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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
10年 11月
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918. 11/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ こうのとりに追い出される雷鳥?
917. 11/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れる電車より電車がこないことが気になる
916. 11/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 前を向いて座るのが高級な車、前向きに座席を整備するのは乗客のみなさん
915. 11/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今の電車は制御装置が既にブラックボックス
914. 11/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅直結の百貨店に駅直結の家電量販店
913. 11/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大阪の名物と大阪でしか買えないものは異なるようだ
912. 11/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遠距離逓減より特定運賃
911. 11/9 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 非電化区間直通が気動車の強みのはずだが
910. 11/7 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電化製品の30年選手、表示パネルの20年選手
909. 11/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 空間の非日常、移動の非日常
908. 11/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅の反対側を見通せる時間が事件の鍵
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ こうのとりに追い出される雷鳥?
11/29
最近いよいよ体にガタがきて、医者の世話になることが多くなった。
電車の場合だと更新工事などでそれなりに若返ることができるのだが、人間の場合はそうはいかない。
わだらんと同年代の阪急2300系は制御装置をそっくり7300系と同等のものに替えているそうで、車体は多少ボロくなってまだまだ元気。
あるいはこれまた同年代の森ノ宮にいる103系N40更新車は車体だけ見れば201系とかわらない。
とはいっても人間の場合体の一部を置き換えるというわけには行かず、まぁだましだまし使っていくしかないわけだ。
にもかかわらず不規則暴食となんら健康への意識の薄いわだらん故、この先全般検査で重大な亀裂が見つかるかもしれないのだが。
車両故障が増えてきたこともあってか、在来線特急電車の置き換えがいよいよ進むことになりそうだ。
とりあえず北陸線はサンダーバード化がほぼ進み485系の姿は風前の灯火になって、683系に追い出された状態のよい485系京都車が福知山の車両を置き換えた。
さらには新車287系の福知山投入も決まって、今日車両工場から出荷されたそうだ。
くろしおにもこの287系の2012年投入が決まったそうで、ずんぐりむっくりの183系改造車を含む485系一族が特急運用からはずれるのも時間の問題になってきた。
まぁ特急電車も接客業なのだから、若い方が客の受けは良いわけで、何も古くなって故障の増えた車両をいつまでも使うことがよいとは思えないのであるが。
485系一族の初代である481系雷鳥しらさぎが運転を始めたのは1964年11月。
それから40年以上の時が経ち、東北も九州もこの冬から来春にかけて新幹線開業による特急車両の配転があって485系はほぼ引退が見えているし、JR西日本の各特急もそろそろ先がない。
485系はもともと日本のどこでも走ることができるという前提の車で、実際九州と東北を転配された車も多い、いわば転勤族。
そう考えると今は新人が各地方で採用されるので、地域間の転勤はあっても広域、それこそ全国をまたにかけるような転勤話は出てこない。
というか、特急の運転区間自体が短くなって、地域をまたがる列車が減ってしまっては、運用範囲自体が小さくてぱっとしない。
485系の引退前にもう一度山陽路を新大阪から博多まで走ってみてほしい、できるなら快速ムーンライト九州の復活をと願うが、こればかりは夢であろう。
年末年始の臨時列車も面白そうなものがなく、せっかくの多客時に485系が活躍できないのは少し寂しいなぁ、と向日町の編成から外された485系電動車ユニットを眺めながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れる電車より電車がこないことが気になる
11/25
このところ19時前後の比較的座りやすい電車で帰ることの多いわだらんであるが、今日は何となく机が片づいたので18時ちょうどの3500M狙いで大阪駅へ向かう。
欲を出せば一本前の3498Mの方が座りやすいのだが、最近3500Mも編成中間の大量の下車後であれば座席を確保することも可能だとわかり、せっかくなのでまた試しである。
3500Mは特によく混む電車で、特に先頭8号車は大阪下車も多いが、車内滞留客も多く、列の先頭に並んでいても席が取れるかどうか微妙である。
一方最近わかってきたのだが、どうも6号車とか5号車は大阪到着時点で車内がよく混んでいるが、大阪を跨ぐ滞留客が先頭車ほど多くなく、乗車列のかなり前なら席を取ることも可能なようである。
加えて、あくまでわだらんの感覚なのだが、比較的遠距離客が少なく、新大阪や高槻下車客が多いようなのだ。
つまり大阪時点で席が確保できなくても、新大阪や高槻で座れる可能性が高い、ということだ。
もちろんそれにはいかに着席客の目的地を見抜くかという勘と経験の世界が必要なのだが。
ホームに上がった時間が17:48、これで6号車後扉の列先頭を確保。
もうあとは電車が来ればゆっくり座って熟睡、の予定であった。
ところが、どうも雲行きがおかしいと思っていると、18時直前になって「立花尼崎間踏切安全確認で列車に遅れ」とアナウンスがあった。
ホームの発車票は3500Mに遅れ5分を表示している。
あれあれ、と列車を待っているがいっこうに3500Mが入ってくる気配はない。
やがて福知山線からの2770Mが先に9番線に入線し、しかも発車票の遅れ表示はどんどん拡大してついに20分の文字が。
結局3500Mが入ってきたのは18:20であった。
当然尼崎でほぼ2本分の乗客を乗せて車内はいっぱいである。
こうなると列先頭であってもとても座席を確保できる状況でなく、ただうれしいのは車内にすぐ入れることで、新大阪で降りそうに見える着席客の横に立てること。
結局わだらんが狙った客は高槻下車であったが、まぁ高槻で座れたのだから上出来と言うことにしておこう。
しかし相も変わらず難儀なのはちょっとした異変のあと、ダイヤの乱れが収束するどころかますます拡大するところ。
ほぼ定刻で大阪駅へ入ってきた18:17発の1208Cは遅れ3500Mのあとの発車になっておそらく10分遅れか。
つまり18:02の1206Cが出てから20分近く上り電車はなく、かつ快速電車は18:08の808Tが15分以上遅れているようで、島本ほかの各駅は30分以上電車がない状態。
で、あくまでそれは18:20の時点での話で、3500Mが出た以降がどんな状況になっているのかわからない。
例えば無理に1208Cを遅らさなくてもよかったと思うし、こんな状況なら新快速を新大阪で無理に13番に入れなくても12番でもよかろうに、と思う。
まぁとにかく拡張された大阪駅8番乗り場がホームいっぱいに乗客が広がる状態で、もしこれが拡張される前ならと思うとぞっとする。
幸いにも3500Mはその後大きな障害もなく、わだらんも高槻から熟睡し、野洲には30分遅れで着いた。
野洲について上り案内をみると808Tがなんと40分遅れだそうで、後続の新快速3506Mが各駅停車扱いだそうだ。
これも808Tは12両だから何とかなっているのであって、もし再開後の初電車が以前の804Tの6連であったりすればもう大騒ぎなのだろう。
しかしその遮断竿折れが17:45頃だそうで、もしわかっていれば定刻に発車していった806Tに乗っておくべきであったか。
まぁ遅れ3500Mでちゃんと高槻で座れたのだからよしとしよう。
しかし上り電車がほとんどこない状態で、新大阪からの新幹線指定席を持った人間はさぞ大変だっただろう。
無事にみな指定席の列車に間に合っていたのだろうか、ちょっと気になる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 前を向いて座るのが高級な車、前向きに座席を整備するのは乗客のみなさん
11/22
慶事ごとがあって、東京に土日の1泊2日で出かけてきた。
都内をうろうろするのはしばらくぶりの話で、副都心線も南北線も初乗車になった。
あとから改めて地図を見ると、ずいぶん無駄な動きをしたと思う部分も多く、
慣れと勘は少なくともある一定間隔で維持しておかないとあてにならなくなるものだ、と痛感する。
とはいってもわざわざ人の多い東京都内に出かけていくのはあまり好きではないのだが。
何しろ帰りも東京駅新幹線ホームの人の多さにめげてしまう。
通勤電車、例えば大阪駅でももちろん人は多いし、地下鉄御堂筋線梅田駅にしても、
あるいは阪神百貨店地下一階の通路でも確かに人は多いのだが、どうも新幹線ホームの客の多さは通勤客とは違って何か苦手なのだ。
これもおそらく平日の出張客ばかりの時と、土日の行楽客ばかりの時では違うのだろうけれども、
動きが予測できない人の流れというのは難しいように思う。
そもそも通勤客はほとんどが単独行動だし、電車に乗る、あるいは降りるといった基本的な動き以外はほとんど動線に振れがないのだが、
行楽客はコンコースでうろうろ、ホームでうろうろ、しかもグループ移動が多く、ふらふらと動くのだ。
もちろんそれが悪いとは言わないし、行楽客は大事な鉄道のお客であって、無碍にすることはできないのだが。
そんな混雑した東京駅18/19番ホームで指定席を確保した列車を待っていた。
乗るのは18:33のひかり525号なのだが、これが18:17着のこだま662号の折り返しなのだ。
こだま号の客が降りて、車内にピンクの派手な衣装をまとった作業者のみなさんが入って、
座席を転換し、枕シートを替え、窓を拭き、ゴミを拾う。
手際の良さに感心するが、それでも扉が開くのは発車の5分ほど前。
もう永年当たり前に行われている折り返し作業であるが、長距離列車が旅立つ風景には似つかわないと言うか、
風情がないというか、なんともあわただしい雰囲気なのである。
おまけにお隣18番線もこのひかり525号を岐阜羽島で抜くことになるのぞみ255号がのぞみ240号の折り返し作業中、
これも同じく17分での折り返し作業で、こちらも作業員のみなさんが忙しく動いておられ、ホームは乗車待ちの長い列ができている。
運用ヲタとしては折り返しの作業は面白く見ていて飽きないのだが、何か少し物足りないように思う。
もっとも、高価な新幹線車両を遊ばせておくのはもったいないし、停まっていては乗客も運べず収入も得られないわけで、
その意味では格安航空会社の飛行機が短い時間で再び飛んでいくのと同じなのだな、と納得してしまう。
今時風情とか余裕とか、それが通勤電車であっても新幹線であっても、あまり感じることのできない、少し寂しい世の中なのだろう。
月曜日は早く帰る、と仕事を放り出して大阪17:45の3498Mで帰宅。
東京の疲れもあったのか、例によって車内で熟睡してしまい、野洲着の人の動きで目が覚めた。
3498Mは野洲2番線で折り返し827Tになる運用。
乗り込んできた827Tの乗客は慣れた手つきで座席をばたばた倒していく。
そのみなさんの座席を倒す行動があまりに自然で、東京駅の新幹線折り返し作業の手際よさとまた違った
一般乗客の手際の良さに感心しているわだらんである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今の電車は制御装置が既にブラックボックス
11/18
鉄道の歴史に少し明るい方なら11月19日がある記念日であることをご存じかと思う。
1956年の11月19日、米原京都間の電化が完成して、東京から神戸まで東海道本線が全線電化になった日である。
この電化完成によって、電気機関車、主にEF58が客車列車を牽くことによって、
東山・逢坂山トンネルを煙なしで越えることができるようになったのである。
そしてこの日はいわゆる湖東線列車、つまり米原京都間のローカル列車が電車になって、
大阪神戸に直通するようになった日でもある。
当時の東海道本線は荷物車や郵便車も連結した長距離列車が多数あったが、
その隙間を縫うように80系電車が走るようになったのである。
当然野洲も初めて電車が停まるわけで、当時の人々は明るい色の電車にさぞ歓喜したのだろうと思う。
ちなみにこの電化完成前の初秋の頃、80系電車の試運転に地元の小学6年生が招待されて電車を体験しているそうだ。
野洲小学校もその対象だったのだろうか?
そうだとすれば、その時試運転電車に乗った小学校6年生はいま66歳前後になられているはずだが、
もしできることならどんな雰囲気だったか話が聞いてみたいものだ、と思う。
ところで、この電化完成が11月19日というのは正確ではなく、実際には電化によるダイヤ改正の日なのだ。
電化工事完成からダイヤ改正までの間、まだ電気列車に信頼性がおけなかったというか、
蒸気機関車の方が確実であったためか、そして習熟も兼ねてか、蒸気機関車と電気機関車を繋げて走らせていたようだ。
電化のダイヤ改正直前、11月2日に京都で撮られたお召し列車の写真を見たことがあるのだが、
誇らしげに化粧されたC59108の列車の物陰、2番ホームに停まっている普通列車?の先頭にEF58が写っている。
つまり既に電気機関車で走れるのだが、敢えて蒸気機関車C59に牽かす方が安心ということだったのだろう。
蒸気機関車は走るしくみが全て目で見える。そんな安心感が電気機関車より強かったのかもしれない。
とはいえ、今や電車や電気機関車なしでは鉄道は存在できないし、
野洲を通る列車も1往復のディーゼルカー以外全て電車・電気機関車の列車になっている。
電化されて既に50年以上が経ち、そもそも電化当時を知っている車自体、野洲を通ることがないのだ。
機関車、電車はもちろんのこと客車も貨車も世代交代してしまった。
もちろんそうでなくては、つまり車両も世代交代しなければ、時代に合わないことになるのだから。
北びわこ号のC56は梅小路と米原の間をEF65に牽かれて回送されている。
今や老齢のC56が単独で東海道線を走るのは難しいということなのだろう。
先日守山栗東間の架線柱が新しくなっているのに気が付いた。
新たに既存のものより少し太い架線柱を新たに建て、単線並列型で架線を吊っている。
高架で線路の上を越える道路工事に絡んでなのか篠原野洲間も架線柱が一部取り替えられたし、
能登川の付近も架線柱の交換が進んできている。
半永久的に使えそうなコンクリート柱が50年の時を越えて少しずつ引退中。
電化完成当時からの施設が減っているのだが、これも時代というものか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅直結の百貨店に駅直結の家電量販店
11/16
大阪駅の新北ビルと大屋根がほぼ外観では出来上がったように見える。
先日からホーム上の階上通路が通行できるようになって、とりあえずホーム間乗換ができるようになった。
帰宅時に7/8番と9番ホームを行き来することがあるのだが、一旦コンコースに降りると結構な高低差で時間がかかる。
でも今回開通した階上通路を使うとずいぶん楽に行き来できる。
新快速に乗るか、T電に乗るか、あるいはC電で新大阪まで行くか、
この判断によるホーム間移動が列の様子を見ながら容易にできるのはうれしいことだ。
もっとも来年3月改正で、多くの新快速が12両になるらしいので、乗車列がどうなるのか、今から楽しみであったり心配であったりするが。
しかし梅田の百貨店は来春以降どうなっていくのだろうか。
阪急百貨店の本館のあった位置、つまり昔の阪急梅田駅は今やぽっかり穴の開いた状態。
こののちビルが建つのだろうけれども、伊勢丹三越新規開店に大丸増床とJR駅対阪急阪神駅の戦いになるわけだ。
どうやら阪和線や大和路線、福知山線からの大阪駅直通電車の増発が来春改正でできるようで、
JRとしては梅田誘導というか、大阪駅集客のための利便性向上が来春の改正の目玉になるのだろうと思う。
一方京都駅前というか七条烏丸にヨドバシカメラがオープンした。
昔の丸物百貨店、のちの近鉄なのだが、今の時代、家電販売店がまさに百貨店の規模になってしまった。
というか、百貨店も大規模でなければ生き残れず、
逆に中規模小規模では大規模家電販売店と変わらないほどになってしまっている、ということなのだろう。
名古屋駅も松坂屋撤退後にヨドバシカメラが入るそうで、さらには名鉄百貨店はヤマダ電機を入れるとのことで、
大きなターミナル駅の駅前駅上はこの時代大規模百貨店か、大規模家電店に占められる時代なのだろう。
何か変わり映えがしないというか、面白みに欠けるというか。
とは言っても各地の中心駅が結果的に似たり寄ったりしてしまうのは仕方がないことなのだろうか。
電車の車内に九州新幹線開業の広告が下がっている。
「九州直結」の見出しではまるで九州に新幹線が行っていないかのように取れなくもないが、まぁあれこれ言うのはやめよう。
鹿児島まで新幹線で行くことができるというのはおそらく一般人にはインパクトは強かろう。
そんな九州新幹線博多開業でできる新博多駅ビルには阪急百貨店が入る。
関西人から見れば九州で阪急か、と思う向きもあろうか。
とはいえ、今までの九州の百貨店とは違うものになるだろうから、集客の目玉にはなるのだろう。
福岡の商業の中心が天神か博多駅かどちらかなのかとは、ここでどうこう言うことはできないが、
新幹線開業や新駅ビルで、中心地は動くのか、人の流れは変わるのだろうか。
大阪資本の百貨店に九州各地、特に熊本や鹿児島からわざわざやってくる客はいるのだろうか。
新幹線開通で九州各地から人を呼ぶことになるのかどうか。
とはいえ、地方の拠点駅がどこも同じような駅の作りになっていくのはちょっと面白くないように感じるわだらんである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 大阪の名物と大阪でしか買えないものは異なるようだ
11/15
今はどうなったのかよく知らないのだが、昔大阪駅や新大阪駅での土産物売上げの1・2番目が八つ橋と赤福で、
大阪名物大阪土産ではないな、という話を何かで読んだ。
確かに大阪駅でも新大阪駅でも赤福を売っているし、わだらん自身大阪で赤福を買って帰ったことが数回ある。
本来伊勢の餅菓子をわざわざ大阪で売っていて、しかもそれが売れるのはちと不思議だが、まぁ商売がうまかったということになろう。
あまりに目先ばかりを追いかけて、偽装なる問題を起こしたのだが、今となっては落ち着いて以前と変わらずKIOSKの店頭に積まれている。
もし遠方の方が大阪に縁もゆかりもない赤福を大阪土産として頂いて、
その後伊勢に興味が沸いて近鉄でも参宮線でも列車に乗ってくれればうれしいことだが。
ところで、昔は大きな手提げ袋といえば、結婚式の引き出物を持って帰るものがその代表格だったように思う。
特に結婚式のシーズンの日曜夕方の新幹線ホームは礼服に手提げ袋を持った集団が目立つ。
とはいえ、昔ほど折り詰めで持ち帰る料理はないし、引き出物もカタログや別途送付などが増えて、
結婚式での荷物は減る傾向だろうと思う。
その一方で、テーマパークの土産袋はより巨大化する方向ではないかと思う。
野洲でも朝上り一番から浦安某パークの袋を持った人間がよく降りてくる。
京都まで夜行バスで帰ってきた人間だろう。
あるいは帰宅時に大阪から新快速に乗ろうとすると、桜島某スタジオのこれまた大きな袋を持った集団によく出くわす。
いかにも「遊びに行ってきましたよ」と思わすに充分である。
もちろん某スタジオに出かけた人間全てが大きな手提げ袋を持って帰るわけではないのだろうから、
袋を持っていない、気づかれない某スタジオ入場者もきっと電車にたくさん乗っているのだろうけれども。
そういえば多くの空港の土産物屋はそれぞれ個性ある大きな袋を用意している。
いかにも鹿児島に行って来ましたとか函館帰りですなどとすぐにわかる袋を下げた人をよく見かける。
まぁ空港の袋は日本だけでなく、ハワイでもソウルでも、
そしてアムステルダム・スキポールでも空港免税店の特徴ある袋で空港やお店のPRに躍起。
知名度を上げる手段は洋の東西を問わないのだな、と思う。
ちなみにアムステルダム空港免税店の袋は黄色で、とてもよく目立つのだ。
土曜日、ちょっと用事があって大阪へ出かけ、午後の野洲行き新快速で帰るときのことである。
わだらんは窓側に運良く座れてなにより。
車内は座席が埋まってドア横や通路にさらっと立ち客が出る程度の落ち着いた雰囲気であった。
通路には大きな紙袋を持ったおねえさん。
とにかく大きな、まるで結婚式の引き出物を入れる大袋かそれ以上の大きさに見える袋を持っている。
袋は赤と白と青の横線があり、今はやりのラスク屋の紙袋であるとすぐわかる。
阪神百貨店でいつも行列ができているお店の大袋。
一体中身はいくらなのだろう、もし隣に座ってくれたら声をかけてみようとずっと待っていたのだが
残念ながら高槻でわだらんの前に座ってしまい、結局その袋がいくらの買い物なのか聞けずじまいであった。
しかもそのおねえさん、野洲で米原行き普通電車に乗り換えたので、篠原以北まで帰るのは間違いない。
そう考えると大きな袋に入ったラスク(であろう)は立派な大阪土産か。
確かに滋賀県内ではそのお店のラスクは買えないので、大阪に出かけた土産で間違いないわな。
とはいえ、もともと群馬県高崎の洋菓子屋である。
土産物とは何か、案外定義は難しいものなのかもしれない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遠距離逓減より特定運賃
11/11
昔わだらんが岐阜市民だった頃、よく大阪へ出かけていた。
名目は親戚の訪問であるが、もちろんそれはあくまで名目であって、
実際には大阪駅で行き交う列車を見ていたり、近鉄とか南海、大阪市営地下鉄などの電車を見たり乗ったりするのが目的である。
そんなおでかけなので、特に急ぐ旅でもなかった。
ところで、岐阜大阪間は160.1kmである。
つまりわずか100mのことながら、これで運賃が160kmまでの2520円から一気に2940円に跳ね上がるのである。
もし大阪駅が100m東にあればと恨むのだが、そんなことを恨んでも仕方がない。
そう420円も一気に上がるのなら、安い10km未満の切符を買えばいいのだ。
つまり新大阪までなら岐阜から2520円、それに新大阪大阪間の180円を合わせると2700円で安くなるわけだ。
で実際わだらんはどうしていたかというと、岐阜京都間1890円に大阪京都間540円を合わせて2430円で往復していた。
でしかも周知の通り京都大阪は昼得切符のばら売りが330円程度なので、2220円程度で利用していたのだ(いずれも運賃は現行金額表示)。
国鉄時代の大幅な運賃値上げと競合区間での競争力のある特定運賃のいわば運賃制度の落とし子なのだが、
今となっては運賃の改定は難しく、ややこしい制度としてしばらく残ることになるのだろう。
例えば山科大阪などはそのまま買えば820円だが、京都で一回降りると720円になるのだから。
家人が明日名鉄本線の前後まで出かけるので、事前に切符を準備していた。
運賃だけ見ると野洲名古屋+名鉄名古屋前後で1890+390の2280円が一番安いのだが、
わだらんが行くわけでないので名古屋の乗り換えは勧めない。
金山乗換なら橋上通路内で乗り換えでき、至って簡単。
ところが野洲金山+金山前後は2210+340の2550円と名古屋乗換に較べて高くなる。
そこでまた特定運賃を利用し、野洲岐阜+岐阜金山+金山前後とすれば1450+520+340で2310円となる。
名古屋乗換に較べると30円高いが、まぁ乗換簡単料と思えば納得できる金額である。
が、さすがにわざわざ岐阜で改札を通る時間がないので、わだらんが先に岐阜金山間の乗車券のみを旅行会社で調達しておいた。
そして野洲岐阜の往復を野洲で入手し、準備完了となる。
ちなみに名鉄はトランパスを持っているので切符不要であるし、前後から名鉄バスに乗るので、
トランパスの乗り継ぎ運賃割引を使わない手はないのだ。
そんな特定運賃区間は競合路線あってのもの。
琵琶湖線には残念ながら競合と呼べる他の交通機関がなく、いわば独占状態。
列車や駅が放置されているとは思わないが、もし競合があれば琵琶湖線も昼得の設定があっただろうに、とちょっと残念に思う。
もし名神高速のICから京都大阪両駅への一般道が空いていて、かつ西鉄が高速バスを走らせていたら競合になっただろうか。
あるいは新幹線栗東新駅ができていて、東海が新大阪から地下鉄御堂筋線経由の大阪市内ゆきの企画切符を出していれば、
琵琶湖線にも何か安い切符は出ただろうか、とちょっと妄想。
まぁもっとも大垣〜醒ヶ井各駅からの京都大阪新幹線企画切符に琵琶湖線が何も反応していないところを見ると、
あまり琵琶湖線には安い切符を設定するつもりもないのかな、競合を競合と見ない余裕か、と思ってしまう。
まぁ実際昼得があったとしても、琵琶湖線の利用者が簡単に増えるとも思えないのだが。
わだらんが野洲駅改札で岐阜までの切符を調達していようと並んでいたところ、先客は野洲新大阪の通勤六ヶ月定期を買っていた。
通しで160270円だったのだが、わだらんは京都分割で146650円のものを持っている。
その先客も京都駅で分割すれば13620円も安くなるのに、とつぶやいてみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 非電化区間直通が気動車の強みのはずだが
11/9
ズワイガニ漁が解禁になったそうだ。
電車の中にも「かにカニ日帰りエクスプレス」の広告が踊っている。
関西人はやたら蟹がやたら好きなようだが、これも大阪京都から比較的近いところで蟹を安価に食べることができるからだろうと思う。
日帰りの昼食であっても、泊まりの夕食であっても、日頃食べることのない蟹を存分に食べられるのだから、
たまに出かけるには格好の目玉商品なのだろうと思う。
電車には他にも松茸懐石とか豚しゃぶ食べ放題の駅プランが吊られて人目を誘っているが、
やはり蟹の季節になれば派手さで蟹にかなうまいと思う。
わだらん自身、もし1万円日帰りでこの時期好きなところへ行けるとなれば、やはり丹後に蟹を食べに行くだろうと思う。
そんな蟹の季節はまたJR福知山支社にとってもかきいれ時である。
「北近畿」や「はまかぜ」はこの時期増結で編成が長くなり見栄えがするし、
ほぼ年中設定のくろしお往復割引きっぷに対して、北近畿往復割引きっぷは蟹の季節は設定がないのだ。
まぁ強気とも思えるが、何も無理に収入を減らすこともなかろうかとも思う。
ただ今年の場合、舞鶴若狭道の無料化がどの程度響くのかちょっと心配ではあるが。
蟹の解禁にあわせるかのように、「はまかぜ」のキハ181系が定期運用から引退になった。
以前せっかくのキハ181系が4連では頼りないなぁと書いたところ、
いつもお世話になっている旧岡山在住の方から「いなば」が3両でまだそれに較べればましだ、と教えていただいた。
確かに「いなば」も「おき」も「いそかぜ」も3両だったので、それを考えるとキロ180を含んだ4両なら立派なものか、とも思う。
しかも引退前には増結で6連になったので、6連が堂々かどうか見方は別れるだろうけれども、まぁ有終の美を飾ったということになろうか。
ただ、わだらんとしてはキハ181系にあまり乗ったことがなく、「やくも」と「いなば」くらいしか思いつかず
、わざわざ最終日に列車を見送りに行こうという気分にはならなかった。
だいたい「ありがとう」とか「ごくろうさま」などと大声を張り上げる連中が
どれだけその列車や車両に世話になっているのか、単に目立ちたいだけだろうに、と。
もちろん中には本当に世話になった、あるいはねぎらいたい人間もいるだろうし、
わだらん自身が思い入れのある車の引退にはそれなりに立ち会っている。
新幹線東海道区間の100系引退時にはちゃんと新大阪で見送っているし、「富士はやぶさ」の最終列車は上下とも野洲駅で見ている。
その人によって想いは違うのだろうけれども、
だからといって何でもかんでも最後だから見に行くというのは単なる野次馬でしかないと思うのだ。
そんなキハ181系に代わってキハ189系が走り出した。
キハ181系も決して鈍足ではなかったのだが、でもいかにも重たそうな走り。
今度のキハ189系はどんなイメージなのだろうか。
今後「おわら」で越中八尾まで高山線に入ることがあるのだろうけれども、
もしキハ189系が神岡鉄道奥飛騨温泉口まで入っていたら観光列車で名を馳せただろうか。
でもやっぱり1000円高速には勝てないか。
どっちにしろ線路がなくなってしまっては単なるヲタの妄想にしか過ぎないのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電化製品の30年選手、表示パネルの20年選手
11/7
やたら大きな家電販売店の折り込みチラシが続けて入るなぁと広告を開いてみるとエコポイント半減前の駆け込み購入を誘う内容であった。
わだらん自身冷蔵庫とテレビをリサイクル券付きで買い換えたのにまだエコポイントの申請をしていない。
早くしようと思いつつコピーを取るだの書面を作成するだのどうも面倒なのだ。
とはいえ、せっかくお金相当品をもらえるのだから、早くしておかねば、と一人焦る。
3日の休日、ちょっと出かける用事が重なって、大津市内と岐阜市内を掛け持ちする事態になってしまった。
岐阜は高校の同窓会への出席なのだが、その同窓会が記念大会とかで大騒ぎである。
幹事学年ということでわだらんの同窓生が大量に集まり、なかなか楽しい時間を過ごせたのであった。
ただ、みなそろそろ体にガタが来始めているようで、お互い健康に留意しなければみたいな話ばかりである。
わだらんが高校卒業の頃にぴかぴかの新車であった大垣の117系がぼちぼち引退という話を聞くと、もうそんな歳か、とちょっとがっかりもする。
自分の体に型がきてもおかしくない歳だな、と思うと悲しい。
ところで、電化製品の保守部品保有最低年数は7年だそうだ。
ということは8年目になると部品入手不可を理由にした修理不可とメーカーが言えるのである。
実際わだらんの家の中で経年の大物家電といえば据え置き型温水器くらいのもの、あとはテレビも冷蔵庫も電子レンジもみな最近買い換えたものばかり、
今の世の中、家電で10年となるともうベテランの域なのだろうなぁ。
確かに冷蔵庫や洗濯機は長持ちしそうだが、30年も持つことはあるのだろうか。
そんなことを考えたのはこの3日、大垣から岐阜までの快速2334Fに乗ったところ、まだ出来立ての313系5000番台の13番編成にあたったからである。
のんびり座ろうと先頭車の前から3列目に腰をかけると、偶然運転台の時刻表差しに目がいった。
あれ、時刻表差しの照明がLEDだな、とちょっとびっくり。
今年の車からLEDなのか、あるいは06年製の5000番台が既にLEDなのか、詳しいことはわからない。
とはいっても時刻表差しが蛍光灯照明でないのがずいぶん新鮮に見えるのである。
LED照明とはなかなか時代の先端を行っている、というかそれだけ電気機器が進歩して、
電車も変わっているのだと思わせるに充分であった。
というのも実はこの日の朝、大津市内に行くために乗ったのは221系の一次車であった。
1989年製で、いつのまにか221系ですら20年選手になってしまっている。
その221系は運転台に動作確認モニターがついている。
今ならフルカラー液晶パネルでもなんら珍しくないのだが、当時単色表示でもずいぶん進化したものだ、とびっくりしたものである。
でもそんな画面ももう20年。
走り装置は全般検査で何かと手が入っているのだろうけれども、後方支援装置、特にメーターのような運転に直接支障するものでない限り、なかなか更新はできないのだろう。
そろそろ225系の登場で221系の本線引退が見えてきたのだが、奈良や京都へ転出の際には車内案内装置などの更新はするのかな?
壊れてなければそのまま使うのだろうけれども。
そういえば225系も車内にモニターが付くのだそうだ。
321系をベースに考えれば、車体に12画面、8両編成だと96個のモニターが付く。
業務用にはエコポイントが付かないことなど充分承知しているが、でも対象商品で7000点から、などという家電販売店のチラシがふと頭をよぎる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 空間の非日常、移動の非日常
11/6
新大阪京都間の新幹線自由席特急券をわだらんに無償供与するという何とも奇特な方がおられて、
5日の金曜日の帰宅時に新幹線に乗ってきた。
大阪から18:52の新快速3512Mに着席しながら、新大阪で降りるというなんとも贅沢な行動。
しかし自由席特急券は持っているものの、ICOCA定期では新幹線に乗れず、
わざわざ乗換改札前の自販機でICOCAの大阪乗車の記録を確認されつつ現金540円で京都までの切符を買うというなんとも面倒なこと。
タッチの差で19:00の52Aを逃し、19:07の9394Aの客となる。
新大阪の新幹線コンコースは至るところ工事中で天井も低く囲いも多く、狭苦しい雰囲気。
おまけに金曜夜で人も多く、騒がしいし重苦しいし、せっかくの新幹線コンコースなのに華やかさがないのがなんとも残念。
とはいえ、来年3月にはきっとより美しい姿になっているのだろうから、まぁそれまでの我慢、ということになる。
そもそも毎日使うようなことのあり得ない新幹線コンコースなのだから、そこにいること自体非日常で、我慢などないのだろうけれども。
そんなコンコースを一回りして24番ホームに上がると、700系の9394Aがまもなく出発するところであった。
自由席なので後方へと歩いて行くが、発車ベルが鳴ってしまったので、4号車から車内に入る。
あれ、煙たいなと感じて思い出す。
そう、300系700系は喫煙車があるのだ。
このところ電車の車内でたばこを吸う場面にとんと出くわしていない。
もともとたばこ苦手なわだらんなので、ずっと禁煙車に乗っていた。
特にまだ禁煙車ができた当時は禁煙車が編成の端のケースがほとんどで、ホームや編成内を歩いてわざわざ禁煙車に乗りに行ったものだ。
特に印象深いのは山陽線の普通電車で、最初6両編成の新車で入った115系1000番台車を国電ダイヤ化で編成分割し、
新たに必要となる先頭車、特に禁煙車となる下り向き先頭車は中古のサハ115の改造車であることが多かった。
禁煙車にこだわらなければ新しい車、ボックスシートのピッチ拡大した車だったのに、禁煙車に乗るが故に固いシートに揺られていたことを思い出す。
でもやがてまず普通電車は全面禁煙となり、特急でも全面禁煙になった。
たばこ吸いには狭苦しい世になったのだろうけれども、
わだらんとしてはわざわざ編成内で車両を選らずともたばこに縁のない移動ができるのはありがたいものであった。
さてその9394Aであるが、2号車まで行くと禁煙車だが、でもかなり座席が埋まっている。
むしろ3号車、喫煙車ががらがらなので、まぁ京都までの14分程度なら、空いている車内でたばこもそう気にならないだろうと思ったのだ。
結局大きな煙の影響もなく京都までを過ごすことができた。
とはいえ、やはり喫煙車は汚れが目立つ。
京都で降りる際、4号車車内を通ったのだが、3号車との汚れの差は歴然としている。
そんな車内、つまり電車の中でたばこを吸うことが今やごく特定のものでしかできない非日常の体験であった。
もうこの先そう何回も喫煙できる車両に乗ることはないだろうから。
とはいえ、そもそも新幹線で帰宅すること自体が非日常である。
西大路駅の真上を通過する車窓から見えてきたのはさっき乗っていた3512M。
そうか、もし52Aに乗れていたら、再び京都で同じ3512Mに乗ることができたのか。
何かトリックのネタに使えるのかな、などと非日常だらけの新幹線から下車しながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅の反対側を見通せる時間が事件の鍵
11/2
大阪駅の橋上通路が供用開始になった。
が、まだ通路自体も工事中で、立派なものとは言えないように思う。
いや、もちろんこのあと工事が終わればすばらしいものになるのだろうけれども、未完の状態で過度の期待はしないことにしておこう。
とはいえ、大屋根で作られた高い空間とその中の通路はインパクト充分だと思う。
そこそこ区切りが着いたので少し早めに仕事を切り上げ、まだ足場が組まれたままの通路下で18:00発の3500Mを待っていた。
9番線側で電車を待っていると、環状線ホームまで見渡すことができるのだが、階上通路へのエスカレータ、エレベータ工事が一段落着いて、少し見晴らしがよくなった。
その見渡しが効く中で以前から気になることがあってこの時間に大阪駅9番線で電車を待っているのだ。
というのは大阪駅に電車が一本もいない状況が起こるのである。
以前気がついたときには何らかの微妙な遅れなどでこんな空間ができたのだろうと思っていたが、どうも調べると実際電車がいないようなのだ。
17:55から17:56の1分間なのだが、環状線外回りは1589電車が17:55に出て次の1591電車が17:57着。
内回りは1592電車17:54発後2441Y電車が17:56着。
本線下り外側は2753Mが17:54発、内側が225Cの17:52発後1209Cが17:56着。
上りは220Cが17:55発で3500Mの17:58までなく、外側は北陸線・福知山線他もない状態。
つまりこの1分間、どこにも電車がいないのだ。
夕方の雑踏のなか、全く電車がいないホームが並ぶさまはちょっと不思議。
わだらんは9番線でこの光景を見ているが、これを11番線で見れば不思議さ倍増であろう。
11線ある線路が空で、南側までずっと見渡せるのだから。
こんな光景、電車のいない時間は捜せばいろいろと実はあるのかもしれない。
ただ日中は上下C電が6・7番どちらかにいることが多いのだがどうだろう。
ずっと大阪駅に立っていれば他の時間帯でも見つけることができるだろうか。
もちろん深夜早朝ならそんな空の大阪駅を見ることができるのかもしれないが、いままでそんな見方をしたことがなかったのだ。
逆に言うと、ホームに電車がいない状態とは電車が異常なく走っていることの証明にもなる。
通り抜け型の大阪駅でもし長時間ホームに電車がいるようでは何らかの輸送障害で抑止または折り返しが発生していることが多いはずである。
ターミナル駅にもかかわらず短い停車時間でどんどん列車が行き交うのは少し味気ない気もするが、でもどんどん列車が着いて出ていく状態が淡々と繰り返されること、それが当たり前。
細かい遅れはあるものの、わだらん自身はこのところ運休や打ち切りになるような列車の遅れに遭遇していない。
遅れないのが当たり前だが、でもそんな繰り返しが続くことこそが、大きくなる大阪駅を引き立てる一番の立て役者だろう、と定刻にやってきた3500Mを見て思う。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |