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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
11年 6月
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1006. 6/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ダイヤ乱れの運休は節電ダイヤとは違うわな
1005. 6/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲から大阪は1時間という常識は指令のさじ加減次第
1004. 6/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲病院の産科病棟からも新幹線が見えるそうだ
1003. 6/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ おっさんには遠慮しないが、おねえさんには遠慮する
1002. 6/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 夢を見ることと夢を考えることは違うのかな
1001. 6/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅から始まる街づくり、かな
1000. 6/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 千里の道も一歩から、いや千里への道は新御堂筋か
999. 6/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ この列車は野洲行きですが、野洲に行くかどうかはわかりません
998. 6/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 時計は鉄道に必要不可欠な小道具、いや大道具
997. 6/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ インター出口前に大駐車場完備の商業施設へは野洲駅からバスもあります
996. 6/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新車を新車とわかってもらえるインパクトの強さ
995. 6/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 災害からの復旧を目的とせず、長く元気に列車が走りますように
994. 6/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 増水していれば流れは速いよな
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ダイヤ乱れの運休は節電ダイヤとは違うわな
6/29
いつの間にか夏至を通過してしまった。
しかしこの時期朝の訪れは早く、夜の闇は遅く、電車に乗って外を眺めるには最高の季節である。
おまけにこのところ梅雨前線が北陸東北に上がってしまっていて、気候は安定し、朝から澄んだ青空が広がっている。
もうすっかり夏の気分であるが、それでももう一度梅雨前線が南下すると踏んでいるのか、梅雨明けの話は聞かない。
ただとにかく今年は電力不足と騒がれるので、あまりに暑い日が続くのは勘弁願いたいものだ、と思う。
電車の中にも「7月1日から照明や券売機の一部をやめます」旨の案内が貼りだしてあるが、
実際のところピーク時の10%とか15%の電気量とはどれくらいのものなのだろう。
一部騒がれた節電対策の列車間引きがその後何も発表されていないところを見ると、いわゆる節電ダイヤと実施されそうにないのだが、
券売機や照明のカットと列車を間引くのではよほど間引きの方が節電できそうだが、さてどんなものなのだろう。
もちろん間引きは利用者にとっては不便きわまりないもので、そんな節電ダイヤなど実施されない方がいいに決まっているが。
ところで、今年は線路保守工事に伴う計画運休のお知らせがない。
昨年度までは例えば関西線の亀山加茂間は月に一回土曜日日中の列車の運転を取りやめていたが、今年はそれが今までのところない。
年度後半にあるのかどうかよくわからないが、少なくとも今までのところ保守運休がないのはやっぱりうれしい。
線路保守を日中に集中して行うためと運休時には案内されていたが、今はどうしているのだろう。
日中列車の隙間を塗って時間と区間を限定して作業しているのか、あるいは夜間工事なのか。
いずれにしてもそもそも保守運休を行う区間はせいぜい時間1本程度の運転しかなかったので、
短時間の工事間合いなら取りやすいのではないかとかと思うのだ。
さて、相も変わらずダイヤの乱れの種は尽きず、
今日は橋桁に車が衝突したとかで35分遅れの3506Mに乗って帰宅。
今日は大阪駅9番のりばに19:02に上がったところこの遅れの3506Mがいて、その後すぐに発車し、
その後高槻も京都も野洲も順調に場内に入って遅れの拡大はなく、35分遅れでそのまま野洲に着いた。
大阪駅で待ちぼうけを喰うこともなく、見た目遅れは何も影響はなかった。
ただ、せっかく空いている19:15の3516Mに乗るために買い込んだ酎ハイ缶は飲めずにかばんに入ったままであったのだが。
ちなみに新大阪の人身事故は影響が出る前に野洲に着いたので問題なかったのはありがたかった。
これからますます暑くなると、線路の保守もたいへんであろう。
時折暑さが原因の線路の異常が見つかって列車の運転がしばらくできなくなる事例が起きている。
ただでさえこのところまた障害が多くて列車がダイヤ通りまともに走れないことが続いている。
そこへ輪をかけて線路異常が起こればまた大騒ぎになるに決まっている。
あまり暑い日が続かないようお天気さんにお願いをしておかねばならない。
遅れている電車で足止めされていることが結局電気の無駄使いなのだから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲から大阪は1時間という常識は指令のさじ加減次第
6/26
土曜日の深夜、日付が回って日曜日になった午前1時半過ぎ、野洲駅へでかけた。
最終電車を見ようかと完全な野次馬である。
別に電車に乗るわけでも人を迎えに出るわけでもないのだが、どの程度遅れているのか目で確かめたかったのである。
結局米原への最終844Tと野洲への最終848Tがともに2時少し前着、という結果であった。
ちなみに下り923Kも約1時間の遅れで、この日に限って言えば深夜まで酒を飲んで本来なら乗り遅れたであろう人が
電車で帰ることができたのかもしれない。
とはいってもそんな悠長なことを言える人はまずなかろう。
とにかく午前中の事故を深夜最終まで引きずるというまさに酷な状況であったのだから。
事故発生など何も知らないわだらんは大阪市内に午後出かける用事があって、14:00発の新快速3259Mに乗ろうと野洲駅へ向かった。
向かったはいいが、駅に着くとどうも様子がおかしい。
13:49の783Tはまだ発車する気配どころか車両すらなく、次の3259Mの発車案内は出ているもののいつになるかわからないと案内が入り、
結局やってきたのは5分遅れの快速785T、野洲14:05の電車である。
が、その前の3257M新快速はとりあえず走っていたようで、785Tの車内は比較的空いている。
これならいつになるかわからない3259Mを待つより確実か、ととりあえず乗り込み、窓側座席を確保。
その後順調に785Tは走り、京都では後続に新快速がいると案内していたのか、乗車客は思ったより多くなく、静かな車内のまま順調に高槻を過ぎていく。
ところが、順調だった785Tは岸辺手前、おそらく岸辺の0閉塞で停められたまま今度は動かなくなった。
その間外側を2本新快速に抜かれ、どないなものかと怒っているのもつかの間、
今度は走り出した785Tは東淀川手前で外側の新快速を抜き去り、とりあえず新大阪駅16番のりばへ入線。
がホームを出たものの歩みはのろく、淀川の橋の上で停まってしまった。
外側にも新快速がいるが、これが何だか全くわからず、電車は進まず、結局大阪駅で785Tを降りたのは16:11、つまり野洲から所要2時間である。
15時の待ち合わせなどとうにどこかに飛んでしまい、もう予定は白紙になってしまった。
ちなみに帰りも大阪115分遅れの3304Mが京都場内で手間取り野洲着135分遅れと遅れが戻るどころか拡大してしまうようではもうどうしようもない。
ただ幸いにも遅れながらも帰りは所要1時間20分で帰れたことか。
とはいえ、大阪駅のホームでほぼ30分待ちぼうけ状態だったので、結局帰路もおおよそ2時間かかったことになるのだが。
11時半の事故で22時を回るまで振替輸送が続いているとは知らなかった。
電車に乗ることは大好きなのだが、停まった電車に乗っているほどつまらないものはない。
もっとも振替があるとわかっていても京都以東の状況を考えればあまり意味がないのだが。
しかしかわいそうなのは苦情苦言を一身に受ける乗務員氏や改札窓口氏。
幸いなのは「ホーム満線のためしばらく停まっております、と案内し続ければならない車掌氏が編成後ろにいることで、
もしこれが運転席横で列車のいないホームを見ながらならば「満線のため」と車内放送できるのだろうか、
と列車を放置し続ける指令の処理能力を考え込んでしまう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲病院の産科病棟からも新幹線が見えるそうだ
6/24
篠原小学校の改築工事で建築中に施工不具合が見つかった、と新聞報道にあった。
篠原小学校というのは、野洲篠原間の水田の中にある踏切の横に立っている小学校である。
つまり線路の横にあるわけで、わだらんなど踏切の音でおそらく勉強にならないだろうかと思う。
ただ、実際に篠原小学校の教室からは直接電車は見えないのではなかろうか。
教室は線路に平行であるが、おそらく廊下が線路側だろうから。
しかしこの篠原小学校、新幹線と東海道線に挟まれたなんともヲタ的な場所にある。
ちなみに篠原小学校の少し南、野洲派出(車庫)のはずれの西側には祇王小学校があるが、ここはおそらく教室から電車がよく見えるのではないか、と思う。
電車からは祇王小学校の教室が見えるのだから。
さらには野洲駅のホームからは野洲小学校が見えるが、その野洲小学校は廊下からなら新幹線も東海道線もどちらも見ることができる。
そんなわけで、野洲市内の学校はなぜか線路に近いところが多く、わだらんではとてもまともな勉学の場になりそうにない。
さらに言えば、野洲市役所のすぐ近くにこれまた保育園があるのだが、ここからは新幹線が実によく見える。
もちろん新幹線の車窓からもきっとこの保育園がよく見えるのだろう。
野洲幼稚園は線路横にあって踏切が園庭から見える。
いや、野洲市内の産科は野洲病院が新幹線の線路際、開業医が琵琶湖線から水田を挟んでの位置にあって、生まれた時点で線路際。
つまり野洲というところはヲタを生む土壌がある、と考えられるわけだ。
といいつつ、実はわだらんの出身の小学校も窓から列車が見えていた。
まだ紀勢参宮線に蒸気機関車C57が走っていた時代、わだらんが小学校に入りたての頃の話であるが、
ちょうどお昼に伊勢市からの上り824列車があり、その煙を見るのがいわばお昼の合図であった。
津というところ、今でも列車本数が多くはないが、昔はもっと少なかった。
一日に一往復の特急くろしおと一往復の蒸気列車、これがいわば時計代わりのようなものだった。
今は新幹線も琵琶湖線も列車本数が多い上に車両が画一化されて目立つものがほとんどない。
もちろんヲタ的には貨物列車であるとか、あるいは新快速であっても連結両数などで列車の特定のできるいわば時計代わりはあるのだが、
そこまで観察しているものなのだろうか。
いずれにせよ、野洲の街並みは新幹線と東海道線に挟まれた狭い地域に広がっている。
図書館も健康保健センターも新幹線と東海道線がよく見える立地にあるし、そもそも市役所が新幹線の線路際である。
市長室から新幹線が見えるかどうかは知らないが、せっかく新幹線の車窓から市役所の建物がよく見えるのだから、
野洲のPRになるものを新幹線に向けて発信できないものかなと思う。
九州新幹線の開業前に走った撮影用列車に向かって手を振るようなイベントでもあれば、市役所の屋上から手を振ってみたいものだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ おっさんには遠慮しないが、おねえさんには遠慮する
6/21
夜、新大阪駅近くで要件を済ませて帰宅しようと駅へ入る。
最初大阪20:15の3524Mに乗るつもりだったのだが、ホームに降りるとその前の824Tがちょうど入ってきた。
12両の長い編成で、そのまま乗り込んでしまった。
2号車までなんとか通路をかき分けて進むと車内はずいぶん落ち着いている。
ただ快速電車、この824Tのような12両だと、茨木で編成後方から降りる客はほとんどおらず、多くが高槻まで乗っている。
つまり、茨木で座れる可能性は少ないのである。
が、偶然なのかあるいは新大阪で降りたのか、2号車後方で空席が見つかり、そのまま座ることができた。
これで野洲まで熟睡もよし、瞑想もよし、ありがたい帰宅である。
さて、824Tの2号車は案の定高槻で大量の下車客があり、さらには長岡京でも大量の下車があって、
わだらんは車端部のボックス席を占領してほとんど夜行列車状態。
体を横にして、前に足を揃えて投げ出し、L字の姿勢で熟睡体制。
こうなってくると不思議なもので、車窓を流れる街の灯りはまるで深夜の車窓に見えるし、
視界から人が見えない静かな車内に奏でられる車輪の音はまるで夜行列車そのもののように聞こえてしまう。
この状態でいくつか駅を通過してくれれば、まさに深夜の夜行列車の車窓そのものなのだろうが、各駅停車の電車に贅沢は望めない。
まぁこんなひとときを通勤途中に味わえることで十分幸せだろうと思う。
向日町手前で抜いていった3524Mは8両編成で車内は立ち客多数。
3524Mに乗っていればこんな贅沢は味わえないものだ、とT電選択の結果に満足していたのである。
ところでこの221系も、あるいは後継の223系や225系も基本的に二人掛けの転換クロスシートである。
確か京阪初代600系だと思うが昭和の初めにロマンスシートという名でこの前向き二人掛けシートを売り出したのが今の新快速などの
転換クロスシートに繋がっているとみていいはずなのだが、まぁ登場当時はずいぶん洒落たイメージに見えたのだろうと思う。
いつもこの席に座っているとあまり感動している時間はないが、
それでももし隣にだれかかわいいお姉さん、最近は田畑智子(敬称略)がちょっといいかな、などと思っているわだらんであるが、
そんなおねえさんが座ってくれるといいものだと思う。
いや実際隣に来るのは女性であってほしいと願うわけで、概して男性、おっさんの方が体が大きく窮屈になるし、
隣近所が空いてきても寝入ったおっさんは動こうとしない。
なので隣は女性の方がうれしいのである。
なかなかそんな幸運は毎日の通勤の中ではやってくることがないが。
さてがらがらの824Tは京都に入り、2号車にも乗客がぱらぱらと入ってきた。
琵琶湖線内では編成後ろ、下り方に階段のある駅はなく、概して上り列車編成後半は空いてくる。
そんな比較的少数の乗車客の一人がわだらんの独占していたボックスに座ってきた。
もちろん他者を邪魔するようなことはなく、本来独占している状態が異常なわけだから、人が来れば姿勢を正して座り直す、これは常識。
ところが、いつもはおっさんが来ることが多い中、今日に限ってなぜかおねえさんがわだらんの向かいに座った。
おねえさんといっても583系や24系客車の生まれに近い歳に見える、若々しい感じではないのだが、小綺麗な、大人の色気を醸し出す方であった。
こうなると靴を脱いで足を投げ出すようなことはできず、かえって変に緊張してしまい、車窓を見ながら固くなってしまった。
空いている車内は石山、瀬田、南草津とさらに空いていき、草津でもう車内の客を指で数えられる程になった。
が、目の前のおねえさんは羽織った上着を脱いで、胸元を大きく開けながらしきりにスマートフォンをさわっている。
結局栗東で降りていったのだが、わだらんはその後どっと疲れてしまい、かつ眼は逆に冴えてしまって、結局寝ることもできなかった。
これがおっさんならどこかで席を替えていたのだろうが、おねえさん故になぜか動けず、かといってリラックスもできず、いいのだか悪いのだか。
空いている車内の過ごし方は案外難しい。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 夢を見ることと夢を考えることは違うのかな
6/19
時折寝ていて夢を見る。
内容がはっきり思い出せる夢もあれば何の夢を見ていたのかはっきりしないこともある。
ただあまり現実的な夢を見ることはなく、例えば野洲草津間が複々線になった夢とか
大阪駅のホームが減らないまま改良工事が終わってダイヤ乱れが早く収束するようになったとか、あんまりそんな夢を寝ながら見たことがない。
現実的なことを寝ながら考えることが良いのか悪いのかよくわからないのだが。
金曜日のことである。
いつものように野洲6:14発の713Mに乗っていた。
電車は野洲始発でいつもの通り指定席に座って気持ちよく熟睡していた。
なぜか大阪駅を降りて阪急梅田駅へ向かいながら迷子になる夢を見ていた。
入った先はバスターミナルで阪急電車の乗り場がわからず迷子になって結局出たところが阪神電車の梅田駅というなんともくだらない夢であった。
しかもいまから思えばどうもバスターミナルは福岡交通センター(博多バスターミナルなどと洒落た建物になる前のもの)で
歩いた地下街は名古屋メイチカイメージで、どうしてそんな夢を見ていたのか全くわからない。
最近遠出していないので、どこかに出かけたいという願望なのだろうか。
そんな夢を見ていてふと目が覚め現実に戻る。
と車窓には新幹線の高架橋脚が見える。
あれ、と思う間もなく電車は神崎川を渡り尼崎へと入っていく。
あわてて下車して折り返しのC電に乗ることになった。
なんとも恥ずかしい話である。
実はその前の晩、千回目の雑記帳を作ろうとしていてなかなかうまくまとまらず、ほとんど徹夜になってしまったのだ。
あれこれ気になることを捜していたのだが、適当なものが見つからず、よくわからないまま時間がどんどん経ってしまった。
そんなわけで大阪駅で目が覚めなかったのだろうか。
ちなみに考えていたのは大津市の県体育館にいるC57あたりを復活させて、京都伊勢市間にSL列車を復活させられないだろうか、とまじめに考えていたのだ。
某公共放送が時折深夜にかつての蒸気機関車の情景を放送しているが、
その中に中在家で撮ったC51の参宮快速のものがあって、客車5両を率いて補機なしで登っていた。
ならばC57重油併燃で12系5両が引けるか、いや冷房など車体が重いから無理だろうかなどとあれこれ考えていた。
なんとか参宮快速のSL復活ができれば内外の観光客に京都から甲賀伊賀伊勢へと足を伸ばしてもらうきっかけになるのでは、とずっと思っているのだが。
とずっと思いつつ、そんな夢を寝ながらみたことがないな、何か夢には区別というか違いがあるのだろうか、と尼崎からの321系車内のなかで考える。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 駅から始まる街づくり、かな
6/17
昨日の話になってしまったが、6月16日は野洲駅の120歳の誕生日である。
せっかくなら一日駅長とか、記念切符の販売とかあってもいいと思うが、残念ながらいまいち盛り上がりに欠けるものになった。
とはいえ、わだらんの雑記帳の千と一回目が野洲駅の誕生日すぐになったのは偶然ではあるが何かの因果かもしれない。
これからも野洲駅がずっと元気でいてくれれば、と思う。
ただあまりに立派になりすぎると今度はどうも遊び場としてはふさわしくなくなってしまうので、今ぐらいの規模が一番いいように思う。
改札の駅員さんがある程度顔なじみになれて、かつ列車を飽きない程度に目が回らない程度に眺められる静かなホームが遊び場にちょうどいい。
もちろん運用ヲタとしては例えば尼崎あたりの方が列車を眺めるにはいいところだが、あまりに列車の本数が多すぎて追いかけるのが必死である。
あるいは京都駅のように構内が広すぎて上下列車が同時に確認できないのも困りもの。
だから、野洲駅の規模がちょうどわだらんには合っている。
いつ行っても適度に列車が来て、のんびり列車を見ながら過ごすことができる。
ありがたいことだ。
よく鉄道の街といわれるところがある。
新津とか大宮とかが一般には有名だが、例えば亀山も多くの国鉄職員が暮らしていたし、
米原もかつては操車場に機関区、そして駅と鉄道の仕事はたくさんあった。
今では駅の改札は機械がこなし、貨車の入れ換えはなく、もちろん荷扱いや郵便扱いも無くなってしまい、
鉄道全体に職員が縮小するなか、なかなか鉄道職員を主とする街は成立しないのかもしれない。
でも逆に考えてみれば、例えば野洲の場合、車庫ができたことによって利便性が高まって街が発展したし、
名張市の桔梗が丘など電車がなければ街自体成立しなかったはずである。
つまりかつて鉄道職員で支えられた街が鉄道の街であったのだけど、今は鉄道、あるいは駅があることによって発展しているところこそ、
鉄道の街の呼ぶのにふさわしいのではないか、と思う。
ただ、どこの街も多かれ少なかれ鉄道または駅を中心として市街地が大きくなったところがあるので、
鉄道の街かどうかの線引きは恣意的というか適当なものなのだろうけれども。
野洲駅にほど近い水田地帯を市街化区域に区分変更し商業地や住宅地にするそうだ。
確かに駅から10分以内で歩ける範囲なら、水田でなくてもいろいろと土地利用する手段はあるのだろう。
ましてや新快速が停車し本数も多い野洲駅の周辺である。
鉄道の街として発展するのはうれしいことだ。
でも実は野洲駅到着前に見えるこの水田こそわだらんにとって野洲のランドマークなのだが。
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1000○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 千里の道も一歩から、いや千里への道は新御堂筋か
6/14
このわだらんの琵琶湖線雑記帳もついに千回になった。
誰も祝ってくれないし、わだらん自身記念のことを何も考えていないが、まぁめでたいことにしよう。
というか、まずはいつもおつきあいいただいているみなさまにお礼をしなければならないのだが。
さて、千と付く駅名を思いつくままに上げてみよう。
御堂筋線(通称)の千里中央とか阪急電車の北千里とか、京阪電車の千林とか、阪神電車の千船・千鳥橋とか、
南海高野線の千代田・千早口とか、和歌山線の千旦とか、ちょっと遠くなると大井川鉄道の千頭とか。
こう見るとあんまり一般に知名度の高そうなところはないなぁ。
もちろん地元利用者は誰でも知っている有名なもの、例えば南海高野線の千代田など、もともと車庫があって千代田を終着とする列車が多い上に、
先日車庫の停電騒ぎでダイヤが大幅に乱れてしまったので、まぁ高野線利用者なら誰でも知っているのだろう。
逆に高野線に日頃縁のない一般の方から見て「千代田車庫停電のため」の案内がどこのなんだか、すっと理解できる方はいないだろうと思う。
縁起がいいと特別な地名は有名になれど、一般の地名では縁起のいい特別な文字を使っていてもなかなか知名度は上がらないのかもしれない。
第一おそらく大阪人に「千」のつく地名を上げてもらうとしたら、おそらく「千葉」は出てこないのではないかな、と思う。
いや、ひょっとしたら東京の人でも千歳船橋とか千歳烏山を思い出す人も多いかな。
そう、そういえば北海道には千歳という地名がある。
千歳線という鉄道路線の名称になっていたり、あるいは千歳空港という北海道の玄関になっていたり、
ともとは小さな地名が北海道の代表の名前になっていたりする。
この雑記帳、千回になるのにおよそ6年半。
その間夜行列車の廃止や、地方鉄道の廃線などいいことばかりではなかったようにも思うが、まぁのちにその当時を思い出す材料になればいいか。
そしてこれからまたしばらく続けていこうと思います。
千里の道も一歩から、これからもみなさまどうぞおつきあいよろしくお願いします。
そういえば養老公園のそばに千歳楼という旅館がある。
これをちとせと読まずせんざいと読むのだが、宿は由緒ある昔から続くもの。
一度泊まってみたいものだが、ちょっと値が張ってわだらんには手が出ない。
せんざいという響きがちとせとは違う奥ゆかしさがあるように思えるな。
もっともせんざいが千歳と書くから響きがいいのであって、前栽と書くと近鉄電車の小さな駅になってしまうのだが。
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999○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ この列車は野洲行きですが、野洲に行くかどうかはわかりません
6/12
国鉄末期、増収策でいろいろな企画があった。
多くは記念切符など物品類の販売とそのイベントであった。
わだらんはあまりそんな会場へ足を運んだ経験はないが、この頃が今から思えば最も容易に一般人が現業職場に入れたのではないかと思う。
というのも機関区や車両工場で何度となく撮影会とか見学会があって、簡単に車両基地に入ることができたのである。
が、これらの話は地元の小ネタで、あまりマスコミで派手に取り上げられるものはなかった。
ところが、そんな増収企画の中に「銀河鉄道999号ミステリートレイン」と銘打ったものがあって、これは当時大騒ぎになった。
上野発、行き先不明の臨時列車を仕立てて、某漫画の999号に見立てたものである。
ちなみに客車は12系、機関車はEF65と某漫画の列車とは似ても似つかぬ様相であるが、
参加者にも行き先を明かさないということでマスコミにも大きく取り上げられて、興行的には成功したものだ。
もちろんその列車が成功したところで巨額赤字を埋めるまでには当然至らず、
やがて国鉄は分割されてしまうのだけれど、そんな企画が出ることがいろいろと話題になったものだ。
ちなみに当の列車の目的地は烏山で、なぜ烏山が選ばれたのかわだらんは詳しく知らないが、
とにかく1979年7月の2日間、烏山駅が大騒ぎになったのは間違いない。
ちなみに一般客にはどこだかわからないよう烏山駅の駅名板を付け替えていたそうだが、
おおよそのヲタには烏山であろうことは事前に容易に推測できたようである。
その後この列車の成功に倣って各地でミステリー列車が運転されるようになり、
あるいは主には日帰りのバスツアーで行き先を明かさないミステリーツアーなどが流行るようになった。
どこに連れていかれるのかわからないツアーが楽しいのかどうかわだらんにはわからないが、
まぁ楽しめる人たちがいるのは事実で、夕刊の広告などではヒントの食べ放題とかプレゼントの文字が踊るものが盛りである。
そんなツアーでもきっと日本を元気にする経済効果は何かしらあるはずなので、たくさんの旅行客があちこち数多くいることを願うものだ。
しかし、先の震災であれだけ意に反して命を落とされた方々がいるのに、未だに列車に勝負を挑む人たちが無くならないのはどうしたわけだろう。
10日は山科駅の西側に人がいたそうだし、今日12日は須磨海浜公園駅のホームのない列車線に人がいたそうだ。
そう簡単に列車に勝負を挑んで勝てるのは思えないのに、事故が減らないのはどうしたものだろう。
そしてその事故のたびにダイヤは大幅に乱れ、列車整理は大騒ぎである。
そして乗客の願いもむなしく列車が運休したり行き先を変えたりと、ばさばさ切られていくのである。
ダイヤの回復のためには致し方ないことであるが、まさか自分の乗った電車がどこ行きになるかわからない、ミステリー列車では困りもの。
列車は決められた時刻通りに走るのが本来の姿であって、行き先不明はイベントの世界だけで十分である。
というわけで、本日が999作目。次回は1000回ですが、みなさんに支えられているにもかかわらず、記念品も企画もありませんことをお許し頂きたく思います。
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998○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 時計は鉄道に必要不可欠な小道具、いや大道具
6/11
10日は時の記念日である。
近江神宮に天智天皇に由来する時計の博物館があるのだが、地元であるにも関わらずまだ行ったことがない。
671年に初めて水時計を作ったそうだが、それまでは日の出日の入りの感覚だけで生活ができていたのだろうか。
さらには時計が一般化したのはいつ頃なのだろう?
少なくとも1872年に日本で初めて鉄道が開通したときには一時間おき、かつ途中川崎で上下すれ違いをするダイヤを組んでいたので、
時計が各駅にあり、乗務員に配布されていたのだろうか、と思う。
もっとも鉄道の開通当時は列車の発車15分前(違ったかな?)に駅に来ていなければ乗れなかったそうで、駆け込み乗車などなかったのだろう。
列車の定時性はおそらく開通当時からずっと変わらないと思われるのだが、おそらく列車利用の意識はどんどん希薄になっていたのだろうと思う。
少なくとも今の「駆け込み乗車は許しません(意訳)」とホームで連呼する某新幹線会社であっても、
新幹線が走り出した当時は駆け込み乗車などあり得なかったのだろうと思う。
新幹線ですら駆け込み乗車が出てくるのはそれだけ新幹線が通勤電車化した証だろうか。
ところで、駅には時計がある。たいていは改札前にあって、列車の発車案内とともに駅の顔である。
もちろん野洲駅にもあるし、駅の大小を問わずどこにもあると思う。
駅の時計の多くは昔ながらの針時計で、やはり見やすいと思う。
大阪駅の改札上はデジタル表示だが、なにかどうも安っぽく見える。
大きなシンプルな時計、例えば新大阪駅3階コンコースの時計がわだらんのお気に入りで、やはりわかりやすさ、
遠くからの判別のしやすさではアナログの方がいいのかな、と思う。
デジタル時計はあまりデザインとか風格とかを醸し出すのは難しいのではなかろうか、と。
大阪駅新北ビル内や橋上駅舎上にある広場に設置された時計はやはりアナログの針時計である。
広場にデジタル時計は似合わないのだろうか。
そういえば大阪駅の主要な改札は高架下にあって天井高さが低い。
高架下の比較的狭いスペースでも映えるすてきな時計、いろいろ捜してみようか。
あれ、京都駅烏丸口はどんな時計だったかな?
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997○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ インター出口前に大駐車場完備の商業施設へは野洲駅からバスもあります
6/8
1000円高速乗り放題がもうすぐ19日を最後になくなるそうだ。
同様に地方区間の無料化区間も実験終了である。
結局無料化実験は成功なのか失敗なのかきちんと整理させずにうやむやになりそうだが、
少なくとも伊勢神宮周辺はこの高速料金値下げで観光客は大幅増加だったようで、
ある程度地域活性化には役立ったのかもしれない。
とはいっても鉄道から見ればもともと利用客が落ち込み続ける中でさらに観光客が車に転移してしまってはなかなか苦しいようだ。
さっそく北近畿タンゴ鉄道は高速料金値下げ実験中止に歓迎のコメントを出したが、
高速料金が戻るとむしろ全体の入れ込み数が減ってしまうのではないかとちょっと心配したりする。
せっかく山陰線福知山線特急に新車287系を入れたのだから、車から少しは転移があれば新車投入の甲斐があったというもの。
でも新車が入ったから電車で出かける観光客はいないだろうしなぁ。
まぁわだらんにはあまり1000円乗り放題も地方無料化も関係なく、むしろ通勤割引や休日半額がそのまま残ってくれるのでありがたいと思う。
日曜日、瀬田の県立図書館へ自家用車で行って来た。
時折本や資料を探しに出かけるのだが、よく高速を使う。
野洲から瀬田まで高速道路利用とは少し贅沢に見えるかもしれないが、栗東から瀬田東まで休日半額で200円。
これで渋滞しがちな栗東草津市内の1号線を走らずに済むのはありがたい。
時間も楽だが、渋滞がないのは運転も楽だ。
1000円乗り放題よりも短距離無料にしてくれた方が、よほど生活に密着していると思うのだが。
しかし文化ゾーンなどと聞こえの言い名称を付けてはいるものの、とにかく県立図書館のあたりは不便である。
瀬田駅からバスはあるが、運転間隔は不定だし、休日は本数減るし、いいことがない。
なにより駐車場よりバス停のほうが遠いというのはどうしたものかと思う。
まとまった土地が必要なので山の上に作る理由はわかるのだが、でも不便では困る。
公共交通が不便だから自家用車が増えて公共交通がより不便になる、という図式は決して地方だけではないようだ。
風光明媚な観光地や昔から伝わる名刹などは動かせないだろうけれども、公共施設などはもう少し立地や交通手段を考えてもいいように思うが、どうだろう。
税金で作るものならなおさら利用しやすいところにつくってもらえるとうれしいが、でも逆に車が不便では困る人も多いだろうし、難しいものだ。
ちなみに高速料金の休日半額割引は継続なのだが、どうもみんな1000円廃止ばかり目がいっているように思う。
高速利用者がどの程度減るのかわからないが、でも1000円がなくなってはおそらく竜王IC前の某商業施設は遠来の客が減りそうな気がする。
まぁ1000円がなくなったら単に東海や北陸からわざわざこなくなるだけで、
決して1000円高速の代替で野洲駅からバスで某商業施設へ向かう人は増えないのだろうなぁ。
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996○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 新車を新車とわかってもらえるインパクトの強さ
6/6
運用ヲタが列車の運用を追いかけなくてどうすると怒られそうだが、日頃225系を見る機会は多くてもそれをきちんと記録していない。
つまり結果的に225系がくるかどうか通勤利用では単に偶然となる。
もちろん運用を追いかけていればどの列車に入ってくるか事前に見当つくわけで、それを待っていれば確実に225系に逢えるのだけれども、
そこまでこだわっていないということだ。
確かに225系はそれが新車である点を差し引いても快適で、選択できるのなら225系を選ぶのだが、
でも223系がだめというわけでもなく、だからこだわりがないのである。
これがもし冷房車と非冷房車なら当然運用を追いかけるのだろうけれども。
月曜日、夜歯医者の予約を取っていたので、朝少し早めに出て仕事を片づけようと野洲5:57の709Mに乗ろうとホームで待っていると225系がやってきた。
朝からいいことがあるかと思っていたところ帰りの17:45の3498Mも225系でやってきた。
つまり偶然ながら通勤の往復を225系で、しかも野洲大阪間を往復とも着席で過ごせたわけである。
ありがたいことだ。やはり何となく落ち着いた、揺れの少ない静かな車内は225系の特徴である。
何か落ち着く気がするのは贔屓のせいだろうか。
ところで225系は車内に案内と広告を流す画面がついている。
以前も書いたようにこの広告の交換頻度は結構高いようで、先週乗ったときと既に中身が違っている。
だからこそなのか、単に目新しいだけなのか、車内での注目度は結構あるようで、観察していると多くの人が広告画面を見ている。
なかなか広告媒体としては有効なようで、少しでも広告収入が増えれば副業でも稼げるのだろう。
わだらん自身、某ハンバーガーチェーンで週変わりランチがあることを225系の広告で初めて知ったのである。
この車内画面のおかけで、乗り込んだ客が「新車」と気づく例は極めて高いようだ。
通勤帰りのおっさん連中も、女子高校生の集団も、新車どうこう、と会話している。
認知度が高いのはいいことなのだろう。
これが貴重な本線だからこそかもしれないし、逆に225系に当たりやすい阪和線内ではここまでもう騒がれなくなってしまったのかもしれないが。
その225系が乗務員訓練でJR東海管内に貸し出されているそうだ。
近々大垣直通にも225系が入ることになるのだろう。
ということはまだまだ大垣直通は残るということだろうか。
225系の案内表示や広告が東海線内で何か変わるのだろうか、
初めて225系に乗った乗客のみなさんは驚くのだろうか、ちょっと楽しみである。
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995○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 災害からの復旧を目的とせず、長く元気に列車が走りますように
6/5
世の中災害天災の種は尽きず、それによって命を落とされた方の数は数えきれない。
先日の報道であらためて思いだしたのだが、雲仙普賢岳の大火砕流からもう20年なのだそうだ。
報道陣の後ろで黒い噴煙を上げている映像を見たのがつい昨日のような気がする。
噴火とその災害があるまで雲仙普賢岳という山をあまり気にしたことがなかった。
九州新幹線部分開通前に特急つばめのビュッフェをもう一度味わっておかねばならぬと出かけたところ、
天気も良く有明海の先に見える赤茶けた様相の山を見つけては、あああれがあの雲仙普賢岳か、と感慨に耽ったものだ。
いや逆に言うとそれまで何度となく玉名長洲のあたりの鹿児島線に乗っていたのに、
島原半島を意識して景色を眺めていたことがなかったということだ。
まぁ海を隔てても容易に姿が見えるほど近いが故に、雲仙普賢岳の噴火で
対岸の肥後で死者が出る災害が江戸時代にあった、とあとで調べて知った。
噴火で津波が起きて大量の方が対岸の肥後で亡くなられたそうだ。
まさか海の向こうの噴火で海が襲ってくるなどとだれも思わなかったのだろう、
と海沿いの風光明媚な景色を楽しめる車窓を思い出してみた。
もうすぐ東日本大震災から3ヶ月になる。
東北の鉄道も幹線系の復旧はかなり進み、新幹線の徐行区間も少しずつ減ってきているようだ。
とはいえ、海沿いの線路はまだほとんど手つかずで、このさきどう地域が復興していくのかも含めまだ開通まで時間がかかりそうだ。
JR東日本は被災の全区間を復旧させると社長が明言していてそれはとてもうれしいことだが、でも実際いつになるのだろうか。
もちろん海沿い区間が開通したらわだらんも乗りに行きたいと思う。
しかし気になるのは先の雲仙普賢岳の大火砕流で流された島原鉄道の線路をお金をかけて復旧させたのに、
のち10年ほどでその区間が廃線になってしまったことだ。
この島原鉄道南線の廃止はもともと被災地以外の区間も長く、普賢岳災害が直接の理由ではない。
せっかく大火砕流同様の土石流が来ても大丈夫なようにわざわざ路盤を上げ、ワンスパンの橋梁を架けたにも関わらず、いまやもう列車が走ることはない。
一時期この被災地区間でトロッコ列車を走らせていたりしたのだが、沿線人口の減少と流動の変化にはついていけなかったようだ。
風光明媚なところなだけに残念に思うが、路線維持は難しかったのだろう。
そんな例を見ていると、今回の地震津波から復旧した区間の将来が少し気になる。
東北沿岸部に明るくないわだらんなので的はずれかもしれないが、
でもせっかく鉄道が復旧しても地域が元気でないと、結局は鉄道が維持できなくなるのではと心配してしまう。
東日本大震災から無事復旧を果たした鉄道の末永い繁栄を願わずにはいられない。
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994○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 増水していれば流れは速いよな
6/1
6月になる直前から梅雨に入って雨模様が続いている。
せっかく野洲駅近くの川で蛍が飛び始めたのに、雨の中では光ってこそいるものの乱舞にはならない。
でも雨は稲作に必要不可欠だし、もちろん人間にも必要だし、この時期雨の日が多いのはしかたがないことだ。
とはいえ、あまり大雨が続いて被害がでるのも困りものだし、琵琶湖は流入量多く南郷洗堰はこの数日ほぼ解放状態なので、
新大阪を過ぎ上淀川橋梁を渡ると、新淀川の水の多さに驚いてしまう。
もちろん洪水になるほどではなく、心配は不要。
とはいえそんな川を見ていると、ずっと淀川水系で水がつながっているのだな、と思う。
淀川右岸を走る東海道線に乗っていると、同じ水を2回以上見ることが多い。
野洲川の水は瀬田川と新淀川で3回見ることになるし、大原や亀岡の水も鴨川や桂川と新淀川で2回見ることになる。
あるいは新淀川でなく神崎川に入った水を見ることになるのかもしれない。
川と線路は似たような経路をとることが多いからなおさら車窓から見える川の水を気にしてしまう。
そんなことを考えながら雨の中野洲まで帰ってくると、野洲駅の手前西側の水田が目に入る。
乗っている3512Mは野洲駅2番着で、この水田の真横にある野洲駅場内信号で注意現示を進むので、この水田をまさにゆっくり見ながら野洲駅へ入って行くわけである。
日の長い6月とは言え、さすがに夜8時前にもなるとあたりは暗く、水田の先にある飲食店のネオンサインが田に貼られた水面に映って輝いている。
野洲駅のあたりは標高100m、この水田を潤した水はやがて100mを下って大阪湾に注いでいくわけだ。
野洲から大阪湾までどのくらい時間がかかって流れていくのだろうか?
気にしてみても調査する方法が思いつかないなぁ。
琵琶湖博物館に聞いてみるか。
ところで2004年12月から始めたこのわだらんの雑記帳、今回がついに994回、今月中に1000回になりそうです。
いつもおつきあいありがとうございます。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |