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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
11年 4月
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980. 4/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新快速が山科を通過していたことは想像できないな
979. 4/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今なら取材許可とか群衆整理とか問題山積なのだろう
978. 4/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 事故の教訓は時代とともに変化する
977. 4/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 光る車体は美しいが、でも色がないのは寂しい
976. 4/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 前向き座席に座るのは一種のプライドか
975. 4/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 分岐器も絶対信号もないと停留所と分類される
974. 4/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新規停車の利便性が客を呼んでくれればいいが
973. 4/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電気がなければ電車は走れない
972. 4/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ さくらは春の代名詞、みんなを元気にしてくれる
971. 4/7 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄ヲタにとっての経済活動はおでかけだな
970. 4/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 春眠暁を覚えず、と言う
969. 4/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東北新幹線は正常運行中というエイプリルフール
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新快速が山科を通過していたことは想像できないな
4/28
先日山科盆地から大阪へはどうするか、と書いたところ、山科に出ますと地元の方から教えていただいた。
確かに京阪宇治線はお世辞にも早くないし、JR奈良線は古い車両も多いうえに運転間隔がバラバラだし、
他に選択肢があるのなら京阪宇治線もJR奈良線もなかなか利用されないものなのだろうかと思う。
もちろん京阪宇治線はちゃんと存在意義はあるはずだが、ただ醍醐や石田からでは利用しにくいということだ。
これがもし国鉄の財政悪化が進まず、山科から長尾に抜ける新線ができていたなら、さらにずいぶん人の流れも変わっていただろうし、
ひょっとしたら地下鉄東西線は六地蔵まで伸びることはなかったかもしれない。
わだらん的には山科から長尾へそして京橋へ抜ける経路があれば、いざというときの迂回路になってうれしいのだが。
ところで、JR京都線・琵琶湖線の新快速はネットではよく滋賀作のためと揶揄される。
確かに滋賀県生まれ(=滋賀作とはなるほどと思うが、滋賀県民=滋賀作ではないよな)の人間が
京都大阪に出るために新快速を使うわけで、まぁその通りではある。
加えて山科に新快速が停まるのは主に大津市北部や湖西高島方面と
大津膳所石山あたりの行き来の利便性をあげるためと思われるし、実際そうだろうと思う。
が、少なくとも山科で言えば、京都市民の足でもある。
醍醐石田地区あたりを対象に考えれば、新快速の山科停車は京阪宇治線対抗とも取れる。
あるいは湖西線と琵琶湖線が山科で乗換が容易にできることは京阪大津線の対抗とも取れる。
停車駅が一つあるかないかで経路の選択方法は変わるのだろう。
早くて便利なものがあれば当然選択肢から選ばれる。
しかし今の状態を見ていると、もし湖西線を計画していた頃に山科駅の結束点としての重要性を予測していれば、
ホーム配置などもう少し違っていただろうか。
湖西線と東海道線の乗り換え需要がこれほどある、あるいは醍醐石田方面からの客を拾うことができる、
つまり通勤電車の本数をもっと見込んでいたらどうだったのだろう。
確かに列車とホームの数だけ見れば今でも充分なのだろうけれども、外側を走る新快速がわざわざホームに入るために
45km/h制限を受けるのはもったいないし、湖西線からやってきた電車がホームにいると、あとを追ってきた特急が前へ進めないもどかしさもある。
とはいえ、どんな線形、ホーム配置が理想なのかうまく浮かばない。
せめて今からでも上り場内で内側から4番に転線できるように渡り線をつければ、
京都を新快速の直前に出た湖西線電車が4番で新快速を待つことができて、対大阪で見れば15分の所要短縮が図れる。
そうすれば湖西線の利便性も高まるし、なにより山科手前で新快速が場内開通待ちの徐行をしなくて済むのに、とまずは思うのだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 今なら取材許可とか群衆整理とか問題山積なのだろう
4/26
元キャンディーズのスーちゃんが亡くなった。
まだ55歳の若さであるが、逆にもう55歳になったのかとも思える。
後楽園にはいけず、名古屋金城埠頭での解散コンサートで泣く泣く我慢したわだらんとしては、
訃報と通夜葬儀を伝える報道を見るとなんとも寂しいものがある。
これで永遠にキャンディーズは再結成できないのである。
もっとも再結成されても喜ぶのはおじさんばかりだろうけれども。
今の世の中でもアイドルは存在するし、歌番組もコンサートももちろんあるのだが、
でも当時のアイドルや歌番組の流行や影響力は今の比ではないだろう。
その当時、流行歌をランキング化して上位の曲を生で歌ってもらうテレビ番組が大人気であった。
わだらんももちろん見ていたのだが、誰が出たかとか、何を歌ったかより、どこで歌うのかのほうが気になっていた。
その歌手がその時間にいる場所で歌ってもらうわけなのだが、これがまた結構移動中に重なることが多く、
駅構内やさらには列車内でも中継が当たり前に行われていたのである。
今のこのご時世だと、そもそもテレビ中継があちこち駅構内に出没するのは厄介者扱いなのだろうけれども、
とにかく当時はよく列車も駅もテレビに出ていたのである。
しかし考えてみるとよく列車が時刻通り動いていたものである。
以前から今の方が列車の定時運転率は下がっているのではないかと常々思うのだが、確かにそんなテレビ番組を思い出してみると、
あまり列車遅れによる放送アクシデントはなかったように思う。
もちろん当時に較べると今の方が列車の本数も速度も上がり、便利になっているのは間違いないのだが、
それと引きかえに定時運転率が下がってしまったのかもしれない。
その頃に較べて運転に携わる人はずいぶん減っているのである。
先日も朝C電が向日町で急病人手配のため12分遅れという話があった。
これも昔なら急病人を駅員に渡して列車は発車できたものだが、この話でも乗務員が救急車に渡すまで発車できなかったようで、
扱い自体やむを得ないとは思うのだが、もしもう少し職員がいれば少なくとも遅れが拡大したり列車の部分運休はなかったのではないかと思う。
何しろ今は出札窓口が改札口を兼用できるほどになってしまったのだが、かつては改札に一人ずつ駅員がいたのだから。
もちろん昔が全てよかったなどと言うつもりはないし、わだらんが野洲から大阪まで通勤することも、
キャンディーズが歌っている時代なら今のように快適にはできなかったはずである。
そんな訃報の文字が踊る新聞を広げた車内から見える吹田工場にはクーラーを外されて解体待ちの福知山クハ183が見えている。
これも何かの時代の区切りなのだろうなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 事故の教訓は時代とともに変化する
4/23
わだらんが通勤のために電車に乗り始めた頃は、まだ冷房車が多くはなかった。
というか冷房車はごく限られた一部車両が特定のスジに載るだけで、ほとんどが冷房など積んでいなかった。
そのため窓を開けるのが当たり前であった。
101系や103系の通勤型車は窓が上下二段に別れ、車内が混んで暑くなる夏などは
特にホームから上段窓を開けるのがいわば通勤に慣れた客の行動パターンであった。
車内から上段窓を開けるのは座っている人間は振り向く必要があって難しいし、
一方立っている人間が座席に座っている人間の頭ごなしに窓をさわろうとするのは勇気がいるものであった。
が、上段窓を開けると通風効果はてきめんで、少なくとも走っている間は心地よい風が車内に入ってきたものである。
もっとも梅雨時など雨の日は窓明けができないので、もちろん冷房がついている方がはるかに快適なのは自明なのだが。
冷房車が普及して窓固定の通勤車も増えてきたのではあるが、
最近はJR東日本の車両の中には停電などで長時間停車するときのためにわざわざ固定窓の一部を開閉できる改造をした車もある。
窓が開くのがいいのかどうか意見の相違はあるだろうけれども、いざというとき窓が開く方が逃げ道を確保されているようで安心にも思える。
もっともJR東の改造車の場合はあくまで換気が目的で車内からの脱出を目的にしたものではないのだが。
でも少なくとも最初に書いた非冷房車の上下二段窓は車内からの脱出を可能にするために上下に大きな開口寸法を得られる設計なのである。
窓は開くもの、外へ出られるもの、が当時の常識であり、そうしなければならなかったのである。
もちろん窓もそしてドアも手で開けられ、車外に出ることができること、それが106人の命の代償であったのだから。
窓は大きい方が気持ちよく、そして固定窓の方が車体が作りやすい。
時代の要請と技術の進歩は昔の常識を買えることもありうるということである。
とはいえ、何はなくともまずは安全に乗客の輸送ができること、それが鉄道に課せられた使命であることは昔も今もかわらない。
これから先、鉄道事故で人の命が奪われることがないように、と切に祈るものである。
明日4月24日は106人の命が奪われた桜木町事故からちょうど60年。
架線事故から車両に火がつき、車内に閉じこめられた多数の方が亡くなられた事故である。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 光る車体は美しいが、でも色がないのは寂しい
4/22
この春のダイヤ改正でやまとじライナーが廃止されたので、大阪駅の環状線ホームで特急型車両を見ることがなくなった。
もともと一日2回の限られた時間なので、ほとんどの環状線利用者は特急車がホームにいるのを見たことがないように思う。
しかも特急として運転しているなら多少の宣伝や案内もあろうが、
通勤客相手のライナー列車ではますます華やかさはなく影が薄いのだろうと思う。
時間4本などのように見る回数が多ければともかく、環状線の電車に割ってはいるダイヤでは存在感はないだろう。
この3月の最終日でもおそらくはお名残だのお別れ乗車だの葬式厨はごく限られた程度しか集まらなかったのではないか、と思う。
しかし使われていた381系電車は期間限定ながらこんどは福知山線で特急こうのとりとして再び大阪駅へ出入りしている。
もともと国鉄末期に福知山線山陰線の城崎電化が行われた際、投入車両には振り子式381系電車が候補になったと聞いている。
ところが実際には381系による振り子走行は地上設備に追加工事が必要なこと、
なにより財政厳しい折新車の投入ができないとの理由で381系投入は幻となった。
それが四半世紀後に突然現れるのだから世の中何が起こるかわからない。
しかもせっかくの振り子式車両であるのに振り子機能を使えず、所要時間の短縮はないというなんとも中途半端な存在である。
とりあえず今までの車より程度がいいという理由だけで突然本来の使われ方と違う姿で現れるのがいいことなのかどうなのか。
少なくとも丹波篠山に住む仕事場の同僚曰く、「がたがたうるさい」と不評である。
わだらんも381系の細かい振動はよく知っているが、これも速く走るためだとわかっているからまぁ我慢できるのであって、
福知山線のようにあまり速度の上がらない走行でも揺れが小刻みに続くのはよろしくなかろうと思う。
もちろんかつては381系に乗ること自体が贅沢な身分であったのだから、そんな特急車両にけちをつけては怒られそうだが、
逆に言えば225系などの出来がよくなっているので、特急型との差がなくなっているのではなかろうかと思う。
特急型車両は静かに落ち着いて走る、その姿がわだらんの理想なのである。
とはいえ、大阪駅でこの国鉄型、しかも国鉄特急色のままの車両を見るのはもうこの381系しかない。
雷鳥なきあと、こうのとりに残る183系は微妙に国鉄特急色ではない。
しかも381系こうのとりの存在は6月までのショートリリーフ、今だけの光景としてよく見ておかねばならない。
近日287系電車の増備車が出てくればお役ご免となるのだから。
ヲタの中には国鉄型信者も多くいる。その多くは懐古趣味からだろうし、実際国鉄型車両には独特の趣があるように思う。
なによりステンレス車体ばかりが増えていく中で、今や貴重となった車体塗装車であり、
しかもオリジナル特急色となればやはり貴重である。
わだらんのように利用しないものにとっては、細かい振動の有無など問題でなく、
ただ単に姿を見ることができるだけでよしとしておこう。
JR東海での381系後継者である383系しなのはステンレス車体で無塗装、
他にもキハ85系ひだもHOT7000系はくともキハ189系はまかぜもみなステンレス車体。
ステンレスの車体が決して安物ではないのだろうけれども、やはりわだらんとしては、
何か車体に色がある、特に特急車には明るい色があった方が華やかそうに見えるのに、とわがままを言ってみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 前向き座席に座るのは一種のプライドか
4/19
大阪駅御堂筋北口改札を抜けようとすると上から列車の発車する音が響いてくる。
18:42発のサンダーバード39号のようだ。
ならばもう18:45の3510Mが入線する時間かと思い急いで改札を通ると、既に下り向きエスカレータから大量の人が降りてきている。
エスカレータは時として自分の思い通りに人が流れずいらいらすることもあるが、一方乗降客分離には極めて有効で、
もし階段ならば、降車客に階段を占領されて、なかなか上がれないのではないかと思う。
幸いにもエスカレータの客はみな早足で上がっていき、わだらんも無事まだ停車中の3510Mの前にたどり着くことができた。
もちろん車内に既に大量の客が入ったあとで、9番のりばはほとんど人がいない状態であった。
ところが、ふと10番を見ると18:52の3512Mが225系であった。
この3月改正で3510Mが12両になってから3512Mに乗ったことがない。
確かに3512Mは座りやすい電車なのだが、3510Mでもかなりの確率で
大阪駅で着席できる状態になったので、わざわざあとの電車にする必要もないと思うのだ。
ところが、久しぶりに225系を見るとなんとなく足がそちらに向いてしまう。
3月改正で225系が223系と混用されるようになって、225系になかなか出会えなくなっていたので、ちょっとうれしくなった。
先頭8号車はさすがに立ち客多数だが、編成後ろ方向へと急ぐと、4両目でまだ空席を多数発見し、乗り込むことにした。
この3512Mは以前から編成中間が座りやすく、その傾向は隣にいる3510Mの12両化の影響はなかったようだ。
もちろん前向き2列席は通路側も含め埋まっているが、4人かけ部分はまだ空席が目立つ。
そんなに4人席を毛嫌いしなくてもと思うが、
でも実際わだらん自身好きこのんで4人席に座ることはまずないので、まぁみなそう感じるのだろう。
これが4人席しかなければまた話は別だが。
そういえばもう10年近く前の話だが、朝米原発大阪行き905Mという電車があって、
向日町配置の湖西草津線用の113系6連を2本繋げた12両編成で運転されていた。
野洲が7時10分あたりだったのだが、野洲でも守山でも楽々座れた電車であった。
草津でもまだ着席可能な、逆に言えば人気のない電車なのだが、
これがつまりは113系ボックスシートであるが故に着席しやすかったのだろうと思う。
昔は当たり前だった113系のボックス席はさすがに117系以降の転換クロスシートに較べれば窮屈だし、面倒でもある。
朝の時間は窮屈さより着席可能を選ぶからみなちゃんと座るが、
逆に夕方以降の113系で運転される電車はボックスが空いていても立っている客も多かった。
窓側は出入りがやっかいだし、通路側は何かと人の出入りや通行でうるさいし、
車内がかなり落ち着くまでドア付近に立っている方がいい、と思う常連客は多かったようだ。
これがもし近郊型の狭いピッチではなく、もっと広かったらどうなっていたのだろうか。
寸法を見ると113系のような近郊型のボックスは背もたれから向かいの背もたれまで1420mm。
一方583系やその改造419系では背もたれ間1900mmである。
419系の場合寝台関係の構造物や扉配置などで車内が窮屈そうに見えるのであまり広さを体感できず
一概に比較ができないが、やはり広いのだ。
3扉の車体割付で1850mm程度のボックスを2つ、その前後に一人用ロングシート
(一人用でロングシートと呼べるかどうか疑問だが)を配置すれば扉間10人で現行の223系などと同じ座席数になる。
前向きにこだわらなければこの方が座りやすくて車内が広くなるように思うのだがどうだろう。
まぁ転換クロスに慣れたボックス席を見れば安物に見えるのだろうが。
3512Mは順調に走り、出入りをしながら4人埋まっていたシートは石山、南草津と抜けていき、
草津からはわだらん一人が4人分を占領できるゆったりスペースになった。
足を投げ出しての帰宅は贅沢なものだ。
これも4人席だからこそできる技で、他の前向きシートはみな適当に一人ずつ座っていて座席を倒せるまでに空いていない。
こうやって足を伸ばせるのもしばらく4人席の窮屈さを我慢したご褒美だ、と勝手に解釈しておこう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 分岐器も絶対信号もないと停留所と分類される
4/16
草津市の南に出かける要件ができて、土曜日の日中に草津市内の国道1号線を車で南に向けて走っていた。
京滋バイパスに入らずもとからの1号線を南へ進むと野路地区に入る。
まだこのあたりが何もないころを知っているわだらんからすれば、現在のこのあたりの風景は別世界である。
まだ南草津駅が開業したての頃は、電車の窓からまだできて間もない国道1号線沿いのスーパー銭湯が見えたものだ。
あるいは駅前に某無印なんとかを含むスーパーが開店したときは、まだ店舗の西側は未舗装の広場で、
臨時の駐車場に仕立てたものの、土ほこりがあまりにひどく閉口した記憶がある。
そもそも今の南草津駅東口の駅前広場はかつてため池だったのである。
今となっては土埃が立つような広場も空き地も南草津の駅前にはなく、そんな空が広かった時代を想像するのは難しい。
ところで、この南草津駅の前後は線路が築堤上にある。
別に深い谷があるわけではないが、北川とか伯母川といった小さい河川を続けて越えるために
少し盛り土をして線路を敷いたようだ。
ちなみに東海道線が電化される前は現在の南草津と瀬田の間にある狼川をトンネルで抜けていたが、
この狼川あたりが標高100mを越えてかなり高い位置にあり、ここから草津駅に向かっては坂を下りる形になる。
もともとこの線路のまわりは水田であり、勾配の平均化と路盤の安定のために少し高い盛り土をしていたのだろうか、と思う。
近江大橋取り付け道路から国道1号線へと延びる道ができたときに、線路から見てずいぶん深い位置に道路がもぐっているように見えたものだ。
そんな築堤上に南草津駅を作ったので、今その道路がもぐった位置がまさに南草津駅のホーム下になるのだが、
道路からホームを眺めるとまるで高架駅のように見える。
そういえば滋賀県内には地平から高架になった駅はないのだ。
湖西線は高架駅ばかりだが、最初から高架で作られたものであり、
いわゆる鉄道立体化工事で高架になった駅はなぜか滋賀県内にはないのだ。
まぁ今後連続高架工事が施工されそうなところも思い浮かばないし、市街地的には近江八幡駅前後は高架になってもおかしくないが、
でもお金がそこまでかけられそうにもない。
そう見ると、この南草津の高架上に見えるホームはどことなく都会的である。
都会と田舎の区別をどこでするかは恣意的なものだが、わだらんは都会的というと例えば有楽町とか浜松町(北口)とか、
あるいは王子とかのような比較的駅施設が小さい高架駅でかつ乗降客がやたら多い駅がそんな感じなのだ。
もちろん大阪や新宿のような大きな駅はまた都会的なのだろうけれども、
むしろ規模が小さくかつ人が多い駅の方が都会の駅だと子どもの頃から思っていた。
なので、南草津駅はわだらん的には駅施設が小さい点、ホームが線路上にあるだけで、
分岐も出発信号もない、運転的には単純な小さな駅であるにも関わらず大きな乗降客数を持っていることが
特に他の滋賀県内の駅とは違う、いわば世代の違う駅のように思えるのだ。
そして駅周囲の高層住宅群や駅前に並ぶバス群を見ていると、ますますそんな都会の駅のイメージが強くなる。
これでは新快速が停まるのもしかたないわな、と思う。
ただ、これだけ市街地が大きくなると、草津市としての中心市街地がますますぼけてしまうのではないかと余計な心配をしてみたりするが。
そういえば、この南草津駅には東京発着のピンク色の某高速ツアーバスが入ってくる。
主に学生狙いなのだろうけれども、南草津を狙うところが急激に成長する一つの理由なのだろうか。
決してツアーバス会社を擁護するものでなく、むしろわだらんとしては批判的なのだが、
でも老舗の旧国鉄バス会社の東京線が今や滋賀県で3番目の大きな駅となった南草津に入ることはないだろうな、
とちょっと残念に思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新規停車の利便性が客を呼んでくれればいいが
4/14
あの忌まわしい地震から一ヶ月が過ぎた。
新聞は相変わらずあまりいい話がなく、死者が出るような余震が続くようでは
特に関東以北では旅行などの雰囲気ではないのだろうと思う。
ゴールデンウィークの高速道路は例年より空いていそうだとの話だし、旅行業界でもキャンセルが続いているそうだ。
ではあるのだけれど現場の方々の懸命の努力で東北新幹線が5月始めに開通する予定なので、
東北各地の温泉地や景勝地が少しでも以前のような賑わいを見せてくれればいいなと、と思う。
ところで、地味にスタートしたこの春の改正であるが、一ヶ月が過ぎ少しずつ落ち着いてきたように思う。
特に夜の新快速12両化の効果はてきめんで、わだらんが今までよく利用していた18:52の3512Mより、
その1本前の3510Mの先頭車12号車の方が座りやすくなった。
多くの場合わだらんが9/10番ホームに上がるのは18:40前後なのだが、
3512Mの入線に間に合えば改正前と変わらず必ず座ることができる。
その一方で同じ時間にこの改正で12両になった3510M先頭車の列に入れば、
座席の選択余地は少ないものの着席の確率は高いのだ。
となれば少しでも早く野洲に戻れる方がありがたいわけで、
3510Mの12両化はわだらんにとってとてもありがたい改正なのである。
新快速12両増加と並んで目玉だったのが南草津停車である。
おかげで新快速の野洲大阪間の所要時間は約2分延び、3510Mでは野洲までちょうど60分である。
2005年の時刻表を見ると、大阪18:45発は野洲着19:41であったので、それから見ると4分延びている。
とはいえ、今のダイヤでは主に客扱いに手間取る理由による微妙な遅れは確実に減っているように思えるので、
多少の所要時間延も致し方ないのかと思う。
加えて新快速が南草津に停まって所要時間が伸びた分、守山で先行T電に当たることがなくなった。
今までだと場合によっては草津から先行T電に頭を抑えられてのろのろ走ることが少なくなかったのだが、
改正後は草津から守山までも新快速らしい走りをしてくれる。
石山から南草津までも予想していたより走りがよく、体感的には南草津停車によって
むしろ新快速らしい走りがより味わえるようになったように思う。
改正後に夜のT電に乗っていないので推測であるが、おそらくT電も南草津での乗降が少し減って
楽になったのではないか、ダイヤの乱れがほぼなくなったのではないかと思うのだ。
少なくとも新快速の南草津での乗降はやはりそれなりにあり、T電の混雑緩和になっているはずである。
このあたりかつての遅れ常習804Tで確認してみたいのだが、なかなか804Tに乗れる余裕がこのところないのが残念だ。
いかにも新入社員です集団に加えて今週あたりからいかにも新入生です集団も目に見えて増えた。
南草津新快速停車を良しとしない多くの鉄ヲタは南草津最寄りの某大学を目の敵にするが、
やはり大学生ももちろんお金を払って電車に乗る鉄道会社のお得意さまである。
鉄道利用の新入生が増えればそれもまたよいことではないのか、
実際利用者がいるのだから新規停車もやむを得ないのだろう、とわだらんは思うのだ。
しかも南草津利用者は学生ばかりではないのだから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電気がなければ電車は走れない
4/13
ここでしか手に入らない産地と数量限定の産物というと通販やテレビショッピングの目玉商品になる。
わだらんも焼酎が好きでよく飲むのだが、でも銘柄や産地にこだわることができる知識は持っていない。
まぁその道に精通されている方がいるからこそいろいろなもののいろいろな評価が出てくるわけで、
とりあえず世間の噂(というと商品や酒蔵の方々に失礼だが)などを聞いて、納得したりびっくりしたりするものだ。
そんな産地限定のものでその土地が有名になって元気になればいいことなのだから。
ところで、一般的には産地限定というと農産物や海産物、手工芸品が主である。
大量に生産されるものを産地限定のこだわりものということはない。
でも考えてみれば、ある特定の分野の工業製品で圧倒的なシェアを誇る企業や工場なら、
いわば産地限定と言ってもおかしくはないのだろうと思う。
例えば車のシートベルトで国内トップシェア(と何かで読んだ)の企業は、もともと彦根が発祥で、
今でも滋賀県湖東地区に多くの工場を持っている。
ということはもし何かの事情で、滋賀県が孤立してしまったら、シートベルトの新規入手が困難になって、
自動車の生産に支障をきたすかもしれない、となる。
もちろん滋賀県が孤立するような事態が起こるのは勘弁願いたいが、
ただ一次産品でなく工業品であっても地域限定というか、地域特産品はいろいろあるのだろうと思う。
まぁ工業品の場合は通販のような「こだわりの一品」などと銘打つ必要もないし、
むしろ安定的に供給できることが工業品の使命なのだから、
産地限定などと悠長なことは言っていられないのだろうけれども。
電車の動力である直流モーターにカーボンブラシという部品が必要なのは知っていたが、
それが常磐線沿線の地域特産品であるとは知らなかった。
いや、正確には他地域生産のものもあるのだろうけれども、その常磐線沿線で作られている製品が国内トップシェアで、
しかもJR西日本を含む多くの鉄道会社の車両保守を支えていたというのは知らなかった。
未曾有の大災害であるが故に、いろいろな影響もあるとは思っていたが、こんな話があるとは思わなかったのだ。
結果的には別の工場で加工をする目処が立ったことでカーボンブラシの不足が解消する方向となり、
間引き運転や編成減車も少なくとも大阪近郊では大きな影響にならずに済んだ。
逆にもしそのまま問題ないような動きであったら、こんなに迅速に代替生産手段を取ることができたかどうか、
騒いで正解ではなかったかと思う。
しかし考えてみれば、電力もある意味産地限定ではないかと思う。
関西で使われる電力の多くは若狭湾に面した原発からやってくる。
原発の安全性をとやかくいうべきではないと思うが、でも少なくとも現状では原発が停まってしまっては快適な通勤などできまい。
もちろん将来的には原発依存は方向転換が必要だと思っているが、まずはすぐの原発廃止ではなく、現状の原発の安全対策の強化だろうと思う。
今はとにかく原発事故の早期収束だよな、早く常磐線が全線開通する日が来ますように、
と通り過ぎる高槻の淀川沿いに建つ大きな変電所を見ながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ さくらは春の代名詞、みんなを元気にしてくれる
4/10
先日の4月嘘ニュースの話の続きである。
東海道新幹線に短絡新線を作る思いつきの続きなのであるが、もともとこの話が頭に浮かんだのは
九州新幹線の直通列車が東京まで出てくることができないか、というわだらんの戯言から出た話からなのだ。
新大阪鹿児島中央間を走る新幹線N700系は8両編成と東海道区間を走るN700系とは別物であるが、
でも鳥飼まで回送で入っているので、東海区間を走行することはなんら問題ないはずである。
要は東海のやる気の問題なわけだ。
とはいえ、ダイヤの柔軟性・凡長制を大事にする東海の考え方もよくわかる。
何らかの理由でダイヤが乱れた際に容易に折り返しや列車順序の変更をするためには
走行している列車の編成内容や座席数を揃えておくのが便利なのだ。
実際東日本の新幹線は車両もダイヤも複雑になりすぎて、何かトラブルがあるとダイヤがなかなか戻らない。
結局東日本も車両の形式統一の方向になったようで、ヲタ的にはつまらないのだろうけれども、
安定輸送のためには仕方のないことだ。
そう考えると容量いっぱいいっぱいの東海道区間に余計な列車、座席数も編成内容も全く違う九州乗り入れ用N700系を
わざわざ東京まで持ってくるのは災いの元と考えて当然である。
実際乗客も名古屋以東の東海道区間対九州区間という直通利用はほとんどないだろうから、
妄想を考えるだけ無駄となってしまう。
とはいえ、今の世の中、なんとか明るい話題がほしいものである。
東北新幹線が新青森までの全区間で通常の運転に戻るときに限って「さくら」が鹿児島から東京まで直通でやってきて、
新青森からやってきた「はやぶさ」とご対面というとネタ的に面白いと思うのだけれど、だめだろうなぁ。
大きな余震があったりしてなかなか東北の被災地は大変なようだ。
被害に遭われた方々や地域の一日も早い復興を祈念するしかない。
ところでこの数日の陽気で、野洲市内や周囲あちこちの桜が咲き出した。
よくもこれだけ桜の木があるなと思わずにはいられないほど桜の花が至るところで咲いている。
この桜の花はやはり季節の象徴でもあるし、見ていて心が和む。
浮かれモードが自粛ムードで少し水を差されているものの、やはり桜の花を愛でるのは楽しいものだ。
やはり是非N700さくらをある日一日の臨時でいいので、東京まで上がってもらいたいものだ。
そしてはやぶさとご対面してくれれば、きっと鉄ヲタでないみなさんも桜の花を愛でたときのように
心が和んで勇気が出てくるのではないかな、と思う。
新幹線からも野洲市内のあちこちの桜の並木が見えているはずである。
わだらんの写真の腕では無理だが、新幹線と桜の花はとてもお似合いだ、
と新幹線線路真横の桜生史跡公園の桜を見ながら願うのである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄ヲタにとっての経済活動はおでかけだな
4/7
地震とその後の原発事故で、世間はなかなかいい話が出てこない。
靖国神社は花見の宴お断りなる看板を出しているそうだし、大阪造幣局の通り抜けも夜桜中止だそうで、とにかく至るところで自粛の嵐である。
確かに被害に遭われた方、まだ身内の方の行方のわからない方があまりに多数いる状態で飲めや歌えやのお祭り騒ぎはどうかと思うが、
かといってより一層経済が萎縮してしまうのではないかとも思う。
なんとかみんなが心休まる楽しい話、そして消費につながる話がないものか、と思う。
大阪駅の新北ビルにかけられていた工事用の柵や囲いがずいぶんなくなってすっきりしてきた。
来週11日からは橋上駅舎部分の改札も利用できるそうで、混雑緩和にも、そして駅のイメージアップにもずいぶん役立つのだろうと思う。
電車の中には既に駅ビル開業を知らせる広告が下がり、ハウスカードの勧誘などさかんにPRしている。
今のご時世開業に際してあまり派手な演出はできないだろうけれども、でも一番のお祝い事はこの新駅ビルに人がたくさん入って、
消費が少しでも増えることではないかと思う。
もともと鉄道利用を増やすネタとして作られた施設である。
当初の思惑通り大阪駅の利用客が増えてくれればいいが。
今日は大阪18:45の3510Mで帰宅。
大阪駅9/10番ホームに上がったのが18:41。
この時間なら、この3月改正前は18:52の3512Mに空席を見つけて大阪駅から座るのが常であった。
ところがありがたいことに3510Mも12両になり、7分後の電車でなくても先頭12号車ならずいぶんとゆったりした車内になった。
大阪で座れなくても新大阪下車客を見つけるのは容易で、下車客のあとの座席も取りやすい。
今日も無事新大阪でしかも窓側を取ることができ、快適な帰宅であった。
この落ち着いた車内は5月の駅ビル開業でどうなるのだろうか、時間的に買い物帰りのおばさま連中が増えるのだろうか、などとちょっと心配。
乗降客が増えてほしいとか思いながら、自分の利用する電車は空いていてほしい、などまぁ勝手なお願いばかりしている。
でもまずは無事に減車も運休もなく、毎日電車に乗れることをありがたいと思わねばならない。
災害の規模が大きいと、直接被害に遭わなかった地域まで災害の影響が出るものだ、
と今回のカーボンブラシ品薄騒動の終結おしらせお詫びの張り紙を見ながら考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 春眠暁を覚えず、と言う
4/5
4月になっていかにも新入生とか新入社員と思える人間が電車に乗っている。
乗っているだけなら何も問題ないのだが、このいわゆるフレッシュマンの集団はエスカレータを降りた先とか、
車内のドア付近とかに固まる傾向があって、流れを阻害するのはよくない。
最初のうちは不安とかいろいろあるのだろうけれども、少なくとも電車利用には早く慣れてほしいものだと思う。
いずれこの集団の構成員も逆に新人集団を見てやっかいだと思うときが来るはずなのだが、その境はいつなのだろう。
もちろん人によってその感覚はそれぞれ違うのだろうけれども。
早く家に帰る事情があり、とっとと仕事場を離れて3498Mの客になる。
大阪17:45の新快速で、これは以前通り8両。
確かにもう少し遅い時間は12両が増えてずいぶん楽になったのだが、この時間と次の3500Mは8両のままでよく混んでいる。
今の時期その慣れない新人集団に加えて春休みの子どもたちもおり、よりいっそう車内は混雑しているのだ。
そんな中、わだらんの横にいかにも新入社員というおねえさんが立っていた。
何か研修の資料だろうか、重たそうな大きな鞄を持っている。
地下鉄梅田からどこかへの定期券が鞄から少し顔を出している。
これから新快速と地下鉄で毎日通勤するのだろう、早く慣れるとよかろうに、と思っていた。
幸いにも高槻で少し着席客の下車があり、わだらんもそのおねえさんも通路を挟んでそれぞれ座った。
わだらんはさっそく眠りに落ちてしまい、目が覚めると草津であった。
ふとまわりを見ると件のおねえさんが窓側に移動してわだらんと同じようにお休み中。
さぞ慣れない環境で疲れているのだろうか。
やがて3498Mは定刻に野洲に着き、多くの客が向かいの802T米原行きに吸われていく中、
わだらんも含めた野洲下車客がホームを歩いていく。
ふと前を見ると件のおねえさんがいかにも重たい鞄を持ちながら電話をかけて歩いている。
親の迎えでも要求したのだろうか、野洲のおねえさんだったのだな、とホームを歩く後ろ姿を眺めていた。
朝は何時の電車だろう、駅で姿を見ることはできるのだろうかなどと考えていた。
ところがである、件のおねえさんは改札を出ることなくそのまま下りホームへの階段を降りていった。
おやおやどうやら寝過ごしたようだ。
おねえさんは野洲に着いてびっくりしていたのだろう。
電話は寝過ごしたことの報告だったのかもしれない。
以前改正前なら3498Mはそのまま野洲着後827Tで折り返していたので、おねえさんが寝過ごしてもそのまま戻ることができた。
南草津停車になって所要時間が伸び、折り返しなしでそのまま入庫することになった。
おねえさんがもし以前のままならそのまま折り返しもできたのに、まぁそれがいいことかどうかは定かではないが。
そんな新人さんたちの姿を見る頃になって、わだらんがいつも楽しみにしている
東淀川駅付近の線路沿いにある桜並木が咲き出した。
野洲のあたりはまだつぼみ固しなので桜の花が眺められるのは毎日大阪まで出てくる特権なのかもしれない。
新人さんたちがそんな桜の花を愛でる余裕がはやく出てきてほしいものだ。
日本のみんなが桜の花を見て元気になってくれればいいな、と願わずにいられない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東北新幹線は正常運行中というエイプリルフール
4/1
送信する時点では日付が変わってしまっていると思うが、今日はうそつきが許される日。
ならばわだらん的にうそのニュースを考えてみようと思う。
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野洲駅に0番線が増設されて下り本線となり、上りに加えて下りも普通電車から新快速電車にホーム対面で乗換可能となった。
これに合わせて日中も野洲発着の新快速が1本増発されて野洲以西で完全15分おきとなるとともに、
下りも近江八幡や能登川、あるいは南彦根などからの野洲発新快速への乗り継ぎが整備された。
一方湖西線は長浜発着の新快速の下り向き4両を京都で分割併合し敦賀まで運転されることになった。
大宮新宿横浜と京都大阪神戸間に日中夜行各1往復の急行列車が走ることになった。
新宿大阪間所要7時間、企画切符利用では往復1万2千円。
普通車指定席の他にグリーン車とのびのびシートもあり。
東海道新幹線の部分線増が完成、小田原から三島まで箱根山の下を一気にトンネルで貫通し、
また先日開通の国道421号石榑峠道路の下に設けられた新幹線トンネルを含む名古屋市中村区日比津から野洲市小篠原地先への新線が完成。
この東西2つの短絡線により東京新大阪間で2時間10分運転となった。
三岐鉄道楚原駅南側にいなべ駅、琵琶湖線野洲駅から400mの位置にはびわこ野洲駅ができ、
びわこ野洲駅は米原経由といなべ経由の分岐機能を持つ。
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まぁ妄想ならなんでもありだが、もし嘘ニュースが真実になるのなら、
3月11日に地震があったという報道は間違いでした、が一番うれしいことである。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |