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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
12年 5月
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1135. 5/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 接続をとる無線、とらないことを告げる無線
1134. 5/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 枚方の事故で高槻の電車が止まるのはどうなのだろう
1133. 5/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 長崎発はJQカード会員限定で関西往復
1132. 5/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ LCCで羽田空港や成田空港経由は乗り換え不要
1131. 5/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車から離れてホームの内側を歩いてください
1130. 5/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 城崎温泉も白浜もどちらも大阪から約180km
1129. 5/15 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電車ではないが甲賀市の市内電車みたいなものだな
1128. 5/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 南海電車には帝国車輛製造の銘板をつけたものがいるそうだ
1127. 5/8 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 視界100mを切ってしまえば赤信号もぼんやり見える
1126. 5/7 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 一度に5万人も集める施設はなかなかないな
1125. 5/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 水鏡に映る姿もまた季節の移ろい
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 接続をとる無線、とらないことを告げる無線
5/31
また列車無線の話である。
というのも、月曜、火曜、水曜と今週帰宅時に毎日異音感知のおかげで細かい列車遅れに付き合わされているのだ。
火曜日は当該が何かよくわからないのだが、前を走っていた列車が石山瀬田間で異音感知とのことで、
1号車最後尾でのんびり座っていたわだらんに車掌室からの無線が聞こえてくる。
一本一本列車を呼び出して、「石山瀬田間第二閉塞から第0閉塞まで45km以下」と伝えてまたそれを復唱していくので、
もともと速度低下による遅れが発生する以上に指令伝達に時間がかかってしまい、ますます列車は遅くなる。
もっとも車掌氏はその無線の内容を平易な言葉で車内にアナウンスしているので、無線が細かいのも悪いことばかりではないのかもしれない。
たいていの場合は異音感知といっても何事もないが、でもたまに小動物の死体があったり、あるいは実際に線路の破損が見つかったりするので、
たかが異音感知と軽くあしらうわけにもいかず、厄介である。
置石などのいたずらもたまに発生するし、事故になっては遅れでは済まなくなってしまうのだから。
とはいえ、この障害があった時の指令の無線のやり取りはなんともいらいらするものである。
踏切遮断竿が折れたなどともなれば、通過する列車すべてに位置と徐行区間を指示するので、遮断竿が直ってしまうのではないかと思うくらいである。
もっともこれも列車本数の多い本線区間だからそう思うだけで、
それこそ草津線で踏切遮断竿が折れても無線のやり取りなどしれているように見える。
結局こういった列車整理上、あるいは列車への指示による遅れは、列車の本数が多いほど雪だるま式に増えるのだろう、と思う。
首都圏の通勤区間など噂には聞くが、実際遅れ始めた時は大変なのだろうな。
幸い今週の遅れはわだらんの帰宅には大きな支障にならず、10分とか15分の遅れで済んだ。
乗客の皆さんももう慣れっこで、大きな声を張り上げるような人もおらず、至って車内はいつも通りである。
とはいえ、草津線など乗り換えを要する人たちはやはり細かい遅れでも気になるだろう。
列車本数が少なければ遅れも目立たないが、もらった遅れでは手が打てないわな。
列車無線を翻訳しながらアナウンスしていた車掌氏、草津で本来乗り換えられる列車は待たないと冷たい仕打ち。
でもこれは車掌氏が悪いのではないし、かといって指令が無神経なわけでもない。
仕方がないといえばそれまでだが、
でも目の前にいる甲西町立図書館シールを貼られた本を開いているおねえさんの帰宅時間がちょっと気になったりする。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 枚方の事故で高槻の電車が止まるのはどうなのだろう
5/30
なんでも昔々というともうおじいさんになってしまうのだが、少なくとも昔なら起こらなかったことがよく起こる。
月曜日は山陽電車が列車無線の故障で運転見合わせになったそうだ。
列車無線がそもそも定着したのはいつだろう?
三河島事故のあと、常磐線は列車無線を整備したが、
新幹線以外の国鉄線で列車無線が整備されたのは民営化前後だった、と記憶している(ご存知の方がおられたらご教示ください)。
それまでは何か変更事由があると駅で通告券をもらうのが通例で、
優等列車に途中駅で通告させる場合は駅長が出発信号を停止現示にして列車を止めるのであった。
今は列車無線で変更事由は通告するし、出発信号を触るのは指令所である。
もちろん昔も指令所はあったわけで、そこからの指示を駅を通して列車に伝えていたのだから、
直接列車に伝わることで指令事項の伝達は速くなったのだが、その分駅の地位はずっと下がってしまった。
もう多くの駅が信号や進路を駅扱いでさわることがなくなってしまった。
だからといって一般の利用者が駅の信号扱いに関心を持っているわけではないので、どうでもいいヲタの世界の話なのだが。
昔新幹線の紹介映像で運転台の場面が出てくると、その多くで列車無線のやりとりを見せていたように思う。
列車と指令所が直接つながっているという話は新幹線ができた頃だとずいぶん新鮮に見えたのだろう。
新幹線の運転部長をされていた斉藤さんという方の本を読むと、
まだ新幹線が開業したての頃は乗務員と顔を直接知っているので、それぞれ列車を呼びだして声をかけたなどとある。
もちろん列車本数もずっと少ない時代だからこそのものなのだろうが、なんとも優しい時代なのだろうかと思う。
そんな日の夕方、歯医者の予約があって早く帰ろうと大阪駅9番に17:40に上がった。
すると17:30の3496Mがちょうど入線してきた。
神戸線内の異音感知の影響で遅れているようだ。
とはいっても遅れは限定的で、次の3498Mは定刻に大阪駅に着き、
目の前の3496Mを見送ったわだらんは難なく大阪駅で3498Mに着席できたのである。
が、結局大阪駅定刻着の3498Mは大阪駅で信号開通に手間取り、4分遅れになった。
7番の普通電車開通待ちであったのだが、わだらんが座席に座りながら見たC電の発車から9番開通までずいぶん時間があったように思う。
信号を開通させるタイミングは駅扱いのほうが確実に速いように思えるのだが、どうだろうか。
列車無線と列車指令所はともにあって成立するものだと思うが、現場が離れてしまうと臨機応変というのは難しいのだろうな、と思う。
山陽電車はその日午後にはなんとか運転再開できたようだが、確かに無線がないとたとえば車内の急病人とか、
あるいは線路の不具合とか、即座に外部に知らせることができない。
いろいろな通信や伝達手段のおかげで便利でになったのは間違いないが、
でもいろいろな情報が入りすぎる分昔よりいろいろ厄介になったことも多いような気がする。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 長崎発はJQカード会員限定で関西往復
5/26
LCCという言葉が一般に定着したかどうかはよくわからないが、少なくともLCCの新規就航はニュースになる。
その後ピーチがどの程度の搭乗率なのか、発着時間の正確さはどの程度なのかニュースにならないのでよくわからない。
が、折返し時間が短いのがLCCの特徴なので、いざ何かの理由で遅れが生じるとなかなか戻らないのではないか、と心配してしまう。
飛行機も特に定期便は運用屋の仕事はよく目につくもので、「機材繰りのため運休」といったことはよくある。
列車の場合かつての長距離列車では往路の遅れで復路が運休したり、部分運休になったりすることはあったのだが、
最近はそんな長距離列車もないのでトワイライトエクスプレスのような一部のものを除けば、
さすがに車両事情や運転都合で運休することは少ないようにも思う。
とはいえ北陸で大雪の翌日にびわこエクスプレスが運休するような事例はあるのだが。
いずれにせよ、航空会社の場合、ある程度遅れてもしかたないと思わせるLCCと、
安さを売り物にせず定時率を誇る既存航空会社が並立できるわけだ。
その点鉄道の場合、仮に運賃の安い列車と高い列車を分けてみても、
せいぜいその差は所要時間と車内設備の差のようなもので、
定時率は運賃が安かろうが高かろうが線路が同じである以上同じレベルになってしまう。
安い列車用に別の線路でもあればまた条件はずいぶん異なるのだろうけれども、
今の日本では新たに安い列車用に線路を新設するのは不可能である。
そのあたり、他の交通機関とはハンディが大きすぎるような、と残念に思う。
とはいえ、新幹線もLCCに手をこまねいているばかりとはならないようで、大阪長崎間がJR-WESTカード会員限定、
かつ利用日前14日以前の発売と条件を付けながらも往復利用で片道あたり1万円を切るずいぶん安い切符を出してきた。
山陽新幹線区間はのぞみ限定と東海道区間とはまるで逆転した話であるが、好調な九州直通列車を利用できないところは、
山陽区間で比較的空いているのぞみの空席埋めの狙いもあるのだろう。
九州内かもめとどう運賃を精算するのか詳しいことなど知る由もないが、なかなか衝撃的な価格設定だと思う。
安い価格が新規需要を掘り起こすことができれば山陽区間の乗客増加になろうか。
でもさすがに新大阪から長崎まで5時間弱というのは遠いかな。
もちろん昔々に比べれば格段に速いのだけれども、飛行機の約1時間を見てしまうとちょっと差が大きいようにも思う。
もちろん多くの関西人が大村にある長崎空港が長崎市内から近くないことは知らないだろうけれども。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ LCCで羽田空港や成田空港経由は乗り換え不要
5/22
東京スカイツリーが開業してさっそく大賑わいらしい。
一度に20万人もの人を集める施設はそう簡単にはあるまい。
ちなみに韓国の万博は入場者が一日3万人ほどで苦戦中とのことで、比較するものではないものだが、やはり20万人という数字はびっくりしてしまう。
そもそも開業初日に展望台に入れる入場者数は限られているわけで、多くの来場者は展望台以外の商業施設目的となるのだろう。
中には地元住民を主なターゲットにした商店街もあるそうで、まぁ展望台付きショッピングセンターというべきなのかもしれない。
いずれにせよ東京の、いや日本の新名所であることは間違いない。
旅行代理店にはスカイツリー目当ての旅行プランがあれこれ並んでいるし、そもそも東京自体が観光地であって、夏休みなどさぞ人が動くのだろうな、と思う。
多くのスカイツリー目当ての旅行者にとって、移動手段はやはり安いものがいいのだろう。
急いでいく必要はないだろうし、家族連れや学生などやはり新幹線は高いのだろうな、と思う。
休日の早朝上りなど今よりさらにもう少し安いのぞみ利用の切符はできないか。
少しくらい安い程度ではバスに対抗は難しいか。
ところで、先日のツアーバスの事故について、北陸や能登といった夜行列車の廃止後バスの競争が激化した旨の話を聞くが、
実際には話が逆でバスの競争激化に夜行列車が耐えられなくなった、というべきではないかと思う。
かつて新幹線が開業しても長い間東京大阪間には急行銀河という主にビジネス利用の夜行列車があったが、
それ以外に多客期に臨時(正確には季節臨か)の座席車のみ銀河が設定されていたし、
あるいはいまのムーンライトながらの前身通称大垣夜行にも多客期に救済臨があったし、いまよりはるかに夜行列車の選択手段があってかつ新幹線より安かった。
おそらくは東京大阪間の夜行利用客は以前より増えていると思うのだが、いまやバスに対抗できる夜行列車がない状態である。
バス、特にツアーバスに対抗できる運賃での設定とは言わないまでも、でも少し高い程度で選択肢の一つになるような夜行列車があればと思うが、なかなか難しいだろうな。
東海道筋はかなり貨物で深夜帯も列車本数が多いのだが、休日や長期休暇であいた貨物列車スジを使えそうなと勝手に妄想してみるが。
しかしさすがに東京の真ん中(でもないか)にできた施設である。
20万人と言いながら、輸送手段に対して何も問題がない、というか輸送手段が話題にならない。
もちろんスカイツリーの最寄駅が駅名改称したなどの話はあるが、既存の鉄道網で捌けてしまう。
メトロ半蔵門線も都営浅草線も非定期客多数でうれしいだろうなぁ。
で、結局スカイツリーに東京駅からはみんなどうやっていくのだろう?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 列車から離れてホームの内側を歩いてください
5/19
3月31日、午前中長野市内にいたわだらんは18切符で野洲へ帰る途中であった。
この日は関東で天候が悪く、東京からやってくる中央東線の列車に遅れが続き、篠ノ井線内の列車にも遅れがでてしまっていた。
塩尻13:05の1328Mは先行1012Mの5分遅れをもらって発車したが中津川では2分遅れまで回復し、順調であった。
その続きの2730Mは中津川を定刻に発車し、恵那で10分遅れの1014Mを退避するという列車整理の甲斐あって、16:27着のところ2分遅れで名古屋まで下りてきた。
これならぎりぎり16:30の東海道線下り5345Fに乗れるだろうと頑張ってみた。
実際その10日前、3月20日は2730Mの遅れもなく、5345Fに難なく乗れたのである。
階段を駆け上がり、6番ホームの列車めがけて走ってみた。
ところが、無情にもドアは閉められてしまった。
もちろん無理に駆け込めばなんとかなったのかもしれないが、駆け込み乗車で醜態をさらすのはヲタの恥と無理せずドアの前で止まった。
このタイミングなら再開閉だわな、と。
とそんな期待を見事に裏切って、列車はそのままとっとと走って行ってしまった。
結局わだらんは30分名古屋で時間をつぶすことになってしまった。
さすがにこのときは「くそ!」と思ってみたが後の祭り。
これなら2730M車掌に無理を言って5345Fを待たしてもらっておけばよかったか、とか。
もっともそこまで接続をとってくれるかどうか疑問でもあるが。
しかし思うのはこのJR東海という会社、乗客に媚びないという立派な姿勢である。
東海道新幹線のホームなどでは激しく乗客に「下がりなさい(実際にはもう少し柔らかいが)」とか連呼する。
ここまで徹底するのはほかの鉄道会社には見られない。
とはいえ、ひとりの乗客のおかげで他の多数の乗客が迷惑をこうむるのなら一人を犠牲にするほうが理にかなっているし、
むしろそのほうが乗客の立場になっているのかもしれない。
もし1分列車が遅れて列車の乗客1000人が1分遅れると1000分の遅れになってしまう。
特に新幹線など一人の乗客の不注意で他の多数の乗客が迷惑するなら、やはり強く注意すべきなのだろうかとも思う。
とはいえ、乗客に対して口調はどうであれ文句をいうのはなかなか強い心がいるのだろうけれども。
そんなことを思い出したのは野洲着の新快速で車庫引き上げ前の運転士氏のアナウンスを聞いたからである。
その運転士氏、「列車から離れてください、安全確認ができません」と比較的強い口調でしきりに連呼するのである。
もちろん相手は半分足取りのおぼつかない乗客たちであるから、
多少強い口調になるのは仕方ないにしても、なかなかはっきり言う人だ、と感心してしまった。
いくら野洲着で車庫に入るだけとはいえ、この電車が動かないことには後ろがつかえる。
それに酔っぱらったおじさんがホームから落ちようものならもう大騒ぎである。
やはり一人の不注意が多くの乗客の迷惑になるのなら強い口調で言うべきだろうな、と思う。
離れなさい、と命令口調なのはさすがに行き過ぎなのかもしれないが、離れて歩いてくださいとお願い口調なら問題ないと思うなぁ。
東海を見習えとは言わないが、自分の安全は自分で守る、これは乗客にも鉄道会社にも言えるように思うなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 城崎温泉も白浜もどちらも大阪から約180km
5/18
木曜日の晩のことである。
大阪18:52の3512Mで帰宅中、吹田で381系とすれ違った。
381系と新快速がすれ違うのはごくごく当たり前のことなのだが、今日すれ違ったのは福知山に回送される381系の編成であった。
紀勢線くろしおに287系が追加投入されるので、381系が押し出される形で福知山に転属し、183系の一部を置き換えることになる。
置き換える381系も置き換えられる183系もどちらも30年選手なので、
新しいとか古いとか五十歩百歩かと思うのだが、いろいろと事情があるようだ。
わだらん的には381系という車、使用線区の決まった特殊な車という印象で、あまりあちこち転属して使われるイメージではないのだが、
昨年の代走に続いて今年も本来投入目的に合わない福知山線特急にはなぜか381系が回ってくるようだ。
そういえば福知山線と紀勢線、意外と使用車両は似ているのかもしれない。
過去にはどちらもDF50が走っていたし、キハ82の特急もキハ58の急行も、
もちろん非電化の国鉄亜幹線ならどこも似たり寄ったりであったかもしれないのだが、でもおおよそ投入車輛は同じようなものだ。
ましてや昭和61年の国鉄最後のダイヤ改正の際には、城崎電化の折には改造された福知山線用113系がしばらく紀勢線にいたり、
あるいは北近畿用に改造された485系は紀勢線くろしおの転用だったりと。
とはいえ、もうずいぶん昔の話ではあるのだが。
そんな紀勢線と福知山線、こんどはともに287系特急が走ることになった。
新大阪駅や向日町で見ているとなんとなく青色帯の紀勢線用車の色合いがきれいに見えるのだがどうだろう。
どちらも観光客の減少や高速道路延伸で乗客数が伸び悩んでいるが、なんとか頑張ってほしいものだ、と思う。
しかし城崎電化の時には国鉄の財政事情がかなわず381系新車投入が見送られたのに、それから長い年月がたって381系が福知山線を走る。
あくまで代走、つなぎであって、将来的には287系に置き換わるのだろうけれども、
本来の目的でない振り子電車が振り子を固定して走るのは381系を特別な車としてみてしまうわだらんにはどうもしっくりこないものがある。
臨時延長とはいえ天橋立に381系とな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 電車ではないが甲賀市の市内電車みたいなものだな
5/15
早いもので、信楽高原鉄道の衝突事故からもう21年になる。
42人が亡くなる悲惨な事故であり、簡単に21年というのはあまりに軽い言い方かもしれないが、
でももう鉄ヲタの中でもこの事故を知らない人間は多いのではないかと思われる。
ひょっとするともしこの事故がなければ信楽への直通列車がもう少し長い期間残ったかもしれないし、
他地域の非JR線区との直通運転、例えば現在のひたちなか海浜鉄道とか、
会津鉄道あたりでももっと直通列車があったかもしれない。
とはいえ、事故について背景も原因もあまり良く知らないわだらんがあれこれいうのはやめておくことにしよう。
ところで、先日信楽高原鉄道の施設部分を甲賀市が取得すると報道があった。
いわゆる上下分離で、これでしばらく信楽高原鉄道は安泰のようだ。
水口町と信楽町が甲賀市になったので、路線は甲賀市内のみとなって、行政としてもいろいろ支援がしやすくなったのかもしれない。
地方の鉄道はどこも苦しいところが多いのだけれども、
少なくとも行政が何らかの支援をするということはとりあえず路線の存続ができるわけで、うれしいことである。
信楽高原鉄道の場合は信楽から貴生川への一定の流れがあり、その流れは限られた量ながらもこの先も続くと思われる。
三木鉄道が廃止されて北条鉄道が残った例から見れば、何とかこの先も信楽高原鉄道は残るだろうと思う。
この信楽高原鉄道、なかなか路線としては不思議である。
貴生川を出て一気に坂を150mほど上がらねばならない。
最高地点は330mほどで、草津線の鈴鹿越えより遙かに高い。
その標高の高さと山中を行く道中の険しさ故鉄道が残ったとも言えるのかもしれない。
深い山を越えるとのどかな田園の広がるなんとも不思議な車窓である。
しかし確か衝突事故の慰霊碑ができたときの慰霊碑周辺は静かだったのに、
今や慰霊碑のすぐ前は新名神のインターチェンジになってしまった。
わだらんが慰霊碑についてあれこれ言える立場ではないが、
なんとなく以前の落ち着いた静かな佇まいがどこかに消えていってしまったようで、少し残念である。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 南海電車には帝国車輛製造の銘板をつけたものがいるそうだ
5/11
もちろんわだらんの思い込みではあるが、JR東海の313系という車が好きだ。
毎日223系の転換クロスに座って通勤していると東京の人たちにはなんと贅沢に思えるかもしれないのだが、
その223系より313系のほうがなんとなく好きなのである。
もちろん毎日利用するものと時折乗るものでは感じ方に差があるかもしれないが。
そんな思いもあって、東海の車両、特に在来線の車は好きなものが多い。
たとえば亀山でキハ120とキハ11が並ぶとキハ120が安物に見えてしまうし、
松本でE127系と313系が並ぶとやはり313系のほうが上品に見えてしまう。
直流区間、黒磯から下関まで全部313系でもいいのではと思ってしまうし、
九州キハ200のかわりにキハ75でも十分ではないか、と思う。
もともと昔は日本全国同じ車両が走っていたわけで、地域の特性とかいろいろ条件はあるだろうけれども、
何も型式がばらばらでなくてもいいのに、と思う。
逆に最近私鉄はメーカー標準車が増えてきて、もちろん各社局ごとにカスタマイズされてはいるものの、見た目似たような電車が増えてきた。
都会の通勤電車に要求されるものはどの線区でもおおよそ似たようなもので、同じ思想同じ設計の電車がいてもなんら不思議ではないのだが。
むしろJR各社間でも統一設計統一装備の車両のほうがコストが安くなったりしないのだろうかと思う。
国鉄時代に逆戻りと言われるかもしれないが。
そんなことを考えるのも、JR西日本が近畿車両の株式を取得したというニュースを見たからである。
JR東海も日本車両を子会社にしているし、自社で車両を設計するよりは
製造会社と共同で開発作業するほうが何かと便利なのかもしれない。
とすればこの先東海と西日本が在来線一般車で共通の車両を持つことはない、ということか。
近畿車両はもともと近鉄とのつながりでビスタカーや5200系などの名車を出しているわけで、
何か新しい機軸を持った車がJR西日本に出てくるのかな、とちょっと期待をしてみよう。
そういえば先日和歌山県の工場で災害があって一人亡くなられたと新聞記事があった。
見出しがJR東の子会社とあって、かつての東急車輛製造の工場での話とすぐわかった。
JR東日本は新津に自前の車両工場を持つほかに東急車両製造を総合車両製作所として自社の関係会社にしている。
つながりの強い車両製造会社を持つのは強い鉄道会社のステータスなのだろうか。
各社独自の車両があるほうが楽しいか、同一モデルの細かい差を見つけるのが楽しいか、どうだろう。
欧州は車両メーカーの力が強く、複数の国の鉄道で同じ車両が走っているのが当たり前である。
ちなみに東急車両製造の和歌山製作所は堺市鳳にあった工場が移転したもので、かつては帝国車輛製造という会社であった。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 視界100mを切ってしまえば赤信号もぼんやり見える
5/8
以前オランダの小さな駅に降りた際に、ホームに出発反応器があってびっくりしたことがある。
一般的に欧州の駅ではホームに駅長もしくは運転係員がいて、出発合図を出す風景に見慣れていたからである。
でも実際には小さな駅などそのままCTCの信号に従ってという駅は多いのだろうなとも思う。
ホーム軒下に小さな白熱灯が下がっている駅はあちこちで見かける。
レピーターとか信号反応器とか呼ばれるが、簡単に言うと出発信号機またはそれ相当の信号機が赤かそれ以外、つまり発車してよいかどうかを示しているものである。
一般的に車掌がドアを閉める位置から出発信号機を見ることは難しく、そのためこの出発反応器が備えられているのだ。
従ってこの反応器が消灯している間は車掌がドアを閉めることがないわけで、
例えば大阪駅などホーム係員でもよく見えるよう進行方向側にも反応器があるので、それを見ながらホーム上を移動することができる。
消灯中なら安心して編成後部まで歩いていくことができるわけだ。
その反応器、野洲駅2番線の下り方向とも反応器がない。
ホームが直線で、車掌位置からでも十分出発信号機を見ることができるからである。
ところが、火曜日の朝は大変な霧になった。
2番から発車する713Mは8両なのでかろうじて信号が見えるが、それでも車掌のおねえさんは運転士氏を呼び出して念のため開通の確認をとる事態。
もし12両ならホームいっぱいに停まるので、おそらく車掌位置からは信号が見えないだろう。
また3番の8両位置から出発信号機が見えない状態になってしまっている。
902Mや904Mは12両だからよいとしても、もしこのまま霧が動かなければ700Mなど出発できないのではないかと思えるありさま。
とにかく出庫してホーム据え付けの713Mがホームに入る直前まで見えなかったのである。
幸いにも713Mは守山を過ぎ霧も晴れて草津4分の遅れにとどまり、大きな問題にはならずに済んだ。
しかし霧というのは不思議なものだ。
あれよあれよという間に視界を遮ってしまう。
この日も少なくとも711M、つまり野洲6時7分の電車がホームを発車するのは駅へ向かう途中、少し離れたところから十分目視できていたのだから。
713Mの向かい3番には安土回送後721Mになる12両編成が停まっていた。
この日の霧は守山能登川間だったそうで、この列車、安土への回送も安土からの営業運転も、さぞ大変だったのだろうと思う。
715M以降かなりの遅れが出たようである。
霧に無縁の栗東以西の方なら事情も呑み込めず災難だっただろうと思う。
少なくとも野洲の利用者は前の見えない状況を目の当たりにしていたのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 一度に5万人も集める施設はなかなかないな
5/7
こどもの日の朝、7時過ぎに阪神電車桜川駅にいた。
目的は南海電車の汐見橋駅からの高野線乗車であったが、阪神電車の桜川駅と南海汐見橋駅が本当に隣どおしである、と実際に見てちょっと驚いた。
阪神電車の車内で「南海電車」の乗り換え案内がなかっただけによけいにそう思う。
もちろんなんば線開通時の紹介記事でこの二つの駅が接近していることは知っていただのだが。
さて、南海電車の話は別の機会として、この早朝の桜川駅で「今日の甲子園巨人戦の入場券はすべて売り切れました」と案内が流れていることにちょっと驚いた。
確かに甲子園に着いてから入場できないことを知るのではそれこそ「交通費返せ」ということになるが、事前に駅で案内しておけばわかりやすい、ということなのだろう。
きめ細かいといえばその通りだし、逆に甲子園の阪神タイガースに興味のない人間からすればきっと「ご苦労さん」と思うような話なのだろう。
それにしても甲子園は大したものだと思う。
満員、入場券売り切れということは5万人になる。
阪神電車の利用を6割と見ても3万人の利用者になる。
そのほとんどが定期外の乗客だろうから、鉄道経営には「いいお客様」といえるのだろう。
もちろん年間通してではないし、主催試合であっても必ずしも満員になるとは限らないだろうけれども。
かつて多くの私鉄が球団を持っていたり、あるいは遊園地を持っていたりと、誘客のための施設を多く持っていた。
最近は球団も遊園地もずいぶん減ってしまった、というか球団は阪神だけになってしまったし、遊園地は阪急も阪神も近鉄もやめてしまった。
なかなか誘客というのは難しいようだ。
そんな状況ではあるが京阪も南海も遊園地で連休中にイベントなどを開いて現金客を集めようとがんばっている。
多くの家族連れが電車利用で行楽してくれればと思う。
ちなみに甲子園が満員でおおよそ3万くらい乗客がありそうだと考えてみたが、南海汐見橋駅の乗車人員は一日平均245人だそうだ。
甲子園のような施設と比較するのはあまりに酷ではあると思うが、都会の真ん中でわずか245人の駅というのもなんとも不思議な雰囲気である。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 水鏡に映る姿もまた季節の移ろい
5/2
昔は田植えというと六月のイメージだったのだが、最近は5月の連休前後で田植えをすることが当たり前になってしまったように思う。
田植えの人手の問題もあるだろうし、九月の台風を避けるためなのかもしれない。
いずれにせよ季節が少し早くなったように思うのだが、でもまずは水田で感じられる四季は心地よいものだと思う。
おそらく今年が最後であろう野洲駅南西側の広い水田も、あるいは南草津と瀬田の間に残ったこれまた余命短いと思われる水田も、水が入って空を映す姿はなんとも気持ちがいいものだ。
しかもこの草津市南笠町のあたりの水田は棚田になっていて、等高線の形、つまり扇状地状に水田が作られているのを車窓から見ることができる。
もちろん姨捨にはかなわないが、小高いところを走る列車から広がる水田と遠くに見える湖面を眺めるのは姨捨のイメージと変わらない。
これがせめて昭和の末期あたりならまだ建物も少なく、より一層琵琶湖の遠望やその琵琶湖に向かって延びる水田を見ることができたのだろうか。
戦後すぐに米軍の撮った航空写真を見ると、見事に水田だらけである。
もちろんこの南笠に限らずどこでも水田だらけなのだが、地形を車窓から楽しむには十分すぎるものだったのだろうな、と思う。
ところで、この小高い頂上になっているのが狼川橋梁なのだが、かつてはトンネルであった。
川を越す築堤を作るより、もぐるトンネルを作るほうが簡単だったのだろうし、勾配も発生しない。
今は川床の高い部分を乗り越えから長い築堤が必要で、前後に勾配がついて、おかげで眺望が楽しめるのだけれども、かつてはそこまで高くなかったわけだ。
天井川を乗り越えるのは何かと面倒だったのかもしれない。
近江や山城はある意味天井側トンネルの宝庫みたいなところであるが、その多くが最近撤去されてしまっているのは残念ではある。
もしこれが蒸気機関車でなく、初めから電気鉄道なら、ここまであちこちに天井川トンネルはなかったかもしれない。
もちろん川幅が狭い、小さい川だからこそ天井川トンネルになるわけで、野洲川や日野川のように幅が広くなれば、高い川床でも乗り越えなくてはならず、そのために篠原駅の前後などずいぶん高い築堤が続いているわけだ。
もし川床が低ければ、多くの天井川トンネルになっているような川は、いとも簡単に桁で乗り越えているはずである。
しかし、そんな小さな川や水路が市街地化で見えなくなるのは残念である。
時代の流れなのだから市街地化はやむを得ないのだろうけれども、細かい地形の姿をなかなか市街地では追うことができない。
わだらんが勝手に呼称するミニ姨捨、水田の姿のうちに存分に楽しんでおかねば、と思う。
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