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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
12年 3月
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1114. 3/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 梅は咲いたし、そろそろ桜も咲く季節
1113. 3/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 景色を眺めるのは旅行、景色がよくても気にしないのが通勤通学
1112. 3/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ スマホにはいろいろな使い道があるものだ
1111. 3/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 北部フォッサマグナ地帯という難しい地質
1110. 3/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 運賃料金が安ければバスに対抗できていただろうか
1109. 3/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東北地方へ直通する唯一の旅客列車だったのだが
1108. 3/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たまねぎじゃがいも積載コンテナも多いのだそうだ
1107. 3/9 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 目的が何であろうと新幹線の線路に入ってはいけない
1106. 3/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 待つのに慣れたか、妙に静かな列車は停まってすでに1時間半
1105. 3/5 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たぬきは化けるものだが、緑のたぬきは進化か化けか
1104. 3/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ でんしゃにのってえがおとげんきをもらおう
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 梅は咲いたし、そろそろ桜も咲く季節
3/26
暑さ寒さも彼岸までというが、なかなか暖かくならない。
というか寒暖の差が激しすぎ、日がさすと春の陽気なのに、曇ると冬の空に逆戻り。
土日ずっと天気がはっきりせず、おまけに月曜朝は伊吹山のふもとはざっと白くなったようで、いつも713Mの前を走る1053列車はコンテナに雪をつけてきた。
もちろん日中気温はそれなりに上がるので、積雪で困るようなことにはならないが、それでもまだまだ寒さ続く頃、ということになる。
そろそろ桜の話も聞かれるようになったのだが、野洲ではいつごろになるのだろうか。
少なくとも野洲駅の周囲の桜はみなまだつぼみが固い状況である。
もちろんそんな状況なので、夜になればやはり冷え込む。
野洲では後続待ちなどの長時間停車の際にはドアを半自動扱いしているが、
思い切って野洲から先の各駅すべてで半自動扱いしてもいいのではないかと思うくらいである。
篠原や稲枝のような小さな駅では、もちろん長時間停車することはないはずだが、
でも逆に開いてもだれも乗り降りしないドアも結構あるはずで、せっかくの暖かい車内に冷たい外気が吹き込んでくるのはもったいない。
ましてや半自動扱いに慣れた滋賀県民ならドアを手で開けるのは問題ないかと思う。
実際野洲で後続の新快速を待っている普通電車は見事にドアが閉まっているし、また新快速からの乗り換え客はちゃんとボタンを押してドアを開けている。
本線にはもう以前のような手で開け閉めする半自動扉車はいないのだから、野洲以東なら問題ないと思うだがなぁ。
もっともこれは寒い夜や暑い夏の昼間の印象であって、季節がいい頃ならまた外気が入ってくるのもいいものである。
春の陽気がふんわりやわらかい風と共にやってきてくれるとなんとなく心も春になる。
もう少したてば天気も安定するだろうし、そろそろ桜も咲く頃か、と期待をしておこう。
しかし心が冬のままなのか、春の陽気に誘われて楽天的になったのか、列車にあたる事故が次々起こる。
日曜の晩は大阪へ出かけた帰りに電車に乗っていると篠原駅で事故とのことで、草津で強制的に下ろされ小一時間待たされた。
あるいは今日月曜日は幸いにわだらんの帰宅には問題なかったものの、大阪近郊で続けて2件事故が起きている。
わざと触車したのか、不注意からなのかよくわからないが、いずれにせよ命を落とす事故が次々現れるのはなんとも悲しい。
なかなか世の中明るい話がないのが残念だが、何かいいこともあるはずだろうと思う。
わだらんとしてはこの時期朝明るくなるのが早くなってきたのがささやかな喜びである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 景色を眺めるのは旅行、景色がよくても気にしないのが通勤通学
3/25
篠ノ井線440Mに篠ノ井から乗り込んだ。
乗ってから時刻表をよく見ると、稲荷山姨捨間が17分かかっている。
次の3524Mは同じ稲荷山姨捨間を10分で走るので、この440Mでゆっくり姨捨駅ホームからの景色を眺めることができる、と期待したのである。
つまり10分で走れるところを17分かかるとすれば、発時刻しか載っていない時刻表では、差の7分を姨捨駅の停車時間と読むわけである。
各駅間の最短の列車を探して、それに対する所要時間の差から、列車の交換や退避を発見するのは手書きダイヤ作成の基本なのだが、
最近はそんな時刻表から手書きダイヤを作る人間などいないだろうなぁ。
ともあれ、440Mは余計に時間がかかっているのは間違いないのである。
ところがびっくり、稲荷山を発車すると車掌氏が「次は姨捨、その間に列車待ちをいたします」とアナウンスする。
稲荷山と姨捨の間は単線なので、列車のすれ違いによる停車は当然なのだが、この列車は桑ノ原に入るのか、とそのアナウンスでびっくりしてしまった。
桑ノ原とは姨捨稲荷山間にある信号所で、しかもスイッチバック式である。
つまり勾配途中にある信号所で、すれ違いで待つ列車はいったん本線から外れて待避線に入り、
そこから後退してさらに別の待避線に入り、そこで交換列車をやり過ごして再び本線に入る。
通常の駅なら副本線で停まっていれば本線を対向列車が通るだけなのだが、
このスイッチバック式の桑ノ原は停まった上に向きを変えて後退する必要のある、ちょっとやっかいな構造なのである。
もともと篠ノ井線には4つのスイッチバック駅・信号所があったのだが、
トンネル開通新線切り替えで一つ、また最近のダイヤ改正で1つ減って、現在残るのはこの桑ノ原信号所と姨捨駅のみ。
かつて各地にあったスイッチバックの駅や信号所は列車減少や線路設備の簡素化、さらには運転扱いの面倒さなどからどんどん減っている。
そんななか、桑ノ原信号所に入ることができたのはまったく予測なしだったので、なおさらうれしい限りである。
ただ、残念なのは思ったほど桑ノ原信号所の眺望がよいわけでなく、せっかく下界を眺められるかと期待したのにはちょっと残念であった。
このあたりの有名な田毎の月と称される美田の棚田はやはり姨捨駅からの眺めが最高のようで、何度見ても美しいものだと思う。
もっとも通学の高校生などは景色に目をやることなく自分の携帯電話の画面にずっと見入っていたのだが。
この姨捨のように線路が標高の高いところにあって、下の街の明かりを眺める雄大な景色の箇所は日本にいくつかあって、車窓名所と称される。
わだらんとしては、姨捨のような眺めなら、近鉄奈良線の額田のあたりもかなりのものではないかと思うのだが、ここはなぜかあまり話題にならないのは少し残念だ。
ところで、そんな有名な車窓であっても毎日乗っている地元の利用者には魅力的なものでもないようだ。
石山膳所間も琵琶湖を眺められるなかなか好きな風景なのだが、朝陽が差し込むとみな一斉にブラインドを下ろす。
この区間朝の下り列車進行右側で陽が入る珍しい区間で、朝早い時間、例えばいつもの713Mでは陽が入ってもほとんどそのままブラインドが降りることはない。
が、少し時間が遅くなったり休日であったりすると、多くの窓で一斉にすぐにブラインドが降りてしまう。
一回降りるともう陽が入らなくてもなかなか上がらないもので、景色を眺めるにはちょっとつらいものがある。
なんとももったいないなぁと常々思っているのだが、
しかし姨捨駅に停まっていてもブラインドが降りたままの窓がほとんどの状態とあれば、
そもそも名所であっても日常そんなに感動してばかりいるものではないものか、とちょっとテンションが下がってしまう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ スマホにはいろいろな使い道があるものだ
3/21
20日祝日の夕方、名古屋から313系に乗っていた。
何もそこまで前向きに座ることにこだわらなくてもいいのに、と思うほど乗っている313系5000番台は全席転換可能な電車である。
でもわだらんはこの313系、なかなか気に入っている。
もちろんそれは旅行者の視点であって、通勤者として毎日使っていればまた評価が違うのかもしれないが。
とはいえ以前は18族に難関といわれた大垣米原間も今日はこの313系5000で楽々と進んでいくのはありがたい。
おまけに大垣で無事に窓側を確保でき、隣もおらず、のんびりゆったりである。
ところが、なぜか垂井で隣に若いお姉さんが座ってきた。
大垣から座っていたのに、なぜかわだらんの横に移動してきた。
のんびりしていたところに隣が来るのはやっかいではあるが、若いきれいなおねえさんならうれしいものだ。
いや別に何かを期待するわけではないのだが。
しかしこのおねえさん、ちょっと不思議である。
大垣から米原へ向かう夕方の電車で、化粧を始めたのである。
名古屋へ向かうのならまぁわからないでもないが、田舎へ向かう電車でとは何だろう?と気になった。
ということは米原で乗り換えてまだ先に行くのだろうか、結婚式にしては時間が遅すぎるしなぁ、などとあれこれ考えていながら慣れ親しんだ景色を見ていた。
するとふとしたきっかけからこのかわいいおねえさんと会話が始まった。
そしておねえさんとその後野洲まで話し込むことになってしまったのである。
聞くとおねえさんは大垣在住で、京都衣笠の大学院(つまり才女なんだ!)をこの春卒業するので、その謝恩会に出かけるというのであった。
考えてみれば、今は大垣京都間は30分おきに電車があって、夕方からのおでかけでもなんら不自由はない。
わだらんが学生の頃は米原で1時間近く待つことは当たり前だったし、そもそも米原以西の湖東線区間でも普通電車は1時間間隔があくのが珍しいことではなかった。
もちろん30年近く前の話なので、今と比較してもなんら得になることはないのだが。
しかしわだらんが電車好きと話したのに対して、何が好きかと聞かれて言葉が止まってしまった。
運用ヲタといっても一般の方にはまず理解されないだろうし、地域コミュニティと公共交通の調査をしているなどと言えば胡散臭く思われるだろうし、はてどうしたものか。
とりあえず電車に乗っているのが好きだ、と答えておいたのだが、いわゆる乗り鉄とちょっと違うニュアンスはまず伝わらないだろうな。
ともあれ、久しぶりにわだらんが元気だった頃を思い出しながらの会話は楽しいものであった。
どうも京都で下宿している女子大生というひとくくりに弱い。
今出川よりが衣笠のおねえさんが全体に堅いとか、東山七条のおねえさんがかわいいのは百万遍の学生と合コンしているからだとか。
そんな会話をしていると、今も昔もそう変わるものではないな、とちょっと安心したりする。
もっともこんな話も通勤のためでない車中だからこそできるわけで、いつもの電車の中ではそんな浮かれた気分にはならないわな。
しかしいつもの通勤途中の電車の中でスマートフォンを使う人間は多いし、まぁおおよそ画面を見て指で触っているので、あまり何をしていても気にならない。
ところが、スマートフォンを手鏡にして電車の中でメイクする、とは驚いた。
それがきっかけで柏原から野洲まで楽しいひとときを過ごすことができたわけで、スマートフォンに感謝しなければならない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 北部フォッサマグナ地帯という難しい地質
3/19
上越市内で地滑りが起きて周辺住民が避難しているそうだ。
最初ニュースを見ても上越市のどのあたりかピンとこなかったのだが、上空からの地形を見ると山と平地の境のところのようで、まるで絵にかいたような扇状地もはっきりわかる。
雪解け水で地下水位が上がって、もともと堆積物でできた路盤が滑り出したのだろうか。
地質にど素人なわだらんがいうのも当てにならないが。
ところでどうも新潟長野県境とその周辺はいろいろと過去から地面の下でいろいろ何かがよく起きるような気がする。
かつて長野市内で大きな地滑りがあったし、東日本大震災の翌日、3月12日には長野県北部で強い地震があったし、
それ以前にも中越地震とか、あるいは古い時代には松代群発地震とか、何か地盤が複雑なものがあるのだろう。
ほくほく線のトンネルではトンネル工事の見本市みたいな危難の末22年がかりで貫通したものもある。
普段は地表だけしか見ていないのだが、地表に隠れた地下構造はさぞ複雑なものなのだろうと思う。
そんな地滑りの記事をパソコンで見ながら、ふとその航空写真に白い細い筋が見えているのに気が付いた。
ほくほく線かと思ったが、場所が違う。
そう、北陸新幹線の路盤だと気が付いた。
飯山線の飯山から信越線の脇野田へ抜けるルートというのは知っていたが、実際目に見える形で北陸新幹線の路盤を見るのは初めてである。
もうあと2年もすれば新幹線が金沢まで来るわけで、時代の流れは速いものだと思う。
しかしいまの新幹線のルート取りには驚いてしまう。
東京新大阪間はたとえば名古屋米原間とかのように一部にショートカットの部分はあるが、でも基本的に在来線に沿っている。
が、その後になればなるほど新幹線のルートは在来線に並行することがなくなってしまい、高崎から長野までは長野市内の一部以外ほとんど在来線と離れているし、
最近開業の九州新幹線も博多を出てしばらく行けばすぐにトンネルで、しかもトンネルを出るともう新鳥栖である。
この飯山から脇野田、いや仮称上越への区間もトンネル一本ですっと抜けてしまう。
飯山トンネルは22km、時速240kmで走れば6分程度である。
その一瞬で長野県北信から新潟県上越へ抜けてしまうのはなんとも恐ろしいものだ。
もちろん目的地により早く到達することが新幹線の使命なのだから、早くて当然、そのためにはできるだけ直線で走るのは必然なのであるが。
ちなみにこの飯山トンネル、やはり地質にいろいろ問題があり、難工事であったようだが、それでも先にできたほくほく線鍋立山トンネルの経験が生きたそうだ。
地滑りなど実際に起きてみなくてはわからないものもあるのだろうし、地質とはなんとも奥の深い話なのだろう。
すっと通り抜けるだけではもったいない気もするが、でも多くの方はそんな地質のむずかしさには興味など持たないだろうなぁ。
ちなみにほくほく線の松代はまつだいと読むが、長野電鉄屋代線の松代はまつしろと読む。
群発地震や佐久間象山に詳しければまつしろ、電車運転ゲームヲタならまつだい、だな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 運賃料金が安ければバスに対抗できていただろうか
3/18
最近の鉄ヲタ、葬式厨の多さには閉口してしまう。
もちろんわだらん自身葬式厨の部分を持っているので、あまり大きなことを言えた義理ではないが、少なくとも駅のホームで大声を上げるようなことはしない。
おおよそホームで大きな声を張り上げる連中がどれだけその列車や車両を利用したのかはなはだ疑問、むしろ本当に思い入れのある人間は静かに見送るのではないか。
単なる野次馬ばかり増えてしまったように思える。
わだらんも2003年9月の100系引退など、もちろん過去には何度かそんな場にいたこともあるが、最近は野次馬の類が気になってどうも引退する列車を見に行く気になれない。
今回もたとえば新幹線300系には正直あまり思い入れがないし、二階建て車両を含まない100系など100系でないと思っているし、わざわざ見送りに行く気にならなかった。
とはいえ、あまりにこの春は姿を消す車両が多く、気にするときりがない。
わだらんとしてはむしろ新幹線300系より同じ東海車の在来線371系の引退のほうが残念で、せめて一回、階建てグリーン車に乗っておきたかった、と悔やんでいる。
しかしいつのまにか平成も24年となってしまっては、昭和の香りとか昭和の雰囲気イコール昔話になってしまうわけで、なんとも時代の流れは速いのか、
いや1970年代の24系や583系寝台が今まで生きてこられたほど時代の流れはゆっくりなのか、よくわからない。
とはいえ、今回引退する列車や車両の多くがその後継や世代交代がないのはさみしい限りである。
もちろん300系はN700系が当たり前になってしまったからこそ引退するわけだが、でも既に当たり前になっているN700系にいまさら世代交代というのもピンとこない。
列車や車両になくなる寂しさとか思い入れはあるにせよ、新時代の幕開けという感覚がないのである。
もちろんいままで引退した無数の車両がすべて世代交代したわけでないので、今の話が特別ではないと思うのだが。
結局日本海もきたぐにもその後の新世代車や新たな列車は出ないまま姿を消すことになった。
決して関西対東北とか、京阪神対新潟地区の移動需要がなくなったとは思えないのだが、その後の新たなものがないまま消えていくのは残念の限り。
新潟行き阪急バスがほぼ毎日続行便を出していたり、大阪から富山金沢への北陸ドリームが4台とか聞くと、もう少し列車の生き延びる方法があったのではないかと思う。
もっともバスの輸送力は1両あたりなら列車より小さいことは十分承知しているのだけれども。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東北地方へ直通する唯一の旅客列車だったのだが
3/14
先の日曜日は震災関連の話で一日が過ぎていってしまった。
もう1年、まだ1年、人によって受け取り方は違うのだろうし、直接被害を受けていないわだらんとしては正直よくわからない。
そもそもマスコミに取り上げられるのは本当に多くの出来事のうちのごく一部だろうし、
ましてやいまだに自宅に帰ることのできない方が多数おられるわけで、震災の全体像などとてもわかるものではあるまい。
鉄道に限って言えばおおよそ被害の状況はわかるものの、でもそれをわかったところでわだらんが何もできないのは残念なことだ。
何とか現地の人を勇気づけられる、あるいは復興に役立つものはないのかと思うのだが、そう簡単にわだらんができるようなこともない。
せめて機会があれば東北の地元産品を意識して買うことくらいだろうか。
そもそも関西から東北はやはり遠いのである。
今のご時世飛行機を使えば東北など決して遠くないはずだが、だからといって簡単に飛行機に乗れるほど便数があるものでもなく、
LCCも沖縄や北海道を目指してばかりで、東北には興味がない。
もともと流動も多くないだろうし、どうせ飛行機に乗って観光旅行に出かけるのなら北海道や沖縄にいくだろう。
観光資源はたくさんあるのに、あまり東北地方の観光旅行というのを聞かないのは残念である。
そんななか、ふと夕刊を見ているとフルムーンパス利用の東北旅行の案内広告があった。
新幹線グリーン車乗継で豪華に東北へおでかけ。
もちろん時間とまぁまぁ経済的に余裕のあるシニア層を狙う商品なのだから、ゆっくりな移動であることはもちろんであるが、
それでも朝大阪をでて、やはり昼すぎにならないと目的地につかない。
まぁ移動中も旅行なのだからそれで楽しいのだろうけれども、やはり遠いなぁと思う。
特急日本海の定期列車としての運転はあと2日。
せっかく東北へ関西から乗り換えなしで行ける列車なのだが、廃止になってしまうのは残念だ。
もちろん車両の老朽化とか、利用率の低迷とか、廃止の理由は理解できるのだが、この時期廃止というのは少し残念に思う。
むしろ積極的に東北への利用をPRするくらいの迫力があってもいいのにと思う。
東北6県とJR東西でリゾートトレインを作って関西から観光客を呼び込むといいのに、とわだらんは妄想するのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たまねぎじゃがいも積載コンテナも多いのだそうだ
3/13
きょうは3月13日である。
昔のこの日に何があったのかとよくテレビや新聞のネタになるが、みなさんは何か心当たりはあるだろうか。
鉄ヲタ的にはこの3月13日は青函トンネルの開業日ということになるか。
1988年なので、もう今から2まわり昔ということになる。
景気も上向きだったし、JR化後ほど1年の威勢よさもあって、各種の報道やあるいは現地の人の集まりもかなり派手な一日だったと記憶している。
今となっては青函トンネルがあって当然と思われているかもしれないし、上野や大阪から札幌行き列車が当たり前のように出ているので、あまり特別なものとは感じないかもしれない。
これがまた新函館まで新幹線が開業するようになればまた騒ぎになるのだろうけれども、最近はすっかりトンネルそのものが観光資源として目玉になることは少なくなってしまった。
確かにトンネルだけなら何回も繰り返し足が向くようなところでもないからなぁ。
ところで、わだらん的にはこの3月13日は青函航路、連絡船の定期運行の最終日である。
実際にはこの1988年の夏に臨時の復活運行をしたので、この日が青函航路自体の最終運行ではないし、
一方同じ年とはいえ瀬戸大橋は4月開業でまだこのときは宇高航路は現役であったから、この3月13日が鉄道連絡船の最後の日というわけではない。
とはいえ、長い歴史をもつ青函航路がこの日で幕を閉じたことに代わりはなく、ちょっと気に留める日である。
青函航路は北海道と本州を結ぶ海の上の鉄道線路で、もちろん船は人ばかりでなく貨物もあった。
貨物列車を船のおなかに飲み込んで函館青森間を往復していたのである。
トンネル開業前の貨物時刻表には市販の時刻表にない貨物便の時刻も記載されていて、どの便にはどの貨物列車が載るのか、本州側と北海道側それぞれの継走列車が記載されていた。
人は列車から船まで長い廊下を歩いたが、一方貨車は列車を分割され順番に船に押し込まれ、あるいは引き出しされていた。
そんな光景を見に何度か函館へ出かけた。
今となってはただ単に懐かしいというか思いでの光景なのだけれども、今の若い人には決して想像できない光景だろうと思う。
でもどう考えても人の手の掛かる話ではある。
船を動かす船員さんだけでなく、列車を分割したり機関車で押したり、そして船の中で貨車を固定したりとさまざまな労力がいる。
今のように簡単に機関士が一人で貨物列車を牽いていくのとは世界が違うようだ。
このところ北海道内は旅客も貨物も事故が多いと聞く。
おまけに本州側は大雪の影響で運転見合わせになることも多い。
JR貨物のHPを見ていても遅れや運休の知らせが次々出てくる。
いろいろと理由も原因もあろうけれども、でも本来鉄道輸送は天候に左右されない安定した輸送のはずで、もっともっと貨物輸送が増えて、
トンネルを通る貨物列車が増えて、貨物列車街道として君臨してもらいたいものだ、と思う。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 目的が何であろうと新幹線の線路に入ってはいけない
3/9
木曜日、家に帰ると、家人が「ヘリコプターが飛びまわってうるさかった」と言う。
おそらくは昼のテレビニュースの主な項目に野洲上空のヘリコプターからの映像が使われたと思う。
往々にして上空をヘリコプターが飛び回るときというのは、あまりいい話はないのだ。
しかし世の中どうしてこう列車に喧嘩を挑む人間が多いのだろう。
火曜日の山崎駅構内や、水曜日の吹田駅構内なら列車にも近く、まだ発作的という言葉が分からなくもないし、ひょっとすると本人の意図ではなく事故であったかもしれない。
が、フェンスをよじ登って新幹線の線路に入るというのはどうみても発作とは思えない。
そこまでの覚悟があるのならもうすこし人生粘ってみてもいいのに、と思うのだが。
ともかく新幹線の線路に入ってはいけない。
法律で罰せられるのである。
2004年6月に台風で飛ばされたホテルの屋根が隣を走る新幹線の架線を切断し、7時間に渡って列車の運転ができなくなるという事故があり、
その取材中に新聞記者が新幹線の線路に無許可で入ってあとから送検された、とニュースになった。
このときは運転再開前で列車には影響がなかったのだが、ダイヤへの影響のあるなしにかかわらず新幹線の線路に入ってはいけない、ということである。
その事故の現場から、5kmほどのところがこの日のニュースのもととなった事故現場、つまり公衆立ち入り、列車触車の事故現場である。
わざわざ高架上の線路に入る理由がわからないが、なんで近江八幡なのだろうとふとホテルの屋根の事故を思い出した。
ところで、この人身事故、なんといってもすぐに停まれない新幹線である。
近江八幡市内は線形も路盤もよく、新幹線が常に高速で走っているところ。
人にあたったとブレーキをかけても停まったのは9km先。
野洲市大畑だという。
なのでヘリコプターが野洲市内の上空をたくさん飛んでいたのだろう。
ちなみにもう少し目安となる景色を記すと、触車事故の現場は下りなら近江鉄道を越えや少し先、当該のぞみ101号が停まったのは野洲川橋梁の東側である。
(つまり上りなら停まったのは野洲川を渡りきったところ、触車事故現場は日野川を渡ったすぐ先となる)。
目の前の線路にN700系が停まった姿はいつも新幹線を見慣れた野洲市大畑や三上の方にもさぞ珍しいものに違いなかろう。
まぁ目の前で列車が停まっているようなことがよく起こるようでは困るものだが。
昔、感覚的には10年、いや5年前くらいまで、新幹線での人身事故などとは聞いたことがなかった。
そもそも新幹線は安全な乗り物であって、人の命を落とすところではなかったはずである。
ところがこのところ新幹線での人身事故がやたら多い。
新幹線が以前に比べて敷居の低い、身軽な乗り物になったのは事実だろうが、かといって安易に触車されても困るのだ。
というよりそもそも列車に挑戦する人が少しでも減るような社会はできないものだろうか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 待つのに慣れたか、妙に静かな列車は停まってすでに1時間半
3/8
火曜日の夜のことである。
大阪駅19:45の3520Mに乗ろうと19:40に御堂筋北口の改札を抜けようとして、異様な光景に驚いた。
しばらく京都方面の電車はないという。
でも公式HPには振替はおろか事故の情報もないぞ、と状況もわからずとにかくホームへ上がる。
そこで聞くホーム係員の案内によれば、新快速は大阪打ち切り、快速は高槻折返し、普通電車は吹田と高槻折返しだという。
10番にはスーパーはくと12号が停車中、やがて3520Mが定刻に大阪9番に入ってきて、いつものように、運転士氏が交代。
駅から通告券を渡されて、宮操引き上げ折返しをするようだ。
とにかく目の前の新快速は野洲にはいかない。
どうしたものかと思っていると、隣からC電が出て行った。
234Cらしい。
これならまずは新大阪まで行くか、と7/8番へ移動する。
そこにやってきたのは米原行き822T。
やってきた822Tは225系で、車内テレビ(?)に20:30頃運転再開見込と出ている。
これなら途中から阪急に乗り移らなくても、まずは高槻まで行って、運転再開を待つことにした。
高槻とは、つまり乗りこんだ822Tは高槻まで、と車内でも駅でも案内しているのだ。
さて822Tは大阪を少し遅れで発車し、前のC電に手こずりながら高槻に15分遅れで到着。
運転台後ろに漏れ聞こえる無線で、高槻5番着と聞いていたのだが、実際高槻場内で渡り線を使って5番線(3番のりば)入線というのは初めての体験である。
822Tは833Tで折返し、わだらんは上りホームへ移動する。
3番線(1番のりば)には野洲ゆき新快速が停車中。
822Tで高槻までくる途中、吹田で抑止中の3518Mを追い抜いているので、この野洲ゆきは3516Mということになる。
ちなみにこの騒ぎ、山崎駅構内の踏切で起きた人身事故の影響で、当該は3514M、大阪19:00の新快速とのことである。
大阪駅でも、822T車内でも、あるいは高槻駅でも阪急へ振替輸送中の案内をしきりに流しているのだが、
ホームに停まった3516Mは満席の上立ち客も多く、みな黙って運転再開を待っているようだ。
梅田から烏丸まで特急で50分、そのあと地下鉄乗換をして京都までおおよそ1時間5分とみると、新快速で大阪から京都まで30分で走るとするなら、
もし1時間の足止めをされても実質30分程度の遅れにしかならず、振替輸送が必ずしも早いのかどうかわからない、と考える客も多いのだろう。
停まっている3516M車内も、ホームにいる人も、みな静かに運転再開を待っている。
一人少し酒の入ったおじさんが運転士氏を捕まえてぐだぐだ話しているものの、おじさんもあきらめムードで文句を言うというよりはぼやいている様子である。
一時期はこんな運転見合わせがあると、駅員や乗務員に当たり散らす客も少なくなかったが、今日は至って平和。
もうみな運転見合わせに慣れているのだろう。
あまり感心できることではないが。
運転再開はその後ずるずるのばされ、結局3516Mが高槻駅を出たのは21:10、定刻より100分遅れである。
幸いにもその後大きな足止めもなく、3516Mは105分遅れで野洲到着、時計は22時になっていた。
特急ならもう一歩で特急券払い戻しになる遅れ時間であるが、新快速なら別に2時間遅れてもまぁ問題にはならないか。
とはいえ、これだけ運転再開まで時間がかかったのは最近ではなかったのではないか、と思う。
事故に慣れて運転再開が早くなってくるのはありがたいことでもあるが、でもそもそも事故で電車が止まること自体がなくなってほしいもので、
ましてや振替輸送のお世話になるか、運転再開を待つかなどと悩むことがあっては困るものだ、と思う。
105分遅れとはいえ、わだらんとしては当初の3520M狙いが結果的に3516Mになってダイヤ上は30分早く帰れることができた。
とはいっても大阪駅から野洲駅まで実質2時間15分。
決して速いわけではないが。
しかし大阪駅で新快速の運転再開を待っていた人たちは、結局どうしただろうか。
新快速の運転再開は21:15からであったそうだ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たぬきは化けるものだが、緑のたぬきは進化か化けか
3/5
117系新快速が中心となって話が進む福音館書店1984年発行の「でんしゃにのった」という絵本がある。
偶然図書館の不要本市で見つけてきたものだが、とても気に入っている。
野洲をはじめとする滋賀県の主な図書館にはまだいくつか所蔵があるので機会があればぜひ見ていただきたい。
古い絵本なので、描かれているのは当然国鉄時代のものである。
従って登場する電車も117系のほか、EF58だったり、50系客車であったり、あるいは京阪260型だったり、ともう鬼籍に入った車も多い。
とはいえ、わだらんとすればごく当たり前になじんできた車両群で、古い絵本と思えないのは歳をとった証拠だろうか。
作者の西村慶明さんは細かい描写のイラストを描かれる方で、鉄道雑誌に連載されていたのでわだらんはすぐにピンと来たのだが、
この絵本を見るまで西村さんが人物を描いたものを見たことがなかった。
絵本のために特別に人物をいれたのだろうか。
話は母親と男の子が二人、電車に乗って出かけるという単純な話で、乗り降りの部分以外人物に動きはない。
電車の窓から、あるいは電車の走る姿を描いたもので、写真をもとに不要なものを省いた形でイラストにしたものではないかと。
具体的な場所が明示されてはいないのだが、おそらくは瀬田玉之浦、瀬田川橋梁、膳所駅、京都駅、新大阪駅などだろうと想像がつく。
P4-5のように草津宿のあたりか?と具体的な場所がよくわからないものもあるが、まぁあまり気にしないでおこう。
さて、あくまでこの電車の主役は117系である。
考えてみるとこの117系、なかなか不思議な顔をしている。
真ん中に鼻筋の通った対象形といえば80系湘南型の流れとも取れるし、下膨れと両側に回った窓は近鉄ビスタカー二世の流線型にも似ているような気もする。
とはいっても117系自体が国鉄型車両の中ではかなりの異色なので、他と比べるのは無意味なのかもしれない。
ただ、昔から117系の新快速色に慣れてきたわだらんとすれば、どうみても117系にはもとの色が似合うと思い込んでしまう。
東海車は帯の色をオレンジにしているが、それでも原色のイメージは残っていて個人的には嫌いではない。
むしろ岡山の不思議な暖色系のほうがどうも好きになれないのだ。
そんな117系に緑単色が登場しておおよそ1か月もたってしまった。
朝713Mに乗ると2日に一度、草津で5323Mに使われる緑の117系にご対面。
慣れてしまえばいいのかもしれないが、でも慣れても違和感というか、好きになることはできないのかもしれない。
117系の下膨れ顔をもともと地元ヲタはたぬきと称するが、いつのまにか緑のたぬきなどというどこかのカップ麺みたいなあだ名までついてしまった。
まぁ色を塗り替えるくらいだからしばらくは安泰か、いやそれもわからないか。
いずれにせよそう主役の座を降りた117系、滋賀県内で静かに余生を過ごしてもらいたいものだ。
これ以上緑が増えてもうれしくはないのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ でんしゃにのってえがおとげんきをもらおう
3/2
金曜日、いつものように713Mに乗ってはいるが、ちょっと緊張していた。
713Mとは石山ですれ違う、時折各鉄道会社の新車輸送に使われる8862列車というものがある。
このスジで今朝は珍客が来るという噂であった。
震災の被災地の子供たちに笑顔と元気を届けに行くそうだ。
どんな姿でくるのか、事前の情報が全くないまま713Mの車窓から気にしていた。
草津や瀬田で上りホーム発車標の「通過」の文字を見ながらわくわくしていると、瀬田川橋梁の手前で前照灯が見えてきた。
運よく上下線が分かれてすれ違い列車がちょうどよく見えるところである。
前照灯はやがて大きくなり、先頭EF210桃太郎である。
つまり、噂通り笑顔と元気を届けに行く列車がやってきたのである。
よく列車全体を見ることができるよい場所ですれ違ってくれた、と心の中で大喜びである。
やってきたのはJR四国の「アンパンマントロッコ号」である。
東北から関東の太平洋岸で子供たちを乗せて楽しんでもらおうという企画である。
作者のやなせたかしさんが四国高知出身のためJR四国が四国各地で走らせているアンパンマン列車の一つであるが、
それが桃太郎機関車に牽かれてトロッコと控え車キハ185の短い3両編成でやってきた。
またその短い編成がユーモラスでなんともかわいい。
ぜひ被災地の子供たちに愛と勇気を届けてほしいものだと思う。
せっかくなのだから輸送の時間なども公開すればもっと話題作りになったかと思うのだが、最近は迷惑なヲタが増えて厄介なことも多いので仕方がないのかもしれない。
先日新宮から名古屋回りで京都まで特急電車が運ばれた際も当初輸送計画が公表されたのに、後になって非公開になった経緯がある。
せっかくなら輸送の沿線の子供たちにも笑顔と元気を届けてあげてもよかったに、と思う。
でももっと残念なのは、このアンパンマンの愛と正義の意味が多くの人たち、いや多くの大人たちに理解されていないことだろう。
作者によると「正義とは飢えた子どもたちに食料をあげる」という極めてわかりやすいもので、また納得できるものだ。
これがアンパンマンの話の根底にあるのだが、そのことを多くの大人たちは知らないし、
ましてやテレビアニメの主題歌のアンパンマンマーチが愛と勇気を絶対として平和を願うとても深い意味を問うているのだが、そんなことは多くの大人たちが気付いていない。
小さな子供たちは難しく考えずに作者の意図する正義や世界観を感じているのかもしれないし、それが故に絶大な人気を誇るのだろう。
が、多くの大人たちにはその込められた意味を知らずに単なるキャラクターとしてしか見ていないのかもしれない。
でもこのトロッコに乗ることを招待された子供たちはきっと楽しいひとときを過ごせるだろうし、ぜひいい笑顔でいてほしいと思う。
しかしさらにもっと残念なのは、車体にアンマンパンの話に登場するキャラクターが各種多数描かれているのに、
逆にそれが条例に違反するとのことでわざわざ目隠しをしていることである。
確かに東京都内を全面広告した車体で走り回るのはトラックだけでなく鉄道車両であってもよろしくないのだろうけれども、
せっかく愛と勇気を届けに行くのに、広告と一緒にされてはあまりにトロッコ車両キクハ32にかわいそうな話である。
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