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10年  9月

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895.  9/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  パンダが線路際で見えるのなら列車の目玉になるか

894.  9/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  広告は業界の浮き沈みを如実に表すのだろうか

893.  9/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新快速の立役者、夕日に輝く

892.  9/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  昔ずんぐりむっくり、今メタボ

891.  9/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  月はどっちにでている?

890.  9/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  多賀と伊勢を結ぶ御代参街道に沿うのは近江鉄道

889.  9/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  富山ライトレールの赤い車両に乗ると恋がかなうそうだ

888.  9/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  21世紀を夢見る人たちを運ぶための施設

887.  9/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  「いのしし、電車を壊す」という新聞見出し

886.  9/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  市の顔、市の核がしっかりしている街がいいな

885.  9/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  台風情報を身近で見ることができるのはいいことだろう

884.  9/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  子どもは座らなくても大丈夫、と言い聞かされていたわだらんの頃

883.  9/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新車を見かけるわくわく感がちょっと少ないかな

882.  9/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  無人の改札口について友人と語る

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  パンダが線路際で見えるのなら列車の目玉になるか

 

9/30

昔、大阪の某探偵番組で、「電車の窓かららくだが見えた」という調査依頼があった。

結論は近くにらくだを飼っているところがあってそのらくだの散歩が電車から見えた、というものである。

わだらんの自宅からほど近い、守山市内にその動物園はある。

ちなみに動物園といってもその場で動物を見ることはできず、幼稚園保育園や、

各種のイベント会場で展示されたり子どもの相手となったりする動物を飼っているところである。

その動物園のカンガルーが逃げ出した、とニュースになった。

結局4時間後に線路に近い水田で見つかったと新聞記事にある。

どこで見つかったのか捕獲されたのか具体的な場所の記載がないのでよくわからないが、

ひょっとすると電車の窓からカンガルーが見えたのかもしれない。

いや、ひょっとしたら、カンガルーが線路を横断したのだろうか、ことの詳細がわかれば安心して眠れるのだが。

 

しかしもしカンガルーが電車に当たれば、これまた遅延になってしまうだろうな。

ジャンプが得意な動物故、下手をすると前面のガラスが割れてしまうかもしれない。

よく猪や鹿が電車にぶつかることはあるが、カンガルーが電車に当たったなどというと日本なら結構おもしろおかしくニュースになるのだろうな。

もっとも本当にそんなことがあれば当事者のみなさんは笑える話ではないだろうけれども。

ただ、カンガルーの鉄道事故もオーストラリアでは実際あるそうだし、先日はインドで象が列車に轢かれたと報道されていた。

象ならずいぶんからだが大きいはずなのだが、列車には何も損傷がなかったのだろうか。

インドでは象が轢かれる列車事故が珍しくないそうで、猪や鹿とはスケールが違うなぁ、なんかお国柄なのだろうかと感心してしまう。

運転士氏も目の前、線路の上に象がいたらびっくりするだろうに。

 

先日は安土の裏山から猿が出てきて住宅地を徘徊していたそうだ。

自然がいっぱいなことはうれしいが、列車と衝突してもらっては困る。

まぁ虎や象がいないだけまだ良しとするか。

いや、鹿でも猪でも時としてブレーキ管に損傷を与えることもあるのだから、動物の体の大小は迷惑という点ではあまり差がないのかもしれない。

車窓から見える、これが一番いいことなのだろう、と一人納得である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  広告は業界の浮き沈みを如実に表すのだろうか

 

9/27

報道で消費者金融大手の会社が更正法の手続きに入るそうだ、と聞いた。

わだらんは全くその会社に利害関係はないのだが、何か時代が変わった気がする。

少なくとも一時期は消費者金融という業界、仕事はきついが高収入で、飛ぶ鶏を落とす勢いであったはず。

でもこのところは総量規制だの過払い返金だのといい話はほとんど聞かない。

業界自体がずいぶん縮小傾向のあるようだ。

何しろ大津の駅前はかつて消費者金融の広告だらけだったのだ。

大手のみならず野菜の名前を付けたものなど合わせてところ狭しと並んでいて、一度数えたときは確か11だかの広告があったのだ。

ところが最近はほとんど姿を消してしまった。

廃業や撤退で店舗がなくなってしまったのだろうかと思う。

そもそも大津の駅前にそんなに大量に消費者金融の店舗があったのは、競艇と競輪の無料バスが出るからだ、と聞いたことがある。

それが真の理由かどうかはともかく、遠因には違いないかと思う。

もっとも大津の競輪はもう終了してしまうようで、競輪客相手の金融業は成立しないことになるのであるが。

 

大津の駅前に限らず、消費者金融はいろいろなところに広告を出していた。

電車の車内も一時期消費者金融だらけのことがあった。

確か昔自主規制があって、それが変更されてから怒濤のごとく広告が増えた、と記憶している(確かではないのですが)。

でも最近は以前より消費者金融の車内広告は少なくなったように思う。

というか、消費者金融が衰退すると法律事務所の広告も減っていくのではないだろうか、と想像してみる。

過払いの話が一段落したら、法律事務所も仕事減るのではないか、などと余計なお世話。

 

無駄なものへの出費が削られる世の中、電車の中吊り広告はどんな業種に変わっていくのだろうか。

というか、中吊り広告自体がもうすぐ過去になるのだろうか。

まあ321系や225系の画面広告で消費者金融や法律事務所の広告はあんまり似合わないように思うわだらんである。

まて、225系になったら吊り下げ広告がほとんどなくなるのか、それはこのメルマガのネタ探しのピンチかもしれない。

週刊誌などの吊り下げ広告は画像にはそれこそ似合わないよなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新快速の立役者、夕日に輝く

 

9/26

あまりに空が高く空気の澄んだ夕方、なんとなくまた篠原野洲間の水田地帯に出かけた。

比良の山々はもちろん伊吹も鈴鹿の山々もはっきりと稜線が見え、なんともすがすがしい気分。

水田はほとんど稲刈りが終わってそこから伸びた芽が青々として風にそよいでいる。

決して都会が嫌いではないのだが、わだらんとしてはどうしても田舎、見晴らしの利く広い風景が好きなのである。

確かに都会の大きなビルはランドマークになるが、逆に遠くの山並みが見渡せるのも充分ランドマークに値するものだろうと思う。

そういう意味では例えば三上山はその容姿からどこから見ても目立つから、いい目印であろうかと。

 

そんな水田の中で行き交う列車を見ていた。

やってきたのは221系A編成。

米原から大阪まで延々回送で下っていく列車である。

運用の都合とはいえ、米原大阪間を営業もせずに走っていくのはなんとももったいないように思う。

しかし現実には何らかの方法で本線運用の編成を大阪なり宮原なりに取り込んで福知山線に4日間滞在させ、また戻す運用が生じるのである。

平日は朝夕に大阪着発の快速があるので、そこにこのA編成を当てはめればよいが、休日は大阪着発の列車がほとんどない。

そんなわけで、米原発大阪行きと宮原発野洲行きの回送列車が休日ダイヤで日中各1本、運転されているのである。

 

しかしこの221系A編成も最近はずいぶん影が薄くなった。

221系が新快速に投入されて乗客が順調に伸び、8両貫通編成が組成されたときはずいぶん立派に見えたものである。

もともと221系は6両または4両編成で本線網干区に投入されていて、8両貫通というのはあとから作られたもの。

わざわざ8両編成を作るに値するほど花形であったといえようか。

ところが今となっては12日間で一回りする運用のうち、4日間は福知山線のアルバイト運用。

しかもそのほとんどが新三田の一往復だけ、日中宮原で昼寝という、正直あまり活躍する場のない運用になってしまっている。

新快速のダイヤに乗ることのできない221系で、やはり第一線を退いているという印象は拭えない。

しかもこの冬から225系が投入され、100両が本線に回ってくるということはおそらくA編成の本線運用がほぼ消えると見てよかろうかと想像するのだ。

傾いた日ざしに側面を照らされてより一層白く光る車体が少しもの悲しく見えたのは気のせいだろうか。

 

しかし現実にその水田からの帰りに野洲派出を見ると、電留線に停まっていた7本が全て223系で、

221系が一本もいないこと自体、もう221系が本線の主でないことの証明なのかもしれない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  昔ずんぐりむっくり、今メタボ

 

9/25

金曜日の夜の話である。

大阪駅9番に上がったのは19:04、3514Mが出ていってからまだ間が大きく開いておらず、夕方にしてはホームが閑散としている。

おまけに次も続いて12両の座りやすい3516Mである。

12号車先頭位置に列先頭で陣取り、ゆっくりと列車の到着を待つ。

3514Mに間に合いそうにないと判断した時点で缶酎ハイとピーナツを確保して、もうゆっくり飲んで寝て帰る算段ができている。

通勤を痛勤などと当て字する方も多い中、なんとも贅沢な帰宅である。

 

ところが、閑散としている中、なぜか11番線は異様な雰囲気。

そう、鉄ヲタが集結しているのである。

駅員や警備員も多数出て、ちょっとものものしい雰囲気。

とはいっても決して大声を張り上げたり、人を押し出したりするほどではないのだが。

何か特別なものが来ることは容易に想像つくが、何だろう。

はまかぜ新車キハ189も新快速新車225系もそんなに人を集めるものでもなさそうだし、と思っているとなんと10番線に285系がやってきた。

あとから聞くと雑誌にも運転予定が掲載されていたそうで、それなら人も集まるわな、と思う。

 

285系という電車、サンライズ瀬戸出雲で使われている寝台車で、大阪駅では深夜早朝にしか通らず、

一般人が大阪駅で285系を見ることができるのはダイヤが乱れたときか、こんな団体列車が走るときしかないのである。

もちろん11番線のヲタどもは必死で写真を撮っている。

被写体としては確かに珍しいから熱中するのもわからないではないが。

 

しかしこの285系という電車、まだ乗ったことのないわだらんがあれこれ言うのは出しゃばりだが、

でもやっぱり夜行列車で青くないのはちょっと寂しい。

寝台車というのは洋の東西を問わず、車体断面が大きく、ほぼ車両限界いっぱいまで貼りだした大きな車体が特徴である。

深紺色に塗ってみれば、最近の欧州の二階建て寝台車にもよく似ているように見える。

この285系も車体は確かに大きいのだが、車体色が明るいので、妙にスマートに見える。

新時代の夜行列車という点では正しいのだろうが、あとの増備がないところをみると

やはり夜行列車自体が衰退する中、車両の個性だけではだめなのだろうかと思う。

夜行で移動する人間は必ずいるはずだし、例えば大阪東京間も単純に大阪東京間だけでなく、

例えば大宮発姫路行きあたりで設定すれば、北関東対関西とか、関東対神戸などの需要もある程度取り込めるのではなかろうか、

もっとも安くなければ客はつかないだろうか。

それにしても大きな車体である。

窓が少ないのが車体の大きさを際だたせているのかもしれない。

最近は特にお腹回りが大きいと病気予備軍とされて生活指導などされる世の中であるが、

285系の大きな車体は無理にスマートに見えなくてもいいように思うし、ましてややせ細っては困るなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  月はどっちにでている?

 

9/22

もう9月も後半になるというのになかなか涼しくならない。

確かに朝晩少しひんやりしてきたのだが、それでもちょっと歩くと汗をかくし、そもそも風もない。

なんか季節がおかしくなってしまったのか、とちょっと心配になる。

 

そんな日ではあるが、今日は中秋の名月である。

雲に挟まれてずいぶん居心地が悪そうだが、でも丸い優しい顔の満月が空に輝いている。

こんな日は右側の窓側を取って月をめでながら帰りたいものだ。

ところが、大阪駅で座席を確保した3514M、大阪駅19:00の新快速は比較的車内が落ち着いている12号車にもかかわらず右側が取れなかった。

結局左側のしかも通路側という、月をめでるには最悪の場所であるが、まぁとにかく座って帰ることができることだけでも良しとしなければならない。

とぶつぶついっている間に京都になり、窓側へ移動。

 

といっても左側である。ところが、ふと思い出した。

昔新幹線に食堂車が登場した頃、山側が壁になった食堂車内では富士山が見えないではないかと苦情があった中で、

「海側からも富士山が見えるところがある」と話題になったのだ。

もうそんな話はすっかり色あせてしまっているが、それでも焼津のあたりで新幹線の海側から富士山を見ることができるのだ。

そのつながりというのも、朝いつも南側、つまり上り電車で言う右側から日が射し込むのだが、石山から大津にかけては左側から日が射し込む。

つまりこの区間線路が南東から北西に向くわけで、全体が北東から南西方向に伸びる米原大阪間ではちょっと珍しい区間なのだ。

それなら、大津を過ぎると左側の窓からでも月が見えるだろうか、という話である。

 

さて、電車は大津を過ぎ、膳所を快調に通過中。

窓の外を見ていると案の定というか無事にと言うか、満月を発見である。

電車に沿って月も一緒に走っている。

これはよかった、予想があたったと喜んでいる間に旧東海道の踏切のあたりで月は電車の屋根を越え見えなくなってしまった。

ちょうど右側の窓に顔を出すあたりである。

ということは運転台から窓上をのぞき込めば、月が左から右へ動いていく様を見ることができるのだろうか、と。

もっとも運転士氏はそんな余裕などないだろうけれども。

 

すすきや団子など全くない、何も特別なことでない日であったが、でも月が左側でも見ることができることに今更ながら気がついた中秋の日である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  多賀と伊勢を結ぶ御代参街道に沿うのは近江鉄道

 

9/20

車で東近江市旧蒲生町から日野町内を走っていた。

如何にもとってつけたような国道477号線は交差や左折右折を繰り返すが、周囲のどの道路とも国道かどうかの区別がつかない。

もともとあまり根拠がない(というと失礼だが)国道では権威も主張もないよな、と思う。

その意味ではこの旧蒲生町や日野町には御代参街道という江戸時代に整備された街道があって、

それに沿う現代の道もあるのだから国道によほど似つかわしいと思うのだが、なかなか地元の思惑とか見栄とかがあるのだろう。

まぁとにかくこれだけまっすぐ進まない国道というのも珍しいと思う。

 

ところでその日野町内へは、国道と差の付かない道路が次々整備されたおかげで車で向かうには周辺からいくらでも道がある。

京都大阪方面からなら竜王ICから、あるいは東京方面からなら八日市ICからが無難なのだろうか。

あるいは新名神甲賀土山ICから入る手もあるか。

けれども、ICのどこからも微妙に距離がある。

鉄道の場合さらにややこしく、近江鉄道日野駅へは近江八幡から八日市乗換、あるいは草津線に乗って貴生川経由とどちらもすんなりといかない。

ちなみに日野へは近江八幡から日八線というバス路線があり、これなら近江八幡から乗換なしで日野まで行ける。

とはいえ、ご多分に漏れずこの日八線も以前時間2本確保されていたのに今は時間1本がかろうじて残る程度。

日野の街道筋は今でも古い屋敷が並び、観光地としてもう少し注目されてもいいと思うのだが、

道や路線バスだけではなかなか無理だろうか、と近江鉄道の踏切を渡りながら考える。

この秋の関西おでかけパスは近江鉄道にも乗れるのだが、乗客誘致はいかほどだろうか、滋賀県への観光客入り込みが増えればよいのだが。

 

ところで、そんな旧蒲生や日野町内に今だに結構な数の「びわこ空港」看板が残っているのに改めて気づく。

もう凍結見直し宣言から10年になるし、この現状ではとても空港ができるようには見えないのだが、

まだ正式に決着が付いていない以上看板の撤去はできないのか、あるいは撤去費用が捻出できないのだろうか。

どうころんでもわざわざ蒲生野の田舎(失礼な言い方であるが)に京都や三重岐阜、さらには福井あたりから航空機への乗客が来るとは思えない。

空港本体のみで245億円もの巨額事業がなされなかったことはよかったと思う。

もう今となってはそんな空港建設騒ぎを知っている人間も少ないか。

まぁ空港予定地近くを走る近江鉄道には空港があってもなくてもあまり変わりはなかっただろうし、

関西おでかけパスの利用者には空港の計画すら知らないことなのだろうねぇ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  富山ライトレールの赤い車両に乗ると恋がかなうそうだ

 

9/18

金曜日、大阪駅の改札を抜けたのが18:41。

この時間ならまだ18:52発の3512M座席争奪戦に間に合う、と急いでホームに上がる。

ちょうど3512Mが入線してきたところで、乗車の列の切れた扉まで走って車内に入ると通路側ながら前向き席を確保できた。

発車まで少し時間があるものの、座りやすいこの3512Mは実にありがたい列車である。

ちなみに15分前の18:37発3508Mは入線、開扉と同時に座席が全て埋まってしまうのだが、

この3512Mは18:45の先行3510Mが発車するまでなら着席が可能なのだ。

 

さて、そんな3512Mに座って周囲を見渡すと、

この車、223系1000番台車であることがわかった。

補助椅子使用停止ランプが赤く点灯しているのだ。

窓側に座れば肘掛けがあるのですぐ気がつくが、通路側に座ると案外気がつかなかったりする。

この新快速に使われている223系、ヲタでなくてもおよそ3分類程度には簡単に見分けがつくと思う。

1000番台、つまり最初に本線に投入されたグループは窓側座席にも肘掛けがあり、かつ窓には横桟がない。

その後新快速130km運転のために大量に投入された車は窓側座席の肘掛けがなく、窓は一部に横桟が入っている。

そして予備車確保と敦賀延長用に増備された際品のグループは窓側座席の肘掛けがなく、かつ窓も横桟がない。

もちろん他にも行き先表示のフォントであるとか、蛍光灯カバーの形状とか、ヲタ的にはいくつかに分類されるのだが、

一般の方にはこのくらい、つまり3種類程度だろうかと思われる。

ただ、実際1000番台の補助椅子は座り心地が多の車よりいいくらいしか乗車時の差はないし、

一般の方が車種の差を気にすることはないだろうと思われる。

 

ところが、わだらん的にはこの日ちょっと気になることがあった。

窓に見える先行18:45の3510Mも1000番台であったのだ。

ちなみに3510Mやこの3512Mに使われる8両固定編成は39本在籍し、そのうち9本が1000番台。

つまり1000番台が来る確率は0.23、4回乗るとそのうち1回は1000番台となる計算。

これが2本並ぶとなると9/39×8/38で約0.046。

20回に1回あるかどうかのちょっと珍しい話になる。

ちなみに先日大阪18:00の3500Mに1000番台が来ることが多い、とお手紙をいただいたのだが、

確率的には0.23ならまぁ確かに高いかもしれない。

もっともこの数字は8連貫通の編成が入るもの全て同じはずであるが。

ちなみに4連編成の場合、1000番台車は在籍58本中5本しかいないので、0.086と1000番台に遭遇する確率はぐんと低いのだ。

ついでに敦賀行きなどの4+4編成が前後編成とも1000番台である確率は5/58×4/57で0.006。

毎日同じ電車を観察すると仮定して1年で3回程度。

ということはともに1000番台車の4+4編成に出会えたら、何かいいことがあるかもしれない。宝くじでも買うかな。

まぁわだらんは運用ヲタであって、冷静に追いかければ1000番台に簡単に巡り会うはずだが、そんな面倒なことをしなくても、

1000番台車が来たら、運勢強しでいいのだ。

 

ちなみに富山ライトレールは車両を7編成保有している。

従って赤い車両が来る確率は1/7、これを高いと見るか低いと見るかは人の考え方で変わりそうだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  21世紀を夢見る人たちを運ぶための施設

 

9/15

最近歳を重ねてきたせいか、どうも涙もろくていけない。

しかもこれがなかなか人に説明しにくい、どうでもいいようなところで涙腺がゆるんでしまうので、なかなか困ったものである。

某局の「ゲゲゲの女房」というテレビドラマの始まり部分で、ネズミ男が万博のお祭り広場誘導を映すテレビを

茶の間で寝ころんで見ているシーンがあるのだが、どうもたかがこんな画面でも少しうるうるしてしまう。

もちろんこれはわだらんが大阪万博での押し寄せる群衆の波とそれを捌く鉄道の姿を見てみたかったという夢からくるものであるが。

 

ところで9月13日はその大阪万博閉幕から40年の日である。

開幕のあたりはいろいろと話題もあったのに、閉幕の話はまったくなかった(と思う)。

人々の熱狂は最終の土日と閉幕日が最高潮であったはずなのだが、もう話題にはならないか。何しろ40年も前の話なのだから。

ちなみに、茨木駅は万博の観客輸送のために快速が停まるようになった。

それまで快速は京都大阪間は高槻と新大阪のみ、つまり現在の新快速と同じ停車だったのだが、万博を契機に快速が停車するようになった。

橋上駅舎から伸びる駅前広場の遊歩デッキとそこからつながる複数のバス乗り場への階段、

おそらく駅前バス乗り場界隈の現施設は万博そのままの姿だろうと思う。

バスが次々発車し、そこへ続々と補充される観客。

ピーク時にはバスに乗るのに2時間待ちとかの事態になっていたそうで、茨木駅がどんなに凄い状況だったのか、

遊歩デッキが語りかけてくれているように思える。

 

そして翌9月14日から晴れて茨木が快速停車になったのである。

万博の玄関口として賑わったおかげで快速が停まるようになったといえば少々誤解があるかもしれないが、

万博がなければその時期に快速が停まっていたかどうか。

もちろん市街地の発展、都市化の進行と他線対抗で仮に万博がなくてもいつかは快速停車は実現していたのだろうけれども。

その9月14日、ちょっとのんびり帰ろうかと12両の長い、座りやすい808Tに乗ろうとするとなんとこの日は8両である。

おかげで車内は808Tと思えない混雑ぶりである。

それでも茨木での大量降車で無事に着席できたのはありがたい。

 

停車駅が少ない方が車内は落ちつくし乗っていて楽なのだが、でも停車駅がこまめにあるとその分着席チャンスも増えるという表裏の関係のようだ。

しかし8両になった理由が朝のピーク時に起きた人身事故のためだという。

せっかくの快速停車40周年の日の記念行事が線路際で発見された亡骸ではなんとも冴えない話である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  「いのしし、電車を壊す」という新聞見出し

 

9/13

動物がマスコットやキャラクターとして客呼び寄せになる例は多い。

ひこにゃんはまさにその例である。

着ぐるみであっても、あるいは実際の生身の動物であっても、人気者は忙しい。

生身といえば最近はやはり貴志駅のたま駅長だろうか。

猫一匹で全国から、客を呼べるのだから大したものである。

ちなみに最近はたま駅長に習ってあちこちに動物駅長が誕生しているようだが、

貴志川線の場合はもともと地元の熱い思いがあったらからこそ復活できたわけで、猫にすがっているわけではないのだ。

でもそこをあまり理解していない記事も時折見かけたりして、逆に安易に動物駅長に頼ってしまうのは大丈夫かと心配してしまう。

 

とはいえ、おそらく日本の鉄道に絡む動物で一番の働き者と言えばやはり虎だろうと思う。

もちろん竜だの鯉だの鷹だのと同類は数々あれど、球場を毎々観客で埋め尽くし、その観客輸送が名物になっている鉄道などそうあるまい。

観客5万の7割が鉄道利用と見ても3万5千人、これがほぼ全て非定期客ならいい商売になると思う。

問題は観客数が年によって安定しないことか。

今年は虎は優勝できるかな、そうなるとますます観客輸送は繁盛することになるが。

 

そんなことを考えたのは今日、帰宅時の電車車内で盲導犬を見かけたからである。

夕方の混んだ電車であったが、周囲の人混みにも驚かず、車内でおとなしく待機していた。

でまたその盲導犬が「虎党」と書かれた腹巻きをしていたのである。

盲導犬がご主人様と一緒に満員の甲子園スタンドで野球観戦をしている姿を想像して失礼ながら内心笑ってしまった。

盲導犬は試合の流れの一喜一憂に反応するのだろうか?

まぁ混んだ電車でたじろがずに静かにしているのだから、球場に行っても一人、いや一匹で静かにまわりの騒ぎを冷静に見ているのかもしれない。

 

ところで、先日福知山線の北部区間で電車が猪と衝撃して、ブレーキ管を破損し運転不能になった、と新聞記事にあった。

猪や鹿と列車がぶつかる例は絶え間なく起きるのだが、運転不能になるのはまだ例が少ないそうだ。

しかしそういつもいつもぶつかってくれては困るもの。

だからといって猪や鹿は客寄せの材料にはなりにくいし、どうしたものだろう。

もっともぶつかったあとのことをどうするかより、ぶつからずに済む方法が安定する方が今はまず大事なのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  市の顔、市の核がしっかりしている街がいいな

 

9/10

再び某公共放送の鉄道番組の話である。

といってもいわゆる鉄ヲタ向けや旅の番組でなく、青森駅の新幹線駅舎問題という結構重たい番組であった。

実際この番組を見るまで、そんな新青森駅建設までのこじれた話があったなどとは全く知らなかったので、ずいぶんと勉強になった。

地方の番組をいろいろ取り上げられるのはありがたいことだと思う。

民放では地方発の番組は少ないなぁ。

 

さて、その新幹線青森駅の話、あと3ヶ月ほどで開業する新幹線新青森駅が、当初地元は現青森駅への新幹線駅併設を強力に押していたそうだ。

確かに今回できる新青森駅はいかにも北海道を指向した位置で、青森駅前から広がる中心市街地とは相容れないものである。

今のこのご時世、青森の規模では市街地の新たな核つくりというのは難しいのだろうと思う。

ただでさえ小売の各店舗が郊外に大きな店を出してしまっているのに、現駅前に加えて新幹線新駅に中心街を新たに作るのは無理があるようで、

実際青森市は新青森駅周辺での開発を規制しているそうだ。

街づくり、人の流れを作る点で、結果として今でも現駅舎に新幹線駅併設のほうがよかったと思われる青森市の方は多かろうと思う。

待ちに待った青森までの新幹線開業であるが、それがうまく地方の活性化につながればとおもうが、さてどうなのだろう。

 

駅というのはやはり街の顔であり、人を集める拠点でなくてはならないと思う。

幸いにも滋賀県、特に県南部の場合は通勤利用が多いこともあってか駅に多くの人が集まり、適度な賑わいがある。

敢えて言うと彦根あたりが駅前のパワーが以前よりずいぶんなくなってしまった寂しさがあるのは少し残念であるが。

まずは新築のマンション物件が駅から近いことをどこもメリットに上げることが駅にとってはいいことなのだろうと思う。

栗東の場合、もともと東海道の街村が発展して市街地が形成されていた手原駅周辺に加えて東海道線に栗東駅も作って、街の焦点がぼけてしまった。

もし新幹線栗東新駅ができていたら、さらにぼけてしまうか、あるいは新幹線新駅を中心に大きな人の流れができていただろうか?

ただ通勤通学の日常の足である琵琶湖線や草津線の各駅に較べ、新幹線駅が日常の生活の拠点にはなりにくいように思うのだが、もしできていたらどうだろう。

 

南草津駅に新快速停車運動の看板があり、車窓からも見える。

確かに新快速が停まれば便利だし、マンション販売も弾みがつくだろう。

でも今せっかく市の顔、核として成り立っている草津駅前に加えて、南草津駅前も市の顔とする必要があるのかどうか、わだらんにはよくわからない。

もちろん新快速が南草津に停まると速達性が薄れるというわだらんの本音もあるが、でもそれ以上に草津駅が草津市の顔、ひいては県南部地域の顔として

さらに盛り上がってくれる方がいいのに、市の顔、地域の中心がしっかりしている方が駅を中心とする路面公共交通のシステム化も有利なはずなのに、

と南草津駅の看板を見ながらぼそぼそつぶやくわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  台風情報を身近で見ることができるのはいいことだろう

 

9/8

別に宣伝を頼まれているわけではないのだが、某公共放送の鉄道番組はよく見ている。

というかとりあえず録画して適度に飛ばしながら見ている。

最近はまた某息子による片道切符旅とその後の乗りつくし旅を放映していたりする。

このシリーズ、民放のような極端はやらせはないようだが、でも事前に打ち合わせをしたようなところも多く、

個人的な感想を言わせてもらえればあまり好きではない。

とはいえ、一般の方には列車に乗る魅力を理解してもらうにはよいのだろうか、と思う。

ちなみにこの片道切符の旅の主人公抜きの番組もあって、こちらはDVDディスクに落とした。

風景をBGM代わりに流しておくにはよい映像である。

ところで、その某公共放送BSが最近落語家がいく九州鉄道旅の番組を流していた。

以前撮ったものを全国版用に再編集したもののようで、ヲタ的にはちょっと浅いが、一般向けには面白くできていたのでは、と思う。

が、その番組の中である一枚の写真が気になった。

阿蘇山の麓、内牧駅の名誉駅長である方の現役時代を紹介する写真が蒸気機関車に乗った姿のもので紹介されていたのだが、この蒸気機関車がC11 91号機であったのだ。

 

以前に書いたことがあるのだが、1970年、今からちょうど40年前、万博の年の10月から役8ヶ月、日立製作所が「日立ポンパ号」という宣伝列車で全国を行脚したのだ。

当時津で小学生をしていたわだらんは当然津駅での展示に出かけた。

一般の方のお目当ては61系客車を改造した展示客車内にある当時最新鋭の家電製品、特にスイッチを入れるとすぐにつくテレビなどであったのだが、

わだらんはそんな展示に目もくれず、列車を牽いてきたD51145(これはのちに自分の写真を見てわかったのだが)と

無火状態で装飾塗装をされた列車の先頭の蒸気機関車である。

この列車の先頭こそC1191であったのだ。

今と違って情報が簡単に取れる世の中ではなく、もちろん先頭のC1191がどんな経緯でこの宣伝列車に加わっているのか知る由もない。

が、とにかくC1191という機関車が40年たってもまだ記憶されるほど印象に強かったのだ。

そこへ突然出てきたC1191の写真にびっくりしてしまったのである。

あわてて調べてみるとどうやらC1191の最終配置は熊本(それしかわからない)で、なぜ熊本にいた機関車が全国行脚することになったのか、どうも不思議でならない。

であるなら、是非某公共放送の熊本・福岡局でポンパ号を走らせた人たちの証言を集めて番組を作ってもらいたいな、と思う今日この頃。

 

あれ、そんなことを考えている間に7時になったようだ。

わだらんの隣に座っているおじさんが窓枠に携帯電話を置いて、ニュースを見ている。

ポンパ号の頃はテレビとは居間に鎮座するものであったが、この頃はご主人様と一緒におでかけするらしい。

とはいえ、わだらんのような情報機器に疎い人間にはついていけない世の中になってしまった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  子どもは座らなくても大丈夫、と言い聞かされていたわだらんの頃

9/6

 

先日313系のことを書いたからというわけではないのだが、日曜日に18切符消化も兼ねて愛知環状鉄道、通称愛環に乗ってきた。

決して哀感ではなく、愛知環状鉄道の略である。

とはいっても実際には名古屋の周囲のごく一部を走っているだけで、実際にまわっているわけではないので、少々線名に誇張ありである。

生まれは国鉄ローカル線であった岡多線、それが第三セクター化されたものであるが、もともとそれなりに市街地化の進んだところを走っていたので、

国鉄の商売下手が逆に今の姿を生んだのかもしれない。

当初の計画である多治見に行くことはできなかったが、高蔵寺で中央線にもつながって、国鉄時代よりずっと便利になっている。

というか、国鉄時代は盲腸線であったのだから。

 

そんな愛知環状鉄道は、岡崎から豊田市、梅坪あたりまではずっと市街地を走り、そののち丘陵地を突っ切っていく。

三河と尾張の境であって、トンネルを越えると三河湾向けから伊勢湾向けに川が変わる。

といっても高い丘陵ではなく、よく観察していないと国境を見分けるのは難しい。

というより多くの人間は三河だの尾張だのと意識していないだろうと思う。

まぁそうであったとしても、わだらん的には外の景色を、車窓を見るのはとにかく楽しいものである。

もちろん初めて乗る愛環だけでなく、幾度となく通った東海道線の米原岡崎間であっても、いや、野洲大阪間でさえ、車窓を見るのは楽しいものだ。

毎日であっても何かしら発見があるのだから。

 

が、帰宅時の新快速車内で気になったことがある。

大阪17:45発の3498Mはまだかろうじて日が短くなってきた今日でもまだ京都あたりまで外を眺めることができる。

先頭8号車で通路に立っていたわだらんはいつものように外を眺めたり、車内を観察していたりしていた。

そこで気になったのが小学生の男の子二人連れ。

大阪以西から乗っていて、わだらんの立ち位置から少し離れた座席に座っている。

もちろん車内は混雑していて、近くにはお年寄りの姿もちらほら見かける。

とはいっても席を譲るような気配は全く感じられない。

それどころか、二人ともずっと携帯電話を手に持ち、おそらくゲームなのだろうけれども、ずっと画面から目を離さない。

二人が会話をすることもなく、もちろん車窓を見ることも、ましてや自分の周囲も見る気配はない。

結局その二人は京都で降りていったが、桂川を渡り終える先までずっと画面を見ていたのである。

今時のこども、と言ってしまえばそれまでだ。

無理に席を譲れとは言わない。

別に他人に迷惑をかけているわけでもない。

でもせめて外を見る、友だちと会話する、そんなことが電車に乗ったときの楽しみではないのな、と思うのはもう時代遅れなのだろうか。

厚い雲が夕日を遮っていたが、でもその雲の周囲はきれいな赤、そして空は少し秋になったのか澄んだ藍色になっている。

そんな空の美しさを楽しめることこそが楽しみだ、とわだらんは個人的には思う。

じっと画面を見ていることがもったいない、とは言い過ぎだろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新車を見かけるわくわく感がちょっと少ないかな

9/4

 

新車225系が向日町に停まっているのを新快速の車窓から見つけた。

まだ製造間もない新車で、今後本線の主役になるはずの車である。

今は先行製作車が種々の試験のために試験走行を繰り返しているが、そのうち営業運転で乗ることもできるだろう。

一部ヲタは試運転の姿を撮影しようと必死のようだが、どうせそのうちいやでも見ることができるようになるのだから、

何をいまから大騒ぎしているのかな、と思う。

もちろん「俺もう新車見てきたぞ」みたいな少年の気持はわからないでもないが。

 

225系が出てくると、本線からついに221系が追い出されることになる。

これで130km運転できる車両で揃うわけで、車両運用上異常時などは制約が一つ減って便利になろうかと思う。

今の221系はそのまま新快速のスジで走ることはできないから、異常時に折り返しや運用変更で

221系が新快速に入らないよう気を付けなければならないのだから。

 

とはいえ、一般の利用者から見れば225系がどの程度新車として認識されるか、ちょっと心配である。

過去の新快速車両、117系も221系も登場時はそれまでの車両と全く違う塗装で、姿も大きく異なって印象深いものであった。

223系も震災直後の混乱時のデビューだったが、でもステンレスの車体は目立ったものである。

あるいは過去の153系でも、既存車両の転用とはいえ今までにない塗装で出てきたわけで、見た目の印象は強かっただろうと思う。

その点225系は外見に223系と大きな変更はないし、車体塗装もほぼ同じだし、パッと見区別がつくのだろうか。

もちろん顔つきも側面の窓配置も223系とはかなり異なるのだが、ただ一般の利用者が気づくレベルかどうか。

車内こそ案内画面が付いているので乗ってわかるだろうけれども。

 

とはいえ、なかなか一般人が新車と気づくような車両、特に通勤通学に使う日常の車両で、

今までと違うあっというものというのはもうなかなか出ないのかもしれない。

JR東海は313系がもう長く増備されているし、JR九州もメインの北部九州には813系を続けて入れている。

それらの車のデザインや性能、そして使い勝手がきっといいからなのだろうが、そう考えると現時点での一般車の完成形と言えるのだろうか。

もちろん今の形を否定するつもりは毛頭なく、むしろ例えば313系はとてもお気に入りの車なのだから。

 

225系が営業運転を開始するときには何か派手な式典はあるのだろうか。

福知山線尼崎事故の教訓を生かした車体構造云々でマスコミは取り上げるだろう。

ただ225系の姿がすでに他の223系や113系に混じって向日町の留置線ですっかりなじんでいるように思える。

それほど外見ではあまり印象は強くなかろうと思う。

せっかくの新形式車であるのだから、一般の方が新車として周知できるような催しが何かあればいいねぇ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  無人の改札口について友人と語る

 

9/1

この3月に開業した阪急摂津市駅は炭酸ガスを出さないカーボンオフセット駅なのだそうだ。

そんな話を友人としていたところ「ならば駅員はサイボーグで息をしないのですね」などと笑っていた。

確かに人間生きていれば二酸化炭素を出すし、牛のゲップがメタンガス排出源になっているなどという話もあるそうなので、あながちバカにできる話でもないなと思っていた。

そんな矢先、念願かなって阪急電車に乗ってしかも自腹を切らずに摂津市駅を尋ねることができたのだ。

乗った電車が北千里行だったので、まず淡路で乗換。

そして相川と正雀でそれぞれ1本ずつ待避を喰らってやっと摂津市駅に着いた。

開業時から所要時間では千里丘に勝てまい、と噂されていたが、確かに遅い。

駅の勢力圏はどの程度なのだろう。

少なくとも千里丘と駅までの所要時間が変わらない地域ならやはり千里丘へ行くのではないだろうか、と思うのだ。

実際この日の夕方も電車から降りてきた客はざっと目視で追えることができそうな数。

それでも見上げるようにそびえる駅南側のマンション群が完成すると賑やかになるのだろうか。

 

そんな帰宅時にもかかわらず静かな上りホームの先端に改札がある。

つまり上り京都向き電車の先頭位置に改札があって、そのまま階段なしで実質的な駅取り付け道路である産業道路、旧中央環状線にでることができる。

将来の高架化を見越してか、駅は極めて簡易な作りで、逆にそれがバリアフリーになっているのかな、とも思う。

無理に橋上駅にせず、ホームごとに改札があるほうが便利だわな、と思う。

その改札、いざ通ろうとしてびっくり、駅員がいないのである。

下りホームの改札前には出札を兼ねて駅員がいるはずなのだが、上りホーム先端の改札は自動改札機が3台あるだけ。

駅員呼び出しボタンはあるが、呼んでも出てこない。

きっと他の客の対応中だったのだろう。

駅員がいなければ二酸化炭素の放出もないわな、と一人でつっこむ。

これがせめて下りホーム先端に改札があって上下ホーム間を行き来できればずいぶん変わるのだろうが、

残念ながら下りホームは駅前広場の関係かホーム先端でないホームの中間あたりに駅本屋があるのだ。

まぁいずれにせよあまり構造が難しくないのがかえって人に優しいのではないのかな、と思う。

 

ところで、自腹を切らずというのは図らずもJR神戸線内で人身事故が立て続けに起き、振替輸送中だったからである。

「下車駅で渡して下さいね」と振替乗車票をもらったのだが、そもそも渡す相手はいないし、第一振替乗車票では自動改札が通れない。

呼び出しボタンにはまだ無反応で、結局自動改札を強行突破する羽目になってしまった。

好きでわざと強行突破しているわけではないのだが、わざわざ有人改札まで回る元気もない。

これでは人に優しいのかどうかよくわからないなぁ。

 

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