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12年  4

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1124.  4/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   赤いひかりというエリート列車は遠い昔

1123.  4/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   花の命は短いが、電車の命はどうなのだろう

1122.  4/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   たぬきは化けるものだが、緑のたぬきは進化か化けか

1121.  4/16 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   安朱の地の置かれた駅は京阪が先輩

1120.  4/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   宴会も楽しいが、電車を見ながらの桜吹雪もまた楽しい

1119.  4/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   北欧の国々に食べ物の大きな差はないが、瀬戸大橋を渡るとうどん県

1118.  4/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   他線区にまたがらない車両運用はヲタ的には少し物足らないか

1117.  4/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   積み残しと見送りは同義語と思う

1116.  4/2  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   待てる電車と待てない電車の境はなんだろう

1115.  4/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   うそでもうそでなくても「事故のない」話はないか

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   赤いひかりというエリート列車は遠い昔

4/28

列車ダイヤを考える上で有効時間帯という言葉がある。

もっとも最近は長距離、長時間列車がもうほとんどないのであまり意味のない言葉ではあるが、

列車の発着時間が発着地や途中駅でいわゆる使える時間帯なのかどうか、ということである。

長距離の場合一般的朝出て午後着とか、夜出て朝着ということになる。

で、実際手元にある山陽新幹線開業前の19695月の時刻表で大阪博多間の特急急行列車が何本あるか数えてみると

夜行8本、昼行8本(数え間違えがあるかもしれない)となった。

もちろん有効時間帯を5時から0時で考えているので、大阪を0時以降に通る東京からの九州行き寝台特急は数えていない。

もともとこの九州特急、「大阪を深夜に通過するとは何事」と列車設定時に大阪が文句をつけたそうで、確かに大阪からは使えない時間である。

とはいえ、大阪の人間がわざわざ深夜に利用するとも思えず、大阪発夜行と東京発夜行は上手にすみわけられていたのだろうと思う。

さて、時代は下って、今や新大阪博多は2時間半が当たり前になった。

電車のポスターを見ると、「博多へは新幹線、57往復運転」とある。

新幹線での新大阪発博多着の有効時間帯を6時台から21時台の15時間とすると、ざっと時間4本となる。

ダイヤ上均等にはならないが、とにかく30分待てば必ず博多へ行く新幹線がある、ということになる。

先の1969年の話では、おおさか16:35のはと2号を逃すともう夜行の時間帯になるのだが、今は21時台でもその日のうちに博多についてしまう。

なんとも便利なものだ、と思う。

 

ところで、その57往復に「のぞみ・みずほ・さくら」とあるが、「ひかり」がない。

あれと気になって時刻表を調べてみると、いつの間にか新大阪から博多に行く「ひかり」は1往復のみになっていて、しかも途中でのぞみ等に多数抜かれているのである。

東海道区間でもひかりがのぞみに抜かれるのはいまや当たり前の光景だが、新大阪博多間でひかりが1往復というのはちょっとびっくりである。

もちろん従来のひかりの列車スジが九州直通に建て替えられているのではあるし、逆に東京からの博多直通はみんなのぞみなので、当たり前といえばそうなのだけれども。

まぁ新幹線の主役がのぞみになってしまってはひかりの出番も少ないものか、と少しさびしい感じもする。

 

ところで、その博多への直通のポスターの横に九州直通のみずほさくら23往復のポスターもかかっていた。

23往復が多いのか少ないのか考え方はいろいろだろうけれども、昔なら半日、いや一日がかりの区間の距離を23往復。

先日廃止になった長野電鉄屋代線とその代替バスが15往復。

ちょっと考えてしまう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   花の命は短いが、電車の命はどうなのだろう

4/23

桜の花が一気に散ってしまった。

朝夕の電車の中から花見ができなくなるのは残念なことだが、季節は進んでいくのだからしかたがない。

これからはあちこちに咲くいろいろな花や田畑の風景を楽しんでいく季節。

野洲駅近くの水田も水が入って田植えの準備が始まったようだ。

市街化区域になって近々宅地化されるようだが、なんとか今年は稲作をしてもらえるのだろうか。

稲作ほど日本の四季を感じさせてくれるものはないと思っているのだが。

 

さて、そんなわけで桜の花は散ってしまった。

大津の上りホーム京都方は雨に濡れた桜の花びらがホームに貼りついてまるで桜色のペンキを塗ったようになっていた。

これがふさふさしていれば絨毯になるのだが、桜の花びらでは絨毯にまではならないのが残念だ。

でもほんの一時とは言え、ちょっといいものを見た、とうれしくなってしまった。

大津でも駅で桜吹雪が楽しめるのなら、きっと松浦鉄道の浦ノ崎駅とか、のと鉄道の能登鹿島駅とか、

いつも満開の桜ばかり話題になるが、花が散ったあとのホームや線路で舞い上がる花びらもさぞすごいのだろうな、と思う。

あまり花吹雪の中の列車の写真を見たことがないが、どんなイメージなのだろう?

とはいえ、ふと思ったが、花びらが架線に付着したら問題になるのだろうか。

晴れた日ならひらひら舞うだけなので良いとしても、風の強い雨模様の日なら散った花びらが架線に貼りつくことはないのだろうか。

花びらは小さい軽いものだし問題ないのかな。

運転台のガラスに貼りつくことはないのかな?などと考え出すときりがない。

桜の木は列車に表情を与えてくれるのは間違いないが、案外電化路線ならやっかいなものなのかもしれない。

少なくとも松浦鉄道ものと鉄道も非電化であって、仮に電化されていたら桜のアーチは難しいものなのかもしれない。

いや、そういえば御殿場線山北駅は電化されていたなぁ。

もっともあそこは木から線路が離れているから、アーチとまではいかないか。

 

ともあれ、海津大崎の桜ももう終わるようで、また季節が進む。

湖西線の今や名物になった海津大崎帰り客用117系の新快速はもう今年が最後か、

いやまた来年もあるのか、桜の花の命より電車の命を考えてしまうヲタの常である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   たぬきは化けるものだが、緑のたぬきは進化か化けか

4/20

週末なぜか仕事場の片づけが進み、大阪17:303496Mで帰宅。

いつも混雑する着席しにくい電車であるが、日が長くなって野洲まで車窓が楽しめるのがありがたい。

立ってかつ暗いのはつまらないが、立っていても車窓があればまぁ楽しいものだ。

ほとんど散った桜をあちこちで見ながら電車は進む。

すると向日町に緑色の117系が2本いるのに気が付いた。

2本目が出ていたのはネット上で聞いていたが、2本揃ってみるのは初めてである。

今の117系は定期運用に余裕があるので、車庫で昼寝している光景が日常になってしまったのだが、緑色の117系はやはりどうもなじめない。

そもそもおでこの広い電車に単色は似合わない、とわだらんは思っているのだ。

とはいえ、少しの定期運用と団体臨時列車をこなす姿は末期の急行型のようにも見える。

そもそも急行型153系の後継が関西では117系なわけで、かつての急行型がねぐらとしていた向日町に昼寝しているのは昔がえりなのだろうか。

 

一方、東京では153系・165系の置き換えは快速用でなく汎用特急車と言われる185系になった。

185系も普通列車に使われる特急型安物車両と酷評されたのだが、結果的にその中途半端が使いやすいのかどうなのか、いまだに全車健在である。

むしろ本来の特急車である183系のほうが先に主役を降りたのは時代の要請なのか車両の特性なのかわだらんには事情がよくわからない。

 

そんな汎用特急車185系に、旧国鉄の特急色を纏ったものが出たそうだ。

もともと185系は赤とクリームの特急色に塗られたことはないので旧色復活ではないのだが、少し懐かしく見えたりする。

特に多くのヲタは157系の再来と思っているようで、もちろん塗装の狙いもそこなのだろうと思う。

とはいっても157系はずいぶん薄命な車両で、最長でも車齢17年の短い命である。

もう廃車されて30年近くになり、おそらく多くのヲタは実車を見たことがないのだろうと思う。

わだらんもかすかに東京駅で見たことがあるだけで乗ったことはない。

特異な風貌や運用から知名度は高く、かつ今も一応残る貴賓車クロ157の所在がより伝説的な印象を持たせるのかもしれない。

 

その157系は東海道新幹線開業までの約5年間、東京大阪間の特急ひびきに使用されていた。

つまり野洲も通過していていたわけである。

山科築堤を通過する157系の写真は見たことがあるが、どうも野洲を157系が通過していたのは想像がつかない。

 

せっかく旧特急色塗装になった185系、一度大阪まで特急ひびき復活などと臨時運転してほしいものだが、どうだろう。

団体貸切なら簡単に実現しそうな気もするし、ぜひ野洲の田園風景を走る185系国鉄特急色車を見てみたいものだ。

もし緑のたぬきが特急色185系を見たらどう思うだろう?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   安朱の地の置かれた駅は京阪が先輩

4/16

富山市内の神通川にかかる富山大橋が架け替えられたそうだ。

単線だった富山地鉄の市内電車軌道も複線になって、とても電車が気持ちよさそうに走っている。

複線の中央部に柱を立て、両側にやじろべえのようにビームを伸ばして架線を吊っている形はとても美しく、なんともほれぼれする。

とかく富山はライトレールばかり取り上げられるが、他にも地道な改良が続けられていて、それではじめて市内電車などの公共交通が栄えているわけである。

広島電鉄の路面電車も車両が主な注目点ではあるが、でも横川や西広島の電停改良とか、電車接近表示とか、いろいろと改良が進んでいる。

広島市内の電停もホーム長さといい、電停の屋根の長さといい、とても日本には思えない姿になっている。

 

結局のところ公共交通、特に市内や郊外からの市内移動は自家用車に利便性では勝てるわけもなく、

どうやれば電車やバスに乗ってもらえるかの工夫を常にしているかどうか、だということになる。

先日松江の一畑電車が会社創立100周年行事で電車を無料にしたところ、満員御礼の大盛況だったそうだ。

もちろん私企業なのでいつも無料では経営が成り立たないが、でも無料ならあふれんばかりの乗客がいるということで、つまり潜在的な利用者はいるということである。

無料の乗車体験がきっかけになって電車の利用者が増えてくれればうれしいが、なかなかうまくはいかないだろう。

でもきっと地道な努力は花開くだろうと思う。

 

現実問題として地方鉄道の運賃の高さは気になるところだ。

先日廃止された長野電鉄の屋代線の場合、屋代須坂間24.4km880円。

JRの本州幹線なら400円である。

屋代線の場合は運賃の問題よりも、路線が人の流れに合致していないという問題のほうが大きいとは思うが、でもやはり運賃の高さは大きいと思う。

運賃に見合う価値が見いだせるような施策やその周知も大事だろうし、それを支える地域や行政の参加も不可欠なのだろう。

 

今年は京阪大津線100周年とのことで、まもなく特急色の600型が出てくると発表があった。

前面の姿が違うので260型と同じ印象にはならないだろうが、でも楽しみである。

わだらんはいつも京阪大津線は適度なバリアフリーや頻繁な運転、短い駅間距離、そして地元と常に何か催しを行う姿など洗練されたライトレールだと思っているのだが、

なかなかライトレール、LRTの仲間として騒がれないのが残念だ。

ぜひ100周年で盛り上がってほしいものだ、と思っている。

それにしても満員の一畑電車、見たかったなぁ。

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   宴会も楽しいが、電車を見ながらの桜吹雪もまた楽しい

4/13

前にも書いたことがあるのだが、八幡市の桜の名所「背割堤」の桜はJRの電車からも見ることができる。

とはいっても、まずそれをそれと知っていなければ、しかも正確な位置がわかっていなければ見ることができない。

つまり車窓で飛び込んでくる風景ではなく、見に行かなければわからない風景なのである。

その背割堤の桜も見ごろのようで、電車からも桜の並木を楽しむことができる。

とはいっても、わざわざそんな見えたかどうかわからないような背割堤の桜を見なくとも、

野洲大阪間でそれこそあちこちで無数に近い桜の花をめでることができるのだから、もう十分である。

電車からしか見ることのできない吹田東淀川間の鉄道用地内の桜や、摂津富田の家電工場や西大路の電池工場の敷地境に植えられた桜、

あるいは大津駅の駅ビルと線路の間の並木とか、気になる桜を思い出すともうきりがない。

わざわざ花見に行かなくても車窓を通勤途中に楽しめるのだから、なんともありがたいことだ。

 

幾分例年より遅いとはいえ、ちゃんと桜は咲いてくれたし、またその桜の花を見ると心が和む。

やはり日本人は桜の花が好きなのだろうか、これほどあちらこちらで咲く花もないのではないか、と思う。

駅に桜の木があると名所として雑誌などでも取り上げられて有名になるものが多い。

が、そのほとんどはたとえば松浦鉄道やのと鉄道のようなローカル線の駅で、いわゆる通勤電車が走るような駅はない。

基本的に桜の花はきれいではあるが、多客の駅には似合わないようである。

もちろん都会の多くの駅は高架や地下で、もともと植栽ができないという理由もあるが。

113系や223系が通勤電車の部類になるかどうか議論はあるかもしれないが、でも滋賀県内はホーム近くに桜が咲く駅も多い。

 

そういって毎日桜を見ながら地元の電車に乗っている。

名所でなくても身近で十分に楽しめる、これがいいのだ、と一人で悦に入っている。

週末だし、稲枝か油日駅の桜でも見に行ってみるかな。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   北欧の国々に食べ物の大きな差はないが、瀬戸大橋を渡るとうどん県

4/10

今日は410日。

多くの方はあまりピンとこないかもしれないが、今日410日は瀬戸大橋の開通日である。

青函トンネルが3月のダイヤ改正に間に合ったのに、瀬戸大橋はなんで間に合わなかったのかいまいちよくわからないが、

とにかく24年前の今日、瀬戸大橋は開通したのである。

開通当時は物珍しさもあって多数の観光客が列車利用したものだが、いまや当たり前になってしまってあまり観光地というイメージではない。

むしろ大きな吊り橋が謳い文句の明石海峡大橋に四国連絡のお株を奪われたような気もする。

これも結局自家用車の利用がさらに増えたことが原因と思うのだが、まだ瀬戸大橋ができた時には通行料が高いと多くのマイカーユーザーは橋の利用に躊躇していたのである。

とはいえ、瀬戸大橋と瀬戸大橋線はすっかり地元ではなじんでいるように思う。

毎日海を越えて通学する高校生もいるし、対東京大阪の新幹線連絡を含むとはいうものの、時間3本〜4本、海を渡る列車が走っているのはなかなか壮観に思う。

瀬戸大橋線も利用客伸び悩みで苦しいところではあるが、なんとか頑張ってほしいものだと思う。

 

ところで、この瀬戸大橋と北欧のオーレスン橋と姉妹橋である。

オーレンス橋はデンマークのコペンハーゲンと海を隔てたスウェーデンのマルメという街を結んでいて、こちらは県境の上を行く国境にかかるものである。

もっともデンマーク語とスウェーデン語はほとんど親戚だし、食べ物も同じようなものだし、あまり国境という意識はないのかもしれない。

わだらんも何度かこの橋を列車で通ったことはあるが、そもそも列車の乗務員がどこの人でどこの言葉をしゃべっているかまったくわからない。

しかもこの地域の公共交通企業体が主体の快速電車が20分おきに走っている状況で、国が違ったと感じること自体難しいように思う。

車両も両国国鉄が同型車を持って運転しているので、編成番号など細かいヲタ的観察がなければ区別がつかない。

ちなみにデンマークとスウェーデンはおなじクローネという通貨ではあるが、同一のものではないので、

海峡を渡るフェリーには両替窓口もあるし、行き来するには財布を二つ持っていなければならない。

列車の乗客、特に通勤客などはどうしているのだろうか。

 

しかし本来境というか壁があるはずなのに、それを感じさせずにさらっと走り抜けてしまうのはすごいなぁ、といつも感心するのである。

ただ、オーレンス橋や、国境間の列車があまりに当たり前すぎて、観光名所の様相がないのがちょっと残念に思えたりする。

幸いにも瀬戸大橋とその周辺は瀬戸内海の風光明媚な観光地の中である。

しかも最近は香川県がうどん県と一生懸命PRしている。

ならばせめて全部の列車とは言わない、一部の観光列車に限ってでも列車のなかでうどんを食べられないものか。

瀬戸大橋を渡りながら車内でうどんを食べるのはなかなか楽しそう。

かつて中央東線や信越線急行でそばを扱っていたのだから、不可能ではないと思うのだが。

 

とはいえ、あまりに日常化した快速では観光客がうどんを食べることもないか。

何しろ18切符のおばさんたちは座席を確保することが大事で、あとは橋を渡っていても陸についてもあまり興味がないようだから。

そういえば今日10日でこの春の18切符族も終了である。

大垣米原とか姫路岡山とか県境を越える閑散区間もまた静かになるだろう。

国境であれ県境であれ、いつもの姿が一番自然、これは当たり前である。

とはいえ、観光客がいなければ定期外客は増えないし、定期外客が増えなければ観光地全体が縮小してしまうし、さてどうしたものだろうと、

京都を過ぎても席を立たない金毘羅さん土産袋を持ったご婦人の前に立ちながら考える。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   他線区にまたがらない車両運用はヲタ的には少し物足らないか

4/6

朝晩大阪駅を利用するが、いつも思うのは大阪駅を通過する、つまり大阪駅を通り越して京都線と神戸線をまたぐ乗客の多さである。

確かに京都三ノ宮でも1時間程度、通勤距離としてはなんら驚くものでないが、大阪を通り越す需要が結構あるのはやはりびっくりである。

だから逆に慣れない新快速利用者が大阪駅で並んでいても座れないなどと文句の一つもの出るわけで、

そもそも新快速が大阪始発でない限り、座席の半分はすでに埋まっていると思わなければならない。

逆手に取れば新大阪や高槻で座れる可能性も高いわけで、途中で降りる客の見極めができれば、相当のヘビーユーザーということになる。

阪急でも京都から三ノ宮へつながってはいるが、十三で乗り換えなくてはならないというのはかなりの苦痛なのだろうと思う。

仮に神戸から京都へ帰る場合、阪急神戸線内で座れても十三から座れるかどうかわからない。

JRなら三ノ宮で座ればそのまま京都まで座ったままなのである。

そんなわけで線区をまたぐ直通運転は実に便利と支持されるわけだ。

実際いつの間にか大阪環状線の西側区間日中は阪和線や大和路線への直通運転のほうが環状運転より増えてしまった。

便利なことはいいことである、それは間違いない。

 

ところが、いざ何かあると直通運転は大騒ぎになるもとでる。

阪和線の事故による列車ダイヤの乱れが嵯峨野線に波及したり、姫路で川を渡れなくなると滋賀県内で電車のやりくりがつかなかったり。

今やダイヤ的にも車両運用的にもその線区だけでまとまる閉鎖的なところなどほとんどない。

もちろん加古川線や姫新線のようないわば独立線区もあるにはあるが。

 

一方湖西線や草津線は車両運用的にはわりと独立していて、本線で何かあった時でも草津線の京都直通はほぼ定刻で運転できるので、琵琶湖線内の大事な輸送手段である。

さらに京都山科間は湖西線も車両運用は本線の影響を受けることが少なく、ダイヤに乱れが生じたとしてもとりあえず運転はできる。

車両も乗務員もいわば閉鎖された中で回るので、とりあえず遅れは出るにしても、車両がないとか乗務員がいないということは少ないのである。

 

さて、先日の火曜日、あの嵐の日のことである。

本線は神戸線が日中から長時間、琵琶湖線内も野洲川で日中止められて、ダイヤは崩壊していた。

そのおかげで帰宅難民の一歩手前になったのだが、あの状態ならダイヤの崩壊もやむを得ないと思う。

そんな中、実は湖西線は京都と近江今津の間夕刻以降も遅れを持ちながらも走っていたのである。

風に弱い湖西線の印象は強いが、列車を止めるような風が吹くのは山を駆け下りるときで、南から吹き付ける風はむしろ山に遮られて大した風にならないのである。

なので、それなりに湖西線電車は動いていたのである。

つまりこの日も京都山科間の移動は大きな問題なく、京都で右扉側が詰まっていても、山科で左側から車内に入れた、という話である。

日頃ボロボロと揶揄される湖西線113系であるが、運用が独立しているおかげでわだらんは救われたわけである。

山科から電車に乗ったと先日書いたところ、わざわざ京阪で移動かといわばねぎらいの言葉をいただいたが、

そんなわけで大した苦労せず、ごく普通に京都から山科へ移動できたのである。

とはいえ、これも結局のところ結果オーライであって、大阪駅では京都以東の状況など案内できる状態ではなかったし、

仮に大阪駅で琵琶湖線内の様子を説明していたとしても、乗客が京都に着く時点ではもう状況が変わっているだろう。

その場の様子はその場にいなければ理解することは難しいし、ましてやホームにいるだけで京都米原間の様子をわかるわけもない。

琵琶湖線が独立したダイヤや車両運用ならもう少し何とかなったかもしれないが、

でもそのために朝晩京都で乗り換えを強要されるのも勘弁願いたいし、結局今の状態がそれなりによい、ということになるのだろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   積み残しと見送りは同義語と思う

4/4

国鉄電車は基本的にMM’ユニット、つまり電動車が2両で1つ分の構成を組んでいた。

なので、国鉄末期の普通電車、特に急行型電車の転用で使われていたものは3両編成で運用されるものが多かった。

その多くは経年劣化で取り替えが進んでいるが、そのほとんどが新しい1M方式の電車、つまり電動車が1両単位で構成されるもの。

つまり3両編成の多くが2両編成に取り替えられたのである。

仙台や金沢、あるいは鹿児島をベースに運用される普通電車の多くは結果的に減車になっている。

中央西線の東海車も、あるいは紀勢線新宮紀伊田辺間などもその部類である。

最近も北陸線で521系の増備による運用拡大があって、富山金沢間でも2両編成が増えた。

朝夕は多くの列車が2本連結の6両編成で運転されていたので、2両単位なら同じく4両である。

確かに朝6両が4両になるのは見た目たいへんそうにも思えるが、でも急行型が3扉車になっているわけで、

車内のスペースというか詰め込みの出来高はあまり変わらないように思う。

一部のヲタが「積み残し」などと騒いでいるが、そんな積み残しが出るほど混雑しているとはとても思えないし、

逆に積み残しが出るくらい利用者がいるのならむしろうれしいことなのかもしれない。

多くの場合、積み残しと見送りは同義語とわだらんは思う。

もちろん東京の一部の電車が本当に乗りたくても乗れない状況になることがあるとは十分承知しているが。

 

ところで、春の嵐というか爆弾低気圧が通過した火曜日のことである。

夕方早く帰れとのお達しが出て、大阪駅に着いたのは18時少し前であった。

駅構内は新人の集団や春休みの子供たちなども加わって大騒ぎ。

環状線は電車が来るかどうかわからない、神戸線側は運転見合わせ中、京都線は一部普通電車のみ運転中、とほとんど電車がない。

地下鉄御堂筋線も中津以北見合わせ中で、新大阪新幹線へは阪急京都線で南方から歩けと案内される状況。

慣れない客多数が改札口であれこれ繰り返しものを尋ねているが、そもそも神戸方面へは阪急に乗れとしか案内ができないし、

これが人身事故ならある程度運転再開のめども立つが、自然相手ではどうしようもない。

台風なら前日くらいからみな用意をするのだろうけれども、春の嵐がここまでひどいとは多くの人間が予測していなかったのであろう。

文句を言われる駅員氏もかわいそうである。

 

さて、京都に普通電車利用で着いたわだらんは京都でさらにびっくり。

そもそも琵琶湖線側に電車がいなくて、京都以東の折り返し運転がないのである。

つまり京都からの滋賀県民はほとんど来ない大阪からの電車に乗る羽目になっていて、2/3番ホームは階段も含めほとんど身動きが取れない。

あれこれ悩んでいる間に1時間近くがたち、続けて2本大阪から電車がやってくるとアナウンスがあって、電車がやってきた。

とは言ってもやってきたのは6両の221系。

これではとてもホームの客が捌けるわけもなく、ドアも閉まらず、3番側にいたわだらんは2番側の電車の状況が分からないままホームに残ることになった。

こんな場合はやはり積み残しである。

乗りたくても乗れないのだから、積み残し。

もっとも積み残しの前にまずあきらめムードなので、ある面見送りかもしれない。

結果的にわだらんは山科から3本あとの電車で野洲まで帰ってきた。

どの電車なのかよくわからないが、野洲に着いたのは2040分を回っていた頃であった。

こんな状況なのだから3時間弱で帰られただけよしとしなければならない。

 

しかしわだらん自身帰宅難民の一歩手前だったわけで、後から考えると恐ろしい。

というか、案外帰宅難民の発生方法は簡単なのだ、ちょっとしたことがあれば帰宅難民はすぐに発生する可能性があるものだ、と妙に納得してしまった。

自然相手の運転混乱中はむやみに大きな駅にいない、どうもこれが基本的な考え方だろう、と思う。

もちろんヲタとしての怖いもの見たさはまた別の話であるが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   待てる電車と待てない電車の境はなんだろう

4/2

昔むかし、またパノラマカーが主役の頃の名鉄常滑線の話である。

太田川という駅で常滑線と河和線が分岐するのだが、ほぼY字構造になっていて、列車ダイヤもほぼ二つ割りになっていた。

つまり太田川まで名古屋方から急行・普通電車がそれぞれ15分おき、時間4本ずつやってくる。

急行と各駅停車それぞれは常滑線、河和線と交互に来る。

そして太田川で常滑方急行と河和方各駅停車、そして河和方急行と常滑方各駅停車が接続する。

河和方各駅停車は半田まで、常滑方各駅停車は常滑までそれぞれ15分後の急行より先着するダイヤであった。

太田川を過ぎると列車本数は半分、30分おきになるわけだが、名古屋金山からならとりあえず急行に乗れば常滑も半田も時間4本列車が確保されている形であった。

今では空港特急などできてずいぶんパターンが崩れてしまったが、昔はきれいな15/30分パターンであった。

ダイヤの見た目も美しくかつ機能的なよくできたパターンだと思っている。

 

それに近いのが上りの夕方以降の野洲での新快速と普通電車の接続である。

野洲止まりの新快速からは米原へ後続の新快速より先着となる普通電車に乗り換えができ、近江八幡や彦根には時間4本確保されているのである。

もちろん地元の滋賀県民にはもうすっかりおなじみで、野洲着の新快速からは大量の篠原以遠客が大移動する光景が30分おきに繰り返されているのである。

大移動は見ていて面白く、寝坊客があわてて普通電車に走りこんでドア再開閉とか、

あるいはもう普通電車が出た後にふらふらホームに飛び出す酔っ払いなど、ちょっとしたドラマがあることも多い。

ホームに残された乗り遅れ客が見送る普通電車の走り去る姿はちょっと物悲しく見えたりする。

この接続パターンがあるからこそ琵琶湖線、特に野洲以東の利便性があるわけで、このパターンなしでは利便性も、そして利用客増加も見込めないであろう。

 

ところがこの接続パターンが崩れると、野洲駅上りホームはちょっとした騒ぎになる。

もともと広くないホームに人が多くいるのも異様な光景だが、一方車掌や駅員に文句を言う客が多いのもまたいつもの光景になってしまった。

まだ宵のうちならまだまし、20時を回って普通電車が30分おきに減ると、ちょっとした遅れで新快速から接続できなかった客は30分野洲で待たされることになる。

全体にダイヤが乱れた状態ならまだしも個別の理由で遅れた新快速が普通電車に振られてしまうと厄介である。

 

先週の火曜日、3520Mに乗っているとまさにその条件になってしまった。

大津で急病人介護の停車があって9分遅れになり、その遅れのまま野洲に着いたのだが、普通電車818Tは既に出た後である。

車内で「普通電車接続はありません」と事前にアナウンスがあったのだが、でも納得できない客はやはり出るものだ。

案の定野洲駅の改札でクレームをつけている客がいる。

見た目あまり恰好のいいものではないが、でもクレーム自体はその通り、と思う。

結局のところ、なぜ818T9分待てなかったのか、待ったらどうなるのか、わだらんにはよくわからない。

そんなにダイヤを大きく乱すこともないと思うし、単に遅れの電車を増やさないだけなのだろうか、何か米原駅の入れ替えの事情でもあるのだろうか。

どこまで待てるのか、待てない理由は何なのか、もう少し基準があれば、

そしてそれがきちんと乗客に説明できれば、現場の乗務員や駅員の対処も楽だろうと思われるのだが。

 

とそんなことを考えていながら大阪17:453498Mに乗って帰ってきた月曜日、野洲に着くと後続3500Mの遅れ案内をしている。

大阪18:00の新快速は異音検知のため9分遅れで走っているそうだ。

ならば804Tは能登川まで先着かというと、どうやらそのまま遅れの3500Mを待つらしい。

わだらんは野暮用でそのまま駅を離れたので、その後どうなったのか正確なところは知らない。

でも804T9分遅れを待てるのなら、本数の減る遅い時間の普通電車が遅れ新快速を待てない理由は何なのか、ますます悩んでしまう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   うそでもうそでなくても「事故のない」話はないか

4/1

このところどうも夢のある車両の話がない。

何をして夢というかは個人の差があるのわけだが、少なくともわだらんの場合、見て乗ってわくわくするような車両が最近あまりにない、と思うのだ。

N700系新幹線も、E5系新幹線も、確かに速いし快適だろうし(ちなみにわだらんはE5系未体験なので)、車両の完成度も高いのだろうけれども、どうも何か足らないような気がする。

もちろん今の東海道新幹線に夢のある車両といってもなかなか現実に無理なのはよくわかっているが、でも何か個人的に寂しい思いはある。

結局のところ、わだらんの思いとしては、歴代の車両を壁に描いた階段を二階に上がるうれしさ、天井に回った大きな窓の作る明るい空間の広がり、

こんな楽しい100系食堂車に勝てる車はもうこの先出現しないのではないかと思うのだ。

そういえばまだわだらんが小さい頃、新幹線ビュッフェでカレーライスを食べたのがとてもうれしい思い出なのだが、

今の子供は家族で新幹線に乗っても座席で駅弁なので、あまり特別な印象はないのではなかろうか。

食堂車が必ずしも最高のものではないのだろうけれども、でも座席と違う空間で過ごすのは子供のきっと楽しい思い出になるのだろうなぁと思うと、ちょっと残念である。

列車の旅の楽しさはいつもと違う空間で過ごせることだと思うし、例えばJR九州「あそboy」の親子シートはきっと楽しいものだろうと思うのだ。

あさぎり371系などもちょっと特別な車両なのだが、これも引退してしまっては、ますます個性的な車がいなくなってしまう。

寝台車もきっと子供に楽しいものなのだろうけれども、少なくともカシオペアはあまりに大人すぎて、子供に縁がない。

 

そんなわけで、41日のうそつき日に考えたネタは「新型N700A系に二階建て食堂車」、それに「安い夜行列車」。

高級な寝台列車はまぁ何とか残るだろうけれども、もっと安く気楽に移動の足として使える夜行列車があってもいいな、と思う。

現実には難しいと容易に想像つくが、まぁあくまで個人の単なる妄想なので思いつくままの話である。

 

でも本当は「人身事故が発生しなくなったのでダイヤが乱れなくなった」というニュースが流れてくれるのが一番いいなぁ、と思う。

うその日のニュースでなく、本当のニュースになってもらえないものか。

何しろこのところ毎日神戸線で事故があって、電車がまともに走っていないのだから。

 

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