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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
12年 2月
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1103. 2/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ドアを閉めて電車を降りるのが美徳
1102. 2/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 各駅停車ならありうるが各信号停車とは聞いたことがない
1101. 2/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 並行路線と振り替え対象路線は同意語ではない
1100. 2/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 手軽に雪山の眺めを堪能できるありがたさ
1099. 2/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 踏切に突っ込んで遮断竿や列車にぶつかるか、踏切をなくして桁に車が当たるか
1098. 2/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れ15分×1列車1000人を時給800円とすると20万円の損失
1097. 2/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れ4分が遅れ40分になる指令のさじ加減のいい加減さ
1096. 2/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 周囲が騒がしくとも我が道を行くのはヲタの王道
1095. 2/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 敦賀行きは敦賀に行ったのだろうか
1094. 2/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 汽笛が朝を告げる日曜日
1093. 2/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 雷は馬の背を分けるというが、雪も同じようなもので
1092. 2/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 自然が相手ではしかたない
1091. 2/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 跨線橋は観光ポスターの展示場
1090. 2/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 雪も適量なら観光資源として活躍できるのに
1089. 2/1 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 話も長いが金もある
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ドアを閉めて電車を降りるのが美徳
2/29
いつの間にか2月も終わりになってずいぶん日が伸びてきた。
いつの間にか713Mも京都を過ぎると朝日が車内に差し込むようになった。
これがもう少し春もまわると今度は膳所で右側からも日が入るようになるのだが、まだ左側だけである。
713Mの乗客は朝早いのか、さすがに慣れた客ばかり、しかも男性客が多いのであまり日よけが降りない。
朝日が入ってきてもそのまままので、車内がずいぶん明るくなる。
これがもう少し遅い時間の電車になると一斉に日よけが降りることになるのだが、
このあたり乗客の全体的な個性というか、集団の特性というか面白いものである。
そんな少しずつ春めく日が増えてくると、夜も寒い日と寒くない日の差が激しい。
ドアを手で閉めるのに慣れている滋賀県民(?)は、野洲で半自動扱いの電車に乗るとすぐにドアを閉めたがる。
降りる時もわざわざ閉まるボタンを押してホームに出ていく。
つまり野洲着の新快速を待っている間、普通電車のドアはほぼ全数閉まっているのだ。
これが日中だと慣れていない客も多くドアが開いたままであったり、あるいは慣れた乗客が後からドアを閉めたりするのだが、
夜遅くになって慣れた客ばかりになると自然にドアが閉まる。
向かいに着いた新快速からの乗客が一斉にドアボタンを押す光景はなかなか圧巻。
雪でも舞っていようものならますますその寒さと閉まっているドア、そしてそれが一斉に開く姿はいかにも真冬というものである。
が、さすがに夜遅くであっても少しずつ開いたドアが増えてきた。
ようするに厳寒期でなければドアがすべて閉まることもなく、逆に開いているドアが増えることは冷え込みが弱くなったか、
冷え込みと感じない客が増えたということになる。
この冬は結局野洲では大きな積雪騒ぎもなく終わりそうである。
別に春だからウキウキするようなこともないが、なんとなく季節が進んだのかな、と思う。
そんな朝早くでも薄明りとなった車窓を見ていると、野洲駅の南に広がる水田に水が少し入っていることに気が付いた。
この水田、近日用途変更で市街化区域になるはずなのだが、今年はまだ水田の姿を見ることができるのだろうか。
市街地でもそれなりに季節感を得ることはできるが、でも水田の季節による姿の変わりように勝るものはない。
やはり四季それぞれ姿があって美しいもの、特に日本の水田は季節感あふれるものだと思うのだけれども、都市化には勝てないか。
もちろんまだ水田が市街地になる可能性があるだけ街としては元気とも取れるのだが。
まぁ少なくとも季節感などというのは個人の感想であって、経済にはあまり関係がない。
金の回り具合や人の懐など考えても仕方がないので、わだらんはホームのドアの様子で季節感を味わっておこう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 各駅停車ならありうるが各信号停車とは聞いたことがない
2/24
このところまともに帰れる日が少ない。
今日も朝から京都駅構内で人身事故があったり、異音感知したりとどうせまともには走っていないだろうなぁと
半ばあきらめつつ、何とか3520Mに間に合わそうと急いで大阪駅へ向かった。
まだエスカレータを降りてくる人がいないということは電車が大阪駅に着いていないな、
と思いつつホームに上がったのは19:44、やれやれ間に合ったと安堵する。
が、駅の発車案内を見てがっかり、10分遅れでかつ8両である。
これなら座れるわけもないし、さてどうするべと思っていると隣7番に1220Cが入ってきた。
とりあえず新大阪まで行くかと急ぎホーム移動する。
定刻で1220Cは発車し、新大阪へ。
電車をなんとなく見ていると287系がやってきた。
こうのとり24号か、さすがにまだ車体はきれいだなぁ。
822Tが225系でやってきて287系と並んでいる。
ホーム端では写真を撮っている人の姿も。
今までに見ることのない並びで新鮮。
もっともこれからいくらでも見ることのできる組み合わせではあるが。
その822Tに乗るかどうか悩んで挙句、結局見送った。
次に新快速が来ているようだ、しかも後続3522Mと二本続けてくるらしい。
これなら京都は822Tより遅れ3520Mが先着だろうと判断したのである。
3520Mは結局12分遅れでしかも短い8両でやってきた。
8両で車内は相当混んでおり、いつもの3520Mとは大違い。
それでも何とか運転席後ろのドア横に立ち位置を確保でき、助手席側からの前面展望を楽しむこととした。
なんとか遅れの分快調に飛ばしてほしいとの期待をしてみる。
電車は新大阪を出て順調に進むが、ところが突然茨木手前から徐行、茨木出発停止現示であらあらどうしたものか、と牛歩の歩み。
結局第三閉塞で停止、前にさっき見た287系のお尻が見えている。
第二閉塞が赤の現示も見え、そのため287系が停車中なのだ。
つまり閉塞ごとに列車がいる状況になってしまった。
どうやら山崎駅構内の踏切で遮断竿が折られたようで、徐行中とのこと。
その間に236Cに豪快に抜かれ、その後も閉塞が空くたびに少しずつ進む状態。
摂津富田も停まる寸前で通過し、結局高槻に着いたのは20:30、新大阪の12分遅れは高槻で30分に拡大。しかも1222Cと同時到着。
高槻停車の後も結局287系に追いつき、テールランプを眺めつつのそのそ進行。
やっと山崎を抜け何とか走りだし、京都は34分遅れ。
車内は琵琶湖線内に入って少しずつ空いていき、やっと落ち着きを見せる。
車掌氏は「野洲で米原行きに接続をとります」と案内中。
遅れさえなければいつもの3520M、いや30分遅れの3524Mか。
結局野洲に着いたのは33分遅れ。ちゃんと米原行きが待っていてくれたが、停まっているのは案の定新大阪で見送った822Tであった。
これなら素直に822Tに乗っていれば野洲先着であったと、思ってみても後の祭り。
まぁ閉塞ごとに進む経験などそうできないのだから、それもまたよしとするか。
でも本来列車が閉塞で停車するなどあっては困るのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 並行路線と振り替え対象路線は同意語ではない
2/23
水曜日の夜のことである。
自宅に来客があり、急いで帰るつもりでいたのだが、仕事の段取りが悪く切り上げるのに手間取った。
とりあえず急いで大阪駅へ向かったが、ホームに上がるとちょうど18:37の3508Mが出ていった。
ちらっと見えた車掌さんはかわいいおねえさんで、残念!と悔やんでは見たが仕方ない。
とりあえず18:45の3510Mの客になった。
先頭12号車の一番前優先席であるが、なんとか着席もでき、野洲まで寝ていこうと落ち着いた。
ところが、電車が新大阪手前で徐行する。
3510Mの前には3番(13番のりば)を占領する電車はいないはずで、ちょっと不安になる。
その不安は的中し、3510Mは新大阪3番に停車したまま動かない。
最初は信号待ちとアナウンスされていたが、やがて踏切の遮断竿が折られたとの情報になり、そして踏切でバイクと電車が接触したという話になった。
具体的な事故の内容は伝わってこないのだが、とりあえず摂津富田茨木間の踏切であること、バイクと列車の事故であること、しばらく運転見合わせであることはわかった。
おおよそ新大阪で10分間、新快速3510M車中で座りながらどうしようかと刻々変わる事故の話を聞きながら悶々としていたが、思い切って新幹線に乗ることにした。
京都から草津線の電車に乗ればとりあえず草津までは行ける、最悪手原から歩けば野洲まで帰れる、と考えたのである。
乗り換え出札で特急券と乗車券をばらばらに買う羽目になって手間取ったが、19:07ののぞみ394号に乗ることができた。
臨時列車で自由席は比較的空いていて、2号車でのんびり落ち着くことができた。
とはいっても京都まで14分、桂川を渡れば焦りがでてきて、前へ通路を進むことになった。
3-4号車間で車掌のおねえさんにすれ違ったので「階段に一番近いのはどこか?」と聞いてみると「6号車付近」と答えてくれた。
おかげで京都駅に着いたところすぐに階段を下りることができ、まずはとにかく2番に走っていった。
すると「米原行き発車します」と駅員氏が連呼中。
あわててあふれんばかりの車内にねじ込んだところ、ドアが閉まった。
運良く上り電車に乗れてしまった。
車内のアナウンスは京都19:22の米原行きと言っているので、812Tか、となる。
812Tは大阪18:38、つまりわだらんが大阪駅で見た221系A編成の8連である。
とするとこの電車は何だろう?と考えながらもありがたく電車は進み、途中下りの外側で抑止されている新快速を見ながら、野洲に着いた。
途中多客で遅れはしたが、野洲での新快速待避がない分、野洲ではほぼ定時で発車していった。
野洲で降りてから編成を見ると4+6の10両編成、運番から推測するとどうやら下り825Tを京都で2番に入れて打ち切りとし、折り返し822Tを仕立てたようである。
実際京都草津間の内側はT電が走っていたので、京都打ち切りとする代わりに京都まではとにかく走らせたようだ。
ちなみにわだらんの乗った822Tのあとは新快速のしばらくの間運転見込みはなく、次は大垣行きが8両とのアナウンスであった。
おそらくは4+4の827Tを京都折り返しにし、前4両を大垣まで運転することになるのだろう。
とにかくありがたいことにわだらんは当初の見込みより10分ほど遅れはしたものの、野洲に無事に着くことができた。
もし新幹線に乗る判断がもう少し遅かったら突発822Tに間に合わなかっただろうし、
もし新幹線の車掌のおねえさんが的確に案内してくれなかったら、やはり京都で突発822Tには間に合わなかっただろう。
あるいは乗っていた3510Mが新大阪で抑止になったから新幹線に乗ることができたわけで、もし逆に3508Mに間に合っていればどうなっただろうか。
ちなみにあとから人に聞いた話では3508Mは茨木手前で1時間弱抑止されたあげく、草津で打ち切りになったそうだ。
今回ばかりは乗り遅れて吉と見るか、幸運が重なってほぼ1時間で帰ることができたというか、いやそもそも事故に遭遇する不運と見るか。
とりあえず新幹線9394Aの後部車掌のおねえさんには感謝である。
でもせめて特急券840円は自腹でいいから、運賃540円は振替対象にしてもらえないものか。
少なくとも磁気定期券なら新幹線に乗れるのだから。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 手軽に雪山の眺めを堪能できるありがたさ
2/21
土曜の早朝から日中にかけて、野洲でこの冬初めてのまともな雪が降った。
まともという言葉は不適切かもしれないが、久しぶりに野洲が雪に覆われて白く静かな日になった。
もちろん野洲で積雪の日は湖東湖北では雪が降らず、この日もどうやら雪が降ったのは安土以南だったようだ。
雪雲が関が原に抜けるか、鈴鹿峠を越えるかの違いが大きな差になるのだが、
要するに霊山から藤原岳、御池岳と続き御在所山の南までそびえる鈴鹿の山の北側を通るか、南側を通るか、の違いとみることができる。
野洲の琵琶湖岸まで来ると鈴鹿の山なみを堪能できるのだが、ちょうど関が原、つまり伊吹山と一方の鈴鹿峠、三子山を見ることができる。
あの山並みの裏側は三重県だなぁ、などと考えながら眺めていることが多い。
そういえば以前嘉田知事の話を聞いていた時に延暦寺は滋賀県大津市だ、と強調されていたのを思い出した。
どうも一般的に、比叡山と延暦寺の関係があいまいで、かつ延暦寺が京都のお寺と理解している方が多いようだ。
もちろん実際の府県境は比叡山の中央で、延暦寺の正確な位置を知っていないと誤解が生まれやすいとは思うのだが。
延暦寺のふもと唐崎雄琴のあたりとか比叡山の反対側京都大原とか、もともと雪の多いところである。
つまり、大津市内でもよく雪が降る。
どちらかといえば大津でも石山や南郷はほとんど降らず、駅でいう膳所や大津あたりで雪になっていることが多い。
新幹線では山科盆地から石山へ音羽山トンネルで一気に抜けるので、大津の市街地で雪が降っていても見ることができない。
まぁ新幹線に乗っている大多数の乗客が滋賀県内の正確な位置をわかっているとは思えないし、
滋賀県の雪といえば米原のあたりがあまりに有名で、それ以外には周知もされないのだろうな、と思う。
とはいえ、雪をかぶった鈴鹿の山並みはきれいなものだ。
わだらん的には鈴鹿の山並みは彦根あたりの間近で見るよりも少し引いた近江八幡や野洲のあたりで見るのが好きなのだが、
案外と新幹線の車窓から近江八幡野洲あたりで鈴鹿の山並みをすっきりと眺めることは難しい。
どちらかといえば滋賀県内は伊吹山でも彦根城でもあるいは琵琶湖でも比叡山でも、新幹線の山側からの眺めのほうがよさそうである。
海側が鈴鹿の山並みになるのだが、これといってほかにめぼしいもののない海側は多くの乗客があんまり気にしていないだろうなぁ。
いやむしろ日中は日よけを下げている窓のほうが多いだろうな。
雪が積もって野洲市内の新幹線は土曜日曜と徐行運転していた。
いつもよりゆっくり走る新幹線を眺めるのいいものだが、一方徐行中の新幹線から見る車窓もいろいろなものがよりはっきり見えるはず。
でも山並みを見て現在位置や見えている山の名前を呟けるのはごく一部の人間だろうと、ちょっと残念に思ってみる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 踏切に突っ込んで遮断竿や列車にぶつかるか、踏切をなくして桁に車が当たるか
2/19
金曜日の晩、西明石の構内踏切で事故があった。
事故の詳細は省くとして、とりあえずの19:45の帰宅準備をしていたので、どうするか迷った挙句阪急梅田駅に向かった。
そういえば19:40に特急があったはず、と考えていたのである。
ところが残念ながら振り替え乗車表をもらっている間にタッチの差でこれを逃してしまい、次に河原町先着は19:42の快速だという。
とりあえず乗ってみたものの、河原町着が20:33と聞いてちょっとめげてしまった。
そういえば20:09に新大阪で米原ゆきはるかがあるわな、とちょうど南方停車の快速に乗りながら考え、地下鉄に乗り換えた。
幸い新大阪行きの地下鉄もすぐにやってきて、新大阪に着き、在来線改札まで歩いてくるとちょうど20:00であった。
ところが、改札上の案内にはいつもの新快速快速の文字がある。
あれ、と思い念のため13番に降りてみるとちょうど大阪19:53の822Tがやってきた。
しかも驚くことに12両の車内はがらがらである。
これならチケットレスの特急券を買う必要もないな、と快速に乗った。
大阪20:00の新快速にいつものように長岡京で抜かされ、野洲で3524Mを待ち、822Tはいつも通り走って行ったのである。
新大阪の時点で822Tの1号車は乗客がほとんどおらず、わだらんは4席独占でのんびりゆったり。
大阪尼崎で折り返し運転とは知っていたが、まったく拍子抜けである。
というのも、話はその前日木曜日からの続きである。
大阪18:00の3500Mに乗りたいと大阪駅へ向かいつつ、次の12両3502Mでもいいか、とちょっと心をは揺れていた。
と結局18:00には間に合わず、大阪駅に入ったのは18:02であった。
ちょうど3500Mの発車の音を改札で聞いていたのだ。
ところが、ホームに上がると次の新快速はしばらくない、と言っている。
橋げたにトラックがぶつかったとかで、後続の電車はみな足止め状態だそうだ。
かろうじて808T、大阪駅18:08の快速は定時とのことで、これに乗ることにした。
これも12両で、1号車は立ち客はそれなりにいるものの、まぁのんびりとした車内であった。
そんなに混雑していない車内を見ながら、大阪始発の新快速は定刻だし、ちょっと新大阪で電車でも見ていようか、
この808Tなら京都まで後続の3506Mで追いかけても大丈夫か、と降りたのである。
ところが神戸方面からの電車はなく、C電は福知山線から入るもののみの状況で、
新大阪の上り電車ホームはあれよあれよという間に人で埋まってしまった。
急に不安になったが、その不安はまさに的中し、大阪始発18:22の敦賀行き3506Mはまさに超満員でやってきた。
運転台後ろで前方でも見ていようかとの軽い思いはとてもかなえられる状況でなく、
とりあえず8号車の後ろ扉に体を預けるのが精いっぱい、わだらんのコート裾は車内に出たままの出発になった。
もし走行中に扉が外れたら間違いなく車外転落だなと。
混雑する電車に驚きはしないが、さすがに乗るのに根性がいる、
いや周りから見れば無理だろうと思える状態で車内に入らねばならない電車には久しぶりに乗ったのだ。
京都で乗り換えた808Tはやはりいつもより人も多く、ほぼ定時ではあったが、本来ののんびりした808Tではなかった。
まぁこれも808Tに大阪で乗ったままならどこかで座れただろうし、ずっと楽な帰宅であったはずなのに、
自分の読みが外れたのだから、仕方ない。
そんなわけで金曜日ははるかならまず大丈夫かと思った次第。
木曜日は目論見が外れてしんどい目に遭ってしまったし、一方金曜日は目論見が外れて楽な帰宅ができた。
要するにダイヤが乱れた時のわだらんの推測もあまりあてにならんということだ。
どうも、わだらんの推測が当たるよりも、神戸線内で車が線路施設や遮断竿、いや列車自体に衝撃する確率のほうが高いように思えてしまうのだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れ15分×1列車1000人を時給800円とすると20万円の損失
2/16
夜の3520Mで後味の悪い帰宅となった15日、実は朝も気分はよくなかった。
というのも2分遅れが結局15分遅れになってしまったという、これまたよくあることながら何とも腹立たしい話である。
野洲駅に着き、改札へ入ろうとすると列車の通過する音が聞こえる。
あれ、もういつもの貨物、1053列車が来たのかなとみていると、やってきたのは502M急行きたぐにであった。
この春の改正で定期列車ではなくなるので、いいものを見たとちょっとうれしくなる。
もっとも列車としては遅れているのだから、手放しでは喜べないのだが。
そしてなんやらいつもと違う貨物列車がそのあとを通過し、遅れて711Mがやってきた。
結局711Mが6:14といつもの713Mの時間に野洲を出て、そのすぐ後を713Mが2分遅れで追いかけることになった。
711M後の開通待ちの間、車掌氏と「まぁ前がみな拾ってくれるから楽勝で戻るね」と軽口をたたいていたくらいなのだから。
ところが、野洲を発車して間もなく、状況は暗転する。
守山駅の手前で止まってしまい、動かなくなった。
守山は今は停留所扱いなので、基本的に開通待ちはない。
大阪や京都なら前に列車がいなくて「ホームが満線で」などと方便も出るのだが、守山ではそれはない。
つまり前を走る711Mが守山から発車できない状況なのだろう。
もちろん711Mも信号によって待たされているわけで、つまりは草津を先頭に渋滞中、ということなのだろう、と推測ができる。
どうやら、貨物列車が全体に遅れているので、次々と滋賀県内で待避線に収容するために手間取っていたのだろう。
実際草津、石山、膳所と下り貨物が退避していたのだ。
ところが草津で貨物を待避線、つまり2番線に入れるとなると制限45kmがかかる。
さらに草津の下り場内付近はは葉山川への上り勾配である。
貨物列車の引き出しにはさぞ時間がかかるのだろう。
おそらくはそんな渋滞のためか、草津で10分遅れになってしまった。
なんとか遅れ貨物の呪縛も解け、京都まで頑張り、そして京都を出るとまるでかつての新快速を彷彿とさせる走り。
ところが向日町を過ぎまた足の進みが悪くなってしまった。
あくまでわだらんの推測だが、この713Mの前を711Mが走っていて、その711Mはさらに前の127Cにつかまっているのだろう。
いつもなら127Cは713Mの後を走るのだが、今日は勝手が違う。
さらに先行と間の空いた快速711Mも客扱いに難儀しているのだろうと思う。
結局高槻12分遅れは茨木も新大阪もドア閉めに苦労して、大阪着は15分遅れになってしまった。
遅れが回復するどころか、ますます拡大してしまったのである。
しかし解せないのは、どうして711Mや713Mを京都から外側に振らなかったのかということだ。
外側に振っておけば少なくともC電との競合は避けられたし、少々51Dスーパーはくとに影響が出たかもしれないが、でももう少し713Mは頑張れたのではないかと思う。
結局713Mの遅れは京都で遅れのなかった715Mに波及し、そのあとの新快速まで遅れる結果になった。
本来朝通勤時なら、通勤列車の遅れを拡大させないために列車整理をするはずなのだが、どうも何のために貨物をわざわざ退避させたのか理解できない運転整理である。
遅れながらでもまだ走っているだけましかもしれないが、でも第二の上尾事件騒ぎになってもおかしくないのではないか、と思ってしまう。
指令が何を考えているのか、あるいは何も考えていないのかわだらんは知る由もないが、
でも「朝の列車ながら遅れましてお詫びします」と連呼せざるを得ない車掌氏がかわいそうに思えてしかたない。
それがまたかわいいおねえさん車掌氏なのだから、なおさらである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 遅れ4分が遅れ40分になる指令のさじ加減のいい加減さ
2/15
何とか間に合うかと息せき切って大阪駅の9番ホームに上がると、19:45の3520Mは7分遅れと表示にでている。
これなら無理に走ってこなくても間に合ったわな、とちょっとがっかり。
まぁ間に合っただけよしとしよう、と今日は先頭車12号車の一番前扉、つまり運転席のすぐ後ろに並ぶ。
本当なら最後尾1号車に行きたいところだが、さすがに本来の発車時間の頃となれば、ホームを移動中に次々客が増えて着席できなくなるかもしれない、と判断。
ちょうど10番線には287系が福知山線から到着して、しばしその姿を見ることができた。
1号車位置は大阪駅ホーム屋根工事のためなのか現在は囲いがあって、9番に並ぶと10番の様子が見えないのだ。
さて、287系こうのとりが新大阪へ向けて発車したのちに9番に3520Mが入ってきた。
宝殿曽根間で踏切の安全確認をしたとかという話である。
まぁよくあることで、しかも7分遅れくらいならびっくりすることではない。
まさに日常茶飯事ということばがこのためにあるようなものである。
幸いにもわだらんは最前部優先席のかつ後ろ向きながら座ることができ、列車も大阪新大阪では遅れの拡大なく7分遅れで進んでいく。
どうせ京都で何か手間取って、遅れが拡大するのだろうと思っている間に睡魔に襲われ、目が覚めると山科であった。
列車はいつのまにかわずかながら遅れが戻っているようである。
草津手前でいつもなら後ろを走る回送5660Mに抜かれたままと珍しく列車順序を変えたことに驚きながらも列車は進み、
手際よい高速からの一発ブレーキに心浮かれつつ野洲に戻ってきた。
結局野洲着は4分延といまどきにしては珍しい遅れの縮小であった。
もちろん高槻や京都、あるいは草津で他の列車の影響がなかったことが遅れ縮小の一番の要因なのだろうけれども、やはり走って止まる、と小気味よい運転もいいものだと思う。
とにかく、このところ遅れが小さくなったことに遭遇することなどなかったのだから。
ところが、野洲についてからが何とも後味の悪い話になってしまった。
車掌に乗客が改札でかみついている。
いわゆるクレーマーならば乗務員氏かわいそう、でまだすむのだが、今日の場合は事情が違う。
車掌氏にかみついていたおじさんは、3520Mが818Tに接続しなかったことを問い詰めているのだ。
実はせっかく頑張った3520Mではあるが、野洲駅で本来待っている818Tはすでに出てしまっていたのだ。
しかも先頭車にいたわだらんは、野洲駅場内信号のあたりで、3番にいる818Tのテールランプを見ている。
そして甲賀踏切を渡って2番への分岐を進むときに矢萩川踏切にかかろうとする818Tを見ていたのだ。
つまり、818Tの発車と3520Mの到着の差は2分程度なのである。
待っていてもおかしくないタイミングなのに、なぜ今日に限って見切り発車をさせたのだろう?
しかもこのあとの普通電車、822Tは15分遅れである。
野洲での3524M待ちがない(すでに3524Mに抜かれたはずである)、停車時間を削ってもせいぜい野洲発は21:25あたりにあるはずで、
結局3520Mからの新快速の止まらない駅への乗り換え客は野洲で40分ほど無駄な時間を費やすことになる。
そんな状態なのになぜ4分で接続を切るのか、その点をおじさんは車掌氏に絡んでいるのだ。
このおじさんの主張はまさにそのとおりとしか思えず、実際車掌氏もその旨はよく理解しているようなのだが、なかなかおじさんの怒りは収まらない。
せめて3522Mを野洲から各駅停車にするとかならまだわからないでもないが、なんら救済策もなくただ時間だけ浪費しろというのはどう考えてもおかしい。
いや818Tが4分遅れることによる重大な影響でもあれば話は別だが、その理由が見当たらないのだ。
せっかくの気持ちのいい新快速の回復運転の気分の良さはどこぞに飛んで行ってしまい、なんとも後味の悪い帰宅になってしまった。
もともと今朝は713Mでこれまた痛い目に合っている。
なおさら気分が悪い。まぁ朝の713Mの話は次回にしよう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 周囲が騒がしくとも我が道を行くのはヲタの王道
2/14
世の中バレンタインデーである。
バブルの時ほどの浮かれ模様はないにしても、なんとなく複雑な気分になる。
ましてや今年は女性客で絶好調の大阪駅構内が派手に宣伝をしているものだから、つられて周囲の百貨店もなんとなくいつもより派手に見えるのはどうもついていけない。
おおよそ多くの鉄ヲタにはあまり関係がない日であるが、それはそれでまた困ったものだ。
もちろん多くの鉄ヲタは普通に社会人であり、普通に生活しているのだけれども、どうも一部の極端な人間のイメージが強いように思える。
チョコのありなしに関係なく、まずはホーム上で一般乗客を罵倒したり、人の田畑を荒らすようなことはないように、と思う。
まぁいずれにせよ、世間はチョコのみならずプレゼントシーズンである。
理由が何であれ消費が増えるのは経済にとってはいいことで、それこそ景気が上向いて電車の利用客が増えればうれしいことだ。
ところでバレンタインデーにあやかってか、某格安航空会社が関空長崎間を2140円の運賃設定をすると報道にあった。
どの程度の席数を販売するかなどわからないので何とも言えないが、でも新幹線よりバスより安いのは間違いなく、所要時間の短さから言えば抜群のコストパフォーマンスであろう。
もともと高速バスは新幹線より時間がかかるから安いのであって、新幹線より所要時間が短くしかも安いとなれば一大事である。
もちろんキャンペーン価格は各種の制約があるはずで、新幹線のように簡単にすぐ乗れるわけではないだろうけれども。
しかしいつの間にか山陽新幹線はすっかり対南九州の宣伝ばかりで、博多への本来の山陽区間のことなどもうすっかり忘れ去られているようだ。
もともとのぞみの山陽区間は供給過剰に思えるのだが、九州直通が始まってからはますますさくらみずほに乗客が集中しているように見える。
それなら思い切ってのぞみ限定で大阪福岡間の特別割引キャンペーンでもやってみれば少しは新規開拓もできそうな気がするが、どんなものだろう。
チョコレートのお返しに旅行でも、博多や長崎あたりへ二人で旅行とでもなれば幸せ者だ。
博多の駅ビルも好調なようで、わだらん的にも気になるところ。
とはいえ、決してヲタを卑下するわけではないが、バレンタインデーにあまり縁のないヲタ連中、
ただでさえ二人でしか利用できない割引切符に文句を言うものが多いのだから、そんな旅行は夢なのだろうか。
むしろ引退前に300系に乗ろうとかきたぐにツアーとかヲタから金を巻き上げる(というと語弊があるが)ツアーが華やかなこの時期である。
わだらんも少しは引退前の車両たちが気になるが、今となってはヲタばかりの列車に乗ってもなんら面白味はないだろうな、と思う。
引退ツアーにまんまとのせられるのは癪な話だな。
しかし格安航空会社だのツアーバス崩れの高速バスだの百科爛漫、しかもスカイツリーやゲートブリッジだのと東京周辺は某鼠遊園地も含め目玉商品の連続ではあるが、
オレンジ新幹線会社は絶対そんな格安の運賃は関係ないと我が道を行くのだろうなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 敦賀行きは敦賀に行ったのだろうか
2/13
相変わらず自殺者が多い。
年間3万1千人というと、単純計算でほぼ1日あたり85人の自殺者がいることになる。
練炭などの一部の集団自殺騒ぎ以外は基本的に自殺者は単独であろうから、一日あたり80件強の自殺の関係する事件が起きていることになる。
統計では滋賀県ですら300人ほどの自殺者がいるので、毎日1件近くの事件があることになる。
そしてその中での何割かは列車への身投げということになる。
なので自殺に絡む事件の件数から考えれば毎日複数の人身事故が起きても当然、ということになる。
災害や事故で突然命を奪われる方も多いというのに、何も好き好んで自らの命を絶たなくてもと常々思うが、実際自殺される方はそんな冷静にはなれないのだろう。
そんなご時世、やはり今日も明石市内で新快速が人を撥ねる人身事故が起きた。
事故の詳しい模様はわだらんの知る所ではないのだが、踏切内に入ってくるということは自殺であろう。
なんとも困ったものである。
幸いにも日中の事故によるダイヤの乱れは夕方わだらんの帰宅時にはおおよそ影響を感じない程度に回復していた。
やはり列車本数の多い京都西明石間を外れたところだと、まだなんとか収束も早いのだろうか、と思う。
逆に言えば複々線区間の戻りの悪さはもちろん列車本数の多さに起因するのだろうけれども、結局列車整理をする司令員が足らないのではないのかと思う。
少なくとも復旧後は見かけ上だけでも時刻通り列車が走ってくれれば、事故が起きたことは仕方ないとあきらめもつくのだけれど。
さて、今日は18:30の3506Mで帰宅。
目の前で18:22の3504Mを取り逃がし、最後部1号車最後部の扉で4人目に並び、大阪からめでたく着席。
列車は橋げたに車がぶつかったことによる安全確認とかで5分ほどの遅れであったが、途中無駄な停車もなく、野洲まで5分遅れをそのまま守ってやってきた。
まずは快適、無事な帰宅である。
ところで、この3506M、本来なら4+8で前4両が敦賀行き、後ろ8両は米原落としである。
大阪駅の構内もそのように案内していた。
ところがやってきたのは6+6の12両。
事故のあとの列車整理で、運用差し替え、編成変更になったものと思われる。
米原までの客はせいぜいトイレの位置がいつもと違う程度で他は何も問題ないのだが、坂田以北はどうなるのだろう。
原則として虎姫から北はホーム高さ制限などで4両編成のみに限られている。
車両自体は6両編成が入ってもなんら問題ないが、敦賀泊の翌朝運用などを考えても6両編成が敦賀まで入るとは考えられない。
しかも長浜には12両を分割できる設備はないし、そもそも坂田に12両は停まれない。
となると米原で別の4両編成を仕立てて敦賀行きとするはずなのだが、少なくとも野洲までの間で米原編成替えの案内はなかった。
大阪駅でも、そして乗務している車掌からも編成がいつもと違う案内がなかったのはなぜだろう。
編成両数が変わらなければ問題ないとの判断だろうか。
結局3506Mが米原でどうなったのか知るすべはないのだが、ちょっと顛末が気になる。
もちろんこんな顛末を気にするようなことがあることが異常であって、収束の方法や案内の手段よりなにより自殺がなくなることがダイヤを守る最善の解決策とは思うのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 汽笛が朝を告げる日曜日
2/12
北びわこ号の機関車送り込みで、野洲に蒸気機関車がやってくる。
朝7:15ごろに到着して4番線で小休止。
702Kを先に行かせて7:33頃発車である。
正確な時刻を知らないのだが、とりあえずいつも北びわこ号の運転日にはおおよそこの時間でやってくる。
ダイヤ改正のたびに北びわこ号の運転時刻は少しずつ変わっているが、送りこみの時刻はおおよそこの時間のようである。
できれば3月以降も野洲での退避を続けてほしいものだ。
残念なことに機関車送り込みといっても、蒸気機関車は電気機関車の次位についているので、先頭に立つわけではない。
蒸気機関車が先頭に立つのはあくまで米原から木之本までの間で、木之本からの帰りも、そして梅小路の往復もすべて電気機関車EF65のお世話になる。
本来バック運転が得意なC56機関車を使うのだから、木之本からの帰りも営業運転してよさそうなものだが、木之本での入れ替え機回しをしないためか、
今はEF65に牽かれて米原に戻ってくる。
一時期に比べるとずいぶん北びわこ号の営業運転規模が小さくなってしまったが、しかたないのだろうか。
常設の転車台や機回し用の信号設備などがあればもっと無駄なく規模も大きく運転できるのだろうが、残念ながらこれ以上設備にお金をかける余裕はなさそうだ。
そもそも本来北びわこ号の運転で呼び寄せようとしている観光客はあくまで蒸気機関車が走ることを目当てにする一般人であって、その走り方にこだわるヲタ向けではないのだから。
米軍が撮影した戦後すぐの航空写真がWEBで公開されているのだが、それによるとかつて米原駅の南側には扇型機関庫があったことがわかる。
転車台は比較的最近まで残っていたが、わだらんは機関庫があるのをまったく知らない。
おそらく電化時に機関区が移転したので、それ以降のどこかで早い時期に解体されたのであろう。
ぽつんと残っている転車台がなぜその位置にあるのか、小さい頃はずいぶん不思議であった。
さらに気になるのは、その航空写真で米原駅の北側と南側に三角線が見えることである。
正確にはYの字の間に一本入れた形で、つまり片方の線に進んでそこから後退で中線を通りもう片方の線に入り、そのまま本線に戻ると機関車の向きが変わる。
転車台の代用なのだが、これが戦時中の対応なのか、もともと転車台の代わりになっていたのかはよくわからない。
ちなみに最近知られるようになった岩脇の列車壕はその三角線の延長線上にあることが航空写真で見て取れる。
このあたりどんな使い方をされていたのか気になるが、もうご存知の方はおられないのだろうか。
三角線の応用なら、現余呉駅から反対向けに線路を引いて旧中之郷駅につき、そこから旧柳ケ瀬線で木之本に戻れば機関車の向きも変わるし、
中之郷のホーム跡地も利用できるな、などと妄想は膨らむのであるが、そう簡単にできるものでもあるまい。
でも中之郷の駅に蒸気機関車がいれば、旧北国街道の街並みと合わせて今ならきっと観光地になれるのではなかろうかと。
まぁ米原の転車台もなくなったし、無駄な妄想。
蒸気機関車が走っているだけよしとしよう。
湖北で機関車の面倒を見る施設がないから、毎回京都からの送り込みがあるわけで、湖北で機関車が滞留できるようになれば野洲で機関車を見る機会が減ってしまう、などと自己中心。
いやしかししかし、野洲の出発時、EF65の汽笛に続いてC56の汽笛が鳴るのは何度聞いてもいいものだ、とうれしくなってしまう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 雷は馬の背を分けるというが、雪も同じようなもので
2/8
名神高速の八日市大垣間は雪に悩まされるところである。
よくゲリラ雪などといって事故の原因になる。
突然雪が降ってきたり、路面の状態が変わったりするので厄介である。
ある程度知っている運転者はそれなりに警戒しているのだろうけれども、雪が突然降ることを知らない南方の人は実際雪を見るとさぞびっくりするであろう。
ゲリラ雪とはよく言ったもので、確かに突然、場所を選ばず降ってくるものである。
とはいっても、おおよそ雪雲の様子を見ていれば雪の降りそうなところはわかる。
最近は気象レーダーがネット上で簡単に見ることができるのでありがたいもの。
雪雲自体はそんなに広がるものではないので、その雲の範囲のところだけきちんと雪が降る。
一般的には若狭小浜から琵琶湖の上空、そして関が原を抜けて濃尾平野に流れるが、時折野洲川に沿って伊勢湾に出ると野洲でも積雪になる。
今年は野洲ではまったく降らず積もらず、湖西湖北の大雪がうそのようだ。
まぁ野洲で積もるときはあまり山間部に雪がない時なので、むしろ今年はきちんとした大雪、と安心せねばならないのかもしれない。
もちろん湖西湖北の皆様には失礼な言い方ではあるけれども。
雪雲をレーダーで見ていなくても、雪の降り方で雲の流れ方がわかることもある。
8日の朝、いつものように713Mに乗っていたところ、京都を過ぎてにわかに雲行きが怪しくなった。
愛宕山や物集女の方向は真っ白で見えない。
あれあれと思っていると桂川を渡って路面が濡れてきた。
長岡京まで来ると傘をさしている人もいるし、奥の山は木々が白化粧している。
名神をくぐったあたりからさらに見える木々は白くなり、家々の屋根も白くなっている。
そして島本駅を通過するころにはついに線路のバラストも白くなり、桧尾川を渡る所ではもう一面の銀世界。
ところが高槻の車庫を見るころには雪こそ降れど路面は白くない。
高槻を出るとちょうど旧の西国街道あたりだろうか、山手側に見える家々は白い屋根だが、もう手前の線路沿いは雨模様のようだ。
となるとおおよそ高槻市内から長岡京市内にかけての名神より北側で雪が積もったわけだ。
雪雲の勢力範囲を頭に浮かべることができる。
とはいっても積もった雪はごく薄いものだから、もう多くの人々が動くころには溶けて積雪の痕跡などないだろう。
雪を見るのがわだらんとしては珍しくはないが、高槻の市街地近くで雪になっているのを見るのはちょっと珍しく、運が良かったと思ってしまう。
でもかつては大阪市内でも雪遊びができることがあったようだからやはり温暖化の影響はあるのだろうか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 自然が相手ではしかたない
2/6
雷鳥しらさぎがデビューした時の481系は1等車2両を含む11両編成であった。
くろしおがキハ81を先頭とする10両の時代もグリーン車2両であった。
今では新幹線ですらグリーン車のない編成があるのだから、在来線特急で長い編成、しかもグリーン車2両込みというととても貴重な存在になってしまった。
さて、金曜日の夜のことである。
19:15の3516Mの最後尾1号車に大阪から座席を確保して気分は上々。
ゆっくり寝て帰ろうと思いつつ外を眺めていると、長野からのしなのと大阪駅を出たすぐのところですれ違う。
うれしい、とちょっと一人しずかに感激。
というのはまず岐阜滋賀県境の大雪にもかかわらず定時で大阪着であること、そしてグリーン車2両つきの長い10両であったこと、そしてなにより運転されたことがうれしかったのである。
実はこの3日の金曜日朝、詳しいことはわからないのだが、上り貨物が近江長岡の先で上り勾配を登れなくなり、5時間近くにわたって立ち往生する事故があった。
最後どうやって事故の処理ができたのかよくわかっていないのだが、とにかく上り列車が米原大垣間でしばらく運転できなかったのだ。
わだらんの推測だが、この区間もともとカーブが多く列車抵抗が大きいところで、これに塗面の雪が加わって空転してしまい、一度停まってしまうと引き出しができなかったのだろう。
機関車の空転防止は機関士の力量によるところも大きいのだろうけれども、実際悪条件が重なればどうしようもないと思うのだ。
さてそんなわけで上り線は運転できず、下り長野行きしなのも大阪名古屋間運休であった。
なので、てっきり上り大阪行きのしなのも名古屋大阪間運休だろうと思っていたので、列車を見てちょっとうれしくなったのである。
土曜日の多客に備えて10両編成を大阪に送り込む必要があったのか、あるいは大阪着の団体があったのか、列車が切られなかったのは今どき珍しく思えてしまう。
そういえば本来の長野行き編成はどうしたのだろう。
昼すぎに回送されていったのだろうなぁ。
ところでいつもおつきあいいただいているお世話になる人に教えていただいた話だが、4日の朝茨木摂津富田間で列車が鹿と接触したそうだ。
鹿が列車にあたるのは最近本当に多いのだが、こんな街中で、しかも朝9時過ぎにあたるとはなんとも不思議。
茨木川沿いに降りてきて、線路に上ったのだろうか。
丹波や紀伊の山中なら珍しいことではないし、それこそ新聞記事にもならないと思うが、これが茨木摂津富田間となれば大騒ぎである。
乗っていた客もさぞびっくりするだろうな、と思ったとたんもっとびっくり。
衝撃したのは下り長野行きのしなの、つまりわだらんが金曜日夜見た編成の帰りである。
つまりしなの9号は二日続けて御難にあっているわけで、なんともかわいそう。
こんな場所で日中鹿にぶつかるとは木曽や信濃の山中で鹿に慣れた383系でもびっくりだろうけれども、わだらんはそもそも乗客200人に驚いた。
なんともこの区間にしてはよく乗っているものだ。
だから10両だったのかな。乗っていた客も相手が鹿ならびっくりするだろう。
しかたないとあきらめてくれたか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 跨線橋は観光ポスターの展示場
2/5
土曜日の早朝に大阪地区の某公共放送で関西の懐かしの番組を選んで改めて再放送している番組がある。
昭和の終わりころから平成の初めころまでのものが中心で、時折昭和30年代のものもするのだが、
当時の風景、なかんずく紀行ものでは当時の電車や駅舎が出てきてやたら懐かしく思うものである。
4日は米原駅とその周辺の紀行もので、1991年のもの。
番組の中で「この秋には大阪からの電車が長浜に直通する」と語っていた。
となると当然まだ米原には北陸線の列車が多数出入りしている頃で、番組の中には475系も、キハ48も出てくる。
そしてしらさぎも加越も485系、まだクハ481ボンネットが当たり前、さらには117系新快速が米原で現役の頃である。
もちろんそれらの車両群にも目を奪われたのだが、もっと懐かしかったのが米原駅の跨線橋と旧駅舎である。
みなさんの中にも米原駅が昔長い跨線橋を持っていたのをご存じの方も多いと思う。
もともとは街道に沿った集落に近いところに駅本屋と本線があったのだが、東海道線の稲沢米原間電化時に湖側に上り線をせり出し、
上下線間に操車場を作ったので長い跨線橋を作ることになってしまった。
長い木製壁には観光誘致のポスターが季節感あふれて展示されていたものだ。
そういえば最近は水着、ビキニの姿のお姉さんの海水浴ポスターを見ないなぁ、と。
この跨線橋がいつ作られたのかわだらんはよく知らないが、旧駅舎側が上下線だった非電化の時代からある1番線から5番線までの3面には
駅舎改札の正面から各ホームをつなぐ地下道があったので、おそらく米原駅拡張時ではないか、と推測してみる。
少なくとも米軍撮影の1947年写真には跨線橋らしく物は映っていないのである。
ちなみに黒岩保美さんの写真集「くろがねの記憶」の中に上りはとが2番線から出発するのが収録されているので、
駅本屋正面1番線が下り、向かい側2番線が上り、3番線が上下中線、そして4番5番が北陸線だったのだろうか、と推測してみる。
このあたり何か記録に残っているものがあるのだろうか、いずれ探してみたいとは思っている。
しかしこの番組を見ていて思ったのは117系の元気な姿であった。
偶然モハ117-36が映っていたが、この車は幸いにもまだその当時のままの姿で残っている。
もっとも最近は出番も少なくなり、向日町の構内で寝ている時間のほうが長いようだ。
一方JR東海の117系もたくさん出てきていたが、これももうまもなく鬼籍入り。
当たり前の風景が懐かしの話題になり、当たり前の車両が経年取り替えの対象になってしまうのが、それだけ歳を取った証拠とちょっとがっかり。
とはいえ、録画の番組はそのままディスクに落として保存しておこう。
ちなみに番組のリポーターは伊藤敏博さんであったが、この方にピンとくるのは音楽好きか鉄ヲタかどちらだろう?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 雪も適量なら観光資源として活躍できるのに
2/2
雪の降らない地方の人々の中には雪が魅力的なものに思える人も多かろう。
クリスマスイブに雪が降れば喜ぶし、ちょっと積もれば雪だるまや雪合戦で大人も子供も戯れる。
野洲のあたりでも例外でなく、雪が少し積もれば玄関先やマンション広場に雪だるまが並ぶし、
いかにもわざと足を突っ込んだと思えるような路肩の足跡もある。
まぁ遊びで気持ちいいくらいの雪ならやはり楽しいように思う。
とはいえ、これがいつも以上に降ると厄介以外の何物でもないし、むしろ生活の邪魔になって無用のものになってしまう。
彦根で40cmとか、今津で80cmなどというと、さすがにある程度雪に慣れた地域であってももう手に負えなくなってしまう。
駅構内一面にそれだけ雪が積もってしまえばおのずと使える線路は決まってしまうし、通せる列車も限られてしまう。
何とか東海道線は米原付近も走れるよう本線や一部線路を確保したようだが、北陸線はまったくのお手上げ状態、
結局午前中から列車が終日運休という無残な結果になった。
おそらくは長浜と塩津の構内除雪が追いつかなくなったためだろうけれども、
これだけ雪が降れば掘り出した雪の行き場もなく、まとめて雪をどかす以外方法もないのだろう。
とはいえ、道路は混雑激しいだろうし、人も機材もそう簡単に移動できないだろうから、ますます作業ははかどらない。
昔はまだ地方の駅でも駅員は多く、いざとなればまず人海戦術で最低限の除雪となったのだろうが、
今はわずかな駅員のみ、保線もいわば出先がなくなってしまって、すぐに動ける人がいない。
もちろんそれは鉄道だけでなく、道路であっても、あるいは住居の除雪もみなそうなのだが。
そんな湖北の混乱をネットで見ながら、大阪駅へ向かう。
19:45の3520M狙いで19:42にホームに上がると10分遅れの表示。
おまけに隣8番ホームの820Tは20分遅れとかで、高槻までと思われる客も含めてホームには長い列。
そして目の前には福知山線2776Mと思われる屋根に雪を載せた223系が。
コートの襟を立ててホームで待っている姿も寒そうだが、雪を載せている223系もまた寒そうである。
幸いにも3520Mは10分遅れの大阪発のままほぼ順調に野洲まで進み、大雪の影響はほとんど受けずに済んだ。
野洲もわずかに白くなってこそいたが、車の通行には支障はなく、ありがたいことである。
が、途中すれ違う下り列車を見ると踏切確認などで大騒ぎだったようで、80分遅れとかの表示を大津や石山の案内が出している。
この寒い中待っている客も大変だろうが、遅れた電車の乗客も乗務員もさぞ大変だろう。
山科や大津、草津などで列車から落ちた雪の塊が線路に転がっているのを見ると、湖北の苦労を想像することができる。
明日はまた朝が冷えそうだ。
線路や架線の凍結など起こらないようにと願いつつ駅を後にする。
そういえば朝713Mから見た京都駅構内は分岐器の下で炎が出ていた。
京都はさすがに火をつけて回れる人がいるのか、と久々に線路下に揺らめく炎を見ながらちょっとうれしくなった。
明日の朝もやはり火が入っているのだろうか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 話も長いが金もある
2/1
大阪18:52の3512Mに乗った日のことである。
高槻まで立ったが無事にその後着席でき、草津では4席独占して足を投げ出しのんきな通勤である。
3512Mはほんとうにありがたい電車で、特に昨春に前後の3510Mと3514Mが12両になってからますます楽になった。
とはいえ、大阪駅出発時点ではそれなりに混んでいるし、新大阪でさらに乗ってくる。
あくまで最後尾1号車に高槻下車客が多い、というだけであるが。
そんな車内で通路に立ちながら外を見ていると、ドア付近にいる女性客の声が聞こえてきてちょっと気になった。
聞き耳を立てるほどではないのだが、聞こえてくるのでつい聞いてしまう。
どうやら営業補助職の女性のようで、具体的に何の販売かはわからないが、
内勤でいわゆる電話番をしていて、よくかかってきた電話で謝っている、という話である。
二人連れの一方が主に話をし、もう一方は聞き役である。
同じ職場なのかどうかはわからないが、ただ話が延々と続いているのでおそらくある程度事情の分かる間柄なのだろうかと思う。
わだらんが最初にその会話に気が付いたのが吹田と岸辺の間、その後摂津富田を過ぎるまでずっとその話をしていたので、
おそらくは10分はその電話での誤り話で盛り上がっていたのだろう。
結局二人は高槻で降りてしまったので、その後話がどう展開したのか、二人がどういう関係なのかはわからずじまいであった。
周囲の客はみな携帯端末を触っていたりゲームをしていたりで二人を気に留めず、
別に迷惑でも何もなくではあるが、よくしゃべるなぁという印象の二人であった。
大阪駅ルクアの下層階をよく通り抜けするが、わだらんが通る平日夜は確かに女性客が多い。
もちろん買うかどうかわからないのだろうけれども、店内に女性が多いのは間違いない。
上の本屋ならまだ客層が違うかもしれないが、下の階は見事に男性がいない。
いてもわだらんのように通過するものばかりで、時折アベックが立ち止まっていることはあるが、
男性客がものを探しているような場面にはとんと会うことがない。
もちろんその女性向けに特化したことで成功しているわけだから、いいことなのだろう。
ひょっとすると先の二人連れもいつもと違う帰宅をしていたのかもしれない。
およそ鉄道会社にとっては客を集めるのが自分の収益を上げる手段なわけで、女性客の新規開拓ができればまさに大成功である。
などと考えながら高槻で座ると、上に越前温泉漁火で撮ったと思われる女性の入浴しているポスターが吊られている。
女性客、女性のみの観光旅行が新たな鉄道利用客として定着するのかどうか。
少なくとも女性客なら「二人以上でしか使えない割引切符はおかしい」などと叫ぶ一部の鉄ヲタを冷めた目で見ているだろうな。
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |