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11年  3月

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968.  3/31  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  元気と勇気を運んでくれるはず

967.  3/29  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  重厚長大が鉄道貨物輸送の得意技

966.  3/27  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ものを作ることができないとこんなに困る

965.  3/17  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人間の体力では動かす電気は作れない

964.  3/13  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  祈ることしかできないのだが

963.  3/10  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  行き帰りの車内でも宴席を開くと顰蹙か

962.  3/7   ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  山科を通過するのもちょっとうれしい

961.  3/6   ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  目新しさ、インパクトは時間が立つと薄れるのだろう

960.  3/2   ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  もっと昔、蒸気機関車は本当に一両ずつ癖があったのだそうだ

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  元気と勇気を運んでくれるはず

3/31

もう3月も終わりになった。月日の経つのは早いものだ、と本当に思う。

3月31日はわだらんにとっては美濃町線他の名鉄岐阜600v線の命日なのだが、廃止になってもう6年になる。

岐阜市内はすっかり線路も路面から消え、電車が走っていた面影などなくなってしまったし、ますます中心部から人がいなくなってしまった。

今になってバスを中心とした公共交通の整備などとあれこれ策を練っているが、そもそも電車の維持ができない地域や行政が

バスを急に持ち上げたところで何も変わらないのではなかろうかと思う。

西日本初の連接バスも運転を開始したようだが、これとて駅と大学病院間を直結するだけで、岐阜市内はいわば素通り、

つまり連接バスは岐阜市外、とりわけ名古屋方面からの学生や病院外来者をいかに早く駅から届けるかが目的で、

市内の公共路線網と本来相容れないものである。

そのあたり何でも新しいものを入れればよくなると考える単なる安易な発想にしか思えない。

もっとも集客の魅力自体が市内中心部にない状態ではバス網を充実したところでどうしようもないのだろうけれども。

 

地震津波の被災地で少しずつ鉄道や路線バスが動き出しているそうだ。

野蒜や女川、気仙沼といった津波で線路も駅もなくなってしまった地域はしばらく無理なのだろうが、

とりあえず走れそうなところを順番に、と日夜関係者の方々の努力の賜物なのだろうと思う。

神戸の地震の時も少しずつ鉄道の営業再開区間が延びていき、それが明るいニュースとして伝わったが、

運転される区間が増えていくのは直接利用しないわだらんもなぜかとてもうれしい。

神戸の時の方々と同様にきっと今回の東北地域の被災地の方々も走る電車を見てこころ落ち着くことがあるのではないかと思う。

電車の走る姿、特にしばらく走れなかったあとの再開後の姿はとても特別で、何か勇気を与えてくれるものだ。

4月終わりに東北新幹線復旧の目処がついたようで、きっと全線運転時はみんなうれしい気分になれるのではないかと思う。

 

新しい年度になって復興の話もでてくるだろうと思う。

津波の被災地の再開発などは長期戦になるのだろうが、まずは鉄道網の復旧、特に沿岸部は廃止区間のないようにと強く願う。

線路は列車が走ってこそ線路である。

列車の走らない、走ることのなくなった線路はとても悲しく寂しいもの、と細長く残る岐阜の線路跡地を見るたびに思うわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  重厚長大が鉄道貨物輸送の得意技

3/29

ネット上の情報なのだが、広島で解体寸前だったEF81機関車が復活して再び日本海縦貫線を走るようだ。

他にも九州関門にいたEF81が北陸に出向いたそうで、まもなく引退という時期に新たな仕事で活躍する姿を見ることができるようになるのはうれしいことだ。

日中に野洲を通過する上り貨物もあってEF81自体はなんら珍しいものではないが、関門にいたステンレス車体の300番台は早く野洲で見てみたいと思う。

やはり機関車は貨物列車を牽いての姿が美しいのであって、機関区の隅でじっとしているのを見るのはうれしくないものだ。

 

そんな機関車の復活劇は震災で東北線がしばらく不通であるが故に日本海縦貫線回りの貨物輸送が増えるためである。

いわゆる迂回で、ルートが確保できるのはうれしいことだと思う。

例えば何らかの理由で山陽線岡山広島間が運転不能になってとしても、貨物列車はすぐに代替できる路線がない。

旅客なら最悪姫新線から芸備線でも、あるいは伯備線から山陰線でも逃げることができるのだが、芸備線も山陰線も貨物を牽くことができる機関車がいない。

あるいは例えば米原が大雪で列車本数の制限を受けたとき、関西線から草津線に回ることができればなんとかなるのだろうけれども、

実際にはそんな線路容量もないし、そもそも電気機関車が亀山から柘植の間を走れない。

有珠山噴火の災害では長万部から札幌まで函館線山線経由の迂回運転を行うために線路整備をしているが、

こんな災害あとだからこそ代替路線の事前確保に手を付けておかねばならないのではないかと思う。

あっては困るがひょっとすると東海道線の富士から清水とか浜松から豊橋などの区間で大津波を受けて列車が運転できなくなることも将来あるのかもしれない。

中央線塩尻まわりはどの程度列車本数が稼げるのだろうか、長岡富山まわりの方が貨物輸送には適するのだろうか、

いまから考えておいても損にはならないように思う。

 

そんな迂回運転の一つに磐越西線の臨時貨物列車運転の話がある。

もともと少し前まで貨物列車が走っていた区間ではあるが、DD51機関車の重連運転とか扱いに慣れていない部分もあって

重たい石油列車を運転するのにずいぶん苦労されたそうなのだが、でもとにかく不足がちなガソリン類を無事に運べるのはさすが鉄道貨物、とうれしく思う。

被災された方には大変失礼な言い方ではあるが、タンクローリー30台分を一度に運べる輸送力を

世間に知らしめることができたのは何かの救いになりはしないだろうか。

 

守山駅の東側ホームとなりには駐車場が広がっている。

駐車場になった当初はがらがらだったのだが、最近はよく埋まっている。

ここに車を停めて電車利用する方が多いだろうから、鉄道の利便性向上には役立っているのだろう。

とはいえ、昔、まだ5年ほど前までは駅となりにある油槽所に出入りするタンク車が停まっていた線路跡地と考えるとちょっと寂しいものがある。

あまり融通の利かない鉄道貨物輸送であるが、重たい燃料類などはやはり列車が適しているように思う。

また守山駅に貨物列車が停まって貨車が入れ換えをするようにはならないものだろうか、

もちろん災害時の特別なことでなくて日常的に、と守山駅を通るたびに思うわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ものを作ることができないとこんなに困る

3/27

このメルマガを1ほぼ0日間もさぼってしまった。

確かに忙しかったり夜起きていられなかったりと物理的に時間がなかったのではあるが、それ以上に東北地震後に起きたことがいろいろと多く、

難しくまた考えさせられることばかりで、話をまとめるのが容易でなかったのだ。

地震の影響がさまざま出てきていろいろと二次的に問題を起こしているのを聞くと、直接地震に縁のなかった地域でもやはり大きな震災の影響が及んでくるのに驚く。

例えば東海道新幹線の乗客数は震災後1週間の速報値で前年比10%減だそうで、

このまま人の流れが少なくJR東海の輸送量が少ないままであれば中央リニア新幹線の開業時期もさらに延びるかもしれない。

そもそも莫大な費用のかかる震災復興を抱えて、この先経済状態がどうなるのか全く不透明ではリニアどうこうなどと言っている場合ではないのかもしれない。

でもまずはとにかく地震津波や原発事故被災者の方々になんとか頑張ってほしいと願う限りであるが。

 

ところで世の中自粛ムードではあるが、27日の日曜日に予定通り琵琶湖一周の臨時列車が走った。

大河ドラマ「江」の関連での団体ツアーを県観光協会が企画したもので、485系電車を使ったものであった。

イベント各種が中止縮小される中、なんとか列車が走ったのはヲタ的にはうれしいことだ。

わだらんとしても夕方4時過ぎではあるが、まだ日の高い時間帯に堂々と野洲を通過する485系を見ることを楽しみにしていたのだ。

そして天気に恵まれた夕方、篠原駅近くの光善寺川鉄橋近くで築堤上を走る列車を待っていた。

やがて少し傾いた日ざしを側面いっぱいに受けて、明るい国鉄色の列車がゆっくり目に通過していった。

先頭がパノラマでない、いわゆる電気釜と称されるクハ481-300であったのはうれしかった。

とはいえ編成は6両の短いもので、往年の485系全盛期を思い出させるには難がある。

せめて9両、できれば12両運転を期待したいのだが、長い編成を期待するのはヲタの戯言。

そうでなくても国鉄型車両の多くに使われているMT54電動機のカーボンブラシの入荷が困難な状態では無駄な車両を走らすことなどできるまい。

 

長島神社の木立に隠れていく485系を見送りながら、地震がなければひょっとしたらもう何回か485系の姿を見ることができたのだろうか、

逆にもう485系の運転はないのだろうか、とまさにわだらん人生の憧れであり友であった485系の最期を翻弄するような大きな天災を恨んでしまう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  人間の体力では動かす電気は作れない

3/17

この春の改正で、12両新快速がずいぶん増えた。

休日は深夜までずっと12両なので、さぞ遅い時間の列車はまったりゆったりだろうと思う。

もともと定員制でもない列車に着席の高い確率を要求するのは贅沢なのだろうけれども、

着席ができるサービスも大事なことなのだろうと思う。

自家用車は必ず座れるのだから。

 

ところで、某公共放送の「大科学実験」という番組で、人が自転車型発電機をこいで電気を起こし、

遊園地のメリーゴーランドを回すというものがあった。

必要な電力は3600wで、素人100人では発電容量が足らず、プロの競輪選手が100人集まってやっと成功するというものであった。

ある程度の演出はあるにせよ、実際にある電気器具を回す、あるいは動かすための電力を人力で得るのは

相当やっかいなことなのだと思わせるに十分である。

そもそも人力ではとても長い時間継続して発電機を回すことはできない。

そう考えると、落下する水の力も、燃えさかる石炭や石油の炎も、そして厄介者にも関わらず現時点で必要不可欠な原子力の熱も、

みな恐ろしいほどの力持ちなのだろうと思う。

東京では電力不足で電車の運転もままならず、通勤通学がまともにできない状況になっているそうだし、

御殿場線や身延線はこの数日電車がまともに走っていない。

これだけ休むと運転開始のときにまた信号や分岐器、踏切の確認がいるのではないか、と心配してしまう。

もっともまともに電車が動かせる日がすぐにくるのかどうかもわからない状況ではどうしようもないのだろうけれども。

 

12両になってずいぶん楽に座れるようになった3510Mで帰宅。

そもそも電気の供給に不安がないので安心して電車に乗れるし、しかも座っていられるのだと感謝である。

223系12両でモーター18個、3960000W。

先の番組を元に計算すると、競輪選手が1万1千人必要などとあり得ない数字が出てくるのである。

電気の力はありがちものだ、とつくづく思う。

 

野洲に戻るとまた雪が降っていた。

この数日ずっと朝晩、そして聞くと日中も雪が降っているそうだ。

さらっと車が広くなる程度で、生活に影響があるような積雪にはならないが、でも野洲でこの雪なら、東北の各地はもっと寒いのだろう。

早く不自由な生活を強いられているみなさんに暖かい風が届くように、そして首都圏のみなさんが長い行列をしなくても電車に乗ることができるよう、

電気の復旧とまたそれを支える現場の方々の安全と活躍を祈るばかりである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  祈ることしかできないのだが

3/13

11日の金曜日、仕事を強引に終わらせて、足早に阪急梅田駅に向かった。

この日が最後のタンゴエクスプローラー大阪乗り入れ、この日を逃すともうこの車に乗ることもできまい、と最後の最後に突然思い立ったのである。

時間的に宝塚から新大阪までのタンゴエクスプローラー4号なら間に合うし、チケットレス特急券で500円なら安くあがる。

そこでまずは阪急で宝塚へと向かい、宝塚から特急で帰ってこようというわけである。

阪急でなくても宝塚にはもちろん着くのだが、せっかくなら行き帰りで違う経路で、

かつまだ利用したことのない西宮北口の橋上駅内店舗を見てみようか、と考えた。

西宮北口から宝塚への今津北線は想像していたよりよく乗って車内は混んでいた。

こじんまりとしたホームや適度な駅間距離など、私鉄らしい雰囲気でとても楽しい。

とはいえ、このあたり、かつて大きな地震でずいぶん大変なところだったのだな、今の雰囲気ではちょっと想像できないな、などと洒落た街並みを見ながら考える。

そう、この日の午後に起こった地震とその後の津波がとてもとても巨大であることなどまだ知らず、

JR宝塚駅で東海道新幹線が全線運転見合わせとの案内を聞き、ちょっと驚く。

が、まだその深刻さに気づくこともなく、タンゴエクスプローラーの初乗車などとお気楽なものであった。

もちろん帰宅後地震の規模とその後の被害を伝える映像に、体が凍り付いたのはいうまでもない。

 

命を落とされた多くの方のご冥福を、そして被災者の方の一刻も早い生活再建を、そして東北新幹線や多くの鉄道の復旧を祈るばかりである。

阪神大震災の時に、列車が走り出したことで勇気づけられたという声があったと聞いている。

鉄道の再建が被災者の方の元気を運べるように、と星に願いをかけてみる。

どうか生き延びたみなさんの心が安まる日が早くきていただけるように。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  行き帰りの車内でも宴席を開くと顰蹙か

3/10

日本人には中東、湾岸諸国というのはあまりよくわからない国であろうかと思う。

例えば韓国や中国のように近くもなく、東南アジアの国々のように行き来も多くなく、欧米のように観光地やビジネスのネタも多くない。

でも石油に関して言えばそんな無関心ではいられないのだが、でもやっぱり縁遠いように思う。

とはいってもその縁遠い国ぐにの政情不安がガソリン価格を引き上げるとなれば話は別である。

先日来ガソリン価格が高騰しているらしい。

確かに電車から見えるガソリンスタンド、例えば向日町駅北側とか、石山駅南側で車窓に見えるスタンドの価格表示はレギュラーで145円などと出ている。

一時期120円前後で落ち着いていたのに、このところ急激に上がったようだ。

わだらんが持っている平塚市産の某ミニバンは今のところ1リッターあたりでおおよそ11kmの燃費である。

野洲岐阜間85kmで考えてみると、所要7.7リッターとなる。

これが125円なら965円だが、145円だと1120円となる。

往復で310円ほど余計にかかるのだが、これを高いと見るか、安いと見るか。

通勤でいわば強制的に車を使っている方なら高いと思うかもしれないし、逆に価格のイメージだけで高いと思う休日利用の方も多いかもしれない。

現実には差額を計算すると全体から見ればそんなに大きくない率なのだが、でも10%値上がりとか聞くといつも使わない方はちょっと警戒するかもしれない。

そうなると今度は観光客相手の商売は小さくなり、経済によくないことになってしまうのだが。

 

ところで、野洲岐阜間の東海道線普通運賃は1450円である。

そう考えると今のガソリン145円でも車の方が安くなる。

もちろん車を持つことは自動車税などガソリン代以外に金がかかっているのだが、みんなそこまで考えてはいないだろうし、

わだらん自体自分の車の車検代やら自賠責やらを月割りにした正確な金額を知らない。

それら車の維持費用を含めて考えれば、もう少し鉄道運賃と車利用の差は縮まるのだろうけれども。

 

このところほぼ毎日225系に乗って帰宅するのだが、車内モニターはこの時期カニ日帰り企画を大々的に宣伝中。

日帰り昼食つきのグループ旅行だと、みんなで飲んで食べて、と列車利用が楽しいのだろうけれども、単純に往復の交通費だけ考えれば車の方が安くなる。

もちろん飲酒運転などしないという前提も含めて、鉄道側は少しでも多くのグループ客を集めたいのだろうけれども、どうだろう。

ガソリンの高騰が列車利用移転への追い風になればいいな、とカニ企画の宣伝を見ながら考える。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  山科を通過するのもちょっとうれしい

3/7

湖西線の山科と大津京の間に長等山トンネルがある。

建設時は三井寺との間で一悶着あったそうだが、でもこのトンネルのおかげで大津市北部が京都大阪の通勤圏として

宅地開発が進んだのだから、滋賀県のためには十分役立っている。

もともと湖西線は関西と北陸の短絡、東海道線(湖東線)区間の救済の目的であったのだが、

いつのまにか通勤路線として成長著しく、堅田の駅前に建つマンション群などを見ているとずいぶん変わったものだと思う。

何しろ湖西線の建設当時、つまり江若鉄道の末期あたり、堅田の駅周辺にビルなどなかったのだから。

 

さて、その長等山トンネルは、知る人ぞ知る変形トンネルである。

山科方は穴3つ、大津京方は穴1つ、つまり大津京方から見ると、山の中でトンネルが3つに枝分かれしていることになる。

ずいぶんと面倒な構造だが、これは湖西線建設当時の大計画の名残でもある。

つまり、湖西線は近江塩津山科間で建設されたのち、山科川に沿って宇治市内へ出て、

さらに宇治川木津川を渡って片町線長尾付近に出る新路線の計画を持っていた。

さらには片町線長尾付近から摂津市鳥飼に抜ける新線計画もあったのだ。

昭和40年代の始め、東海道線の輸送力がパンクする可能性があるとのことで、

北陸線からの貨物列車を湖西線から長尾経由で鳥飼へ流し、京都大阪間を避ける計画であったのだ。

そこで湖西線は山科で東海道線上下の内外線の中に割って入り、そのまま南向き方向も上下とも内外線の間から抜けるつもりをしていたようだ。

もちろん山科から長尾へ抜ける新線計画はその後の国鉄の財政事情から中止され今に至っているが、

山科から大津京に向かう湖西線は長等山トンネルのその不思議な構造にかつての計画の一端を見ることができるのである。

その長等山トンネルへの取り付けを通勤電車は東海道上り外側線と競合しないよう急勾配で坂を駆け上がり、外側線を跨ぐと今度は少し下り坂になる。

が、そんな急勾配を登れない外側を走る貨物列車などのために、外側線から直接湖西線へ抜ける連絡線が設けられている。

外側線が新逢坂山トンネルに入る手前に分岐があり、長等山トンネルに入って少し進んだところで先ほどの外側線を跨いだものと合流している。

この連絡線、そもそも貨物列車を主として設置されたので、一般旅客が通ろうとすると特急列車に乗るしかない。

逆に言えば特急に乗ればいつも通ることのない外側線から湖西線へ入る道をたどることができるのである。

 

土曜日、以前から気にしていた雷鳥485系の引退前に乗るべきかどうか。

さらっとネットで空席を見たところ、まだ雷鳥33号に余裕がある。

それなら乗っておくべきだろうか、やはりずいぶんとお世話になった車両なのだから、と時刻表を見ていると、

この雷鳥33は堅田停車であることがわかった。

ということは堅田まで乗れば湖西連絡線も通り、また485系の車窓から琵琶湖を見ることもできる、と気分はすっかり高揚。

そこで指定席特急券はいくらかと見ると、大阪から1660円。

まて、これなら新幹線乗り継ぎ割引も変わらないのではないか、と再計算。

京都新大阪間新幹線自由席特急券840円+雷鳥新大阪堅田間指定席特急料金が乗り継ぎ割引で半額の830円、足すと1670円。

わずか10円足せば新幹線にも乗れる、というありがたいお話。

というわけで、京都などのホームで繰り広げられる鉄ヲタの撮影会の喧噪を

まだ空席の目立つ雷鳥の車内から冷静に見ていたわだらんであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  目新しさ、インパクトは時間が立つと薄れるのだろう

3/6

東北新幹線でE5系が営業運転を始めた。

いままでなら全国規模の春の改正に合わせて新車の投入やダイヤ改正をしてきたのに、

今回わざわざ全国ダイヤ改正の1週間前に営業を始めたのは九州新幹線全線開業に対しての目立ちたがりか、とちょっとひねくれて思う。

まぁもともとJR東日本は12月にこのところずっと改正を行っているので、春はあまり規模の大きなものでないのかもしれないし、

この「はやぶさ」も他の線区の列車にあまり影響を及ぼすものではなさそうなので、運転開始のパフォーマンスが派手だとしてもまぁ気にしないでおくか。

ただ最高時速300kmがまるで初めてのような騒ぎ方は、500系やN700系に極めて無礼だ、とちょっと思ってしまう。

 

しかしN700系の増殖にはびっくりしてしまう。

以前500系が2時間に1本東京博多間を往復していた頃にずいぶんと500系が増えたなと思っていたのだが、

いまや500系と同等、いやそれ以上の力を持つN700系が東海道区間を時間3本以上走っているのである。

さらには近い将来米原京都間で330km運転をたくらんでいるなどと聞くと、もう少し勢力が増えるであろうN700系が

ばんばん行き交う姿を想像して期待したりちょっと恐ろしく思えたり。

まぁとにかく品川と新横浜に停まってかつ2時間25分で東京新大阪間を走ることのできる足の速さはかつての0系ではとてもできない芸当である。

そう考えると今回のE5系の方がやたらN700系より持ち上げた描写に見えるのは無礼に思えるのだ。

 

さてそんなN700系に京都から新大阪まで乗ってきた。

この区間を乗るときは上下列車とも山側を見ていることが多いのだが、今日は空席が海側のみしかなく、逆にちょっと新鮮な車窓になった。

旧乙訓郡内や高槻市内、鳥飼のあたりなどと新幹線でしか見ることのできない景色が続く。

山側は在来線から見る景色に似通っているところも多いのだ。

鳥飼のあたりはまだ農業用地のところも多い。

将来この農業用地も転用されて建物が建つのだろうか。

あまり建物が密集しているところばかりを走ることになるのなら、残念なこと。

広いどこまでも続く平原を突き進むのは東海道山陽区間では難しいか。

 

来週N700系8両編成が山陽区間を時速300kmで走る姿はまたヘリコプターで追跡されるのかな。

案外時速300kmが当たり前で、そんなに速度のことを騒がれないかな。

まぁ確かに九州新幹線の新区間開業は速さより直通の利便性のほうが目立ってしまうのだけれど。

ちなみになぜそんな京都新大阪間という中途半端な区間をわだらんがわざわざ新幹線に乗るのかという種明かしは次回ということで。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  もっと昔、蒸気機関車は本当に一両ずつ癖があったのだそうだ

3/2

いつものように713Mに乗って出勤の途中、いつものように2093列車がやってきた。

南草津から長岡京の間で713Mと抜きつ抜かれつの併走をする列車である。

まだ6時半であるが、少しずつ夜明けが早くなって周囲が見えるようになってきたので、隣の列車の姿が見えるようになる。

これが真冬だと音だけすれど姿は見えずで、ちょっと異様に思えるのだが。

さてそんな2093列車の先頭に立つのはEF210型機関車だが、今日は169号機であった。

今年の新製車で、車体もまだ出来立ての様相をしている。

いつの間にかEF210型は100両近い勢力になり、

毎日多数の仲間が東海道を行き来しているのだから、自然と目につく。

 

貨物列車の先頭に立つ颯爽とした姿の機関車は見ていて気持いいものだ。

機関車の世界も世代交代が進んで、つい最近までEF65やEF66が闊歩していたのに、

どちらもずいぶん退役となって車両数は減り、すっかり影が薄くなった。

まぁEF66にしても基本設計は1966年、つまり今から40年以上前の話なので、

電気機器の進歩著しいこの頃、まだ生きているのが奇跡なのかもしれない。

東奔西走する機関車をお守りする新鶴見や吹田などの機関区のみなさんは部品の交換やら清掃やらさぞ大変だろうと思う。

寝台列車がなくなって、お座敷列車などのジョイフルトレインもなくなり、旅客会社の機関車はどんどん両数を減らしているので、

ますます国鉄型機関車の姿は減ってきてしまっている。

これが欧州だと、最新式のモジュール構成型インバータ機関車が客車と固定編成を組んで

高速列車や都市近郊通勤列車に使われていたりするのだが、どうも日本では機関車を旅客列車に使うのは苦手なようだ。

機関車の迫力はまた電車とは違うもので、間近で見るとずいぶんと頼もしく見えるはずなのだが。

 

ところで、琵琶湖線を上下する電車を運転する乗務員さんのなかにEF65521のプレート(たぶんシールだと思うが)を持っている方がおられる。

先日ホームで乗務列車待ちの時にわだらんが気がつき、その方にちょっと伺うと、かつて米原機関区にいて、

つららきりをつけた重厚な面もちのその機関車が好きで乗務員になった、とお話を聞かせていただいた。

223系や225系のような今の電車ももちろん編成や車両で個性があって細かく気にし始めるときりがないのだが、

昔から機関車はもっと外観上も中身も個性が強かった。

EF210型のような今の新型機関車に何か個性があるのかどうかはわからないが、でも何となく車両を特定できるような特徴はないように思える。

EF65のような国鉄型の機関車を知っている年代はもうすっかりおじさんであるが、

その方の好きな機関車の番号を見てすぐにフロントガラスの上につらなるつららきりが浮かび、そんな機関車がいたよなぁ、

としばし米原機関区の賑やかだった頃を思い出すわだらんであった。

 

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