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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
13年 5月
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1256. 5/31 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 荷物列車は旅客列車のなかま
1255. 5/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 線で地点をつなぐのは得意
1254. 5/25 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 連接低床の新車もいますね
1253. 5/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 山崎長岡京方面は向かい側の普通電車に乗り換えです
1252. 5/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 所要時間が少し長いが草津で座れる電車
1251. 5/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄道でなければならない理由が薄いと難しい
1250. 5/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 彦根から京都市内へ通う高校3年生は有名だが
1249. 5/3 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ まっすぐな線路は何も考えないで線路が敷けるいい環境
1248. 5/2 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たかがロングシートではあるが、でも単なるロングシートではない
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 荷物列車は旅客列車のなかま
5/31
鉄道の掲示板に昔の写真、EF61が牽く荷物列車の写真が上がっていた。
ところが最近の若い者は、というとずいぶんおっさんになってしまうのだが、
でもとにかく荷物列車を知らないヲタが多いようだ。
荷物列車と貨物列車の違いが判らないらしい。
まぁそもそも荷物列車がなくなって30年近くになるのだから、知らない人間がいても当たり前だろう。
荷物扱い駅の象徴であったホーム上の赤い手押し車とか、
それを牽くターレットとか、あるいはホームをまたぐテルハとか、
今見るときっと懐かしさがこみあげてくるようなものであるが、でも若い者にはピンとこないだろう。
草津駅の上り方の跨線橋はテルハの構造物転用なのだが、そもそもテルハを知らなければわからないわな。
そんな道具を使って郵便物を列車に乗せたり、列車から降ろした郵便物を郵便局へ運んだりしていた。
いまからおおよそ30年も前であるが、わだらんが岐阜中央郵便局でアルバイトをしていた頃の話である。
バイトの時間は夜勤だったので、早朝3時半過ぎに東門線上りと岐富線下り一を駅へと送りだす仕事があった。
夜のうちに到着した岐阜県内あて、つまり頭50を郵便局ごとに仕立てて、
そのうち高山線沿線のものを岐阜5時半の721D列車に乗せていた。
もう不確かなのだが、岐富下り一便は扱い便、
つまり郵便車内で郵便物の区分けをするもので、扱い用の郵袋もあったように思う。
ちなみに同じ時間に送り出す岐阜中央発東門上りは護送便だけだった、
と記憶しているが、今となっては確かめようがない。
ちなみに護送便とは、郵便車の中で郵便物を区分しない、
つまり郵袋をそのまま載せているだけの郵便車で、外観上荷物車とあまり変わらない。
一方取扱便の郵便車は特徴ある小窓があったり、クーラーがついていたり。
そんな外観上異なる車両をつなげて走っているのが荷物列車の魅力なのだが、
わだらんにとって当時はそれが日常当たり前の光景だったので、
郵便車の運用など考える気がなかったと今になって後悔である。
ちなみに高山線下り821Dは美濃太田から夜行の急行のりくらに併結されて岐阜まで回送されていた。
つまり編成途中に郵便荷物車が入っているこれまた
今では想像できない編成なのだが、昔はそれが当たり前だったなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 線で地点をつなぐのは得意
5/30
仕事場で小荷物の送り状を書いていて丹波篠山の郵便番号は669-2xxxであると突然気がついた。
となると急に気になるものである。
というのも、みなさんあまりご存じないと思うが、郵便番号の3ケタ目が9の場合、
大都市部を除いて一般的に郵便線路、つまり郵便車の経路に沿って番号が付けられているのである。
たとえば岐阜県の場合岐富線という路線があって、つまり高山線の線路に沿って郵便番号がついているのである。
今は郵便番号が7桁なのでピンとこないのだが、頭の5ケタ、つまり昔の番号で見ていただくとよくわかる。
509-01が鵜沼、-02が可児、-03が中川辺、-04が上麻生、-11〜-16が白川口、-21焼石、
-22〜-24下呂、-25〜-27飛騨萩原、-31飛騨小坂、-32〜34久々野と続くのである。
ちなみに岐阜の509は-51〜が中央線で、土岐瑞浪恵那などがこの中に入る。
このような番号のつけ方は各地に共通で、三重県の場合は519-0xが参宮線、-1xが関西線、-2xが紀勢線多気以南となっているし、
滋賀県の場合は529-0xが北陸線、-1xが近江鉄道である。
近江鉄道にはかつて私鉄では珍しい郵便車がいたのだ。
愛知川とか日野で郵便を扱っていたのだろうが、どんな光景だったのか、今では想像できないものがある。
さて、そんなわだらんの地元近場ではおおよそ郵便番号の配列順がわかるのだが、福知山線はよくわからない。
が、いまは日本郵便のHPで郵便番号をデータシートで落とすことができるありがたい仕組みがある。
さっそく兵庫県版を落として番号順に並べると、やはり並んだのだ。
629-1xが三田、-2xが篠山、-3xが谷川柏原、-4xが黒井市島と続き、-6xが城崎から香住へと続いている。
福知山線の郵便車がどう扱われていたのかわだらんはまったく知らないのだが、
1983年の配置表を見ると、宮原にスユニ50が15両いるので、DD51に牽かれた客車群に連結されていたのだろうなと想像してみる。
そういえば福知山線の電車は昔と同じように今も大阪発着の前後に宮原回送なのだな。
ところで神戸で仕立てた兵庫県内の郵袋をどうやって福知山線に乗せていたのだろう?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 連接低床の新車もいますね
5/25
いつも福井の話を聞かせていただいている方から講演会のへのお誘いがあった。
是非とも行ってみたいものだが、そんな日に限って家族の用事があったりして
せっかくのお誘いが無になってしまうのは残念だ。
野洲から福井までは決して遠い距離ではないが故に余計に残念に思う。
おけいはんの石山坂本線や嵐電が路面電車かどうか判断しにくいが、
なので福井は野洲から一番近い路面電車の街ということになる。
正直人口規模の割によく鉄道ががんばっていると思う。
そんな福井で気になるニュースが二つあった。
一つはえちぜん鉄道の利用客が増加しているという話、そしてもう一つはその利用増の一因でもある
福井鉄道とえちぜん鉄道の乗継ダイヤが道路事情でうまく機能しないことがあるので、
県警と県で道路信号の見直しが可能かどうか検討するとの話である。
利用客が増える話はなんともうれしい話。
どこの地方鉄道も乗客減で大騒ぎの中、きちんと利便性を高めればお客は増えるということなのだろう。
そして電車優先の道路信号がもっと進めば、ますます利便性が上がることは間違いない。
定時性確保が路面電車の最大の弱点と思うのだが、一つでもその障害が減るのはこれもうれしい話。
そんな話を聞いていると公共交通に対する福井県や福井市の取り組みがうらやましく思うのである。
早いもので岐阜の路面電車がなくなってもう8年になる。
定時性確保のための過剰な余裕時間、そして千手堂や徹明町の右折にかかる過大な時間、
そしてなによりとても電車のりばに思えない電停。
決して名鉄が怠慢ではなく、地道に冷房化や低床車導入などしたものの、地元行政が電車に無関心、
いや邪魔者扱いではいかんせんどうしようもない。
結局岐阜の街は電車が消えて確かに車は走りやすくなったが、人が歩いていない街になってしまった。
一方福井は行政も市民も公共交通を支えているのが頼もしい限り。
岐阜からやってきた電車たちが岐阜にいた時以上に元気に走っている姿をしばらくみることができそうだ。
また時間をみつけて福井へでかけてみようと思っている。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 山崎長岡京方面は向かい側の普通電車に乗り換えです
5/23
火曜、水曜と続けて3520Mの客となる。
大阪19:45の野洲行き新快速で、最後尾1号車なら高槻でまず窓側が取れるありがたい電車である。
この3520M、先頭12号車の着席客はほとんど京都を越えるので、大阪の時点で座席が確保できなければ石山あたりまで
座席にありつけないことも珍しくない。
なので、この3520Mは特に後ろに乗らなければならない要注意の電車である。
ところで火曜日はさて高槻、そろそろ座席の確保の用意をしようかと思いきや、電車が進まなくなってしまった。
まぁ新快速が高槻手前で徐行するのは日常茶飯事だが、この日は本当に停まってしまった。
車掌氏の案内によると先行818Tが吹田で急病人救護手配で5分ほど遅れているそうだ。
つまり気がつかないうちに大阪19:38の先行快速を抜いていて、それを待っての高槻入線ということになる。
やがて列車の右側を軽快に818Tは抜いていき、高槻+5、野洲で+4であった。
まぁ野洲でちゃんと816T米原行きを待たせていたからよしとしよう。
その翌日、水曜日は夕方吹田東淀川間で公衆立ち入りがあったため、一部の電車が遅れていた。
3520Mは定刻で問題なかったが、後続20:00の3522Mは大阪10分延の見込みだとホームで案内していた。
定刻で大阪を出た3520Mは快調に進んでいくが、茨木手前で遅れていたのだろう818Tを抜いてしまった。
これはこのまま高槻逃げ切りか、と期待したのもつかの間、高槻手前でまた例によって停まってしまった。
結局遅れ818Tの開通待ちで、+4となったのである。二日続けて同じ電車で同じように遅れるとはびっくり。
二日ともおそらく先行1218Cに大きな遅れはなさそうだったので、818Tを高槻4番線(=2番のりば)に振れば
新快速3520Mは遅れずに済んだのではないか、と疑問に思う。
輸送指令が細かく把握できていないのだろうなぁ、以前のように
信号扱いを駅でしていればもっとスムーズだったのだろう、かと。
もっとも茨木で通告券を渡せるような余裕もないだろうし、どっちにせよ現場の人手が少なすぎるのだろうなぁ。
ところで高槻駅のホームの増設が決まったと先日報道にあった。
今の1番線と8番線、つまりホームのない待避線をつぶしてホームを作るそうだ。
確かに今の高槻駅のホームは時間帯によってはあぶないくらい狭いし、
ホームが新設されて新快速が現2番線に発着できるようになれば
この二日とも遅れを生じることはないわけで、確かに改善にはなる。
が、新快速が内側線ホームに転線しなくなると、島本西大路間の利用客はホームの移動が必要になるが、
この利便性はどうなるのだろう?
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 所要時間が少し長いが草津で座れる電車
5/17
木曜、金曜と続けて大阪18:52の3512Mで帰宅。
良い席ではないが大阪で着席できるありがたいもの。
せめて列車の入線時、つまり18:40頃に10番にいればもっといい席が確保できるはずなのだが、
いつもホームに上がるのは18:43頃、ちょうど先発3510Mが到着のタイミングで、ホーム上が混雑する時間。
わずか前後1分であるが、ホームと空席の状況はまさに刻々と変化しているのである。
まぁそこまで意地になって座席を確保しなくてもいいのかもしれないが。
とはいえ、通勤で利用する電車が座れるかどうかというのは大きな問題だろうと思う。
わだらんは毎日野洲から大阪まで通勤しているが、これとて難なく朝座れるからこそのもので、
むしろ南草津や瀬田のように座れるかどうかわからない、
座れなければまず京都まで、最悪大阪まで立たなければならないところとはまさに雲泥の差である。
少なくとも713Mで見る限り、南草津でもまず要領よくなくては座席がない。
むしろもう少し遅い時間になれば、南草津や石山・大津の下車客がいるのだが、
でもその時間帯はもともと車内にいる客が多いので、そう簡単に座れるものではない。
確実に毎日同じ席に座れるのは野洲の一番の利点であろうかと思う。
朝2番となる野洲始発の新快速の編成後方は野洲で前向き座席はほぼ埋まるのである。
「快適な始発電車で」とは不動産広告になりそうだ。
ところでこの春の改正で野洲始発の4両編成のミニ電車がなくなってしまった。
野洲を4両で出て、守山栗東と停まり、草津で後ろに柘植からの8両をつなげて大阪まで12両で走る電車であった。
草津での長時間停車があって前後の快速より余計に時間がかかるが、野洲で窓側はざっと埋まってしまう人気であった。
わだらんは時間的にこの電車を使うことはなかったが、やはり電車が一本なくなるのは少し残念。
ところで、実はこのミニ4両編成、改正後もあって、同じように野洲から草津まで走っている。
この改正から野洲草津間は回送で、草津について客扱いを始める。
なので時刻表には出てこないが草津発7:27の前4両は草津始発なのである。
もっともわずか4両なので草津ですぐに座席は埋まってしまうが。
このあたり、よく観察している通勤者なら座れる電車を厳しくチェックされているのだろうな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 鉄道でなければならない理由が薄いと難しい
5/14
近鉄のローカル線である内部八王子線の雲行きが怪しい。
近鉄がこれ以上の鉄道維持は無理としてバス代替などの案を出しているのに対して、四日市市の姿勢がはっきりしないのだ。
近鉄は行政に対して支援を求めているもので、平たく言えば行政が金を出せば鉄道の維持はできるが、
金が出なければ鉄道としての存続はできないという最後通告の形なので、どこかで結論を出さなければいけないのだが、
なかなか四日市市の中で話がまとまらない。
公共交通を維持するために行政が金を出す例は全国に多々あり難しい話ではないと思うのだが、話がまとまらないのはなぜだろう?
もっともこの内部八王子線の場合、なにせ電車が小さく十分バスで代替できるのである。
せめて路線が長ければまた状況が変わるのかもしれないが、四日市内部間でわずか5.7kmしかなく、
しかも昔からの東海道筋の集落相手で、背に広がる丘陵地の団地や総合病院には縁がない。
北勢線も同じく丘陵地の団地に相手にされていないが、それでも行政の支援のもと、
新駅設置など地道に乗客を拾う努力を続けているのはうれしい限り。
が北勢線と同様の事例が内部八王子線でできるようにも思えず、八方ふさがりである。
何しろ軌間762mmの特殊な施設。
戦後すぐならまだ各地にあった762mm軌間もほとんどがなくなり、一般営業なら北勢線と内部八王子線のみ。
近鉄の通告も車両や施設の更新ができないことがきっかけなのだろうと思う。
何しろもうほとんど日本で例を見ない吊りかけ駆動で非冷房車である。
それだけで十分希少価値なはずなのだが、なぜかヲタが騒がないのはどうしたものだろう?
これでヲタでも押し寄せれば状況も変わるのだろうが、762mm軌間なら北勢線のほうがはるかに魅力的だわな。
まぁなんにせよ、公共交通維持にはお金がかかる。
この内部八王子線はもともと四日市市内だけを走るものである。
簡単に話がまとまりそうに思うのだが。
今日は信楽高原鉄道の衝突事故から22年の日。
信楽高原鉄道も沿線人口の減少や道路網の整備で状況は苦しいが、甲賀市と滋賀県が上下分離で支えている。
地元に支えられてこそ、地元の公共交通の生きる道なのだろうと思う。
しかしバスと速度や輸送力の差がない鉄道ではやはり生き残るのは難しいのだろうか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 彦根から京都市内へ通う高校3年生は有名だが
5/12
木曜日の朝の話である。
いつものように713Mに乗ろうと野洲駅に向かった。
6:06の米原発711Mの音を聞きながら6:14の713Mへと改札を抜ける。
ところがこの日は711Mが5分遅れだという。
これなら先に出る電車に乗ろうと1番のりばに降りるとほどなくして711Mがやってきた。
確かに5分遅れで、もう隣2番には713Mの出庫してくる姿が見える。
実はこの状況となることは何度も起きていて、そのたびに711Mを野洲から特発で出して、
遅れてきた711Mを713Mに建て替えれば守山以降は何も問題がないのに、と思うのだ。
711Mも713Mも同じ221系8両編成の運転で、実際見た目の区別はつかない。
711Mで米原を出た車両が途中から713Mになっていても、草津や高槻で電車を待っている乗客は
そんなことはどうでもいいのだろう、と思うのだ。
が実際にはそんな列車立替は起きない。
指令がそこまで無理をしないのか、あるいは気がつかないのか、わだらんにはわからない。
さて、そんなわけで711Mに乗ったわだらんであるが、山科で今まで気がつかなかった取り合わせに出会った。
というのも、遅れの711Mを湖西線1804Mが待っていたのである。
711M車掌が1804M接続をする旨の車内放送をしたので気がついたのだが、
これで琵琶湖線711Mから湖西線1804Mへの乗り換え客がいるということはわかった。
湖西地区にある学校への通学生などだろうかと想像してみる。
山科6:39とはちょっと一般の通勤客には早い時間帯に思えるのだが、どうだろう?
ところでこの711Mから1804Mへの客はそもそも711Mにどこから乗っているのだろうか?
野洲以東、つまり米原篠原間の客で湖西線1804Mに乗り継ぐ客がいれば711Mを713Mに立て替えることはまずいのだな。
とはいえ、例えば八幡や彦根から堅田や叡山あたりの学校に通うものが実際にいるのだろうか?
逆に野洲以西での乗客が1804Mに乗り換えるのであれば、
711Mを野洲特発で仕立てたほうが1804Mの遅れを生じさせることもない。
どちらの客なのか実際に山科で観察していればわかるのだが、なかなか平日そこまでできる余裕もないなぁ。
結局711Mは京都までで1分戻し、そして高槻ではるかの退避時分を使って大阪着は定刻であった。
野洲の5分遅れが大阪で戻るのなら列車順序を変えてまでややこしいことをしなくてもいいか。
とはいえ、おそらくは京都で遅れ711Mの後を走った普通電車125Cの遅れをもらったであろう713Mが
大阪5分遅れというのも困ったものか。
たかが5分、されど5分。
列車の遅れはやっぱりどんな場面でもやっかいである。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ まっすぐな線路は何も考えないで線路が敷けるいい環境
5/3
なんとなく南草津に降りてみた。
特に用事があったわけでなく、突然の思い付きなのだが、なんとなく上りホームから上り方を見ていた。
すると遠くに225系のHIDライトらしき白い光が見える。
ところがその光は動かない。
列車ではないか、何か別の照明なのかと思っていた矢先、突然白い光が見えなくなった。
そしてやがて白い光はこちらに向かって接近してきた。
やはり当初の推測通り225系を先頭とする下り新快速がやってきたのである。
ということはさっき見えていたのは草津駅ホームということになる。
肉眼ではとても草津駅ホームを南草津駅ホームから見ることはできないと思うが、少なくとも光ならわかるということだ。
琵琶湖線、いや湖東線、つまり東海道線の米原京都間は開業が東海道線の他の区間より遅かったからだろうか、
ちょっと特徴のある配線を持つ駅が続くので興味がそそられるのだが、
その一方よくこれだけ直線で構成できたなと感動する区間でもある。
今でこそ野洲川や犬上川のように橋梁架け替えで前後に曲線の入る区間もあるが、
でも米原京都のほとんどの区間が直線か、もしくは大曲率のカーブである。
肉眼ではなかなか気が付かないが、例えば守山駅ホームから草津駅下り場内信号機が見えるし、
野洲駅の上り方では旧家棟川のトンネル位置、つまり野洲派出所の一番はずれを通る下り列車のライトが確認できる。
下り電車で篠原を出て光善寺川を渡ると野洲に向かってまっすぐな下り坂が続く。
もちろん直線区間は琵琶湖線の特権ではなくほかの線区にも当たり前にあるのだが、
でもとにかく気持ちいい直線が続くのはうれしい限り。
よく中央線中野立川間が直線である理由は何かなどと話題になるが、
あまり難しく考えずただ直線が選択できるのならそれが一番楽だと考えるのが妥当だろう。
国土地理院の公開している戦後すぐの航空写真を見るといかに楽に線路を直線で敷設したかが簡単に見て取れるし、
まだ建設途中の現国道1号線などもあっさり直線を選択している。
まぁほとんど水田しかないわけで、コースの選択など考える必要もなかったのだろう。
しかし今や残念ながら線路の周囲は住宅が立て込み、草津川トンネルも腰越山トンネル(能登川安土間)も
電化で線路が膨らんでいるし、ずいぶんと曲線が多くなってしまった。
願わくば電化前、つまり昭和30年ころに戻って直線の続く線路を体感してみたいものだが、これはかなわぬ夢である。
ちなみに野洲の上り本線も野洲川を降りてくると大きく右へ振られて3番線を通過することになるのだが、
少なくとも野洲の電留線が18線になる前、つまり昭和45年ころまでは現在の能登川と同じ配線だったので、
野洲川からそのままほぼ直線のまま現2番線を通過しそのまま不自然な曲線を挟まずまっすぐ篠原へ向けて線路が伸びていたのである。
もし今でも同じ配線なら、125km制限などという野暮な看板は立たたなかったかもしれないな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ たかがロングシートではあるが、でも単なるロングシートではない
5/2
名古屋の地下鉄鶴舞線日進工場敷地内に「名古屋レトロでんしゃ館」という博物館がある。
路面電車3両に地下鉄車両は2両、そして鉄道ジオラマのちいさな博物館なのだが、車両の保存状態はよく、
なおかつ車内に入ることができるのでとても楽しい。
もちろん今の新しい路面電車は楽しく快適な乗り物なのだが、昔ながらの路面電車、
特にかつての車内そのままの姿はわだらんにとっては極めて居心地のいい場所である。
まだ岐阜の路面電車が元気だったころ、モ550形やモ570形といった純市内型の路面電車は、
モ510形やモ600形のような郊外型と違う柔らかさを持っていた。
何をして柔らかいかと説明を求められても難しいが、とにかく柔らかいと思えるのだ。
そしてその柔らかさはこの名古屋のでんしゃ館にいる名古屋市の名車1400形や2000形で味わえる。
もしみなさんも機会があれば入場無料の施設に足を運んでもらえれば、と思う。
ところで名古屋のように常時開館しているわけでないのが残念なのが大阪の地下鉄四つ橋線緑木検車区内の市電保存館である。
ここにも6両の電車がいて、この6両の中には二階建て納涼電車(実車ではない)や路面の散水車などもある。
再塗装されて美しい姿をしているのがとてもうれしい。
その市電保存館が特別公開されるというので、先日見に行ってきた。
わだらんは大阪市電を直接知らず乗らずなのだが、やはり何かとても懐かしい感じがする。
おそらく柔らかいと思える感覚はかつての路面電車に共通のものなのだろうか、と思う。
市電霞町110周年記念で限定の日曜日に公開をしているので、こちらも是非足を運ばれては、と思う。
なかなか適当な言葉が見つからず、柔らかいという感覚を伝えきれないのは残念なのだが、
名古屋や大阪の昔の路面電車の深い腰掛に座ってもらえれば、きっとその感覚を理解していただけるのでは、と思う。
せっかく状態のいい保存車両、単に保存しておくだけではもったいない。
たくさんの人に見てもらってこそ保存車の価値があるはずである。
ちなみに名古屋も大阪も現役市電は廃止時の状態でそのままである。
まだ路面電車が現役だったころの路線図や広告を見ながら、
もし今路面電車が残っていたらどんな光景なのだろうと、ちょっと想像しては一人の世界。
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