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10年  12月

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931.  12/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  静かな年末年始でありますように

930.  12/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗換なしで目的地に行けることが最大のセールスポイント

929.  12/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ドアが開く側がわかるのは慣れた客なら当たり前か

928.  12/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  京都113系は四の段、はるか基本編成は六の段、321系は七の段

927.  12/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人為的な列車の遅れによる機会損失を計る方法はないかな

926.  12/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  所要時間や停車列車本数だけでは語れない意義

925.  12/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  日常では懐かしいとは思えないだろうけれども

924.  12/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  どうしても中仙道は地味に思われる

923.  12/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  パックツアーより一点豪華主義

922.  12/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  八日市空港が民間航空で残れば、びわこ空港計画は必要ないな

921.  12/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  インパクトのない新車、わかりやすい新車

920.  12/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新青森駅の位置を理解している関西人はいるのだろうか

919.  12/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  半自動、鳴いて知らせる師走入り

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  静かな年末年始でありますように

 

12/31

大阪駅の改良工事がずいぶん進んで、北駅ビルは大きな姿を現し、ホームを覆う大屋根がほぼ完成したそうだ。

都市内の鉄道施設はどうしても閉鎖空間の中にあるものが多く、この大阪駅も例外ではないのだが、

この大阪駅の場合、単にビルに周囲を囲まれているのではなく、高い屋根に囲われた特殊な空間があり、

その高さ故に見える空間が広いのはまた気持ちのいいものだ。

新装なったベルリン中央駅を尋ねた際、地下5階のホームから高架3階のホームを眺めることのできるやたら高い吹き抜けの不思議な空間に驚いたのだが、

今度の大阪駅もホーム上に新設される跨線橋から駅全体を眺めるときっと広い空間が広がる開放的な空間が現れるのだろう、と今から期待している。

一方駅の両側が見通しの効かないビルや建造物で仕切られていると、その間から見える狭い空が何か圧迫感を受けるような気がする。

京都駅の自由通路にできた店舗テラスからは京都駅西側方向の在来線の行き交う電車を見下ろすことができるのだが、

北側の背の高い駅ビルのせいだろうか、どうも窮屈に感じるのだ。

もしこれが狭い空でなく、高い天井で覆われた空間なら、駅ビルがあっても開放感ある景色になったのではないかな、と思う。

公共空間のデザインはずいぶん難しいものだと思うが、将来に渡って末永く愛される不思議で面白い空間であってほしいと思うものだ。

 

そんな建設が進む大阪駅から電車に乗ってすぐ、こんどは阪急百貨店の解体現場を目にする。

既に建物は車窓から見えず、初めて現場を通った方ならその場に何があったのか想像することができないだろう。

昔の駅ホーム跡地も含めて再開発されるそうだが、こちらはどんな眺めを提供してくれるのだろうか。

本来ターミナル駅に百貨店など大規模集客施設を作るのは関西私鉄の最も得意とするところのはずであるが、

規模だけで言えばJR大阪駅の開発計画のほうがはるかに大きそうだ。

もっとも阪急にしても阪神にしても、仮に乗客の目的地がJR大阪駅であったとしても梅田へ行くために自社線に乗客が乗ってくれればそれでいいのだろう。

単に乗客を奪い合うのではなく、互いの協力で新規需要が開拓できればそれでよし、となるのだろうか。

来年5月の大阪駅駅ビル開業で人がどう動くのか、日中の大阪直通快速増発のダイヤ改正はどう評価されるのか、いまから楽しみである。

 

今年は大阪を中心とする鉄道網に関してはあまり大きな災害も事故もなく、比較的平穏であったように思う。

もちろん大きな被害を受けた地域も、未だに復旧できない鉄道路線もあるのだから喜んでばかりもいられないが。

来年は大荒れになるのだろうか、あるいは平穏無事な一年なのだろうか、いつの間にか今年も最後の日になってしまった。

全国的に大荒れの天気のようで、野洲でも小粒の積もる雪が降っている。

せっかくの年末年始の稼ぎ時にダイヤが乱れないようにと思う。

ましてや正月三が日が荒れた天気なら初詣利用も伸びないし。

来年はいい一年になるように、と神社仏閣へお願いに行って来よう。

 

 

ところで、この雑記帳も2004年12月以来まる6年が過ぎ、やがて1000回になろうかとしています。

これも皆様方の叱咤ご批判の賜物です。

数々のお手紙を頂いたみなさま、きちんと返答できていなくて申し訳ないです。

新年からもどうぞよろしくお願いします。

そして皆様方がよいお正月を迎えられ、ご多幸でありますよう。

お世話になりありがとうございました。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗換なしで目的地に行けることが最大のセールスポイント

 

12/27

先日休暇を取って平日朝に東名阪道を東に向けて車を走らせていた。

残念ながら楽しいドライブというわけではなく、名古屋市中村区道下町にある大きな公共施設へ向かうためである。

時間的にちょうど名古屋への通勤需要と重なる時間である。

といっても三重県内から名古屋への車による通勤流動はそんなに大きいものではないようで、東名阪はいつもながらの適度な流れ。

でも自分のペースでは走ることのできない程度の混雑ぶり。

交通量が多いのでちょっとした上り坂で車が並び、下り坂で列がばらける、の繰り返し。

近鉄名古屋線は海岸線沿いなので川を渡る以外に大きな勾配はほとんどないが、

山手を走る東名阪はその川が作る谷と川の間の丘陵地を登ったり降りたりの繰り返し。

結構な勾配が続くのである。

それでも何とか大きな渋滞にはならず、速度低下もせず、まずまず順調に流れている。

木曽川を渡ってしまえばもう坂もなく、平日朝の上りにもかかわらず気持ちよく車は流れているのである。

 

そんな車のなかにやたら三重交通の定期バスが多い。

対向車線も次々来るのだが、同じ名古屋向きでも前後してバスが走っているので、ちょっと抜いてみてはまた先にバスがいる状態。

あまりに多いのであとから自宅で調べてみると、マイカル桑名口バス停で朝7時代に

名古屋駅行き15本、栄行き18本、さらに四日市ICでも名古屋駅行きが7時台に4本ある。

これらを合わせると7時代に37本のもバスが名古屋に向けて走っているわけで、

これだけ多ければ次々バスを同じ方向で見かけても何ら不思議ではない。

というか、以前から桑名の山手にある団地から名古屋へ向かう高速バスがあることは十分承知していたのだが、

まさかこんなに本数が多かったとは初めて知ったのである。

60人乗ったバスが30本走って1800人。

バスなのでそんなに輸送力が多いわけではないのだが、それでも1800人となると120人定員の電車で15両分、5両編成の急行電車なら3本分になる。

もともと輸送量のそんなに大きくない近鉄名古屋線+関西線で見れば、案外侮れないようにも思える。

ただ幸いなのはこのバス路線はずいぶん昔からあり、団地の発展とともにバスが増えてきたわけで、鉄道の客を奪ったわけでないと言えるところか。

とはいえ、乗換なしで座っていけるというのは大きなメリットで、鉄道利用への移転は期待できそうにないと思えるのだ。

何しろ例えば大山田団地から栄まで、バスなら乗換なしだが、電車ならまず桑名駅まで路線バスに乗って、

そこから近鉄かJRで名古屋に出て、さらに地下鉄乗換である。

仮に近鉄名古屋線が地下鉄東山線で直通していれば状況は少しましなのだろうが、その実現性は0に等しいようだ。

 

直通運転が増えると何か事故などあった際の影響が広範囲に広がるというデメリットがあることは承知しているが、

それでも京都駅で例えば嵯峨野線からの京都線とか、奈良線から大阪直通とか、

そんな列車がせめて朝だけでも便利なものがあれば、不動産価格が変わっているだろう。

野洲は基本的に京都大阪へは乗換なし、しかも新快速が停車する。

だからこそ便利なのだ。

この際事故の時のダイヤ乱れや混雑は目をつぶっても、大阪まで乗換なし直通のメリットを享受できていることを感謝すべきなのだろうか、

そのメリットを充分にPRできているのだろうか。

南草津の新快速停車騒動を横目に見ていると、なおさらそう思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ドアが開く側がわかるのは慣れた客なら当たり前か

12/22

人間どうしてもミスは付き物のようだ。

毎日何気なくやっていることでも時折ポカをすることはある。

最近以前から弱かった頭がより一層弱くなったわだらんは仕事場に朝着いて社員証を出さねばならないときにSMARTICOCAを手に持ってみたり、

その定期入れのかわりに小銭入れで改札を叩いて扉を閉めてみたり、ともちろんごくごくたまにであるが、そんなミスをする。

なので、鉄道の現場ではミスをどうやって防ぐか躍起になっている。

例えば速度超過がわかる速度照査つき列車停止装置とか、ホームを検知する扉開閉機構とか。

ちなみに自動列車停止装置、いわゆるATSはもともと赤信号での誤進入を止めるために、赤信号直下に設置されて列車を自動で止めるもの、

つまり赤信号見落とし防止装置であって、これは過去に赤信号冒進で数々の事故が起きたための解決策なのである。

あるいは車掌が駅停車の際、間違ってホームのない側のドアを開けてしまうことのないよう、ホームがなければドアが開かない工夫を最近実験している。

先日も高槻でドア扱い事故があったが、これもいわば思い込みから起きるミスで、あってはならないものの、でもなかなかなくならないものである。

運転士がドア扱いをし、かつほとんどの駅が運転士側、つまり左を開ける京阪大津線では、島式ホームの浜大津と石山にドア扱い注意看板がある。

看板という原始的な装置ではあるが、ミスを起こさないようにする立派な装置である。

あるいは一部私鉄ではホームが左右両方にある駅進入の際に運転士が車掌とドア扱い側を通告したりしているところもある。

今日は偶然高槻で829Tが5番(3番乗り場)に入っているのを見かけた。

おそらく湖西線の風規制による特急迂回で影響を受けて遅れている3519Mとの競合を避けるためだろうと思うのだが、

日頃ダイヤが乱れたときの運転整理にぶつぶつ言っているわだらんも、実際着線変更でドア扱いに変更がかかると

やっぱり乗務員さんには余計に負担がかかるのかな、などと思ってみたりする。

 

大阪19:45の3520Mで帰宅。

ぎりぎりにホームに上がったこともあって、よい立ち位置すら確保できず、かろうじて京都で優先席に座った。

すると京都で赤ちゃんをおんぶしたかわいいお母さんとそのご主人が乗ってこられた。

座席を譲ろうかと思ったが、山科で降りることがわかり、座席とそのお母さんの立ち位置が少し離れていることもあって、そのまま座っていた。

ご主人が「山科は左側」と子どもを背負ったお母さんを誘導していたからである。

一部列車、例えば3508Mとか3512Mだと外側走行で山科右側になるのだが、基本的に京都草津間の新快速は朝ラッシュが終わると内側線を走る。

つまり山科〜草津間の各停車駅のドアは左側である。

たいていの列車がそうなので、通勤通学客、特に高校生などはよく右側ドア付近に集団を作っている。

まぁ慣れというものなのだろう。

ところでその件のご主人が3520Mだから右側と言ったのか、京都駅出発信号機現示、

つまり2番出発が内側に進路が開通していて、これを見ていったのかは定かではない。

が、とにかく3520Mは順調に内側を走り、山科でそのご夫婦、いや家族連れは降りていった。

混んだ車内に小さい子どもと乗るのはいろいろと気苦労もあるのだろうが、まずは何もなくよかったと思う。

日頃ご主人がいつも電車に乗り慣れているのだろうか。

 

しかしそのかわいいお母さん、赤ちゃんを背負う姿がまたかわいいのだが、何よりわだらんの目を点にしたのは、

そのお母さんが背中の赤ちゃんを包む防寒用の毛布である。

お母さんがわだらん側を向いていたので、背中にかかるその毛布全体を見たわけではないのだが、

黒に赤の斑点の柄といい、わずかに見えるTの文字といい、どう見ても787系つばめロゴの膝掛け毛布で間違いなさそうである。

なんでつばめ毛布なのが気になって、野洲まで眠ることができなかった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  京都113系は四の段、はるか基本編成は六の段、321系は七の段

 

12/20

小学校の算数で九九を習った。

もともと小学生の頃から4桁までの数字を覚えるのは得意だったので、あまり苦労した記憶はないが、

それでも風呂に浸かりながら繰り返し一の段とか七の段とか念仏のように唱えていたのを思い出す。

が、これがふと中学生の頃、要するに編成数と編成両数がそのまま九九と同じだと気づいて唖然とした。

それなら無理に念仏のように唱えなくても、3両編成が1本、3両編成が2本...、などと思い浮かべればすぐにわかったのに、と思う。

さしあたって今回225系本線仕様は8両編成x5編成で40両、683系4000番台は9両編成x5本で45両、九九などちっとも難しくないがな、と今になって考える。

まぁいずれにせよ勉強は嫌いで苦手だったので、方法論はともかく、どうせまともに勉強しなかったのだろうけれども。

 

とはいえ、趣味の世界であってもやはり数字はついて回る。

ましてや運用ヲタになれば、やれ配置両数や、編成数や、と数字の羅列が続く。

まぁパズルのように面白みがあるからこそ、運用ヲタとして趣味が続くのだろうけれども。

ところで、来春のダイヤ改正概要が発表になった。

新幹線はさておき、大阪近郊区間がよくなるのか悪くなるのか、なかなか微妙に思う。

がしかし、新快速の編成増強は素直に喜ぶべきなのだろう。

この来春の改正で休日は全ての新快速が12両になる。

平日は12両編成が増えるが、全てが12両になるわけではない。

これは以前から全ての12両化は休日ダイヤのみと漏れ聞こえていたし、わだらんも予想していた。

なぜ平日に全て12両化できないかというと、大阪終着大阪始発の車両やりくりに関係するであろう、とわだらんは勝手に推測しているのだ。

時刻表を見ると、平日大阪着の電車は下り4本、上り6本の10列車ある。

このうち新大阪駅となりの宮原総合車両所で昼寝をする223系は下り2本、上り2本である(ちなみに残りは221系のものと、大阪着後向日町回送になるものである)。

逆に夜の大阪始発を見ると、下り4本、上り3本で全て223系、そのうち宮原で昼寝をしていたのは下り2本と上り3本で、

加えて上り1本分が昼寝のまま起きずに夜まで寝ている。

つまり朝4本の宮原入庫は昼寝後夜と朝で6本出庫になる。

これでは入りと出の列車本数が合わないのだが、ここで算数が出てくる。

編成両数を見ると、朝の4本は全て12両、一方出庫の6本は8両編成。

列車本数x編成数=車両数、つまり4x12=6x8という左右が釣り合う計算式で説明できるのだ。

そこでもしこの出庫6本を全て12両にするには朝の12両編成の入庫をさらに2列車加えなければならないが、今のダイヤではこれ以上の増発は難しい。

そこで結果的に平日の新快速全てを12両にするのは困難である、という推測である。

もちろん回送列車なり車庫留置なりで強引に12両化を進める方法はあるだろう。

でも車両の運用効率や無駄な回送列車の削減を考えると、やはりこの宮原出庫がらみの12両化は難しいと考えざるを得ないわけだ。

 

自分に何の得があるわけでもない車両のやりくりをあれこれ考えるのは面白い。

だから運用ヲタが続くのだろう。

しかし無駄に車両を動かさずに新快速を全て12両にする方法はあるかな?

ない頭をひねってみようか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人為的な列車の遅れによる機会損失を計る方法はないかな

 

12/19

わだらんはいつも大阪駅7:27着の713Mに乗っている。

単に仕事場に間に合う時間なら8:09着の3411MでもOKで、これなら野洲を713Mの50分あと、つまり50分余計に寝ることができる。

わざわざそんな早起きをするのは、野洲始発で快適に座れてかつ大阪駅でそんなに人の流れに気にならずに自分のペースで歩ける、という理由である。

野洲始発なら713Mの35分後の3407Mでも同じなのだが、3407Mで大阪駅に7:53に着くと、もう自分のペースでは歩けない。

不思議と7:30前後でずいぶん変わるもので、そんなためもあってか713Mは8両だが、7:38着の715Mは12両。

つまり713Mは8両でもなんとかなるが、715Mは12両ほしい、ということなのだ。

もちろん、大阪を過ぎた事情はわからないので、三ノ宮でもう一回ピークがあるのかもしれないのだが、

少なくとも大阪で見る限りでは7:30を境とする713Mと715Mは差があり、人の多さも7:30を境とするのであろう。

SMARTICOCAの早起きキャンペーンが7:30までになっているのも頷ける話である。

 

ところが、16日の朝のことである。

いつものように713Mに乗っていると、南草津で急病人が出たとのことで8分延になった。

急病人の救護手配はしかたないとあきらめてみるが、でも最近本当に多くなったよなぁ、と思う。

そんな遅れ713Mは頑張って走って途中停車も上手に切り上げ、京都は5分延まで戻った。

しかも京都も間髪入れずの発車で、これはもともと余裕のある713Mのスジ故、大阪でそこそこ戻っているだろう、と期待していた。

何しろSMARTICOCA持ちわだらんにとっては、大阪駅に7:30までに着けば何もしなくてもお金を付けますキャンペーンがかかっているのである。

 

ところが、向日町手前で速度ががくんと落ちた。

本来713M後発となる127Cを定刻で出して、その頭打ちになっているようだ。

結局徐行を重ねて高槻着。そしてそこでなんと1071Mびわこエクスプレスとスーパーはくとの二本待避。

スジだけみればまるで後続715Mに乗っているようである。

そしてそのまま茨木で客扱いに手間取り、遅れ拡大。

何しろ実質1本分快速が抜けている上に電車は8両。

これではそうやすやすとドアを閉めることはできず、結局715Mのスジにも乗り損ねた713Mは15分遅れになってしまっていたのだ。

着席しているわだらんは幸いにも車内の混雑を知らないまるで別世界なのだが、しかしなんとも大騒ぎな話である。

もし京都から外線を走っていればおそらく高槻で定刻に戻っていただろうし、少なくとも713Mと京都高槻間で併走する2093列車は

南草津停車中にあっさり抜いていったのだから、京都時点で2093と1071Mの間にうまく入れたのではないか、と思う。

確かに特急料金を払って通勤している人間のために1071Mを定刻で通すのは理解できるのだけれども、

でもそれよりはるかに多くの乗客をあっさり15分遅らすことが適当なのかどうか、8両編成を無理に7:30以降に突っ込むことがどれだけやっかいなことで、

多くの通勤客の迷惑を引き起こしているかを考えると、どう考えても首を傾げる列車整理なのである。

そもそもこんなにあっさり列車順序を替えることができるのなら、もっといつもの列車整理もスムーズだろうに、とどう考えても納得のできないわだらんである。

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  所要時間や停車列車本数だけでは語れない意義

 

12/15

わだらんの記憶なので間違いがあればご指摘いただきたいのだが、昔むかし、阪急京都線の特急が2800系だった頃は、

特急は大宮を出ると十三まで停まらず、急行が西院・桂・高槻市・茨木市・淡路と停まっていた。

特急は京都大阪の都市間利用に特化して、急行が主要駅やあるいは各駅停車との接続で客層分離をしていた。

ラッシュ時に一部特別停車があるものの、列車種別は少なくわかりやすいものだったと思う。

ところがその後時代は変化し、特急は途中無停車では新生JRに勝てなくなり高槻市に停まるようになり、その後次々停車駅が増えていった。

そのおかげで今では通勤特急・特急・快速急行・快速・準急・普通と阪急京都線だけで6つも列車種別がある。

上位3つはとっとと特急に統合してしまえばいいのに、と思う。

列車種別が多いことが必ずしもサービス向上にはつながらないと思うのだ。

 

ところで、これまたわだらんの聞いた話なので誤用や誇張があるかもしれないのだが、この阪急京都線に急行という列車種別がないのは、

かつて上牧で阪急不動産がマンションを販売した際に「急行停車駅」として大々的にPRしたため、

その後上牧を通過する急行を作れなくなった、というのである。

確かにいまの快速の停車駅だけ見れば急行と呼んでもおかしくないわけで、なんとなくそんな話があっても不思議ではないな、と思う。

実際各駅停車しか停まらない駅と優等列車が停まる駅では賃貸アパートの家賃に差が出たりするそうだ。

分譲販売する側からすれば、当然急行停車駅のほうが商売しやすい、これは当たり前だと思う。

 

かねがね地元で騒いでいた新快速の南草津停車がいよいよ来春で決定したそうだ。

わだらんとしては新規に停車駅が増えれば、その分野洲大阪間の所要時間が増えるわけで面白くないのだが、

今の情勢から見ると仕方ないのかなと思う。

よく南草津を利用しない滋賀県ヲタは南草津が騒ぐのなら普通電車の増発でどうだ、と思っている。

確かに混雑緩和なら新快速より普通電車増発の方が琵琶湖線全体にとっていい話なのだが、でもそれでは根本的な解決にならない。

つまり草津市と地元が求めているのは混雑緩和でも電車増発でもなく、「新快速停車」という事実なのである。

石山や草津、あるいは野洲でもそうなのだが、マンション新規分譲では必ず「新快速でX分」という宣伝文句がある。

一方南草津の場合は「新快速で」とは現状謳えないのである。

実際南草津駅西口の新規マンションなどはまだ残りがあるのだろうか、「モデルルーム公開中」と告知している。

つまり、新快速が停まらない限りこれ以上の発展が今までのペースでは維持できないということなのだろう。

もちろんJR側からしても、南草津に新快速を停めることによって新規に南草津の住人が増え、

あるいは企業や学生の通勤通学利用が増えるのであれば得策と判断したのだろう。

要するに新快速を停めることが乗客増加の鍵というわけだ。

これで特に駅西側の区画整理地などは開発がまたさらに進むのだろう。

とはいえ、わだらんとしては、南草津の利便性向上よりも単に高速で走る距離が短くなってちょっとつまらなくなる、と残念がるのである。

ただでさえ、今日は先行T電の影響を全く受けず南草津の外側線を時速130kmで一気に通過する3512Mに乗っているので、

よけいに停車が何かめんどくさいように思えてしまう。

駅を通過する何か爽快感のようなものが一つなくなってしまうなぁ、と。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  日常では懐かしいとは思えないだろうけれども

 

12/13

たまに早く仕事が切り上がって大阪駅17:45の3498Mに乗れると何となくうれしい。

しかもこのところこの3498Mには225系が入ることが多く、今日もありがたく225系がやってきた。

決して新車第一主義ではないが、せっかく乗れそうなものなら新車に乗ってみようと思うのだ。

前照灯を遠目に見ると、223系は黄色が強いのに対して、225系は銀色に見え、簡単に区別ができる。

そして雨のせいか大阪着時点で比較的車内が空いていて、大阪であっさり座れてしまった。ありがたいことである。

ところが、向日町で踏切非常ボタンが扱われたとかで、京都13分延、そしていつものように草津切りのはめになってしまった。

遅れているから草津で終点というのは一般の方には理解できないのではないかと思うが、まぁとにかく草津で乗換が発生してしまうことになった。

まぁこのいつもながらの向日町踏切の話であるとか、草津から先の苦行であるとか、この3498M草津切りについてはあれこれ思うところがあるのだが、

文句を言ってみてもとりあえず乗っている電車が草津までしかいかないのは事実なのだ。

 

と思っているとなんと石山で律儀に草津線5372Mが待っている。

5372Mがもともとどれだけ遅れていたかは不明だが、ほぼ15分遅れの3498Mにおつきあいいただくとはありがたい。

おかげでわだらんは石山で3498Mを捨て、5372Mに草津まで運んでもらうことになった。

つまり3498Mに草津まで乗ると下り4番着で階段を登る必要があるのに対して、5372Mなら草津6番着で階段を登る必要がない。

階段の登り降りが苦痛な体ではないのだが、何しろ3498Mの乗客の半数以上が階段を一度に登るので、なかなか進まずやっかいなのだ。

 

そんなわけで乗った5372Mはピーマンなどと揶揄される緑単色の113系であった。

車体こそ緑一色のあまり似合わない姿だが、車内はほぼ未更新、つまり113系そのもの。

3扉セミクロスシートの、わだらんが昔から慣れ親しんだ、あるいは北関東から東海山陽、そして熊本あたりまでどこにでもいた車内見付けである。

毎日乗っていればまた違うのだろうけれども、わだらんのようにボックスにたまに乗ると何かほっとするものがある。

おそらく幼い頃から乗り慣れた様相から来る安心感なのだろうか。

石山まで乗っていた225系とはずいぶんと落差があるが、またそれはいいものだ、と勝手に解釈しては喜んでみる。

51系電車から始まる3扉セミクロスシートが登場しておよそ70年、わだらんがまさに生まれたときから乗っている車内風景である。

20年後に225系に乗ってほっとする気持が起こるだろうか。

いやその前に20年後に221系から始まる3扉転換クロスシートを越える車内見付けの車が出るのだろうか、どうだろう。

もっとも113系の車内を懐かしいなどと思っていては草津線ユーザーに怒られるな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  どうしても中仙道は地味に思われる

 

12/12

昔の滋賀県議会記録あたりを捜せば具体的なことがひょっとしたら見つかるかもしれないのだが、かつて新幹線新駅を近江八幡に作ろうという計画があった。

近江八幡といっても武佐地区なので、いわゆる近江八幡市街からは少し離れたところ、近江鉄道の武佐駅近くである。

実際この付近で新幹線は近江鉄道と交差しているし、平行する国道8号線は国道421号線と交差している、

いわば交通の結束点である。

米原京都間のほぼ中間でもあり、また近江八幡や八日市、あるいは湖東の各町村や観光施設・企業への足として設置が検討されたものである。

結果として同時に検討された栗東新駅の方が勢力圏の人口やその後の人口などの増加が多いと見込まれて武佐新幹線新駅は消えてしまったわけだが、

もし栗東でなく、武佐で新幹線新駅計画が進めば今頃どうなっていたのかはちょっと気になるところである。

 

ところで、古来の近江八幡市街地、いや八幡町中心地は今のJR近江八幡駅のまだ西側、朝鮮人街道のまださらに西側であった。

現在の観光資源になっている日牟礼八幡宮や八幡堀があるあたりがもともとの中心地であったのだ。

従って近江八幡駅が明治22年に開業したときは、中心地から遥か離れたところであったわけだ。

もう少し駅が中心地に近くてもよかったように思うが、どうも地図をよく見ると、

能登川安土間の腰越山トンネルから石山の瀬田川橋梁まで、できるだけ最短距離を取ったように見える。

野洲駅のあたりで少し線路が左右に振られているが、それ以外はほぼ直線の極めて線形のよい姿である。

もちろん野洲駅前後も急曲線はなく、野洲川橋梁と家棟川トンネル、さらに鏡山から続く丘陵地を避けると今の線路位置が極めて妥当に思う。

実際もう少し山側を走る新幹線は野洲市大篠原あたりではアップダウンが続いているわけで、勾配を避け直線で構成されるよい線形なのだ。

もし八幡町中心地にもう少し近いと、線路は全体に湖側に張り出し、距離が伸びてしまう。

できるだけ短い距離で湖東線区間を開業させたかった明治政府の思うところなのだろうと思う。

距離が短ければ建設費用も安くつくのだから。

この近江八幡駅が中心地から離れたルート取りのことは以前から気になっていて、

昔はいわゆる鉄道忌避伝説からくるものだろうと思っていたのだが、どうも単なる敷設上の事情に思えてくるのだ。

戦争前に発刊された滋賀懸八幡町史を見ると、いかにも負け惜しみ的に鉄道忌避伝説のことが書かれていて、

「今日より見ればむしろ滑稽で、之がため本町発展上一大支障になっている。しかし当時の事情としてはやむを得ざる処置(一部意訳、わだらんが現代文置き換え)」と

書かれていて、駅が離れていることをずいぶん口惜しいように感じているのがよくわかる。

もっとも何が幸いかよくわからないもので、結果的に近江八幡駅から八幡町中心地との間には新しい市街地が形成され、市中心部の拡大になったのだが。

 

他方駅の反対側を見てみると、中心地と離れて東側には中仙道が通り、武佐宿を中心とした街村が広がる。

つまり、近江八幡駅の位置は八幡町中心部と中仙道のかつての宿場町であった武佐宿のちょうど中間にあたる。

ひょっとすると中仙道沿いの街村集落に気を使ってわざと東よりにルートを取ったのかと考えるのは無理があるだろうか?

結果的に米原草津間の新幹線ルートが中仙道にほぼ沿っているのは何かの因縁があるのだろうか。

まぁどちらにせよ武佐宿は古来八幡町とは離れた位置であって、武佐宿が確かに近江八幡市ではあるのだけれど、

老舗旅館の焼失の報を聞き、近江八幡市と中仙道がいまいち結びつかないわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  パックツアーより一点豪華主義

 

12/10

海外旅行をする若者、特にバックパッカーが最近特に少ない、という話を新聞で読んだ。

そういえば確かに新大阪や大阪駅環状線ホームではるかや関空快速を待つ客を見ても、大きなリュックを背負った人間、特に若者の姿を見ることがない。

むしろ大阪駅の構内を大きなリュックが移動していれば、その主はまずほとんどが外国人で、日本人の例をとんと見ない。

もちろんリュックを背負った人間はある程度いるが、どうもその多くは中高年層で、これから山登りやハイキングといった様相なのである。

その傾向はどうも鉄ヲタの中でも同じようで、あまり海外に興味を持たないヲタが多いようだ。

海外は日本とまた違う鉄道システムであって、見たり乗ったりすれば面白いものだと思うのだが。

 

ところで、そんな海外旅行の目下のブームは消費なのだそうだ。

つまりグルメであったりエステであったりショッピングであったり、と目的は様々だが、要するにその目的のために現地に行く旅行なのである。

そこにはかつての物見遊山的な行動ではなく、ただ目的地への往復移動しかない。

まぁどうせ安いツアーで、目的さえこなせればあとはどうでもいいわけで、旅行慣れしているというか芸がないというか。

もっともわだらんにしてもオランダドイツへ行く目的は列車に乗ることであり、それこそ観光名所たる美術館や古城などほとんど出かけたことがないのだが。

そんな移動だけの目的にうってつけなのが最近はやりのLCC、格安航空会社である。

確かにオーストラリア往復5万円などと言われるとずいぶん安く感じる。

まぁその安さでたくさんの人が動けば少しは景気もよくなるだろうか。

少なくとも関空でのLCC利用者の増加を見込んで南海がラピートの難波関空ノンストップ列車の復活を検討しているそうで、

空港の利用客が増えれば空港アクセス鉄道もまた元気になろうかというもの。

何しろ来春の改正で、日中のはるかの一部が廃止になるそうである。

確かに日中は関西空港での航空機の発着も少なく、そもそも空港自体が閑散としているのだから仕方がないかもしれない。

そこでなんとかLCCの力ではるかの列車本数復活につながればありがたいもの。

空港アクセス鉄道は航空機の利用者のみならず、航空機の運航や空港の数多くの従業員を運ぶものでもあるので、

空港が活況になれば、空港を仕事場とする通勤客も増えるわけで、有料特急のみならず鉄道利用全体が増えるはず。

確かに新幹線と特定の航空路線は競合関係にあるし、国内ツアーより海外旅行の方が安くなってしまえば鉄道の長距離利用者の伸び悩みになるが、

空路網全体で見れば鉄道とは大きく競合しないはずで、是非LCCに頑張ってもらって空港利用者を増やしてもらおう、と。

 

しかし航空運賃が下がってくると相対的に空港までの鉄道運賃が高く思えるようになってしまい、

誰も特急料金を払わないのではないのか、と逆に心配してしまう。

羽田クアラルンプールの正規運賃が14,000円などという航空会社が現れてしまうと、

新大阪鹿児島中央間21,600円の運賃がどうなのだろう、と考え込んでしまうわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  八日市空港が民間航空で残れば、びわこ空港計画は必要ないな

 

12/8

滋賀県がびわこ空港計画の廃止処理を進めるそうだ。

計画中止からもう10年にもなるので、当たり前といえばそれまでだが、一つの時代が終わったように思う。

旧蒲生町や日野町では空港開港による地域開発や経済効果を期待する声もあったのだが、とはいっても羽田便のない地方空港が利益を出せるとは思えず、できなくてよかったと思う。

この先滋賀県に空港ができることはまずないだろうし、実際伊丹空港・関西空港に中部空港とアクセスにそう不便なく使える空港があるのだから、十分だろうと思う。

むしろ空港建設に使えるお金があるのなら、別の使い道にと願うものである。

 

ところで、かつて八日市に空港があったことを知っている方はあまり多くないであろう。

太平洋戦争中に企業合同策で合併する前、現在の近江鉄道の米原貴生川間と近江八幡八日市間は別の会社であった。

近江八幡からの線路は新八日市の先で近江鉄道本線を乗り越えて、現在の東近江市御薗町まで伸びていた。

その終点に空港、というより飛行場と昔は呼ばれていたのだが、があったのだ。

もともと地元のいわば道楽で建設した飛行場であったが、その後陸軍航空部隊がやってきて、軍事基地になった。

が、そのためであろうが、八日市には空襲があり、飛行場と基地以外にも損害があったそうだ。

軍事施設は当然艦載機や爆撃機の攻撃対象になったであろうし、周囲の開けたところにある飛行場なので、目立っていたのだろう。

 

その後戦争は終わり、米軍に接収された飛行場はお役ご免になった。

もしこの時米軍がこの沖野ケ原飛行場を基地として使えば、今の世にもそのまま空港として、米軍かあるいは自衛隊の基地として残っていたのかもしれないが。

が、飛行場跡地は払い下げられ、今やかつて滑走路があったことなど感じされるものはほとんど残っていない。

あるいはかつて飛行場まで伸びていた線路も営業休止から廃止となり、一部が自転車道として利用されている以外、ほとんど人に知られずの存在になってしまった。

もし空港が民間空港として現在まであるのなら、近江鉄道八日市線は空港アクセス鉄道になっていたのかなどと妄想してみるが、

でもどう考えても民間空港で生き延びるのは難しいのだろうなぁ、と現実に戻る。

しかしいずれにせよ、空港は楽しい、わくわくするところであってほしいものだ。

国の防衛という意味で自衛隊基地を否定するつもりはないが、やはり平和利用で、と思う。

旅立ちとか出逢いは楽しく夢のあるものでなくてはならない。

そう、そもそも平和でなければ、旅行だの、運用追いかけだのと浮かれていることはできないのだから。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  インパクトのない新車、わかりやすい新車

 

12/6

いささか古い話で申し訳ないのだが、10月のある日曜日の夕方に野洲駅に向かっていたところ、珍しい列車に出くわした。

前にも書いた甲種車両輸送、いわゆる新車の輸送列車である。

EF210機関車が4両の電車を牽いて去っていった。

この日にそんな列車があることを全く知らなかったので、ちょっとびっくり、ちょっとラッキーである。

いつもと違うものが来るのはやはりうれしいものである。

ところが、予備知識が全くなかったので、この車を見て、まず最初に思ったのが東京メトロの15000か、と。

ところがステンレス車である。

ということはJR東のE233-2000か、いや裾絞りがないな、と見ていると車体にodakyuロゴを見つけた。

そうか、小田急3000か、とそこでやっと落ち着いた次第。

列車が先行新快速の後追いで通過速度が遅かったのが幸い。

これが高速で走り抜けていれば、どこの車かわからないような。

何しろ最近は色帯を巻いたステンレスの無塗装に扉間大窓1枚の単純な(というと失礼か)車体の車が多く、

特に関東では極端にいうと京急以外はおおよそみなその範疇に入ってしまうのではないか、と思う。

車両の標準化はコストダウンには有効だろうし、まぁ一般の利用客のほとんどは車両の違いなどあまり気にしないだろうから、

会社による差があろうがなかろうがどうでもいい話であるが、でも○○らしさというヲタ的視点で見るとちょっと寂しいものがある。

実際この小田急3000増備車などは利用者のみなさんに新車と認識してもらえるのだろうか、あるいは4000と区別がつくのだろうか、ちょっと気になるのだ。

 

ところで、この12月から新快速に225系が運転を開始している。

わだらんも幸いに2日の3512Mで乗車でき、しかも大阪始発でゆっくり座って帰ってくることができたのでありがたい話である。

まず5編成のみなので、確率5/44ではなかなか逢えないかと思っていたのだが、どうやら230から233運用に集中して入っているようで、

これを捕まえれば比較的簡単に出会えそうである。

とはいってもいつ運用限定が解除されるかわからないし、一日の途中で車両の差し替えも起こり得るのだから、必ず逢える保障はないのだが。

実際に乗った感触をわだらん的に見ると、まず車内が明るい。

223系2000の緑ガラスよりガラスが透明に近く、かつ窓の支柱が思っていたものより目立たず、明るく感じるのである。

扉間の側面ガラスは3分割なのだが、その分割をあまり見せない印象である。

座席は少し固めだが、逆に安心して座っていられるように思う。

確かにふかふかの椅子は気持ちいいのだが、出入りの激しい新快速ならこの程度の固めのほうがむしろ合っているのではないかと思う。

つまりわだらんの個人的な感想はなかなか良くできた車両、ということである。

車内の印象が違うのはおそらく一般の方でもわかりやすいだろうと思うし、なにより画面による映像広告、乗客案内はすぐ目を惹くだろうから、

一般の方でもすぐに新車だとわかるものではなかろうか、と思う。

もちろん映像の広告や画面の乗客案内は321系で既に見られるわけだが、321系に乗ることのない新快速や快速ユーザー、

あるいは滋賀県人や播磨住民には目新しいものだろう。

楽しいか面白いかは別として、流れる映像は暇つぶしにはなるはずである。

まぁそんな一般人にもわかりやすいと思われる225系、これから末永く活躍してほしいものだ。

 

ただ、残念なのは3扉転換クロスシートという車内構造がもうすっかり完成してしまっていて、例えば国鉄離れした117系や、

白の車体があっと言わせた221系の登場の時に較べると、車体の印象が少し弱いのだろうか。

もちろんヲタ的にはすぐにわかるのだが、一般の方は車内に入って初めて気づくのだろうか。

もう少し225系に乗って、まわりの人の表情を観察してみたいと思うが、でもわざわざ225系を待って乗るまでのことをする元気と時間はないな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  新青森駅の位置を理解している関西人はいるのだろうか

 

12/4

正直わだらんの周囲、つまり滋賀県であまり話題になっていないなぁ、と思えるのが東北新幹線の新青森開業のニュースである。

青森県民の方はみなさん歓迎だろうし、地域経済の起爆剤になってほしいと思う。

とはいっても野洲駅には九州新幹線直通運転のポスターしかないし、そもそも関西の人間には東北はどうも縁遠い存在のようである。

実際わだらんが東北新幹線に乗ることはまず滅多にないだろうし、多くの関西人は東北への移動に航空機を使うだろうから、

新幹線が青森まで伸びてもあまり縁がないだろう。

今回の開業区間は八戸以北であって、既に新幹線は青森県内に入っていたのだが、

どうも一部報道からは青森県と青森市の区別がついていないのではないかと

疑うような節があったりして、東京の人間でも位置関係がはっきりしないのか、とちょっとがっかりもする。

 

加えて少し不満なのが乗換解消にほとんど触れていないことが多いようにも思う。

八戸までは既に新幹線ができていて、それが青森まで伸びてきたから八戸で乗換しなくて済むようになったのだが、

突然新幹線が青森まで伸びてきたような印象を受けるものもある。

ちなみに新青森駅と市街地にある青森駅の間は実は乗換が発生するのだが、青森駅の様子はどこも出ていなかったように思う。

新青森駅の周囲が未開発なのはある程度折り込み済みで、むしろ如何に中心市街地の活性化に繋げるのかが課題なのに、

新青森駅周辺の開発が進まないことを課題と報道するのはどうだろうか、と。

 

さらに思うのが、時間短縮の効果も大きいだろうけれども、列車選択の幅が広がるのも心理的効果が大きいと思うのだが、

この点もあまり触れられていることがないように思う。

まだ東北新幹線がなかった頃、東京(上野駅)から青森(青森駅)へは午前に出て夕方以降着か、夜出て朝着くかの2パターンしかなかった。

もちろん厳密にはその各パターン内に数本の列車があったので、選択肢が全くないわけではなかったが、でも移動のパターンは決まっていたのだ。

今や朝から夜までほぼ1時間おきに列車があり、朝でも昼でも夜でも好きな時間に移動することができる。

列車が好きな時間に使えることはずいぶん大きいと思うのだが、どうも世間は時間短縮ばかりが気になるようである。

もっとも既に八戸開業の時点で東京青森間が1時間おきに列車が使える体制はできていたのだが、

急に新幹線が伸びて便利になったように騒ぐのはどうしたものか、と思う。

とはいえ、やはり鉄道が世間の注目を浴びるというのはうれしいことだ。

将来北海道まで新幹線が伸びるまではフル規格の線路施設が少しもったいないようにも思えるが、人を呼ぶきっかけになればいいな、と思う。

 

ところで、今回の新幹線青森延伸でも寝台特急日本海が生き残ってくれたのはうれしい限り。

秋田や青森と関西間はやはり新幹線に縁がないようである。

この時期修学旅行生と思われる団体が新大阪で大きな荷物を持って特急日本海を待っている姿をよく見かける。

ある一定の固定需要があるから列車として残っているのだろうと思うが、これも列車が直通している、乗換がないというのが一つのポイントなのだろうかと思う。

九州新幹線の告知もどちらかというと列車が直通することが最大のPRポイントのようで、

やはり一般のみなさんは乗換のありなしが利用するかどうかの判断基準の一つなのだろうと思う。

今となっては難しいだろうが、もし国鉄時代に大宮発新大阪行きとか、仙台発新横浜行きとかの新幹線があれば、結構な需要があるだろうにと思う。

特に北関東と関西間はそれなりに流動があるはずなのに、羽田は北関東から遠く、列車は乗り換えがいるし、結構面倒なはずだ。

大宮からの東海道新幹線があれば、例えば京都への観光客が新たに呼べるのではないかなどと妄想してみる。

まぁあくまで妄想であって、青森開業初日から強風でダイヤが乱れたなどと聞くと、直通運転が定刻の列車運行の妨げになりはしないか、と現実に戻るのである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  半自動、鳴いて知らせる師走入り

 

12/1

先日まで暑いなぁ、と思っていたのに月日が経つのは早いもので、もう12月になってしまった。

これといって変わったことのないサラリーマンわだらんにとっては、年末だからとて資金繰りの心配をするわけでなく、

冬支度も特別あるわけでなく、特にこれといって変わったことはないのだが、でも世間が師走だといって騒々しいとどうしても何か浮き足立ってしまう。

この時期夜ともなればいたるところでクリスマスツリーが輝いているし、電車の窓から見える一般家庭でもサンタさんやトナカイの電飾をあちこちで見かける。

山科駅のホームから見える家が毎年飾り物をしているのだが、あれはどう見てもホームの電車待ち客を意識しているとしか思えない。

まぁそれでしている方も見ている方も心が和めばよいことなのだが。

 

12月といえばまた今年も神戸ルミナリエがやってくる。

今年は2日から13日とかで、何となくずいぶん早く終わってしまうなぁ、という印象。

一時期に較べて少し客足も落ちたようだし、世の中あちこちに夜景を売りにする集客施設が増えたのだから、思い切ってクリスマスまでやってもよさそうに思うが、どうだろう。

まぁあくまで鎮魂が目的なので、単なる夜景の美しさを売りにするところとは別なのかもしれないが。

とはいえ、人が集まるのは事実で、この時期大阪を跨ぐ客が増えるのはやっかいである。

T電ならそんなに影響がないのだが、新快速はやはり大阪を越えて乗っている客が目につく。

18きっぷ客も多く、長距離利用が珍しくないのだ。

しかも比較的遅い時間、21時を回るあたりで結構神戸の土産物袋を持った着席客がそのまま車内に残ることが多いので、

着席可能率がぐっと下がるのが何かよりいっそうけだるい雰囲気になってしまう。

これも季節の風物詩なのだろうか。

 

しかし12月に入ったとはいえ、ずいぶん穏やかな日中であった。

気温の高い低いに関係なく、12月に入って野洲での長時間停車列車の扉半自動扱いが始まった。

風がホームを吹き抜ける寒い夜には不可欠なのだが、穏やかな日中や夕方に響く半自動の案内放送もこれまた何か間の抜けた印象。

まぁ、「ドアの横のボタンを押して下さい」声が季節のたより、ということにしておこう。

福知山線などは年中半自動扱いなので、季節感がでないのだから。

 

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