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1176.  9/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ホームの上がひとつの街

1175.  9/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   北ドイツ平原を走る在来線特急は踏切があっても時速200km

1174.  9/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   鐡道の街として有名ではないが、野洲はヲタにとっても住みやすい

1173.  9/20 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   休みすぎる運用は経営的によくないが、過酷すぎてもたいへん

1172.  9/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   いつもの並び位置に扉はありません

1171.  9/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   新車のにおいに敏感なのはヲタのさがなのだろう

1170.  9/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   113系なら当たり外れも大きいが、新快速なら当たりもないし外れもない

1169.  9/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   さりげない一言で気分がうんと楽しくなる

1168.  9/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   終点です降りてください、だけでは味気ない

1167.  9/6  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ただより安いものはないが、いいものかどうかはわからない

1166.  9/5  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   Time is money、いやmoney for time

1165.  9/1  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   直通列車は朝通勤時にはきっと便利だと思うのだが

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ホームの上がひとつの街

9/29

突然オランダの話である。

オランダの鉄道はかつて新幹線の生みの親である島秀雄さんが電車運転の手本としたことがあってなのだろうか、

ずいぶん日本の鉄道、それも名古屋や大阪の鉄道会社に似ているとわだらんは思う。

一般に長大編成・機関車列車の多い欧州大陸の中で電車による短編成高頻度規格ダイヤの鉄道は少し異質であるが、

それゆえ日本に通じるところがあるのだ。

ロッテルダム-ハーグ-アムステルダム-ユトレヒトとオランダの主要都市を結ぶ区間は原則方向別複々線で、

特別料金なしの列車が速い・ちょっと早い・各停と3種別、時間4本のパターンダイヤとまるで京都兵庫間のイメージ。

そしてやってくる電車は2+4とか4+6とか、これまた大和路線とか名鉄や近鉄電車のような編成。

なんともわだらんには居心地のいいものである。

 

ところが、そんなオランダの鉄道の中で、あまり日本に似ていないものがある。

つまり橋上駅舎、線路の上に置かれた駅舎が少ないのである。

もともとオランダの鉄道は改札口がない。

最近はICカードの普及でホーム入口などにはゲートが立つようになったが、原則ホームへの出入りは自由である。

それゆえきちんとした駅舎が必要でないという理由はあるものの、でもホームの上に跨線橋以外の何かがあるという駅はほとんどない。

アムステルダム中央駅やロッテルダム中央駅は高架ホーム、ハーグ中央駅は頭端式の平面である。

ちょっと変わっているのはアムステルダム空港の下にあるスキポール駅で、ホームが地下にあって地上は空港施設の商店街。

このスキポール駅構内にいると日本食も含めてたいていのものが手に入るのでとてもありがたいところである。

 

ところで、そんなオランダの中で唯一ともいえる橋上駅舎がユトレヒトにある。

橋上駅舎というより人工地盤というほうが正しいかもしれず、ホームの上に広い面積の床が広がって鉄道施設のほか多くの商業施設があり、

そのまま駅に隣接したショッピングセンターにつながっている。

駅舎の屋根は青に着色されたガラス(アクリル板?)で一部光を通す構造で、全体に駅の中が青く見えて独特の雰囲気。

オランダ鉄道の中心地で、駅も大きく列車の出入りも絶えず、もちろん利用客も多く、まるで大宮のような構造とにぎやかさ。

なじみ深い駅ゆえ、またテレビで見るとうれしかったりほっとしたり。

みなさんの中で先週放映された某公共放送の「世界ふれあい街歩き、ユトレヒト」をご覧になったかたはおられるだろうか。

もしご覧になっていなければ2日火曜日の朝8時から再放送があるので、ご覧になってはいかがだろうか。

放送の冒頭のごくわずかの部分だけではあるが、オランダ鉄道の雰囲気を感じていただければうれしいもので。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   北ドイツ平原を走る在来線特急は踏切があっても時速200km

9/25

某経済新聞の記事に「世界の鉄道投資地下鉄シフト」という記事があった。

高速鉄道は鈍化とあり、ここ最近の鉄道投資が世界的に都市鉄道中心であると解説している。

まぁ一般的にはそれで間違いないのだろうけれども、ただ記事の中心はあくまで車両であって、広い意味の鉄道投資ではない。

本来高速鉄道にしても地下鉄にしても新線建設となれば土木も信号通信も送電もと範囲も規模も大きく、車両はその中の一部にすぎない。

とはいえ、車両が一番一般的に目に付くところであり、通信や送電は目につかないのだからまぁそんなものかと思う。

ただ、世界で見ると車両の世界はボンバルディアとシーメンスとアルストムばかりで日本の車両のイメージが薄いのが残念であるが。

 

ところで、高速鉄道の定義はなんだろう?

日本で言えば新幹線、つまり標準軌のレールが他の線路や道路と平面交差しない専用の路盤に敷かれた上を走る鉄道、ということになるか。

これが海外、特に欧州や中国のようなもともとが標準軌の場合、新規に建設された専用軌道を走るものということになろうか。

高速鉄道用車両でも新線区間以外は在来線線路を走るので、都市の通勤電車と並んで走るのは当たり前。

このあたりは日本の常識からすれば少し違う。

もし新幹線と新快速が同じホームにやってくるとかなり違和感があろうかと思う。

 

が在来線に高速列車が入るということは逆に都市近郊の列車が高速新線に入ることもあるわけで、

例えばドイツのニュルンベルグ〜インゴルシュタッド間の快速列車は新線区間を時速200kmで走るし、

コペンハーゲン〜マルメ間の快速列車は最高時速180kmである。

高速鉄道と言えば軌道面が分類の中心であろうけれども、高速車両というと一般車との境はどこなのだろう?

223系や225系の最高時速130kmは在来線の特急と同じだし、昔に比べて一般車と高速車両、つまり特急車両との差はずいぶん少ないように見える。

 

そもそも車両の性能がどんどん上がってくれば、高速車両などという定義自体なくなるだろうし、

そのうち新幹線も当たり前に在来線を走る時代が来るのかもしれないが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   鐡道の街として有名ではないが、野洲はヲタにとっても住みやすい

9/24

鉄ヲタのなかでも運用ヲタというのはおそらく鉄道会社にとって一番無害なものではないかと思う。

何しろ一日ずっとホームで電車を眺めてさえいればいいわけで、撮り鉄のように線路や私有地に立ち入ることはないし、珍しい列車に大騒ぎするわけでもないし、

いつも通りに電車が走っていればそれでいいと満足している連中だからである。

もちろん何か祭りと称する事故や不通区間発生によるダイヤの乱れには敏感であるが、

でも祭りを狙ったり期待したりしている訳ではなく、結果的に祭りが起きれば見物するという従順な連中なのだ。

もっともホームの端でうろうろしていて自殺予備軍と思われてもよくないし、運用ヲタの中にはわざわざオペラグラスまで持参の輩もいるそうで、

あまり乗務員さんに煙たがられるようでもてはいけないが。

 

おおよそ運用ヲタは基本的に決まった駅、つまり自分のいわば基地がある。

わだらんは基本的に野洲か京都で電車を見ているし、野洲にはもう一人コアな運用ヲタがいてわだらんよりよほどこまめに編成チェックをしている。

決まった場所で列車を見るのはどうやら海外の運用ヲタでも同じようで、

ネットで探すと例えばオランダスキポール駅での出入り車両を画像投稿したものが落ちていたりする。

これが航空機ヲタだとスポッターというちゃんとした名前があるのだが、鉄道の運用ヲタをあまりスポッターとは言わない。

まぁスポットに入る飛行機と違って列車はホームに入るのだからホーマーとでも言うのか、でも何か変だなぁ。

 

ところで、野洲にも片手で足らないくらいのヲタがいるようだ。

日曜日午前中、本線下り線路際を車で走っていたところ、偶然EF66の牽くレール輸送列車がやってきた。

しかもEF66の次位にはパンタを下ろしたEF64がついていた。

ちょっと珍しいものを見たと思いつつ車を走らせていると、その先の踏切では2名、さらにその先の跨線橋上にも1名、カメラを持った人物を発見。

もちろんこれらの人たちはいわゆる撮り鉄に属する人で、運用ヲタとはまた生態がずいぶん違う。

とはいえ、篠原野洲間が決して有名な撮影地ではなく、雑誌等に載ることもまずないので、やはり地元野洲の方なのだろうかと思う。

運用ヲタにとっては野洲駅はとても面白いところなのだが、野洲在住の撮り鉄のみなさんにも水田が線路の両側に広がるこのあたりは

列車を眺めたり写真一枚に全体を収めたりするには都合のいい場所なのだろう。

もっともあまり有名になって撮り鉄が押し寄せても厄介か。

まぁ野洲駅ベースの運用ヲタはそう簡単に増えないだろうけれども。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   休みすぎる運用は経営的によくないが、過酷すぎてもたいへん

9/20

先日223系の1000番台に続けて乗ったと書いたのだが、実はその翌日金曜日の3508Mも、

休み明けの火曜日帰り3498Mも、さらに水曜日晩3520M2231000番台であった。

これで5回連続である。

2231000番台を決して狙ったわけではないのだが、比率的に少ない車両に続けて当たるのはいいことなのだろう、と自己解釈。

とはいえ、実は金曜日は3508Mは狙って乗ったので、読みが外れたということになる。

前日木曜日の3539M、つまり203運用に225系のなかでもまだ入りたての新車I6編成がいたのを目撃していたので、

それなら翌日の204運用、つまり3508Mに入るのではなかろうかと期待したわけである。

どうしても新車にこだわるわけではないが、タイミング的に乗れるものなら入りたてのうちに乗ってみたいと思ったのである。

ところが意に反してI6編成は204運用に入らず、同じ網干を朝出る222運用に入ってしまったようだ。

本来同じグループの車両走行距離を均一にするために運用を組んで順番に回していくのだが、

これがなかなか順序通りにならない。

もちろん一部のヲタ以外、つまりほとんどの乗客は運用順序など気にしていないので、まぁどうでもいい話なのだが。

 

とはいえ、本線で使われている221223225系は毎日大変である。

同じ223系でも宮原常駐の車は日中自区にほとんど帰ることができるし、日根野車もいつも自区の前を通っている。

ところが本線運用だと下りが姫路でそのまま上りで折り返したり、湖西線をうろうろしたりとなかなか網干に帰ることができない。

そのためなおさら網干に帰る運用は車両の差し替えなど運用順序が予測通りにならないことが多いのである。

トイレが詰まったり、表示機が故障したりと車庫に引き上げて点検や修理をしなければならないことは山ほどあるのだ。

もちろん野洲や米原などで一旦車庫に引き上げることはよくあるが、大きな修理などはやはり自区でないとできないものも多い。

毎日1000km近く走り、いわば酷使されている車両なのだが、思うように保守はできないようだ。

 

先日火曜日3498Mに乗っていたところ、「5号車の空調が故障しています」と車掌がアナウンスしていた。

この暑い中空調の効かない車両はさぞ暑いだろうと思うし、おかげで周辺の車はより混雑するだろうに、と思う。

が、この3498M239運用は前々日朝に網干を出てから向日町・宮原と外泊を続けて、さらにこの夜も上郡で泊まり、

やっと翌日つまり朝網干を出てから4日目の夜帰ってくる運用である。

どこかでのちに差し替えができたのだろうか、空調故障しながら走る姿はいただけないが、

でもこの車両、1997年からもう15年もずっと新快速を中心とした過酷な運用をこなしているわけで、

どこかガタが来てもしかたないのだろうか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   いつもの並び位置に扉はありません

9/19

三連休明けの火曜日朝、いつものように713Mに乗ろうと野洲駅二番のりばに降りたところ、

先にホームにいた車掌氏の立ち位置がいつもと違う。

713Mは通常221A編成の8両なのだが、この車掌氏の立ち位置なら6両になる、つまりホーム中ほどにいたのである。

あれあれ、これは厄介だなと思いつつホームの案内を見ると10両であった。

野洲駅2番は12両入る長さなのだが、8両編成なら前3両と後ろ1両分を残した中ほどの位置を使う。

ところが、10両編成になると先頭合わせ、つまりホームを前から10両分使うのでホーム後ろより2両分が余ることになる。

そこで編成最後部となる10号車の停車位置が変わり、車掌氏の待つ立ち位置が変わっているということである。

いつもなら7/8号車の2両分の客をほぼ10号車1両でもつことになり、

座席の少ない223系でなおさらいつもよりやたら乗車率の高い713M最後尾になってしまった。

守山はすべての編成が先頭車合わせなのでいつもより長い10号車に並ぶ人は少なかったのだが、草津がまた大騒ぎ。

草津もいつもなら後ろ1両を残す位置で停まるのに、今日は先頭合わせで後ろ2両が残る位置。

いつもの8号車に並んでいた人も合わせて、10号車は立ち客大量の商売繁盛。

逆に先頭はいつもなら車両のないところに停まるわけだからきっとがらがら、快適な車内なのだろうと思う。

 

なかなか毎日同じような行動をとる通勤者が急にお知らせを聞いて動くのは難しい。

もちろんこれが列車の遅れとか運休なら動揺や別行動もあろうが、編成変更だとあまり大げさに考えないのだろうか、と思う。

もちろんこれとて4両から12両まで各種編成長さの品ぞろえ豊富な琵琶湖線でこそ起こる話で、

例えば地下鉄御堂筋線など何があっても10両の電車しかこないし、学研都市線やJR東西線だって7両以外の編成が来ればもう大騒ぎになる。

編成が列車によって異なるのは見ている分には楽しいが、何かあると厄介なのだろうか、

いや一般の通勤者はそこまで考えないか、などとぶつぶつ。

 

10両の713Mはいつも通りにその後も走り、高槻茨木では223系の車内広さが役立って

大きな混雑にもならず定刻で大阪着であった。

どうせならいつも10両で運転してもらいたいものだが、なかなか運用上簡単にはいかないだろうが、

近いうちにまた225系増備による221系置き換えがあるのだろう。

いざ何か事故や障害で運用変更をかける必要のあるとき、編成や性能が揃っていれば楽である。

もっとも編成両数や内容がみな同じなら運用調査もつまらないし、事故や障害で運用変更が起こるからこそ特定車輛の追いかけが思うように当たらない楽しみもある。

まぁたまに10両ならうれしいことだとよく解釈しよう。

 

とはいっても、そもそも10両で713Mを運転する理由が前日夜の人身事故のためとなると、単純に喜んでばかりもいられない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   新車のにおいに敏感なのはヲタのさがなのだろう

9/14

今のようにネットで瞬時に情報が飛び交う以前のわだらんがまだ目の輝きを持った子供の頃の話である。

月刊の鉄道趣味誌に乗る新車の記事がわだらんの新車情報のすべてであった。

今と違って昔は鉄道会社が新車導入の報道をすることも少なかったし、ましてや車両工場の様子などその場にいかない限り情報入手はできないのであった。

もちろん工場を出たばかりの新車がいつ基地へ運ばれるかなどという情報はまったくなかった。

とはいえ、別にそんな情報がなくても何も困ることもなく、趣味誌を読んで知り得た情報でわくわくしたものだ。

 

そんなわだらんの印象深い新車というと、湖西線開業の時の113700番台車や、翌年に金沢に入った485/489系などを思い出す。

ちょうど地方の旧型電車の置き換えを都市圏に冷房付き電車を入れた玉突き転配で進めていた頃で、

本線快速に113系の新車が入って非冷房113系は鳳や大垣に転属して70系や80系電車を置き換え、

あるいは大阪環状線に103系新車が入って片町線へ101系が動いたころである。

103系や113系は今ではぼろ電車の象徴のようだが、でももちろん彼らにも新車で入った時があるわけで、

逆にその頃をわだらんは知っているのでいまだにぼろ電車と言われる彼らがやはり好きなのである。

もちろん今のネット上で騒ぐ子供ヲタたちにはそんな113系の新車などピンとこないだろうけれども。

 

再び木曜日の帰りのことである。

野洲駅で3520Mを降り、ふらふらとホーム上を跨線橋へと向かっていると、野洲始発の3533Mが入ってきた。

3520Mは電留線に引き上げになるのだが、この3533Mの電留線からの到着を待って引き上げていく。

逆に3533Mは一般的な野洲始発電車より少し早く入線してきて、3520Mが早く車庫へ引き上げられるようにしているようだ。

そんな3533Mを見ているとやたら後ろ編成の側面が光っている。

もしやと思い1番線側に回ってみて納得、この編成はまだ入って1週間の225I6編成であった。

車内からはいわゆる新車のにおいがする。

どんなにおいかがよく表現できないのだが、とにかく新車のにおい。

車掌氏と「まだぴかぴかですなぁ」などと少し立ち話。

正面床下などもまだきれいで、いかにも入りたてという姿である。

とはいえ、ステンレスの外板はやがて表面が汚れてくるだろうし、車内は他の車と変わらないし、一般の方がどこまで気づくだろうか。

まぁそこに気づくからこそヲタなのであって、ヲタだからこそ新車を見て喜んでいるのだ。

もちろん今のネットで騒いでいる子供ヲタもこのI6編成が営業に着いたことは百も承知だが、

でもその子供ヲタたちがおじさんになる頃、225系が新車で入ったころを思い出すだろうか?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   113系なら当たり外れも大きいが、新快速なら当たりもないし外れもない

9/13

木曜日の帰りのことである。

大阪19:453520M1号車に乗り、高槻で座席を確保する。

実は前日水曜日も同じ電車で、同じように高槻で座っている。

しかも二日続けて223系の1000番台であった。

44本の223/2258連車で41運用を回しているのだが、

44本中2231000番台が9本あるので、単純な確率計算では約2割、

つまり1週間5日乗るとうち1回は1000番台にあたる計算になる。

実際には運用に入っている編成内容で確率は変わるし、

運用組中に1000番台が均等にばらまかれているのではないので、

今日のように二日続けて1000番台にあたることもある。

むしろ5本しかない225系より当たる確率は高いのだ。

実際1000番台にはよく当たるように思うのだが、

窓側に肘置きがついているので乗り合わせた時の印象が強いのであろう。

2000番台は当たり前すぎて気にしていないのだ。

 

2000番台からはコストダウンを意識して窓側の肘置きをなくしてしまったが、

逆に言えば国鉄時代は近郊型と急行型ボックスシートの違いは

窓側に肘置きがあるかないかであった。

(もちろん急行型のほうがシートピッチは広く、また座席上の手すりが

頭を置ける枕の形状になっているなど細かい相違は他にもあるが。)

2231000番台が登場した時には土日に

天橋立行き臨時急行レインボーなるもので使われたこともあったし、

その前の221系では臨時快速ホリデー号などで

指定席車としても使われていたので、この世代つまり2231000番台車までが

優等列車使用を意識していたということになるわけだ。

実際新快速が130km/h運転を始めた頃、

つまり2232000番台が大量に増備されたころからは

指定席を含む臨時列車はほとんど運転されなくなってしまったので、

残念ながらコストダウンしたものでも問題なかったわけだが。

 

まぁ2日続けて1000番台というのは運がいいのか悪いのか。

本来運用ヲタなら前日の使用車両から

次の日の車両を推測しなければならないが、

実際あんまりちゃんと考えていないのだ。

まぁ毎日何かが起こっていつ運用が乱れるかわからないし、

乱れないにしても故障や不具合で

網干発着の時点で車両の差し替えも多いのだから、なかなか推測も当たるまい。

どちらにせよ223/225系なら何が来ても大きな当たり外れはないのだから、

ホームで待っていてのお楽しみにしよう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   さりげない一言で気分がうんと楽しくなる

9/12

とある朝、いつものように713Mに乗り込むと、おねえさん車掌氏が2名。

一人は以前から何度か見ている美人のおねえさん、

今日は指導で新人のお姉さんを教育中のようだ。

新人のおねえさんはまださすがにちょっと度胸がないようにも見えるが、

まだまだ先は長いわな。

いや指導の美人おねえさんがしっかりしているように見えるので、

よけいに新人さんが弱く見えるだけかもしれないが。

おまけに発車草々「高槻から快速の網干ゆき」などとのたまうのではないか。

713Mは京都から快速なのだ)

もちろん山科を出たところでは「京都の次は長岡京」と案内しているので一安心。

いつも駆け込みや混雑でやっかいな茨木のドア閉めも

無難にこなして定刻で大阪着であった。

 

ところで最近は本当におねえさん乗務員さんをよく見かける。

電車が好きでこの仕事についているのか、

いや好きと仕事は別なのかよくわからないが、

でもかわいいおねえさんが運転台に座っていたり、

編成最後尾からホーム監視をしている姿はなにか絵になるものだと思う。

以前は女性が運転士になるというとニュースに取り上げられたものだが、

最近は当たり前になってしまって話題にならないものだ。

もちろん鉄道会社や路線によって違いはあるが、

それだけ多くのおねえさん乗務員がいる世の中になったということか。

もちろん個人差の話だが、

一般的に女性のほうが人当たりがよくやさしい印象である。

おねえさん車掌氏の案内を聞くと、ちょっとうれしくなったりする。

でも多くの通勤利用の人はそこまで気にしていないかもしれないが。

 

火曜日の帰宅時のことである。

せっかく225系の窓側座席を確保してゆっくりしていたのに、

途中から隣に幅の広い人が座った。

なんとも窮屈で、石山ですぐ後ろを走ってきた812Tに乗り換えた。

早く着く新快速225系から普通電車221系に乗り換える人間などまずいないだろうが、

でもこの812T、瀬田を出ると車内はとても静かになる。

足を延ばして新聞を広げてゆったりまったり。

そんなゆったりした車内におねえさん車掌氏の声が軽やかに響く。

草津で「お気をつけてお帰りください」などとちょっとわさしい一言も。

運用ヲタわだらんは車両の追いかけはするが、一般的に乗務員さんの行動、

つまり行路については興味がない。

でもこんなおねえさん車掌氏なら次はいつ会えるかちょっと楽しみだったりする。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   終点です降りてください、だけでは味気ない

9/8

金曜日、一日仕事休みをもらって電車に乗っていた。

前日木曜日に深夜京都駅前を出て、早朝富山駅に着き、そこから18きっぷを片手にのんびりゆっくり普通電車に揺られてすごす。

ゆっくりと言っても乗っているのは523M、富山発直江津行きの475系電車で、線路状態の良い区間をぐいぐい飛ばす。

富山直江津間117km113分、表定速度62.3km/hは立派なもの。

本当に気持ちよく走ってくれる。

天気は快晴、立山連峰もくっきり見えて気持ちのいいことこの上ない。

もちろん毎朝の713Mでも特に野洲川橋梁とか南草津瀬田間とか、あるいは瀬田川橋梁とかとても気持ちのいい区間はあるのだが、

旅先でいい電車といい天気に巡り合えるとそれはまた格別である。

それなりにいろいろと悩みを持つ身ではあるが、そんな日頃の悩みなど飛んで行ってしまいそうだ。

 

しかも今日は平日、朝早い時間とあって、高校生が乗ってくる。

日常の流動を見るには平日に限る、とますます気分は上々。

市振からはもう新潟県、鉄道だけ見れば直江津まで富山県のようだが、高校生をはじめとする地元はしっかり県境を越している。

糸魚川からでも直江津までの通学生がたくさんいるのにちょっと驚いてみたが、

よくよく考えると距離的には大垣米原とか近江八幡京都と変わらないのだからなんら不思議はないのだ。

そんなことも平日朝ならよくわかるものだ。

 

ところで、この523Mが直江津に着いたのち、ちょっと不思議な光景を目にした。

学生たちが降りないのである。

野洲を含めたアーバン区間の駅ではみな終着駅に着けばすぐに車内から放出される。

いわば追い出しである。

ところが、多くの学生は降りるどころか、立ち上がりもしない。

はて、どうしたものかと見ていると大雑把に二つの理由があることが分かった。

つまり、すぐに降りても直江津駅の跨線橋が容量不足で、なかなか捌けないのである。

もちろんおそらく混雑するのは一日のうちのごく数分の話で、

それ以外の時間は十分なほどの余裕があるように思えるし、拡張の必要などないのだろう。

いわば時差利用、ということになるのだろうか。

そしてもう一つ、車内に残った多くの高校生は向かいに入ってきた1322M、二本木行きに乗り換えたのである。

つまりどうせ向かいのホームに入ってくるのだから、それまで523Mの車内で待っていよう、

どうせホームにいても安心して自分の居場所を確保できるスペースなどないのだから、とそのまま居座っているようだ。

実際1322Mが出るころには523M車内はすっかり無人になってしまった。

もちろん523Mは折返し538Mになるのだが、その間ずっと6番線にドアを開けたまま留め置きなので、

車内に残っていても問題ないというのが一番の理由なのであるが。

 

今や地方の鉄道はその多くが高校生によって支えられているといって過言ではないかもしれない。

高校生であふれかえる直江津駅の5/6番ホームを見て、ちょっとうれしくなった。

このあたり、日頃琵琶湖線南部を利用していると高校生の比率が相対的に下がるのであまり気にしたことがない。

やはり旅には出るものだ、と自己満足。

しかも地方の拠点駅で時刻表からは読み取りにくいちょっとしたダイヤの工夫を見るとちょっと興奮。

ちなみに富山発523Mから長岡行きと二本木行き、一方長野発と長岡発の列車を受けて富山行き538Mが発車する構図は

19904月の時刻表を開くと今とまったく同じであった。

きっと完成された動かしがたい接続なのだろう。

20年前も同じように523M車内に高校生が残っていたのだろうか。

ちなみにダイヤも変わらないが、列車も115系と475系で今と同じ、時刻と車両だけみれば時の流れに無縁である。

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ただより安いものはないが、いいものかどうかはわからない

9/6

9/6

再び3日の話である。

朝神戸線の事故ではるかに乗る技で無難にこなしたのち、

5時を回って仕事場でどこできりをつけようか、

どうせ電車はまともに走っていないのだろうからと思いつつ

JR西の運行情報HPを開くと何とびっくり。

今度は高槻で信号故障、高槻京都間運転見合わせとある。

あわてて帰宅準備をしては見たもの、高槻京都間なら当然はるかもだめ、

となると新幹線しかないか、

でも京都からも電車があるかどうか怪しいしと悩んでみる。

ならばせっかく振替輸送で阪急にただで乗れるのなら、

と梅田駅17:50の快速急行の客になる。

もちろん手には振替乗車票、しかも京都市営地下鉄も無料になるとあっては

まずは烏丸まで乗ってみることにした。

 

十三は快晴だったのに、高槻のあたりは派手に路面が濡れている。

そして長岡天神では大雨。本当に1km刻みで天気が変わる。

この様子なら琵琶湖線内も当てにならないと

山科まで地下鉄を利用してみることにした。

烏丸から一駅烏丸線に乗ってさらに東西線に乗り換える厄介な経路であるが、

逆にこんな振替輸送がなければまず使うことのない経路である。

結局梅田を出てから70分、

いつもの新快速の倍の所要時間で山科着19:01であった。

まぁ順調か、あとは琵琶湖線がどの程度動いているかだ、

JR駅に上がってみると、次の上りは遅れ25分の18:42の大垣行きと出ている。

あれ、806Tかなと待っていると、確かに2234+4806Tがやってきた。

しかもかなりの混雑のわだらん予想に対して

車内はいつも程度の落ち着いた様相で拍子抜け。

ちなみに後から聞くと琵琶湖線内は新快速を切った上で

京都折返しとして普通電車が確保されていたそうで、

それなら大きな混雑になっていないわけだ、と納得である。

 

草津での3502M退避はなく、その分少し遅れを取り戻して

806Tは野洲に到着、しかも今日に限って2番に振って、

大阪16:30の新快速3488Mを退避するという。

外側のどこかで止められた3488Mの事情はよくわからないが、

内側を走ってきたこの806T

野洲退避中にで車掌氏に聞くと大阪10分延で出ているそうだ。

大阪+10ということは18:03

つまりわだらんが阪急梅田で電車に乗ったまだあとの話である。

つまりそのまま素直に大阪駅で電車を待っていても同じであったということだ。

いつもなら乗らない電車に乗ったことと、

いつもの電車で乗り換えなしなのとどちらがよかったのか、

わだらん自身の判定は難しい。

 

しかも806Tの車掌氏が声の通るかわいいおねえさんであったからなおさらである。

まぁ結果的に恨むのはピンポイントの雷雨ということになるか、

早朝から深夜までお詫びばかりの

乗務員や駅員のみなさんに同情しないではいられない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   Time is money、いやmoney for time

9/5

9月に入ってさすがに朝の日が遅くなってきた。

そんなすこしぼんやりした空の下、

いつものように713Mが野洲駅に入線してきた。

月曜日朝、少なくとも野洲ではいつもの通り、そして定刻の発車であった。

が、途中から車内アナウンスの後ろで聞こえる無線がうるさく、

何かあったのかと不安がよぎる。

その不安は的中し、瀬田でいつもより長い停車の後、

車掌が神戸線内で人身事故が発生していること、

そしてこの713Mは大津抑止となることを告げている。

石山、膳所で車掌はしきりに京阪利用を勧めている。

実際運転見込が立たない状態では、下手に運転再開を待つより

動いている手段で少しでも前へ進むべきなのだろうと思う。

わだらんも思案のしどころで、どうしたものか、

せめて京都まで行けばなんとかなるか、

いざとなったら空港バスで伊丹空港かなどと考えていた。

 

やがて713M5分遅れで大津に着き、そこで抑止となった。

大津には出発信号がないので、指令の許可待ちということになるのだろう。

大津からなら京阪上栄町まで歩けるなぁ、どうしようかと思っていた矢先、

ふとこの713Mのあとに草津線からの5323Mがいることを思い出した。

この5323M、草津線から草津1番発着ののち、内側へ入って京都まで、

そして3番折返しで湖西線近江今津行きになる1176連の電車である。

713Mが大津内側で止まっているので外側に振っていれば京都まで運転できるはず、

折返し湖西線のことを考えると安易に抑止はしないか、と頭に浮かぶ。

まさに同じ時に713Mの車掌氏も同じことを考えていたのか、

5323Mの情報をとって車内に流し京都まではこの電車を利用するよう案内を始めた。

 

そして5323Mは外側を走って大津にやってきた。

大津山科と多客でドア扱いに手間取りながらも無事進み、

山科では抑止の1本前の711Mを追い抜き、京都3番に着いた。

15分遅れ、7:10のことである。

さてならばどうするか、とりあえず下りホームに行ってみるかと

跨線橋を上がった途端、はるか7:15の案内が目に留まる。

この時間のはるかなら空港利用者多く安易に切らないはずだし、

神戸線には関係ない列車ならなんとかするか、とはるかホームへ急ぐ。

京都線内運転見合わせの案内放送の中、1005Mは定刻の発車予定と

つぎつぎ駆け寄る乗客の前に車掌が案内。

そしてゆるゆると1005Mは走りだし、桂川駅の上、

つまり向日町場内でしばし止められたもののやがて外側本線に入り順調に走り出す。

桂川には707Mと思われる2216連が、

そして長岡京を出たところで走り出した705Mと思われる221系を抜き去り、

新大阪7分遅れで無事到着である。

新大阪ではありがたいことに一部の下り電車は運転を再開していて、

6番で間髪入れずに95分遅れの509Cがやってきた。

結局大阪着は8:04、いつもの38分遅れと630円の出費であった。

まぁこの遅れなら仕方ないか、630円払ってでも無難だったかと自己満足。

なにより混雑なしで京都新大阪間を通ってきたのだから。

もう朝の時間帯の事故に列車順序がどうこうとか

折返しがどうこうとか文句を言っても仕方あるまい。

この朝はこれでよかったのだ。

もちろん事故などないがいいに決まっているが。

それにしても短いながら的確な説明の713Mの車掌氏にはありがたいと感謝である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   直通列車は朝通勤時にはきっと便利だと思うのだが

9/1

道州制を検討するために、

大阪府広域自治制度に関する研究会という組織があった。

その会合で示された資料の中に

大阪市への通勤通学者の割合というものがあって、

亀岡市から1000人ほどの通勤通学者が大阪市内へ来ていると記載がある。

ちなみに1000人というと同資料の中で草津市2000人、

守山市1000人とあるので、まぁそんなものかと思う。

(ちなみにその会合は200712月なので、

資料も少し古いものかもしれない。

大阪府HP内のホーム>府政運営・市町村>政策>地域主権の推進>

大阪府広域自治制度に関する研究会で見ることができる。)

野洲から大阪へ通うわだらんとしては嵯峨野山陰線から大阪というと

やたら遠いイメージがあるのだが、実際はそうでもないようだ。

たとえば亀岡7:25で京都7:46、大阪着8:25とほぼ1時間、

これなら乗り換えの有無を除けば野洲と変わらない。

もちろん電車が直通か、あるいは本数があるかどうかということはあるが、

決して亀岡が遠いと決めつけてはいけない。

山陰線京都口は地道に改良が進み、過去の長大ローカル線の

頃の雰囲気はほとんどなくなってしまったのだ。

ちなみに1985年の時刻表を見ると、朝大阪に8:30に着くためには

亀岡6:27に乗らねばならず、さすがにこれでは

亀岡から大阪へのの通勤通学はしんどかっただろうが。

 

ところで長岡京山崎間で見ることのできる

京都第二外環状道路(にそと)の工事がずいぶん進んでいる。

京都亀岡間はもともと道路事情があまり良くないのだが、

既に開通している京都縦貫道沓掛ICから大山崎の間が開通すると、

亀岡から名神や京都府南部へは劇的に速くなりそうだ。

道路事情の悪さは山陰線特急の味方であるが、

「にそと」ができるとどうなるのか、ちょっと心配である。

幸いというか「にそと」は直接京都市内へ入るわけでないので、

対京都市内だけなら現行の鉄道優位は

あまり変わらないかもしれないが。

 

ところで、先日このにそととの交差部分にできる阪急電車の新駅が

「西山天王山」という名になった、とお知らせをいただいた。

駅名についてはまた別の機会に考えるとして、

気になるのは高速バス停が駅上にできるということである。

この「にそと」を利用する高速バスがどんな系統なのか

ちょっと考えがつかないが、

少なくとも亀岡市内からこの西山天王山駅へは

渋滞なくスムーズで速いバス便が確保できそうである。

となると亀岡から嵯峨野線・JR京都線経由の大阪方面への

通勤客の対抗路線になりうるかもしれない。

日々立派になるにそとの桁を見ながらちょっと心配をしてみたりする。

ちなみに花の万博が1990年に開かれたときは特定日ながら

園部から大阪へ梅小路の短絡線経由で電車が走っていた。

今なら亀岡から直通で大阪へ行ける列車があれば

目玉商品になりそうだが、どうだろう。

でも京都によらず対大阪直通では誤乗多発で

やはり列車として仕立てるのは無理かなぁ。

いや、通勤客ならそう誤乗はしないだろうけれども。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください