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10年  3月

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820.  3/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  春は名のみの 風の寒さや

819.  3/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  養老鉄道や伊賀鉄道はローカル線だなぁ、きっと

818.  3/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  自動車も発電する最近の世の中

817.  3/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ワイド周遊券で特急自由席に乗ることが旅の醍醐味であった頃

816.  3/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  パズルのように切ったりくっつけたり

815.  3/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  区間や時間帯で自ら車両が伸び縮みするという誇大妄想

814.  3/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  早めの帰宅、早めの終了で消灯早めて環境保護?

813.  3/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  最後の出発、最後の到着

812.  3/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  便利とか新しさの基準をどこに置くか

811.  3/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  来た列車がどういう素性か気にするからヲタ

810.  3/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  扉を増やすことが一般車格下げの象徴

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  春は名のみの 風の寒さや

3/29

 

一部で桜が咲き出した。

野洲大阪間にも桜を車窓からめでることのできるところがいたるところにあって、なんともうれしい。

ほんのり赤い、あるいは白に近い桜の花の色は見ていて気持ちが華やぐ。

花見は今となっては酒を飲む口実であるが、でもやはり桜を見るのがまずは目的で、結果として飲めや歌えやの雰囲気になるのだろう。

そんな魅力たっぷりの桜の花、例えば新大阪東淀川間とか、摂津富田高槻間とか、島本山崎間とか、本当にたくさんの桜をみることができる。

 

月曜日で適度に仕事も上がったので、張り切って明るい時間に帰ろうと3498M、大阪17:45の新快速に乗る。

途中先行C電遅れでちょっと手間取ったが、まずまず京都までちらほら咲き出した桜を見ながらの帰宅になった。

これからしばらく楽しめる、とうれしくなるものだ。

どうせなら極端に気温が高くない日が続けば長持ちするなぁ、などと勝手に願ったりする。

もちろん花見、特に夜桜には寒いと困るものだが。

 

ところが、である。そんな華やいだ気分は一転して不思議な世界。

草津までは気がつかなかったのだが、守山で開いたドアの外を見ると雪が降っている。

しかも結構まともに降っていて、いわゆる舞っている状態ではない。

野洲について駅に降りてみると、しっかり雪が降っていて、外に停まっている自動車は白くなっている。

3月末に雪が降るのは珍しいことではないが、路面や車がさらっと白くなるのはあまり記憶にない。

しかも桜が咲き出したのに、と思う。

野洲の近辺ではまだ桜がほとんど咲いていないのだが、少なくとも守山の川田大橋たもとの桜はかなり開いていたのを日曜日に見ている。

雪が降って花はどうなったのだろうか。

 

もうすぐ3月も終わる。

野洲駅の長時間停車の際の半自動扱いも終わる。

確かに3月に入って暖かかった日も多く、半自動扱いといってもほとんどのドアが開いたままの列車も多かったのだが、今日は乗降が終わると一斉に扉が閉まる。

基本的にはカレンダーで決められたドア扱い、もし4月に雪が降ったら半自動扱いにできるような判断と指示ができる柔軟性があればいいのだが、なかなかうまくはいかないだろうな。

まぁ暖かくなればそれでいいのだろうし、雪が降るよりは桜が開く気候がいいわな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  養老鉄道や伊賀鉄道はローカル線だなぁ、きっと

3/27

 

金曜日のことである。

家に帰るとちょうど某公共放送が「クイズでGO、ローカル線の旅」なる番組をやっていて結局途中からではあるが最後まで見てしまった。

某公共放送局は地方で撮影した番組がなかなか面白く、楽しませてくれる。

民間放送のようにどうしても東京偏重ということがないのがなんとなくうれしい。

地元の人間はほとんど出演料などいらないのだろうし、名産品は格好のPRとみなこぞってやってくるだろうし。

結構安上がりに番組が作れるのではないかな、と思う。

でもそれらの素材を上手に引き出すのも知恵なのだろうし、結構このローカル線クイズも面白い、と気に入っている。

鉄ヲタとして見れば鉄ネタがほとんどないのだが、それでも無理な設定ややらせと思われるものもなく(事前準備とやらせの境目は難しいけれども)、

ちゃんと利用列車もその日の順番通りで、きちんと時間を追って見ることができる。

たまに他局ではいかにも別の日とか時間が前後しているような旅番組を見かけたりするが、そうなると興ざめである。

ちゃんと日程、旅程通りに番組が進行しなければわだらん的には許されないのである。

 

しかし、きのくに線がローカル線なのかどうか、とまず考えなければならない。

白浜以南であっても特急が1〜2時間おきに走るし、普通電車もまぁ2時間おきにはやってくる。

もっとも2時間も待たなければ次の電車がこないなら充分ローカル線なのかもしれない。

そもそもローカル線の定義とは極めて曖昧で恣意的なものだろうと思う。

例えば廃止された名鉄揖斐線でも最後に残っていた忠節黒野間などは周囲に民家も多く、電車も15分おきの高頻度運転ではあったが、でもローカル線と括られても不思議でなかった。

北陸線でも例えば芦原温泉〜大聖寺など普通電車が1時間おきという区間は多いのだが、でも北陸線をローカル線とは言わない。

おそらくはまず単線で、列車が各駅停車しかなく、編成が短い、あまり列車が速くないというあたりの条件が揃ってローカル線なのだろうと思う。

そう考えるときのくに線は普通電車でも4両が多いし、特急は6両以上なのだから、ローカル線と呼ぶのにふさわしいかどうか考えてしまうのだ。

もちろん沿線風景だけなら確かにローカル線なのだが。

 

道路網の整備で自家用車の移動は最近とみに早くなった。

例えば草津線は比較的線路条件がよく、電車は単線を各駅に停車しながらもそこそこ速い。

平行する国道1号の混雑が終日激しく、鉄道が所要時間で優位に立てていたところだ。

ところが新名神ができ国道1号の通過交通が減った上に、栗東水口道路の工事が進んで、野洲川左岸の旧国道はずいぶん空いてしまった。

もちろん通勤時間帯は混雑が激しく、すぐに草津線の乗客が減るとは思えないが、でもこの先乗客が増えるようにも思えない。

沿線人口も大きく増えることはないだろうし、現状維持が精一杯だろうか、逆に現状維持できるかどうかを心配するべきだろうか。

草津線は都会の人間から見るとやっぱりローカル線なのだろうか。

そう考えると近江鉄道はもっとローカル線か。

でもわだらん的にはまだ草津線も近江鉄道も都市近郊線に見えるのだが。

やっぱりローカル線は気動車でないと雰囲気がでない、とわだらんの身勝手な思い込み。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  自動車も発電する最近の世の中

3/24

 

蒸気機関車は一般的に遠隔操作が効かない。

なので、動かすために蒸気をシリンダーに送る加減弁などは運転室から機関士が操作をするのだが、二台を連結する重連運転の場合、機関車ごとに機関士(と機関助手)がいる。

その点電気機関車やディーゼル機関車は遠隔操作ができるので、重連の場合でも機関士は一人(総括運転という)ですむ。

機関士の削減は当時の労働紛争の争点だったのだが、ひょっとして電気機関車が総括運転できなければ、蒸気機関車が当時の合理化の攻撃目標にならなかったのか、どうなのだろう。

ちなみに電車は総括制御が当たり前なのだが、これも電車が走り出したときは単車、一両のみの運転だったので、のちに電車が連結して走るようになってからの技術である。

湘南電車が荷物車を含めて16両編成で運転するようになったときは、機関車牽引でない長編成列車とずいぶん騒がれたそうだ。

もっとも総括制御が一般的になるのは戦後の成長期であって、それ以前は各車両ごとに機関士や運転士が乗っている例も多かったそうだ。

今はなき江若鉄道の機械式気動車はクラッチを運転士が操作するのだが、これの総括制御ができないので、気動車の連結運転でまるで蒸気機関車のごとく汽笛で合図して変速していたそうだ。

のどかといえばのどかであるが、確かにこれでは非効率と思われても仕方がない。

まぁ見ているだけなら楽しいかもしれないが。

 

そんな総括制御のできる現在の電車、一般的にマスコンと呼ばれるスイッチを動かして電車を発進させたり変速したりする。

昔の低速電車では直接マスコン内でモーターにかける電圧を切り換えていたものもあったが、今の電車はマスコンで制御器を操作し、その制御器がモーターにかかる電圧を調整して電車の速度を変えている。

おおざっぱな構造は湘南電車のできた時代、戦後の電車発展期から変わっているものではないが、今の電車は機械的にスイッチを入り切りせずに半導体でスイッチングしているし、

機構自体がブラックボックスみないになってしまって、動きが見えなかったりする。

もちろん機械的な接点や回転軸などがなければその分メンテナンスは簡単になるので、保守の効率化には貢献しているのだろうけれども。

 

そんなことを考えたのは、今日のある新聞記事に「アクセルきかず普通電車が運休 JR姫路駅」という見出しが踊っていたからである。

神戸新聞の記事をそのまま転載させていただくと、

「24日午前5時10分ごろ、姫路市駅前町のJR姫路駅構内で、出発前の姫路発岡山行き普通電車(3両編成)の点検をしていた運転士から、

「アクセルを踏んでも起動しない」などと、新大阪総合指令所に連絡があった。JR西日本は同電車を運休、原因を調べている。後続への影響はなかった。」

とのことである。

故障したのは岡山の115系3両編成と読めるのだが、しかしアクセルとは恐れ入る。

もちろんヲタ的に言えば「マスコンを入れても電車が動かない」ということである。

新聞記事からは主制御器が故障したのか、あるいはその他の機器が壊れたのかはわからないが、でもアクセルを踏むというのは面白い表現である。

一般的にはこの言い回しの方がはるかにわかりやすいのだろうけれども。

115系のような昔からの電車は、主制御器で電圧を調整し、不要な電力は熱にして大気中に放出していた。

今の電車は必要な分だけ架線から電気をもらい、かつブレーキ時には電力を発生させて架線に戻すこともする。

当然省エネになるわけで、電車も新しい車の方が環境に優しいということになる。

 

結局雨が一日中降った夜、いつものように223系のお世話になって帰宅する。

雨で踏面が濡れているのだろう、床下から聞こえるモーターやインバーターの変調音はいかにも滑っています、と唸っている。

滑った状態だとモーターの回転数が上がる分、減速時の発電量は増えるのかな?いや、空転だから発電にならないのかな?

とわだらん自身がわかっているようなわかっていないようなくだらない愚問で頭が回っている。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ワイド周遊券で特急自由席に乗ることが旅の醍醐味であった頃

3/22

 

わだらんにとっての特急型車両は485系電車である。

別に回顧主義でも国鉄型信仰でもなく、わだらんにとってもっともなじみがあるのが485系ということなのだ。

ちょうど自分で旅行を始められるようになった頃は既に東北も北陸も九州も485系の天下であった。

ワイド周遊券で特急自由席が特急券なしで乗車できるようになると、より乗車する回数が増えた。

九州では旅行中の宿泊が夜行列車なることが多く、わざわざ鹿児島近くまで上り急行かいもんを迎えに特急に乗ることも珍しくなかった。

決して特別豪華とは言えない車両なのだろうけれども、わだらんにとっては贅沢な乗車のひとときであった。

485系に揺られていると旅行している気分になったものだ。

 

そんな485系がいよいよ終焉が近くなってきた。

東北と九州の485系は近日の新幹線延長開業による在来線特急整理で終わりになる気配、新潟の車両を使う特急北越も北陸新幹線金沢開業まで持つかどうか。

485系崩れの福知山区183系にしてもそろそろ先が見えてきた。

485系自体をどうこういうより、485系を使った特急がなくなっていくことが寂しいように思う。

もっとも485系特急が速度や経年などいまの特急車より劣ることは間違いなく、逆にいつまでも485系特急を残すほうが問題なのだろうけれども。

そんなわけで、北陸線も485系特急がわずか1往復になってしまった。

この雷鳥にしてもやはりまわりの681/683系からすれば今となっては見劣りするのだが、でもわだらん的には485系は北陸の主であるし、

そもそも先代481系は北陸線からスタートしたのであって、北陸線から485系がいなくなるのはどうも想像がつかないのである。

ただ今年3月改正で6両編成が基本となってしまって、往年の元気さが既にないのも事実。

もともと12両編成で次々走っていた時代のことを思うと、いまの6両はやはり末期であろうかと思う。

来年あたり、雷鳥が引退するときにはまたヲタが暴れるバカ騒ぎになるのだろうか。

何も最後だからと騒ぐ必要もないのだろうに、と。

 

ところで、485系のクハ、クハ481型のボンネットは大宮の鉄道博物館にいるし、吹田の操車場跡地にできる公園にも保存されると聞いている。

でも現存の485系の主力、クハ481の300番台は果たしてどこかに保存されるのだろうか。

ボンネットは確かに印象強く、また昔の少年の憧れでもあったから、鉄道博物館にいて当然なのだが、

でも485系が全国を駆け抜けるための増備の過程で、ボンネットより非貫通型(300、1000、1500番台)のほうが結果的に車両数はずっと多いのである。

わだらん的には貫通200番台も含めた非ボンネットのほうがよほど印象に強いのだが、同調してくれる方はいるだろうか。

願わくばいまの非貫通型のクハがどこかに保存されてほしいものだと思っている。

パノラマグリーン車ももちろん雷鳥の名物だが、でもどうも邪道に見えるのはやはりわだらんが回顧主義だからか、いや単になじみがあるかどうかだけだろうと思う。

実は485系にそこそこ何回も乗っていて、かつ雷鳥にもそれなりに乗っているわだらんはパノラマクロにはまだ乗ったことがないのだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  パズルのように切ったりくっつけたり

3/20

 

いつの間にかラッシュ時にやってくる6両編成のT電を地雷とヲタに揶揄されるようになっている。

特に夕方以降、上り京都からの琵琶湖線内ではもともと普通電車の需要が多い上にやってくるのが6両では毎日大騒ぎである。

さらに悪いことに何かでダイヤの乱れが起きているときに、間隔が開いてやってくるのがこの6連T電であることが多い。

もちろん人間悪いことをよく覚えているので、どうしても6連T電が運転再開後や間隔が開いたのちにやってきたという印象が強いのだが、

実際6連で客扱いに時間がかかり、遅れを増長して結果的に前の列車から間隔が開くということは容易に理解できるのである。

特に地雷の象徴であったのが、大阪17:38の804Tである。

ちなみに京都は18:22発と、勤め帰りのおじさんに学生や買い物のおばさんも加わって、車内は騒々しいことこの上ない。

晴れの日でも容易に遅れる琵琶湖線内、雨というだけで遅れが出る。

もちろん運転が下手なわけでなく、車掌のドア閉めが遅いわけでなく、とにかく遅れるのである。

 

そんな804Tがこの改正で10両編成になった。

従来の6両に加えて4両を足した4+6編成である。

その効果たるやてきめんで、今週2回乗ってみたのだが、いずれも定時、しかも編成前部後部はかなり落ち着いた余裕の車内。

4両増えるとこうも違うものか改めてびっくりする。

ちなみに車内がかなり混んだ状態で、吊革にみんながつかまりかつドア付近に人がたまった状態を1両150人と計算すると、6両で900人。

これが10両になれば1両90人なので、座席が埋めると吊革は半分程度になる。

感覚的にも余裕だが、ざっくりした計算でも余裕があるのがよくわかる。

車内が落ち着き、遅れも出ない、実にありがたい話である。

 

ところで改正前、804Tの前、802TからのT電各列車の編成を見ると、8・6・12・12・10・12となっていた。

これが今回の改正で、8・10・12・12・8・10となった。

米原へ向かう全体の車両数は変わりなく、810Tと812Tの2本を2両減車して804Tに付けた形である。

いわば編成を均等化したわけで、車両運用を見直して上手に混雑緩和を計っている。

ちなみに減車された810Tと812Tはちょうどこの時間に大阪始発の新快速もあり、もともと比較的空いた電車だったので、編成が短くなっても何も影響はないようだ。

やってみれば単純な話、車両運用をちょっといじるだけのことなので、もっと前にやっていればよかったのだろうか、とまた仮定の話を思う。

運用ヲタからすれば、6両も12両もと編成両数に変化があるのは面白いのだが、一般客からすればあまり編成両数がかわるのはよろしくないかもしれない。

でも例えば10両に揃えたらまた口の悪いヲタが「長い」とか「無駄」とか言うだろうし、逆に8両なら「もっと長く」とか言うだろう。

所詮適正な編成両数などというもの、時間と区間で変わるのだから、最適解などないのだろう。

でも運用数や編成数が実は単純な和や積の組み合わせで、分解すると結構面白いものだ。

だから運用ヲタはやめられないわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  区間や時間帯で自ら車両が伸び縮みするという誇大妄想

3/17

 

昔わだらんが小さい頃の知識のよりどころであった各種図鑑には電車化・気動車化、いわゆる動力分散化のメリットの一つに「分割併合が簡単にできる」と謳われていた。

確かに客車列車では編成の併合にはずいぶん時間がかかる。

かつて鳥栖で鹿児島線と長崎線の寝台特急を併合するのに最低10分はかかっていたし、機回し線ももう一線要るので、信号設備も必要になる。

その点電車や気動車なら列車の併合は簡単で、誘導信号があれば本線上でも他の線路必要なしに簡単にできる。

編成が伸びたり縮んだりするのはヲタでなくても見ていて面白いものだろうと思う。

 

かつては多層建てといって、二分割はおろか、分割された列車がまた他の列車と併合されるなど複雑なものが珍しくなかった。

亀山では急行列車が名古屋京都に伊勢方面でそれぞれ切ったりくっついたりしていたし、山陰線特急まつかぜは長い13両で大阪を出て、

後ろ6両は鳥取からまた大阪へ戻ってくる別列車に仕立てられていたり、と時刻表を眺めては車両の行き来を楽しんでいたものだ。

しかしそんな複雑な列車は遅れや運転見合わせが起きたりするとやっかい以外の何者でもない。

列車の運転は単純であればあるほど異常時には復帰しやすく、あるいは運休もしやすい。

つまり分割併合は列車運転上のネックになりうるのである。

わだらんは詳しくないのだが、東北新幹線では秋田や山形からの編成が遅れた場合、あるいは八戸からの本編成が遅れた場合も同じなのかもしれないが、

遅れ時分に応じて、単独ででも列車を走らすか、待たせるのかの基準があるそうだ。

自分の乗っている列車が併結相手の都合で遅れてしまうのは特に一般人には面白くないだろうと思う。

一般乗客からすれば一つの列車が複数の行き先を持つのは単なる鉄道側の理由であって、乗客が望むわけではないのだから。

最近はそんなこともあってか、複数の行き先を持つ列車はずいぶん減ってしまった。

この先フリーゲージトレインが実用化されたとき、岡山での新幹線列車の分割はありうるのだろうか。

 

この春の改正で京田辺での分割併合をやめ、木津まで7両編成そのまま運転するようになった。

かつて気動車が1両で2時間おきにしか走っていなかったところで、今でも7両ではがらがらというか空気輸送なのだが、

それでも分割併合の手間と異常時対応からすれば7両そのまま直通させた方が有利、と判断したのだろう。

確かに7両で木津まで入っていれば、ダイヤ乱れの時でも安心して321系を木津行きに入れられる。

今までは207系を限定で入れなければならなかったので、ずいぶん運転整理は楽になるだろうと思う。

これで乱れの収束が少しでも早くなってくれればうれしいが。

 

とはいっても、長い編成が空気を運んでいる姿を見るのは好きではない。

今日も帰りの新快速車内から山崎付近で併走する車内に人がまばらな阪急の普通電車を眺めていたが、どう見ても7両や8両編成は過剰。

でもこれが梅田の時点ではまた違うだろうし、運転台にはコストもかかる。

阪急のような短い区間では切ったり付けたりがかえって非効率なのだろうか。

でもやっぱりあまりに空いた電車を見るのはいい気分になれないね。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  早めの帰宅、早めの終了で消灯早めて環境保護?

3/15

 

上野や金沢が夜行列車の廃止で馬鹿騒ぎになっているのをテレビなどで見ていると少々複雑になる。

わだらんも時折葬式厨といわれる部類に入ることもあるのだが、でもなくなる列車に向かって「ありがとう」とか「忘れないぞ」などと声を張り上げるつもりはないし、

ましてやそんな馬鹿騒ぎに参加するつもりもない。

だいたい「ありがとう」などという輩がはたしてどれだけその列車を利用したのか、どれだけ愛着があるのかよくわからない。

吉野屋コピペ風に言えば、「おまえら、ただありがとうと言いたいのとちゃうのか、と小一時間問いつめたい」話である。

もちろんわだらん自身、廃止される列車や引退する車両に惜しむ気持ちがあふれる場合も多い。

九州寝台がなくなるのは利用した立場からも、あるいは眺める立場からも寂しい限りだし、100系新幹線(16両編成)の引退は寂しいというより悲しい話であった。

時代の流れで車両は引退し列車は廃止され、それはヲタ一人の力ではどうしようもないのであるが。

 

そんなわだらんは13日、0時を回った深夜の野洲駅で電車を見ていた。

お目当てはもちろんこの日最後となる922Mである。

野洲着1:30の最終電車はこの日で最後。

鉄道側の理由であっさり切られるのはむなしいもので、しかも決してがらがらでない電車なので、より一層残念なのだ。

尼崎事故以来、後ろ向きの姿勢も多いのは仕方ない部分もあろうけれども、利用者の立場を考えたと言えない改正は残念に思うのだ。

確かに1:30着といのは全国的にはずいぶん遅い部類で、その時間まで電車が必要かどうか、電車が走るのがいいことなのかどうかわからない。

でも遅い時間の終電故に野洲の存在も時刻表ヲタには有名であったのだ。

翌日からは1:07とそう目立つ時間ではなくなる。

大阪0時ちょうどでまだ野洲まで帰れるだけましと思えばそれまでだが、でもかつて0:25最終を自慢していた身からすれば寂しいものだ。

 

到着前、ホームはがらんとして車内点検のメンテック作業員の方一人のみ。

既に下りホームは電気も消えてひっそりしている。

やがて922Mが定刻でやってきた。

わだらん以外に出迎えるヲタもおらず、ひっそりとした到着である。

しかし922M車内は金曜日晩ということもあってか、野洲に着いてもまだ盛況であった。

ざっと100人は乗っていただろうか、ドアが開くと同時にさっさと階段を上がる客もいれば、

とりあえずホームには出たものの階段を登ろうとしないもの、車内で寝たままのもの、みなそれぞれである。

どうしても酔い客が多く、まずは寝込んだ客を車内から追い出すのに一苦労。

さらにホームから上げ、改札を通し、構外に出しと乗客一人一人に時間がかかる。

3月と12月この季節に特有の恒例行事だが、みなさんよくここまで酔えるものだ、と感心する。

定刻より少し遅れて922Mは引き上げていき、ホームは再び静かになった。

改札外では数人が理解できない言葉を発してうろうろしているが、みなさん無事に自宅へ帰ることができただろうか。

 

しかしこれだけ客がいる電車、もちろん曜日や季節の変動が大きいのだが、やはり廃止となるのは残念だ。

きっと特急北陸・急行能登の往復4列車の乗客数より922M京都発の乗客数の方がはるかに多いように思えるのだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  最後の出発、最後の到着

3/11

 

昨日のニュースで、3月10日は新幹線博多開業の日と伝えていた。

そういえばもう35年も前の話になる。

そう考えると今の若い世代が特急しおじなど知らなくて当たり前なのだ。

わだらんとしては最初に自分の目で見た特急つばめは名古屋熊本間の581系なのだが、そんな列車を知っている人間はおっさん世代だろうなぁ。

このところダイヤ改正というとどうも後ろ向きの話が多いように思うわだらんであるが、例えばこの新幹線博多開業の時など、当日の雰囲気はどんなものだったのだろうか。

一番列車は物好きで満員御礼だっただろうし、各新幹線駅はどこも祝賀ムードで大騒ぎだったのだろうと思う。

でも当時も新幹線開業で廃止される列車、例えば特急しおじやつばめのような列車に葬式厨がいたのだろうか。

確かにSLブームで廃止される蒸気機関車に人が群がっていたのだが、廃止される列車に今のように人が群がっていたのだろうか。

もっともまだこの頃の廃止される列車はどちらかというと転身であって、今のように撤退型でないのだから、あまり意味がないのかもしれない。

新幹線博多開業で昼間の特急は山陽線から姿を消したが、181系は上信越線へ、485系は九州へと流れ、廃車になった車はない(はず)。

あるいは夜行急行はざっくり削減されたが、でも10系寝台車も43系客車もまだまだあちこちで見られたので、

列車の廃止はあっても車両自体はそんなに騒がれるものでなかったのかもしれない。

 

明日のダイヤ改正前日で特急北陸と急行能登が消える。

今や珍しくなった寝台特急にもう見られなくなるボンネット型と騒ぐのに十分なネタではあるが、

どうせ上野駅で騒ぐ連中の半分以上は野次馬的、みんなが行くから俺も行くみたいな感覚ではないかと思う。

少なくともわだらんは北陸も能登も乗ったことがなく、確かに列車が廃止されるのは寂しいが、でもどうしても最終列車を見に行かねばならないような思いはない。

本当に列車をよく利用した人は、廃止を残念に思う人は馬鹿騒ぎなどに参加しないのだろうな、と思う。

 

大阪駅で関西地区の改正時刻表冊子版を入手してきた。

今回の改正は関西地区、アーバン線区で言うと、嵯峨野線の複線増発という目玉はあるものの、全体に縮小傾向の寂しい改正のように思う。

ダイヤは時代を反映するものであるし、いつもバラ色とは限らない。

きっと明日の上野駅は報道ネタをいろいろと提供してくれるだろう。

でもわだらんはそんな騒ぎには目もくれず、この改正で姿を消すある列車の到着を某駅で静かに出迎えることにしよう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  便利とか新しさの基準をどこに置くか

3/8

 

ダイヤ改正を控えて、駅の売店や書店には3月改正の時刻表がより目立つ位置に並んでいる。

正直わだらんとしてはここ数年のダイヤ改正はあまりうれしくなく、列車が無くなるとか所要時間が延びるとか、確かに事故の後遺症から抜けきれない

JR西日本の状況下でやむを得ない部分はあるのだろうけれども、ダイヤ改正の「わくわく」感が近年とみに少なくなってきたような気がする。

 

今は時代の流れが速いというが、鉄道の世界でいうと、朝鮮戦争あたりから石油ショックまであたりが一番時代の流れが早かったのではないかと思う。

初の長距離用電車80系が登場して8年後には特急電車が東京大阪間を走り、

東海道線の全線電化の8年後には東海道新幹線が開業し、さらに新幹線開業後8年で岡山まで新幹線は伸びている。

その頃に較べれば、例えば223系にしても新快速として登場して15年が経っているし、東西線が開通した頃のダイヤが

今でもほぼそのままパターン化され残っているし、時代の流れが速いのかどうかちょっと疑問に思えたりする。

むしろ今の方がもうこれ以上の大きな変化はないのではないか、などとも思うのだ。

今後新形式225系が新快速に充当されていくのだろうけれども、車内は大きな変化がなさそうだし、スピードアップもないだろうし、あまり「わくわく」するものでもないように思える。

だからと言って「わくわく」するようなダイヤ改正とか新車とかが具体的にどういうものかも思いつくものでなく、ある意味今の姿が完成形なのかな、とも思う。

もちろん日中の京都草津間の増発とか、草津線の部分複線化・増発とかと夢や希望はあるものの、でもわだらんが子どもの頃に見ていた

続々と入る新車とか時間短縮や増発が踊るダイヤ改正など、これから先難しいのかもしれない。

どんな世の中になっていくのだろうか。

 

この時期帰宅の新快速の中に黒の真新しいスーツを着た若いおねえさんをよく見かける。

先日偶然隣に座ったおねえさんが座るやいなやノートを開き、あれこれ書き込んでいる。こっそり盗み見すると、いわゆる就活中であることがわかった。

面接を受けた様子などをいろいろ書き込んでいるのだが、予定表はあちこちへの訪問予定がいろいろとしっかり埋まっていて、これだけ続けば精神的にしんどいだろう、と余計な心配をしてしまう。

おまけに自宅が湖東の新快速通過駅ということもわかり、さらに同情してしまう。

大阪へ出ること自体はそんなに苦にならないだろうけれども、交通費はバカにならないと見える。

毎日大阪へ通うのは時間もそうだが、交通費も大変だ。

もちろん中には電車代を支給してくれるところもあるが、でもまずは自費で出向かなくてはならない。

鉄道会社側からすればおそらく正規運賃利用のありがたい客、きちんとダイヤ通りに運んであげなければなかろうに。

 

ところで、その日記の中に、「電車がなかったので面接受けられず」という言葉を見つけた。

2日の尼崎信号故障の話と思われるのだが、電車がこないのをじっと駅で待つのはさぞつらかったであろう。

彼女が電車の遅れで人生を棒に振るようなことがないように、と思う。

わだらんの日頃の通勤では多少の遅れは電車理由ならなんとかなるといわば流しているが、まだこれから社会に入ろうかという若い人たちにとってはさぞ電車の遅れも深刻なものなのだろう。

どんなに早く余裕時間を取っても何があるかわからない今日この頃では、開き直りも大切なのだろうと思うのだが、

それはわだらんがもうおじさんに一歩足を突っ込んでいるからこそ言えることなのだろうか。

そんな就職活動真っ盛りな人たちが社会に出てちょっと昔を振り向く余裕ができたとき、今の通勤事情とその時代の通勤事情に変化はあるだろうか。

広い意味でよりよい便利なダイヤ、便利な鉄道になっていることを願うものだ。

もちろんいざというときのダイヤの復旧が早く、かつダイヤ自身が乱れにくいようになっていればそれは凄い進歩なのだと思うが。

 

大阪18:15の新快速に乗って帰宅する。草津で待っているのは大垣行き。

この春の改正でもまだ大垣直通は残る。特別変わった車両でもなく、パターンダイヤの中に入ってしまっていては大垣行きでも米原行きでも変わらないように見える。

わだらんにしても、わざわざ大垣行きを選ぶのは行先でなくただ座りやすいという理由であったりする。

でも国鉄時代、大垣以東と米原以西、関ヶ原を越える列車が少なかった頃はこの直通がとてもありがたかったのだ。

といっても今の若い人間にはその便利さありがたさを理解してもらうのは難しかろう。便利さのレベルは時代とともに変わるものなのだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  来た列車がどういう素性か気にするからヲタ

3/4

 

鉄道は定められた時間、ダイヤ通りに列車を走らすのが基本である。

ダイヤが乱れたときは事故も起こりやすく、またもちろん乗客にとっては迷惑千万な話であって、乱れたダイヤはできるだけ早く戻さなければならない。

これを運転整理と呼ぶ。

湖西線の新快速敦賀往復の列車は近江今津で列車番号を変えてあり、乗務員も交代する。つまり通常は車両こそ直通するものの、ダイヤ上は別個の列車になっているのだ。

湖西線が強風で運転見合わせになったり、湖北が大雪で列車に乱れが出たりしたときなどは新快速を今津で打ち切り、別の列車を今津敦賀間で仕立てることもある。

敦賀にいる昼寝中の車両を用意すれば、乗務員はこの区間で完結しているので、すぐに列車を区間運転することができる。

本来列車の打ち切りとか立て替えなどないに越したことはないのだが、でもいざというときのために、ダイヤの乱れを最小限に収められるよう、いろいろな工夫がされている。

 

さて、新快速にはもう入ることがなくなったいわば格下げ状態の221系ではあるが、それでもまだまだ元気に走っている。

223系は221系の反省からかラッシュ時重視で座席数を減らしていて、ドア付近を広いので、実際223系のほうが詰め込みが効く。

ドア間5列は座席数が少ないデメリットも大きいが、やはり詰め込みが効くのは混んだ時間帯のことを考えると使いやすい。

そんなわけで、221系は今はラッシュのピークからはずされていて、大阪駅朝7:30以降の快速電車は223系で統一されているのだ。

223系ばかりなので、快速といえども外側線を時速130kmで走り、新快速と平行ダイヤになっている。

逆にそれ以前、ピーク前は221系が続々と入ってくる。

大阪着7:21の711Mと7:27の713Mはともに221系8両である。

この2列車、列車が続いてくればなおのこと、一般の乗客には711Mと713M個別の列車区別は付かないだろう。

だいたいそんな列車個別のことを考えるのはヲタしかいないのだ。

 

水曜日の朝の話である。いつものように野洲駅で電車に乗ろうとすると、米原からやってくる野洲6:07発の711Mは約10分遅れていて、野洲始発の713Mが6:14定刻に先に発車する、という。

わだらんとしてはいつも乗っている713Mが6:14に発車するのは当たり前で何も問題ないのだが、

あとの列車が先に出て、そのあとに同じような列車が続けてやってくるのはでもちょっと不自然にも思える。

それなら、どうせ編成も同じ、姫路の折り返しも余裕があるのだから、野洲で711Mに713Mの車両と乗務員を使って、

遅れている711Mを野洲から713Mで出せばよかったのではないか、と思うのだ。

このような運転整理はしばしば大阪18:45発の新快速3510Mで使う手で、3510Mが遅れているときに18:52大阪始発の3512Mを大阪から18:45の3510Mで運転し、3510Mは大阪で3512Mに化けるものだ。

大阪をまたいで乗る客も別に乗り換えを強要されるわけではないし、大阪以東の客から見れば列車が大阪始発なのか播州赤穂からなのかはあまり関係がない。

まぁあえて言えば尼崎以西から客が篠原以遠に行く場合に15分遅くなる、

野洲に着いても810Tは既に出ている、というデメリットはあるが。

この朝の場合でも711Mが713Mのあとに来るというのはあくまで列車運行上の話であって、駅で待つ乗客からすれば時間通り列車が来れば713Mでも711Mでもどちらでもいいはずなのだ。

結局713Mは711Mを待っていた客まで拾って客扱いに手間取り大阪5分延であった。

野洲でちょっと列車を差し替えれば713Mが2本分の客を拾うようなことはなかったのに、列車が遅れることもなかろうに、と残念に思う。

 

が、この日は尼崎のレール破損でさらにダイヤは大騒ぎになったようだ。

でもわだらんは7:30過ぎに大阪駅に着いたが、上りの異変に気がついていない。

まぁそれでよかったのだろうけれども。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  扉を増やすことが一般車格下げの象徴

3/1

 

阪急電鉄の6300系が京都本線での最後の運転を終えたそうである。

わだらんももちろん何度となく乗った車両ではあるし、一時期の一世を風靡した名車であることには間違いないと思う。

ただ、あえてわだらん的な感想を言うと、6300系は十三大宮間無停車、あるいは少し譲って高槻市停車あたりまでが本領発揮であって、

茨木市や長岡天神に停まるにはちょっともの足らないというか、本来の姿では内容に思えて、ここ最近の姿はあまり好きな姿ではなかった。

もちろん茨木市や長岡天神が貧祖な駅という意味ではなく、せっかく扉を車端に寄せてできるだけ車内が落ち着くように考えられた車体なのに、

ちょくちょく停まる、停車駅間が短いようでは本来の目的である車内の落ち着きもなにもあったものでない、

むしろ車内奥まで人が入らない弊害ばかりが目に付いてしまうのだ。

せめて車体中央にもう一枚扉を付ければずいぶん変わったと思うのだが、聞くところでは車体強度が持たないらしい。

まぁ特急車を最初から格下げ前提で作る例はあまりないだろうし、そんなお粗末な特急車に乗るのもどうかと思う。

安っぽいと酷評された国鉄185系が今になってもなんとか特急車で居られるところを思うと、車両の将来などというもの、そう簡単に予測できるものではないようだ。

 

わだらんが津市内で小学生だったころ、近鉄名古屋線に2250系や6421系の急行が走っていた。

いずれも特急の格下げ車で、車体中央に扉を増設して一般車になっていたが、車内には転換クロスシートも残って、ちょっと優雅な気分だった。

というか、そのころの名古屋線急行は長距離列車の風格で、特定の車両しか入らなかったと記憶している。

一方二両編成だった6431系は車内をロングシートに改造されてずっと普通電車で走っていた。

窓配置が独特なので元特急車の面影こそあるものの、その特異な側面でありながらいつも各駅停車にしか入らない姿が小さい頃のわだらんの記憶に残っている。

しかし結局近鉄特急にしてもこの車を最後に特急車が扉を増設して格下げされることはなくなったし、

昔は格下げ車の多かった小田急にしても京阪にしても、扉を増設してまで格下げするようなことはない。

今は格下げ車は何かしら使いにくかったりするのだろう。

 

そんな中、扉を増設した格下げ車の代表格といえば、今は北陸の419系であろうか。

寝台車を改造した異様な風貌と車内は怪しい雰囲気いっぱいである。

国鉄の財政難の折、高価な交直流電車であることが幸いして格下げ車として今まで生き延びてきたのだが、

いよいよこれも来年には置き換えで姿を消す予定だそうで、来年にはまたヲタの大騒ぎがあるのだろうか。

今はバリアフリーなどといろいろ制約も多く、余計な改造をするくらいならあっさり車体を新製した方が安くつくという考え方もあるようだ。

少なくとも路線バスの世界では、昔なら当たり前にあった都市部中古車の地方移動や、貸切車の路線流用がほとんどなくなってしまった。

新車なら補助金がでるのだ。

鉄道車両の場合もこれから段差がなかったり、広い通路や洗面所を備えた電車が標準になるわけで、特急車の車体改造など手間のかかることはしないのだろうと思う。

東海の373系は車体中央部に不思議な窓配置がある。

将来ひょっとすると車体中央部に扉を増設するのだろうか。

車両の行く末はなかなか予想どおりとなることは少なかろう。

 

先に書いた近鉄の格下げ車は格下げ車とはいえ、とても品位のあるいい車という印象をわだらんは持っている。

もし阪急6300がもし扉を増設していればどんな雰囲気だっただろうか。

外見原型ながら4両に短くされた姿より、扉を増設した姿でも、8両揃っていれば、きっと凛々しく見えるようだ、と勝手に思いこんでいる。

そういえばまだ乗ったことのない大井川鉄道へ、近鉄6421系の最後の姿を早いうちに見に行かねば、と思っている今日この頃である。

 

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