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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
10年 4月
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832. 4/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 屋根より高いのは決まり文句だが、架線より高いかどうか
831. 4/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 風が吹けば桶屋が儲かり、乗客は困る
830. 4/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 落下のエネルギーを変換して伝える技術
829. 4/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 名物弁当は旅行者の記念品だろうか
828. 4/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 平行する輸送手段がないのは長所か短所か
827. 4/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 周囲の空いたドアへお回り下さい
826. 4/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 続 花見が一年中できれば鉄道維持ができるだろうか
825. 4/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 花見が一年中できれば鉄道維持ができるだろうか
824. 4/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 船からの桜の花見も楽しそうだが、船から列車は見えるだろうか
823. 4/7 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 桜をめでながら列車を見るか、列車を見るついでに花見をするか
822. 4/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 昔のままが悪いことではないはずだ
821. 4/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 立つ姿勢、立つ努力、立つ根性
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 屋根より高いのは決まり文句だが、架線より高いかどうか
4/30
野洲駅近くの水田に今年もまた大きな鯉のぼりが立った。
空高く風にそよぐ鯉のぼりは見ていて気持ちのいいものだ。
もちろん鯉のぼりは野洲だけでなく全国各地であたりまえにあるものなのだが、ちょうどこの時期朝の明けも早くなって、
いつもの野洲6:14発の713Mで外が充分楽しめる季節になっているのに加えて、野洲駅を出てすぐのところに立っているので、どうしても印象が深い。
この線路の真横の水田を利用して毎年れんげ祭りを地元自治会が水田所有者や農協(と今は呼ばないが)となどと組んで開催している。
今年もまたレンゲ祭りの準備が始まり、同時に鯉のぼりの足元は一面のレンゲの花で紫の絨毯になった。
大阪市内では広い水田も、またそこに泳ぐ大きな鯉のぼりがはためく光景はまず見ることができないだろうから、やはり田舎はいいものだ、とわだらんは一人悦に入っている。
ここの鯉のぼりは、朝からずっと行き交う列車を見ているわけで、この鯉に運用調査をさせれば完璧ではないか、などとくだらない妄想をしてみる。
異常であった春の寒さも通り過ぎたようで、水田も水温む頃になった。
もっとも最近は転作した田も多く、この時期に青々とした穂がなびく麦畑や、低い緑の株が一面に広がる芋畑など、田んぼの水入れに縁のないところもずいぶん増えてきた。
とはいっても、やはり農業の中心は米であるし、毎年5月の連休の頃にみな一斉に田植えをすることが多い。
野洲以南ではまとまった水田はずいぶん減ってしまったが、野洲を境にそれ以北、いや以東かにはまとまった水田が線路から眺められて、なんとも落ち着く。
どうもわだらんは田舎の景色の方が合うようで、都会の人の多さについていけないのだ。
もちろん、このところずっとパソコン画面とにらめっこしているので、せめて電車に乗っているときくらいは遠くまで見通しの効く広い景色を見たいという願望もあるが。
ところで、その鯉のぼり、先日琵琶湖線内で運転見合わせが出たほどの強風で少し飛ばされたらしく、ちょっと数が減っていた。
ところが今日見るとまた数が増えていて、以前に戻っている。
おそらく強風で飛ばされたのであろう、そもそも竿自体が傾くような強風であったようだ。
そんななか、何とか耐えた鯉のぼりを誉めてやらねばならないが、でもありがたいのはおそらく飛んでいったであろう鯉のぼりが架線にひっかからなかったことである。
そういえば昔々、たこ揚げは線路から離れたところで、というポスターが小学校に貼ってあったのを思い出した。
線路に近い鯉のぼりは車窓の楽しみであるが、でも架線に絡まることのないように願いたいと思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 風が吹けば桶屋が儲かり、乗客は困る
4/27
そろそろまた欧州に出かけたいと思いつつふと気がつくと6月末で10年パスポートの期限が切れる。
申請は平日しかできないし、他にも銀行やら市役所やらいくつか寄りたいところをこの際まとめて片づけてしまおう、と仕事場を半日で切り上げ、大阪駅12:45の新快速に乗って帰る。
遅れもなく、また前後のT電やC電を含めて大きな混雑もダイヤの乱れもなく、電車は順調に走っている。
出張客だろうか新大阪下車客のあとをもらってわだらんも座席確保、のんびりゆったりの帰宅になった。
明るい時間帯に電車に乗るのは毎日乗っている区間であっても楽しいものだ。
ところが今日は午前中琵琶湖線内は大荒れ、米原付近を中心に運転見合わせだったそうだ。
湖西線で風が強くて運転見合わせは珍しいことではないが、琵琶湖線内で、と聞くとちょっとびっくりする。
もっとも昨晩からわだらんの自宅周囲は強風がずっと吹いているので、運転見合わせの報に納得もするのであるが。
もともと琵琶湖を吹き抜ける風、広い湖東平野を抜ける風は時折きついものがある。
鈴鹿山脈を駆け下り、川に沿って琵琶湖方向へ一気に風が吹く。
湖西線の運転見合わせは比良の山を降りる風で、琵琶湖線の運転見合わせの場合は鈴鹿山脈を降りる風が起こすもの。
ただ、一般的には鈴鹿山脈を降りてもまだ線路まで少し距離があり、山からの距離があるおかげで列車の抑止回数を少なくさせている。
それでも抑止になるくらいなのだから、今日はさぞ鈴鹿の山ではきつい風になっていたのだろう。
新名神の鈴鹿トンネル東側などずいぶん高い橋で谷を一気に跨いでいるが、今日のような日には背の高い高架橋を走るのは恐くないかと思う。
幸いにもわだらんの乗った新快速3458Mは遅れを出すことなく野洲までやってくることができた。
ただ、下り線はなかなか影響深刻だったようで、石山での発車表示では3463Mが宝殿行きであったし、野洲に着いてみると、下りはみな遅れを持って下りてきている。
野洲では風が強いので仕方なく思えるが、大阪以西では単なる迷惑であろうかと思う。
列車の運転距離が長いほど、抑止の理由は多く発生するわけで、北は琵琶湖の端っこから瀬戸内までを一体化したダイヤは便利な反面、乱れも大きい二面性。
まぁどちらかといえば神戸線側の遅れをもらう方が多いよな、とわだらんは勝手に思っているが。
しかし考えてみると、風規制やら雪による視界不良徐行とかの空からやってくるものより、踏切直前横断とか、線路内立入とか、急病人とか、傘を挟んだとか、
あるいは架線にものが絡まったとか、地平で、しかも人間が起こす理由の方がはるかに多いわな。
世の中列車の運転を阻害するものはどうしてこれほどたくさんなのだろう。
幸いにもわだらんはこのところ大きな乱れに遭っていない。
ありがたい話だ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 落下のエネルギーを変換して伝える技術
4/23
スマートグリッドという言葉をご存じだろうか?
もともとはオバマ大統領が言いだした賢い次世代送電網のことだそうだ。
といってもわだらんは電気のことなど全くわからず、賢いが何なのか根本的に理解ができていないが、高圧電気に詳しいよく人間に聞くと、こんな説明をしてくれた。
つまり、今までの送電網というのは基本的に発電所から需要家への片方向、つまり流れ落ちるだけでよかった。
ところが、小さい発電、太陽光や風力などの発電箇所があちこちにできて、それが送電網に乗ると、電圧が一方的に落ちるものだけでなく、途中で上がることがおきる。
そこで常に送電の状態を監視して適切に流すための仕組みを作ること、またそれらの機器を開発・使用することなのだそうだ。
よく電気の流れは水の流れに例えられるが、ということは上水道の供給系統の途中に井戸とか別に水を供給する箇所があったりすると、
その前後で水圧が変わったり、水が逆流したりするであろうことはわだらんでも想像つく。
とは言っても、電気を使うばっかりで電圧がどうこうなどということを普段あまり考えることはない。
おそらく家庭に来る電気がそれだけ安定しているということの裏返しなのだろう。
確かに今の日本では諸外国のような大規模停電が起きることもなく、電灯が暗くなることもない。
というか電圧が安定しないとパソコンなど使えないのだから。
とはいえ、電車の世界では時折電圧に関わる話でもめ事が起きたりする。
変電所から遠くなると電圧降下が起こってしまい、昔上越線では結構問題になっていたそうだ。
日本の多くの電車は直流1500Vで走っているが、その2割、つまり1200Vを割ると鈍感な抵抗制御車でも出力低下などが起こるそうだ。
ましてや今のインバータ電車だとあまりに電圧が低いと起動できなかったりする。
変電所が近くにあっても電気喰い虫のEF200がフルノッチにしたら周囲の電車が動けなくなった(多少の誇張はあるように思うが)とか、
き電区界で電車を止めてしまって動けなくなったとか、おそらく一般の方なら何のことか全く理解できないような話、運転事故のたぐいのような話も結構転がっていたりする。
昨今経済界ではそのスマートグリッド関連銘柄などと騒いで、その送電技術や機器、あついは蓄電がいろいろ話題になっているが、
電車の世界の送電技術もこの先何か変わっていくのだろうか。
ちなみに日本での電車の始まりは蹴上に作られた水力発電所で起こされた電気を使う京都の市内電車である。
その蹴上の発電所は琵琶湖疏水の落差を利用したものである。
大津京都間の高低差が日本の電車発祥になったという話、もっと琵琶湖線利用者に浸透してもいいのではないのかな、
と軽やかに坂を上っていく223系新快速に揺られながら考える。
適度に車内が空いた3512M、何かしら気持ち余計に足取りが軽いように思える。
ちなみに疏水は疎水ではない。似ているようで非なるもの。
疎ましいなどと使うと電車の先祖様に失礼にあたりますぞ、とお叱りを受けるまでずっと漢字変換の誤用に気づかなかったことに恥じ入るわだらんである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 名物弁当は旅行者の記念品だろうか
4/21
以前にも書いたことがあるのだが、昔、まだ米原姫路間の快速にグリーン車が付いていた頃、今の琵琶湖線内で弁当の車販があった。
今となってはどこの業者か、どの区間だったかすら記憶にもなく調べるすべもないのだが、おそらく米原の井筒屋か、草津の南洋軒か、
あるいは彦根の業者だったかではなかろうか、とわだらんは勝手に推測している。
その当時は改築間もない彦根駅の1番ホームに立ち食いうどん店もあって、そこで弁当を売っていたのである。
もちろん車販は車内を回るのだから混雑時ではなく、おそらく日中から夕方にかけてのことであったはずで、しかも新幹線のようなワゴンでなく、
おばちゃんがかごを持って車内を歩いていた、と記憶している。
もともと今の琵琶湖線の普通電車はかつて名古屋浜松や岡山広島に伸びていた普通列車のいわばなれの果てであったので、
弁当を車内で売っていても不思議ではないように思える。
むしろそのころは113系のお世辞にも広くないボックスシートでも弁当を食べるのが特別なことではなかったのだろうと思う。
今の琵琶湖線の普通電車では、車内で弁当を広げるのは多少勇気がいるようにも思うが、その差はどこから来るのだろうか。
もっとも休日など特におばちゃんの小集団が上り新快速で弁当を広げる姿は珍しくなく、結局電車の移動が日常なのか非日常なのかの違い程度ではないかと思う。
通勤利用の電車で弁当を広げることはないだろうが、旅行気分ならまた違うだろうし、だいたいわだらん自身が
山陽線や北陸線の普通電車でいつも何かを食べているのだから。
今日聞いたところによると、大阪駅他で駅弁を売っていた老舗の弁当屋が破産申告をしたそうである。
コンビニ弁当やデパ地下に負けたと報道されているし、実際1000円近い駅弁、しかも悪く言うとありきたりの幕の内弁当では、コンビニなどの安い弁当に太刀打ちできないのだろうと思う。
少し前に岐阜駅の老舗弁当屋がなくなったのは聞いていたが、大阪・新大阪駅で営業しているところでもだめか、と考えるとちょっと恐ろしく感じたりもする。
先日某公共放送で新宿の某百貨店の元祖有名駅弁大会の特集番組をやっていたが、これらに出てくる駅弁も、日常、つまり出発側がいつも買うようなものではなく、
むしろ到着側のその土地の名物、珍しいものとしての弁当の姿をしたものがほとんどであったように思う。
そもそも最近は出発側が弁当を買うことが少なくなったのではないのだろうか、と思う。
大阪や京都では地元の名物になるような名産弁当は難しいのだろうか。
たこ焼きでは駅弁にはならないよなぁ。
10番ホームに上がると、ちょうど特急日本海がホームに入ってきた。
しきりに「車内販売はないので、お買い物はホームの売店やコンビニをご利用ください」と案内している。
確かにその通りなのだが、寝台特急でコンビニ弁当はちょっと寂しいよな、といつも新大阪駅二階のスーパーで480円程度の弁当を買っているわだらんがぼそぼそ言ってみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 平行する輸送手段がないのは長所か短所か
4/19
欧州の空が火山の噴火で大混乱になっているそうである。
一般的に空路の方が自然災害に強いと思うのだが、空にすすが大量に浮いている状態ではどうにもならないらしい。
ずいぶん前の話だが、わだらんが欧州へ出かけた際にKLM機内で隣に乗り合わせた方は、
以前同じKLM機で起きたエンジン4発ともに停まった事故のその当該機に乗っておられた方でであった。
多くは聞かなかったのだが、やはり楽しい記憶ではないようだ。
たかが火山灰、でもそれで人命を奪われることになるのでは大事である。
早く収拾してもらいたいものだが、どうなることだろう。
ちなみに今回の欧州の運行停止の根拠の一つである、そのKLM機のトラブルは実は1989年12月15日、アムステルダム発成田行きの便で起きたことなのだが、
なぜか日本のメディアでこのKLM機の例を挙げるものはあっても、日本線であったことを伝える記事がないのはわだらんが敏感すぎるのだろうか。
もっとも航空輸送が停まったおかげで、英仏海峡トンネルやドイツフランスなどの高速新線経由の鉄道輸送は満員御礼だそうで、
これをきっかけに鉄道利用が増えればいいか、と期待をしてみたりもするのだが。
そういえば、昔、2000年のことであるが、有珠山が噴火して室蘭線長万部〜東室蘭間が不通になり、函館線山線経由で列車を迂回させたことがある。
このときには山線区間に新たに交換設備を付けたり(復活だったかな)、もはや支線並だった山線区間に列車を大量に通すための設備投資が行われたのだ。
やはり代替手段はいろいろと確保されるべきであって、例えば富士山が噴火して東海道線が運転できなくなってしまった時に、
貨物列車が中央線や上越北陸線ですぐに迂回運転できそうにもないのだが、危機管理として設備を復活増強する話はないだろうか。
確かに不確実なものに投資をする余裕は今のご時世なかなかないのだろうけれども。
日曜日、不幸なことに篠原で人身事故が発生してしまった。
琵琶湖線は一時運転見合わせになったのだが、近江鉄道での振替輸送を行ったそうである。
もっとも野洲では近江鉄道での振替輸送はないに等しいし、そもそも近江八幡や彦根であっても近江鉄道が代替手段にはなりにくい、むしろなり得ないのである。
何しろ彦根近江八幡間を八日市経由で所要1時間、これなら人身事故程度(失礼な言い方だが)運転再開を待った方が早そうなのだ。
他の手段がないからこそ琵琶湖線は乗客が安定して毎年増加傾向にあるのだろうけれども、でもそれがいざというときの弱みでもある。
振替輸送や迂回運転がすぐにできるのはいいことなのだろうけれども、でも振替や迂回に慣れっこになることもいいことではないのだろうなぁ。
もちろん近江鉄道が琵琶湖線の代替となるようにインフラ整備をする、などとは思ってもいないし、ましてや最大12両と常時2両の輸送力の違いはどうにもならないのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 周囲の空いたドアへお回り下さい
4/17
金曜の夜のことである。
冷たい雨がぼそぼそと降り、とても桜が咲いたとは思えない空気である。
通勤のおねえさんたちは薄いコートや首元にいろいろ巻き付けているが、おじさんたちはさすがにコートを着るわけにも行かず、なんとも中途半端な格好である。
いや、普通のスーツ姿なのだが、でもこの気温では初老には堪えるだろうな、と思ってしまう。
もっとも電車の中はいかにも今年社会に入りましたと服が語っているような人間も多く、それが一番の季節感なのかもしれないが。
そんな帰宅時、この時期は混雑度がなかなか読めず、列車の選択が難しい。
幸いにも仕事は早く上がったので、18:08の808T狙いで大阪駅へ向かうことにした。
12両の長いT電で、先頭か最後尾ならまず確実に座れるのである。
そんな列車を狙いに改札を抜け、8番へ上がると幸いにも微妙に遅れた806T、17:53の大垣行きが停まっていた。
あわててエスカレータを上がって逆回り、列車先頭へ走ると、幸いにも前向き窓側が空いていた。
通路側におねえさんが座っていたのだが、窓側は空き。
なれた客ならめざとく見つけて座るのだろうけれども、もともと車内が空いていることもあってか、のんびりムード。
数人がドア横に立っているが、焦って席取りゲームをする雰囲気でもないのだ。
そんなわけでわだらんはありがたく窓側をホームで待たずにあっさり確保、座ったが早いか、列車は走り出した。
季節的にはもうずいぶん日が延びてきたはずなのだが、雨もあって外はもう薄暗い。
そんななか、気持ちいつもより早く、吹田の場内で既に徐行。
夕方以降のT電は先行C電につかまって岸辺から茨木まではずっとゆっくり、業界用語で言うケツなめ状態なのだが、もう吹田で既に先が詰まっているようだ。
車内は相変わらず落ち着いているものの、どうやらそれは先頭車であるからのようで、車掌はドア締めのたびに「空いたドアへお回り下さい」、と決まり文句。
編成中間は結構混んでいるようだ。
京都で結局5分遅れ、草津まで戻らず。しかも草津で受ける3502Mがこの806Tの遅れを受けて5分近く遅れてきたので、結局遅れは戻らない。
春は新しく電車に乗る人間が多くなる季節である。
いかにも新人が、という乗客、悪く言うとそれらの連中はどうしても仲間で固まってしまう。
ホームに上がってもまずは上がったところでたむろして、ホームの前後に移動するということがない。
もちろん通勤通学に慣れてきて、下車駅での便利な位置や空いている位置がわかったり、
集団がばらけてきたりすれば分散化できるのだが、まずはこの季節、それら新人の連中はダイヤの敵である。
ましてや雨でも降ろうなら、もう遅れてあたりまえ状態である。
まずはとにかく5月連休あけまで我慢か。
先頭が空いている3502Mからのわずかな乗換客を受けて、草津を発車した806Tは先頭車が空いたまま野洲へと着き、
12両にもかかわらず立ち客大量の編成中ほどと対照に、ほとんど乗客のいない最後尾をあとに遅れ4分で発車していった。
ちなみにこの日はかつての遅れ常習804Tもやはり遅れていたようだ。
これだけ乗客が一部位置に固まっては、さすがに編成増強の804Tでも手が打てないな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 続 花見が一年中できれば鉄道維持ができるだろうか
4/14
先日樽見鉄道が薄墨桜の威力で頑張ってほしいと書いたところ、その桜ダイヤに乗ったことがある、とお手紙を頂いた。
言い方は悪いが、あのお世辞にもよいといえない路盤の上を、これまたあまり快適でないレールバスで、しかも満員の状態で1時間も乗車するのは
正直修行でないかなどと思っているのだが、でもやっぱり乗る価値、出かける価値があってよかったという話を聞くと、何の利害関係がないわだらんであっても、何となくうれしく思う。
もともと国道157号しかまともな道のない旧根尾村へはこんな桜の時期に車はそれこそ修行になってしまうのだ。
花見をイベントと簡単に称するのが正しいかは別として、とにかくそんなイベントであれ、列車の定時制が確保され周知認識されるのはいいことだと思う。
ところで、先週末の話であるが、昨年の台風で不通となっている名松線末端区間に運転されている列車代行バスが増発されたのである。
今の名松線代行バスは家城で全ての列車が奥津までのバスに繋がっているわけではないのだが、列車区間に接続する形で先週末は臨時バスが増発されていたのである。
これも同じく花見の輸送である。
ご存じの方もおられると思うが、旧美杉村に三多気の桜というこれまた名所がある。
長い桜並木ので、山の中に延々と桜のトンネルが続く。
もう奈良県に近い山奥に桜を見に多くの方が遠方から来られ、またそれで名松線が賑わうのはうれしいことだ。
ここも名松線で桜ダイヤが組めるくらいに賑わえばと期待をしてみる。
しかし悲しいかな代行バスが道路を走るのではこんな混雑時に定時制が確保できるかどうか疑問だし、逆に定時制が確保できるのなら、道路輸送で充分となってしまう。
確かに鉄路が消えるのはとても寂しいことであるが、今の名松線でその体力や価値があるだろうか、と冷静に考えると難しいのではないだろうか、と思う。
三多気だけでなく、君が野ダムの桜もまたきれいなのだが、やはり鉄道の維持管理、乗客誘致を桜に頼るのは無理があるか。
やっぱり年中花見ができる、などと妄想しなければ伊勢奥津の駅復活はないのだろうか。
ちなみに三多気の桜、伊勢奥津駅からさらにバスに乗らねばならないのだが、このバス路線もまた存続の危機にある名張行きのバスである。
名松線の名は名張の名だが、線路の敷設目的がどうであれ、経緯がどうであれ、山奥の公共交通維持はとにかく難しい。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 花見が一年中できれば鉄道維持ができるだろうか
4/12
桜の名所はかずかずあれど、わだらんはあまりその名所というところに出かけたことがない。
何しろ地元にそれこそ無数にきれいな桜が咲くので、わざわざ出かける必要もないのだ。
とはいってもできることなら一度はそれぞれの名所に行くべきだろう、どうしたものか、とそれなりに思案している。
人をたくさん呼び込む桜の大木や並木はきっと何か魅力があるのだろう。
この週末は海津大崎の花見客帰路輸送のために臨時の117系新快速が走ったそうだ。
昨年に引き続いての臨時電車で、このまま恒例になってほしいものだ。
湖西線も末端区間、永原に臨時電車を走らせるほどの客を呼び込む桜並木はさぞきれいなのだろうと思う。
もちろん平時の列車本数が少ないから、年に一度の臨時電車出番であって、もともとの輸送力が少ないのか、
あまりに客が一時に押し寄せるのか、どちらの見方が正しいか決めかねるのだが。
でもとにかくわざわざ湖西線に花見のために乗っていただける一見客が大量にいるのはありがたいことだ。
そういえば大量の花見客輸送となる桜の一つに岐阜県本巣市にある薄墨桜という桜があるが、みなさんはご存じだろうか。
樹齢1500年とも言われ、かつて一度枯れそうになったところから無事再生し、今も元気に花をつける見事な老木である。
枝はあちこち支えられていかにもおじいさんという風貌であるが、でもまたそれがいいのだろう。
そんな花見客に対応するため今年も樽見鉄道は桜ダイヤである。
年に一度の稼ぎ時、遠方からもたくさんの人出があって、列車を増発して対応している。
もともと輸送力の小さい鉄道故、毎年恒例とは言え、なかなかたいへんである。
今年は長良川鉄道から車両を借りているそうで、面白い組み合わせで列車が走っているそうだ。
セメント輸送が廃止になって瀕死の状態の樽見鉄道であるが、何とか持ちこたえてもらいたいものだし、これからも続けて花見輸送をしてもらいたいものだと思う。
しかし今となっては樽見鉄道がもし大垣でなく、穂積に繋がっていれば、もう少し北方糸貫あたりでは名鉄揖斐線の代替になり得たのではないか、
と桜に全く関係のない余計な妄想をしてみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 船からの桜の花見も楽しそうだが、船から列車は見えるだろうか
4/10
以前にも何度か書いたのだが、多くの滋賀県人は琵琶湖が大阪城より高いことを意識していないだろうし、
ましてや京都から大津までずっと上り坂であることを気にしている通勤客などほとんどいないだろうと思う。
昔々まだ電化される前の蒸気機関車の時代だと、京都大津が20分かかっていたので、
この頃なら上り坂というのがはっきりわかったのだろうけれども、今の電車では上り坂など一般乗客が意識できるきっかけがない。
電車ならば10‰の上り坂など平地とあまり変わらないのである。
ところが桜の花が咲くと、その上り坂であることをどうしてもわだらんは意識してしまう。
大津から新逢坂山トンネルをくぐり、大津市長尾に出ると、琵琶湖疎水の桜が見える。
湖西線高架の隙間から、桜の花が並んでいるのが見えるのだ。
この位置では、桜の木と琵琶湖線線路はほぼ並んでいる。
ところが、しばらく電車が京都へ向け進み、湖西線が琵琶湖線に合流する山科駅構内に入る少し手前に上り外側線の洞門があるのだが、その洞門上を疎水が通っている。
つまりトンネルを出てから山科駅にはいるまでの間に疎水をくぐれるくらいに線路が下がっているのだ。
ちなみに疎水はほどんど水平(大津から蹴上までの標高差は4mだそうだ。このあたり詳細をご存じの方がおられたらご教示いただければ)なのだそうだ。
疎水が下がっていると大津への上り船が進めないからね。
かつて山科は鉄道写真のメッカであった。
というか、京都在住の鉄道写真愛好家の方が山科の大カーブを舞台にたくさんの写真を残しておられるからなのであるが、その写真、
しかも多くがまだ蒸気機関車の時代のものを見ると、まだ山科駅の周辺は本当に田舎であった。
当然疎水の周囲にも人家はなく、さぞ疎水沿いを散歩すると線路がよく見えたのだろうな、と思う。
もちろんその頃はまだ桜の木も大きくなかっただろうから、今のように春に見事な花をつけていたのかどうかはわからないのであるが。
でも蒸気の時代はそれこそ今よりずっと列車の速度は遅かったし、当然湖西線の高架もなかったし、きっといまよりずっとよい車窓からの花見ができたのだろうな。
ちなみに疎水の桜は大津からの下り電車の右側車窓がもっとわかりやすいので、是非みなさんも機会があれば楽しんでいただければ、と思う。
そういえば疎水の船下りを観光用に復活させる話もあるそうだ。
でもトンネルの中を進むのは楽しいだろうか。
夏はひんやり涼しいか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 桜をめでながら列車を見るか、列車を見るついでに花見をするか
4/7
大阪市内から少し遅れて野洲でも桜が枝いっぱいに花を広げるようになった。
柔らかい桜の花の色は、何か心を華やかに、穏やかにしてくれるように思う。
世間一般に花見は宴会の手段であるが、でも人を宴席へと運ばせる魅力を桜の花が十二分に持っているのだろうと思う。
サツキや藤の花ではどうも宴席には向かないように思えるのだ。
しかしありがたいことに野洲から大阪への毎日の通勤の中で、とにかくあちこちに咲く花を眺められるのはありがたい。
中には有名な桜の名所もあれば、人知れずこっそり咲いているであろう山の桜も、みなきれいである。
堤防や工場敷地、そして公園といたるところ桜を見ることができ、この季節は本当に車窓を見るのが楽しいのである。
有名なところでは旧茨木川の堤防とか、琵琶湖疎水沿いとか、遠く背割堤の桜も見ることができる。
もっとも背割堤は山崎駅北側のわずかな区間で、建物の隙間からわずかに見えるだけ、しかも上り新快速・T電からだと
ちょうど下り列車とすれ違う地点でそのすれ違いに視界を妨げられることも多いので、あまり見えると連呼すると誇大だと怒られるかもしれない。
そもそも背割堤がどれかをわかっていないと、桜の並木がどれか判別できないのかもしれないが。
吹田駅の西方、ちょうど城東貨物線が本線を跨いでいく交差付近に桜並木があって、まさに見頃の今日この頃。
上り外側線と北方貨物下り線との間の空間に咲き誇る桜である。
上り新快速からは近すぎてよく見えず、下り列車から眺めるのがわだらんのお気に入り。
是非一回そこで宴会をしてみたいものだが、かなわぬことであろう。
昔ならひょっとすると花見ができたかもしれないが、今なら公衆立ち入りですぐに列車を停めてしまう。
とはいってもあんまり線路に近すぎてはおちおち酒も飲めないか。
やはり花見の席は物静かなところに限るわな。
昔野洲駅の下りホームに桜の木があった。
いつからあったものか知らないが、わだらんが通勤利用するようになってやっと気がついた程度の小ぶりのものであった。
が、最近はあまり花を見ないなと思っていたらやはり枯れていたようで、確か2年ほど前だったかに切られてしまった。
今も切り株だけがホームに残っているが、できることならまたホームに桜の花を咲かせてほしいものだ。
ただ桜には毛虫も着くので、嫌がるお方もおられるかもしれないが。
大津駅のホームからはいまちょうど満開の桜を見ることができる。
野洲大阪間でホームから見える桜の中でもっともきれいなものであろうとわだらんのお気に入り。
でもさすがにホームで宴会はできないねぇ。見事な花なのだけれども。
ただ大津駅の桜の木は並木ではあるのだが大木ではないので、印象としては薄いのかもしれない。
笠置や大河原、あるいは松浦鉄道の浦ノ崎や能登鹿島に較べると、やはり木の迫力が足らないのだろうか。
もっとも小さな駅なら1本の桜でも充分存在感があろうけれども、大津のように15両も入るような長いホームを持って、
しかも駅の両側をビルで囲まれてしまっては、風情に欠けると言われても仕方あるまい。
先に挙げた桜で有名な駅のほとんどは1〜2両程度の短い編成の列車がほとんどの駅なのだ。
そもそも電化区間ではホームに大木は植えられないから、その点も不利か。
機能優先の都市部の駅で桜が駅にあるだけでもよしとするか。
寒気の入り込みで前日の暖かさから一転して冬の空となった水曜日、野洲に戻ると風の中で桜の花が街灯に映えている。
しばし眺めていると、迂回のサンダーバードがやってきた。
米原まわりならその大津駅の桜も、あるいはきっと咲き誇っているであろう安土城址の桜も眺めることができただろうな。
もっとも乗っているみなさんはほとんどが迂回を楽しむ余裕などないのだろうけれども。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 昔のままが悪いことではないはずだ
4/5
日曜日、特に深い意味もなく姫路城へでかけた。
きっと桜がきれいであろう程度の認識で、どこが目的とか何も下調べせず、ただ城下の公園を散策しようと思った程度である。
おかげで駅コンコースに設置された「姫路城待ち時間30分」の表記にもなにも動揺せず、大手門をくぐった。
すると行って初めて姫路市立動物園というのが城下、お堀端にあることがわかった。
わずか200円の入場料でお堀端の満開の桜を愛で、象やきりんを眺め、そして今やレトロと称されるであろう遊具に目を奪われ、なかなかよい時間を過ごした。
いつ設置されたものかわからないのだが、周回100m程度のミニ電車があって、子供連れが楽しそうに乗っている。
満開の桜の木の下を走るミニ電車は、花見にもぴったりなのだが、でも大の大人が乗るのはちょっと恥ずかしいか。
そのミニ電車がまただんご鼻の新幹線型であるところがまたいい。
0系を模したものなのだろうが、先頭車は少し精悍にみえるのでむしろ961型にも見える。
ちなみに先頭車にマスコンを持った動力車と運転士が乗るもので、仕組みだけは立派なサードレール電車である。
末永く活躍してもらいたいと思うのだが、どうだろう。
やはり新幹線の象徴は0系である、とはわだらんの思い込みか。
さて帰宅、姫路駅の改札を通ったのは17:45である。
高架になって広くなったコンコースや切符売り場はずいぶんの人だかり。
どうせ8両編成の新快速ではまともに座れそうにないだろうとふと発車票を見ると17:48の赤穂行きがある。
これで一駅戻って網干発の姫路17:57の新快速に乗ろうと思った。
鞄の中に本線の小冊子時刻表を入れていたので、姫路以東、17:57(3294M)が網干発であることはわかったのだ。
はりま勝原駅ができたので10分あれば戻ってこられるだろう、と実に安易に考えていたのだ。
ところがこれが大きな誤認で、新駅は姫路の次でなく姫路の次の次で、姫路の次はもともとの英賀保であった。
ここまで姫路から所要5分、当然途中で上りはすれ違ってしまい、英賀保でただ単に上り列車、しかも山陽線姫路行きを待つだけというばかな話になってしまったのだ。
なんとも新駅の記憶はいい加減、ばかばかしさにあきれてしまう。
そんなわけで予期せぬことながら英賀保駅に降り立ってみる。
小さな駅舎は昔の風情そのものである。
改札こそICOCA対応の自動機になっているが、斜めに構えた出札窓口、木造屋根に跨線橋、まっすぐ伸びた駅前からの道路は改札口からの延長線上。
とにかく改札は下りホーム直結、上りホームは階段を登って跨線橋で向かうという、今となっては懐かしい、かつての地方駅の当たり前の構造である。
確かに駅前広場は線路のどちらか側しかできない、市街地が広がった地域では使いづらくなった仕様であるが、でも必ず階段を上り下りする橋上駅舎とどちらが使いやすいか、決して簡単に優劣が決まるものでもないと思う。
そんな駅舎を眺めながら、上りホームの小さな屋根の下で沈む夕日に包まれて列車を待つ、わだらんにとってこれまた居心地のいい時間であった。
やがて上り列車がやってきた。
岡山電車区の115系のMT54モータの響きを聞きつつの乗車は、今の琵琶湖線が基準のわだらんにとって、非日常の世界であるはずなのだ。
でも階段を上り下りせずに使えるホームにある改札やそこに発着する115系がなぜかいつもの毎日のように思えた、ちょっと懐かしい時間であった。
ちなみに115系は1000番台であったのだが、それを素直に新車だなと思っているようではわだらんの頭は32年前から進化するわけがない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 立つ姿勢、立つ努力、立つ根性
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大阪駅に着いたのが18:28であった。
実に微妙な時間で、18:30の3506Mは混んでいてあんまり好きでなく、かといってこの時間だと18:37の大阪始発3508Mは座れず、
だからといって18:45の赤穂からの3510Mまで待つのも無駄に思えるし、どうしたものか思案である。
まぁまずはホームに上がってみるかとエスカレータに乗ってみるとどうもホームの様子がおかしい。
本来ならそろそろ降車客が下りエスカレータにあふれる時間なのに、降車客がいない。
ホームに着くと、なんと3506Mは20分遅れの表示。
9番線には人がそれなりに並んでいるが、数は少ない。
10番の3508Mがいつもの倍程度に混んでいて、もうドア付近は大騒ぎ、車内奥まで入るのをあきらめるような状態である。
この状況だとさらに選択は難しい。
時折3510Mが遅れると18:52の大阪始発3512Mと列車ごと入れ替えることがあるのだが、今日はどうなのかわからない。
3510Mが大阪始発になるのなら確実に座れるのだが、その前を走る(であろう)3506Mが20分遅れだと、どういう順番で電車を出すのかよくわからない。
おそらく神戸線内で間隔が開いた分3506Mは大阪着の時点でかなり車内が混んだ状態だろうから、大阪を越える客も多く大阪での着席も難しいだろう、と悩む。
結局どうせ座れそうにないのなら早く帰ろう、と3508Mに乗る。
久しぶりに運転台、正確には助手席側だが、に貼り付いて前を見て帰ろうと。
ただし車内が混んでいて、人の肩越しに前を見る形である。
垂水でビニールが架線にひっかかったそうで、結局18:30を過ぎても20分遅れの3506Mは現れず、大阪始発の3508Mは1本抜けた状態で18:37に定時発車することになった。
もちろん車内はさらに混んで、ドア前で乗車をあきらめる人も多い。
その気になればまだ乗り込める程度の隙間はあるが、なかなか混んだ電車に経験のない方は躊躇しても仕方ないか、と思える人の多さである。
それでも新大阪高槻と人の出入りがありつつ車内は少しずつ空いて、京都で一気に人が降りる。
とはいっても既に通路に多数の人がいて、降車客の座席をすぐに占領してしまうから、座席から離れたところにいるわだらんはまだ座れる状況ではない。
もうどうせなら野洲まで立つかと着席する気もなく前を見ていた。
おかげで大津駅の桜がだいぶ花開いたことなど、普段寝ていては気づかないことも見ることができてまたよかったと思えるのだ。
ところで、石山を過ぎて車内が空いてきたところ、ある若いおねえさん二人の状態が気になった。
一人は会社帰りであろう、いわゆるOL風で、何も掴まらずに立って、鞄を持ちながら携帯を触っている。
もう一人はスーツ姿、学生の就職活動かあるいは今日入社式か、まだいかにも新人ですといった風姿なのだが、このおねえさんが何も掴まらずにふらふらよろよろしているのだ。
せめて吊革を持つなり、ちょっと手を伸ばしてドア横の棒でも持てば楽になるはずなのに、ずっとふらふらよろよろである。
一方でそのOLさん(と決めつけているが)は両足を開いて上手に立っている。なかなか立派なものだ。
ひょっとすると車掌おねえさんか車販おねえさんか、と思わせるに充分な貫禄(いや、姿形はかわいいのだが)である。
通勤電車に慣れるとは、まず立つことに慣れることなのだろうな、と改めて思う。
わだらんは最近は座ることしか考えておらず、立ったまま車内で過ごそうなどとは、はなから考えていない。
もちろん座ること、座る術も立派な通勤術だろうけれども、まずはちゃんと車内で立つことができるだろうか、ともう一度考えてみる。
いつもは座席横に立って吊革にぶら下がっているか座席にもたれているか、あるいはたまに新大阪まで普通電車に乗ってもドアにもたれているし、ちゃんと立ったことがないな、とちょっと反省。
そこでずいぶん空いた草津を出たところでしばらくたっていようかと思ったとたん、補助椅子ロック解除の音に気がついて、結局補助椅子に座ってしまった。
これでは立っていられるかどうか以前に立つつもりがない、と自らの根性なしに少々自己嫌悪である。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |