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2011年  11

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1066. 11/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   夜の電車が混むのは乗る立場以外なら歓迎されるべきことだろう

1065. 11/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   始発だから座れる、当たり前だがとても大事

1064. 11/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   観光地図で正確な縮尺のものはまずない

1063. 11/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   丹波橋なら特急停車駅

1062. 11/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   編成が長くてもあまり混雑が変わらないのは残念

1061. 11/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   1984年当時の草津駅には貨物ホームがあったはず、だよな

1060. 11/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   世間はそろそろ騒がしい季節

1059. 11/2  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   日の出を拝める季節に東西南北を考える

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   夜の電車が混むのは乗る立場以外なら歓迎されるべきことだろう

11/29

静岡在住の旧友が大阪に出てくるというので、土曜日の夜に野洲から梅田に出て行った。

川西市の能勢電沿線生まれの旧友であるが、就職して名古屋と静岡の間でずっと生活していて、梅田界隈も20年ぶりだという。

阪急梅田駅のあたりは駅下の商業施設も含めて昔と変わっていないし、阪神百貨店も昔のままである。

とはいってもまず阪急梅田駅につながる大阪駅からの歩道橋は大阪駅取付け部ががらっと変わってしまったし、阪神百貨店へ渡る歩道橋も市バス乗り場の上に商業施設ができていたりと雰囲気が異なっている。

そして最大の驚きは大阪駅北側にできた大きな空間で、専門店と百貨店の間から大阪駅を眼下に見下ろす景色は今までにない新鮮なものになったようだ。

わだらんは毎日通勤で通り向けているからそれ自体に驚きはないものの、変わりように驚く旧友の姿を見てちょっと時の流れを感じてしまった。

 

とはいえ、も30年にもなる付き合いは、お互いの気心も周囲の環境も分かり合う関係となり、心地よい酔いとともにしばしなんとも落ち着いた優しい時間を作ってくれた。

お互い歳をとって、静かに語り合える飲み方ができるようになったものだ、若いころ騒ぎながら酒を飲むのはまた違うものだ、と思う。

もっともそれは相手によって変わるもので、たとえば女性相手で飲むのならまた変わった雰囲気になるのだろうけれども。

 

そんなわけで、遅い時間の大阪駅を帰路の新快速に乗るため歩いていた。

さすがに年末近くになったのか、あるいは土曜日なのだからか、いつもの通勤時の様子とはずいぶん人の量も流れも違う。

もちろん平日であっても、遅い時間になれば酔い客が増え、人の流れが遅くなりがちではあるが、それでも方向別に一定の人の流れができている。

が、集団で固まっていたり、あるいは方向をまごついて立ち止まる客が改札前にたまったりするのは、いつもと違う、土曜のしかも遅い時間の様子なのだろうかと思う。

 

さらに驚いたのは8番ホームに上がっての様子である。

22:403320Mに乗ろうと22:35にホームに上がってみると、すでに長い列がホームにできている。

直前に842Tが出たばかりなのになんでこんなに人が多いのだろうかと思う。

しかもざっと列を見たところ若い人が多い。

もちろん土曜なら勤め人の姿は少ないのだろうけれども、その分を補って余るくらい若い人が多い。

それはそれで活気があっていいことだと思うが、のんびり帰ろうと思っていた身にはちょっとしんどい。

結局12両編成の最後尾1号車の一番後ろの扉位置に並んで、なんとか座席は確保できたものの、1号車ですら立ち客が扉付近に大量にいて、平日夜の12両新快速よりまだ混んでいるのはないかと思えるくらいよく乗っている。

先日遅い電車の乗りが悪いと書いたのだが、今日の様子を見る限りずいぶん乗っている。

もっともこれが季節要因による一過性のものなのか、あるいは土曜休日は遅い時間の電車でも混んでいるのかよくわからない。

電車が混んでいるのは乗る立場ではあまり歓迎されないものであるが、鉄道経営からすればある程度仕方ないものなのかもしれない。

まぁ乗る電車が12両だから助かるわけで、もし8両ならかなりの混雑になっていただろう。

 

いずれにしても、そろそろ世間はあれこれ忙しい季節になってきた。

大阪駅のあちこちで年末のイルミネーションが輝いているし、クリスマスや年末のイベント行事告知のお知らせもいろいろある。

大阪駅の駅ビル開業が集客にどの程度寄与しているのか見当がつかないが、この土曜日だけ見る限りはまずまず成功なのだろうかと思う。

それよりなにより3320Mに野洲まで乗りとおす人が多く、そして野洲駅のホーム待合室がちょっとした混雑になっている姿を見てちょっとうれしくなったわだらんである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   始発だから座れる、当たり前だがとても大事

11/28

金曜日の朝のことである。

いつものように713Mに乗ろうと野洲駅に着いたところ、改札前に子供を連れた母親の姿がある。

それも複数。

どうやら一グループ4世帯の10人ほどの小旅行だったようで、わだらんと同じように713Mの最後尾8号車に乗り込んだ。

さすがに最初のうちは大声を出して話していたが、守山栗東と乗客が増え、子供たちもその周囲の静けさに圧倒されたのかずっと静かになった。

とはいえ、通勤客にとってはいつも乗っていない一見客が座席を使ってしまっているわけで、草津で既に着席できない客が出て、南草津では空席を求めて右往左往する状態になった。

結局その子供たちは大阪駅まで乗ってたので、おそらくは此花区の某遊園地にでもでかけるのだろうか、と思う。

ちなみに野洲小学校は23日勤労感謝の日が参観日だったので、その振替休日を利用した親子なのかな、と思う。

子供たちにとっては途中駅、特に茨木発車後の車内の様子や、大阪駅の人の混雑ぶりがどのように映ったのか、ちょっと気になるところである。

おそらくはいわゆる満員電車というのには縁がないだろうし、そもそも通勤ラッシュという概念があるのかどうか。

もっとも座っていてはその混雑度はなかなか体験できないだろうから、なかなかピンとこないのだろうけれども。

 

しかし野洲というところはなかなか便利なところである。

普段電車に乗らないような人や子供たちでも、とりあえず始発電車が選べる状態ならかならず座れる。

もちろん守山でも野洲始発の電車ならまず座れるが、ただ守山の場合野洲始発かどうかが駅掲示の時刻表では判別がつかないので、始発駅を見分ける工夫が必要になる。

野洲駅の場合、始発列車は掲示の時刻表に明記してあるので、なんら工夫なく誰でもわかる。

そして座席も一部の列車を除けば好き放題取り放題である。

件の子供グループにしてももし野洲始発でない電車、前後の711M715Mなら、まとまった空席を見つけることはまず不可能であるから、いかに始発が便利かであろうかと思う。

 

始発といえば先日中津に朝出かける用事があって、新大阪から御堂筋線に乗った際、新大阪のホームに列ができているのを見てびっくりした。

電車がついても列が動かないからである。

よく見ると今目の前の電車の次は新大阪始発のようだ。

つまり東三国以北、あるいは新大阪駅乗車の客がホームに一回降りて次の電車を待っているようなのだ。

地下鉄御堂筋線といえば大阪で最も混む地下鉄であるが、でもそんなに乗車時間が長くはないように思う。

というか南行なら難波までが勝負で、それ以南へならどこかで空席が出るだろうから、そう長い時間立っていることもないだろう。

でもそんな短い乗車時間でも座るために行列ができるというのはよほど座るほうが混雑した中に立つのに比べて楽なのだろう。

新快速やT電などは殺人的混雑とまでは言わないものの、それでも立っているより座っているほうがずっと楽なのは間違いない。

座るための努力、これも通勤時間帯のヘビーユーザーでないと出てこない一つの生活の知恵である。

もちろんわだらんは何の苦労もなく座席に座って、高槻茨木からの通路やドア付近の混雑ぶりなどに縁がないのである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   観光地図で正確な縮尺のものはまずない

11/23

今年は紅葉の色づきがいまいちよくない、と人から話を聞いた。

もちろん一人の感想なので正確でないのかもしれないが、でも全体的に暖かいように感じるのは気のせいか、暖かいと紅葉の進みも悪いのだろうか。

さすがにこの数日朝は冷え込むようになったから、色づきが進むのかもしれない。

いずれにせよ、また京都市内がまた大騒ぎになるわけだ。

相変わらず東山通の渋滞は打つ手がないし、市バスは楽に乗れないし、どうしたものかと思う。

思い切って区域限定で自家用車を排除してもいいような気がするが、外からの人間があれこれ思っても地元の思いとは違うのだろう。

野洲駅にも鉄道ネットワーク利用のポスターが貼ってあるが、どうも京都市内、特に遠来からの不慣れな客については鉄道利用がしにくいように思う。

それでも今は嵯峨野線や奈良線が本数が増えてまだ使えるようになったからましなのかもしれない。

わだらん的には今熊野に駅があれば便利で、かつ京都駅の混雑緩和にならないかと思うのだが、どうだろう。

もし今熊野に駅があれば、東山通に直接アクセスできるわけで、少なくとも清水からの帰りに京都駅を通らなくてもJRに乗れるのは便利だと思うのだが。

とはいえ、駅の構想自体はずいぶん昔からあるものの、なかなか進まないのはいろいろと地権者や地元の都合なのだろうか。

 

今熊野にほど近い東山七条から少し山に入ったところに比較的希望の大きい学校がある。

昔からの女子校で、市電が健在だった時代は東山七条の電停とその女子校の学生はよく写真にとられていたものだ。

そこへ新規参入のバス会社が京都駅八条口から路線バスを持っている。

京都市からは「黒字部分のみの新規参入」とずいぶん叩かれたものの、ずっと続いているし、少しずつ路線拡大が進んでいるので、まずまずうまくいっているのだろう。

ということは東山七条と京都駅の間は輸送需要があるわけで、いままで京都市交通局がとりそびれていたとも取れるわけだが、通勤通学需要と観光需要は微妙に異なるのかもしれない。

 

ところで今回京都市域の電車バス一日乗車券が新装開店している。

JRも利用できるようになって、ずいぶん便利になっている。

とはいえ、2000円は少し高すぎるのではないかとも思う。

もちろん遠来の客からすれば、一回2000円払ってしまえばあとはいちいち切符を買う必要がないので、便利であることは間違いないが、はたして多くの場合元が取れるのだろうか。

JR西のHPにあるモデルコールは確かにお得になっているが、一日のしかも混雑した時期にこれだけ回れるのかどうかちょっと疑問。

ちなみに東山通が渋滞時は京都市交通局が南行西行の市バス乗客対象に東山三条で地下鉄振替切符を出してくれるそうだし、慣れた客には2000円は高いか。

もっとも慣れた客はピンポイントで出かけるだろうから、市営限定一日券すら買わないかもしれないが。

 

いずれにせよ京都の公共交通は難しい。

わかりにくさがより一層混雑を招いているようにも思うが、遠来の方にはどう映るのだろう。

ところで、京阪へ京都駅からどう行くかの話を書いたところ、七条まで歩くよ、とお話をいただいた。

確かに15分程度で歩けるのだし、特急停車駅で列車の選択も広い。

でも遠来の方には京都駅と京阪七条駅の位置関係を把握するのは無理だろうなぁ。

ちなみに東山七条へは新規参入のバスも利用できるのだが、京都駅乗り場が八条口では一見さんには難しい。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   丹波橋なら特急停車駅

11/21

いつも能勢電に乗っている人間と所用があって先日三国へ出かけた。

終わった後は時間に余裕があってわだらんは新大阪まで歩いていき、電車利用としては何も問題はなかった。

ところが翌日能勢電利用者は三国から川西能勢口までずいぶん時間がかかった、とこぼしていた。

のちのち阪急HP上の時刻表で調べてみると、いつも梅田から急行で22分のところ、三国から能勢口まで途中退避を食らった上に石橋乗り換えで26分かかっている。

しかもいつもなら急行利用なのにすべての駅に停まっていくのは確かに面倒に思うのかもしれない。

このような例は多いというか、往々にして優等列車の停まらない駅から路線の主目的駅と反対方向へ向かう場合結構厄介なことは多い。

例えば阪神電車は梅田への接続を優先にしているから、退避駅をまたいでの途中駅どうしの各駅停車利用はかなりの時間がかかるものだし、

近鉄大阪線など奈良県内から久宝寺口とか長瀬とか朝夕だとずいぶん遠いように思う。

ちなみに休日日中のダイヤで、大福長瀬間が約60分、大福鶴橋間が急行利用で50分である。

 

さて、そんな先日のおでかけのことを思いだしたのは、車内でひらかたパークの吊り下げ広告を見たからである。

最近よく京阪電車の広告をJR内で見るので珍しいことではないのだが、ふと東福寺から枚方公園まで36分という文言に目が行ってしまった。

野洲に電車が着いて終着の少し時間のある間に広告をよく見ると、確かに細かい字で丹波橋と枚方市で乗換が必要、とある。

そもそも細かすぎて注釈が読めないのも困ったものだが、乗換ばかりというのも困ったものだ。

とはいっても、最短時間表示とならば乗り換えが必要であるし、だからといって普通電車で東福寺から枚方公園まで延々と行くのも楽でないし、

非日常だからこそある程度許されるのかもしれないが、JRの京都から枚方公園まで東福寺での乗換も含めて3回というのはさぞ面倒なのだろうな、と思う。

 

とはいえ、基本的に流動の多い区間が便利になるようにダイヤを組むのも当然で、対京橋なら京阪の普通電車しか停まらない駅、例えば東福寺でも乗換1回で最短所要時間となるが、

普通電車しかとまらない中間駅の相互利用だと、特にその区間距離が長くなればどうしても一部区間を優等種別に乗る必要があるだろうから、最短時間となると必然的に乗換回数が増える。

万人に便利なダイヤや列車種別と停車駅を組むのはなかなか難しいものだ。

 

ところで、わだらんは京阪へ京都駅からというと近鉄で丹波橋と思うのだが、実際丹波橋と東福寺とどちらが便利なのだろう?

乗り較べたわけでないので安直には言えないが、過去から慣れた方は丹波橋利用が多いのではないかな、と思うのだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   編成が長くてもあまり混雑が変わらないのは残念

11/18

17日木曜日の朝のことである。

いつものように713Mに間に合うように野洲駅の2番ホームに下りたところ、車掌氏がいない。

あれ、とよく見るとホームの端にいる。

立つ位置を間違えたか、何か探し物か?などと思っているといつものように221A編成が401運用表示で入線してきた。

なんだ、いつもどおりではないかと車掌氏の位置を不思議がっていると、あれあれ、2218連のあとに2234連がぶら下がっている。

そう、つまり今日の713M12両編成、これで車掌氏がホーム端に立っているのも納得できるわけである。

いつもの713Mに較べて今日は座席数大幅増!

とはいえ、後ろが座席数の少ない223系であるところが少し気になるところであるが。

 

琵琶湖線から京都線下りはホームの列車停止位置が比較的後ろ合わせの駅が多い。

つまり編成が長くなるとホーム下り方に停まるかどうかで、後ろよりは常時停まっているパターンの駅が多いのである。

なので、たとえば野洲始発の日中の新快速12両編成などは、京都を過ぎても先頭車はがらがら、というケースが多い。

ちなみに後ろ合わせは草津、石山、山科などがそうで、確か南草津も後ろだった気がする。

さらに京都も朝早い時間はホーム前よりにはあまり人がおらず、高槻もメインは編成後ろ側である。

加えると、朝の大阪駅はどちらかというと中央口より御堂筋口の方が混雑していて、列車も全体に後ろよりが混んでいる。

例えば713Mの前後の米原発711M715M、あるいは新快速始発の3405Mなどは後ろよりが野洲時点でかなり埋まっていて、乗っている人たちはそのまま大阪まで席を立たない。

そんなわけで、せっかく長い12両の713Mであるが、わだらんが乗っている11号車は石山を出てあまりいつもの8号車と変わらない混雑になってしまっている。

となると座席数の少ない223系は草津や石山からの客にはちょっとかわいそうである。

これが223+221の組み合わせならまた違うのだろうけれども。

 

ともあれ、編成が長いこと以外は平穏な713Mは無事に大阪駅に着き、7:30であっさり切られるICOCA早起きキャンペーンの登録もできてめでたしめでたし。

でもICOCAのキャンペーンがなかったらわだらんは先頭1号車で贅沢な通勤ができたのに、とちょっと残念。

なにせ水曜日は新大阪までほぼ定刻だったのに、トラックの橋桁衝撃で10分遅れ、やっぱりキャンペーン登録機の電源は落ちていた。

事情が事情なんだから遅れの日はもう少し伸ばしてくれてもいいのにまでに、とぶつぶつ文句も言いたくなる。

せめて5分くらいの余裕があれば、混雑する大阪駅ホームを歩いても間に合いそうだが。

いつも713Mでエスカレータに近いところに乗っているのに、車外に出てエスカレータにたどり着くまで結構時間がかかる。

そんなわけでせっかく12両に長くなったのに、それが有効に利用できないのはくやしいものだ。

でもなんでこの日に限って12両なのだろう?

前夜にダイヤが乱れたとも聞いていないし、いい話なのだが、でも疑問である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   1984年当時の草津駅には貨物ホームがあったはず、だよな

11/15

昨日の話になってしまったが、いまから27年前、1984年の1114日は大騒ぎの日であった。

もっとも当日は協定が結ばれていて報道がなかったので、世間は大騒動を知る由もなかったし、わだらんはそんな報道協定があったこと自体、つい最近のテレビ番組で知ったことなのだが。

つまりこの日、正確にはこの日の夜はかいじん21面相が滋賀県内を舞台に大騒ぎしていた日なのである。

ハウス食品への脅迫状によって、犯人たちと警察が大津サービスエリアから栗東インター手前までの名神高速とその周辺で激しい動きをしていた日である。

先日某公共放送局が事件の特集番組をしており、ご覧になられた方も多いかと思う。

番組を見ながら事件のことを思い出しつつ、断片的に出てくる当時の映像が、やたら懐かしかったりするものであった。

大津サービスエリアはもちろん位置こそ昔と変わらないが、建物の中は今とずいぶん異なっていたものだ。

ドラマの中では秩父鉄道で撮ったと思われる国電車内の様子や、京葉線(蘇我?)を京都に見立てたものも出てきて、細かいところはいろいろあるものの、なかなか手が込んでいるとうなってしまった。

そう、当時のC電、京都西明石間の普通電車は103系がまだまだ多かったし、そういえば冷房車はまだ少なく、電車は窓を開けるのが当たり前であったなぁ、と思う。

ついでに当時の草津栗東あたりを航空写真(国土情報ウェブマッピングシステム)で見ると、まだまだ田畑が広がり、のどかであった様子が手にとるように見える。

もちろん今でも高速道路の周囲が静かな草津JCTと栗東ICの間は事件当時とあまり車で走ると印象は変わらないのだが、

事件当時はまだ草津の駅前に背の高いマンション群はないはずで、今よりもっと田園風景が広がっていたのだろうと思う。

もっとも事件当日の動きは夜なので、眺めを楽しむことはできなかっただろうけれども。

 

事件と犯人をあれこれ詮索できる情報も知恵もないわだらんは事件を語ることはできないが、ずいぶん昔の話になってしまったものだ、と考えてしまう。

とともに、案外知っているようで記憶違いもあるものだ、と改めて思う。

何しろ草津栗東の犯人取り逃がしの一件が、ハウス食品がらみであったことはテレビ番組を見て初めて知ったのである。

いや、その当時はわだらんも知っていたかもしれないが、すっかり記憶の中でこの一件が森永がらみだと思い込んでいたものだ。

ものを見れば当時を思い出すことは簡単にできるものの、それを正確に理解しているかどうか、結構いい加減なものだと自戒する日である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   世間はそろそろ騒がしい季節

11/14

しばらくこの雑記帳をお休みしていた。

体調を崩したわけでもなく、日本を飛び出していたわけでもなく、ただ単にパソコンを新規に購入して、いままでのパソコンからデータその他を引越しするのに手間がかかっていたのである。

パソコン本体に引っ越しソフトも買ってデータやソフトの移行をしたのだが、もともとパソコンを買うきっかけになったメールソフト不具合もそのまま引越ししてしまい、過去メールは発見できず、がっかりである。

おまけに某徳島製漢字入力ソフトが使えなくなっていて、引越しソフトにも不満の残るところもあるのだが、それでもなんとか無事に立ち上がって、またあれこれ電車から見えるものを書いていこうかと思う。

 

世間はその間にすっかりクリスマスムードになっていて、新しくできた大阪駅北ビル側面には電飾の大きなクリスマスツリーが見えている。

欧米で本来のクリスマス商戦がいつごろから始まるのかよく知らないのだが、少なくとも電車の吊り広告を見ている限り、この週末前後からどこもクリスマスムードになったようである。

一方、野洲駅の広場にも地元商工会がきらきら照明を設置して、青や緑の光がなかなかきれいである。

夜帰ってくるとその飾り付けの中で雪だるまが鎮座して、きらきら照明とともに駅の利用客を楽しませようとがんばっている。

そんなクリスマスツリーやらきらきら飾りやらが出てくるなか、そろそろ山は紅葉の季節になる。

滋賀県内にもいたるところに紅葉の名所と呼ばれるところがあるが、さて今年の観光客の入りはどうだろう。

京都からの夕方下り新快速は紅葉の時期に恐ろしい混雑になるのは有名であるが、実は琵琶湖線内からも結構人が乗っているのである。

かつて休日夕方の長浜発の8連新快速は彦根ですでに立ち客が出る盛況ぶりであった。

もちろん混んだ新快速も野洲や草津始発へ途中で1本遅らせば楽に座れるものなのだが、なかなか一元さんではそんな芸当はできないだろう。

これが今年から休日は基本的にすべて12連になっているので、混雑の按配はどうなるのだろうか。

いずれにせよたくさんの観光客が滋賀県内に来てくれればありがたいものだ。

 

そんな紅葉をめでる小旅行であったり、年末のお買い物であったり、金を使う機会はいやほどありそうだが、世間は消費が増えるのだろうか。

金回りがよくないとやはり鉄道の世界もつまらない。

何かと暗い話ばかりの一年であるが、せめて山の彩りやきらきら飾りが楽しめる穏やかな年末になってもらいたいものだ、と思う。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   日の出を拝める季節に東西南北を考える

11/2

太陽は東から出て西へ沈む。

まぁ当たり前のことだが、これが日頃の方向感覚と結びつくかどうかはわからない。

日中太陽の位置を見ながら外を歩くことはあまりないし、そもそもわだらんはおおよその場合地図上の東西南北を頭に入れて動いているのだから、太陽が出ていなくとも問題ないのである。

大阪駅の南側、第一ビルや第四ビルとその周辺の地下街やあるいは阪急梅田駅の高架下から地下鉄東梅田駅、そして御堂筋線をまたいで西梅田まで、などと言ってもなかなか一般的には東西南北を掴むことは難しいのではないかと思う。

大阪駅はまだ比較的駅構内が東西方向水平に近い状態なので少なくとも駅の北南ははっきりすると思うが、これが曲がっていたりすると結構ややこしくなってしまう。

さて自分はどっちへ行けばいいのかな、と案内表示を見ることになるので、特に慣れない方への道案内、案内標識はわかりやすいものでなくてはいけないものだ。

 

ところで、一般的に橋上駅は改札が駅中央に一つあって、駅の両側へは左右に振り分けられることになる。

そもそも橋上駅になった理由が線路の両側から駅にアクセスを容易にできるように作られたわけで、一般的には改札前に左右に伸びる通路とその先の出入り口がつながることになる。

琵琶湖線の各駅もまさにその通りで、多くの琵琶湖線の駅は線路の両側に駅出入り口を持っている。

ところで一般的に線路が南北に延びていれば駅の両側は東口または西口、一方線路が東西に延びていれば駅は北口南口を持つことになる。

とすると、東に向かって伸びる琵琶湖線は線路が東西なので駅は南北かというと、瀬田から守山は東西になっているのだ。

野洲は南北、守山は東西、この差はどこからくるのか、まぁ単なる日常の感覚なのだろう。

 

11月ともなって朝の日ざしがめっぽう弱くなった。

6:14713Mが野洲駅を出る時間はもうこの頃になるとまだ明けやらぬ空である。

ましてや野洲駅は南側に山があって、日の出が遅いのだ。

あれ、山は南にあって日の出の邪魔?なら山は東か?

三上山は野洲駅の南?東?まぁどうでもいいことだが、やっぱり東西南北を一口で表すのは難しい。

 

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