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11年  5月

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993.  5/29  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  麦袋を積んだ有蓋車などが貨物ホームにいたのだろうか

992.  5/27  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ホームで乗客が傘を扱うと列車の遅れを招くわな

991.  5/24  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  非定常の列車写真を撮るために列車妨害をする愚行

990.  5/20  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  夜に誰もいない暗い車両を走らすのはちょっと恐いような

989.  5/18  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  時計代わりになる列車、時の流れを知らせる列車

988.  5/16  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  きのことかかまぼことか、今の車は何と呼ぶのだろう

987.  5/15  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  -18度の冷凍コンテナには長く入っていられない

986.  5/13  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  酔って千鳥足でも端は歩かないように

985.  5/10  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  安さが誰でも利用手段選択の第一条件ではないか

984.  5/8   ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅ビル効果が末永く続くように

983.  5/6   ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  水に映る窓の明かりも同じ速度で走っている

982.  5/2   ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  時代考証に冷房率が役立つか、何かあった日なのだろうか

981.  5/1   ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗換の少ないルートがあれば素人受けできないだろうか

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  麦袋を積んだ有蓋車などが貨物ホームにいたのだろうか

5/29

大きな工場が鉄道駅の近くにあることは珍しいことではなく、むしろ当たり前であった。

重たいものを扱う工場はほぼ間違いなく専用線か駅からの引き込み線で工場内に貨車を引き入れていたので、駅のそばが便利であった。

多くの工場はのちに合理化や統廃合で駅近くから去り、空いた用地はマンションや商業用地に転用されてしまったが、

でも逆に今になるとこれがかつての専用線を持った工場跡地と思うとちょっと感慨深い。

茨木の専売公社跡地は当時のマイカルになり、その向かいのビール工場跡地の広い空間は大学用地となるそうだ。

茨木も摂津富田もあるいは神足も向日町も貨車扱いをしていたのだが、今となってはどこで車扱いをしていたのかすらわからなくなってしまった。

まぁ駅の間近であれば土地の高度利用は当然のことで、過去の様子を伝えるのは難しいだろう。

 

ところで、かつては野洲も麦芽工場が駅隣にあった。

その工場への貨物もあったのだろう、野洲駅も車扱の貨物営業があった。

麦芽工場は移転して線路からは見えないところに行ってしまったが、跡地はそのまま残り、いわば仮使用の状態であった。

その土地を所有する麦芽工場親会社が野洲市に売却を申し出て、野洲市がどうするかの検討をしていたのだが、まずは購入する方向で進むようだ。

12億5千万円という土地評価価格だそうだが、あれ安いなぁとわだらんは思う。

もちろんわだらんが不動産価格に精通しているわけではないので大きな口は叩けないが、

でもせっかく駅前の一等地が公共用地として入手できるのなら、この機会を逃す手はないと思う。

わだらんとしてはせっかくの駅前に確保できるまとまった公共用地なので、

図書館とか子育て支援とか保健センターとか野洲市の市民サービスをすべてまとめた施設ができればとおもうのだが、さてどうだろう。

 

ところで、この麦芽工場が野洲駅横で操業していた頃の貨物扱いがどうなっていたのか、なかなか資料が見つからない。

過去には野洲駅にも貨車を移動させる小型機関車がいたのだろうか、

あるいは本線機関車が直接側線の貨車を授受していただけなのだろうか、想像するにもネタがなくて困ってしまう。

買収が決まった折りには工場全盛の頃の資料など出てこないか、と期待してみるのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  ホームで乗客が傘を扱うと列車の遅れを招くわな

5/27

大阪駅のホーム屋根をどうするか、と先日話題になっていた。

以前発表されていた大阪駅改良工事のイメージパースでは一部の屋根が切り取られていたので、早く屋根を外してほしいと思う人間が多数いても不思議でない。

広々とした高い天井を持つことになったのだから、ホームに屋根がなければさぞ気持ちいいと思うのは当然だと思う。

とはいっても屋根がはずせるのは一部になりそうで、結局橋上通路の前後だけになるのだろう。

ホームに屋根がないのは気持ちいいのだろうけれども、風雨の強い日にホームで傘を差すのは勘弁願いたいし、

ましてや傘を畳みながらの乗車では時間がかかるし危ないし、いいことがない。

実用的には屋根が低い位置にあるほうが便利なわけで、実用と美観とのせめぎ合いがどうなるのか、この先楽しみである。

 

欧州の駅は複数のホームにまたがって蒲鉾状の屋根をつけるのが通例である。

そうすると個々のホームには屋根がないが、全体としては屋根があることになる。

ただ多くの駅の場合、それが大都市のターミナル駅であっても、ドーム屋根はホーム全体を覆うわけではなく、結局先端部は屋根がない吹きさらしである。

もっとも欧州の場合大雨の日数はしれているし、ホームで整列して列車を待つことなどほとんどないので、ホーム全体に屋根があってもあまり意味がないのだろう。

12両編成の列車の先端から最後尾までの各扉に列ができるというのはおそらく日本ぐらいのものでないか、と思う。

 

まだ5月だというのに、台風が接近するそうだ。

フィリピン近海での勢力は相当のもので、日本列島にも何かしらの影響が出そうな様相。

大阪駅の各ホームで雨の降り込み状況を観察するには絶好の機会かもしれない。

とはいってもあまり激しく電車が運転できないようでも困るし、どんな程度のものになるのだろう?

でもそもそもわだらん的には、雨降りの日に806T大垣行きに草津停まりの3502Mから乗り換えるときが大阪駅の降り込みより問題である。

以前は806Tが12両だったので、目の前に電車がいたのだが、8両に短くなった806Tは12両の3502Mより当然短く、

3502Mの前や後ろにいると雨の中ホームを走らなければならない。

806Tが12両になるか、草津駅上りホームの上屋が両端まで伸びるか、どっちも望み薄だなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  非定常の列車写真を撮るために列車妨害をする愚行

5/24

昔の話をするとまたおっさんになるのだが、少なくともわだらんが子どもの頃、鉄道職員は子どもに優しかった。

駅で列車を見ていれば時間外でも改札を通してくれたり、留置線にいる車の写真を構内にまで入って撮らせてくれたり。

そもそもいろいろなことを教えてくれた。

何しろ情報源が雑誌や鉄道の解説書しかないわけで、初めてのものとか自分のわからないことはいろいろな人に教えてもらうしかなかったし、

逆にわだらんのような子どもが停車中などに聞きに行けば、とても親切に教えてくれたものだ。

今でこそわだらんが運転席後ろで前を見ながら信号を心の中で呼称するが、そもそも出発信号や場内信号の見方、開通と信号の関係とか、

閉塞の割り方とか、みんな子どもの頃に教えてもらったものがいまのおっさんになっても生きている。

何しろ国鉄末期は先頭車にいても遮光幕を下ろしていたおかげで前を見ることができなかったのだが、

でも優しい運転士氏がこそっと遮光幕を上げていてくれたりすると何とも幸せな気分になったものだ。

そんな気分は前を見ることが当たり前の今の子どもでは味わえないだろうし、

そもそも鉄道職員氏が全体に余計なことを言わない風潮になっているので、昔のようなありがたみすらなくなってしまった。

 

とはいえ、今の世の中情報だけはネット経由でどんどん入ってくるし、それこそ新車輸送とか廃車回送とか、

どうみても関係者が発信元としか思えない話が飛び交っている。

もちろんそれを否定するつもりはないが、でも趣味を楽しませてもらっているという気持はおそらく今の多くのヲタに、

しかも若い者にはないのではないだろうか、と思う。

 

先日停車中の貨物列車の手ブレーキをかけた高校生が逮捕されたそうだ。

手ブレーキはその車両ごとにかけられるので、列車としての走行には大きな問題はないものの、

いわば車で言うサイドブレーキをかけた状態で走っているわけだから、当然車輪は片減りするし、手ブレーキ機構自体が熱を持って損傷するし、

いいことがあるわけがない。

単に興味本位で手ブレーキをかけてみただけなのだろうけれども、そもそも実際に手ブレーキをさわること自体が趣味を逸脱しているのである。

自分の趣味を卑下する必要はないだろうけれども、せめて趣味を楽しませてもらっている感謝は忘れてはいかん、と思う。

まぁ確かにホームに貨物列車が停まっていれば、乗ってみたいと思うのは間違いないが。

 

http://www.asahi.com/national/update/0524/OSK201105240052.html

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  夜に誰もいない暗い車両を走らすのはちょっと恐いような

5/20

世の中回送列車のネタは数知れず、たいていの場合何で回送するのか、あるいは何で営業運転しないのか、悩むケースも多い。

そもそも一般に公開されないから、回送列車を見つけるとわくわくしたりがっかりするものだ。

まぁたいていの場合車庫との行き来で回送列車が設定されるのが多いのだけれど、

それでも例えば新幹線で名古屋新大阪とか東京三島とかで回送列車が走っているのを見ると、なんとも長距離でもったいないのに、と思う。

もちろんもったいないのは承知の上でしかたなく回送しているのだろうけれども。

確かに客扱いがないと、列車設定の上では便利である。

阪急宝塚線や神戸線では朝ピーク時に梅田着後とって返して再び梅田へ向かうための運用都合による回送列車がある。

この場合客扱いしないのでとりあえず全駅通過できるし、必要なら優等列車の待避もできる。

客扱いすれば停車駅の設定とか客扱い時間とか考慮しなければならないのだが、

回送ならそんなことはお構いなく、運転上の都合だけで列車の設定ができる。

そういえば昔守山に2番線、つまり上りホームと下りホームの間にあったホームのない線路のことだが、があった頃は、

朝草津止めの回送が2番線に停まって野洲駅の構内が空くまで他の営業列車を待避していた。

これとて回送だからこそできるわざで、ホームのない線路に長い時間列車を停めておくことは今のご時世許されないのだから。

 

でもやっぱり回送列車を見ると、客扱いしてほしいものだと思う。

休日草津止めの新快速が接続の普通列車のすぐあとを野洲まで走っているのを見ると、

わざわざ乗換強要しなくても野洲まで営業運転せいと愚痴を言いたくなるし、

深夜にある京都から野洲までの回送などは以前の野洲着1:30で京都野洲間営業運転してくれ、とお願いしたくなる。

まぁこれも運用ヲタだからこその愚痴で、一般の人には理解できないだろうし、

そもそも回送列車の存在自体興味のないことなのだろう。

 

この春の改正で12両になって前後の列車よりずっと座りやすくなった大阪駅18:45の3510Mで帰宅する。

先頭車は大阪でも落ち着いた雰囲気だが、京都で乗車があっても大きな混雑にならず、さらにどんどん降りていく。

それでも野洲に着くと民族大移動で、大量の客が向かい側にいる810T長浜行きに吸われていく。

なかなかよくできた接続なのだが、でも降りた3510Mの車両が安土まで行くと知っていれば、近江八幡利用者は面白くないだろうな、と思う。

でもそもそもなんで折り返しのため安土まで行くのだろう?

野洲派出の入出庫は確かにこの時間錯綜しているが、でももともとこの春までは安土回送などなかった。

新快速が南草津に停まることによる所要時間増で派出所内の作業が許容を越えてしまったのか、

あるいは乗務に関係することなのか、よくわからない。

とはいえ、何らかの理由で安土へ往復しているのだろうけれども、もったいないなぁ、とどうしても見てしまう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  時計代わりになる列車、時の流れを知らせる列車

5/18

またまた野洲駅開業記念写真展示の話で恐縮なのだが、展示担当の学芸員の方が昭和25年頃に撮られた特急つばめの写真を見ながら、

「線路にすごく近いところで列車を見ていたのですね」と驚いておられた。

その写真は野洲駅コンコースにもあるので、機会のある方は是非見ていただきたいのだが、

今はなき家棟川の天井川トンネルをくぐり抜けるC62蒸気機関車の牽く特急つばめをトンネルの上、つまり堤防上から多数の人が見ているのである。

今でこそ問題になるが、鉄道用地に入って写真を撮ったり遊んでいたりするのはわだらんからすればいわば当たり前で、何ら不思議ではないので、

学芸員さんの反応にびっくりしてしまった。

琵琶湖線の線路沿いのフェンスも人身事故対策だろうか、この5年くらいで急激に整備されたばかりで、

21世紀に入ってもまだ線路になんら支障なく入れていたし、実際今でも地方に行けば線路に柵などないのである。

そういえばわだらんもつい3,4年前、はっきり記憶にはないが、大津市内の新逢坂山トンネル東口の真上に行ったことがある。

関蝉丸神社の境内を歩いていくと、トンネルの真上に出るのである。

ここもその後線路に転落して人身事故が発生したので今は確かフェンスが張られているはずなのだが、

そんなこんなで線路に立ち入ることは珍しくない、いわばあたりまえであった。

もちろん何か事故があれば轢かれた方が悪いわけで、あくまで自己責任の世界であるが。

しかし時代は変わり、今の世の中では線路に立ち入るのは御法度である。

線路から離れた安全なところから列車を見るのが今の常識、まぁ列車にあまり近づけないが、安全のためにはしかたなかろうかと。

 

ところで、かつてはこの特急つばめのように一日1〜2本の特別な列車がおおよそどの線区にもあったものである。

それは必ずしも優等列車ばかりでなく、例えば蒸気機関車牽引であったり、あるいは貨物列車であったり、

とにかく他の列車と違う何か特別な要素を持っていて、わざわざその列車を見に出かける気になるものである。

この家棟川トンネルの上にいる子供たちも特急つばめの通る時間を知っていて、わざわざ見に来ていたのだろうな、と思う。

列車の体系が整備されて均一同等のサービスが朝から夜まで繰り返し、というダイヤになってくると、特別な列車というのはなかなかできなくなってしまう。

もちろん運用ヲタ的には気になる列車がいろいろあるのだけれども、それは一般の眼、あるいは子どもの眼ではなかなか特別なものとわからない。

 

時間を列車を見ながら過ごすのは楽しいが、でも目的があってその列車を見ると安心する、といった感覚は今は難しいのだろうか、と思う。

ちなみに野洲の場合、一日一往復の特別な列車、たとえば急行きたぐにとか、貨物電車スーパーレールカーゴとか、

確かに見るのが楽しいうれしい列車はあるものの、子どもの時間でないのは残念だ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  きのことかかまぼことか、今の車は何と呼ぶのだろう

5/16

暑がりわだらんにとって冷房とは実にありがたい、いわば天国である。

特に最近の猛暑では、冷房なしではなかなか過ごすのがつらい。

もちろんTシャツ短パンで過ごせるのならそれでそれなりに過ごせるのだが、やはり勤めに出るときにあまりにいい加減ではどうかと気が引ける。

これが昨今のクールビズでもっと状況が変わればいいのだが。

 

5月の連休前後から朝夕の通勤電車の中でも冷房が入っている。

ありがたいことだ。

今でこそ電車に冷房は当たり前だが、昔は冷房車というのは特別な存在であったのだ。

本線快速の冷房車率がほぼ100%になったのはJR化後、1990年代始めのことである。

先日から野洲駅開業120周年の記念行事で、野洲電車区の俯瞰写真が銅鐸博物館と野洲駅コンコースに展示されている。

そのことは先日書いたばかりなのだが、博物館の企画展担当の方とお話する機会があり、撮影時期の話で話が盛り上がってしまった。

鉄ヲタわだらんは冷房車か非冷房車か、難しい電車(例えばモノレールとかケーブルカー)でない限りほぼ簡単に見分けがつく。

ましてや一般的な電車、例えば琵琶湖線で走っているもの、環状線で走っているものなどは屋根上の様子ですぐにわかる。

ところが、その見方はどうも鉄ヲタしかできないようだ。

いや、おそらく冷房車がまだ宝くじレベルだった頃は常連の通勤客なら見分けをつけていたのかもしれないが、今のように全てが冷房車であれば、

ましてや日頃電車を使わない車通勤の方であれば、そんな屋根上の姿など気にされることはあるまい。

なので、写真を見て冷房車が多いとわだらんが感想を思っても、それは一般の方にはなかなか伝わりにくいものなのだろう。

電車の冷房は屋根上に積んだ冷房ユニットを1両あたり1個〜7個程度持っているのが一般的。

屋根上に冷房ユニットがあるかどうかで簡単に見分けがつく。

でも電車に冷房があるのが当たり前のこの頃、冷房機器の存在など気にならなくて当然、

となれば一般人の方が冷房車と非冷房車の区別などつかないわけである。

 

1958年に特急こだまとして151系がデビューした際、クーラーユニットを2個まとめて一つのケースに入れ、上が長い台形になるようデザインされた。

のち485系の新タイプが増えてくると151系から続く二個まとめのクーラーはいわば古い車両を見分ける目印になった。

そして世は進み、国鉄型特急車両は次々廃車が進んで、福知山にいた最後の二個まとめクーラー搭載車もついに廃車になった。

吹田工場で解体待ちの姿を車窓から見ることができる。

かつての特急車の証であった二個まとめクーラーも営業車から姿を消すことになったのである。

その姿から「きのこ型」とあだ名の付いた二個まとめクーラー、今の車両にはない遊びのデザインを持っていたのだ。

何しろ今の特急車、683系にしてもキハ189系にしても、屋根のクーラーだけ見れば、通勤車と形状は変わらないのである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  -18度の冷凍コンテナには長く入っていられない

5/15

野洲市内の多くの水田はほぼ田植えが終わり、水面が青空を映している。

山はずいぶん緑が明るい色になって、近くの山も遠くの山並みも見ることのできる見通しの効く広い水田の中に立っているとなんとも気持が大きくなる。

大阪駅の大屋根を見ているとすごいなぁとは思うが、どうもわだらん的には落ち着かない。

やはり広々としたところで空を眺めてのんびりしているのがわだらんにはお似合いのようである。

 

そんなわだらんのお気に入りは野洲市と近江八幡市を結ぶ道。

新幹線の線路にほぼ併走しているので、新幹線の車窓、E席からよく見える道である。

上りなら野洲川を越えて野洲の電車車庫を見終えて、その後すぐに線路脇に沿う道が見えるはずである。

8号線の抜け道としても使えるのだが、いつもは地元の車以外通らない交通量の少ないところで、ゆったりと車を転がすことができる。

近江八幡に向かうと右側に新幹線、左側に在来線がともによく見えて、しばし脇見運転になってしまう。

(もちろん危険運転にならない程度に)

新幹線16両も貨物列車1300tコキ26両もいずれも編成を先頭から最後までまとめて見ることのできる楽しいところ。

敢えて言うと見ることのできる列車の種類が昔に較べてずいぶん減ってしまったことが残念か。

これがもしまだ車扱貨物全盛のころだと、有蓋車に無害車、各種私有貨車のバリエーションがあって

貨物列車の編成を眺めているのは楽しかったのだろうけれども、今となっては貨物列車はほぼコンテナ車になってしまい、

列車に組成されている貨車の違いはほとんどなくなってしまった。

生活や産業を支えている重要な物資を運んでいるのだろうけれども、コンテナも外見はほとんど差がなく、

何を運んでいるのかいまいちよくわからないのは残念に思う。

 

ところで、そんな貨車に積まれたコンテナもよく注意しているとなかなか面白く、趣味の対象になる。

わだらんはまったくコンテナのことは知らないのだが、それでも宅配便屋の大型コンテナを見ると「大きいな」と素直に思うし、

鉄鋼材料を積んだ小さなパレットコンテナは小さくてもさぞ重いのだろう、と考えてみたりする。

貨物駅で行き交う荷物や貨車の入れ換え作業を見入るのもきっと楽しいのだろう。

とはいえ、フォークリフトやトラックが走り回り、ホームもなく路面に線路がそのまま敷かれた構内を

わだらんのような素人がうろうろしては作業の邪魔でかつ危険要因になってしまうのだろうな。

 

ただ、可能なことなら、一度貨物列車に乗ってみたいものだ。

もちろん旅の楽しさがあるとは思えないが、でも広い水田の中に立って貨物列車の長い編成を眺めていると、

しかもそれが深夜に九州を出て日中野洲を通り、夜東京に着く列車と知っていればなおさら積載されているコンテナが

どんな景色を眺めているのだろうか、同じ眺めを楽しみたいものだ、と妄想してしまうのである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  酔って千鳥足でも端は歩かないように

5/13

車両の行先を表示する板のことをサボという。

もともと車体側面に行先を書いた板を出していたので、サイドボードと呼ばれていて、

これが略されてサボになった、と何かで以前読んだことがある。

今でこそ車両側面に方向幕と呼ばれる表示器があって、遠隔操作の電動回転やLED表示で

行き先を簡単に変えられるが、昔は板をいちいち差し替えていた。

大きな駅のホーム端にはサボの立てかけ棚があって、列車別にサボがまとめて置いてあり、

当該列車が入線すると、一両ごとにそのサボを取り替えていた。

ホーム側は何も問題がないが、ホームのない側もサボを取り替えねばならず、これが結構やっかいであった。

もともと客車はサボが車体中央にあったので、窓を開ければ取り替えることができたが、いちいち窓を開ける必要があった。

そこで多くの電車や気動車、つまり自動ドアの車両はドア付近にサボを置くようになった。

この方が高い位置で乗客も見やすいし、なによりドアを開けるだけでサボを取り替えることができる。

ホームのない側もドアを開ければ簡単なのである。

そんなわけで、折り返しとなる終端駅ではドアを両側とも開放していたのが当たり前であったし、

別にそれで何も問題はなかったはずである。

 

ところが、いつの間にか鉄道の常識は180度反転してしまって、

ホームのないドアを開けるのはもってのほか、と言われるようになってしまった。

いや、もちろん昔も営業運転中にホームのない側のドアを開ければ問題だったのだが、

今は折り返しでいわば非営業の状態でも事故扱いになってしまった。

確かにサボは方向幕に取って代わり、人手に頼る必要はなくなったのだから、

わざわざホームのない側のドアを開ける必要はないのだが、昔の当たり前が通用しなくなったのはなんとも狭苦しい感じがする。

先日、近江舞子で折り返しの113系電車でホームのない側のドアが開いた、と報道されていた。

早朝の近江舞子なら何も事故になるようなことはないはずなのだが、

でもやってはいけないことが起きたのだから問題ではあるわな。

 

ホームと車両の関係は最近特にいろいろと話が多い。

比較的隙間の大きい編成間の運転台連結面は注意喚起でライトをつけるようになったし、ホームドアの試行なども出てきている。

確かに目の見えない方などにとってホーム端は危険きわまりないところであることは十分承知しているのだが、

でも酔っぱらってホーム端を歩くような事故でも鉄道側が悪くなるのはどうなのだろう。

危険の芽をつみ取るのはとても大切なことなのだが、本来利用者側にも応分の責任範囲はあるだろうに、

と思うのは贔屓のしすぎだろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  安さが誰でも利用手段選択の第一条件ではないか

5/10

以前書いたことであるが、昭和31年のことである。

特急つばめの乗客が乗車中に体調を崩して、それを察知した車掌が蒲郡に臨時停車させたという話があった。

この乗客は愛媛県松山の方で、東京から大阪まで特急列車で、そして大阪からは汽船で松山に向かわれたのであった。

昔は四国へ向かうにはどこかで船に乗らねばならなかったわけで、もちろん代表的なものは宇野高松の国鉄宇高航路であるが、

大阪から瀬戸内各地への船便も多数あったものだ。

そもそも関西別府とか関西宮崎などは新婚旅行の輸送機関代表だったりしたわけなのだから。

その伝統ある大阪松山航路が4月30日の運航を最後に廃止になってしまった。

昔ならともかく、今は自家用車で簡単に四国へ渡れる時代。

それに休日なら高速料金1000円なわけで、これでは航路など太刀打ちできない。

もちろん手軽に安く行けることは観光客の増加につながるわけで、地域の活性化には間違いなく役立ったと思うが、

公共交通の維持という面では1000円高速はよろしくないことになる。

逆に考えれば、高速通行料金の道路会社への穴埋め補填分を鉄道やバスなど公共交通への支援に回したら

休日特別運賃で列車利用を安くすることもできたように思うのだが、どうなのだろう。

 

ところで、その1000円高速や地方路線の無料実験が終わる可能性が高いようだ。

高速の割引がなくなるのはわだらん個人もあまりうれしくない話だが、

でもこれで鉄道やフェリーに観光客が戻るかどうか。

やっぱり決めては交通費だと思うのだが、なかなか鉄道の劇的な割引は難しいのだろうな、と思う。

 

帰宅時吹田工場を見ると、こうのとり用287系新車が停まっていた。

6月からの置き換え用なのだろう。

一方向日町の運転所には使用されなくなった485系が停まっている。

新車投入は話題になるし、ある程度誘客効果もあるのだろうが、でも485系が単に寝ている姿をみると、

せめて多客時だけでいいから、ムーンライト九州が復活しないかなと思う。

あるいは団体利用がないと手持ちぶさたな117系で松山への臨時快速でもあれば、と思う。

そんな18切符利用のことばかり考えずに新幹線を使えと怒られそうだが、

でも安く行けるからこそ手軽に何度も出かけることができるはず、というのがわだらんの持論である。

そういえば中長距離フェリーにも最近乗っていないなぁ、松山航路あたり過去の賑わいを体感すべく乗っておくべきだったのだろうか、

とちょっと後悔。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  駅ビル効果が末永く続くように

5/8

大阪駅の駅ビルが開業して3日間で130万人の人出があったそうだ。

当初の見込みをよくわかっていないのでその数字が良いのか悪いのか判断つかないのだけれど、人出としては相当なものだと思う。

少なくともこのうちの何割かはJR大阪駅を利用しているだろうし、その利用者の何割かは新規需要だろう。

鉄道としては新規に非定期客がどれだけ増えたかが駅ビル開業による誘客効果になるのだろうし、

まずは大量に人出があったというニュースがさらに新規需要を増すことになろうかと思う。

あまりに駅構内が混雑するのは勘弁願いたいが、でも人が多い方が駅としての活気はあろうと思う。

この先しばらくは見に来た(もちろん買い物も)客の多い状態が続くだろうし、

そのまま買い物客の多い状態が定着すれば、鉄道輸送としても不動産業としても成功なのだろう。

まずは注目を浴びている時点で駅ビルを造った価値は既に発揮されているようだ。

 

ところで、橋上駅舎というと線路の両側から階段類で線路上に作られた駅舎に向かい、

ほぼ線路上の中央に位置した改札から再び上下線の各ホームへと向かうのが一般的。

琵琶湖線内に野洲駅をも含めての多数の橋上駅舎は全てこの形である。

線路の両側、野洲で言えば南北ともに改札までをほぼ同じ距離で使える便利さである。

が、逆に見れば例えば南側から下りホームへの場合、

わざわざ一旦下りホームを通り越して改札口へ向かうわけでその分移動距離が伸びている。

同様にこの大阪駅の橋上駅舎の場合、例えば南側から環状線利用だと

真下の環状線ホーム上を通ってわざわざ5/6ホーム上付近の改札まで進んで再び戻る必要がある。

わだらんが帰宅時に主に使う9/10番ホームなど、

北側から来ると目の前にホームに降りるエスカレータが見えているのにわざわざ改札まで行かねばならぬ面倒くささがある。

改札内通路の南北両端にICリーダーのみでいいので改札機があればどれだけ便利かと思う。

動線を混乱させるものではないと思うのだけれど。

とはいえ、東京でも名古屋でもあるいは博多でもそうなのだが、

高架駅は一般に高架下を駅施設が使い、ホームの上は空いている。

高架下があるにも関わらず橋上駅舎を作るところが立派というか商売上手というか、とにかくあまり例がないように思う。

大屋根の作る大きな空間と合わせて、贅沢な気分になれる。

人が多いのはいいことだが、その混雑も広い空間が心理的圧迫を和らげてくれるのだろうと思う。

 

7日の夕方、買い物に出かけた折りに野洲駅近くの踏切を通ったところ、目の前を12両の788Tが通っていった。

いつもなら6両のこの電車、大阪駅多客を見込んで増結していたのだろう。

野洲では車内は空いてもうすっかり空気輸送状態になっていたが、767T〜788Tの大阪駅前後はさぞ混雑していたのだろう。

世の中震災だの原発事故だの食中毒だのとなかなか明るい話題がないが、

でも多客対応で増結する列車があることがわだらん的には十分明るい話題である。

今後も増結の必要が続きますように。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  水に映る窓の明かりも同じ速度で走っている

5/6

野洲駅の西側の位置になるのだが、上り電車が野洲川を渡り終え野洲駅に向かって坂を下りる左側に水田が広がっている。

もともと瀬田川を渡ればどこも水田ばかりでほとんど景色が変わらない(とまでいうと言い過ぎか)の琵琶湖線内も、

野洲以西では広い水田を見ることのできるところが減ってしまった。

今の栗東駅周囲は一面の水田だったし、さらに昔となれば草津も野洲も駅の湖側、

つまり上り列車での左側は駅ホームからでも見渡す限り水田であったところだ。

がしかし、今となってはこの野洲市内の水田は野洲以西では車窓から見える貴重なものになってしまった。

もちろん水田が線路際になくてもいいのだが、でも住宅地の中を走るよりは、

見晴らしのいい広い水田の中を走る方が気持ちいいではないか、と思う。

まぁ水田では景色がつまらないと思う人もいるのだろうが。

 

そんな水田で、1日に恒例のれんげ祭りを開いていた。

今年は結局天候に恵まれず、雨が降ったりやんだりの中でパッとしないものになってしまった。

とはいえ、レンゲ草を踏みながら水田の中を歩くのは面白いし、行き交う列車を眺めているのはいいものだ。

これといった目的もなく、ただ線路際で列車を待つ時間はなにかとても贅沢に思える。

きっと釣り好きの人が糸を垂れながらじっと獲物がかかるまでの時間を待つのと同じ心境なのかな、と思う。

もちろん駅で運用調査をするのも楽しいものだが、でものんびり列車を眺めているのはもっと楽しい。

水田の区画を切る道があるのだから、別にれんげ祭りの日でなくても水田を通して列車を眺めることはできるのだが、

こいのぼりがあったり、子供が遊んでいたりとなにかちょっと違う特別な日というのが、より一層楽しさを加えているのかもしれない。

 

その水田も聞くところによると近日宅地や商業地使用のための造成工事が始まるそうだ。

来年はれんげ祭りができるかどうかわからない、というか今年が最後の可能性大なのだそうだ。

何とも寂しい話だが、この水田も市街化区域の見直しをして、用途変更をかけるのだそうだ。

実際野洲市内の住宅地や商業地用地はまとまった大きさのものが新たに取得しにくい状況が続いていて、

大型小売店舗や飲食店の出店の可能性を阻害しているそうだ。

確かに甲賀市では国道沿いの休耕田がどんどん店舗になっているし、一方守山市や栗東市などでは次々住宅地ができている。

水田が広がっていても人の流れが増えるわけではないので、

地域の経済にもそして鉄道の利用客増加のためにも何ら得にならないのは十分承知している。

でも田植えが終わって水を張った水田に自分の乗っている電車の窓から漏れる明かりが映っているのを見るのは美しいものだ。

 

しかし野洲着の3520M車内はもう乗換や下車準備ばかりで、

悲しいかなせっかくこの時期にしか楽しむことのできない美しい夜の水鏡を誰も気にしていないのだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  時代考証に冷房率が役立つか、何かあった日なのだろうか

5/2

地震津波と原発事故から起きる電力使用量削減のため、首都圏の通勤電車の冷房設定速度を上げるそうだ。

暑がりわだらんとしては何とも酷な話で、なんとか関西に影響が出ないようにと自己都合を願うばかりである。

もちろん冷房自体贅沢だと言われてしまえばそれまでだが、なかなか一度快適な空間を得てしまうとそれをあきらめるのはなかなか難しい。

特に雨の日など湿度の高い混雑した車内のことを思うとぞっとする。

節電はしかたないし、協力しなければならないのだが。

 

ところで、野洲駅開業が今年120周年だということで記念行事があり、

野洲市内の銅鐸博物館で記念展示をしていて、写真の一部は野洲駅コンコースにも飾ってある。

昔、まだ北口側がないころなどの風景は今では想像できないし、そもそも橋上駅舎になって既に40年近くとなれば、

昔の駅舎を知っている方も少なかろう。

琵琶湖線内は昭和42年の草津を初めとして主要な駅はみな同じ構造の橋上駅になってしまった。

駅の東西または南北の通り抜けに便利なのは間違いないのだが、みな同じ構造では少し面白みに欠けるなどというと贅沢なのだろうか。

そんな古い写真の中に、開設間もない野洲電車区の俯瞰撮影のものがある。

最初の銅鐸博物館展示で昭和45年頃と解説してあったのだが、153系新快速が映っているので、

わだらんが47年くらいだろう、と話をしておいたものなのだ。

映っている車両は153系と113系ばかり。

左側端、17番と18番線にいるのは167系だろうか、と思う。

当たり前ながら今と全く車両が違っているのである。

 

ところが、改めてその写真をよく見ると、113系で冷房を積んでいるものが何両もいる。

そう、既に通勤電車の冷房化が始まっている頃の写真であることがわかるのだ。

関西地区の113系冷房車といえば、まず湖西線用700番台が頭に浮かぶ。

何しろ本線快速にまだ冷房車がほとんどない頃に冷房率100%だったのだから。

ところが件の写真では複数の編成内にバラばらと冷房車がいる。

700番台車なら編成単位、4両または6両編成全てが冷房車のはずである。

写真では編成内に冷房車と非冷房車が同居しているので、700番台ではなく本線快速の車であることは間違いない。

本線快速の冷房化は昭和48年以降の改造車と昭和52年以降の新製冷房車投入によるものである。

となるとこの写真はもっと時代が遅れての話であろう、ということになる。

感覚的には昭和53年頃に見えるのだがどうだろうか、もう少し研究してみる価値がありそうだ。

今は新快速にしろ快速にしろ、全てが冷房を積んでいるし、編成内で座席に差があることもない。

でも昔の113系は編成内で冷房車と非冷房車が同居し、シートピッチの狭いものも広いものも同居していた。

特に冷房車の当たりやすい列車や編成位置はおおよそ見当がついた。

それこそ運用ヲタの得意技である。

冷房車を入線時に見つけてはホームを走っていた頃をふと懐かしく思ってみたりするのである。

 

ただ、件の写真の一番気になるのはその車両の数である。

その当時、153系新快速は野洲で5本運用開始するようになっていて、実際写真にも3編成にまとまった5本の新快速が映っている。

でも車両の影からすると、撮影時刻は午前中、少なくとも早朝ではないようだ。

となると、153系も、あるいは113系も、どうしてこんな時間にこんなにたくさんいるのだろう?

ひょっとするとその理由が撮影時期を推測する一番の決定的理由なのかもしれないな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽  乗換の少ないルートがあれば素人受けできないだろうか

5/1

わだらんの仕事場で仕事で関係する方から聞いた話だが、その方が京都市内の事務所から奈良県桜井市へ出張することがあったそうだ。

車で京都市内から桜井へというとてっきり京奈和道と国道24号でとばかり思っていたが、

なんと第二京阪から阪和道、南阪奈道を経由して165号線バイパスを通って、だという。

確かに十条で高速に上がってしまうと橿原までずっと高速で、しかも渋滞するところもほとんどなく、極めて快適に思える。

とはいえ、頭のかたいわだらんではそんな経路は思いもつかず、たまには地図も見ておかねばならないな、とつくづく思う。

最近の道路、高速道路の進展はなかなか頭に入らず、

たまにこんなところに高速道路(高規格道路も含め)ができていたのかいな、とびっくりすることがある。

高速道路は着工さえしてしまえば建設ピッチは早いものだ、

といつも長岡京山崎間で交差する京都縦貫道の建設現場を見て思うことなのだが。

 

そういえば、九州新幹線の全線開業で、新八代駅〜宮崎駅間に高速バスが開業したそうだ。

新八代駅は高速ICに近いところだし、比較的渋滞の多い九州自動車道の福岡近郊をあっさり新幹線で抜けてしまうのがミソなのだろう。

もともと肥薩線吉都線経由での宮崎ルートは過去の急行えびのや特急おおよどなどで利用されていたわけで、

本来なら新八代から宮崎へ接続列車を立てればいいはずなのだが、これを高速バスでしてしまうところがなんとも悲しいというか現実というか。

明治時代の土木工事で完成した鉄道が、今の技術で建設した道路に勝てないのは残念至極である。

といっていまさら肥薩線の高速化などできるお金の余裕もないのだろうけれども。

とはいえ、高速道路ができたおかげで以前では考えられなかったようなバス路線が出てきた。

例えば京都駅から松井山手駅へのバスなど、そう遠くないのに鉄道路線ではやたら大回りの必要のあるところをあっさり短絡してしまうのは便利だし面白い。

草津駅から松下(そういえば地名は松下のままだな)立命館大学経由名古屋駅への高速バスがあれば、

両方向とも朝夕利用者がいるのではなかろうかと思ってみたりもするが。

 

しかし黄金週間だといっても最近は臨時列車がつまらない。

もちろんネタや趣味で列車を走らせてくれとは言わないが、もう少し行楽客に便利な直通列車があってもいいように思う。

みやこ路快速が桜井まで延長してもいいだろうし、名古屋発長浜木ノ本行きの直通臨時快速とかあれば今年の歴史大河ブームで成功しそうにも思う。

せめてこんな特定の時期だけでもそんな列車があれば、ニュースネタにもなって誘客にならないだろうか。

日野町のブレーメの丘でチューリップが満開なのだそうだ。

大阪からブレーメの丘へは鉄道利用ではなかなか遠い。

草津線貴生川への臨時直通快速と貴生川からの直通バスルートがあれば乗換一回でかつわかりやすく便利なのだろうけれども。

そんな日常できないルートが連休中のお楽しみで設定されないだろうか、でもやはり自家用車には勝てないか、などと妄想してみたりしなかったり。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください