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12年  6

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1144.  6/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   鹿肉は地元の地産地消がほとんどだそうだ

1143.  6/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   野洲の面白味はヲタ以外に理解されないだろう

1142.  6/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   屋根に穴が開いたのかと疑うような

1141.  6/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   草津でT電接続なら栗東は便利だが

1140.  6/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   一般的には川が市境と一致するのだが

1139.  6/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   案外野洲駅の商圏は広いのかもしれない

1138.  6/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   線路同士の立体交差があちこちにある恵まれた環境

1137.  6/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   旅のレストラン、日本食堂

1136.  6/5  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   節電のためなら都会駅でも半自動できそうなのに

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   鹿肉は地元の地産地消がほとんどだそうだ

6/28

近江の山中でも鹿が増えて問題になっている。

ところが、鹿の肉はなかなか流通に乗らないそうだ。

生産量が不安定なこともあるし、そもそも鹿肉は臭みが強く、捕獲してすぐに捌かないとまずくなってしまうそうだ。

しかもワナで捕獲したものは、肉がすっぱいそうで、なかなか難しいそうだ。

もちろん野生が相手なので思った通りにはいかないのだろうけれども、

これだけしょっちゅう鹿が農作物を荒らす被害が出ても、なかなか鹿肉の消費拡大は難しいのだそうだ。

まぁ確かに鹿肉をわざわざ食べてみたいともあまり思わないのだが、どうなのだろう。

ちなみに多くの鹿の屍はそのまま山中に埋められるのだそうだ。

 

しかし相も変わらず鹿が列車と衝突する話は多い。

おおよそ鹿がぶつかる区間は南荒尾と関が原の間、または上郡と三石の間ばかりであるが、

JR貨物の遅れ案内に鹿と衝突と見ない日がほとんどない。

鹿の角でブレーキ管でも破られたらそれこそ大騒ぎであるが、

そこまで行かなくても大きな鹿の死体が線路に横たわっては厄介だろうと思う。

 

そんなわけでまた上り福岡発名古屋行き貨物1064列車が遅れて火曜日に続いて木曜日も713Mは着線変更になった。

週二日というのも珍しいが、ここまで多くなってはどうせなら毎日1番線でもいいように思う。

いまでこそ711Mの後ろを1053列車が通って次が713Mの順番だが、

昔は1053列車と713Mの間に急行銀河101列車があった。

だからこそ713M2番線で、101列車を見送って発車したのだが、

今なら1053列車が通ってから1番線に713Mを入れても問題ないのではないか、

むしろその方が下りを1番と思う多くの野洲駅ユーザーには便利かと。

もっとも101列車が今日も走っていれば、鹿と衝突して713Mが遅れることが多い、などと笑えない状況かもしれない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   野洲の面白味はヲタ以外に理解されないだろう

6/26

時折電車を眺めて過ごす。

もちろんどんな時間帯でもどこの場所でも電車が眺められれば幸せなのだが、

なかなか日常のなかでそうのんびり電車を見ていることができないのが残念である。

最近は運用調査で意識して駅にいる以外は、

ちょっと時間の空いた土日や通勤利用の前後程度がせいぜいで、電車三昧といかない。

まぁ一般の人には特別な列車でなく、かつ新幹線のような華やかな列車でもない、

単にいつもの電車である琵琶湖線や草津線を眺めていることが楽しいとはわかるはずもないと思う。

それゆえ特に運用調査するヲタは行動がおかしいと思われたりするのだが。

 

ところで同じ電車をみていても、大阪駅は面白くなく、京都駅は楽しい。

京都のほうが出入りする列車が多いということももちろんあるが、大阪駅がつまらないのだ。

大阪駅の本線列車電車はホーム留置される深夜のごく一部を除いて、大阪駅を通り抜けする。

入ってきて出ていく、当たり前ではある。

大阪始発・大阪終着の列車もあるが、みな宮原か向日町にそのまま去ってしまう。

折返しのない通り抜けは効率よく列車を捌けるし、宮原操車場の絶妙な位置が配線の妙と讃えられるのだが、

でも見ているものからするとちょっと面白みに欠ける。

その点京都はホームでの折返しや引き上げ線への移動、留置線の使用や向日町への回送、

さらには列車の分割などもあって京都始発・京都終着の列車電車を見ていると楽しいものだ。

到着した電車の車内の人たちが一斉に引いて行って、すぐさま別の人の波が車内に流れ込む。

その隙間を縫って本線列車がやってきては出ていく。

鳥取や南紀からの特急が着くと車内清掃作業員の皆さんの集合する姿もあるし、

さすがに通勤電車の折返しとはちょっと違う雰囲気もあって面白い。

昔の大きな駅の雰囲気をそのまま持っているように思える。

そう、大阪駅はいわば電車の駅と同じになってしまっていて、

何かしら大きな駅という雰囲気がなくなってしまったように思えるから、

少なくとも列車を見る楽しみは京都のほうがはるかにいいということになる。

そんなわだらんの自宅最寄は野洲駅である。

野洲駅も車庫があって始発終着列車も多く、また面白いところである。

もちろん優等列車があるわけでなく、華やかさには欠けるが、

でも通勤主体の電車でも何かしら車庫のある駅は面白いものだ。

 

火曜日の朝、鹿が列車とご対面したとのことで、

上り福岡発名古屋行き貨物1064列車が遅れていた。

そのため、安土へ回送の電車が1064列車に本線を譲って、2番に入ってきた。

さらにそのあおりを受けて713Mはいつもの2番からこの日に限り1番へ着発線変更であった。

早朝で慣れた通勤客ばかりが今日に限ってホームの異なる1番へ変更などというと結構面倒なことになってしまう。

とはいえ、これも車庫のある野洲だからこそのネタになるわけで、

713Mが野洲を出てしまえば守山も栗東も野洲の着発線変更などわからない。

野洲のヲタだからこそのお楽しみである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   屋根に穴が開いたのかと疑うような

6/23

金曜日の早朝、携帯電話の異様な音で目が覚めた。

あわてて画面を開くと、竜王町の一部地区に避難準備勧告が出た、という内容であった。

わだらんの自宅は直接この避難準備勧告には関知する場所でないのだが、エリアということで教えてくれたらしい。

最近はネットやNHKのデータ放送で川の水位などもすぐにわかる便利な時代になった。

なので、自宅にまったく関係のない水系の水位を見ていたりする。

このところ突然大雨になったりするので、びっくりする。

この日も和歌山市内で大規模な冠水があったようで、和歌山電鉄も運休になってしまった。

幸い線路施設に大きな被害がなかったようで、たま電車も運休が大事にならずに済んでよかった。

 

ところで、水位と言えば最近特に問題になるのが姫路市内の市川の水位である。

山陽新幹線は桁が高いので問題ないが、山陽線はいつの架橋なのだろうか、桁が低く、水位が上がるとよく徐行や運転見合わせが起こる。

流木などで橋脚が曲がったりしてしまえばそれこそ長期間の運転障害になるし、桁が洗われて線路が曲がったりすれば大騒ぎになる。

なので水位が上がれば大事をとって運転見合わせは必要なのだろうけれども、

やはり姫路手前で運転見合わせがあると、滋賀県内までダイヤががたがたになる。

天災によるダイヤ乱れは諦めねばならないのだろうけれども、でも最近特に多いように思う。

やはり地球温暖化の影響なのか、わだらんにはどうすることもできないが、豪雨が増えるのは勘弁願いたいものである。

 

さて、この金曜日の早朝、正確には木曜日の夕方から金曜の早朝にかけて野洲でも100mmになる雨が短時間で降った。

さいわいにも野洲市内では避難に関する話は出なかったが、それでも日野川の水位が警戒近くまで上がったし、

自宅の回りも朝でてみると大きな深い水たまりが多数できていて、深夜の雨の激しさを物語っているようだ。

そんな状況でこの朝一番びっくりしたのは野洲の車庫から出てきた713Mの車内床面が水浸しであったこと。

座席は濡れていたかったので運転には支障はないと判断されたのだろうけれども、あんなに濡れた床面を見たのは初めてである。

窓かドアの隙間から雨漏りしたのだろうか、いやいやびっくりである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   草津でT電接続なら栗東は便利だが

6/21

水曜日、仕事場で意に反するようなことが続き滅入ってしまって、明日以降に投げ出ししてとっとと大阪駅へ戻ってきた。

18:12に改札を抜け、10番線ホームを神戸より、つまり編成後方に向けて歩く。

既に18:22の湖西線3504Mが在線し、座席も埋まって立ち席も多い。

たとえば大阪から小野へ帰る場合、17:45の新快速で京都乗換のつぎは18:00に乗っても、18:22に乗っても結局同じ電車になる。

それなら、座りにくく京都乗り換えの必要な18:00より18:22の大阪始発新快速に湖西線のお客が乗るのも当然で、

この3504M18:02頃の入線とともにすぐに座席が埋まってしまうのだ。

その点、琵琶湖線側は列車の選択幅がまだ広くありがたい。

18:153502Mは以前から12両で、編成後方は比較的空いている。

高槻まで我慢すれば、降車客が編成後方に多く、容易に着席ができる。

ただ、草津止めで乗り換えが必要なのがちょっと厄介であるが。

 

ところで、昔、ちゃんと時刻表を見たわけでないのでうろ覚えなのだが、

まだ2000年あたりのころは野洲発着の新快速が今ほど多くなく、今の野洲発着の新快速の多くが草津発着であった。

草津で上り普通に接続していたので新快速の野洲での利用可能本数は今と変わらないが、やはり草津乗換は面倒であった。

というのも列車によってはひどい混雑になるものがあって、特に大阪20:15の新快速で草津に着くと、

待っていた普通電車は6両編成で、すさまじい混雑になっていたのを思い出す。

その後夜の草津発着は野洲発着に伸びて、ずいぶん楽になった。

当時今ほど細かい遅れがなかったように思えるのだが、今のようなちょっとしたことで遅れが戻らない状況だと、

いつも草津で大騒ぎになっていたのではないかと思う。

野洲まで運転区間が伸びたのはつくづくありがたいと思う。

その一方で、この大阪18:153502Mはなぜか草津発着のままである。

草津で待つ大垣行き806Tは最近まで12両ののんびりした編成だったのに、今は8両になってしまった。

夜の新快速の12両編成が増えてありがたいことだが、部分的にT電、

琵琶湖線内の普通電車は編成短縮されたものが多く、列車によっては結構な混雑になる。

この806Tも草津で3502Mを受けて車内は毎日大騒ぎ。

いつの間にか補助椅子解放が近江八幡からという例外的な列車になってしまった。

3502Mが野洲で806Tを受けるようになれば、草津で補助椅子解放ができるのに、といつも乗るたびにぶつぶつ思う。

 

しかしもっと問題なのはこの3502M、よく遅れるのだ。

微妙に3分とか5分とか。前の3500Mとか後ろの3506Mに比べて遅れる確率がやたら高いように思う。

座りやすいのはありがたいが、どうもこの遅れが気になって仕方がない。

結局この日も5分遅れで草津着であった。

遅れた電車で混んだ大垣行きに乗り換えて帰るのも余計に疲れがたまってしまうし、

ただでさえこの日は日中気が重いのに、とひとりでぶつぶつ。

806Tが声の通るかわいいおねえさん車掌であったことが唯一の救いであった。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   一般的には川が市境と一致するのだが

6/17

大阪京都に近い分、人口増加の大きかった守山市のほうが野洲市より人口が多く、守山駅のほうが野洲駅より利用客が多いのではあるが、駅の開設は16日が121歳の誕生日と野洲駅のほうが早いのである。

野洲郡の郡庁は中山道の宿場町であった守山でなく野洲に置かれていたし、野洲駅のほうが守山駅よりずいぶん開業が早かった。

守山の人たちは鉄道開業当時野洲駅を利用していたそうである。

(正確には野洲駅も東海道線開通から2年ほど遅れて開設されているが)不便なので、

守山駅開設を働き掛けたと守山市史にあるが、野洲川を越えての徒歩移動は大変だったのだろうなと思う。

 

ところで、かつて野洲川は暴れ川で、何度か川筋が変わったそうだ。

しかも近代になると天井川化してしまい、高い川床を持つようになった。

今は放水路が完成して野洲川橋梁も背の高い立派なものだが、

昔の東海道線開業頃や黒岩保美さんの撮られた野洲川橋梁の写真を見ると低い橋脚でまるで砂地の上を走っているように見える。

旧草津川も野洲市内の家棟川も天井川の川床は砂地のようだったので、天井川の特徴なのだろう。

野洲川は川幅が広いから天井川ながら鉄道がトンネルにならなかったのだろうけれども、

逆に蒸気機関車にはちょっとした難行のところだったのかもしれない。

もともと現野洲川橋梁のあたりは野洲川の扇状地のところで、周りから見ても少し標高が高く、上り列車も下り列車も登り坂がだらだら続く。

扇状地であるが故に地図を見ると、今の守山・栗東市内はいかにも昔野洲川の一部もしくは支流と思われる川筋がいくつもあるのだ。

 

ところで、そんな守山駅の上りホームに美容室の立て看板がある。

下り列車なら8両目、上りなら8両編成の先頭車または12両編成の2両目あたりになる。

この看板、実際見ていただければわかるのだが、美容室の名前、電話番号に地図はあるものの、住居表示がない。

その看板左右にある開業医とかの看板は住所表記があるし、一般的には住居表示があって当たり前だと思う。

ところがこの看板院はないのだ。

わだらんが推測するに、住所を書くとややこしいのではないか、わざと住居表示をしないのだろうと思う。

守山市と野洲市の境は大きく見れば野洲川であるが、東海道線の野洲川橋梁のすぐ隣のあたりは守山市側に野洲市が入り込んだ形になっている。

なので、この美容室は住所を名乗るとややこしいし、電話番号だけ書いてあるのだろうと思う。

この美容室のすぐ近くにある某ガソリンスタンドは守山SSという名ながら、やはり住所は野洲市野洲である。

野洲を名乗れない野洲が存在するわけで、直線的に区切られた市境がちょっと不思議に思える。

このあたりも野洲川の河流の変化なのかな、いや境が直線だからなおさら疑問である。

 

現在の守山市内を流れる小さな川がかつて野洲郡と栗太郡を分けていたそうで、

もし野洲川の位置が現在の守山市内を貫通するコースで固定されていたら、守山や野洲の姿はずいぶん変わっていたのだろうな、と思う。

ちなみに守山駅は今年416日でちょうど100歳であるが、守山駅と名乗ったものの、

開設時は野洲郡守山町でなく栗太郡物部村であった。

もし野洲川が奈良時代以前の川筋なら守山と名乗る駅がなかったかもしれない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   案外野洲駅の商圏は広いのかもしれない

6/14

野洲駅の誕生日は616日、この土曜日で121歳になる。

その間電化や駅舎の橋上化などあったものの、基本的には開業当初と位置など基本的なところは大きく変わらない。

おそらくはホームの下の部分は掘ってみれば開業時のものが出てくるのではないかと思うのだが、確かめるすべはないのでちょっと残念である。

この駅の部分にしても、例えば野洲川橋梁の旧線跡にある煉瓦構造物など開業当時のものではないかと思うし、

立派な産業遺産ではないかと思っているのだが。

 

ところで先日の帰宅時のことである。

大阪でホームに並んでいると、わだらんの後ろに勤め帰りの男性がきた。

スーツの社章から某銀行の勤め人であることがわかった。

幸いにもわだらんは高槻で狙い通り座席を確保できたが、その男性は京都まで座席が取れず、わだらんの前に立ち本を読んでいた。

京都でなぜか人が動かず、その男性はそのまま着席できずにいたのだ。

ところが、偶然なのかどうなのか、その男性と同じ銀行に勤めている男性二人が乗り込んできた。

仕事場ではよく知っている仲のようでさっそくいろいろな話を始めた。

さすがに難しい仕事の話はないが、漏れ聞こえてくる話がちょっと面白く、聞き入ってしまった。

というのも、大阪から乗り込んできた男性は同僚との話でわかったことなのだが、野洲駅利用の湖南市在住なのだそうだ。

まぁ野洲駅の利用者の仲に湖南市の住民がいるのはわだらんもよく承知しているが、びっくりしたのはその男性は下田なのだそうである。

湖南市と言えば一般的には石部・甲西・三雲の各駅が主となる草津線利用である。

旧岩根村、菩提寺や岩根あたりは昔からバス路線もあり野洲駅利用があったのだが、旧下田村で野洲駅利用というのは正直ぴんとこない。

下田といえばかつて三雲駅と近江八幡駅を結ぶ国鉄バス路線があり、交通公社の大判時刻表にも近江下田とちゃんと載っていたのである。

その後国鉄バスはJRバスとなり、さらに路線廃止で湖南市のコミュニティバスになっているが、

やはりわだらん的感覚では三雲または近江八幡のイメージなのである。

その男性の同僚も「近江八幡ではないのですか」と同じ感覚なのであろう、男性に尋ねていたのである。

ところが、その男性曰く「近江八幡も野洲も変わらない」とのことであった。

そんなものか、と自宅に帰ってパソコン上で地図を開き、距離を測ってみる。

下田の郵便局前を起点に近江八幡駅が14.5km、その一方野洲駅は16.8kmであった。

確かにこの距離差なら車で何の問題もなく、しかも終電や電車の本数を考えると確かに野洲のほうが便利そうである。

そうか下田でも野洲を利用する可能性がある、とちょっとびっくりしたり感心したり。

いずれにしても野洲駅の利用価値を多くの人が認めてくれるのはうれしいことだし、

これでなおいっそう利用者が増えればなおうれしいものだと思う。

 

そう、そういえば某竜王のショッピングセンターも野洲か近江八幡からバスなのだが、野洲の法が本数が多い。

下田から琵琶湖線に出るには竜王を通るし、そう考えれば旧下田村も、

あるいは現竜王町山の上のあたりの旧苗村も野洲駅が玄関といっても過大にはならないわけか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   線路同士の立体交差があちこちにある恵まれた環境

6/10

日曜日の朝に某公共放送で機関車のアニメをしている。

昔牛込テレビ局がやっていた頃は模型の実写だったと思うのだが、今はCGである。

もちろん実在する鉄道ではないのだから、いずれにしても画像は作らねばならないし、子供が楽しむには十分だと思う。

ちなみに原作者は自分の子供に聞かせるために作ったので、基本的に子供向けの話、しかも事故や故障ばかり起きる話である。

ただ話がしっかりしていて、特に初期の頃の話は実際の鉄道で起きるような話なので、某巨大掲示板にスレッドを立てたり、

電子辞書に項目を作ったりといい歳をしたおっさん連中も結構見ているもんだ、と思う。

実際わだらんでもたとえばフライングキッパーとか、さかなつりとか、なんともいいところを突いた面白い話だと思う。

 

ところでこの話、原作者はイギリス人で、話の舞台もイギリスの架空の島である。

なので、話の風景はイギリスの特に西部や北部の荒涼とした草原地帯がベースで、豊かな農作地というわけではない。

このあたり、もし日本で蒸気機関車の話を作るとすれば水田がベースなのだろうか。

そんないわば田舎の風景にもかかわらず、線路は一部の支線を除いて基本的に複線(正確には複単線か)で、丘陵の坂登りは3線区間である。

もともと正面諸突すると困るからという理由でイギリスをはじめとする欧州の特に開業の早かった区間は列車密度に関係なくみな複線(というか線路2本)が標準なわけだ。

逆に日本は最初の鉄道を開通させる時点でできるだけ安く作るために狭軌単線で敷設したので、その後時刻に正確でなければ輸送力を維持できなくなってしまった。

要するに欧州、特にイギリスやそしてこの機関車たちの話の中でも線路容量が必要以上に大きいわけで、だからこそ機関車の話が成立するわけである。

日本の場合なら少なくとも機関車が勝手に好きな線路を走るような余裕はないのである。

もちろん線路容量、つまり列車を走らせるための線路の量や施設はお金がある限り大きいに越したことはなく、

例えばもしせっかく複線で開通した参宮線が単線にならなければ、昭和3110月の六軒事故は起きなかったのだから。

 

ところで、この機関車の話をみて某掲示板にスレッドをたてて楽しんでいるのは結構ヲタの強いおっさん連中のようである。

少なくともこの連中(言い方は悪いが)は、これらの事故続きの話を真面目にしていても、線路容量の話はしない。

というか、線路容量が大きいことがいいことであることをわかっているからであろう。

線路容量は列車の本数が最大になる場合に列車の運転が安全にできるか、列車の設定ができるかを問題にするのであって、

昼間の閑散時間帯だけを見て「京都以東の複々線は無駄」などと言い放つ若い集団では、この機関車の話の面白味が理解できないのだろう、と思う。

まぁしょっちゅう無閉塞で追突したり、正面諸突を避けて安全側線に突っ込んだり、とそんな話ばかりが実際にあっては困るが、

でも案外この機関車の話、まじめに考えると深い話でもあるように思う。

最近の話はやたらキャラクターが増えて、少し無理に話を作っているようなところが見えて残念であるが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   旅のレストラン、日本食堂

6/8

わだらんの職場ではありがたいことに毎年健康診断を受けさせてくれる。

(基本的には法令で決まっているので、受けなければならないものなのだが。)

ところが、高血圧が引っかかって、以前から眼底検査をしている。

これがどうも苦手で、目の前は一瞬真っ白になるし、その後目はしばらく見えないし、何回やってもだめなのである。

とはいっても、今のところ眼底検査での以上は見つかっていないので、ありがたいことなのだが。

 

さて、先日太陽の前を金星が横切るという天体ショーがあった。

わだらんは気象には興味があるが、どうも天体はあまり楽しみがわからない。

なので、金星の太陽前通過を特に見なかった。

というか、どうも眼底検査のように思えて、見る気がしなかったのである。

とそんなことを思っていると、写真好きの職場の人間が「金星の写真を撮ったぞ」と話しかけてきた。

いや、眼底検査みたいできらい、と答えると笑っていた。

ということはみんな太陽の金星の通過が眼底検査に見えるのだろうか。

太陽の前を通過する金星を見たことはないが、東海道線を走る金星は何度も見たことがある。

岐阜市内に住んでいた頃で、ちょうど夏の日の出の早い時期、上りの金星が水の入った水田に姿を映しながら去っていく姿をよく線路端に見に行っていた。

下りの銀河2号と上りのはやぶさ、みずほ、さくら、そして金星、さらに貨物205050列車と高山線夜行のりくらなどが行きかう姿を眺めていた。

当時いいカメラを持っているわけでなく、今から思えばもったいないことをしたと思うのだが、でもその頃は線路端で列車を見ているだけで充分であった。

金星はもう名古屋終着に近く、乗客が窓から外を見ている姿が多かったように思う。

とはいってもまた朝5時台の話でほとんどの窓はブラインドが降りていたが。

 

そういえば夜行列車には天体からくる名前を付けたものが多かった。

金星も銀河も、あついは明星やら彗星やらと。

みなもう宇宙の遠いところに飛んで行ってしまったが、多くの人は夜空を想像するとこんな名前が浮かんでくるのだろう。

でも今から思えば、なかなかロマンのある名前ではないか。

なんで金星が名古屋博多間なのかと難しいことは考えないとして。

まぁ太陽を見て眼底検査だなどと思うのはわだらんだけだな。

 

ちなみに先日金環日食があったが、このときリングになるのはきれいなものだ、とわだらんも空を見上げた。

もっとも日食など昔は日本のどこでも見られたもので、わだらんが夏の早朝に見ていたはやぶさもみずほもさくらもみな日食、

そろそろ朝食の支度で、そういえば食堂車はみなブラインドが開いていたな、などと余計なことを考える。

ちょっと日食の意味が違うのであるが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   節電のためなら都会駅でも半自動できそうなのに

6/5

夏の電力不足が心配されて大騒ぎになっている中、いつのまにか大飯原発は稼働する方向が固まっているようで、

原発がらみだけでなくいろいろと電気の話は毎日話題になる。

原発にもろ手を挙げて賛成するつもりはないのだが、電気がなければ日々暮らすことは難しいわけで、

方策や方向性は別にしてもとりあえず電気が安定して使えるというのは最低限必要である。

もし走っている電車が停電で駅間に急に止まっては困るものだ。

ありがたいことに毎日電車に乗っていて電気が停まって電車が走らないことはない。

ひょっとするとこの先間引き運転はあるかもしれないが、移動の手段が確保されていればしかたないかと思う。

できることなら電力不足があったとしてもダイヤや運転に何も支障がないように、と願うものだ。

 

この61日から、野洲で長時間停車する列車の半自動扱いが始まった。

以前から夏の間に冷房効果を高めるためとして半自動扱いにはしていたが、今回の案内にはいつもならある9月末までの案内がない。

ひょっとすると年中定着か、どうなのだろう。

省エネの観点では確かに不要なドア開閉は無駄だし、車内空調も守れる。

わだらん自身はもう野洲以東は全部半自動でもいいくらいだと思っているのだが。

むしろ半自動でドア扱いが少ないほうが安全ではないかと思ったりする。

エレベータはそのほとんどが無人運転なのだから、電車のドアも無人運転で開閉できそうな。

もっとも現在の電車のドアはエレベータのようにドア先端に挟みセンサーはないので、今すぐにドア閉めを勝手にすることはできないだろうけれども、

でもある一定時間で閉まるようにしておけば駆け込み乗車は不可能になって車掌氏は楽になるのではないか、と思うのである。

そもそも駆け込み乗車する人間の大半は電車のドアも手を入れたら再度開くと思っているのではなかろうか。

閉まっているドアをボタンを押して開ける、ドア閉め状態ならボタンを押してもドアは開かない、とわかりやすいと思うのだが。

 

昔々、まだドアが手動だった一般客車の列車が駅に着くときには「列車が完全に停まるまで列車から降りないでください」とホームにアナウンスが流れていた。

今は飛び降りなどできる状態ではないが、ただ今から思うとあれはホームが低いからこそ飛び降りできるのであって、

今のようにドアとホームが同一面だと飛び降りしにくいのではないかな。

かけ込み乗車もどちらかと言えば少し列車が高いほうが様になるようにも思う。

やっぱりバリアフリーになってホームの列車が同じ高さでお行儀よくなっているのだから、

電車もお行儀よく乗り降りするものだ。

 

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