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12年  12

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1211. 12/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   野洲から仕事に行く人、野洲に仕事に来る人

1210. 12/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   飲食物は乗車前に各自調達ください

1209. 12/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   通勤客と行楽客が同居する時間帯

1208. 12/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   昔は内側を優等列車が使っていた

1207. 12/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   夜の飾りもお風呂も季節の代名詞

1206. 12/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   動労も総評も社会党も民社党も解けて消えてしまった

1205. 12/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   大阪をまたぐ客が多くて座席が確保できない年末恒例の時間帯

1204. 12/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   新幹線を第三セクターで運営するようなことが起こるのだろうか

1203. 12/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ホーム屋根が上下とも長いと大きな駅の仲間入りかな

1202. 12/7  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   一時期大阪野洲間53分運転の時もあったが、南草津は通過であった

1201. 12/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ふわふわの白い霧、これが綿菓子ならちょっとうれしいかな

1200. 12/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   この先トンネル事故で命を落とす方がもうでないように

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   野洲から仕事に行く人、野洲に仕事に来る人

12/29         

今年最後の通勤定期利用となる金曜日、大阪21時ちょうどの3530Mに乗って帰ってきた。

12両編成の先頭12号車に時間の余裕なく乗ったのだが、幸いにも高槻で席が取れた。

長浜行きだと座ってしまうと乗り過ごしが心配なのだが、この3530Mなら最悪長浜まで行っても

折返しが最終の下り電車となるので、なんとか野洲まで帰ってくることができる。

もちろんそこまで乗り越しをしなくても済むようにしなくては、と気が張っていると熟睡ができず、

停車駅ごとに目が覚めるのは不思議なものだ。

おかげで乗り越しなしに野洲まで帰ってきた。

下り電車のお世話にならずによかったものだ。

 

そんなわけで野洲に帰ってくると、改札口あたりがやたらやかましい。

野洲の駅近くで宴会が終わってこれから帰る人たちが多数。

この皆さん方も今日が仕事納めなのだろうなぁ、と。

ところで毎日野洲から大阪へ出かける通勤者はわだらんを含め少なくないが、逆に野洲に向かう通勤先の皆さんも多い。

野洲に大きな事業所がいくつかあるためなのだが、野洲駅の定期利用客が単に一方通行でない、

両方向に客の流れがあるというのはちょっとうれしい。

実際琵琶湖線の電車も朝の上り夜の下りもよく乗っていて、人の流れが双方向あるのがよくわかる。

 

そんな上機嫌のみなさんの多くは下りホームに消えていく。

野洲22:15の普通電車と次の22:20の始発新快速を待つ人たちで下りホームは夜10時を回ってまだ盛況。

もちろん大阪駅のような人の多さとは比べ物にならないが、田舎駅にもかかわらず夜に電車を待つ人が

たくさんホームにいるのを見ることができるのはうれしいものだ。

その電車待ちの人たちを横目に見ながら2番線には米原から野洲までの4両編成が、

1番線には野洲から宮原までの8両編成の電車がそれぞれ回送でやってきて、並んでいる。

もっと琵琶湖線が元気になって、いや日本の、滋賀県の製造業が盛んになって、

回送電車が客扱いできるようになればいいなぁ、と願うものである。

 

相変わらず列車廃止や廃線の話題が多かった2012年もいつの間にか終わろうとしています。

いつもおつきあいいただくみなさまのこれからのご多幸を祈念して、そしてほとんど返事のできていないお手紙をいただいた

みなさまにお詫びをして、2012年を終わりとします。

どうぞよいお正月をお迎えできますよう。

この一年おつきあいいただきありがとうございました。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   飲食物は乗車前に各自調達ください

12/28         

年末近くになって、大阪駅の発車時刻案内に青森新潟の行先が表示されるようになった。

一年前なら日常の光景だったのに、もう次の春は運転がないだろうと噂されている。

となるとこの冬が特に583系寝台にとっては最後の乗車チャンスとみて間違いない。

どうしたものか、夏に乗ったばかりなのに、頭から583系寝台のことが離れない。

とはいえ、乗り鉄のような趣味人でない一般の皆さんには長時間列車内で拘束されるのは苦痛なのだろう。

ましてや、今の夜行列車は食堂車も車内販売もなく、ただ自席(ベッドか)でいわば時間が過ぎるのを待つだけ、ということになる。

せめて食堂車があれば、気分転換にも時間つぶしにもなるはずだが、

かといって一般客が編成内を歩いて食堂車に行くこと自体まず少ないだろうし、

全体の乗客数が限られる寝台列車では食堂車の一般営業などまず儲けにならないのだろう。

 

もちろんトワイライトエクスプレスやカシオペアのように列車に乗ること自体が目的なら食堂車のメニューが高くても問題ないのだろうけれども、

一般客の乗る定期列車(もちろん日本海やきたぐには既に臨時列車であるが)でコースメニューなどまず無理だろう。

一時期東海道山陽新幹線でホテルがコースメニューを前提としたちょっと贅沢な食堂車営業をしてみたことがあったが、長続きはしなかった。

結局飛行機の旅がそうであるように、基本的には自席にいて食事も睡眠もし、

トイレ以外は動かないというスタイルが定着してしまっていて、新幹線であっても食堂車はおろか、

車内販売すら列車や区間を限定されるようなご時世、

自席以外の場所で腹の足しをすることも時間つぶしをすることもままならないのである。

 

さらに輪をかけるように来年春のダイヤ改正でJR東海の在来線の車内販売がなくなるとある。

今では改札前やホームにコンビニがあるのが当たり前になって、乗車前に豊富に食料飲み物を選ぶことができる。

でも車内販売だからこそ何かを買おうかとも思ったりするのだが、もうそんなのんびりしたことはだれも考えないのかもしれない。

駅弁にしても結局1000円するようなものをわざわざ車内で買わないのだろうし、

ましてやホームの売店やコンビニなら駅弁の隣で500円程度の弁当が同じように売られているわけで、

これでは車内で弁当などなかなか売れないのだろう。

そのうち駅弁はデパートの駅弁大会でしか買えなくなるのかな、などと本気で思ってみたりする。

 

車販のおねえさんが休憩のときにお話をしてみたり、食堂車のみなさんと無駄話をしてみたり、

そんな話相手を列車のなかで見つけることができないご時世である。

楽しみが減ってしまった、と嘆くのはおっさんの証だろうか。

トワイライトエクスプレスもわだらん的には下りの昼間の一般営業でカレーライスが食べられれば、贅沢なコースメニューなどいらない。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   通勤客と行楽客が同居する時間帯

12/26         

大阪19:453516Mに何とか間に合って、先頭12号車に入る。

最後尾までホームを歩く時間もなく、御堂筋口のエスカレータを上がって逆向き、12号車へ。

確かに先頭車は編成中央よりは空いている。

が、空いているからと言って座りやすいということではなくむしろ先頭車を狙って並んでいる客が多い分、

大阪から遠くへ行く客が多く座席が空かない。

これが1時間前だと大阪を越してくる客が新大阪や高槻で多く降車するのだが、

この3516Mあたりになると大阪まで空いてくる分、大阪で着席できる確率は高く、

一方大阪で席を確保できなければまず京都まで座れないということになる。

この前後は前と後ろ2本が8両編成、そのことを多くの通勤者が知っていて

この3516Mに集中するのかもしれない。

前後は米原長浜直通なので、いわゆる素人さんや18切符利用者なども多く、

編成が短いこともあってなおさら座りにくい電車である。

 

ところで、ありがたいことに来年春の改正で、大阪始発以外の夜の新快速がすべて12両化されるそうである。

今でも運用を少しいじれば、あるいはT電の編成を短くすればなんとかさらに223系を捻出できそうなのだが、

実際改正時にはどうするのだろうか。

221系をまた奈良からもらってくれば性能変更の限定223系を本来の運用に戻すことができそうだ。

本線205系が転出するので、日根野なのか奈良なのか気になるところで、

これが一部でうわさのある205系東おおさか線転用という話になると奈良の221系をもらう話もある程度現実味を帯びてくるのかもしれないが。

まぁ今の時点では新快速の多くが12両になると公表されているだけで、実際起こるであろうT電の編成短縮などはまったくわからない。

来年3月のお楽しみである。

 

しかし編成両数が伸びるのはありがたい話である。

座席数が増えれば当然着席チャンスも増える。

いつも迷惑だと見てはいるが、でも夕方から夜にかけて乗ってくる某此花区の遊園地帰りのグループもやはり座れればうれしいのだろう。

冬はそれほどでもないが、夏はいかにも疲れた顔をして大きな土産袋を持ってドア付近に集まっているのを見ると、さすがにちょっとかわいそうに思える。

行き帰り楽に移動できることが行楽客の車依存を少しでも減らせるものなら損な話ではないだろうと思う。

もっとも輸送人員自体は大きく増えているわけではないのだから、どこかで編成が長くなるコスト増分に見合う

減車や運転取りやめはあるのだろうけれども。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   昔は内側を優等列車が使っていた

12/23         

先日木曜日の晩のことである。

19:453516Mに乗れるだろうかと息せき切って大阪駅の改札までやってきたところ、先行の820T3分遅れと出ている。

一か八かまだ間に合うかと7/8番ホームに上がろうとすると大量に人が降りてきた。

こんな時エスカレータは楽で、降車客が乗車の邪魔にならないのはありがたい。

ホームに上がって後ろへ走っていくとちょうど車掌氏が交代の引継ぎ中。

少し離れてやり取りを見ていると、どうやら遅れの理由が先行列車の遅れによることはわかったのだが、なぜ先行列車が遅れたのかはよくわからない。

まぁどっちにしろ3分遅れ程度なら大騒ぎでもないか、と思う。

3516Mは新大阪高槻であまり着席できない難しい列車なのだが、この820Tなら221系の8連で比較的空いている。

高槻まで行けば確実に好みの席が取れるので、この820Tで帰宅することにした。

 

さて電車は大阪を3分遅れで発車し、そのままの遅れで新大阪へ。

昔ならここで快速を外側に振るようなこともよくやっていたのだが、今は茨木駅の駅員も減ったのか、

とんと外側に振る快速にお目にかかれなくなってしまった。

もちろんこの日も内側でれピーターが出て、そのまま内側へ、つまり特に遅れに対する変化がないまま新大阪を発車したのである。

ところが、その先がいつもと違う。

つまり遅れているのはこの820Tとそれを受けた後続の234Cのみで、先行列車との間隔が開いた状態なので820Tは順調に飛ばす。

夕方以降のT電は千里丘で前を走るC電に頭を押さえられて極端に速度が落ちるのだが、

この日の820Tに限って言えばまさに絶好調、茨木第一場内、つまりいつもなら時速40kmを割ってもおかしくないようなところを

ノッチを入れて120km近くまで加速し、そして茨木駅に減速しながら進入し停車。

なんとも気持ちいい走りである。

その走りはさらに続き、高槻の場内近くまで内側線制限いっぱいの時速120km近くでどんどん走る。

結局高槻ではほぼ遅れはなくなることになった。

残念ながら高槻駅の表示を見る限り後続の234Cは遅れ3分のままのようで、各駅停車なら遅れの戻しは大変だろうと同情する。

この820T、通過駅をいつもよりずっと高速で進行できたからこそ遅れが戻ったのだが。

 

昔、まだ米原京都間が非電化だったころ、つばめやはとといった特急列車などの優等列車は内側線を走行していたそうだ。

単純に外側より内側のほうが速度制限が少ないということだろう。

そんなことを摂津富田通過中に思い出した。

そう、内側を通過する快速なら前が詰まっていなければそのまま減速せずに走ることができる。

外側は115km制限で減速が必要なのだけれど。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   夜の飾りもお風呂も季節の代名詞

12/22         

冬至だというので、金曜日の晩に柚子を買って帰った。

一般的には冬至が一年で日中が短いと周知されているが、単純に日の入りだけなら冬至の前がより早く、

大阪基準では11/30-12/9がもっとも日の入りの早い時期となる。

つまり既に夕方の日の入りは遅くなってきているわけで、早く帰宅時も車窓が楽しめる頃がやってきてほしいものだ、と思う。

もっともさすがに夏至の頃でも大阪でまだ明るくても野洲ではもう暗くなることが多いのが残念なのだが。

 

しかし世間はクリスマス前の三連休、大阪駅もいつもに増して人が多いように思える。

どこかへ食事でも行くのか、あるいは買い物でもするのか、待ち合わせなのか、まぁよくもこれだけと思えるくらい。

逆に3512Mはもともと極端に混む電車ではないのだが、なお一層車内が静かに見える。

きっとこの日は多くの人がまだ都心部に残って帰宅の時間が全体に遅いのだろうか、と。

電車に乗ってから三越伊勢丹に人が入っているかどうか見に行ってみるべきだった、と後悔。

まぁこんな日は少しは客もいるだろうが、逆にこんな日にしかいないのも問題か。

阪急の新装なった一階広場などさぞ人が多いのだろうな、と想像してみる。

 

しかし飾り華やかな繁華街で大騒ぎの皆さんも多かろうが、でも早く家に帰って柚子湯に入るのも悪くなかろう。

そういえば野洲の乗務員宿泊所で泊まるみなさんのお風呂は柚子湯なのだろうか?

野洲の駅前に昔あった銭湯はよく柚子湯とかあるいは夏には菖蒲湯とかやっていたなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   動労も総評も社会党も民社党も解けて消えてしまった

12/18         

総選挙が終わって政治の世界はガラッと変わってしまった。

政権が変わるのがいいのか悪いのかは人それぞれ見方があるのだが、少なくとも滋賀県の1区と3区を見る限り、

労働組合の組織力が弱くなってきているように見える。

ちなみに野洲市が含まれる3区は元鉄道マンが母体の労働組合を支持基盤としてかろうじて比例当選できたのだが、

1区は組合出身の元閣僚が落選することとなった。

今の世の中、労働組合が威勢よく運動するのは難しいのかもしれない。

 

昔々は労働組合の代表と言えば国鉄の組合、中でも動労と国労がその代表であった。

スト権を獲得するためにストライキをするとか、順法闘争といってわざとダイヤを乱したり

列車を運休させたりするような事態を招いて、結果的にこれが国鉄の分割民営化につながってしまった。

もちろんもしストライキがなければ今も国鉄が存在するかどうかはわからないが、

国鉄のストが当時の時代世相であったことは間違いない。

そう考えると最近の鉄道はある面平和である。

私鉄総連も少し前までストライキをしていたし、中小の私鉄では散発的にストをしていたのだが、

最近はとんとストライキによる運休という話を聞いたことがない。

まぁ乗務中に携帯電話を見たりたばこを吸って乗客に通報されるような昨今、

ストライキのようないわば自己都合が社会に受け入れられるとは思えないのだが。

 

わだらんもおぼろげに「春闘勝利」とか「合理化反対」と落書きされた車両を覚えている。

今なら電車に落書きすれば器物破損ですぐつかまってしまいそうだが、

昔は落書きで罪に問われることは少なかったように記憶している。

もちろん今の世の中、いわゆる労働争議に絡んだ車両や施設への落書きなどもう見つけることができない。

が、新大阪の下り方、本線が宮原操車場への入庫線をくぐる壁に残るものは、昔のスローガンを消した跡ではないだろうか、

と毎日通るたびにちょっと気になっている。

車両への落書きは多くが水洗いすれば落ちる水溶性ペンキや石灰で書かれていたとは読んで知っているが、

設備施設に書かれたスローガンはペンキが多かったのだろうか?

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   大阪をまたぐ客が多くて座席が確保できない年末恒例の時間帯

12/17         

いつの頃から盛んになったのかはよくわからないが、クリスマスが近づくとあちらこちらの家の前でトナカイやサンタクロースが光るようになった。

自宅でやっている方々はおそらくほとんどが家の中から楽しむのではなく、外に向けて飾っているのだろうから、いわば自己主張である。

山科駅のホームに向けて飾りを発光している家など、どう見てもホームの人を意識しているとしか思えない。

とはいえ、そんな光物があちこちで見られるようになると、いかにも年末が近づいたという気分になる。

 

そんな年末の光飾り物の老舗になるのだろうか、神戸ルミナリエが今年も開催されている。

いつも打ち切りのうわさがあるのだが、ここまで頑張れたらこの先しばらく安泰ではなかろうか。

確かに同じような催しが増えて開催したてほどの目新しさはなくなったと思うのだが、

観光客を集める目玉として定着したのはいいことなのだろう。

もっとも鉄ヲタは221系新快速の追いかけなど本来のルミナリエの目的を全く理解していないようであるが。

 

そんなわけでいつもならさほど人がいない宵の口の上り新快速が多数の乗客を乗せてやってくる先週木曜日の話である。

仕事がやたら多く、結局大阪駅21:153532M狙いでホームに上がったものの、大阪駅をまたぐ乗客多数で着席どころか

まともな立ち位置も確保できないありさま。

ところが隣8番線では21:08の快速832T15分遅れと出ている。

これなら思い切って野洲ゆきでゆっくり帰ろうと思い新大阪で3532Mを降りる。

座って帰るのなら何か酒とつまみでもと思ったが、既にホームの売店は閉店。

改札階にいけば開いていたのかもしれないが、階段を上がるのも面倒くさい。

結局酒類は何も入手できずそのままホームで待っていた。

が意に反してやってきた832Tは結構な乗車率。

快速の間隔が開いた上にルミナリエの影響だろうか、実によく乗っている。

しかも駅ではすぐ後ろに834Tがいるとの案内。

遅れ832Tが外側を走るのなら面白いのに、進路は内側へ開通している。

それならどうせ遅い帰宅なのだから、と834Tを待ってみることにした。

すぐ後ろにやってきた834T12両でしかもガラガラ、本来三ノ宮の西改札が近い1号車ですら、乗客は10名ほど。

というわけで世間が年末近くの騒がしい中を4席確保して悠々と。

これで酒でも飲んで帰れれば実に快適なのだが、まぁあまり贅沢ばかりでは怒られる。

 

高槻で2番のりばに着発線変更をした834Tはよく乗っている新快速3534Mを横目に見ながら先行832Tの遅れをもらい

5分ほど遅れながらも快調に進み、京都を5分遅れででた後は野洲でほぼ定刻に戻ってしまった。

あれ、京都野洲で5分も稼げるのかいな、とびっくり。

そして定刻でやってきた3536Mを受けて何もなかったかのように発車していった。

3536Mもいつもより人が多いように見えたのだが、神戸の影響より単に宴会帰りのようだ。

まぁいずれにせよ年末恒例のの騒ぎと言ってしまえばそれまでか。

ちなみに832Tはドア故障があったそうだが、何かと気忙しいこの季節、あまり故障が起きてもらっては困るなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   新幹線を第三セクターで運営するようなことが起こるのだろうか

12/11         

しなの鉄道の169系電車が来年春引退すると公式発表があった。

すでに保安装置の関係でJR線、つまり長野まで出てくることがないし、

ましてや今のしなの鉄道の存在目的からすれば両端2扉のデッキ付きボックス座席など扱いづらい車両なのだろう。

とはいえ、国鉄急行型を今に伝える貴重な車である。

引退はわだらんにとっては寂しいし、できることなら一度引退前に乗っておきたいと思う。

 

ところでそのしなの鉄道は北陸新幹線金沢開業後、信越線の長野県内北側、

つまり長野妙高高原間をJR東日本から引き継ぐことになるそうだ。

今のこの区間、走っているのは長野と長岡・新潟の189系・485系と115系の国鉄型のみである。

113系が湖西草津線にまだまだいるとはいえ、やってくる電車がすべて国鉄型というのはやはりわだらんに魅力的な地域である。

そもそもわだらんが子供の頃に今長野や長岡にいる1151000が新車で入った時で、

もちろんこの車両のおかげで味のある70系や80系の旧型電車が引退に追い込まれたわけだが、

まさにいま引導を渡したはずの115系自体が路線ごと引退の時期というのもやはり時の流れなのだろうかと思う。

奇跡的に急行型とその派生のみが走る富山直江津間の普通電車も含めて転換も含めてこの地域、

北陸新幹線開業で幹線から転落するところへ通いたいものだと思う。

もう新幹線金沢開業まで時間があまりなくなってきたが。

 

ところで昨日守山駅の話のついでで新幹線栗東新駅のことを思い出したのだが、

このところいまだにリニア新幹線の名古屋大阪間で京都を通せとか、北陸新幹線の敦賀大阪間をどうするかとか、

政争の種は尽きないし話は決着しない。

リニアは過去の新幹線整備計画の通り奈良経由、

そして北陸新幹線は米原ルートで東海道新幹線乗り入れが一番わかりやすいとわだらんは思うのだがどうだろう。

確かに新幹線整備計画では北陸新幹線は小浜から亀岡付近を抜ける計画ではあるのだが、

ただでさえうるさい京都の各種団体が、現京都駅を通らないルートを許すとは思えない。

とはいえ、まだまだ先の話、これからどうなることやら。

 

しかし確かなのはリニア新幹線が開業すれば

現在の東海道新幹線は並行在来線化するという事実である。

リニアができれば高い特急料金を払う客が転移するので、新幹線の維持が難しくなるはずである。

今のJR東海なら安易に並行在来線を地元に押し付けることはないだろうけれども、

でもだからこそリニアを奈良経由にしないと、そして北陸新幹線を米原接続で京都と北陸を結んでおく必要があると思うのだ。

ちなみにこの東海道新幹線・北陸新幹線の考え方・価値観は今の滋賀県知事が同じように考えていて、

だからこそ並行在来線化した東海道新幹線に新駅が必要になるかもしれないと発言したのに、

マスコミが並行在来線化の前提を飛ばして「知事が新幹線新駅を必要と考える」などと書くから話がおかしくなる。

まだこれから30年先の話であって、今すぐ新幹線新駅を作る話ではないのだが。

まぁ30年先と言えばその頃わだらんが生きているかどうかも分からないし、実際滋賀県や地元がどう判断するかもわからない。

ましてやリニア新幹線が本当にできるかどうかも分からない。

しかし30年先、今の北陸線や信越線はどうなっているのだろう?

おそらく521系電車はまだまだ現役を通すだろうけれども。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ホーム屋根が上下とも長いと大きな駅の仲間入りかな

12/10         

守山駅上りホームの改良工事が始まった。

具体的な内容を書いたものが見つからないのだが、どうもホーム上屋根を延ばす工事のようである。

確かに守山駅の上りホームは12両編成では前5両が屋根のない状態である。

屋根がないと雨や雪が降っているかどうかよくわかるのだが、でも実際降っていれば厄介である。

電車の車内で傘を広げることはしないから、ホームに出て傘を広げるまでの間は雨雪に降られることになる。

霧雨や粉雪程度なら大きな問題にならないが、最近のようなゲリラ豪雨でもあれば大騒ぎだし、

露天のホームに雪が積もれば雪かきもしなければならない。

最近のご時世、もしホームの雪に足を滑られて乗客が線路に転落でもしたら、

ましてやそれで事故でも起きたら、鉄道側の責任が問われてしまう。

 

まぁそんな難しいことを言わずともホームの屋根があれば便利で快適なことは間違いない。

もともとホームの屋根が長く設けられていたのは一部の大きな駅だけで、たいていの駅では屋根は一部にしかなかった。

通勤時の分散乗車対策だろうか、混雑する国電区間では比較的早くからホームの長い区間に屋根がついていたが、

でも編成全体が覆われる長さがすべての駅にあったわけでなく、

ましてやいわゆる中電区間、今の琵琶湖線などは全体に屋根が短いものが多かった。

屋根が長くてもたいていは都心へ向かう方向のみで、反対側、つまり到着側は短いのが当たり前であった。

 

最近はホームのかさ上げやそれにともなう上屋の延長など改良工事がどこでも進んでいるが、

例えば関西線の非電化区間など昔のままのところが多い。

亀山は昔から乗り換えの便宜を図っていたのか比較的ホーム全体に屋根があるのに対して、

隣の関は駅本屋から向かいの下りホームへの跨線橋すら屋根がなく、

下りホームなど1両の半分程度、まるで田舎のバス停のような小屋があるだけである。

とはいえ、昔はこんなものばかりであって、

決してみすぼらしいとか簡素すぎるとかというわけではないのだけれど。

 

野洲駅も07年暮れまで上りホームは4両分程度の短いものしかなかった。

ホーム屋根が伸びたおかげで新快速から普通電車への乗り換えの時に多くの場合で濡れなくて済むようになった。

駅の利用者の規模からすると野洲ごときと守山に怒られそうだが、いずれにせよ守山も今回やっと伸びるということになる。

ちなみにWEB上で検索をかけてびっくりしたのだが、20066月の守山市議会でホーム延長の質疑応答がされている。

ということは6年越しというわけだ。

ちなみに066月というとまだ新幹線栗東新駅が建設に向けて周辺整備を進めていた頃、

そして栗東市以外の周辺市が費用負担であれこれ揉めていた頃である。

もうずいぶん昔の話である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   一時期大阪野洲間53分運転の時もあったが、南草津は通過であった

12/7           

木曜日の夜のことである。

18:52の大阪始発3512Mに乗ろうと改札を通りホームに上がる。

ちょうど18;45の新快速が出た後で、9番ホームは閑散としている。

それにしてもちょっと閑散としすぎるような気がしてふと目を上げると、19:00の新快速3514Mは遅れ7分の表示。

ホーム係員の案内によると、宝殿曽根間で遮断竿が折れていて安全確認をしたとのこと。

なるほどそれで3514Mの列は短いのだろうと想像がつく。

7分も余計に待つのなら目の前の3512Mに乗ってしまおうと思うのは通勤者の共通の考えではなかろうか、と。

結局3512Mの最後尾1号車は高槻を出ても立ち客多数、いつもの雰囲気とまったく違う。

もちろん混雑とは程遠いなんとも快適な車内ではあるのだが、

でもいつもなら高槻で労せずとも座席が確保できるのに、今日はあふれてしまったのである。

 

そんな時は京都で降りて向かいの812Tへ。

大阪18:38の高槻から普通電車となるいわゆるT電、221系の8両編成である。

この812T3512Mと京都大津間をほぼ並走するので、3512Mが何かと窮屈な時によく812Tに逃げることがある。

812T自体それほど空いているわけではないのだが、大津を過ぎるとほぼ車内は降車一方になり、瀬田ではずいぶん楽になる。

座席を2席占領してゆっくりのんびり。

そんなわけでこの日もさっそく京都で乗り換え、のんびりゆったり。

どうせ後続3514Mは遅れているのだから野洲はカラ退避かな、

草津で通告券もらって能登川退避かな、などと考えながらしばし電車の揺れに体をまかせてうとうと。

 

ところがどっこい、野洲手前でいつものように2番に入るため徐行しているうちに車掌氏がで新快速を退避すると案内する。

ずいぶんとご丁寧な接続であるわな、とちょっとびっくり。

そんなに待たせて大丈夫かな、それだけ待てるのならほとんどの野洲退避のT電は接続とれるではないかいな、と一人ぶつぶつ。

 

ところがさらにびっくりしたのは遅れているはずの3514Mがほとんど遅れなしで野洲に姿を現したこと。

あれ、7分遅れはどこへ行ってしまったのかな、そう簡単に遅れが戻るものかな、ともっとびっくり。

実際には1分程度の遅れはあったのだが、でもほとんどわからない程度に遅れは収まっていた。

大阪と新大阪、草津で多少停車時間に余裕はあるはずだが、ここまで詰められるものなのかと。

これだけ遅れの戻る走れる新快速など最近めったに出会ったことがない。

せっかくならこの3514Mに乗ってみたかった、とほとんど定刻で出て行った812Tの後姿を見ながら後悔することしきり。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ふわふわの白い霧、これが綿菓子ならちょっとうれしいかな

12/4           

週明けの月曜日、いつものように713Mに乗っていた。

ぐっと冷え込んだ朝である。

駅へ向かう途中、駐車場にいる車の窓ガラスはみな霜が凍って、暗闇に浮かぶわずかな月明かりに光っている。

さすがに12月、朝は遅いし気温は下がる。

そして電車は進み6:30近くになって南草津を出るころにはやっと空も明けて周囲が見渡せるようになってきた。

すると目の前の少し先にとても低い雲が横たわっているのが目についた。

ちょうど瀬田川から琵琶湖の湖面の上に雲が横たわっているのだ。

実際には雲ではなく霧か、おそらく周囲の気温より水温のほうが高くなって蒸発した水蒸気が冷えてできた霧であろう。

 

電車は瀬田駅を出てやがて急に周囲が白くなる。

霧の中にまさに突っ込んだのである。

瀬田川の橋の上は周囲の見通しがほとんどなく、隣を走る国道1号線の姿が見えない。

そして石山駅に着くと何もなかったように周囲が見える。

でも逆に石山膳所間でいつも見えている近江富士は霧の中である。

この姿を上空から見るとさぞ面白い雲海の形に見えるのだろうか、

延暦寺の皆さんは冬になると琵琶湖の湖面にかかる霧を見下ろしているのだろうか、とちょっとうらやましく思う。

もっとも冬の延暦寺はとても寒く大変だろうけれども。

 

そういえば最近は和田山(今は朝来市だな)の竹田城祉が雲海に浮かぶ天空の城と呼ばれて大変なにぎわいだそうだ。

そこで和田山町観光協会のHPを見ると、「雲海の発生条件」として

●時期 9月〜11月※2月末までは見られるが、晩秋が一番発生しやすい

●時間 明け方から午前8時頃まで

●条件 ○よく晴れていること○朝方と日中の気温の差が大きいこと○風が弱いこととある。

確かに秋から冬にかけては琵琶湖の周辺に霧がよく出る。

日中気温が上がりその夜冷え込むと気温の高い時にたくさん吸い込んだ水蒸気が夜冷やされて水分になって目に見えるわけだな。

竹田城址ほどきれいではないのかもしれないが、琵琶湖の雲海を一度見てみたいものだと思う。

もっとも雲海のおかげでその下を走る電車が遅れるようでは困るのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   この先トンネル事故で命を落とす方がもうでないように

12/3           

甲府盆地の東の端、つまり江戸へは笹子峠を越えなければならない。

標高1000mともなる高い峠で、甲州街道を徒歩で越えていた時代はさぞ難所だったのだろうと思う。

時代は下り鉄道ができ国道ができ、そして高速道路ができ笹子峠はトンネルで簡単に超えることができるようになった。

にもかかわらず突然の事故とそして亡くなられた方のことを思うとなんともいたたまれない気持ちになる。

そういえば北海道豊浜トンネルの崩落事故からもうすぐ20年、

豊浜トンネル事故の時もまさかと思ったが、今回もまさかトンネルの天井が落ちてくるとはだれも想像していなかっただろう。

天井ばかり見て運転していては今度は追突事故を起こしてしまいそうだ。

 

ところで、滋賀県は基本的に近江盆地の中にある。

なので滋賀県から他府県に出る鉄道はどこかしらトンネルを通らねばならない。

草津線は天井川の小さいものを除けば柘植までトンネルがないが、

そこから亀山へ、あるいは木津へと進めばトンネルをくぐることになる。

高速道路も同じで、新名神も北陸道も、名神ももちろん府県境またはその近くにトンネルがある。

トンネルが怖いなどと言っていてはどこにも出ることができないのである。

 

一般的に山岳トンネルは急勾配を避けるために作られる。

大津京都間の新逢坂山トンネルと東山トンネルの開通で稲荷大谷回りの25‰が10‰になったし、

関が原柏原間の今須トンネルを含む区間も、木之本敦賀間の衣掛トンネルを含む区間もみな25‰が10‰に緩和されたものだ。

確かに薄暗いとかなんとなく不気味な気分もあるが、

でもトンネルがなければ鉄道はまともな輸送手段にはならない、ということである。

もし25‰のままなら、少なくとも貨物列車の運転は大きく変わっていただろうと思う。

 

ところでそんなトンネル、しかも長さ1kmを越える本格的な山岳トンネルで

しかも12両編成の通勤電車が走るところとは大津京都間以外にないのではないかな。

中央西線の定光寺多治見間は普通電車が最大10両だし、東海道本線の戸塚手前清水谷戸トンネルは15両の通勤電車が次々通るが長さは214m

その下をくぐる横須賀線の品濃トンネルは978m

そう考えるとこのトンネルによって作られた大津京都間はとても特異な路線と言えるわけだ。

もちろん今回の中央自動車道笹子トンネルの事故で亡くなられた方には哀悼の意を思いつつ、

京都大阪に琵琶湖線で通勤通学する滋賀県民はトンネルに感謝をしなくては。

 

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