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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
13年 3月
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1236. 3/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 見た目いい車両と乗っていい車両は多少差がある
1235. 3/29 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲の名物は景気の変動を受けやすい
1234. 3/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 母親が電車に詳しいのは頼もしい
1233. 3/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲ゆき新快速が間隔明けず3本続く自慢な時間
1232. 3/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 早く鉄路が戻りますように、そして地元の方が笑顔になりますように
1231. 3/10 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 吹雪による事故が最近多いように思うのは気のせいか
1230. 3/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 展示とか保存とか、熱意あるオーナーに恵まれれば幸せもの
1229. 3/3 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東海373系が将来3扉格下げされるかどうか気になって眠れない
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 見た目いい車両と乗っていい車両は多少差がある
3/31
木曜日朝、鴨川橋梁のすぐ横にある桜並木が満開になっているのに突然気がついた。
前から木が赤くなってきているのは知っていたが、急に満開になったような気がする。
数日暖かかったし、報道される他の京都大阪の桜の名所もみな見ごろだそうだから、
この週末はあちこちで宴会が行われているに違いない。
例によって野洲のあたりは大阪から1週間ほど遅いようで、まだちらほら咲いている程度であるが。
ところで、鴨川べりの桜というと昔の京阪電車を思い出す。
といっても三条七条間の地下化は1987年のことなので、逆に京阪の地上時代を知っている人は
国鉄時代を知っている人と同じ、つまり今の若いものは鴨川に沿って走る京阪電車を知らないわけだ。
もちろん風情だけでは鉄道経営は成り立たないから、地下化はやむを得ないのだけれども、
やはり風光明媚な車窓がなくなる、いや川に沿って電車の行き交う光景が見られないのは残念である。
そしてこの31日で京阪電車旧3000系特急車が引退という寂しい日でもある。
とはいえ、これも新型8000系特急車のほうが一般的には受けがいいわけで、
旧3000系がなくなることに大騒ぎになるのは実際に3000系特急車としてなじんでいた、
つまり地上時代を知っていた人間か、もしくは単なる葬式鉄のどちらかとなる。
まぁ車内の雰囲気を楽しむなら富山地鉄や大井川鉄道で3000系車体に会えるわけで、
京阪の線路からなくなるのが寂しいのか、テレビカーがなくなるから寂しいのか、ヲタの心理はよくわからない。
が、とにかく31日の京阪沿線はその旧3000系の最後の姿を見ようといたる所で大騒ぎだったようである。
背割堤の桜も見ごろだそうで、さぞ八幡市淀間の二つの鉄橋あたりも多くの人出があったのだろうなぁ。
鴨川べりを走らなくなった京阪電車は寂しいものがあるが、
木津川橋梁と宇治川橋梁の間に京阪を見下ろすように横たわる京滋バイパスがもっと残念なようにも思える。
もっともわだらんはいわゆる撮り鉄ではないから、映り込みだの背景だの気にすることはないが。
慣れ親しんだ車両が引退するのは寂しいが、かといってヲタの喧騒の中にいる気にもなれず、
ただなんとなくテレビカー引退の記事を読むだけである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲の名物は景気の変動を受けやすい
3/29
3月末は何かと忙しく、帰宅がいつもより遅い。
26日の火曜日、さすがに最終まではやめておこうと、
なんとか大阪23:40の新快速に間に合う時間に仕事場を離れる。
さすがにこの時間になると大阪駅も人が減り、ある程度自分のペースで歩ける。
とはいっても朝の秩序ある流れと違い、改札前で立ち止まる人、突然Uターンする人、あれこれ厄介な人が多い。
ざっと半分はお酒が入っているのだろうかと思える雰囲気である。
まぁ夜の街がにぎやかなのはいいことで、逆に以前岐阜の街の夜を歩いた時に、
これほど歓楽街でも寂れるものかと驚いた。
酒が入ると当然車には乗れないわけで、
岐阜の名鉄600V支線の廃止と柳ケ瀬の衰退は少なからぬ関係があるのだろうと思った次第。
大阪は岐阜のような都市規模ではないから一定の鉄道客はあるわけで、
酒の入る季節だから極端に電車が混むということはないのだろうけれども、
それでもなんとなく12月や3月4月は特に金曜の晩など普段より多いように思う。
火曜日なのでまだ静かなほうなのだろうが、でも改札前などやはりやかましい。
気が大きくなるのはいいとしても、あんまり大声を立てるのはどうしたものか、と思う。
そんな夜の喧騒とは裏腹に、電車に乗ってしまえば静かな車内。
12両の新快速の最後尾まで来ると、座席の選択さえしなければ入線時に乗車列に入っても着席できる状態。
なにより大阪までの客が少なく、さらに降りるので、車内滞留客がほとんどいない。
最終と最終1本前では多少違いがあるのかもしれないが、でも空いている。
そう考えるとこのところ、深夜最終近くの電車が以前に比べてずいぶん空いているような気がする。
比較のレベルをどこに置くかによっても違うが、ひと昔前、
つまり2000年あたりの頃に比べると感覚的ながら遅い電車がずいぶん空いてきたような気がするのだ。
だからこそ終電の繰り上げができたのだろうと思う。
世間、特に某経済新聞などは今の円安株高で経済が好調としきりに持ち上げるし、一部の高額書品は確かに売れているらしい。
とはいっても社会全体が潤っているかどうかはわからない。
逆に言えば深夜の電車が積み残しをするくらいになれば、きっと社会全体がよい雰囲気なのだろうかと思う。
日付が変わって3348Mは定刻に野洲に着いた。
ぱらぱらと人が改札から散っていく。
でも乗り越し精算機に並ぶ人の列がごく短いのはちょっと寂しい。
酔い客の乗り越しが野洲の名物のはずなのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 母親が電車に詳しいのは頼もしい
3/17
山本 忠敬さんの書いた「しゅっぱつ・しんこう!」という絵本をご存じだろうか。
初版1982年なのでもうずいぶんと歴史のある絵本になる。
485系はつかりが表紙に描かれた目立つ絵本である。
福音館書店HPには「大きな駅から特急列車に乗り、山の麓の駅で急行列車に、
そして普通列車に乗りかえて山間の小さな駅に着くまでを、
目に映るままに克明に描いた乗物の絵本」と紹介されているが、モデルは仙台から盛岡、
そして茂市・岩泉までであろう。
もっともわだらんは山田線や岩泉線に乗ったことがないので、想像の域を出ないのだが。
その本には485系、キハ58系、そしてキハ52がわかりやすく丁寧に描かれている。
もしご存じない方がおられたら是非手にとってご覧いただきたいと思う。
長編成の485系はやはり特急が特急らしく堂々としていなければいけないことを
目に訴えているように見えるのである。
ところで、その絵本のことを思い出したのは、宝塚である光景を目撃したからである。
15日の金曜日、福知山線こうのとり26号に乗ろうとわだらんは宝塚駅にいた。
わずか30分ほどの乗車であるが、関西485系のお別れである。
わだらんにとって485系は小さい頃の憧れ、そして長い友人のように思える。
近くにいるのが当たり前の存在だったのに、雷鳥が消え、
ついにはこうのとりも消え、大阪駅から姿を消すことになった。
もちろん今の683系や287系は特急車としての雰囲気を持っているのだろうけれども、
でも長年親しんだ485系とはわだらんにとって存在感が違うのだ。
そんな485系、いや正確には交流機器を降ろした183系が宝塚に入ってきた。
わだらんの前には乗車を待つ母と2,3歳の男の子。
子供の手にはこのしゅっぱつしんこうの絵本がしっかり握られていて、
母親が入線してきた183系を指さしながら「この電車は今日で最後だからね」と繰り返す。
乗り込んだ車内でさらにプラレールの485系も並べて、むしろ母がお別れの思いが強いのではと思う。
このなかなか美人な母親はかつて車掌かなにかしていたのか、単なるママ鉄ではなさそうな雰囲気、
ちょっとびっくりしてしまった。
こうのとり26号は無事に新大阪に着き、多くのヲタに見送られながら向日町へ帰って行った。
車内をうろうろするどう見てもお祭り騒ぎな葬式厨にしか見えない高校生のあさはかさに比べて、
この親子を見ていると、ちょっとうれしくなる。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 野洲ゆき新快速が間隔明けず3本続く自慢な時間
3/14
あと2日でダイヤ改正である。
485系崩れの福知山183系の引退であるとか、
東急東横線渋谷駅ターミナルの廃止とかいくつか目玉はあるのだけれども、
わだらん的には3510M、大阪18:45の野洲ゆき新快速が草津までに切られることが一番大きい。
もちろん17:45とか20:15とかの混雑する新快速が12両になるようなありがたい話もあるのだが、
でも野洲発着の列車本数が減るのはなんとも残念である。
そんなわけでこの一週間、可能な限り3510Mに乗っている。
この3510Mもなかなか奥が深い列車で、編成前後は比較的落ち着いていて、
前がいいか後ろがいいか、結構悩む。
この1時間あとの3520Mはとにかく新大阪で降りないのだが、
この3510Mは特に前よりで新大阪下車客がぱらぱらいる。
先頭12号車だとほとんど通路に人がいないので、どこか一人降車客があれば座席が確保できる。
逆に最後尾1号車は高槻で大量の下車客があり、高槻まで我慢すれば窓側を確保できるのは十分可能。
高槻まで待って行くり座るか、とりあえず新大阪で座るか、
あるいは既に大阪駅に入線している7分後の3512Mに席を確保するか、いつも思案である。
とはいえ、3510Mが草津で乗り換えを強要させるようになれば、
これからは3512Mだろうか、などと思う。
しかし3510Mの一番の楽しみは草津を過ぎて車内がぐんと静かになってから。
4席確保して足を伸ばしてしばしの休息。
これぞ12両野洲止の最大の魅力、と一人悦に入っている。
で、心配になるのが3510Mから810Tに乗り継ぐ客の多いこと。
12両新快速から8両T電への客がホームを走る。
3510Mを多用する通学通勤客は810Tが短い8両、しかも野洲で編成前後だとホームに屋根がないことをよく知っている。
だからこそ3510Mの編成前後は空いているわけだが、これが今度から草津で乗り換えとなると、
篠原以北だけでなく、栗東守山野洲の客も同じように短いT電に乗り換えることになる。
現在の3524M、大阪20;15の新快速が草津までだった昔の話、
草津で受ける現822Tは琵琶湖線一番であろう殺気立つ大変な混雑であった。
3510Mを草津で受ける810Tがそんな混雑にならないだろうか、とちょっと心配。
そんなわけで今日も3510Mで帰宅である。
大阪駅で10番に先に入線している3512Mと
向かいに入ってくる3510Mの野洲ゆき新快速がホームの両側に停まるちょっとうれしい瞬間。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 早く鉄路が戻りますように、そして地元の方が笑顔になりますように
3/11
2年前の3月11日は夕方宝塚にいた。
タンゴエクスプローラーの大阪乗り入れがこの日最後なので、お別れ乗車をしていたのである。
宝塚の駅で新幹線が停まっていることは知っていたが、
まさかこの日が後世に伝えられる恐ろしい日になるとは正直思っていなかったのだ。
新大阪でただごとならぬ雰囲気であることは承知できたものの、
正直この日の印象は新幹線が停まって名古屋方面への客で新快速がやたら混雑していた印象しかない。
多くの方が命を落とされ、あるいは死に直面していた状況からするとなんとものんきな話だが、
でも逆に大阪にいてもそれだけ印象深いとわだらん自身の中ではやはり後世に残る印象である。
あれから2年、何もない土地、ましてやいまだ当時の被災家屋が残る映像を見ると、なんとも悲しくなる。
形はどうあれ、以前の姿や生活が早く戻ってほしいものだと思う。
先日仕事場の人間が前橋への出張土産といって、JR東日本のダイヤ改正リーフレットを持ってきてくれた。
地元以外のダイヤ改正の情報はプレスリリースや各種報道で知ってはいるものの、
配布物はその場でないと手に入らない。
改めて改正内容を見ると、やはりあまりさえないなぁと思う。
もちろんはやぶさの320km運転など多くの目玉なのだろうけれども、どうもピンとこない。
わだらんの個人的な印象だけではあるが、どうもわくわくしない。
これが30分短縮とか劇的に変化を見いだせるものなら別なのかもしれないと思う。
そんな中、常磐線の651系引退の話を見た。
1991年、颯爽とデビューした印象は記憶に良く残っている。
車両自体はまだ転用されてこれからも走るそうだが、もともとの常磐線ではもう姿を見ることができなくなる。
引退前に仙台まで走ることができないのがちょっとかわいそうなもの、と勝手に思い込み。
常磐線が全線開通したらグリーン車込みの基本編成で仙台まで走らせてみたいなどと思う。
そしてできるだけ早い常磐線の全線開通を願うものである。
651系が完全引退する前になんとか開通してほしい、と祈る。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 吹雪による事故が最近多いように思うのは気のせいか
3/10
土曜日の日中は初夏を思わせる陽気であった。
結局この冬は野洲ではほとんど積雪にならず、わだらん的には少し残念であった。
大雪に備えて米原以北の新快速の運用を変更すると前日にアナウンスされた日が何回かあったものの、
実際には大きな支障になるような雪ではなかった。
とはいえ、日本を全体的に見れば寒い冬だったようで、青森県の酸ヶ湯では積雪5mを越える記録が出たし、
越後の内陸部は災害救助法の適応を受けるほどの大雪であったそうだ。
昔は雪が多くて列車が足止めをされても、「それは仕方ない」と言われていたように思う。
それこそ38豪雪の時に7日遅れで新潟に着いた下り急行列車の話など美談として語り継がれるが、
今の時代なら非難される話なのかもしれない。
昔のようになんでも列車を動かさねばならぬという状況ではないし、
ましてや列車を途中で立ち往生させてしまうと鉄道側が悪いみたいに書かれる世の中、
なかなか難しいものである。
こまちが奥羽線内で脱線した話も在来線区間でしかも先頭台車が線路から外れただけなのだが、
「新幹線が脱線した」と伝えられるとまるで転覆でもしたのかとずいぶん大げさに聞こえてしまう。
近くの住民が驚くほど事故現場周辺の状況が悪く、
緊急車両ですらなかなか現場に近づけなかったことも報道されているのに、
長い時間足止めされたのを無策のように言うようなところもあって、なんとも鉄道にとってかわいそうな話に思う。
もちろん昔に比べれば駅も保線区も人が減っているから、
除雪とか気象観測のような人海戦術がいる部分では弱くなった部分があるのかもしれないが。
まぁ考えてみれば吹雪になるとか大雪になるという予想予報が
某公共放送のニュースのトップになったりするのだから、時代は変わったものだと思う。
吹雪や大雪は当たり前で、結果としてこんなになったというニュースはあっても、
天気が悪くなるというのは以前天気予報にはあってもニュースネタではなかったように思う。
天気の悪化が予想されるときは外へ出ない、と言われてしまうと列車も休んでしかたないか。
また週末から月曜日の東北北海道は荒天、トワイライトの大阪行きはお休み。
大雪吹雪で大きな被害がないことを願い、列車が足止めされないことを願い、
そして豪雪で命を落とされた方々の周囲の方、特に父親に命懸けで守られた少女の幸多かれしことを祈るものである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 展示とか保存とか、熱意あるオーナーに恵まれれば幸せもの
3/6
帰りの新快速の車内で、博物館オープンの広告が目についた。
滋賀県にゆかりの某発動機メーカーが長浜に博物館を作るそうである。
エンジンとか農機とかの紹介などが主な展示内容だそうで、小学校の社会見学あたりを念頭に置いているのだろうかと思う。
長浜市内の中心地とは若干外れたところになるが、でも長浜駅から十分歩ける距離であるし、
新たな観光スポットに成長すれば琵琶湖線の集客にもつながるかな、などと思う。
長浜鉄道スクエアも立派な博物館なので、二股かけるような客が多くなればしめたもの。
最近は工場見学とか企業の博物館とかを観光とする大人のツアーもはやりとのことだが、
長浜あたりなら大阪からちょっと遠足気分で楽しいのではないかな、と思う。
とはいえ、ものを収蔵したり展示したりするのはお金のかかるものである。
農機やエンジン単体ならそう大きな場所はいらないかと思うが、鉄道車両ともなるとちょっと大変。
置き場所が確保できるかがまず問題で、しかもそののち保存対象物の定期的なメンテなども必要になる。
日本のあちこちにばらまかれた蒸気機関車などいい例で、各地の保存状態によって大きな差が出る。
2年ほど前、和歌山県橋本市のC57を見にいったことがあるが、屋根付き柵付きながらとても荒れた状態であった。
せっかくの保存車が錆に覆われていたり、あるいは朽ち落ちていたりするとがっかりする。
ちなみにこの橋本市のC57は110号機で、昭和31年におきた六軒駅列車正面衝突事故の当該機である。
同じ亀山機関区にいたC57148が大阪市港区の企業ビル内で素晴らしい状態を保っているのに比べてなんともかわいそうである。
このC57148の持ち主のかたは熱烈なSLファンのようで、ここまで丁寧に扱ってもらえて、C57148は幸せ者。
ちなみに展示の状態などでいうとわだらんは他の鉄道博物館より、この企業ビルにいるC57148のほうがよほどすぐれていると思うのだ。
その点同じ亀山区にいたC57198はいったん千葉県内で保存されたもののそのご解体されたそうで、
まだ車体が残っているだけ荒れてはいるがC57110のほうがましなのかもしれない。
そういえばこれまた亀山区にいたD51498は津市偕楽公園で余生を過ごしていて、
これは定期的に国鉄OBの方々にメンテされているそうだが、それでも屋外屋根なしであまり状態はよくない。
C57148のように屋内にすっぽり入っていればさぞきれいな姿だろうと思うのだが、
全長20m近くになる鉄道車両を屋内に保管するのは難しいわな。
名古屋市の現市長が再選を目指すとの話があった。
現市長の評価や再選見込みなどはわだらんの知る所ではないが、
ただ、現市長は将来蒸気機関車をもっと集めて展示をしたいと話しているそうだ。
先日のあおなみ線での実験走行における騒音や煤煙の調査結果はまだ出ていないようだが、
人口密集地でもSLが定着するのかどうか気になるものだ。
しかし残念に思うのは近鉄の保存車両がほとんどないことである。
参宮急行2200とかビスタカー10100系とかせめて部分だけでも残っていればと思う。
まぁとにかく結局金があるかどうかで、なかなか夢のようにことは進まない。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東海373系が将来3扉格下げされるかどうか気になって眠れない
3/3
夜行列車を主とするもう廃止されそうな列車がほとんどなくなってしまったからか、
この3月改正はあまり葬式厨のターゲットになるものがないようだ。
もちろん福知山地区からの183系電車の引退はわだらん的にはまさに葬式の部類なのだが、
183系はどうも世間全体には騒ぎを大きくするような対象ではないらしい。
むしろ大阪周辺では京阪旧3000系テレビカーの引退のほうが大ごとのようで、京阪沿線は大騒ぎらしい。
特に京阪の場合、高架区間や住宅地が沿線に多く、撮影地が限られることもヲタの集中の要因かと思う。
もっとも京阪テレビカーの追っかけをしている中にはかつての栄光の時代を知らないであろう若い人間も多く、
本来テレビカーの楽しみは「ただ今から補助椅子が使用できます」という
七条・京橋出発後のアナウンスをまず聞くことだろうと思うわだらんはもうおじさんになってしまったわけだ。
今回引退する旧3000系は登場時の雰囲気を残しているが、1910系までの歴代の京阪の特急車は2扉で活躍し、
特急を降りると中に扉を一つ増やして3扉車として一般運用に降りていた。
が、この旧3000系は3扉改造されずに残ったのが幸なのか不幸なのか、
多くの車体は富山地鉄と大井川に流されてしまっている。
原形のまま地方で永らえるのがいいものなのか、あるいは改造されて現役で残るのがいいものか、
甲乙つけがたい話である。
ところで、この京阪の旧特急車だけでなく、近鉄でも阪急でも2扉の特急車が3扉格下げ改造された例は過去に多い。
が、近鉄はビスタカー以降の新製特急車が一般車に格下げされる例はなくなったし、
阪急6300も3扉改造はされずに多くが世を去った。
特急車としての使用期間が長くなるにつれ、一般車に改造してまで使うメリットが出ないのかもしれない。
あと10日ほどで引退する福知山の183系も長い一生をほぼ特急運用のみでこなしたいわば幸せ者。
とはいえ、昔格下げ車にあたると儲けもの、などと特急が高嶺の花、安い切符でうろうろしていた頃がなんとなく懐かしく思える。
いまは四国の一部など以外では格下げ車にあたるうれしさは味わえないのである。
風の強い雪が舞い続く寒い土曜日、野洲をサンダーバードが走って行った。
やはり今の特急車に扉を増設するのは無理があるなぁ、と白い車体を見ながら考える。
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