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13年  2

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1228.  2/28 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   律令国名がスラスラ出てくるのは鉄ヲタの性か

1227.  2/26 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   方方向輸送でないのが琵琶湖線の取り柄のはずなのだが

1226.  2/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   鉄道輸送の華であった紙とセメントは、今や枯れてしまった

1225.  2/19 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   目的地までの経路を選べる割引切符はもうないか

1224.  2/13 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   他の通行人には強いが踏切には弱い

1223.  2/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   側面だけでなく足回りもすっきり見せるよい路盤

1222.  2/7  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   東も西も乗り換え不要の直通運転は支障に弱い

1221. 2/4  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   お買い物は事前にホーム売店でお済ませください

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   律令国名がスラスラ出てくるのは鉄ヲタの性か

2/28

滋賀県は基本的に淀川水系である。

しかも信楽から大津市田上に続く大戸川を除くと県内を流れる川は琵琶湖にすべてそそぐ。

もっとも以前に一度書いてご指摘をいただいたが、正確には米原市旧山東町に揖斐川へ続く部分が、

また高島市旧今津町には若狭湾へ続く部分があるし、大津市大石のあたりは直接瀬田川へ、

あるいは途中峠を降りると大津市内で鴨川に入るところとか、

甲賀市旧信楽町内には伊賀盆地へそそぐ川があるとか、細かく書くと例外が次々出てくるが、

まぁとにかくおおよそ滋賀県は琵琶湖を通じて海につながっていると考えていいだろう。

つまり、近江盆地という地勢的にまとまった地域である。

多くの府県がおおよそ律令国で二つ以上のものから成り立っているのに対して、滋賀県は古来も近江一つである。

(ちなみに富山県や長野県も越中・信濃国からほぼ成立しているが、

滋賀県の近隣は美濃・飛騨とか伊勢・志摩・伊賀とか、山城・丹波とかのように二つ以上の律令国である。)

 

とまぁ例外説明付きの前置きばかりであるが、要するに滋賀県が京都府と合併することが是か非かという話である。

京都府知事が合併論者で、滋賀県知事はすぐには動かないという立場である。

確かに京滋とひとくくりにされることは多いし、生活圏が近寄っているのは事実なので、合併論にもある程度説得力はあるようにも見える。

とはいえ、地勢的にも歴史的にもあまりつながりのない京都府と滋賀県が合併するといいことがあるのかどうかはよく考えてみないと、と思う。

もちろん近い将来にわたって今の47都道府県が形を変える可能性は十分あると思うのだが、

どうも一部の人間が先行して騒いでいるようにしか見えない、とわだらんは思う。

 

まぁ難しい話は抜きにしても、もし滋賀県が京都府と一緒になったらどんな名前なのだろうか

などと考えてみるのも暇つぶしにはなるか。

いや、そんな先の話より、もし県庁が彦根のままだったら滋賀県でなく犬上県だったかなとか、

近江と若狭が一緒のままだったらどうなっていたかなとか過去のことをもしで考えてみるほうが楽しいか。

そう考えるともし明治の初めのように若狭が滋賀県のままだったら、今津小浜は鉄道で結ばれていたかな、と考えてみる。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   方方向輸送でないのが琵琶湖線の取り柄のはずなのだが

2/26

野洲駅の通勤客の流れは単純なものでもないようで、なかなか観察していると面白い。

もちろん多くが野洲から朝草津京都大阪方向へ出て、夜に帰ってくるパターンで、学生なら京都あたりまで、勤め人なら大阪までもよく見かける光景である。

わだらんが毎日乗っている713Mの乗客の多くはなじみの顔が大阪まで毎日同じようにやってくる。

 

ところが、案外野洲から彦根方向も通勤通学客が多く、夜野洲に着く下りからまとまった人たちが降りてくる。

もちろん下りは本数も限られるので、よけい多めに見えてしまう部分はあるだろうけれども、でも下り方向からの帰宅客というのは不思議と多い。

実際下り列車はラッシュの逆方向になるのだが、でもがらがらな状態には無縁である。

そして野洲で南へ帰る人、つまり朝京都草津方向からやってきて、夜下りで帰る人たちがこれまた多い。

野洲駅とある半導体関係の事業所との間を結ぶバスは朝晩大盛況。

こんな田舎の野洲で駅から仕事場まで20分もバスの中で立っているのはたいへんだろうと思うのだが、でも着席できない人たちが当たり前にいるほどバスは盛況である。

せめて仕事帰り、お疲れのみなさんなのだから、駅からゆっくり電車で座って帰れることがいいことだよな、と思う。

 

ところが、この3月改正からそんな帰宅時間帯の下り始発新快速が一本減便になる。

正確には野洲草津間が切られるわけで、草津からは新快速15分おきが確保されているのに対し、1時間に渡って野洲では30分おきになってしまう。

しかもやってくるのは空いてはいない米原からの新快速である。

始発でゆっくり座って帰るのとは勝手が違う。

上りも草津野洲間1本切られるのだが、まだ接近して列車があるからまぁ仕方ない。

でも下りの夜の減便はちょっと冷たい仕打ちだなぁ、と思う。

乗客も収入も伸びない鉄道会社の苦しい台所事情の察しはつくが、ちょっとさびしいなぁ、と短くなった3529Mを時刻表で見ながらため息ひとつ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   鉄道輸送の華であった紙とセメントは、今や枯れてしまった

2/23

吹田貨物駅の工事がほぼ終わって、真新しく敷かれたきれいな線路が整然と並んでいる。

操車場時代は多数の分岐や立体交差を含んだ複雑な配線だったのだが、今は単純な配線になってしまった。

といっても多くの貨物列車がほぼ編成単位で運転される昨今、入換用の側線は必要最低限で充分。

結局かつてやっていた列車を貨車一台一台に分解して新たに組成する作業は

フォークリフトがコンテナ貨車やホーム上で行っているわけで、そのほうがもちろん場所も取らず人手もかからず。

梅小路もとい京都貨物駅も昔京都市場駅があった頃に比べればおもちゃみたいな配線になってしまった。

まぁこれも仕方のないことか。

 

結局人間、乗客は自分で動いて乗り換えができるのだが、荷物は一人で動けない。

そこで昔は貨車単位で乗り換え作業をしていたのをいまはコンテナに入れてリフトで作業している、

リフトが荷物の乗り換えをしていることになるわけだ。

まぁずっとそのほうが効率的であるが。

 

そんな単純明快な配線を持った吹田貨物駅のスタートとうらはらに梅田駅が廃止になる。

大阪駅の27階食堂街の展望デッキから行きつ戻りつする貨車と機関車を眺めていたのがつい最近のように思えるのだが、

既に27階から梅田駅貨物ホームを見ることはできなくなっているし、ワム貨車もなくなって入換作業ももうずいぶん減ってしまった。

合理化、輸送の効率化は鉄道の経営にとって永遠の課題なのだけれども、それが進めば進むほど車両も施設も単調になってしまう。

雑多な貨車があれこれつなげられた貨物列車の姿などもう遠い昔。

無蓋車、有蓋車、通風車、大物車、冷蔵車、石炭車、タンク車、ホッパ車…

かつてその目的に応じて作られた貨車の形態は今や一部の私有コンテナに残るだけで、

その姿を今は博物館ですら見ることのできないものも多い。

鉄道貨物が生き残るためとはいえ、やはり単調な配線や単調な列車組成では楽しみ半減。

でもまだ野洲なら安心して貨物列車を見ることができる分ましなのだろうか、

と紀勢線の紙輸送列車、通称鵜殿貨物廃止の知らせを聞きながら考える。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   目的地までの経路を選べる割引切符はもうないか

2/19      

JRグループが周遊きっぷを廃止すると報道にあった。

これで一つの時代が終わるなぁ、とちょっと残念ではあるが、でも考えてみればわだらん自体周遊きっぷを使ったことがない。

ワイド周遊券やミニ周遊券は使いやすくわかりやすいものだったのだが、今の周遊きっぷは無理に使えなくしてしまったような気がする。

さらには周遊きっぷを使うような旅行形態自体がもう時代遅れなのかもしれない。

とはいえ、例えば最近毎年冬にキャンペーンに合わせて出てくる北陸乗り放題切符など、

能登線のと鉄道移管後の北陸ワイド周遊券とほとんど変わらない。

あるいは松江出雲ぐるりんパスは昔の松江出雲ミニ周遊券より西に広がってむしろ使いやすいかもしれない。

結局のところ、昔のワイド・ミニ周遊券が目的地までの往復も旅行の一部であったのに対して、

今の各種の企画切符はとりあえず当該の目的地までまっすぐ行って、そこをゆっくり回ることを目的にしているわけだ。

まぁ目的地までの往復を楽しむような旅行などもうはやらないのかもしれない。

飛行機にしろ新幹線にしろ、結局途中の経路も風景も旅行の興味の対象ではないわけだ、と思うと少し残念にも思う。

 

でも実際新幹線の車内で車窓を楽しんでいる人などごく一部だし、

N700系など車体の軽量化や剛性強度のほうが窓の大きさより優先されるわけで、移動が目的になるようなことはもうありえない。

 

朝少しずつ日が早くなって、713Mに毎日乗っていると、いつの間にか京都ではもうすっかり周囲が明るくなっている。

さすがに野洲ではまだ真っ暗、とても車窓を楽しむようなわけにはいかない。

それでもたとえば瀬田手前で見える近江大橋の街灯など、夜明けの静かな雰囲気に点々と光が連なってとてもきれい。

これも窓の大きな221系の楽しみだとひそかに思うが、逆に言えば221系こそバブル期の落とし子のようなもので、

例えば東651系や海新幹線100系、そして九州783系・787系などもそうだが、何か華やかさを感じる。

 

世の中政権が代わって金融緩和のいわばバブル状態なのだが、この先何かわくわくするような車両は出てくるだろうか?

そして乗車を目的とする旅行がまた盛んになるだろうか?

とりあえず九州「ななつ星」の成功を祈るとするか。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   他の通行人には強いが踏切には弱い

2/13      

朝いつものように野洲駅へ向かうと、駅舎へ上がるエスカレータで大きなキャリーバックを持った女性が数人。

どこかこれから数日間の旅行だろうか?

しかしいかにも重そうなキャリーバックを持ってエスカレータにちょっと大変そうに乗っている。

ひょいと持ち上げれば何ら問題なさそうなのに、引っ張るからちょっと厄介に見えるのである。

もっとも簡単に持ち上げられるかどうかという問題はあるし、ましてやわだらんが一人ずつ持ち上げてあげるほどの時間もやさしさもない。

まぁこれから旅行となれば自分たちで動かさねばならないわけで、わだらんがとやかく気にすることはなかろうか、と思う。

 

ところで少し前から東海道新幹線の各駅でキャリーバックに注意するような放送を聞くようになった。

その後西日本の大阪駅などでも案内テレビに注意を促す画面が出るようになった。

わだらん自身、通勤時に大阪駅で何回かキャリーバックに引っかけられたことがあるし、

さらに悪いのは持ち主がひっかけたことに気付かないことで、ちょっと腹が立つ。

かといってそんなことで呼び止めて文句を言うより早くホームに上がって席取りするほうが大事なので結局なので、いわば泣き寝入りである。

ひと昔前、空港で制服のおねえさんが列を組んでバックを引きながら歩く姿はなんとも感動ものだったのに、

今の世の中猫も子もバックを引いて歩くようだと姿が美しいどころか、見るありがたみすらない。

とはいっても、実際便利だからこそこれだけ普及したわけで、猫も子もしかたないか。

とはいえ、人の足をく程度ならまだかわいいのかもしれないが、さすがに列車を停めると厄介である。

 

先日書いた25日の摂津富田茨木間赤大路踏切で起きた事故はあとから知ったのだが、厳密には人身事故でなかったそうだ。

というのも踏切を渡っていた79歳の女性がキャリーバックの車輪を線路の溝に挟んで動けなくなり、電車がそのバックに衝撃したとの話だそうだ。

さいわいにも持ち主の女性は無事だったのが救いだが、たかがバック、されどバックで、それゆえ列車が停まるのはなんとも迷惑な話である。

これもバックで済んだとよくとるべきなのか。

とはいえ、確かに踏切を車輪付きのバックで渡るのは危険だと改めて思わせる話であり、

逆にこの赤大路踏切を渡る以外にこの周囲に線路を越す跨線橋や地下道がないのも改めて気づく。

やはり踏切事故を無くすには踏切をなくすことが一番なのだろうけれども、なかなか踏切にとって代わるものを作るのは地形も予算も難しそうだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   側面だけでなく足回りもすっきり見せるよい路盤

2/11      

東海道新幹線に新型N700A系が登場する出発式があった。

見た目がほとんど変わらないのに出発式とはまた派手なとちょっと思うが、でも新形式には違いない。

ヲタ的には新形式ではなく新番台区分になるのだけれども。

 

ところで速く停まるのみ主眼を置いたというのは今までの車両にない新しい進化なのだろうかと思う。

そもそも鉄道は開業以来ずっと速く走ることを主眼に置いていたし、過去のスピード競争にしても、そして今の高速鉄道の技術力にしても、

いかに早く走るかであって、停まること・ブレーキ力などあまり騒がれたことがない。

でも確かに地震が起きたりして緊急停車が必要な時、最高速度からいかにすぐ止まるかというのは昨今切実な話である。

いまから約1年前、201238日に、近江八幡市内で線路内に人が立ち入り命を落とす話があった。

どうみても人が簡単に入ることのできるような場所でないところからわざわざ線路に立ち入らなくてもいいと思うが、

まぁとにかく新幹線に人がぶつかったのである。

ぶつかられた列車は野洲市内で停車したので、5kmばかり走ったことになる。

もちろん緊急停車ではないようで通報を受けてからの停車なのでその分停車までの距離は長いものの、まぁとにかく簡単には停まれない。

だからこそ速く停まるというのがい文句になるのだろうけれども、でもそんな速く停まることが自慢できるような事例がないほうがいいに決まっている。

せっかく速く走ることのできるN700A系なのだから、やっぱり速いことを威張ってほしいものだ、と思う。

これから徐々にN700A系は増えるそうだが、でも野洲市内を高速で通過していくのでは従来のN700系となかなか区別がつかないかもしれない。

 

そういえばいつもはあまり新幹線をゆっくり眺めることがない。

野洲駅にほど近いところに住むわだらんにとっては新幹線はいつもそこに当たり前にあるもの、特に気にすることがない。

ではあるが、その当たり前の新幹線もある写真を見てちょっと感激してしまった。

鉄道ファン誌20131月号にあるN700A系の側面写真が、とても気持ちのいい、すがすがしい気分になるようなとても素晴らしいものである。

撮られた場所がわだらんの地元である(はず)からなおさら気に入ってしまう。

これだけの好条件だときっと撮影された方は何度となく野洲市内に足を運ばれたのだろうな、

と優しいそうなその方の笑顔を思い浮かべてしまう。

確かに新幹線なら米原京都間であって野洲市内とは言わないから、なんとも残念である。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   東も西も乗り換え不要の直通運転は支障に弱い

2/7       

湘南新宿ラインが「開業」というい文句で陶業したときはまるで新線が開業したような雰囲気であった。

実際にはいくつかの線区を直通するだけのもので線路というか配線的にはあまり新鮮味のないものである。

とはいっても東海道線や高崎線から新宿へ直通運転するインパクトは強く、確かに新線開業と言っても一般には通じるかもしれない。

そしてそれから12年、いまや首都圏を代表する路線になった。

とはいっても複数の線区をまたぐ運転は何かと影響を受けやすく、ちょっとしたことですぐに遅れや運休を起こしてしまう。

もっとも何かあった時にすぐ止まるのは湘南新宿ラインだけでなく、東海道線で起きた事故をもらった京浜東北線の遅れで山手線が乱れたり、

あるいはメトロ東西線の支障で総武線各駅停車が乱れたりとそれこそ毎日のように何か事件が起こる。

混むのが当たり前の埼京線で多くの人が「混んでいる」とつぶやくのはそれこそ相当な混雑なのだろうな、

と漏れ伝わってくる首都圏の様子を思いやってみる。

幸いにも新快速が計画運休しても大きな混雑になることもなく、運転見合わせ再開後の快速に6連が来て「地雷が爆発」などと

ネットで騒ぐのもまだ首都圏に比べればずいぶんとかわいいものだろうなと思う。

大雪予想で午前中計画運休した湘南新宿ライン難民があふれたり、上野駅で山手線に喧嘩を挑んだ老人が1時間電車を停めてみたり。

本来輸送障害などあっては困るものだのだが、埼京線が混んでいるなどと伝わると申し訳ないが笑ってしまう。

現場の乗務員さんや駅員さんはまさに必死な状態だろうけれども。

 

5日火曜日の帰りのことである。

大阪駅19:453520Mに乗って野洲へと戻ってきた。

いつものように12両、そしていつものように新大阪高槻で降りない、まさにいつもの表情であった。

ところが、野洲で車庫へと引き上げる列車の姿を見ると、後編成の運番表示が0000を示している。

前編成はいつものように125表示であったので、後編成は本来の231運用でなく、何かからの運用流れであったのだろう。

そう、この日は最近鳴りを潜めていた摂津富田茨木間の踏切で日中に事故があってしばらく運転見合わせであった。

それゆえ後編成が本来の運番表示でなかったのだろう。

ありがたいことにこの日の事故は夕刻にはそんな運用の変更を除けば、ほとんど気にならない程度に戻っていた。

現場の皆さんや輸送指令など多くの運転に携わるみなさんの苦労のおかげで、もし後編成の運番表示が0000でなければ気づかないくらい、

ほとんど事故を感じさせない帰宅であった。

 

そんなみなさんに感謝しつつ、しかし踏切で列車に挑戦する人がいなくなるような方法はないものだろうか、

とわだらんでは何もできそうにないことを悩んでしまう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   お買い物は事前にホーム売店でお済ませください

2/4    

3月の改正でJR東海の在来線特急は車内販売を取りやめると発表があった。

特急などに乗ると車販のおねえさんからコーヒーを買ってのんびりするのがわだらんのささやかな楽しみなのだが、

いまや食堂車はおろか車販すらない特急が多すぎて残念である。

というか、新幹線こだまでも既に車販などなく、要するに車内でどれだけ売れるかわからないから、そんな非効率な商売はできません、ということになる。

先日JR東海のリニア鉄道館で168型食堂車車内公開に参加してきたのだが、客数や水の容量でメニューを変えると聞いてちょっと驚いた。

乗客の知らないところで、見えない1階の厨房で、悪戦苦闘されていたのだなぁと思いつつ、いまどきそんな博打みたいな商売はできないよな、と思う。

食材にしても以前よりずっと消費期限だの保存法だのうるさくなっているし、そもそも冷水器が法令に引っかかるとなってはもうどうしようもないわな。

 

で、結局既成の缶飲料だのお土産品など売るのなら、ホームで品ぞろえ豊かなものから選んで自分で買い込んで列車に乗りなさい、ということになる。

もともと時間なく乗り込んでも車販があるから何とかなる長距離列車であったはずなのに、

最近は下手に何も持たずに乗ると飲まず食わずの苦行を強いられることもなるから旅行も大変である。

実際末期の富士はやぶさなど東京を出ると徳山で翌朝車販が弁当を売りに来るまでの間何も食料飲料が手に入らなかったし、

これならまだ途中サービスエリアで買い物のできる夜行バスのほうがましかと。

 

とそんなことを考えたのも大阪駅で珍しい案内を見たからである。

18:373508M狙いで大阪駅に着いたところ、案内テレビに「本日のサンダーバード39号は踏切事故によるやりくりがつかず車内販売がありません」とある。

何かの事故で車両や編成の変更があるのは日常珍しいことではないが、

「本日車販がありません」とはあまり聞いたことがない。

もちろん車販がある列車の遅れに遭遇すること自体少なくなったのだから、珍しいことが不思議ではないのかもしれない。

とはいえ、わざわざ案内を出すくらいだから、逆に車販をいつもあてにする客が多いということなのだろう、とちょっとうれしくなる。

関西へ出かけた帰り、特急の車内でちょっと一杯と楽しむおじさんが多いのだろうな。

 

そういえば昔は夜のびわこライナーで缶ビールやおつまみを売っていたのに、

特急になって逆に何もなくなってしまった。

まぁそもそも新快速で車販がいたなど、今の若い連中にはわかるまい。

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