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10年  7月

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870.  7/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  アルバイトで本線運用、本業は湖西線

869.  7/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  当時から野洲が通勤圏の北限であったようだ

868.  7/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路の両側から駅を利用するためには橋上駅舎化が一番簡単か

867.  7/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新車を納入先に届ける仕事

866.  7/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  今日は短い8両の運転、補助椅子解放はしません

865.  7/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大雪対策の新車は冷房車

864.  7/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  見慣れない列車が停まった姿は悪いことが起きている知らせ

863.  7/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  膳所の三線軌道が明石のひっぱりだこめしへつながる無駄な思考

862.  7/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  観光で人を呼び、産業振興で人を呼び

861.  7/9  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  銀河も座席のみで企画切符割引をしていれば生き延び得たか

860.  7/7  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  芝生広場を走る電気バスは環境へのPR?

859.  7/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路内で耕作しないで下さい、と立て看板で済む余裕

858.  7/2  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  紙切れ一枚で他社線に乗れるのはうれしいことなのだけれど

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  アルバイトで本線運用、本業は湖西線

 

7/30

先日京都をねぐらにしていつも滋賀県内を往復している113系700番台のことを書いたところ、

一時期電動車ユニットが本線快速に入っていましたよ、とお知らせをいただいた。

78年の国鉄車両編成表を見ると、確かに高槻区の本線快速基本編成に700番台がいる。

つまり700番台の一部は大垣や播州赤穂にも行ったことがある、ということになる。

ちなみに700番台の車両数(MM'各25両とTc32両)を見ると当時の湖西線運用に必要な車両数を超えているように思え、

わざと大阪鉄道管理局が本来の湖西線運用に必要な車両数以上に過剰な新車を要求していたのか、

あるいはもともと本線使用も考慮しての車両数であったのかはわからない。

ただはっきりしているのは、この頃は今より編成内の入換がずっと多く、また予備車もバラで持っていて、

今のように編成単位で運用や保守を行うことがほとんどなかったのだろう、と言うことである。

車両数も編成数も今よりずいぶん少なく、車種も多岐に渡っていたので、編成で予備を持つのではなく、

車種ごとに予備をもって、適度に編成内入換をしていたわけである。

ちなみにこの頃の本線快速は高槻、宮原、網干でそれぞれ車両を持っていて、その電車区ごとに予備車を持っているので、

より一層今と違って予備のバラ車を見かけることが多かったのだろう。

昔はだいたいどこの電車区にも編成をはずれた車両が隅に留置されていたものだが、最近はそんなバラ車を見ることは少ない。

ましてや高槻は車両配置自体がなくなってしまい、単なる電留線と化してしまっているので、編成をはずれたバラ車がいることがない。

客車の時代は機関車客車それぞれが違うねぐらを持って大きな駅構内でいつも列車の組成作業をしていたものだが、

電車になって機関車の付け替えはなくなり、さらに電車が編成管理となってばらされることがなくなっては、入換作業も入れ替えようの線路群も不要になってしまうのだ。

車両基地の集約は国鉄時代に組合が合理化反対の象徴として反対闘争をしていたものだが、

実際に車両配置箇所が減れば入換も予備車もそして線路設備自体不要になるわけで、その効果はとてつもなく大きいのだろうな、と思う。

 

その高槻派出所の旧研修庫内に225系がいる。

まだぴかぴかのはずだが、研修庫の中なので詳細はわからない。

いずれ嫌ほど見る機会も乗る機会もできるだろうから今から焦って騒ぐつもりはないのだが、やはりどんな車内かちょっと気にはなる。

一部には車窓が見えにくくなっているようだとの話があって心配なのだが。

朝野洲駅の6時台初めは20分の間に221系が28両続けて下っていく。

今は網干に8両一度に台車抜きのできる長い大きな研修線があるので、大きな検査時にも編成をばらさなくてすむ。

もちろん225系も8両の編成単位で運用保守されるのだろうけれども、225系の増備が進めば221系の本線快速追い出しが進むだろう。

本線快速を離れれば6両や8両編成は不要になる、運転台取り付け改造がひょっとすると始まるかもしれないし、

どうやって転配されるのか、225系の出来映えより221系の行く末の方が気になる。

今の221系にとって編成をばらされることは都落ちと同意なのかもしれない。

とはいえ、まずは221系の転配より、113系700番台のことを心配しなくては。

ずっと琵琶湖のそばを走ってきた滋賀県民の大事な足であった車である。

編成をバラされた話を聞くと、ちょっと心が痛む。

もう彼らにとって編成をばらすことは末期がきたとほぼ同意であるのだから。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  当時から野洲が通勤圏の北限であったようだ

 

7/28

この月曜日、東京から旧友が来ているというのでわだらんを含めた在阪の3人と梅田阪急東通に繰り出して4人で小宴会をしていた。

何しろもう四半世紀を越えるつきあいなので、お互いなにも飾らず気取らず楽しいひとときであった。

たださすがにみなそろそろ体がおかしくなってきたりとあまり先が明るい話題がなかったのは残念なことであるが。

そんな話も盛り上がり、21:45の新快速に間に合わなくなってしまった。

ここが思案のしどころで、そのあとの米原行きに乗ってもし寝込んでしまうと折り返しがない。

ならば腹を決めて22:40狙いで行くか、とまた座り込んでしまった。

回りは阪急山本と阪急高槻市、そして京阪森小路が自宅で、わだらんが野洲まで帰れるのかと心配してくれる。

もちろん野洲へ帰るに何も問題のある時間でなく、心配無用とまた小宴席が続くのである。

これがこのメンバーと知り合った頃、例えば1981年7月の時刻表を見ると21時以降の野洲への電車は21:15、21:55、22:15、22:35、23:21しかない。

正確には23:25のC電京都行きに乗ると京都始発の最終の野洲行きに乗れるのだが、わずか4分差ではあまり意味がない。

2010年の改正で最終が繰り上がったとはいえ、この頃に較べるとずいぶん便利になったものだ、とあらためて思う。

何しろこの頃はまだ快速の京都止まりが時折出現していて、19:25のあとは野洲へは19:55までない、

つまり19:40やあるいは上に揚げた時間帯の21:35などは京都から先には行かないのだ。

もちろんこの頃は今より滋賀県内からの大阪通勤者はずっと少なかったのだろうけれども。

 

さて、酔った体でJR大阪駅まで小走りし、9番に上がったのが22:36。

何とか間に合った、と喜んでエスカレータを上がっていくと目の前を電車が走っている。

あれ、と酔った頭で発車案内を見ると今目の前を走っていったのは遅れの22:20発の3540Mであることがわかった。

東加古川で人身事故があったなどというのはホームに上がって初めて知ったのである。

これはちゃんと帰れるのかな、と思っていた矢先、そのほぼ3分後に定刻に3542Mが入ってきた。

しかも先行12両編成のすぐあと続行の12両なので車内は見事にがらがら。

こんな空いた新快速など一生に何回あるかと思える状態である。

運転席すぐ後ろの向かい合わせを占領して気分はすっかり夜行列車。

体をL字に曲げて熟睡である。しかもありがたいことにこの3542M、結局野洲までほぼ定刻。

さすがに深夜近くになって指令の扱う列車本数が減るとダイヤの回復も早くなるのだろうか、とすっきりした頭で野洲駅改札を抜ける。

人身事故があったにもかかわらず電車の遅れはなくしかも空いた電車と楽しい時間のあとのありがたい帰宅になった。

これが40分間隔の開く頃なら、とてもこんなのんびりした車内ではなかっただろうに、と今のダイヤに感謝をするのである。

もちろんだからこそ草津などからの大阪通勤者が増加したのだが。

 

ところがこの事故、翌朝まで響いていたようで、

わだらんがいつも乗っている713Mの次の電車、大阪7:38着の715Mが火曜日朝8両だった、と人から聞いた。

いつもの715Mだと221系12両で、比較的この時間混む編成後尾も野洲守山では確実に、草津でも4人席なら座れる電車である。

が、これが8両で来ると、先頭位置揃えの野洲守山では後ろ4両分をまとめて最後尾8号車が受けることになり、栗東ではもう空席はないはずである。

朝駅に着いて編成が短いのにびっくりする通勤者のかたの姿が容易に想像つくのである。

やっぱり少し遠くても草津より野洲の方が何かと便利だ、少なくとも座席確保については、と思う。

今から四半世紀前の朝の快速、もちろん113系であるが、どんな混み方だったのだろうか、草津では座れていたのだろうか、

こればっかりはとても想像がつかない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路の両側から駅を利用するためには橋上駅舎化が一番簡単か

 

7/26

国鉄型配線と呼ばれる線路配置がある。

もちろん正式な名称でなく、あくまでヲタが自然発生的に付けた呼び方なのだが、言い得て妙だと思う。

つまり、駅舎が広場に面して設置されていて、その駅舎の反対側に1番線があり、さらにホームがもう一面あって2番線と3番線が両面にある形である。

単線区間では1番線と2番線が上下本線で駅舎から一番遠い3番線が中線として停車の上下列車が優等列車の待避に使う線として、

また複線区間では1番線と3番線が上下本線で中央の2番線が中線として上下列車とも使用できる待避線の形。

2・3番線ホームには駅舎側ホームから跨線橋を越えていき、かつその2面のホームの間、1・2番線を横断する業務用通路を持っているのが一般的。

ちなみに駅舎内改札は駅前広場から伸びる町村の中心地への道路の延長線上にあり、

逆に駅へ続く通りから駅舎にはいると左側に出札窓口と手荷物扱い所、そして改札を挟んで駅舎右側は売店と待合室というのがほとんどの駅の構造であった。

なぜ駅舎の左側に出札、右側に売店があるのかよくわからないのだが、それが自然発生的なのか、

あるいは昔の国鉄、いや鉄道省あたりの標準設計書にあるのかどうか、わだらんは不勉強でわからない。

ちなみに野洲駅もその国鉄型駅にほぼ一致する。

ただし下り本線と中線の間にホームのない下り1番線があったので、跨線橋は合計3本の線路を跨いでいたかたちであるが。

 

かつてほとんどの駅がその典型的な国鉄型駅であった湖東線区間は大阪万博前後から急激に橋上駅舎になった。

つまり国鉄型駅舎では、駅舎のある方は駅前広場があって駅への利用が容易であるが、

駅舎の反対側はどこかで線路を渡って駅舎のあるほうへ行かねばならず面倒なのである。

駅舎ができた当時は駅舎の反対側には人家がない場合、あるいは工場のみがあったところがほとんどで、駅舎は片方でよかったのだが、

昭和40年代にはいると駅の反対側も都市化が進行してきて、駅舎というか駅利用を容易にしなければならなくなったのである。

ちなみに野洲駅の場合も1972年に橋上駅舎になったのだが、それ以前の野洲駅北側は水田しかなかったのである。

 

そんな野洲駅の橋上駅舎が7月28日から耐震工事を始めると駅の告知にあった。

このところホーム横で資材の搬入をしているのはそのためだったのか、と納得である。

1972年の建設だと今の耐震基準に合わないのだろう。

駅舎の壁や柱が太くなるのだろうけれども、橋上部分から見える線路やホームが見にくくなるのかどうかちょっと気になる。

野洲駅の駅舎は上から車両の運用番号をチェックするのが便利なので、それが見にくくなるのは嫌だなぁ、とちょっと心配である。

ところで野洲で耐震工事が始まると言うことは、野洲より前にできた草津や石山、瀬田守山なども耐震工事が始まるのだろうか。

駅舎の構造が大きく変わることはないのだろうと思うが、実は石山も草津も守山もそして野洲も近江八幡も、

橋上駅舎の駅事務室が昔地平に駅舎があったころの駅舎と改札からみて同じ側にあるのは何か理由があったのだろう、

と「駅のはなし」(交通ブックス104:成山堂書店)の中に記載のある出来立てぴかぴかの草津駅舎の写真を見ながら頭を捻ってみる。

最近は駅を尋ねるのがブームのようだが、でも駅舎の生い立ちや駅舎の設計そのものにまで思いを巡らすまでに至らない話が多いのを

少し残念に思うわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新車を納入先に届ける仕事

 

7/23

先日成田エクスプレスの新車が工場からの出荷で野洲を通ったと書いたのだが、今朝は東京メトロ東西線用の15000系の新車輸送とすれ違った。

列車は少し遅れていたようで、いつも乗っている713Mがちょうど石山停車中に上り外側を通過していったのは車両の観察に好都合であった。

野洲からの車窓で途中ヲタが散見していたのはこのためか、と列車を見て納得である。

JR貨物の機関車が東京メトロの車両を引っぱっているちょっと不思議な光景。

ちなみにこの状態はまだ東京メトロの車両ではなく、あくまで日立製作所の持ち物であって、

日立製作所がJR貨物に依頼して自社製品を引き渡し場所まで運んでもらっている状態である。

きちんと言えば車両甲種輸送となるのだが、そのこだわりはヲタだけで、一般の方には何のことだか理解できないだろう。

ただ、日頃見ない車が突然やってくるのは多くの通勤客にとってはびっくりだと思うのだ。

 

トラック業界はどうなのかよく知らないのだが、国鉄時代から鉄道貨物の積み荷のことを社内では財源と呼んでいるそうである。

確かに収益のもとになるものだし、ただ貨物とか積み荷とかいうと自社のこととかと話がこんがらがるので、財源という呼び方はなかなかよくできたものだと思う。

荷物が少なくて貨物列車の編成が短いと「今日は財源が少ない」とか、場合によっては「財源なしで運休」とかということになる。

もともと鉄道貨物の得意な分野は重厚長大、例えば石炭とかセメントとか米などといったものなので、なおさら財源という呼び方がぴったりするように思う。

さて、今日のこの甲種輸送列車、財源は鉄道車両である。

一般的には新車を製作工場から使用する鉄道会社の線路まで運ぶ列車がほとんどなのだが、時折中古車、

特に鉄道会社間の譲渡や売却などで車両を受け渡しする場合も甲種輸送列車となることもある。

鉄道会社の懐具合がよくなって新車がどんどん導入されれば新車の輸送も、あるいは会社間譲渡ももっと増えて面白いだろうが、この先どうなるだろうか。

 

ところで木村定男さんなどが絵本に描かれた昭和30年代〜40年代の貨物列車にはバスが貨車に載せられていく姿がある。

当時のボンネットバスやキャブオーバーバスなどが絵になっている。

まだ道路事情のよくなかった頃は、悪路を自走して納車前に傷んでしまったりすることもあったのだろうか、

まだ鉄道輸送の方が正確で傷みも少なかったのだろうか、と思う。

今は高速道路がほぼ全国にあり、多少自走しても車体が傷んだり足まわりが故障したりとかはないのだろう。

でも全国いろいろなところでいろいろな色をまとった路線バスのしかも新車が貨車で運ばれていく姿をこの目で見たいものだとちょっと妄想。

路線バスは地方鉄道、ローカル線の車両よりまだ地域密着、紹介も少なく実際その地へ行ってみないとわからないことも多い。

もし野洲を色とりどりのバスが財源で通っていけばさぞ楽しいのだろうけれども。

もっともあまりマイナーなバス会社なら見てもどこだかわからないようなことになってしまうだろうか。

ちなみになぜ路線バスかというと、貸切バスの多くは背の高い車で鉄道貨物輸送ができないし、

ましてやできる大きさであっても現状貸切バスのほとんどが富山と小松で作られているので、野洲を通ることはないのだ。

一方路線バスなら高さは何とかなるし、バスはほとんどが富山と宇都宮で生産されているので、

宇都宮で作られたバスが西へ送られるのなら野洲を通るか、とばかばかしい妄想に理屈をこねてみる。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  今日は短い8両の運転、補助椅子解放はしません

 

7/22

もう10年近く前、まだ221系の新快速が元気だったころの話である。

大阪20:15の新快速が草津止まりであった。

というか10年前あたりではまだ新快速の米原長浜系統以外は野洲発着は少なく、多くが草津発着であったころだ。

それでも少しずつ緩急接続が整備されていった頃で、草津着の新快速から米原行きの普通電車に対面接続が夕方以降取られるようになっていた。

わだらんのような野洲住民やあるいは栗東守山そして八幡彦根のみなさんと大挙して草津駅のホームを横断していたのだ。

もちろん今でも草津着列車での接続を取るものはあるし、野洲でも同様の光景が見られる。

ただ、守山野洲住民が新快速で直接野洲まで来るのと、草津で普通電車に乗り換えるのはずいぶん違う。

そしてその大阪20:15発の草津行き新快速を草津で待ち受けるT電、当時の812Tは6両であった。

8両の新快速から吐き出される栗東以遠の大量の客を6連の221系が吸収するのは大騒ぎで、当時この812Tこそ琵琶湖線の最混雑列車と信じてまず間違いなかったと思う。

そののち20:15の新快速が野洲延長になって812Tに取り残される心配をすることはなくなった。

今のようにネットが普及していれば「地雷」と揶揄されるに違いなかった状況は、草津受けを野洲受けにすることで劇的に変わったのであった。

 

もちろん今でも6連のT電はあり、ラッシュに間違って入ってしまうともう大騒ぎである。

21日は吹田駅の人身事故のおかげでわだらんの乗った713Mは大阪駅62分遅れ、8時半の最混雑時間帯の到着であった。

ただでさえ事故後の運転整理が追いつかない状況で列車が少ないところに8連でくるわけだから、高槻や茨木の状況など容易に想像がつく。

とにかくドアを閉めるのが大変なのであった。

ちなみに21日は朝の吹田の他にも踏切支障だの公衆立ち入りだのと大騒ぎ、

帰りも大阪着定刻で入ってきた19:15発の3512Mが大阪発時点で7分延、野洲に着いたら25分延とこれまたいつもよりたくさん電車に乗っていたのだ。

いつもと違うところを長時間電車に揺られるのはうれしいことだが、いつもの区間を余計に時間がかかって列車の中で長く過ごすのはいいことではないわな。

でも21日は往復とも座れていたのでまだありがたい、贅沢は言うまい。

 

ところが今日22日のことである。

大阪18:15の3502Mはいつも通り12両。

エスカレータを早足で上り、既に乗車が終わって落ち着きかけた先頭車に乗り込みすぐ発車。

うまいこと新大阪下車の中年おじさん前に立てて、新大阪から熟睡である。

あとは草津の乗り換え、とのんびりくつろいでいたのである。

列車は定刻に草津に着き、ホームに入ると向かいに大垣行きがいる。

いつもの光景である、はずだった。

先頭12号車が所定のホーム先頭位置に停車し、さて乗り換えようとすると、目の前に電車がいない。

806T大垣行きはなんと今日はW編成の8両なのだ。

つまりいつもなら4+8で前4両が大垣行きなのに、今日に限って後ろ8両のみの運転である。

となると米原で車両交換になるのだが、米原の作業がどうなるかはわだらんの想像を超えるところだ。

おそらくは米原6番に着線変更をかけ、大垣行きは何か別編成を仕立てているのだろう。

しかし12両の新快速から8両T電に乗り換えるのはまた苦行である。

前述の812Tよりはまだましだったのだろうが、でも大変な混雑である。

やれやれ。

ちなみにこの806Tの編成変更がまだ昨日の事故障害の影響なのか、はたまた今日の朝に起きた稲沢の人身事故のためなのか、

わだらんにはよくわからない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  大雪対策の新車は冷房車

 

7/20

113系と115系電車といえば、どこにでもいる、どこでも走っている、本当に近くにいる電車である。

関西地区の直流電化区間で113系または115系を見ることができなかったのはせいぜい加古川線と羽衣線か和田岬線のような枝葉の部分のみである。

草津線も湖西線も、あるいは播但線だろうと和歌山線だろうと、みなどこにでも走っていた。

国鉄時代は新規に電化が完成して必要になる電車を都市部に新車を入れた玉突きで確保していたし、

JRになってからも嵯峨野線の電化時に網干の初期車ばかりを集めていた。

その転配のおかげでどこにでもいる電車になってしまったのだが、逆に言うとどこでも使える汎用車であったわけだ。

ちなみに113系と115系の違いは戻しノッチ、つまりいわばエンジンブレーキが効くかどうかの違いで、

戻しノッチの効く115系は勾配線用、戻しノッチのない113系は平坦線用であった。

平坦線用の113系は東海道線や房総地区のような温暖な気候がベースなのであまり寒さ対策はとらず、

一方勾配線用の115系は信州や上越での使用を考慮して寒さに強い電車になっていた。

 

ところで、転配で生まれて以降転属の多かった113系の中で異端児が113系700番台である。

温暖地用113系の中で寒冷地対策をして、でも戻しノッチがいらないから113系の仲間、とちょっと異端。

さらに異端なのは生まれてからずっと、その仕事場が滋賀県を主にしていたことである。

嵯峨野線が電化された以降は京都園部間を主な仕事場にした車も多かったが、それでも京都駅を発着し、向日町をねぐらにすることは変わっていない。

仕様がちょっと他車と異なるという理由でずっと湖西草津線を主に働いてきたし、その仕様故新車で直接電化新線に投入されたのである。

 

まだ本線113系に冷房車が少なかった頃、湖西線電車は冷房車率100%であった。

電動の方向幕を全車に持った新車の編成はなんとも美しかったことを今でもはっきり覚えている。

湖西線113系を使う大阪網干間の快速が日に1本あって、これは必ず冷房車がくるお得な列車であったのだ。

屋根に12個集中式クーラーが並んだ姿は壮観であった。

でも本線運用はその1往復のみ、あとは湖西線運用(のちに草津線も加わるが)だけという地元密着の電車であった。

ここ5年ほどで急速に転配や廃車が進んで、岡山や広島で仕事をしているものや、既に姿を消した車も増えてきたが、

やはり113系700台車は京都をベースに運用している車という印象が強いし、これからもそうであってほしいと思う。

 

ところで今日は異端者113系700台車の登場理由となった湖西線の誕生日である。

1974年7月20日生まれなので、今年で36年。

夕方時間1本だった普通列車はいまや時間4本に成長し、多数の通勤客を運ぶ都市近郊路線になった。

地道にローカル輸送に徹する113系700番台であるが、でも後継車が次々出る状況ではちょっと形勢不利である。

ましてや今までずっとまとってきた湘南色から緑一色に塗り替えられた仲間も出てきて、にわかに周囲がうるさくなった。

湖西線の開業日を祝う催しなどはなかったようだが、一方で湖西線の特殊条件、つまり湖西の寒さ対策に異端者となった700番台の記念日であることに

ほとんどのヲタは気づいていないし、ましてや通勤客はそんな誕生日であることすら知らないのであろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  見慣れない列車が停まった姿は悪いことが起きている知らせ

 

7/16

貨物輸送における鉄道の優位点は長距離大量輸送である。

アメリカは車の国と思われているし、実際旅客輸送における鉄道利用の割合などほとんどないに等しいのだが、貨物輸送は極めて大きな実績を持つ。

つまり大陸横断とか石油鉱石輸送など重厚長大の大量の物資が鉄道輸送されているので、実はアメリカは鉄道大国なのである。

日本でも長い40ftコンテナを積んだトレーラーを時折見かけることがあるが、アメリカの貨物列車はその40ftコンテナを2段に積んで、

しかも列車長が1kmを越えるようななんともスケールのでかい話である。

野洲の東海道線でも26両のコンテナ車をつなげた貨物列車が走っていて、さすがに長いなと思うのだが、

それをはるかに越える1km超の貨物列車とはどんなものなのか、ちょっと想像がつかない。

逆に日本では本当の重厚長大荷物は海運に頼るところが大きいし、近距離中距離は圧倒的に道路輸送なので、なかなか鉄道貨物が盛んにならない。

日本の地形や都市の配置からすれば致し方ないのかもしれないが。

 

でもやはり長距離の貨物列車は何か見ていてわくわくするものである。

特に宅配便業者や通運業者の大きなコンテナが積まれた列車はカラフルで楽しいものだ。

そんなカラフルな貨物列車の一つに1051列車というのがある。

東京貨物ターミナル駅を深夜23:55に出て、福岡貨物ターミナル駅に18:02に着く。

夕方以降に集められた小荷物などをコンテナに詰めて、翌日夜福岡に着き、翌朝小口配送となるものなので、特に私有の大きなコンテナが多い列車である。

東京タ駅から吹田信号所まで6時間58分、かなりの俊足。

そんな1051列車を14日朝草津駅で見かけた。

草津2番、貨物列車や回送列車の待避に使う線路に1051列車が停まっているのを713Mから見たのだ。

時間的に停まってまだ間もない頃のはずである。

ところがその14日、帰宅時にまた草津駅で1051列車がいるのを見た。

しかも翌朝もまだ停まっている。

その日の帰り、15日の夜に梅小路にいるのをまた見たのである。

結局2日に渡って朝夕見かけたわけである。

実際にはこの13日発の1051列車、吹田信号所で48時間手配、つまり2日後のスジに乗せ直すことになったので、福岡着は16日の夜である。

東京から福岡まで3泊4日の長い旅になってしまった。

貨物列車なので、乗客への炊き出しなどの考慮は不要なれど、荷物の追跡や荷主への連絡などさぞ営業窓口は大変だっただろうと思う。

もちろん現業のみなさまも大変なことは重々承知しているが。

 

そんな1051列車以外にも多数の列車が2日遅れで走っている。

それでもまだ走り出しただけよし、としなければならない。

梅雨末期の大雨は毎年のことではあるが、逆に言えば毎年あるのになかなか被害を防ぐことはできない、むしろ被害を0にすることは不可能なのかもしれない。

山陽線西部区間での線路冠水や倒木など多数の支障が復旧し、2日遅れながらでも列車が動き出し、

草津や石山など抑止駅にいた列車がいなくなるのはうれしいことだ。

貨物列車の観察には抑止されていれば最適だが、でも先へ進めず停まった列車を見ているのは楽しいことではない、むしろ悲しむことである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  膳所の三線軌道が明石のひっぱりだこめしへつながる無駄な思考

 

7/13

日本では国鉄が全国に1067mm軌間で線路網を持っていたので、1067mmが標準軌、1435mmを広軌と呼ぶことがある。

ただそれは日本で通用する呼び方であって、海外では一般的に1435mmを標準軌、それを越えるものを広軌と呼ぶ。

ロシアの1524mmとか、スペインの1668mmが広軌になる。

この広軌、過去には鉄道の軌間が同じだと安易に他国が侵略してくるおそれがあるといって軌間をわざと変えたのだそうだ。

もっとも今ではそれがかえって仇になって何かと不便な事態になっている。

軌間の違う区間を直通させるには台車ごと交換が手っ取り早く、ロシアとの国境などでは車体を一度上げて台車を交換している。

もっともそんな大げさな作業のために2時間近く駅に停車するそうで、確かに車体は直通できるものの、

この世の中あんまり悠長なことばかりでは先が長くないようにも思える。

 

そんなやっかいな軌道の違いをもろともしないのがスペイン自慢のタルゴ列車である。

ボギー台車構造をとらない特殊な車軸で軌間を変えられる、つまりスペインの1668mm軌間とフランスの1435mm軌間を台車の交換をせずに直通できる不思議な車である。

それでももう実用化はずいぶん昔で、しかももともとは曲線通過速度を上げるための機構であるが、結果的に軌間可変という世にも不思議な車両になっているのである。

日本でも新幹線と在来線を直通できる軌間可変電車を研究しているのだが、なかなかうまくいかないようだ。

車両の構造を変えずに、台車・車軸だけで軌間可変をするのは難しいのだろうか。

確かに今のやくもやしおかぜが新幹線から地上設備を大きくさわらずに車両が直通できれば便利であることは間違いないが。

 

かつて膳所浜大津間は三線軌道、つまり1067mmと1435mmの軌間が同居していたそうだ。

そうだ、というのはわだらんは直接三線軌道を見たわけでないので、あくまで本や展覧会などの知識として知っているだけである。

蒸気機関車がのそのそと湖岸を走っている写真など見ると、なんとものどかな気分になる。

そのころの膳所駅はどんな構造だったのか、どんな配線だったのか、なかなか当時を理解できる資料に出会えないのが残念だ。

しかし案外軌間可変で活躍できそうなところは限られるような気がする。

例えば湖西線電車が浜大津に直通したとしてもあまりメリットはなさそうだし、岡山での新在直通以外にわだらんはあまりぴんとくるところがない。

天下茶屋で堺筋線と南海本線なら見込みありかか、さてどうだろう。

 

わだらんが早朝から起きての応援むなしく、オランダは決勝で敗れてしまった。

面積で九州くらい、人口1700万弱の小国でW杯の決勝に進めるのだから凄いよな、と思う。

膳所駅を通過しようとした新快速の車窓に石山坂本線の京阪700系が見えている。

かわいい2両編成、1435mm軌間直流1500Vならちょうどハーグやユトレヒトの近郊でライトレールとして走っていても何ら不思議でない姿かたち。

というか、膳所石山あついは山科大津京でJRと京阪大津線の接続はまさにヘビーレールとライトレールの相互補完そのものであって、

もっと京阪大津線が洗練されたライトレールとして認知されてもいいはずなのに、とちょっと残念に思う。

しかしこと鉄道、特に列車の運転形態はオランダと日本で似通っているところが多い。

主要区間が複々線で速達列車と普通列車を内外分離していたり、速い・ちょっと速い・各駅停車の列車種別3種類、15分または30分おきのラウンドダイヤ、

と大阪、名古屋地区の電車に本当によく似ている。

それ故わだらんはオランダを応援しているのだが、優勝できないのが残念だ。

まぁここは軌間可変技術を持つスペインの方が一枚上手であった、とわだらんが勝手にこじつけて納得している。

しかし今回のW杯の最大の勝者は入場者数増加が見込めるオーバーハウゼン水族館だろうな。

ちなみにこのオーバーハウゼンという街、オランダからドイツに入ってすぐのところにある。

なんですぐ隣りのオランダが勝つと予想してくれなかったのか、それはたこのみぞ知ることか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  観光で人を呼び、産業振興で人を呼び

 

7/12

滋賀県知事選挙が終わった。

無難に現職の再選で、まぁよかったと思う。

もちろんこの場で政治の話をするつもりはないが、ただ地方の話、特に都道府県や市町村レベルでは、

その場に生活する人にしか理解できないようなことが政治の話題であったりするので、まぁ仕方ないだろうと思う。

実際新幹線栗東新駅の建設中止問題にしても、知事の判断仕事ぶりがそのまま反映されるわけで、鉄ヲタだから電車だけ見ていればいい、というわけでもない。

鉄ヲタだからこそ地理や社会、地域の話題に詳しくなければならないと思うのがわだらんの信条で、たぶん間違ってはいないだろうと思う。

 

ところで、選挙期間中、活況ある野洲の演説会にしたい、と人に声かけられてその再選された現職知事の個人演説会に行ってきた。

さすがもと琵琶湖博物館学芸員とあって、野洲市内旧中主町の地名が次々出てくる。

琵琶湖の保全は琵琶湖だけでなく、繋がっている田んぼ、流れ込む川、そして森や山が全てかかわっているのだが、そんな話をさせるとさすがにうまいものだと思う。

「滋賀を誇りに思えるように」と語る言葉はなかなか頼もしいが、「延暦寺は滋賀ですよ、平安京より先にできたのですよ」と言われて、あれ、と思った。

一般的に延暦寺は比叡山延暦寺と呼ばれるし、比叡山は京都市内の山(実際には府県境で大津市域も半分なのだが)の印象が強いし、

なにより延暦寺が京都古都の世界遺産であるのだ。

でも改めて地図を見れば、延暦寺は大津市(正確には大津市坂本本町である)し、比叡山と奥比叡のドライブウエイはずっと滋賀県内である。

おそらく東京、いや名古屋であってもほとんどの人は延暦寺は京都のお寺、と思っているのではなかろうか。

どうも滋賀、あるいは大津というのは知名度も認知度も高くないというか、京都の知名度が高すぎて、滋賀が足元に及ばないのだろう。

住んでいればいいところだと実感できるはずなのだが。

しかし延暦寺の建立が平安京遷都より前であったとは正直知らなかった。

というか、おそらく日本史で習ったはずだが、すっかり忘れている。

そんな滋賀を語らすと停まりそうにない知事であるが、一般には新幹線新駅を建設中止にした知事、というのが一番わかりやすいのだろうと思う。

着工までした公共事業を白紙にしたのは大したもので評価されるべきだと思うが、実はその後新幹線新駅予定地に800人規模の電池工場を造ることも決まっているのだ。

あまり新幹線新駅中止後の話は聞こえてこないし滋賀県民以外の関心も薄そうであるが、でも前向きに進んでいるのは事実である。

わだらんからすれば、新規の工場が作られて稼働すると新従業員の手原駅の利用が増えて、

やがては草津線の部分複線化や新駅建設など鉄道整備が進んでくれないか、とちょっとわくわくしているのだが、期待しすぎだろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  銀河も座席のみで企画切符割引をしていれば生き延び得たか

 

7/9

いつものように帰宅時に新快速に乗っていて、ふと西日本JRバスの東京行きドリーム号の広告がかかっているのに気がついた。

ツアーバスの台頭で何かと商売の苦しい定期バスであるが、それでも次々サービスなり新価格なりを出してくるところはさすがであろうかと思う。

というか、おそらくはこの大阪東京間の夜行便が西日本JRバスの屋台骨であろうから、常にてこ入れしておかないと、会社の収益構造がおかしくなってしまうのだろうなと思う。

安い座席から高級な座席まで各種取り揃えとはなんともすごいし、

以前8610円であったはずの通常の3列シートドリーム号が閑散期5日前発券だと6000円、とはずいぶん安いと感じてしまう。

逆に言えば6000円で3列シートに乗れるのなら、わだらん自身は4列の格安バスには乗る必要がないか、と。

そういえば最近久しく東京にも出ていっていないな、いろいろ気になる新車も改築した駅もあるのだが、はてさてどうしたものか。

 

一方、駅には18切符のポスターが貼られている。

一部にはそろそろ終わりか、と囁かれ続ける18切符ではあるが、まずはこの夏も販売があってめでたしめでたし。

とはいってもわだらん自身はムーンライト九州が運転されなくなってしまってから、18切符で遠乗りをする恩恵をほとんど受けられないので、なんとも残念である。

とはいえ、例えば大阪7:15の新快速に乗ると、東京に16:36着。

約9時間で、これまたなかなか速いものだ。もちろん新幹線なら2時間半のところ9時間もかけていくのは単なる暇人でしかないのだが、でも18切符でなくても企画切符で6000円くらい、

大阪13時発で東京21時着くらいの快速または急行列車を設定すれば、乗客はつくと思うのだけれどなぁ。

さらに間合いで夜行も大阪23時発東京7時着で走らせば車両の無駄もなく、一定の集客はあろうかと思うのだけれど。

もっとも米原熱海間の某旅客会社が認めないだろうか。

ましてや深夜時間帯の貨物列車が雁行している状態では、臨時であっても旅客列車を新たに入れるのは難しいだろうか。

ちなみにざっと計算すると日本海まわり、つまり湖西北陸線・信越線・ほくほく線・上越高崎線経由で大阪上野を特急電車並に走れば約8時間。

少し余裕をみて大阪22時の上野7時で夜行列車になりそうだし、これなら某オレンジ会社の世話にならずとも済み、わずかではあろうけれどもほくほく線の収入のもなるかな、と。

ちなみに昔オリエントエクスプレスがやってきたときには、長岡回りだが、この北陸線回りでの東京大阪間夜行列車を走らせていたな。

もちろん団体枠扱いの特定旅客向き列車だったが。

バスが夜行も昼間もこれだけ繁盛しているのだから、少なくとも大阪東京間なら列車を仕立ててもそこそこなんとかなるのではないだろうか、と思うのだ。

 

しかし、需要があって競争が激しい区間は運賃も時間も選択の幅が広いのだが、あまり競合のないところではなかなか運賃が安くなることもなく、選択の幅も狭いままである。

京都から東京へはJRバス系以外も含めて様々な移動手段があるのに、滋賀県内、例えば草津から東京へのドリーム号は本来距離が短いのに、

割引運賃なら距離の伸びる京都大阪の方が安いとはちょっと困りもの。

運賃が高いから結局京都発着便へ流れ、余計に滋賀県内からの高速バスの利用者が少なくなる、という悪循環。

新名神で草津発着の新路線なら渋滞する区間もないので時間もほぼ正確だし、新快速利用で京都大阪神戸からもアクセス容易時間正確、

とPRポイントもあろうかと思うのだが、なかなか主に滋賀県民を相手にしたそんな都合のよい路線を新規に開こうとするバス会社はないだろう。

というか、草津発着では逆に客単価が伸びないか。

選択肢を増やすというのはやっぱり難しいものだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  芝生広場を走る電気バスは環境へのPR?

 

7/7

名神高速の竜王IC隣に大きなアウトレットモールが開業することになった。

高速道路90分内、人口1千万人という、大きな商圏相手の大規模なもので、地元にも求人だの内覧会だのチラシがくる。

8日開業、7日はプレオープンとのことで、建屋のみならずいろいろ工事が進んでいる。

IC出口から商業施設入口までの道路や交差点の拡張がされたし、新たにバス路線になった竜王町内の道路には真新しいバス停や一部にはバス寄せもできている。

ほとんどが車での来場と思われ、如何に車を流せるか、のさまざまな工夫を見ることができる。

駐車場は広大で、その収容能力が周辺道路に渋滞を起こさぬことはいいことなのだが、でも車を停めてから商業施設建屋までやたら距離があるように思えるがどうだろう。

もちろん駐車場を大きくしておかないと下手をすれば名神本線上にまで渋滞が繋がりかねないとも思われる。

ただ、最近栗東から北の名神は新名神開通後少し以前より通行量が減っていて、幸いなことではある。

渋滞は困るが人が来ないのも寂しいもので、このあたりの兼ね合いが難しい。

わだらん的には電車とバスでの利用客が増えればうれしいのだが、なかなかバス電車の利用者は伸びないだろうなぁ。

 

施設の開業前、既にバス路線は開業して日中時間2本のバスが野洲駅に顔を出すようになった。

施設の従業員の方々であろうか、バスにちらほら乗客がいる。

野洲駅からみれば全く新規の流動なので、これで野洲駅の乗降客が増えればうれしいものだ。

一般来場者の電車利用も多少はあるだろうし、従業員の方々の琵琶湖線〜バスの定期利用はある程度見込めるのではないかと思うのだが。

 

しかしせっかくバスが野洲駅に入ってくるのに、ごくごくありふれた路線バスであるのはちょっと寂しい。

せっかくなら県や施設管理者と交渉して、路線バスに限って希望ヶ丘文化公園内を走ったらどうだろう。

アウトレットモールまで8号線を走っていくより距離的にも近いし、ましてや外来客には希望ヶ丘の芝生広場を宣伝する格好の場になると思うのだが。

さらに使用するバスを電池充電式ハイブリッドにして、公園内は電気で走る排気ガスを出さないクリーンな路線バス、としたらもっとPRにならないかな。

起伏のある部分は必要に応じて架線を張って、トロリーバスのようにすれば構造が簡単な蓄電池タイプの電気式ハイブリッドバスで対応できて、

上り勾配での出力低下も心配せずにすみそうだが。

これなら国土交通省の補助金も受けられるはずだし、まちのPRにもなりそうだ。

もし富山市のLRTのように全国から視察にたくさん人が来るようになれば野洲駅ももっと元気になるか、と夢物語。

ものは試しで市の生活安全課に一度投げてみるかな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  線路内で耕作しないで下さい、と立て看板で済む余裕

 

7/4

篠原野洲間の水田横にも線路への進入を防ぐフェンスが建った、ということに近くを車で走っていて気がついた。

いつもは乗る機会がない区間なのでいつフェンスが建ったかは明らかでない。

とはいえ、いよいよ野洲以東もフェンスが建つかと思うとちょっと驚いたり納得したり。

少し前のJR西日本のプレスリリースに野洲以西でフェンスを整備しますとあり、実際にフェンスが2年くらい前だったかに整備されたのだが、

その時点では野洲以東のことは何も明記がなかった。

列車本数や線路周囲の状況などからみて、野洲で扱いが変わることは妥当と思われたのだが、

いよいよ水田との境もフェンスになるのかと思うと少し驚きである。

 

もともと線路に人が入るのは珍しいことでなかったのである。

昔の鉄道写真、例えば先人が多数残してくれた山科大築堤上のC62や151系電車の写真などは、

どうみても線路に入って、しかも列車にかなり近いところで撮られたものばかりである。

その頃は花山に踏切があったようで簡単に築堤上の線路に到達することができたようだが、

何より線路にはいるのは自己責任で、轢かれる方が悪いという考え方であった。

今でもそれで正しいと思うのだが、実際には今の世の中、轢く方が悪いことになってしまった。

もちろん鉄道側に落ち度があって命を落とされた方もいるわけで、必ずしも轢かれる方が悪いわけではないから、

確かに事故がないに越したことはなく、そうなるとみだりに線路内に立ち入るな、となる。

まぁ中学生にもなって線路内で鬼ごっこをするようなものもいるわけだから、フェンスで囲うのも致し方なかろうと思う。

逆に言えばフェンス一つで列車ダイヤの乱れを抑えられるものならありがたいと思わねばならない。

もっとも篠原野洲間なら人間より小動物進入防止に役立つかもしれないが。

 

もう今から30年以上も前、わだらんが岐阜市内で中学生をしていた頃の話である。

東海道線の木曽川橋梁を渡った笠松町円城寺地内に築堤に上がれる取り付け道路がある。

今でもその道路はあって保守作業に使われているのだが、もちろん道路との境にはフェンスがあって施錠されている。

ところが、その30年以上の前は施錠どころかフェンスも何もなく、線路に簡単に到達できるところであった。

よく写真を撮りに出かけたところで、この朝が早い時期は上り九州特急や高速貨物50列車、下り銀河3号などを眺めていた。

当時は線路の東側は広い水田で築堤上からの見晴らしもよく、とても気持ちがよかった。

早朝は線路の西側にある笠松競馬場厩舎の馬がよく馬場を走っている姿があった。

もちろん中学生では競走馬のことなど知ることもなく、ただ単に「馬がいる」程度のことしか思っていなかったが。

 

オグリキャップという馬が亡くなったそうだ。

わだらんでも名前を知っているのだから相当有名な馬である。

生まれは笠松だということものちに知ったのだが、ということはオグリキャップは毎朝東海道線の列車を見ていたのだろうか、と思う。

オグリキャップの生まれはわだらんが笠松町内の線路築堤にいた時期より少しあとになるので、逢っていることはないのだが、

でも何となく笠松競馬の厩舎というだけで親近感が沸く。

できることならまた築堤上から朝早い時間に馬の走る姿を見てみたいものだが、今なら線路内立入で防護無線騒ぎになってしまう、かなわぬ夢である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  紙切れ一枚で他社線に乗れるのはうれしいことなのだけれど

 

7/2

土曜日、雨が強くて車で買い物に出かけたり自宅でごろごろしたり、と全く野洲駅にも行かず列車も見ずであった。

そんなわけで、夕方瀬田で人身事故があったことなど全く知らなかった。

でも今はネットで事故があったことや、振替輸送をしていたことなど自宅で教えてくれるのでありがたいことだ。

もちろん運転見合わせとかの悪い話がないに越したことはないのだが。

 

昭和43年6月の話である。速度超過で貨物列車が膳所駅構内で脱線してしまった。

一部の貨車は京阪の線路まで転がったそうだ。

悪いことにちょうど下り線を貨物列車が走行してきていて、脱線した上り線の貨物列車と衝突する事故があった。

このため、復旧にまる2日かかる事故になってしまった。

ところで事故が起きたのはまだ日が変わった0時過ぎの夜の話。

当時はまだ夜行列車がたくさん走っていて、みな途中駅で抑止になってしまった。

そこで早朝5時から新幹線を新大阪名古屋間で臨時に運転し乗客をさばいたそうである。

膳所で深夜に事故があると九州方面からの東京行き夜行や、長野や新潟青森からの大阪行き夜行列車などがみな停まってしまう。

新幹線で臨時列車を走らせて抑止列車の乗客を捌くのはなかなかスマートなことだ、と思う。

ところが、最近は新幹線が代替輸送の手段にはならないようだ。

東海と西日本で会社の違う米原新大阪間のみならず、神戸線内で何かあっても新大阪姫路間を新幹線で代替輸送するとは聞いたことがない。

せめて乗車券のみでも有効であれば、新大阪京都間でも新幹線に乗ろうかと思うのだが。

(ちなみにわだらんはICOCA定期を持っているが、これを磁気定期券にすれば、新大阪京都間を特急料金のみ別払いで新幹線利用することができる。

が、やはりIC定期券を持ってしまうと、いちいち改札機に通さねばならない磁気定期券は不便なのである。)

一方、近江鉄道が琵琶湖線の振替輸送で利用できるのだ。

といっても近江鉄道で振替輸送に効果ある部分はある程度限定されていて、

例えば米原彦根間は近江鉄道で代替できるが、京都野洲間は近江鉄道に頼ることができない。

もちろん振替輸送といったところで、ずっと線路が平行しているようなところはほとんどないわけで、

万人すべてに振替輸送が適切な輸送方法であるとは思えないが。

実際彦根近江八幡間を近江鉄道で利用すると1時間は最速でもかかるので、人身事故などのような場合運転再開とどちらが速いか難しい。

もちろん近江鉄道は八日市を回る迂回ルートであるから、時間がかかって当然ではあるが。

もしわだらんが大阪からの夕方帰宅時に京都以東運転見合わせなら、やはり京都で運転再開を待っているだろうか。

ちなみに野洲駅周辺ということなら、湖西線で堅田まで行き、ここで守山駅行きのバスに乗る、という手もある。

もっとも琵琶湖大橋を渡るバスの本数が少ないのでまだ実際に代替手段として使ったことはないが。

 

ちなみに昔のように名神ハイウエイバスが時間2本以上、こまめに停留所に停まる急行便が走っていれば、

名神栗東か菩提寺までハイウエイバスに乗るという手段もある。

しかし今の名神高速線は都市間輸送にほぼ特化した状態で、途中のバス停での乗降はバス便が限られてしまうし、

そもそも名神栗東などバス停自体が廃止されてしまった。

まぁ琵琶湖線が止まったときの代替手段程度にしか考えていなければ、いつも乗る輸送手段でなければ便数やバス停が減少しても仕方ないわな。

ましてや名神高速線が琵琶湖線の並行路線である、と言われてもぴんと来ないような人間が多くなってしまっている今日、

琵琶湖線が事故で見合わせと聞いても、京都駅前のバス停に向かう人間もいないだろう。

列車の運転再開を待つのが無難なのだろうね、か。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください