを喰っていた(食堂に入るのに並んだが)し、

先日書いたように100系G編成二階建てもこの区間で乗っている。

ちなみに0系食堂車撤退時は名古屋米原間乗車でビールを頼み、缶ビールでがっかりした記憶がある。

普段新幹線に縁がないとはいえ、新幹線乗車に苦労しないのは野洲の地の利なのであろう、と思う。

 

狭いと見た目に対して不評でもある500系だが、わだらん的にはあまり狭いと感じることはなかった。

というか、もともと乗車数が少ない上に混んだ500系に乗ったことが無く、狭いと感じることがなかったからだろうと思う。

ましてやこの日のようにグリーン車で隣も通路を挟んだ二列も客がいないのであれば、狭いと感じる必要性がない。

まだまだ使えそうに思うのだが、でも扉が少ない異端児は列車密度の高い東海道区間では使いにくいにも事実だろうと思う。

ただ、今の新幹線車両に500系のような子どもや外国人にスターとなれる車がいないのは残念でならない。

N700系はいい車なのだろうけれども、外見はあまりに優等生過ぎて、個性がないように思える。

まぁ、東海道には個性は必要ないのかもしれないが。

 

外見はやはり人気の500系、乗っていると所々で写真を撮っている人間を見かける。

特に滋賀県内は防音柵のない、足まわりがすっきり取れる区間も多く、田んぼの中などに人影を見かける。

天気も良く、きっとみなさんいい写真が撮れたのだろう。

もう残り一週間、みなさん撮影に熱が入るのだろう。

せめて東海道区間最終日の28日もいい天気であってほしいものと思う。

 

しかしびっくりしたのはもう少し葬式厨が乗っているかと思ったのだが、少なくとも8号車ではいかにも、という客がいなかった。

というか、座席も結構空いている。

わだらんとしては500系にはまだこだまで乗ることができるのだから、

折角ならグリーン車に乗っておこうと思ったのだが、あまりそこまでの葬式厨はいないのだろうか。

もっとも500系グリーン車もこだま編成指定席6号車で指定席料金のグリーン格下げ車に乗ることができるので、

あまりこだわらなくてもいいのかもしれないが。

とにかくせっかく東海道区間の引退記念ならのぞみグリーンで、と張り込んでみたわけである。

そんなゆとりのグリーン車、いや座席も客の入りもだが、もちろん車内は快適、車窓も楽しめ、いい旅行になった。

しかし名古屋でのぞみ6号を降りて、過ぎ去る編成を見送っているその隣に

すでに300系ひかり466号が滑り込んできているのである。

初代ののぞみ型300系がひかりで走る姿はもう当たり前なのだが、

でも270kmで走れればよいのであれば、どう考えても東海道区間での500系はオーバースペックである。

適材適所という言葉は鉄道車両の世界ではむずかしいのかもしれない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  きっぷが残らないと記憶にも残らないのだろうか

2/19

 

草津宿交流館に記念切符を大量に寄贈された方がおられて、展示を行っているそうだ。

わだらんはこの週末は地元で用事があってばたばたしていて、見に行く時間がとれるかどうか、なんとかしたいのだが。

まずは甲西図書館に草津線120周年記念展示を見に行かねばならないし、なんぞかんぞと時間がない。

おまけに明日はのぞみ6号の指定席を取ってしまったし、何か急にくだらないことが立て込んで困っている。

 

しかしわだらんも昔乗った切符をきちんと保管整理していれば結構なコレクションになったのではないかと思うが、

何しろ整理整頓が苦手な性格故、昔のきっぷなどどこに何があるのか皆目見当がつかない。

まだひかり1号が岡山までの時の指定券とか、急行紀伊の津東京間B寝台券とか、青函航路グリーン指定席きっぷとか、

今となってはオークションまでとは言わないまでも、どこかに出せばそれなりに喜んでもらえそうなきっぷを持っているはずなのだが。

東京名古屋間を急行桜島に乗ったこともあるので、この急行券もどこかにあるはずだ、と急に昔を思い出してみたりする。

もちろん当時はきっぷを集める趣味など無かったし、いまでもこれといって特に収集してみようとかは思わない。

まぁこの2月2日と22日の野洲駅入場券は買うのだが、でもこれとて別に収集目的でなく、とりあえず買っておこうと深い意味なく考えているのである。

 

でも確かにきっぷを残しておけば想い出になる。

ましてや無くなる列車ならなおさらである。

きっぷを見ればなんとなくその列車や移動の記憶がよみがえるかもしれない。

あるいはきっぷ自身がもう姿を変えたもの、今では使わないようなきっぷ類ならまたそれはそれで価値があるのかもしれない。

例えば縦型の指定券を覚えておられる方はおられるだろうか、もちろん今の長距離切符縦型でなく、指定券や寝台券が縦型で印字されていた時代があったのだ。

万博の頃だっただろうか、時代は定かでないのだが。

そんなことを考えながらの金曜日、仕事場で帰宅準備をしていて、突然思い出した。

特急はるかがこの春の改正で西九条を通過することになるのだ。

そうだ、乗れるときに西九条から野洲まで乗っておこう、と思い立った。

しかもせっかくだから、e-5489でチケットレス特急券にしよう、その方がはるかに安いのだ。

と、仕事のパソコンを私用で使ってネットではるか50号の指定席を確保。

もちろんどうせがらがらなのはわかっているのだが。

 

久しぶりに環状線に乗り、西九条で一旦下車し、駅のまわりを散歩。

そして再度ICOCAで入場し、チケットレス特急券ではるかに乗車。

西九条では3号車指定席もそれなりに埋まっていたのだが、新大阪でがくっと減って、車内は5人。

さらに京都で2人降り、乗車なしでますます空いている。

いつもながらに夜の上りの指定席は空いているのだが、わだらんがその空いた車内にいるのがなんとも異様に思えるのだ。

しかし西九条ではやはりわだらんの他に乗車はなく、もちろん下車もなく、寂しい停車である。

通過扱いになれば、ダイヤ乱れの時に無理に客扱いをする必要もなく、ダイヤの自由度は増えるはず。

ましてや某遊園地の客を当て込んでもはるかの西九条利用者が増えないのでは停車の意味もないだろう。

そんな寂しい葬式鉄ではあったのだが、でももっと寂しいのは手元に残ったのがパソコンプリンター印字の特急券である。

これでは後世に残していても意味はなかろう。

いや、昔はこんな紙で特急に乗ったのだ、と言う時代が来るのだろうか。

 

 

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ところで、いつもおつきあいいただきありがとうございます。

先日、文章(センテンス)が長いと読みにくくなる、

というお話を頂きました。

みなさんの読んでいただいている環境がそれぞれ異なると思いますが、

読みにくい点や表示のおかしい点などありましたらお知らせ願えませんか。

わだらんの自分の環境以外のことがわかりませんので、

みなさんからのお声をいただければ助かります。

 

いつもありがとうございます。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人に頼らず自分でこなす、というと聞こえがいいが

2/17

 

卒業旅行の季節である。

一時期は高校卒業なら某千葉鼠遊園地とか、大学卒業なら欧州とか結構派手に出かけていたものだが、最近はどうなのだろう。

大学生は厳しい就職活動が終わったら力が抜けてしまって旅行などと言っていられないのかな、などと心配してみたりする。

それでも電車の中に下がっている広告、JR西であれば当然山陽新幹線を利用した九州への旅がメインとなるのだが、を見ていると、ある一定の需要はあるのだろうかと思う。

北部九州が新幹線にJR九州の特急、さらに宿泊もついて2万円を切るのはずいぶん安いものではないのかな、かなりお得な商品に見える。

何しろそれらの広告のそばには山陽新幹線二枚きっぷの広告があるのだが、博多までの往復を二枚きっぷで出かけると2万5千円ほど。

航空機対抗などで二枚きっぷは充分安いはずなのだが、まだそれより安い値段で長崎や熊本に行けて宿泊もついているのはやはり破格の価格である。

そんな安いものでどこかに出かけてみたいのだが、なかなか事情が許さないのは残念だ。

 

ところでそんな旅行の案内広告、数社が同じような価格、内容で電車に掲示しているのだが、いずれもネットならお得とか二十四時間受付などと売り言葉が並んでいる。

確かに店にわざわざ行かなくても自分のパソコンから予約できるのは便利だし、なにより他人とあれこれ話すのが面倒な人には便利なものなのだろう。

そういうわだらんも最近は欧州に出かけるときはみんなネットで宿の予約を済ませてしまう。

何しろ言葉の心配をしないで予約ができるのはありがたい。

電話で宿の予約を取るのはどうも不安なのだ。

もっともそんなネット予約は今まで旅行会社の店頭で店員がやっていた仕事をいわば自ら行っているわけだ。

ネットで割引、とは聞こえがいいが、実際にはその分手間を自らかけているわけで、当たり前といえば当たり前ではないか、と思う。

今の世の中、ICカードで自ら入侠し、そして出場である。

駅員さんがずらりと並んでいた姿は遠い昔、精算窓口も、そもそもみどりの窓口すら自分で操作する券売機になってしまっては、駅員が減るのも当然である。

まぁそんな合理化でJRになって未だに運賃値上げをせずにいられるわけだ、とよい方向にとらなくてはいけない。

 

先日愛知県内の某異音モールでセルフレジを初めて見た。

知っておられる方は当たり前かもしれないのだが、わだらんには新鮮であった。

6台のセルフレジを一人が見ている。それで充分管理ができるのである。

客は某和音ポイントが余計に付くので悪いことでないのだろうけれども、これも結局店の合理化にまんまと乗せられている。

乗せられることが悪いことではないのだろうが、でもちょっと滑稽に見えたりする。

6人が1人で済むのなら生産性は6倍、すごい業務改善である。

慣れた人はとっとと自分でレジを済ませているし、少ない点数ならずいぶん早いようにも見える。

とはいえ、店の人に声をかけてものを捜してもらったりお金を払ったりという光景が近い将来珍しいことになるのだろうか。

 

今日、3502M、12両新快速に乗ろうとしたついでに、久しぶりに大阪駅9/10番ホームの最後部に行ってみた。

以前あった長距離客向け売店は既になく、工事用フェンスでホームの一部が囲われたまま。

確かに主要な列車が11番線発になって、大きな売店はいらないわな。

今の売店で通常の帰宅に使うには充分なのだが、これもひょっとするとそのうち自分で商品をスキャンして自分でICOCAをかざして金払いのようになるのだろうか。

KIOSKの売店おばさんの早業も昔話になってしまうのかな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  2両編成の電車は手短でかわいいのだが

2/14

 

週末は津に行ってきた。

母親が独居老人しているわけで、ご機嫌伺いである。

今のところ極めて元気で、いつも電動自転車で走り回っている。

周囲に同年代、つまり世間で言う引退後の世代も多く、平日に徒党を組んでバス旅行とか、なかなか優雅なものだ。

平日にまとまった団体で動けるのはバス会社にも、あるいは受け入れの観光施設や宿泊先にとってありがたいことなのだろう。

京都のように年中観光客がいるところは結局日本の中でもごくわずかで、たいていの観光地はピークとオフピークの差が激しいものだ。

それでもまだ都会に近いところは何とかなるだろうけれども、伊勢志摩とか紀伊勝浦とか、あるいは西浦三谷にしても、

なかなか年中稼働率を一定に確保するのは難しいと思う。

三河湾にしても志摩半島にしても海が眺められるのどかないい宿がたくさんあるはずなのだが、

いつの間にか名鉄は蒲郡に入る有料特急が無くなってしまったし、伊勢鳥羽の定期観光バスはいわば第三セクターのような形になっているし、

観光客目当ての輸送施設自体が先細りである。

名鉄に至っては吉良吉田から蒲郡を切ってしまおうかなどと検討される状態では、やっぱり観光客相手を中心とする鉄道は無理であろうかと思う。

もっとも名鉄西尾線の場合、沿線人口の減少とJRの利便性の向上によるところが大きいのだろうけれども。

 

しかしこのところ、そんな末端区間の廃止や減便の話が尽きない。

近鉄もこの春に伊勢志摩での特急の一部を区間短縮するそうだ。

確かに津で特急電車を見ていると、乗っている列車と乗っていない列車の差が激しいようだ。

もちろん編成両数に依るところも多く、運用上長編成が入ることは充分理解できるのだが、

でも逆にそれだからこそ、がらがらの電車がさらに増して寂しく感じられるのである。

 

近々近鉄は伊勢神宮の式年遷宮に合わせて新形式車を出してくるそうだが、列車自体に魅力を感じるいい車であってほしいと願うのだ。

津で列車を見ていると最長は近鉄特急の8両、急行は6両が標準、普通電車は2両または3両である。

JRも長くて5両、伊勢鉄道は1両、とよく言えばかわいい、悪く言うと貧祖な列車ばかりである。

野洲に帰ってきて家に聞こえてくる下り12両新快速の派手な減速音は頼もしくもあるが、

少子高齢化と不況の波が新快速の減車減便にまで波及しないように願いたい、と思うのである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  雨の日は慎重に運転しましょう、と免許更新で言われる

2/11

 

先日野洲でまとまった雪が降ったのだが、やはり全体的には暖冬のようで、10日水曜日も帰宅時は雨になって、生ぬるい風が吹いている。

寒いのはまだ仕方ないが、コートを着ていてあまり寒くないのもちょっと困りもの。

暑がりのわだらんにとっては、寒い方がまだましなのである、そもそもコートを着て汗をかいているようでは本末転倒である。

 

大阪18:00の3500Mはいつものようによく混んでいる。ドア付近のみならず通路にまで立ち客があふれている状態。

京都で客の入れ替わりがあって、わだらんも無事座席を確保。座ったとたん、うとうとしている。

ところが、琵琶湖線内に入って、電車が派手に滑っている。

わだらんはいつも先頭車に乗るのだが、上り向き先頭車にはモーターがついているので、

雨や雪で線路が濡れていると、モーターや制御装置から聞こえる音の音階が上下に激しく揺れるのだ。

おそらくただ単に電車に乗っているだけでは気づかないだろうけれども、気にしながら乗っているとすぐわかる。

この日も大阪を出る時点では雨は降っていなかったのだが、大津からさきはずっと雨模様。

しかも電車が滑りやすい223系2次車とあっては、モーターが「ぐお〜んぐおん」と大きな音を立てて滑っている。

当然停まるときも滑っていて、運転士氏はその滑りをコントロールしながら上手に停めている。

とはいってもそんな状況なのでどうしてもブレーキ力の調整が制動中に入って、がくんがくんと前後に揺れる。

座っていれば問題ないが、立っているとちょっとしんどい。

この前後動ばかりはよい運転士氏の腕でもなくすことは難しそうだ。

もちろんゆっくりゆっくりホームに入れば揺れは少なくなるだろう

けれども、それでは電車が遅れてしまってそれもまた困る。

走り出す、停めるという運転の基本が、こんな天候や適度な速度を加味してではなかなか満足を得るのは難しそうだ。

 

世間では某愛知県の誇るハイブリッドカーがリコールの対象になったと騒いでいる。

確かに先端技術で走る車のブレーキが効きにくいのでは困りもの。

でもこのあたり、自動車会社の肩を持つつもりはないが、結構個人的な感覚も大きいのだろうと思う。

余裕のある制動距離を持っていれば大騒ぎすることもないのだろうが、滑りやすい状況でブレーキが本当に滑ってしまってもよろしくないし。

報道では油圧ブレーキと回生ブレーキの切り換えのあたりで制御にタイムラグが出るなどと紹介していたが、

一般に車を運転する人がそんなブレーキの違いなど考えずに乗っているのだろうと思う。

ちなみに電車でも回生ブレーキと油圧ブレーキ、ただ鉄道の場合は空気ブレーキというが、の切り替わりでがくんとなる例は多い。

特に221系など結構はっきりしていて、40kmくらいですっと滑っているような動きを感じることも多い。

もちろん運転士氏は滑ることも考えて制動をかけ始めるし、最後は空気ブレーキの強弱で電車を操るプロである。

自動車の運転と違ってそんなことを考えている客はまずいないだろう。

 

車なら雨の日はゆっくり走る、少し早めに家を出る、と各自が手を打てるが、電車はそうはいかない。

天候に関係なく毎日同じ時間で走るのが鉄道の特徴。当たり前だが、凄いことだと思うのだが。

ちなみに電気自動車では回生ブレーキのみで停める車種もあるそうだが、電車でも全電気式ブレーキの車があるし、

そもそも電気自動車の中には研究ベースではあるが、車軸にモーターを独立してつけるタイプもあるようで、

自動車と鉄道車両の構造がだんだん似てきているように思えるのはわだらんだけだろうか。

 

3500Mは定刻に野洲着。3500Mを遅らす先行804Tも大きく遅れなかったようで、無事な帰宅である。

滑りながらも定刻に電車を運転する運転士氏の勘や経験、あるいは知恵は凄いものなのだろうけれども、

なかなかそのすばらしさは伝わらないなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  移動に不都合のない程度の積雪がいい

2/8

 

野洲のわだらん自宅の周囲は6日土曜の午後から夜にかけてまとまった降雪があって、ざっと20cmほどの積雪になった。

まともな積雪は今年初めてであるし、そういえば昨年はここまで積もったことがなかったので、久々の大雪である。

とはいっても車を出すのに苦労するほどでもなく、多少歩きにくい程度で大きな支障がないのはありがたい。

新潟市内は大雪で大騒ぎだそうなのだが、野洲の場合は大雪といってもまだ生活に支障がない程度でありがたいことだ。

あくまでわだらんの個人的感覚だが、野洲あたりだと主要道路の路面が白くなるほどに雪が積もると大騒ぎになるのではないかな、と思う。

もちろん湖北ならほとんどの車がスタッドレスを履いているから路面が白くなる程度なら問題ないだろうけれども、

野洲だとスタッドレスは半分あるかないかだろうと思う。

外出時に何も問題なく出かけた車が帰宅時に降雪に遭ったりすると道路はまともに機能しなくなるだろうから、

深夜に積もる雪よりも日中、特に午後からの積雪の方がやっかいなのだろうと思う。

なぜかわだらんの記憶では深夜に野洲で雪が降って朝に雪が積もっていたことがなく、むしろ日中から夜にかけての積雪が印象に深い。

いわゆる雪国の山里と野洲のあたりでは雪の降り方が違うのだろうか。

 

滋賀県内ではよく川を越えると雪が増える、という。

実際野洲川を渡ると草津栗東より雪は多いし、日野川、愛知川と川を渡るたびに雪の量が増える。

川筋、あるいは上流の谷に沿って雲が流れるからなのだろうが、やはり伊吹山に近くなるほど雪は増える。

大雪で移動に支障が出るのは困りものだが、やはり冬は特に湖東湖北は雪がないと寂しいように思う。

 

雪晴れとなった日曜午後、野洲図書館へでかけたのだが、わだらんの顔を見て、そんな雪の量に絡むびっくりした話を館長さんが教えてくれた。

というのも、電車区を作る際、当初安土に内定していたものを、天候から野洲の方がよい、と野洲がひっくり返した、ということなのだそうだ。

気象記録などを持って大阪鉄道管理局に乗り込み、強引に野洲への誘致を決めたそうなのだ。

もちろん今の時点では当時携わっていた行政の方の記憶だけで、公式な話でも裏がとれている話でもないのだが、

そんな話があったのか、ととにかくびっくりである。

わだらんも含めた琵琶湖線を知るヲタは、安土と近江八幡が蹴ったので野洲に車庫ができた、という定説を信じ込んでいる。

この流れではどちらかというと野洲は渋々車庫建設に同意した雰囲気であって、積極的に車庫を誘致したとは思えない。

が、当時を知る方からむしろ野洲が強引に車庫建設をもぎ取ったような話がでてくるとびっくりと共に何かわくわくするものがある。

京都から遠く雪も積もりやすい安土より雪の少ない野洲のほうが車庫に適しているという話は確かに説得力がありそうだが、

そのあたりもっと具体的な話を探せるかどうか。

出てくればうれしいなぁ。

何しろ野洲の車庫が最初にできたのは昭和41年、いまからもう44年も前の話である。

もちろんわだらんの直接知らない時代である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  土地の高度利用と農地転用はイコールでないと信じたい

2/6

 

わだらんが中学生の頃、つまり一人で電車に乗って遠出をするようにになった

頃の話なのだが、よく当時住んでいた岐阜から京都大阪へ電車で遊びに来ていた。

まだ京阪電車は鴨川の岸辺を走っていたし、京都市電も市内中心部は廃止されていたが、

河原町・大宮千本・東山北大路西大路九条に七条通りに電車が走っていて、まだ開館し間もない梅小路機関車館へは市電4番に乗って出かけていた。

京都の駅前に屋根付きの大きな市電乗り場があって、電車がいつも停まっていたのが今でも目に浮かぶ。

ところで、その頃はまだ栗東ももちろん南草津も駅はなく、守山から草津までずっと線路の周囲は水田であった。

ずいぶん遠くまで見通しが効いていたのだが、その頃は大きな建物もなく、遠くまで見えていても何も印象に残っているものはない。

というか、水田ばかり見えていたので、景色に大きな変化や特徴がなかったのだ。

そんな中、石山瀬田間の琵琶湖側に見えた水田はずいぶん記憶に残っている。

おそらくは京都からの帰り、瀬田川橋梁で琵琶湖に繋がる水面を見たあとに初めて広がる広い水田であったからだろうと思う。

水田自体は珍しくないのだが、そんな位置的なことなのか印象に強い。

京都から石山の間は既にほとんどまとまった水田を見ることができなかったのだ。

その印象深い水田はわだらんが中年近くになってもずっと水田のままで静かな風景だったのだが、昨年から風景が一変してしまった。

区画整理が行われ、住宅地の造成が始まったのだ。

経済活動の面で語るなら人口が増え、家が建って関連する設備が売れることはよいことなのだろうけれども、折角のんびりした風景を楽しめるところだったのに、

住宅地に変わってしまうのは残念に思う。

水田のままでは鉄道経営にはよくないのだろうけれども。

 

ところでみなさんは市街化区域と市街化調整区域という言葉をご存じだろうか。

市街化調整区域というのは原則土地の売買が禁止されていて、土地の転用が難しいのである。

もっとも難しいというのは捉え方の問題で、本来は虫食い的な乱開発を防ぐためにかけられたいわば規制の網なのである。

今野洲市では市街化区域に土地計画税を導入する方向で行政が地元に説明会を開いている。

野洲駅から徒歩圏内のわだらんの住むあたりも当然この市街化区域、つまり都市計画税の対象地域になる。

このご時世に新税で増税になるのは苦しいが、都市基盤整備のためにどうしても必要と説明を受けると、そうなのだろうか、と妙に納得してしまう。

もっとも今すぐに野洲駅の駅前整備をする必要があるのかどうか疑問ではあるのだが。

土地の高度利用、有効利用と税収確保でいえば、市街化区域でどんどん開発し都市化がすすめばいいのだろうけれども、人口が急激に増えることも

もうなかろうから、区画整理に金をかけて市街化しなくてもいいよな、と思う。

 

野洲川橋梁を渡って野洲市内に入ると、線路の北側は広い水田(+転作畑地)が広がっている。ここも市街化調整区域でいわば守られた農地。

水田ばかりの風景も変わり映えしないが、むしろ今となっては住宅が並ぶだけの風景よりよほど水田が広がる風景の方が楽しいし、癒されると思うのだけれど。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  なじみのある列車はお別れ乗車、なじみがなければ最後の乗車経験

2/4

 

2月に入って、そろそろ春の便りが聞かれるようになる頃になった。

とはいえ、まだ野洲ではまともな積雪をみたことがなく、かろうじて1日に少し白くなった程度。

今夜も北陸、特に新潟方面や、滋賀でも湖北で雪になっているが、野洲は快晴。雪が降って交通に影響が出るのはよろしくないが、

かといって全く雪のない冬というのもちょっと寂しい気がする。

この先この冬積雪はあるのだろうか。

 

春の便りというと、例によってそろそろ3月改正で消える列車の葬式厨が佳境になってきたようだ。

今年は上野金沢間の夜行列車2本がその対象。

ダイヤ改正のたびに夜行列車が削減されるのがここ数年の定番で、この流れは止まりそうにない。

特急北陸にしても既に使われている14系客車はいい歳になっているし、夜行移動者でも低価格でいい客はみなバスに流れるだろうから、

なかなか寝台列車という選択肢は一般人にはもう薄いのだろうかと思う。

ちなみに嘘か誠か、根上あたりを本拠地とする某総理大臣経験者が以前この夜行廃止に難色を示したなどと流布されているが、

もし真であれば、列車廃止は政権交代の落とし子となるのか。

 

そんな廃止列車に乗っておかねばという葬式厨で寝台券はほぼ毎日完売だそうである。

その心境はよくわかるし、わだらんも野洲を通る出雲やはやぶさはわざわざ廃止前に乗りにいったわけで、葬式厨を笑える立場ではない。

とはいえ、もちろんわだらんも含めてであるが、なくなる前にあわてて乗るのなら、いつもから乗っておけ、とぼそぼそつぶやいてみる。

しかしかわいそうなのは、そんな入手困難な寝台券を持って駅に行って、大雪による列車運休の知らせを聞いた人々であろう。

一般の移動者なら翌朝の新幹線でも、あるいは夜行バスでも、と代替手段はあろうけれども、列車に乗ることを目的とする人間は

列車が運休してしまってはどうしようもない。まさにご愁傷様である。

天候にはヲタも勝てない、仕方ない話ではある。

 

もう7年も前、わだらんが好きな車の一つである新幹線100系の二階建てグリーン車が引退する日が迫っていた時の話である。

大枚叩いて、京都名古屋のグリーン券を買った。

とはいっても正規価格ではなく、ぷらっとこだまの安いきっぷなので、あまり大きな口を叩けるわけでもないのだが、

とにかく一般的には野洲の人間がわざわざ買うようなきっぷではないものである。

でも二階建てがなくなる前にもう一度乗っておかねばと思ったのだ。

二階建てグリーン車には何度となく乗ったことがあった。

というか、乗らなければならないという何か目に見えない糸を引かれていたようで、大阪東京の移動に訳もなく二階建てグリーン車に乗っていた時期もあった。

そんな大好きな車両がなくなるのは極めて残念であったのだ。

しかし問題は、そのこだまグリーン車、いやこだま編成自体が既に300系置き換えが進んでいて、東海道区間100系末期の頃は予告なしに編成置き換えが進んでいたのである。

わだらんもぷらっとこだまグリーンのきっぷを握りしめて、京都駅で当時の404Aの列車表示をじっと見守っていた。

もしJ表示、300系ならきっぷの払い戻しをしなければならなかったからだ。

でも幸い確保した列車は無事にG編成であったし、京都名古屋間は8号車にわだらん以外に乗客がなく、十二分に二階建てグリーン車を堪能できたのである。

いまの葬式厨ではまず得ることの出来ない廃止前車両の貸切、おそらくわだらんの人生でもうこの先こんなことはないだろうと思う。

 

ところで、二階建てグリーン車を含む100系G編成が引退して7年、今年は500系W編成の東海道区間引退である。

先の100系にしても、今回の500系にしても車両自体はまだ山陽区間で残るので、見ることができないわけではないのだが、堂々とした16両編成はもう見ることができなくなる。

500系も山陽区間で8両になってしまっては魅力半減である。

しかもこだま転用となると、グリーン車はなくなるのである。

そんなわけで、また京都名古屋間、短い距離ではあるが、なくなるグリーン車に乗っておこうと今度の20日土曜日の6A、のぞみ6号グリーン車のきっぷを買ってきた。

500系は改正日を待たず2月末で東海道区間から引退なのだが、予想に反してグリーン席は空いているようだ。

あっさり窓側D席確保である。

500系には何度か乗っているが、グリーンは初めて、そして最後となる。

居住性があまりよくないとも言われる500系だが、実際どうなのだろうか、今から楽しみである。

まぁ新幹線なら大雪で運休ということはなかろう。

むしろせっかくなら野洲のあたりの雪景色を500系から見てみたい。

でもスプリンクラーが稼働していると視界が悪いし、やはり天気はよいに限るか。

 

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  電車が五里霧中では困るから

2/1

 

日曜深夜、周囲がすっかり寝静まった2時過ぎに外に出ると、やたらとひんやりして周囲がかすんで見える。

かなり濃い霧が出ているようで、街灯はぼんやりと光点中心が定まらない雰囲気。ちょっと幻想的で不思議な世界。

とはいうものの、濃い霧は鉄道にとってはあまりいいものでなく、信号が定められた位置で確認できなければ徐行しなければならない。

ちょっと朝が心配になった。

そして朝になった。家を出るときには霧はほぼ晴れていて、いつもの暗く静かな冬の夜明け前である。

問題にならなくてよかった、と思いながら駅まで歩いていく途中、711Mがやってきた。

運番412の221系8両編成なので711Mと確認できる。

およそ5分の遅れ。これならもうちょっと速く歩けば間にあったかな、とちょっと残念がる。やはり霧が出ていたのだろうか。

大事にはならなかったようでなによりである。

 

711Mのような普通電車より速度の速い新快速などのほうが、霧での徐行には大きく遅れを出す。

まだ普通電車なら少しは遅れの発生も少ないし、夜明け前のほうが、夜が明けてからよりまだ霧の影響は少ないようだ。

とはいえ、5分程度の遅れは駅に行ってみないとわからないのだから、残念がってみても仕方ないが、でも例えば駅の発車案内標を

ネットで中継してくれればうれしいなぁと思う。

コミュニティバスやLRTなどで、経路上のどの地点にバスや電車がいるかを案内してくれるサービスは

いくつかの路線や自治体で行っているのだが、いわゆる鉄道、欧州でいうヘビーレールではなかなかそういうわけには行かない。

一般の利用者には列車番号などぴんとこないだろうし、列車の位置を見てもそれが定刻なのか遅れているのか判断は難しいだろうと思われる。

でも、もし列車の在線画面を普通にパソコン上で見ることができれば、慣れた人間にはへたな運行状況の画面よりずっと正確でわかりやすい情報が得られると思うのだが。

まぁいわばヲタ的要求は別にしても、最近は少なくとも野洲駅では列車が遅れて走っている場合に、今どこあたりを走っているかを報告してくれるようになった。

確かに電車がどこにいるかがわかれば遅れていたとしてもあとどれくらいで電車がやってくるか一般の利用者でも十分理解できる。

○分遅れと表示している発車案内標よりやはりよほど親切に思える。

 

さて、711Mが野洲を出てまだ間もないのだが、713Mの出発が青になった。

草津に着くと、やたら草津線ホームがにぎやかである。ずいぶん人もいる。

どうやら下り草津行きの一番電車が遅れているようで、713Mの開いたドアから石部手原間を走行どうのこうのと聞こえてくる。

草津線内も霧が出ているのであろう。

寒い中電車を待つみなさんはたいへんだと思いつつ、朝早くの草津線、上り二番電車にこんなに乗客がいたのかな、とホームに並ぶ

人の列にちょっとびっくり。霧が相手では待つしかなかろうか。

 

そんな霧も山に上がれば雲海になるのだろうか。

先日話を伺った草津市在住のプロカメラマンの方は時折金勝山などの山や丘へ登っての俯瞰撮影をされているそうである。

一度霧の出た朝にそんな高いところに登ってみたいのだが、その前にまず早起きせねばならぬ。

なまぐさなわだらんではやはり無理か。

いや、雲海では風景写真にはなっても鉄道写真にはならないか。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください