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13年  4

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1247.  4/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   寝台車はいまや日常の光景ではないらしい

1246.  4/27 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   昔の貨物の集散地は今や人の集散地

1245.  4/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   高速道路利用の路線バスが鉄道を便利にできるだろうか

1244.  4/21 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ネットのおかげですっかり旅行気分

1243.  4/18 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   草津線は東海道本線支線ではなく関西本線支線としての扱いであった

1242.  4/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   淡路島へ鉄道が伸びる日は来るのだろうか

1241.  4/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   移動しながら温かいうどんを食べられる幸せ

1240.  4/8  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   悲観ばかりをしたくはないが、楽観もできない

1239.  4/7  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   列車のこない線路ほど寂しいものはない

1238.  4/3  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   不意な運転見合わせか意図した運転なしか

1237.  4/2  ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   桜も見たいし列車も見たいとは沢か

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   寝台車はいまや日常の光景ではないらしい

4/30

さて先日の金曜日晩、オープンしたての「うめきた」への人の波を見て驚いた以上に驚いたのが、大阪駅10/11番のりばの異様さである。

カメラを持ったいかにも鉄ヲタがあちこちにたむろし、駅ホームでは「撮影に際し制限を行うことがあります」との繰り返しのアナウンス。

よほど話題性のあるネタ列車が来るのだろうかと思ったのだが、あまりそんなネタ列車に興味を持たないわだらんなので、

いったいこのホームのヲタの集積が何のためかよくわからなかった。

で友人にメールで聞いてみると、鉄ヲタである某ミュージシャン主催のイベントへの参加者用の臨時列車で、しかも寝台車だという。

なるほどそれなら多くのヲタが集まっても不思議ではない。

 

今の世の中、いつの間にこんなに鉄ヲタが増えたのかと思うくらい、あちこちでカメラを構えている。

だいたいそんな有名でもない野洲の田舎ですら、何かネタ列車が通るとヲタが複数集まるのだから、何かずいぶん増えたと思わざるを得ない。

そもそもたかが寝台車と言ってしまえばそれまでだが、つい2年ほど前なら当たり前、

それこそ10年前ならだれもカメラなどむけなかったであろう24系寝台車がこれほど人間を集めるのが不思議である。

もちろん集まっているのは若い人間中心で、24系寝台車を当たり前のように見ていた世代は少ないようであるが。

 

ただ考えてみると、今の世の中臨時列車、しかも一団体の貸切ということ自体が既にネタ列車なのかもしれない。

わだらんが思うに、おそらくはシュプール号の縮小のあたり、つまり2000年になる頃から全体に団体列車が少なくなった。

つまり多数の集合体による旅行が一般的でなくなったように思う。

職場単位の社員旅行などはとっくの昔にはやらなくなってしまい、逆に社員旅行を社風の目玉にする会社も出るくらいなご時世、

政治団体もいまどき集客力に欠けるし、頼みの宗教団体もコアの世代が高齢化してきているらしいし、

この先団体臨時列車の先ゆきは明るくなさそうである。

となると使用車種がどうであれ、団体臨時列車が走ること自体が既にネタ列車なのである。

 

とはいっても、この時期東海道新幹線で多数走る修学旅行臨にはヲタは目を向けないし、

年に二回、京都から米原へ向けて走る滋賀県の高校生のための臨時列車など眼中にはないようだ。

臨時列車というのは非日常が感じられるからこそネタ列車であって、

新幹線700系や223系がいつもの場所で臨時として走っても非日常を感じることはできないのだ。

となると113系が米原野洲間を走るとネタ列車か?

当たり前が当たり前でなくなってしまうのが時代の流れなのだろう。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   昔の貨物の集散地は今や人の集散地

4/27

金曜日、いつものように野洲へ帰ろうとして大阪駅の人の多さにびっくりである。

梅田の貨物駅跡地にできたビル群、グランフロント大阪のおかげで、大阪駅北側はまぁ人の波のすごいこと。

18:52の始発新快速に座って帰ろうと思っていたのに、改札口までが遠いこと。

へたに3階北側に上がってみたから大失敗。

人も多いが警備員も案内人も多い。

で、エスカレータが今までと上下逆になっていたりしてなおさら進まない。

結局18;453510M発車前にホームに着かず、大阪始発にもかかわらず高槻まで立つことになってしまった。

再開発が成功したかどうかはすぐにわかることではないが、

少なくともこの人出と報道の多さで言えばまず出だし順調と言えるだろうか。

もちろん510年人気が続くかどうかはわからないが、

でも当面大阪駅の利用客の増加にはつながるだろうかと思う。

 

それにしても大阪駅の3階橋上駅舎部分の改札口は中途半端なように思えて仕方がない。

もしこのまま北側への人の波が続くようなら、せめてiC改札機のみでいいから、

ガラスで仕切られている3階トイレ横に改札があれば改札口前の混雑は緩和できるのではないだろうか。

今はラッチの内外両側とも改札前に立ち止まる人が多い。

もちろん改札口の広さにも起因するだろうが、

従来の一階改札口各所より駅や列車に不慣れな客が多いような気がする。

もちろん通勤時間に限っての見方であるが。

なので、目的の定まった、つまりほとんどの定期券利用客だけでも分離すればずいぶん違うと思うのだ。

 

昔の大阪駅の写真、とくにまだ11番線のない頃、

昭和30年代前半の写真を見ると大阪駅の北側には高い建物が何もない。

それから半世紀、大阪駅の北側は高層ビルばかりになってしまった。

おかげでどんどん大阪駅の周囲はにぎやかさが増すばかりなのだが、

昔の長距離ホームのような華やかさというか重厚さはないなぁ。

今の大阪駅北側、専門店や百貨店がかつての長距離ホームの跡地と思うと、

にぎやかさの半面、ちょっと寂しい思いもする。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   高速道路利用の路線バスが鉄道を便利にできるだろうか

4/22

京都のタクシー業界からは厄介者扱いされていたMKタクシーがバスに進出してずいぶんとたつが、

今度は定期バスに打って出るという。

しかも大津・草津市内の駅から離れた山手地区と京都駅南側を高速道路利用で直接結ぶという。

40分程度と瀬田または南草津までバス+JRと比べても時間的に遜色なく、

500円の運賃は魅力的。逆に言えば今までなかったのが不思議なような路線である。

 

ところで世間で言う高速バスというのはどんなものだろう?

高速道路を利用する長距離路線、例えば東京大阪間のドリーム号とか

大阪福岡間のムーンライト号などは間違いなく高速バスである。

もっと短い距離、例えば京都津とか福山広島も高速バスでいいか。

要するに前ドア一つのいわゆる観光バスタイプの車を使う定期路線なら高速バスか。

となると名古屋の基幹バスや西鉄福岡市内のように

一般路線バス車が高速道路を使うものは高速バスというのだろうか。

京阪バスの山科急行のようにトンネル一区間のみ高速利用の路線バスはどうなのか?

大津駅からの立命館大学行きは高速バスか?考え出すときりがない。

まぁそんな定義はどうでもいいことにしよう。

 

ところで京滋バイパスから第二京阪を使うバス路線が最近急に増えたのだが、

今まで鉄道利用で大回りになる区間をバスで簡単に結んでしまうのはちょっとびっくり。

京都駅と松井山手駅がわずか28分とは、従来の鉄道利用ではまずできない。

輸送力が違うし、もともと流動がさほど多くない区間なのでこの京阪バス路線が

すぐに近鉄京都線などの利用客を減らすようなことはないだろうし、

あるいは最初に出したMKバスの草津市内から京都駅行きもすぐに琵琶湖線の乗客減少にはならないだろう。

とすればこういった新路線のバスは利用手段の選択肢が増える、あるいは所要時間が短くなる、

と公共交通のネットワークからすればいいことなのだろう。

 

今や高速道路利用のバス路線はずいぶん増えた。

渋滞さえなければ住宅地と都心とを直接結ぶことのできるもっとも快適な公共交通なのかもしれない。

しかしそんな高速道路利用のバスはどこまで高速バスなのだろう、とどう考えてもわからない。

岐阜バスの高速名古屋線のように定期券を持つ区間もあるし、

逆に三重交通の桑名市内から名古屋へのバスは時刻表上一般路線バス扱いである。

まぁそんな定義など一般的にはどうでもいいのかもしれない。

ちなみに国土交通省の統計は系統距離が50kmを越える高速道路利用の路線を高速バスというそうである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   ネットのおかげですっかり旅行気分

4/21

オランダは欧州の中で人口密度が高く、平で狭い国土に平均して人が住んでいる。

となると鉄道には有利で、都市近郊型の電車が走りまわるのを得意とするところ。

他の欧州、特にフランスやドイツのような大国が他国直通を前提として旅客も貨物も

機関車引列車が主だったのに対して、オランダは自国内完結、

しかも駅間短く多頻度運転の電車列車による形がもう長く続いている。

最近になって他の欧州各国も電車、あるいは気動車の形が主流になったのだが、

オランダはいわば一歩先を行く列車体系ともいえるだろうか。

もちろん地理的要因が大きいのは事実だが。

 

そんなオランダの電車列車は主に2両・3両・4両・6両編成を単独または複数連結する形。

1時間あたり2本が各系統の基本本数で、

それが利用者の多い区間では複数の系統を利用できるために時間4本になる所も多い。

その運転系統は速達(ICと呼ばれる)、準速達、普通(stoptrain)の3種類。

要するに新快速・快速・普通、あるいは急行・準急・普通というJR西日本の米原姫路間や

名鉄、近鉄、あるいは西鉄といったような私鉄の多くの路線に極めて似た形である。

しかも直流1500V電化なので、電柱や架線の構造もよく似ている。

なんとも親しみやすい鉄道である。

もっとも日本の電車も甲武鉄道の郊外電車がスタートでオランダの電車と生まれのいきさつは同様であるし、

1937年に島秀雄さんがオランダの電車を見たことで

日本の電車が長距離・高速列車に進出することになったのだから、似ているのも当然なのかもしれない。

 

とそんなことを急に考えたのは、木曜日の帰宅時に乗った223W35編成が

なんとKLMオランダ航空の広告電車だったからである。

車体側面に、そして車内中りにロンドンやピザ、そしてオランダの田園風景が並んでいる。

なんで突然KLMがそんな派手な広告を打つのかいまいちよくわからないが、

まぁ関空から毎日出ている欧州便のアピールなのだろうか、

ひょっとすると皇族のオランダ国王即位式の出席にからむ宣伝か。

大型連休の旅行のきっかけにはちょっと広告時期が遅いかなとも思うが、どうだろう。

久しくオランダから遠ざかっているわだらんには目の毒である。

事情がなかなか許さず、すっかりこのところオランダにご無沙汰である。

 

しかしネットというのはありがたいものである。

先日も偶然ズヴォレ・レリスタッド間新線の前面展望が動画サイトに落ちているのを見つけた。

多くの方はそもそも場所がどこかわからないようなローカルな話で、

かつそんな区間に鉄道を建設していることもほとんど日本では知られていないだろうと思うのだが、

まだできたての新線をしかも運転台の視点でみることができる。

もともとオランダの電車は日本と違って運転台背面は壁である。

つまり客室から前を見ることはできない。

ネットでまだ乗ったことのない路線を乗った気分にさせてもらうのはなんともありがたいし、

便利な世の中になったものである。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   草津線は東海道本線支線ではなく関西本線支線としての扱いであった

4/18

国鉄がJRになってもう四半世紀にもなるので、もうピンとこない方のほうが多いのかもしれないが、

JRになりたての頃は非冷房車が当たり前のようにごろごろいた。

もちろん本線も例外でなく、新快速用117系は冷房車であったが、快速用113系の特に網干車は非冷房車ばかりであった。

ところが国鉄末期はとりあえず新車を実際に使用する線区に直接投入するケースが多かったので、

福知山線宝塚電化では103系の冷房車がられ、本線緩行の非冷房103系を横目にがらがらぴかぴかの電車が走っていた。

草津線も電化された以降電車で言えば非冷房車は入ったことがない。

(正確には本線直通で網干車の非冷房車が入ってはいたが、本来の草津線運用に入る113系はすべて冷房車であった。)

とはいえ、結局電化当時のままの113系がほぼそのまま今まで居座っているわけで、

それが一般利用者にいいことかどうかの問題はあるが。

 

そんな草津線に221系の運用がこの春からできた。

日中貴生川を往復して夕方以降柘植にも出かける。

本線の間合いでない正規の草津線運用で221系というのは初めてである。

もちろん本線から京都向日町区へ221系が流れてきたからこそ、

つまり本線を追い出されたからこそ221系が草津線に入ることになったのだが、

これを草津線の進化と見るか、221系の都落ちと見るか、どちらが正しいのだろうか。

 

先日大阪18:523512Mに乗ると、草津駅で5377Mから5374Mへ折返し中の221系を見ることができたのだが、

この日はパンタグラフを2個乗せた編成であった。

草津線に2個パンタ車がいるのは当たり前なのだが、運転台上にパンタを乗せた、いわゆる前パン車というのは

草津線始まって以来だろう。

そもそも草津線で使われる国鉄形式である113系や117系は先頭車にパンタを乗せる例がなく、

JRになってできた前パン車はいわば進化なのかもしれない。

今後は221系が少しずつ国鉄車を追い出していく形になるだろうし、前パン車も当たり前の姿になるかもしれない。

乗客数は伸びず明るい話の少ない草津線ではあるが、やはり少しずつでも進化しているということになるだろうか。

 

しかし今年の改正での草津線の最大の進化は221系が顔を出したことでなく、冊子の本線時刻表に加わったことであろう。

いままで大和路線の冊子にあって本線のものには記載がなかった。

今年の版から草津線が本線冊子に加わって、草津線ユーザーにはうれしい話だろう。

これで減便がなければもっといいのだが。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   淡路島へ鉄道が伸びる日は来るのだろうか

4/14

あくまでネット上の話を見ただけでいわば話なのだが、土曜朝の淡路島を中心とする地震の報道で、

東京のテレビ局が被害状況を現地に問い合わせた際に「電車は動いていますか」と聞いたそうだ。

もともと線路のないところである。

なので、地震に関係なく電車は走っていないから、聞かれた市の担当者はさぞ困っただろう。

が、そもそも震度6の揺れがあっても、電車がそのまま動いていると思うほうがおかしいと思うのはヲタだからだろうか。

地震で鉄道の被害がなかったのは幸いだが、結果として土曜日の米原姫路間本線は、

早朝の地震の影響が午後まで残って大騒ぎだったようだ。

地震の後に運転をいったん止めて線路施設の確認を行うのはいわば常識だと思うのだが、

なかなか世間では認めてくれないらしい。

でもとにかく被害がなかったのはよいことにしておこう。

 

ところで淡路島に昔鉄道があって電車が走っていたことをご存知の方はどれだけおられるだろう?

もちろんわだらんも直接乗ったわけでも見たわけでもなく、ただ伝聞のみで知っているだけなのだが、

洲本と福良の間に電車があって、今でも多くの区間で道路に変わった廃線跡をたどることができる。

廃止が1966年だそうで、さすがに電車を知っている人は少なかろうと思う。

ましてや洲本福良間では観光客がわざわざ乗るとも思えず、地元の方以外にはなじみの薄い鉄道なのだろうと思う。

ちなみに南海汐見橋駅に現存する南海沿線観光案内図にはこの淡路交通の路線もちゃんとある

(つまり観光案内図が昭和30年代で時を停めているというわけだ)

ので、鳴門の渦潮を見る方は、南海電車で深日港、そして洲本へ船で渡って電車で福良へどうぞ、というわけだ。

 

そう考えると過去は淡路島も鳴門も昔船で渡った時代は遠いところだったのだろうなぁ、と思う。

いつできるかわからない話だが、和歌山市と洲本市を結ぶ橋トンネルの計画もある。

紀淡海峡大橋または紀淡海峡トンネルというのだが、昭和40年代の計画時から相当時間が立つがいまだ実現の話はない。

とはいえ、もし実現すると道路橋に鉄道併用の話もあるそうで、そうなると鉄道供用が可能な大鳴門橋と合わせて

和歌山から洲本経由の鳴門徳島行き列車が走るかもしれない。となると洲本福良間で言えば淡路交通の再来ということになるが、

さて実現の可能性があるのだろうか。

 

しかし土曜朝の地震は大きな揺れにもかかわらず人的被害が比較的少なかったがよかったことだ。

やたら地震が多発しているが、地震津波による設備損壊で鉄道の廃止がないよう願いたい。

そして将来鳴門海峡を列車で渡れる日が来ますように。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   移動しながら温かいうどんを食べられる幸せ

4/12

瀬戸大橋が開通25年だそうだ。

ということはもう宇高航路を知っている人間などもうすっかりおじさんというわけだ。

船のうどん屋が名物といってもピンとくる人は少ないのだろうか、などと思う。

連絡船にうどん屋があったのだから、マリンライナーにもうどん屋があってもいいではないかと想像してみるが、

現実には難しいだろうなぁ。

 

考えてみると船は規模にもよるだろうけれども一般的には船の中の移動は容易で、客室から甲板に出る、

あるいは船内をうろうろするのは船旅の定番であろうか、と。

その点列車は確かに自座席以外うろうろできないわけではないが、

わざわざ編成内の狭い通路を移動しながらうどん屋に行くのは面倒だ。

そもそもあまり通路をうろうろするとヲタに間違われてしまうではないか。

とはいえ、何か列車の中で自席と違う食事の場があるのはなんとも楽しいものだと思う。

企画列車ではあるが、養老鉄道や明知鉄道では薬膳弁当を車内で食べるものとか、

あるいは肥薩おれんじ鉄道でも食堂営業をする列車ができた。

列車に乗ること自体を目的にするわけで、本来の移動目的の鉄道利用とは少し意味合いが違うからこそ

食堂を持つ列車が成立するのだろうかと思う。

 

その開通25周年記念で特別列車をトワイライト編成で仕立てて走ったそうである。

とはいえ、せっかくの食堂車込みの編成にもかかわらず、食堂の営業はなく単に弁当を食べるだけ、とのこと。

結局瀬戸大橋を営業する食堂車が走ることはないのだろうか?

少なくとも讃岐鉄道が国有化されてから四国で食堂車が走ったことはないようなので、

車体記号「シ」の車としてはこのトワイライト編成が四国初入線

(今回の記念号以前にも数回団体扱いで四国には入っているが、食堂車の営業についてはよくわからない)である。

海を見下ろしながらの食堂車での食事というのはなかなかかないそうにもない。

とりあえず新幹線も鹿児島までつながったことだし、

鹿児島市営桜島航路フェリーのうどん屋に行きたいものだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   悲観ばかりをしたくはないが、楽観もできない

4/8

この20133月改正で夕方以降の新快速が12両になってもうすぐ1か月になる。

4月になって新社会人や通学生が増えると多少状況は変わるかもしれないが、

とにかく12両化の効果はてきめんである。

17:453498Mは最後尾1号車なら高槻でまず座れるし、

20:003522Mは以前の混雑がうそのように静かな車内になった。

もちろん3522Mは大阪で立ち客多数なのだけれども、

その立ち客が自分の好きな位置で建てる程度の混雑なのである。

ドア付近で身動きが取れない状態と、好きな位置で立てるのはずいぶん状況が違う。

ましてや通勤客主体の時間になれば、おおよそ編成内での混雑はばらけてくるもので、

なおさら車内が落ち着いてくる。

ちなみに12両の最後尾が静かなのは、もともと高槻西口以外に最後尾が改札に近い例がないからで、

山科も石山も草津もそして野洲でも最後尾だと階段までが遠いのである。

なので、特に野洲までの新快速の場合京都からの客は編成中ほどまたは前よりに集中して、

編成後部に乗ってくる客などほとんどいないのである。

 

そんなわけで、草津を過ぎれば1号車は場合によっては数人しかいないというケースもでてくる。

たいていの場合、座席を4人分確保して足を伸ばしてゆっくりしているのだが、

時折隣に座った中年男性が周囲が空いているのに動かないケースがあって、実に不愉快になったりする。

まぁ通勤電車であまり楽をしては怒られるかもしれないが。

 

とはいえ、この3月改正はある面画期的なものだ。

というのも、朝の列車が減るという、今までにない改正であったからだ。

戦後、いや都市の通勤電車が誕生して以来ずっと、朝の通勤時は本数を少しでも多く、

編成を少しでも長くするのが常であった。

伸び続ける通勤需要に少しでも追いつくのが鉄道の使命であった。

ところがこのところ人口の伸びもなく、利用者も増えず、通勤需要は頭打ち。

列車編成が伸びた分輸送力は増えているわけで、客が増えなければ増えた輸送力は過剰になってしまう。

そんなわけで野洲からの朝の京都大阪方面行き電車は2本減。

その結果がどうなったのかよくわからないが、

少なくとも混雑がひどくて乗れないといった話がないようなので、本数減もやむなしと言えるのだろうか。

先日この先総人口が減っていくという話が報道にあった。

この数年間改正ごとにどの夜行列車が切られるかとびくびくしていたが、

そのうち通勤電車でもどれが削られるか心配しないといけない

世の中になるのだろうか、と心配になる。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   列車のこない線路ほど寂しいものはない

4/7

野洲と大阪の間で桜が無数にみられるのはうれしいことだが、一方菜の花もあちこちで見ることができるのだ。

茨木付近の線路際など植えたのかどこかから種がやってきたのか、黄色の花が揺れている。

 

昔から菜の花は春の花であるが、わだらんの場合、

20053月に見た菜の花の印象がいまだに忘れられず、複雑である。

その20053月とは、名鉄の岐阜600V線廃止、

特にわだらんにとっては野一色という慣れ親しんだ駅の廃止という悲しい日である。

廃止前に現在の住居である野洲からかつての住まいであった野一色に通ったのだが、

線路際にあった菜の花が華やかな黄色であったことが頭に浮かんで離れない。

日頃路線や列車の廃止でどこからともなく湧き出てくるお祭り騒ぎのヲタを葬式厨といって馬鹿にはしているが、

でもやはり地元にあったものが鉄道がなくなるというのは人の葬式にまさに相通じるものだと思う。

この2月に野一色駅跡地を見てきたが、線路と架線がはがされた以外、

ホームもバラストもそのままで、むしろ線路架線がないだけより一層寂しさを感じてしまう。

 

列車が来るのが当たり前、駅は地域の目印であったはずなのだが、

列車のこなくなった駅はまるで墓場に似て異なものだと思う。

墓なら先祖さまがいて敬うことができるのだが、駅の跡地を見ては寂しさしか出ない。

やはり鉄道は道路と違う。

道路なら道幅や規格の差はあれど、でも道路である。

一方線路はどこにでもあるわけではない。

だからバス停などどこにでもあるが、駅は駅のあるところにしかない。

地図には駅はまず間違いなく載るがバス停は載っているとは限らない。

心のよりどころという点で、鉄道は道路に対して絶対的な優位に立っている、

と断言できるはずである。

特に地方では。

 

3日に三陸鉄道の一部区間が復活したとニュースになっていた。

やはり列車でなくてはならないのである。

その気持ちは実際に鉄道が廃止になった、

あるいは長期運休から復活した地域の人たちでないとわからないのかもしれない。

でもたとえば阪神淡路大震災の時、線路の復活を無数の人が喜んでくれたではないか。

悔しいかなわだらんは三陸海岸の地理にも事情にも無知であるからあれこれ批評はできないのだが、

でも少なくとも列車が復興のシンボルであるなら、やはり列車を走らせる、復活させねばならないと思う。

この際山田線や大船渡線・気仙沼線不通区間もまとめて海岸線区間全線を三陸鉄道に移管してしまえば

BRTなどと安っぽいこと言わずに鉄道が復活できるのではないかなどと無責任に思う。

列車がやってくることが当たり前、きっと地元の皆さんが喜んでくれるだろうと思うのだ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   不意な運転見合わせか意図した運転なしか

4/3

1日のことであるが、草津線三雲の踏切で人身事故があった。

地元の男性がはねられて死亡された事故である。

のどかなところで何も事故にならなくてもいいのにと思うのだが、何で事故が起こるのかよくわからない。

ここで事故の理由などを考えてもしかたないのだが、とにかく日中に事故が起こった。

乗客約150人というから、まぁよく乗っていたのではないか、と思う。

 

ところが事故が起こっては列車が停まる。

結果的に1時間ほど運転見合わせとのことであった。

列車が運転見合わせになると、振替輸送がある。

この事故の場合も14:30から15:301時間、振替対象になったそうだ。

ところで、先日近江鉄道がダイヤ改正をしている。

ダイヤ改正に関する話題や報道はなかったように思うのだが、その内容を見て驚いた。

平日の日中、2時間列車がない時間帯があるのだ。

全体に日中の列車本数が削減されているのだが、

その中でもかつての国鉄のダイヤにあった保守間合いそのままのものである。

たとえば日野では貴生川行きで9:51の次は11:58

一方八日市行きは10:54の次は12:54である。

日中学生もいないし、がらがらなら運転しなくてもいいだろうとなってしまったのか、とにかく列車がない。

列車本数が減ったことを問題視できる簡単なことでないことはよくわかるが、とにかく日中列車がない。

 

そんな状況ではなかなか振替輸送といってもうまくいかない。

この事故の場合でも、振替輸送が始まったのは14:35

ところが貴生川で見ると、14:30の後は15:30なのだ。

つまり14:30では振替対象とはならず、15:30ではもう運転再開しているわけだ。

もちろん運転見合わせの時間が長くなればまた状況は違うのだろうけれども、

人身事故のようにおおよそ最大2時間程度で再開できそうなものなら、

振替輸送がどの程度有効なのか悩んでしまう。

振替輸送が発生するのはよろしくないが、振替輸送があてにならないのはもっとよろしくないよなぁ。

 

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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽   桜も見たいし列車も見たいとは沢か

4/2

春である。

毎年思うのだが、よくもあちこちにこれだけ桜の木があるものだ、と野洲から大阪への車窓で感心してしまう。

もちろん場所や木によって咲き方はばらばらなのだが、とにかくいたる所で桜が咲いている。

鴨川や茨木川のような名所も、公園に植えられた数本の木も、

そして民家の庭先にある一本の木も、みな春が来たと告げている。

花見に行かずとも花見ができるのは本当にありがたい。

とはいえ、せっかくの桜なのだから、花の下で宴会をしたいと思うが、

通勤途中での車窓の眺めではそうもいかない。

できることなら、吹田東淀川間の線路敷地内にある桜並木の下で宴会をしたいものだが、

今のご時世そんなところで宴会でもしようものなら列車は停まってしまうし、

下手をすると警察沙汰になってしまう。

 

昔は線路に入って遊んでいても、もちろん写真を撮っていてもなんにもおめはなかった。

今ほど列車本数も多くなく、列車も今ほど早くなかったのだ。

もっとも列車が少ないというより、線路に入って事故になれば本人が悪かったわけだ。

今は事故を起こす原因を作った鉄道側が悪いということになってしまうから、たちが悪い。

桜の木の下をあまり人間が歩き回るのは木の根にとってよろしくないそうで、

そう考えるなら不特定多数の人に踏まれることのない線路敷地内の桜などきっと長生きなのだろうと思う。

城東貨物線分岐のあたりにある桜並木がいつからあるのかはよくわからないが、

比較的大きな木なので、国鉄時代からあったように思える。

桜の木に生まれを聞いてみたいものだ。

 

木は育つ。

当たり前なのだが、木は育つ。

わだらんが子供の頃に買った本に山科駅のすぐ西側、琵琶湖水から上り列車を俯瞰した写真が載っている。

EF8114系臨時急行加賀をくというもの、当然もうすっかり昔の話である。

つまり昔は琵琶湖水の川べりから線路が見えたのだ。

今は疎水に沿って歩いても線路は見えないし、

逆に疎水の桜を車窓から見ることもできない。

写真を撮るために木を切るのは言語道断だが、

桜をめでながら線路が俯瞰できるようなところが案外ないものだ、と思う。

あ、そういえば旧草津川の築堤なら桜を見ながら草津駅に発着する列車も見ることができるか。

 

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