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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
09年 10月
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907. 10/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 羽田発松山行き、行き先は四国か台湾か
906. 10/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車車両の引退は葬式鉄と揶揄するが、飛行機の場合はどう呼ぶのだろう
905. 10/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 迂回が知らせる冬の足音
904. 10/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 座席の料金か、雰囲気の料金か
903. 10/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 9号車が南を向いて写真に納まる不思議
902. 10/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 知名度が高いから列車が停まるのか、列車が停まるから知名度が上がるのか
901. 10/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 屋根の形やクーラーの数で車両を推測してみる
900. 10/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地下や天井の低い閉鎖空間はどうも苦手だ
899. 10/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 窓の外に別の電車が併走していると面白い
898. 10/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 快速が切ったり伸びたり新聞輸送を従えたり
897. 10/4 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 間合い運用という言葉はヲタ語かな
896. 10/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 暑さ寒さも彼岸まで、彼岸花は季節の配達人
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 羽田発松山行き、行き先は四国か台湾か
10/31
続けて飛行機の話で恐縮なのだが、今日から羽田空港に国際線の定期便が復活した、とニュースになっていた。
そもそも羽田は国内線、成田は国際線と道筋がついたはずなのに、いつの間にか紆余曲折でまた羽田に国際線が就航することになった。
多くの利用客が便利になったと喜んでいるのだから、羽田国際線はやはり歓迎されるべきなのだろう。
しかしよくわからないのは千葉県とその周辺自治体である。
今回の羽田国際線就航に対抗するように成田増便を認める結果になった。
これなら最初から空港ありきで話を進めていればよかったのに、と思う。
そもそも空港は厄介者なのかどうか。
伊丹にしても周辺自治体(十一市協)はもともと空港は厄介者と文句を言っていたのに、いつの間にか空港存続を訴えるようになった。
もちろん時代の流れとか経済情勢の変化とかいろいろな要因はあるのだろうけれども、何か腑に落ちないように思える。
まぁ地域の利害が変化したり同じ行政区域内で対立したりすることはままあるわけで、だからこそ紆余曲折になったりするわけだが。
ところで、今回の羽田からの国際線の就航地のなかに台北があるのだが、この空港がまた松山、とちょっと意味深。
もともと台湾台北も東京と同じように、国内路線の松山と国際線の桃園空港と棲み分けをしていたのだが、
今回羽田と同様に国内線中心の都心に近い空港に国際線が飛ぶことになったのである。
台湾の航空事情に明るくないのであまりあれこれ言える話ではないが、
これもひょっとすると羽田と同じに国際間競争の賜物か、あるいは高速鉄道が開通したことによる国内線減便の兼ね合いなのだろうか。
まぁいずれにせよ利用客は近くて便利なところを選ぶわけだし、空港が持つ経済効果は大きいのだから、
せっかく空港を持っているところは厄介者扱いをしないほうがよかろうに、と思う。
長野県内の通過ルート選定でこれまたあれこれあった、JR東海のリニア新幹線が直線ルートで決着したので、名古屋開業に目処を付いた。
今度は大阪への全通を目標とするところになった。
リニアができると大阪東京間の航空利用客がほぼリニアに移転するか、と見込まれているそうだ。
そうなると航空会社のドル箱路線が一つなくなるわけで、空の世界も大きく変わるかもしれない。
とりあえずまずは来年3月の九州新幹線大阪乗り入れで大阪対熊本鹿児島の鉄道シェアがどうなるのか、ちょっと楽しみである。
少なくとも大阪熊本は新幹線優位になるのでは、と車内に下がったN700系九州バージョンのポスターを見ながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車車両の引退は葬式鉄と揶揄するが、飛行機の場合はどう呼ぶのだろう
10/29
飛行機ヲタの多く、特に写真を撮る人間の多くは運用ヲタでもあるようだ。
特に特殊塗装機などは航空会社が機材繰りを公表することもあり、おおよそ一日の流れを追いかけることができる。
あるいは地方空港を渡り歩く小型機や、幹線しか飛ばない大型機などは時刻表で追いかけることも比較的簡単である。
例えば747ジャンボなら、多くが札幌羽田福岡沖縄間を飛んでいるので、空港の折り返し時間から機材の追いかけができる。
ただ、これが767などだと羽田や伊丹で折り返しの見当がつかず、追いかけができなくなってしまうが。
空港で長時間行き交う航空機を眺めながら特定機材、あるいは通常いない機材が飛んでくることをわかって待っている人間のことをスポッターと呼ぶ。
飛行機ヲタは空港に長時間いることをいとわない、むしろ楽しんでいるわけで、しかもこれが欧米を初めとする世界中にいる。
ならば尼崎や天王寺のホームで電車を眺めている人間はホーマーと呼んでもいいのだろうか?
ただ、一般的に空港で長い時間航空機を眺めていてもなんら珍しくないが、尼崎や天王寺で長い時間ホームの端にいると不審に思われるのはどうしたものか。
やっていることの中身はあまり変わらないと思うのだが。
ところで、かつて日本航空の旗艦であった747ジャンボ機が国内を引退するそうで、しかも続いて国際線からも引退することになるそうだ。
わだらんが最初に乗った飛行機はカンタスの747だったし、乗った飛行機のほとんどが747であった。
最近になって欧州の往復に777やA330に乗ることも多くなったが、やはり長距離路線といえば二階建ての747の姿しか浮かんでこない。
確かに777もいい機体だとは思うが、767と遠目に差がないし、シンプルすぎてどうも頼りなく思うのだ。
とはいえ、今や747は燃費喰いの厄介者扱い。
そんなに酷評しなくてもとちょっと悲しくなるが、会社再建にはしかたのないことか。
そんな引退前に乗っておこうという人間はたくさんいるのだろうか。
わだらんも多少乗ってみたいと思いつつ、そこまでの熱意も情熱もなく、なかばあきらめ。
列車や車両が廃止引退前に大量のヲタが集まるが、飛行機の場合はどうなのだろう。
まぁ伊丹の最終国際線がそのまま折り返して関空一番機になる単なる往復に一機分の乗客が集まったのだから、ある程度のヲタはいるはずなのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 迂回が知らせる冬の足音
10/26
猛暑だ猛暑だと騒いでいたのがついこの前、いつの間にかもう10月も終わろうとしている。
せっかく仕事が早く切り上がったので17:38の804Tで帰ることにした。
以前は地雷などと揶揄される6両の混雑激しい列車だったのだが、この春に10両に編成が長くなってからはゆったりできるお得な列車。
4両増えるとこうも違うものか、と考えるに充分である。
がせっかく早い時間の列車に乗ったのに、もう大阪を出る頃にはまわりは暗くなり、景色を楽しむことはできなくなった。
まぁ夜景は夜景できれいなのだが、でもやっぱり明るい方がいいよな、と思う。
そんな日暮れの早さで、季節の進みを感じることができるのである。
そんな車中でいつもと変わらず熟睡し、京都で一旦隣に入ってきた「日本海」のカニ24の発電気音で目が覚めた。
ところが睡魔に勝てず、せっかく「日本海」と同時発車になる可能性が高い804Tに乗っているにもかかわらず、やっぱり寝てしまったのだ。
目が覚めると石山。人の出入りの気配で目を開けると、突然隣外側上り線を轟音上げながら列車が通過していく。
あれ、「日本海」だわな、湖西線の強風迂回なのか、と知る。
日中風が強く、一部運転規制がかかっていたのは知っていたが、日本海が迂回とは知らなかった。
知っていれば3498Mで先回りして野洲で待っていたのに、とちょっとしくじったかなと思う。
そんな強風迂回が始まったこと自体もう冬が近いのだろうな、と感じる。
しかし思うに、3500Mの前を米原まで抜けるよう隠しスジが組んであるのなら、いっそのこと毎日米原経由にしてもいいのではないか、と思う。
どうせ夜を越す長い道のりなのだから、20分程度所要時間が伸びても大勢には影響ないだろうし、
中京圏からの米原乗換の需要もわずかながらあるのではないか、と思う。
実際わだらんが岐阜市民だったころは北海道への往復は米原敦賀乗換の「白鳥」「日本海」利用だったし、
過去には名古屋発北陸線経由の青森行き臨時急行などが走っていたこともある。
もちろん今のご時世名古屋から秋田青森への鉄道利用がそうそうあるようには思えないが、でも手段があれば、
案外団体利用や鉄ヲタ利用は望めるのではないか、と思うのだが。
そんなことを考えているうちに804Tは野洲に着いた。
ホームに出ると小雨が降っている。
大阪ではいい天気、雲が多いながらも夕焼けを見ていたのだが。
もう野洲では大阪と天気の違うようになったのか、とまた一つ冬の近いことを感じるわだらんである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 座席の料金か、雰囲気の料金か
10/25
16日土曜の朝、姫路へでかけた。
観光でもなく、仕事でもなく、ただ「はまかぜ」に乗るためだけに姫路まで出向いたのである。
まもなく「はまかぜ」が新車になる。新車になること自体は利用者かであれば歓迎すべきなのだろうが、
永年頑張ったキハ181の引退をも意味するのは残念でもある。
特にこの「はまかぜ」が新型キハ189に置き換わると、グリーン車がなくなる。
最近は県も市町村も、あるいは国の地方機関もなかなかグリーン車を認めてくれないのだろうか。
あるいはわざわざ城崎温泉に「はまかぜ」を利用するフルムーン客がいないのか、
まぁとにかくグリーン車はほとんど人が乗っていなかったのだから、車両置き換えとともに設備廃止はやむを得ないことかと思われる。
もともと4両のキハ181編成が今度は普通車のみ3両編成になるわけで、特急列車としては威厳がなくなってしまうのだが、このご時世仕方ないかと思う。
そもそもグリーン車のついたキハ181系が4両ということ自体が既にもう威厳がないとも思えるのだが。
キハ181がデビューしたての頃、大阪発着の「しなの」は食堂車を含む10両編成で、野洲も通っていたわけだ。
その後「しなの」や「やくも」を追われるが、京都口で「あさしお」として活躍を始めた当初もまだ食堂車がついていた。
いつ頃食堂車が外されたかわだらんはよく調べていないが、
まだ食堂車が系列内に存在し編成に組まれていたことは正統派の特急車両の証なのかもしれない。
そんなキハ181系のグリーン車に姫路から大阪まで乗ってきた。
シートピットは広く、リクライニングの角度は深く、なにより座面が大きく、
そしてその座席が並ぶ独特の空間こそがグリーン車の輝きであろうかと思う。
今でこそお別れだなどといとも簡単にグリーン車に乗るが、
まだキハ181系が長編成で活躍していた頃はわだらんがグリーン車に乗るなど身分不相応であったのだ。
とはいえ、もう40年近くも前の車両である。
幅の広い大きな座席は贅沢感こそあるものの、むしろ座席の背が低くて比較的長身のわだらんにはいまいちしっくりこない。
肘掛けに備え付けられたテーブルは出し方入れ方が凝っていて、ちょっと大人の雰囲気であるが、
でも大きさや使い勝手は普通車座席の背面テーブルの方が大きくて便利そうだし、そもそも普通車と同じ4列シートでは、一般人に区別がつくのかどうか。
わだらんは永年の憧れでグリーン車を特別なものとして見てしまうのだが、最近はそんな神聖な、あるいは楽園のようなものでもないようだ。
実際明石で乗客が乗ってきて、車掌の検札ですごすご自由席車へ動いていったのだから。
そんないわば特別なのに特別に見えない状態では、一般人はなかなか乗らない。
姫路を出発する時点でグリーン車は乗客9名、全員男でかつリュックサックを持っている。
しかも全員がそれなりの年齢、つまり若い人間はいないのだ。
今となっては貴重な国鉄型全室グリーン車なのだが、若い人間にその価値が理解するには難しいのだろうか。
ところでそんなヲタだけの車両もたまにはいいことがある、と一つ発見。
つまり鉄ヲタは基本的にカーテンを閉めないのだ。
上りの午前の列車は南側窓から直接日差しが入る。
ところが誰もカーテンを閉めないおかげでそのまぶしい日ざしの中でも明石海峡大橋や大阪湾を存分に楽しむことができたのである。
やはりというか、大阪から乗った野洲行き新快速はカーテンがほぼすべての窓に降りていた。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 9号車が南を向いて写真に納まる不思議
10/24
久しぶりに開かれた吹田工場の一般公開に行ってきた。
これといった目的もなく気合いを入れて早朝から出向いたわけでもなかったが、充分楽しめる内容であった。
というか公開内容は以前とあまり変わらず、特別目新しいものもなく、
でも多くの小さな子どもとその親(しかも母親の多いこと!)を見ていると、将来鉄道利用をしてもらえる人間が少しはいるだろう、と期待してしまう。
一部物品販売でヲタが集中していたようだが、わだらんとしてはどうしてもほしいものがあるわけでないから、横目で素通りである。
もちろん方向幕にしても、速度計にしても、持っていればうれしいものだが、だからといって高額の買い物をしなければならないほどでもない。
聞いた話では583系の前面愛称幕が30万円で競り落とされたそうだ。
もちろんお金や商品の価値はひとそれぞれ異なるので、わだらんがあれこれ言える筋合いの話ではないのだが。
ところで、吹田工場には流電と呼ばれるモハ52型電車が静態保存されていて、この日も入場者に一般公開されていた。
かつて戦前京都神戸間の急行電車として活躍した電車である。
この急行電車の運転パターンが、現在のT電、快速電車のいわば母胎になった運転であり、
のちに新快速を誕生させることになる本線快速のご先祖さまである。
京都神戸間の急行運転は、1956年の湖東線電化と1958年の姫路電化で東西に運転区間が伸ばされていき、
客車で組成された中距離普通列車を電車化する形で吸収し、今の大垣から播州赤穂・上郡までの列車が次々発着する形になったものである。
これも明治時代に東海道線が大阪から神戸京都へと開業した際に、大阪駅で直通運転できるように線路を敷いてくれた先人のおかげであろうか。
もし現在の大阪駅が当初計画にあったという、もう少し堂島に近いところに引き込まれてかつターミナル形式であれば、京都神戸の直通運転はできなかったわけだ。
計画は資金不足で現在の梅田の地に大阪駅を作ることになった、と何かで読んだのだが、その資金不足が今となってはよかったのだろう。
もし大阪駅がもっと南でかつターミナル式でができていれば、当然列車の運転形態は異なるだろうし、あるいは新快速が誕生していたかどうかも怪しい。
阪急梅田のような頭端駅は雰囲気こそいいものの、複数の路線に直通する運転形態にはあまり便利ではなさそうだ。
今の大阪駅は配線が単純で面白みには欠けるところがあるが、北方貨物線とその連絡線や宮原操車場の位置も含めて全体によく考えられて、よくできていると思う。
そんな線路配置のことを吹田工場で写真撮影用に展示されている681系を見ながら考える。
吹田工場への出入りは営業運転のサンダーバードとは向きが逆転している。
そのことはヲタには承知のことだろうけれども、写真を撮って楽しんでいる一般の家族連れのみなさんの多くは
この大阪駅周辺の線路配線の妙とその結果で起こる車両の向き違いとかを知ってもらう機会はあまりないのだろうな、とちょっと残念に思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 知名度が高いから列車が停まるのか、列車が停まるから知名度が上がるのか
10/20
九州鹿児島への新幹線の列車名が「みずほ」と「さくら」の二本立てで行くことが正式に決まったそうだ。
一部には「みずほ」が「さくら」より上になることに違和感を覚えると言っている人もいるようだが、
列車名はその使われる列車によって決まるものであって、過去の例を出して格の上下にこだわる必要はないとわだらんは思う。
とはいえ、わざわざ2つの名前を使い分けなくてはならないところが問題だろうと思う。
詰まるところ、二本立てになった理由は停車駅、特に新鳥栖と久留米の列車停車誘致合戦の結果であろうと思うのだ。
もともと距離が近いこの二駅にどうやって列車を停めるか、確かに難しい問題だと思う。
しかもこの場合、福岡県と佐賀県という県を跨いだ論争でもあり、なかなか安易に問題が解決するようなこともなかったのだろうと思う。
過去に列車の停車に絡んで問題となった例はいくつかあり、その最たるものが加賀温泉駅だろうと思う。
かつて大聖寺・動橋・粟津から山中・山代・片山津・粟津の各温泉地を結ぶ北陸鉄道の電車が走っていた。
つまり隣接する各駅がそれぞれ温泉地への玄関口であり、かつ各自治体の中心駅でもあったので、どこに特急を停めるかは大きな騒動になった。
今でこそ特急列車の連続停車は毛図らしくないが、昔は特急が停まるというだけで大騒ぎであったのだ。
結局この停車駅論争はこの区間のなかにあった小さな駅を大改装の上特急停車駅とすることで決着が計られた。
それが現在の加賀温泉駅、かつての作見駅である。
がこの加賀温泉駅誕生のために、温泉地への客の流れが全く変わってしまい、結果的に温泉地への電車は全て廃止になった。
もちろん遠方からの観光客にとっては「加賀温泉」駅の名前はわかりやすいと思うし、場所的に各温泉地への中心に位置するので、何かと都合はよかったのだろう。
そんなたかが特急停車、などと軽く見過ごせないのが、この問題の根の深さのようである。
もちろん今回の新鳥栖と久留米も相当地元であれこれ揉めたのだろうと思うが、残念ながらわだらんはその経緯をよく知らない。
いや、経緯を聞いても実際の地元の事情に明るくないと理解できないのだろうな、と思う。
がとにかくその問題のおかげで、列車名が増えてしまった。
列車名がたくさんあっても不具合にはならないと思うが、でも少ない方が単純でわかりやすいはずだ。
列車名や列車種別が多いと、どこに停まるのか、何が速いのか、覚えなくてはならないのだから。
特に最近私鉄はJR対抗で「きめ細かい輸送サービス」に重点を入れているものの、結果的に列車種別の乱発ではないか、と特に阪急電車に乗ると思うのだ。
阪急京都線は特急急行各停の三本建てで充分だと思うのだが。
名鉄も特別停車をやめて列車種別を増やしたのだが、かえって種別が多くなって複雑になったように感じる。
やはり列車名や列車種別は数が少ないほうが間違いなくわかりやすいように思うのだ。
もちろん停車駅もその列車種別ごとに決まっているべきで、列車によって停まったり停まらなかったりという点がないのが理想だとわだらんは考えるのだ。
ところで、南草津に新快速を停める運動が草津市他の団体で進められている。
確かに駅の利用客数で考えれば新快速が停まってもおかしくはないが、でも利用客数で駅の規模が決まるわけでもないし、どうも納得できない。
やはり草津市の顔は草津駅であり、南草津ではないと思うのだ。
もちろんマンションの販売や、企業誘致に「新快速停車」の文言は特にこの琵琶湖線沿線ではまさに葵の御紋のようだが、
でも南草津に関係のない多くの新快速利用者にとってはむしろ停車駅が増えるのはありがた迷惑だろうかと。
もちろん利用者あっての鉄道輸送ではあるが、地元の要望・思惑を全て飲み込むのはなかなかできることではないな、
と南草津駅の新快速停車運動看板を見ながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 屋根の形やクーラーの数で車両を推測してみる
10/17
またまた悲しい事故が起こってしまった。
解体中の建物の壁が倒壊して、道路上を走っていた女子高生を潰してしまったという話である。
突然命を奪われたご本人も、あるいはご両親を初めとする家族や友人のみなさまはさぞ無念であろうし、
事故を起こした解体会社にとっても大変なのことだろうと思う。
もちろんまずは亡くなられた女子高生の冥福を祈ることにしよう。
事故自体は鉄道に何ら関係がないのだが、発生場所がかつて岐阜市民であったわだらんがよく知っている場所故、気になって仕方ないのである。
人の大切な命、人生を簡単に奪ってしまう事故がこれ以上起きないように、と願ってみる。
ところでそんな事故があって、久しぶりに岐阜市の地図をネットで見ていた。
最近は簡単に地図も、そして航空写真ですら簡単にネットを通して簡単に見ることができるのはありがたい。
某ぐるぐると某やっほーの地図サイトを両方見ていたが、どちらも航空写真はあまり新しいものではないようなのだ。
つまりどちらもまだ美濃町線や市内線が元気なときのようで、モ570と思われる車両が某やっほーでは千手堂本郷町間に、
また某ぐるぐるでは忠節駅側線に停まっている。
白車体の新型車に較べて赤塗装で張り上げ屋根のモ570は判別しやすい。
かつて市内線末期、モ570は基本的に朝2両が忠節2往復するのみであったので、某やっほーは朝、某ぐるぐるは昼の撮影と読める。
もちろん建物の影からわかる太陽の位置でも同じようにわかり、某ぐるぐるの場合は南中近くで影が比較的長いように思われるので、
冬またはその前後の撮影ではないかと推測できるのだ。
さらに例えば某やっほーの新岐阜駅(名鉄岐阜ではない)の各務原線駅には6連のパノラマカーと美濃町線モ600がいるし、
本線駅2番線には7000+5500と思われる列車が停まっている。
もちろん屋根しか見えていないので推測であるが、
少なくともパノラマカーは先頭位置で赤塗装が屋根部分に長く回り込んでいるので、すぐにわかるのだ。
岐阜の600v線が廃止になってもう5年、月日が経つのは早いものだ。
そしてパノラマカーももう岐阜で見ることはできないのである。
地図や航空写真を見るのは楽しい。
ましてやよく知っているところを別の視点から見るとまたずいぶん違う。
廃線跡や車庫内の様子など、航空写真のおかげでずいぶんと簡単に理解ができるようになった。
まさに見飽きることのない世界である。
とはいえ、棒線化や貨物扱いの側線を剥がした空き地を見るのはちょっと悲しい。
そしていつか、岐阜市の航空写真が新しいものと差し替えられたとききっと写真を見る楽しみの半分は寂しさなのだろうなと思う。
鉄道施設や線路が新たに増えて、航空写真を見る楽しみが増えることが新幹線だけでなく、特に地方でもっとこれから出てくればうれしいのだけれど。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 地下や天井の低い閉鎖空間はどうも苦手だ
10/13
大きくなった大阪駅8番ホームを御堂筋口から上がって最後尾方向へ歩いてみた。
広くなったという実感は確かにあるのだが、平面的よりも空間的に広く感じる。
そう、ホームに屋根がないのだ。
正確には大屋根がかかっているので、屋根がないわけではないのだが、
駅中央部付近は新たに貼りだしたホームの上に軒を出すような形の屋根がないのである。
なので、新たにかかった大屋根までずっと天井というか上部空間が広く、ちょっと不思議な感覚になるのである。
欧州の駅はもともとドーム屋根に覆われたものがほとんどで、
わだらんのお気に入りの例えばオランダライデン中央駅も、ドイツハンブルグ中央駅も、ホームに屋根がない。
ハンブルグ中央駅はつい最近まで乗り入れる多くの路線が非電化で、無骨なDLに牽かれた客車列車が頻繁に出入りしていたものだ。
あの無骨なDL、例えばよく見かけた218型あたりでもエンジンから出る軽油の煙は相当臭かった。
もしハンブルグ中央駅の天井がずっと低かったら、もう大騒ぎになっていたのだろうと思う。
大阪駅も「はまかぜ」が新型車になり、KTR車の乗り入れが春になくなると、ディーゼル車もみなステンレスの車体を持つ車になる。
それらも排気の絡みなのだろうかと思う。
そう考えると昔狭い新名古屋にキハ8000系が出入りしていた時代、さぞ排気で大変だったのだろうな、と思う。
わだらんはキハ8000が現役だった頃を知っているとはいえ、新名古屋でキハ8000系を見たことがないので、あくまで推測であるが。
いつ間にかホーム上に広がる乗換通路に上がるエスカレータが姿を見せているようになった。
通路の供用はまだであるが、さぞ乗換が楽になるだろうと期待する。
でも上空にかかる大屋根といい、そのホーム上の橋上通路といい、大阪駅の駅施設がホーム高架下を利用していることをすっかり忘れさせてしまいそうだ。
誰だって天井の低いホーム下通路より天井の高い橋上通路の方が気持ちいいと思う。
橋上の通路から見下ろすホームがどんな風景になるのか、ちょっと今から楽しみである。
そういえばハンブルグ中央駅にはホームを見下ろす展望スペースがあるのだが、大阪駅にはそんな場所ができるのだろうか。
何しろアクティの27階からは大屋根に隠れてホームが見えなくなっているのだから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 窓の外に別の電車が併走していると面白い
10/12
先日大阪1852発の3512Mに乗っていると、新大阪で回送となるくろしお26号と同時発車になった。
いままで気がつかなかったので、偶然微妙にダイヤが重なったのか、
あるいは実はいつも併走していたのを既に寝入ったわだらんが知らなかっただけなのかよくわからない。
がとにかく13番線から上り外側に出る3512Mと11番線から梅田線上りへ出る76Mが同時発車できるというのがちょっと面白い。
くろしお26号76Mは吹田信号所(吹六)で折り返しとなるために上り梅田線へ発車するのだが、
外側への新快速と同時に進路開通が可能ということは考えたことがなかったからだ。
76Mが渡りを2回繰り返すので速度が上がらず、併走はあっさり3512Mの圧勝になってしまい、ずっと一緒に走るわけでないのが残念だったが。
でもこの上り貨物線への11番からの出発が13番の外側出発と同時にできるのなら、
14番から内側出発と合わせれば3列車同時に新大阪を発車することが可能、というわけだ。
実際3列車同時発車がダイヤ上あるかどうかは別にして、可能性がありと想像するのは楽しい。
3列車同時発車というのは案外ないもので、阪急梅田十三間とか、東京駅の南向き(山手・京浜東北・東海道)とかくらいだろうか。
新宿は代々木までの間で中央・総武・山手・山手貨物の4列車同時発車が可能だが、実際に4列車が同時に発車することはあるのだろうか。
同時発車で併走するのは見ていても乗っていても楽しいものである。
それができるのが複々線の楽しみであって、ちなみにこの3512Mはパターンダイヤをはずれているので、
高槻でC電と同時発車したり、京都石山間でT電と併走したり、と隣が何か忙しい電車である。
その併走が多いおかげで、例えば島本とか南草津とかの小駅で新快速が利用できるわけである。
乗換に伴う待ち時間なしで緩急接続ができ、しかも待避の長時間停車がない、といいことばかり。
全ての時間帯で新快速を倍増できれば文句なしであるが、このご時世そんな大盤振る舞いはできないだろうな。
大阪駅の8番が拡幅され新たに供用が始まった。広いホームは気持ちよさそうである。
出発側も線路がすーっと延びて気持ちよさそう。
でも残念なのは9番との間が片渡りだったこと。
もしシーサスにすれば3498Mが少し遅れていても4001「日本海」と同時発車できるのだけどなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 快速が切ったり伸びたり新聞輸送を従えたり
10/8
次の週末、9日から11日の三連休を利用して、大阪駅4号ホーム、8番線側の拡張工事を行うそうだ。
確かに今の8番のりばは狭く、何か事故などあってダイヤが乱れているともう大騒ぎになってしまう。
どういうわけか5番線側はあまり大騒ぎにならないので不思議である。
北新地駅利用の客があって神戸線側が少ないのか、そのあたりはよくわからない。
でもその7/8番にしても昔は別に狭いと思わなかったのだから、乗客が増えたのだろうか。
民営化で大阪駅の乗客が増えたのは事実だが、急に狭く感じるようになったのはやはりダイヤ乱れの件数が増えたからなのかもしれない。
乗客は自分で電車に乗り降りしたりホームへ上がったりあるいはホームから降りたりするが、荷物や郵便物は自分では動けない。
ましてや荷物車も郵便車も自分では動けない。
そのために駅にはいろいろな付帯設備であるとか側線とかがあったのだ。
今は残念ながら荷物も郵便もごく一部を除いて大阪駅での扱いはなくなり、その付帯設備はいわば遺跡のようになってしまった。
この8番拡幅に使われる中線もいわば荷物電車があった時代の遺構で、わだらんにはその中線にクモニ83の荷物電車や、
あるいは本編成から切り離された113系の付属4両編成が停まっていた頃を思い出してしまう。
とはいえ、せっかくのいわば死んだ資産が今に必要なものに生まれ変わるのはいいことなのだろうと思う。
遺跡では利益も便利もそして安全も生まないのだから。
しかしホームに埋められる線路というのも何となく不憫に思える。
もちろんそれは大阪駅だけでなく、京都0番にしてもあるいは岡山にしても同じような線路はあるわけで、このご時世の流れなのだが。
まぁ、きっと生まれ変わって今の時代の役に立っていると思えばそれらの埋まった線路もきっと喜んでいるだろう、と考えよう。
ただわだらん的にちょっと残念なのはせっかく広がるホームで朝夕の新快速の扱いがないことか。
広いきれいなホームで夜の新快速を待ってみたいものだ。
混雑防止で新快速が9番扱いになるのは仕方ない。
でも夕方以降快速のみ15分おきのみというのは広くなったホームではちょっと贅沢に思えるのだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 間合い運用という言葉はヲタ語かな
10/4
運用ヲタの楽しみは、ある車両がどんな動きをするか、どこをどう走っているかを確認したり推測したりすることである。
基本的に何でも運用ヲタのネタになるわけで、例えばJR西日本バスの大阪東京間夜行に使われる二階建てエアロキングが
昼間四国を往復していることが運用ネタだし、伊丹成田間の国内区間を欧米仕様の機材が飛んでいる一方で
国内線機材が深夜にグアムやサイパンを往復すればこれまた運用ネタである。
飛行機ヲタも基本的に特定の機体を追いかけることが多いので、撮影するために運用を追いかけるのが一般的。
そんなわけで、世の中運用ネタは尽きないのである。
とはいえ、そんな機材のやりくりとか車両の準備とかを気にする一般客は少ない。
せいぜい何か事故や天候不順でダイヤが乱れたときに気がつく程度だろうと思う。
逆に言えば、運用について一般客が気にすることがあるのはいいことでない、ということだ。
昔実際にあった話であるが、「青森県内の大雪のために大阪発長崎佐世保行きの寝台特急が運休」となった。
とはいえ、いわれてもみななぜ?と悩んでしまうはずだ。
というのも早岐所属の14系寝台客車が「あかつき」で大阪に出てきて、そのまま「日本海」で青森へ一往復、
その後大阪へ戻ってそして「あかつき」で早岐へ帰るという運用を組んでいたためである。
大雪で大阪に車両が帰ってこられなくなって、「あかつき」に使用する寝台車が用意できなくなった、というからくりである。
こういった車両運用を考えるのはあくまで事業者側の都合であるが、あまりアクロバット的な運用を組むと何かあったときに大変である。
とはいえ、運用を効率化することが事業者にとっても、あるいは結果的に利用者側にもメリットがあるのは事実である。
今はやりのLLC、格安航空会社の場合、機材のやりくりを際限まで高めてコストダウンを計っているわけだから。
車両も飛行機も、停まっていては金を生まない。
走って飛んでこそ、利益も生むし利用客のためにもなるのである。
今日は福井県内の大土呂駅で人身事故が起きたそうだ。
人身事故が起こることについての話は別にして、その大土呂駅の事故のために、「びわこエクスプレス」が運休になるそうだ。
一般客には大土呂駅がどこかぴんとこないかもしれないし、ましてや京都線でも神戸線でもない駅での
事故で列車が運休になるのは不思議に思うだろう。
とはいえ、「びわこエクスプレス」に使われる車両が北陸線特急の車だ、と外見で知っている方なら想像できるだろうか。
やはり運用を考えるきっかけはいいできごとではないのである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 暑さ寒さも彼岸まで、彼岸花は季節の配達人
10/1
10月になった。
月日の経つのは早いもので、暑い暑いと言っている間に夜はすっかり涼しくなっている。
とはいえ、電車は相変わらず冷房が回っているし、日中日ざしは強くて窓は日よけが降りているし、冬が来るのだろうか、と悩んでしまう。
そういえば今年は結局9月に台風が来なかったな、と思う。
9月26日が台風の特異日で、洞爺丸台風の5年後に伊勢湾台風、その2年後に狩野川台風と立て続けに幾重の命を奪ってしまったのだが、
さすがに最近は千人規模で死者が出る災害はなくなっている。
とはいえ、今の世の中、いつゲリラ豪雨が降ってくるかわからないし、突然の土石流や濁流で命を落とされる方は絶えない。
なんとかならないものかと思うが、自然に立ち向かうのは容易ではないのだろう。
まぁそんな悪い話ばかりでなく、季節が進めばまた楽しみもある。
暑いとはいえ空気がずいぶん入れ替わって空は高くなってきた。
夕方、日が短くなってわずかに車窓から見える景色も六甲や能勢の山々がはっきり見え、気持ちがいい。
大阪市内から見ると、比良の蓬莱山が比叡山の裏側にわずかに顔を出している。
さぞこんな空気の澄んだよく晴れた日は、スキー場に登れば絶景なのだろうなぁと思う。
ちなみに今日10月1日は展望の日だそうで、イベントがあったらしい。
まぁ今だかつて京都タワーに登ったことのないわだらんである。
せめてスキー場とはいわずとも、まずは京都タワーに登ってみなくてはと思い続けてもう数年。
月日の経つのは早いものだ、と思う。
野洲駅下りホーム外側にいつのまにか彼岸花が咲いている。
野洲のいいところは自然豊かな、風景の美しいところ、そんな気持ちのいいところにわだらんは住んでいるのである。
ちょっとした季節の移ろいを地元で発見し観察するのは楽しいものだし、その美しさや楽しさを伝えられるよう精進しないといけない。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |