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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
10年 6月
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857. 6/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 若い乗務員が増えたから、だけではないはずだ
856. 6/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 優先席のほうがむしろ譲りにくいと思うのは気のせいか
855. 6/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 日没の時刻表がネットで手に入るありがたさ
854. 6/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 庭に植えるなら何か実のなる木
853. 6/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 空から自分の目で眺める景色はネットの航空写真とは違うよね
852. 6/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 比叡山と蓬莱山の間に夕日が落ちる頃
851. 6/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車に飛び乗る勇気と飛び乗りを踏みとどまる勇気
850. 6/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 名物がその地の産物かどうかは大人の事情
849. 6/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 事故も迷惑だが、事故後も迷惑
848. 6/7 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 千客万来、珍客でも万来
847. 6/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 両方向とも流動がある高密度輸送線区
846. 6/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 適度な田舎だから住みやすい
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 若い乗務員が増えたから、だけではないはずだ
6/29
琵琶湖線、特に瀬田は国鉄時代よりむしろ停車する列車が減った、と騒ぐ人間がいる。
確かに一部時間帯を見れば列車本数が減ったのも事実だし、日中15分おきのダイヤは昔も今も変わらない。
ただ昔、国鉄時代にはごく限られた時間帯しかなかった新快速が今は早朝から深夜まで走っているので、その分琵琶湖線内は輸送力も列車本数も増えているし、
新快速の増発のおかげで利用客が分散しているのだから、瀬田にとっても悪い話ではあるまい。
しかも早朝深夜を見れば、国鉄時代よりずっとずっと列車本数は増えているのだ。
滋賀県南部地域の発展と琵琶湖線の利便性向上は鶏と卵の関係的なところはあるが、とにかく国鉄時代より便利になっていることだけは間違いないのだ。
にもかかわらず日中などの一部を取り上げて「国鉄時代と変わらない」などと言い続ける若い連中には閉口するのである。
ところで、そんな決して便利でなかった当時のこと、国鉄時代を懐かしむ中高年ヲタは多い。
もちろん中高年だからこそ昔を懐かしむのであろうけれども、でも決して便利とは言えなかった昔がいいと思えるのは何かしら惹きつけるものがあるだろうと思う。
そしてその多くは現在の中高年ヲタがまだ若かった頃に当時の国鉄職員から受けたさまざまな恩恵、夢のような体験がいい想い出のベースになっているのではなかろうかと思う。
もちろん当時の規則やあるいは世相風習は今の世の中では通用しない。
だからこそ、例えばわだらんがちょっとしたことで喜んでいたこと、例えば駅のホームに落ちていた石炭を機関士に渡すとそのまま「持っていけ」とくれたこと、
岐阜駅の貨物側線に停車していたEF66の正面に回る(もちろん駅構内のしかも線路を横断しての無断立入である)とわざわざ前照灯をつけてくれたり、
あるいは柏原から大垣までクハ153の運転台に乗ったり、と小さなことから大きなことまでいろいろあったことを思い出す。
そのころの国鉄職員、いや私鉄も含めた鉄道マンは確かに勤務時間などは世間よりずっと短かったのかもしれないが、
でも子どもに優しく、何よりみな楽しそうに仕事をしていた。
もちろん合理化反対闘争とか組合間騒動とかいろいろ難しい話が多かったのであったことはわだらんが今になって知ることだが、
でも少なくとも子どもの前で難しい顔をしている職員はいなかった、と記憶している。
もちろんそれ自体がすでに昔を懐かしむ中高年ヲタの妄想なのかもしれないが。
未だに解決しなかった国鉄職員の不採用問題の和解が結ばれたそうだ。
身分が中途半端なままの生活はさぞつらかったのではないか、と関係する方を案じてしまう。
ここで分割民営化の是非功罪を問うつもりはないが、ただ一部の組合員に対する思いやりが結果的に欠けていた、あるいはそう狙っていたのだろうかと思う。
昔の鉄道マンは仕事に対する何かしらの誇りを持っていたのだろうと思う。
いや、今の鉄道マンが誇りを持っていないとも思えないが、でも何か弱々しいというか、堂々としたところがないように思う。
今の世の中、仕事中に仕事以外のことをすると怒られる。
当たり前といえば当たり前だが、何か肩身が狭いというか、そう、弱々しく見えるのである。
夕方以降野洲のホームでは15分ごとに新快速と普通電車の乗務員がお互い声をかけている。でも本当に挨拶程度。
本当はもっといろいろ話をしてたまには笑ってもいいのではないかと思う。
無駄がありすぎてつぶれてしまった国鉄であるが、職場や仕事にあった誇りというかプライドは無駄ではなかったはずだ。
もっと堂々としている方が子どもにはいい影響を与えるのではないか、と思うのだが、もっともそう思うこと自体が中高年の妄想かもしれないか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 優先席のほうがむしろ譲りにくいと思うのは気のせいか
6/26
いつも221系や223系の転換クロスシートに乗って通勤している。
朝は野洲から大阪まで熟睡しているし、帰りも半分くらいは大阪または新大阪から座れる術を身につけたので、通勤が苦になると思ったことはない。
もちろん毎日野洲大阪間を通勤することがなければ、こんなメルマガを5年も続けられなかったはずで、
毎日なしかしらの驚きと発見があるおかげで飽きずに済むのである。
ましてや関東人から見ればある意味羨望の転換クロスシートを毎日追加料金なしで使えるのはありがたいことだ。
同じような距離でも例えば名張市桔梗が丘あたりよりはずっと楽に通えるはずだ、とわだらんは勝手に思っている。
そんな通勤時、特に帰宅時であるが、できるだけ窓側に座りたいと願っている。
もちろん外を遠慮なく見たいという理由である。
特に日の長いこの時期、悪いことに日よけが下がっていることが多く、窓側に座ればなんら問題ないが、
わだらんが通路側に座って窓側の人間がわざわざ日よけを下ろしたりすると、それを上げるのはなかなか難しい。
日よけが下がっているとやはり外が見えずらく、つまらない。
何も毎日見ている光景ではないか、と呆れられそうだが、でもちょっとした変化はもちろん季節の変化も、
あるいは人工的な変化、特に再開発のような景観の大幅な変化をもたらすようなものは気になって仕方がない。
だから窓側が好きなのである。
第一通路側ではおちおちカップ酒とつまみが食べられないではないか。
窓側だからこそ行きすぎる景色をめでながら焼酎のプラカップを楽しく飲めるのである。
ところで、そんな景色を見るとか酒を飲むとかという理由でなく、本当にわだらんが窓側にこだわるのは実は窓側なら座席を譲ることがほとんどない、ということである。
誤解しないでいただきたいのは、座席を譲るのがいやなのでなく、できることなら譲らずに済ませたい、という単なる自己保身である。
通路側に座っていると、座席を譲る必要のある方が隣に立たれるとどうしても譲らなければならない。
窓側ならわだらんが譲らなくてもなんとかなるはずである。
ただどうも通勤時を見る限り、やんちゃそうな青年の方がよほど勤勉そうなサラリーマンより優しそうに思えるのだ。
わだらんが譲れる状況でない、つまりわだらんが立っている状態で見ている限り、近くに妊婦の方や小さい子連れがいてもどうもおじさん連中は気にしないのである。
一日の仕事を終えて疲れているのはわかるのだが、もう少しまわりを見て席を譲る余裕はないものか、と思う。
だからわだらんが通路側に座っていると席をすぐに譲ってしまうのだ。
先日来帰宅時の新快速で新大阪乗車、守山下車の妊婦の方を見かけた。
おなかがかなり大きい、そろそろ臨月も近いか、と思われる方である。
きっと毎日通勤されているのだろうけれども、わだらんが見かけた二回とも、途中で席を譲ってもらって座っている。
幸いにもわだらんが座れる前に譲ってもらっているので、わだらんはもう譲る心配をしなくてもいいのだ。
まあそうやって体をいたわる必要のある方が席を譲ってもらえる明るい車内というのはいいものだ。
昨日も譲ったのはわかいお兄さん。
結局彼は岸辺あたりで席を譲って京都まで立っていた。
彼の下車駅である石山までずっと座れていたはずが、途中で立つことに。
でもきっとその青年は人に優しい心を持っているのだろう、と思う。
ちなみにすっかり心のすさんでしまっているわだらんは、できれば譲らず済むのがありがたい、だから窓側が好きなのである。
もちろん譲る必要のある場面なら躊躇なく譲る、それがわだらんのスタンスである。
ただ、できることなら妊婦の方は妊婦とわかるようにマタニティマークを付けていてほしいもの。
世の中妊婦と単なる腹回りの大きい人間と、なかなか見た目で区別をするのは難しい。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 日没の時刻表がネットで手に入るありがたさ
6/23
ちゃんと暦を見ていなかったので、21日月曜日が夏至であるということをすっかり忘れていた。
もちろん夏至だからといって何か特別なものがあるわけでもなく、ただ単に一年で一番日の長い日、ということだけなのだが。
でもわだらんにとってはある意味一年で一番嫌な日かもしれない。
何しろこの日を境に日がどんどん短くなるのだから。
しかし以前にも書いたことがあるが、日の入りが一番遅いのは夏至ではなく、夏至から少し遅れたあたりである。
国立天文台のHPでは具体的な地点を選んで、その場の暦を計算してくれる。
ちなみに野洲駅(n35.069、e136.023、標高100m)を指定して、暦を計算すると、一番日の入りが遅いのは6月23日から7月6日までの19:16ということになる。
つまりわだらんにとっては今日あたりからの2週間程度が一年で一番至福な帰宅となるのである。
もっとも残念なことにこの時期雨も多いから、毎日夕暮れを楽しむわけにもいかないが。
ついでに同じ条件で計算すると野洲駅で一番日の入りが早いのは12月末の16:46となった。
つまり2時間半ほど日の入りに年間で差が出るわけで、わだらんの場合、帰宅の時間に重なることもあって余計に敏感なのかもしれない。
できるなら日の長いときはちょっとでも早く帰りたいし、逆に秋から冬にかけては毎日遅く帰ってもいい、そんな想いである。
ちなみに野洲で2時間半の差なのだが、同じ国立天文台HPでいつもわだらんがオランダへ出かけたときの定宿の最寄り駅であるVoorhout(n52.224、e4.484、海抜0m)で計算してみた。
すると夏至直後の日の入りが20:07、冬至直後の日の入りが15:30となった。
これだけで4時間半の差があるのだが、さらに欧州は夏時間制なので最も遅い日の入りは21時過ぎということになるから、
5時間半も差がつくことになる。
だから欧州は夏は長く、冬は本当につまらないのである。
まだ差が少ない日本でよかった、と思うか、もっと夏だけでも日が長い方がいいと欲張るか、どちらがいいだろう。
まぁとにかく雨上がりの曇り空でも野洲まで外が楽しめるのはありがたいことだ、と806T大垣行きの方向幕を野洲で見ながら考える。
ところで、そんな昼間の時間を分単位で気にするのはわだらんくらいのものかと思っていたのだ。
が、先日草津在住のプロの鉄道写真家の方から同じように日の出日の入りを暦でチェックしている、と伺った。
考えてみれば列車の写真は日が出ているかどうか、特に早朝や夕方などはずいぶん影響があるのだろうなと改めて納得である。
例えば夏の間は野洲で急行きたぐにの写真が撮れるが、冬は真っ暗で写真にならない。
きっとわだらんなどよりもっと暦に敏感というか、仕事に直結しているのだろう。
農業などの自然相手の職業は当然ながら、鉄道写真家のみなさんも同じように太陽の動きとともに生きておられるわけだ。
年中同じ時間で区切られる勤め人わだらんも、もっと季節や節季に対する感性を磨かねばならないな、と夏至も気づかなかったことに恥じ入るのである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 庭に植えるなら何か実のなる木
6/22
車内に吊られている日帰り駅プラン広告はいろいろな食べ放題プランでお得感をしきりにPRしている。
実際のところ食べ放題でどれだけ食べられるのか冷静に考える機会がないのでわだらんの場合の正確な収支はわからない。
それでも焼き肉食い放題とか、串カツ食べ放題とかに弱いわだらんである。
世間一般に食べ放題というと、何かそそられるものがあるように思う。
特にそういった広告、お得感に一番敏感なのは18切符でグループ旅行などを楽しむおばちゃんグループであろうと思うのだが。
野洲やその周囲にはいろいろな食べ放題の農園があって、多くの種類の果樹があって、なかなか楽しそうである。
そろそろいちごの食べ放題は終わるのだが、この時期はさくらんぼ食べ放題とか、そろそろ桃とかブドウとかの食べ放題も始まる。
さくらんぼ食べ放題はアグリパーク竜王の場合1700円で30分、これが安いか高いか微妙なところに思うのだが、
でも自分で好きなだけ取って食べることができるのは、レストランでの食べ放題とは違う面白さがあるのだろうかと思う。
まじめに考えると1700円払うと店で結構な量のさくらんぼが買えるようにも思えるのだが。
とはいえ、自分で取って食べるのは楽しそうに思えるし、子供は喜ぶだろう。
桃とか梨とかみかんとか、実を付けた木を見るのも楽しいものだ。
わだらんは庭をもてるような身分ではないのだが、もし遠い将来、何か木を植えられるとしたら栗がいいな、と密かに思っている。
桜の花も通勤途中の車窓でずいぶん楽しむことができるのだが、この時期車窓のところどころでビワの木を見つけることができる。
たわわに実る木が線路際にところどころ生えていて、草津駅の南側や東淀川吹田間あたりなど気を付けていると結構たくさんのビワの木を見つけることができる。
さぞかしとって食べたらおいしいだろうな、と食い意地のはるわだらんである。
まぁお疲れモードのけだるい帰宅時の電車の中で、そんな人の庭の木の様子など他に誰も気にしていないだろうけれども。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 空から自分の目で眺める景色はネットの航空写真とは違うよね
6/19
ムーンライトという名前で何をみなさん思いつくだろうか?
クッキーにもその名前はあるし、当然鉄ヲタならムーンライトながらとかムーンライト九州とかを思いつくのだろう。
わだらんは最初に思い起こすのは西鉄と阪急バスが始めた大阪福岡間の夜行バスを思い出す。
両端のバス会社が手を組んで、運行や営業を行う方式の最初、つまり今に至る高速バスの形態の最初がこのバスなのだ。
といっても今では数ある夜行バスの一つにしか過ぎないから、そのいきさつを知る人以外はあまり感激はないのだろうけれども。
ところで、今日の話はそのバスの話ではない。
以前から気になっていたのだが、特に日が長いいまの頃、野洲駅の上空を飛んでいく飛行機の機影が夕日に光ってよく見えるのだ。
もちろんはっきりと見えるような高さでなく、おそらく1万メートルの巡航高度だろうと思える、高い高いところである。
夕日のきれいな空に飛んでいく機影を見ては、逆にさぞ空から見れば気持ちいい風景、見慣れた場所の違った景色が見えるのだろうな、と考える。
ちなみに野洲駅の上空を飛行機が飛ぶのは希なことでなく、よく見かけるのだ。
極めつけは深夜、0時前後に何回か航空機の標識灯の点滅を見たことがあるのだ。
そんな機影をみてはおそらく定期航空路だろうと思っていたが、先日そのもやもやが晴れた。
この野洲駅上空には小牧と大津を結ぶV28という航路が引かれていて、それに沿って飛行機が飛んでいるのだそうだ。
ちなみにこの航路、中部空港からの四国九州便と、羽田成田からの瀬戸内九州北部への航空路であることもわかった。
ということは4発ジェット、空に4本の筋を引きながら飛んでいくのは羽田福岡の747ジャンボということになるし、
深夜に野洲駅上空を飛んでいるのは羽田からの北九州行きスターフライヤーの深夜便ということになる。
深夜、晴れた視界の効く上空からの眺めはどんなものなのだろうか、街灯などの街の光りでおおよその場所がわかるのだろうか、と想像してみる。
もっとも知っている土地の上を飛ぶのなら、やはり日中の方が楽しいに決まっているのだけれど。
昔、日本国内航空という今はない航空会社がムーンライトという飛行機を飛ばしていた。
正確には機材はYS-11で、フライトに名称を付けたという言い方が正しいのだが、深夜に東京大阪福岡を飛んでいた。
まさに夜行便なのだが、当時はいまよりずっと街の光りも少なかっただろうから、逆に場所の特定が簡単だったのだろうか、などと想像してみる。
しかし今のスターフライヤーの深夜便はむしろ格安運賃で利用できる庶民の足に近いものがあるが、
ムーンライトが飛んでいた当時の雰囲気はどんなものだったのだろうか。
庶民は夜行列車で移動していたし、ヲタがわざわざ乗るような安っぽいしろものではなかったはずである。
きっと深夜の上空から景色を眺めるような悠長な人間はいなかったのだろうな、と。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 比叡山と蓬莱山の間に夕日が落ちる頃
6/17
日が長いというのはありがたいことである。
今日はうまく仕事が片づいて大阪駅17:45の3498Mに乗れた。
すると野洲に着くまでずっと外の風景を楽しむことができるのである。
もちろん毎朝同じ区間を乗っているのだから、わざわざ風景など見なくともよいと思われるかもしれないが、
毎日何かしらの発見なり楽しみなりがあって、飽きることがないのだ。
通勤1時間が、そんな車窓の楽しみであったり、あるいは睡眠だったり、時には焼酎など飲みながらと毎日変化に富んだ時間帯である。
もっとも車内のみなさんはそんな毎日わくわく興奮するようなことはないだろうし、
多くの方は携帯やワンセグ端末に見入っておられたり、数独をしていたり、と。
逆にそんな乗客のみなさんの観察もまた毎日面白いことであるが。
そもそも乗客をよく観察しておかないと、どこで降りるかの見当が当たらない。
もとよりおばさん連中は本当にどこで降りるかわからないのだが、おじさんならおおよそ読めそうに思える。
通勤に最も楽なのは新大阪で降りる出張客を見つけることなのだが、これも訓練というか経験の回数のようで、最近は結構当たる。
そうすると大阪駅で長い時間列に入っていなくても新大阪で座れるという実にありがたい技。
ただ、そんな客が見つかったとしても、その客の横にうまい具合に立てるかどうかという問題は残るのだが。
結局今日は京都まで座れなかったのだが、幸いにも日ざしが弱く、着席客が日よけを下ろしてくれていなかったので、車窓を存分に楽しむことができた。
夕暮れ、日が沈みかけの西向きの山々が黒い影になりながらずっと車窓をついてくるのは見ていてなかなか楽しい。
それに桂川橋梁から西大路駅にかけて見える夕日に輝く比叡山が瀬田に来ると今度は黒いシルエットで浮かんでいるのはなかなか趣があって楽しいものだ。
外を見ることができると何か得をしたような気分になる。
水を張った水田に輝く夕日などこの季節しか楽しむことができないものなのだが。
などと窓側に座ってご満悦のわだらんの周囲には誰も車窓を見入っている人などいない。
隣に座っているお姉さんは何か手帳と携帯を見ながら必死の形相だし、通路に立っているおじさんは新聞を読んでいる。
外が明るかろうか暗かろうが、天気が良くても悪くてもあまり関係がない、とばかりにみな自分の手元に視線が集中している。
せっかくの美しい夕日がもったいないのにね。
ちなみにわだらんの経験則によると、車窓を見ている通勤客はそのまま寝入るのがほとんどなので、新大阪や高槻下車は期待できない。
まだ手元に視線を落としている客の方が途中で降りる可能性が高いのである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車に飛び乗る勇気と飛び乗りを踏みとどまる勇気
6/14
またまた昔話からであるが、その昔、駅に列車が着くと「列車が完全に停まってからお降り下さい」とアナウンスがあった。
今ではやりたくてもできないが、当時の普通列車に使われていた旧型客車なら飛び降り飛び乗りし放題であった。
もちろんそれで怪我をした例もあるが、でもそれは自己責任であって、怪我した方が悪い、の一言で片づいていた。
確かに危険きわまりない話だと今なら言えるが、昔はそれは当たり前であったし、何も不思議でなかった。
そう考えると、扉が閉まるから駆け込み乗車が発生するのであって、もし扉が閉まらなければ駆け込み乗車はできない。
もっとも扉が手動では飛び乗りができることになるが、でも飛び乗りをするかどうかの判断はその人自身がするだろうから、案外と事故はないようにも思える。
とはいえ、今になって扉を手動にするなどできるわけが。
ところが、時折今でも列車に飛び乗りを試みる人たちがいる。
まぁ乗るためでなく、結果的に列車に乗ってしまった例がそのほとんどなのだけれども。
土曜日の夜、福知山線内の道場駅で通過の快速列車に飛び乗りをした若い男性がいたそうである。
列車の運転士が突然人が乗ってきてびっくりした(わだらん意訳)そうである。
どうもあとからネットで漏れ聞こえた話によれば、電車前面の貫通扉をこじ開けてその方は電車に乗ったらしい。
飛び乗りをした客はもちろん別の目的で列車にダイブしたわけだが、結果的に命は取り留めたようで幸いである。
飛び乗りというと、わだらんは未だにもう10年近く前だと思うが、茨木の一件を思い出す。
新快速に飛び乗りをした客がいて、前面ガラスと運転台仕切ガラスを破って車内に乗ったそうだ。
近くにいた乗客のみなさんはさぞびっくりしただろうし、ましてや命を落とされた事故を目の当たりにするのはびっくりでは済まないのではなかろうか、と思う。
ところでこれまた5年ほど前だと思うが、住吉駅で新快速から飛び降りた客がいた。
飛び乗りも傍目で見ていてかなり恐いものであるが、飛び降りもまた恐いものだと思う。
やはり列車は停まった状態で乗り降りするに限るのである。
しかし毎日のことながら、駆け込み乗車によるドアの再開閉に付き合っている。
列車の遅れにもなりかねない駆け込み乗車は厄介者以外の何者でもない。
と言っても今の世の中新幹線のような長距離優等列車ですら駆け込み乗車があるのだから、通勤利用の新快速で駆け込み乗車をなくすのは無理だろう。
せめて扉の開いていない列車に乗ろうとする行為だけはなくなってほしいものだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 名物がその地の産物かどうかは大人の事情
6/13
昔、まだわだらんの目が輝いていた時代の話である。
東京へ出かけた父親が土産にいつも鶏のこどもの形をした黄色のまんじゅうを買ってきてくれた。
子供心にとてもおいしく、なんとも東京とはうまいものがあるものだ、と思っていた。
がしかし、実はそのお菓子というのは福岡博多のお菓子であって、本来東京の土産ではない、ということをのちになって知った。
もちろん東京でしか買えない(と思っていた)ので、十分東京土産であったのだけれども。
まぁ売っているところと作っているところが違う例は珍しいことではなく、温泉饅頭のたぐいなどは
確かにその地の名前の入った商品ではあるが、実際どこで作っているかよくわからない。
考え出すと土産とは何か、などとくだらない疑問にぶつかるわけで、深く考えずに名物だ、と思っている程度でよかろうと思う。
金曜日、思うところがあって、久しぶりに帰宅時に阪神百貨店内のスナックパークで「えきそば」なるものを食べてみた。
もちろん姫路駅ホームでは何度となく食べているものであるが、梅田でわざわざ喰うものなのか、と思っていたのだ。
えきそばは姫路で食べるからえきそばなのだ、とわだらんの勝手な思い込みがあったのだ。
ところが、先日、えきそばのカップ麺なるものが出てきて、また野洲駅コンビニでも売っていたものだから、つい買ってしまったのだ。
そして深夜にカップ麺を食べながらちょっと考えてしまった。
確かにうまいのだが、何か違う。
その何かがよくわからなかったので、梅田で食べてみたのだが、やはりよくわからない。
おそらくカップ麺の方は、湯通しの加減か、あるいは製法の理由か、多少麺が違うように思えたのだ。
でも梅田で食べてみたものもどうも違うように思う。
結局のところ、雰囲気なのだろうか、と思う。
そんなわけで、このえきそばカップ麺、確かにおいしいが、やみつきになるとまでは行かないのかな、というのがわだらんの感想。
もちろんこれは個人の感想であって、わだらんのおつきあいを頂いているみなさまにはまた別の感想をお持ちのかたもたくさんおられるだろうけれども。
やっぱり姫路のホームで食べるからえきそばなのだろう。
実際梅田のここ阪神スナックパーク内でえきそばが姫路の店と知って食べている方はどれほどなのだろう。
そういえば、同じスナックパーク内で売られている御座候という饅頭も阪神百貨店の名物ではなく、姫路の名物なのだが、
買って行かれる方は姫路の名物などと気にしていないのだろうな、ましてや姫路のものとご存じの方は少ないと思う。
そういえば、子どもの頃、ひかり号の車内で静岡のわさび漬けとか、浜松のうなぎ弁当とか売っているのが不思議であった。
これも今になって思えば沿線の土産物としてはずせないものなのだろうけれども、何で停まらない駅の名産を売っているのかと子供心に疑問に思っていたのだ。
そう、結局土産物など大人の都合であって、知名度の高さが正しい認識かどうかなど関係ない、と妙に一人で納得してしまう。
だいたいわだらん自身、帰りがけに大阪駅で売店に積まれた某伊勢市の餅菓子を見て、買って帰ろうかとちょっと気になるのだから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 事故も迷惑だが、事故後も迷惑
6/10
よくネットの掲示板などで、昼間やラッシュ逆方向などの列車で「無駄に編成が長い」という趣旨の書き込みがある。
確かに無駄ではあるのだが、現実論として、特に運用ヲタから見れば車両の送り込みとか戻しとか、
なかなか乗客数の多少に関係なく車両を走らせねばならないのがよくわかる。
もちろん無駄な編成、例えば朝10時過ぎに琵琶湖線を12両編成の普通電車が米原へ向けて次々登っていくが、これとて確かに琵琶湖線内、
特に草津を過ぎるとがらがらの車内だが、でも三ノ宮や大阪までは混雑激しい(のであろう)から、編成を短くするわけには行かない。
野洲で後ろ編成を落とすのも手かと思うが、案外と野洲はホームが詰まることが多く、あまり停車時間がとれないという問題もある。
野洲駅が下りホームも両側に線路を持つ2面5線ならずいぶん変わるのだろうけれども。
どちらにしても車両の運用とダイヤは切り離せないもので、特に琵琶湖線を含む本線の快速や新快速は走行距離も長く、
なかなか乗車率と編成長さが合致するのは難しいようだ。
だからこそ運用ヲタの面白みがあるわけで、毎日乗っても飽きないのだが。
さて、火曜日の朝のことである。
いつものように713Mの最後尾8号車に乗り、窓側座席の肘掛けにもたれつつ熟睡していると、目覚まし時計で目が覚めた。
もちろん本当の目覚まし時計でなく、防護無線受信の警報音である。
できることなら聞きたくない音であるが、後部運転台から聞こえる警報音とともに電車は停まってしまった。
ちょうど山崎と島本の中間地点で、おそらく先頭車が若山台への高架道路の下あたりかと思われるところである。
ただ幸いなことに事故はこの713Mの後方、山崎駅構内の踏切で起こったとのことで、713Mには障害はなく、
指令からの出発指示取り付けに時間がかかったものの、なんとか17分遅れで動き出し、大阪20分延で済んだ。
ありがたいことで、もし小寝坊して715Mに乗っていたら、見事にひっかかっていたはずである。
毎度のことながら事故が起こればダイヤは乱れるし、できる限りそんなダイヤ乱れには遭いたくないものだ、と思う。
そんな朝から始まった一日も無事に仕事が終わり、帰宅する。
3502Mがいつもは12両のところ今日は10両、それならもう目の前の3500Mに乗るとするか、と大阪駅18:00の新快速で帰宅。
細かい遅れはあったもののなんとか順調であった。
3502Mはきっと何かの快速T電の折り返しがそのまま運用についたのであろうか、朝の719Mがそのまま走り回っているのだろうか、などとヲタの推測。
ダイヤ乱れを収束させるのは運転指令の腕の見せ所、それについて行かねばならない車両や乗務員の運用屋もまた大変だろうと、
やっと定刻に戻った夕方の列車を見ながら思っていた。
ところが、翌水曜日、駅へ行って驚いた。713Mが6両なのである。
夕べのうちに運用まで完全に戻らなかったのだろうか、ただ野洲も草津も6両でちゃんと案内をしているところを見ると、
朝の時点で計画的に6両という情報が指令からでていたのだろう。
前日夜の412運用が正規の8連でないままだったのだろうか、と運用ヲタの推測。しかし8両が6両になると大変である。
いつもなら草津は座席の選択不可ながら全員着席ができるのに、今日はもう座るだけで精一杯。
案の定南草津、石山とどんどん客は増えていき、京都や長岡京での降車分を高槻や茨木で一気に盛り返して車内は大騒ぎ。
ダイヤが乱れていなくても編成が変わるだけでいつもと違う混乱を起こすものだ、
とダイヤと運用のことの関連付けのからくりをあらためて思う運用ヲタのわだらんである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 千客万来、珍客でも万来
6/7
琵琶湖線も新幹線も東京へ向かって野洲を過ぎると線路の周囲が開ける。
特に新幹線の場合、線路に沿って防音壁が続いているのだが、野洲から近江八幡にかけては防音壁のない区間が続き、
新幹線車両の足まわりを見ることのできるすっきりとした線路が続いている。
線路に近いところからでも遠くからでも新幹線や貨物列車を編成で堪能できる気持ちのよいところで、わだらんのお気に入りである。
何しろ貨物列車は最大26両も繋がっているので、編成長さは530m(機関車を含めず)となる。
北米の1マイルトレインにはかなうはずもないが、それでも結構な長さで、踏切で待っているとその長さを実感することができる。
そんな長い列車を機関車から最後尾まで一目で見ることのできる見晴らしの良さは、なんとも気持ちのいいものだ、と思う。
この季節、そろそろ麦の穂が金色になびきだし、通過していく列車にアクセントを与えてくれる。
なんとも優雅な気分になる風景である。
そんな場所柄ではあるが、田舎でかついわゆる有名撮影地ではないので、今まで鉄ヲタ、いわゆる撮り鉄なるものにあまり遭遇したことはない。
いや、正確には時折カメラを持った人間を見ることはあるのだが、大挙してやってきたということはないし、
作例が雑誌などに載った例を見たことがない。
工夫すれば何かいい作品ができるのかもしれないが、わだらんのような素人にはわからない。
野洲篠原間は作例の好適地なのかどうかプロの鉄道写真家の方の意見を機会があれば聞いてみたいものだと思う。
しかし、鉄ヲタが集まるような場所でもないのに、日曜日の夕方、にわかに人が集まった。
もちろんかく言うわだらんもその部類なので、人の行為を笑える立場ではない。
16時半過ぎに野洲派出所の先、新踏切の付近にわだらんが車を停めてみると、ざっと見た限り踏切や水田の中(もちろん区画の道沿いで、
水田の稲の中と言う意味ではない)などに5人はカメラを持った人間がいる。
中には家族連れの姿も。
日頃滅多に鉄ヲタ、撮り鉄など見ることのないところで、この姿は壮観である。
そしてそのみなさんのお目当てである、JR東の成田エクスプレス、工場で製作されたばかりの新車を輸送する列車がやってきて、去っていった。
野洲で見ることのできない車が目の前を通るのはやはり不思議な光景。
わざわざ出てきた甲斐があるものだ。
これがきっと島本や山科あたりだと場所取りとか場合によっては怒号なども飛ぶのだろうが、野洲のあたりは至って平和。
あまりヲタが集まってくるのもこのご時世よろしくないわな、と自宅からわずか2kmの距離でゆっくりと列車を見送ることのできる場所に恵まれていることに感謝である。
ちなみに「学研のずかん百科・日本の電車1500点」という本には野洲篠原間で撮った(はずだ)びわこエクスプレスの写真が載っている。
周囲の状況から撮影場所は容易に特定できるのだが、視点がずいぶん高い位置にある。
高所作業車のアームに乗ったか、あるいは架橋工事中の足場を利用させてもらっているのか、わだらんにはわからない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 両方向とも流動がある高密度輸送線区
6/5
一般的に通勤通学利用の多い路線は輸送量が時間帯によってある方向、片方向に偏ることが多い。
当然朝は都心向き、夜は周辺向きになるので、列車本数も一般的に上下列車が時間帯で異なる。
もっとも極端なのが北米の通勤列車で、朝住宅地から数本続けて列車が出発し、都心で昼寝をし、夜住宅地へ帰っていくのだ。
その間日中はほとんど列車がない。
まさに徹底した通勤輸送で、そこまで無駄を省けばこれはまた鉄道経営として成立するのだろう。
ところが日本だとそうはいかない。
そもそも都心に列車を収用できる土地がない。
結果車庫まで回送もしくはがらがらの営業列車で戻ることになるので、当然輸送効率は悪くなる。
逆に言うと反対向け、つまり朝の都心向けの逆方向に客がいれば輸送効率は上がるわけで、かつての私鉄王はみなそろって沿線に学校や工場を誘致したのである。
阪急の神戸線や京都線は朝学生が大量に乗っているが、これも昔の経営陣の努力の賜物といえる。
さて、わが琵琶湖線はどうかというと、ほぼ片方向、朝は下りの大阪京都向け、夜は上りの草津米原向けが混む、これは当たり前。
ところが、実は琵琶湖線の逆方向も相当の混雑なのである。
特に朝の上りは車両が基本的に下り列車に使われてしまうこともあって、短編成でかつ本数が少ないのだ。
彦根にかけて高校や大学、そして比較的大きな事業所があるし、野洲や草津、石山などは通勤利用も多い。
野洲駅でも朝下り列車に乗る乗客が多いのは当然だが、野洲で降りてバスで各事業所へ向かう通勤客も多い。
野洲や守山で下り列車は選択が正しければ座ることができるが、上りは絶対座れない。
ましてや朝いつも713Mでわだらんが大津ですれ違う700Mは6連で十分すぎる混雑で、悠々としているこちら下り向けが申し訳なく思えるほどである。
各種条件が揃って大学や大規模事業所が集まる琵琶湖線沿線、もう少し朝の上り向けに手をさしのべることはできないのだろうか。
ところで、この時期の風物詩となった滋賀県高校総体が木曜・金曜とある。
以前彦根の陸上競技場へ向かう高校生が数少ない上り列車に集中して大騒ぎになったことがあり、今は早朝に一本臨時列車が出ている。
京都627発、米原737着と、定期700M救済で少し前を走る列車。
最初の頃は京都の113系が多かったが、ここしばらくは網干の223系8連が多い。
この総体のおかげで朝早くに駅が高校生であふれるが、なんとか臨時列車で捌いていくのである。
でもそんな臨時が出せる車両があるのなら、定期化しても罰は当たらないと思うのだが、どうだろう。
京都から野洲までずっと立っている通勤客も多いのだけれど。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 適度な田舎だから住みやすい
6/2
今年も蛍が駅のそばの小川で舞い始めた。
もともと田んぼの至る所にいたであろう蛍であるから、線路のそばで舞っていたところで何ら不思議ではないが、
でも人の住む、マンションが林立する中を駅からすぐのところで舞っているのは何となく感激する。
それだけ自然が豊かということなのだが、逆に言えばそれだけ自然が守られているとも言える。
年に二回地元住民による小川の清掃はあるし、ゴミなどの投棄もない。
いや、正確には時折ゴミが流れていてはいるのだが、誰ぞかれぞその都度拾ってきれいにしているので、常に小川はきれいに保たれている。
琵琶湖の水質悪化が問題になった時点以降、特に滋賀県民は琵琶湖を守る、あるいは環境保護に対する意識が高いのだろう。
すべての市町が琵琶湖に接しているわけではないが、県全体として琵琶湖を大切に思う気持ちを持っているのではないか、と思う。
願わくば県外から遊びに来る人間もより琵琶湖の環境保全に興味を持ってくれればいいのにと思うのだが。
ところで先日野洲のわだらんの自宅にほど近いところにいた知り合いがマンションを買って大津市内に転出した。
勤め先が野洲から長岡京になったそうで、もちろん野洲から長岡京に通勤している人間はたくさんいるのだが、
その知り合いは膳所にマンションを買ったそうだ。
確かに車窓からも某百貨店の横に最近できた大がかりなマンションを見ることができる。
ということはあのマンションの高層階ならば、琵琶湖線の電車が家からみえるのだな、と。
もっとも多くの人間は琵琶湖の眺望が目当てで、電車を見ることを目的にする人間は皆無だろうが。
しかしここ5年程度の間に膳所にも石山にも大規模マンションが大量に建った。
時折野洲にも広告が入るのだが、都心の便利さと琵琶湖や瀬田川の眺望を売りにしている。
いつの間に瀬田川橋梁と新幹線の間にこんなにマンションができたのか、とびっくりするのだ。
しかしさすがに眺望がよくてもにおの浜に蛍はいないだろう。
通過する貨物列車の音を聞きながら静かに流れる小川で蛍の舞いを見ながら、
適度な田舎の生活は楽しいものだ、と悦にいるわだらんである。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |