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わだらんの鉄道自由研究表紙へ
13年 6月
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1266. 6/30 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 非定期客の数は景気のバロメーターだろうと思う
1265. 6/24 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東京から富士山は近いが、大阪からは遠い
1264. 6/23 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 時代は回って、昔の映像は昔を思い出す材料
1263. 6/22 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 座って天国、気がついたら別天地
1262. 6/17 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ホームで寝る人、改札外のベンチで寝る人
1261. 6/14 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ おはようからおやすみまで、というとどこかのCM文言だが
1260. 6/12 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 到着の列車は「城崎温泉から」か「新大阪ゆき」か
1259. 6/11 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ さすがに鉄道の時刻を水時計で測るのは無理か
1258. 6/7 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 塗装色は車両のみならず鉄道そのもののイメージつくり
1257. 6/6 ○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 光の色を表現するのは難しい
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 非定期客の数は景気のバロメーターだろうと思う
6/30
金曜日、仕事場であれこれしている間に9時半を回ってしまい、21:45の3536Mを逃すことになってしまった。
となると、遅い時間でもし寝過ごしてはあぶないので、22:40の3542Mで帰ることにした。
3542Mは野洲までの新快速で、その前の22:20の米原行き3540Mに比べると比較的空いている。
おおよそ大阪駅で最後尾1号車なら列車の入線直前に乗車列に入ってもまず座席が取れる。
そんなわけで、この日もホームを後ろに向けて歩いていた。
ところが、ホームの様子がいつもと違う。
いかにも甲子園から帰ってきたと思われるユニフォーム姿やメガホン持ちが多数で、いつもとかなり違う雰囲気。
そういえばしばらくこの手の集団を見ていなかったな、と。
今シーズンは阪神タイガースが好調なので、球場の入りもいいのだろうか、と思う。
とはいえ、さすがに座れると思っていたのにいつもと違う客層ではちょっとやっかい。
案の定最後尾にも親子とカップルの応援帰りがいて、結局大阪駅での座席確保はできなかった。
4万人の球場入場でうち32万人が阪神電車で梅田に帰ったとして、仮に1割がJR京都線に乗るとしても2000人。
実際どの程度の乗客があるのかわだらんには全く分からないが、
でも仮に2000人の1割が2本の新快速に乗るとして1列車100人、おおよそ1両に10人弱の通勤客と違う層が乗ってくるわけで、
そう考えると席取りの状況が変わってきても不思議ではないようだ。
そんなわけで、高槻まで立つことになってしまった。
全体に金曜日で人も多かったのか、週の中日の落ち着いた車内の様子とはちょっと違う。
とはいえ、夜に人の動きが多いのはそれだけお金が回っているのだ、と考えれば悪い話ではないはずだ。
世の中景気が少しはよくなったのだろうか、あるいは単なるはずみだけなのだろうか。
政治の世界の話は別としても、まぁ世の中人が動いてお金が回ることはいいことだ。
そして願わくは25分繰り上がった野洲への終電がもう一度復活できるくらいになればうれしいのだが。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 東京から富士山は近いが、大阪からは遠い
6/24
また古い映像の話で恐縮だが、英国の歌手フィルコリンズの
「take me home」のプロモーションビデオ(ネットの動画サイトで閲覧できる)には、
日本に観光にきたフィルコリンズが0系新幹線グリーン車車内から富士山を眺める場面がある。
外国人にとっても富士山の山容は美しく、何か特別な日本の象徴に思えるのだろうか、と思う。
その意味で世界遺産に富士山が認められたのは素直に世界に富士山の素晴らしさが知られている証明なのだろうと思う。
そして今回の世界遺産登録で富士山がますます外国で有名になるように期待したいと思う。
どうも外国人、特に欧米系の旅行者には一般的に日本人が考える日本の観光地といささか視点が違うようである。
たとえば伊賀上野城は「ニンジャ」として欧米人に人気の観光地なのだが、
おそらく多くの日本人は「ニンジャ」が観光地として海外で有名であることを知らないと思う。
そして残念なのは今の列車体系がそういった外国人観光客に冷たいのである。
京都を起点に考えると、馬篭妻籠や飛騨高山には直通列車があるが、伊賀上野や伊勢志摩には直通列車がない。
正確には京都伊勢志摩間には近鉄特急があるが、でも近鉄はJapanRaiiPassでは乗れず、
しかも外国客にはpassの使える鉄道と使えない鉄道が混在するシステム自体理解しにくいものなのだろうと思う。
せめて遷宮のこの秋だけでも京都鳥羽間の直通列車、かつても急行志摩のリバイバルが余剰気味のキハ187系か
かつてJR西に乗り入れていたキハ75でできないものか、と思う。
所要時間的に優位には立てないだろうが、でも直通列車というメリットは大きなPRポイントにならないかと思うだが。
ところでいつの間にか京阪神と静岡県内を結ぶ夜行バスが複数運転されている。
もともと京阪神と静岡・神奈川西部とはそれなりに流動があると思うのだが、
せっかく富士山が世界遺産になったのだから、姫路発沼津行き夜行臨時快速とかできないものだろうか?
「快速ムーンライト富士山」と、もちろん清水停車、しずてつジャストライン三保連絡で。
きっと中高年や山ガールに直通列車としてPR受けすると思うのだが、いまのオレンジ色会社では実現は難しいだろうなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 時代は回って、昔の映像は昔を思い出す材料
6/23
先日某公共放送の衛星放送で「なにはなくとも全員集合」という映画を放送したので、
とりあえず録画して、この土曜日深夜に早送りで見ていた。
話の筋も面白そうなのでちゃんと見ておけばいいのだが、とりあえず電車が出てくるシーンだけまず見ておいた。
もともと放送番組表のコメントに「鉄道と新規開業のバス会社が繰り広げる珍騒動」とあったので中身を知らずに録画したものである。
ただ、群馬県草津温泉が舞台なので、おそらくは西武と東急の勢力争いをモチーフにした話なのだろう、とおおよその目測はついていた。
そんなわけで、実際映画の中には電車が時折登場する。
一つわかったのはクハ55406で、もともと都市部にいた3扉ロングシートのクハ55が
新前橋区に転属の折北関東地区ローカル線運用のためにトイレをつけて400番台になった車両である。
そのクハ55とおそらくはクモハ41またはクモハ60の組み合わせ、都落ち40系電車のローカル線2両編成のかわいい電車が何度となく登場する。
映画上の駅は「草津」駅なのだが、実際吾妻線には「草津」と名乗る駅はなく、
おそらくは1面棒線駅でかつそこそこ駅員のいる規模なので、群馬原町がロケ地だろうかと推測するが、確証は持てない。
何せ昭和42年の映画なので、今の様子からはよほどの地元民以外はわからないのではなかろうか、と思う。
しかしそんな昔の映像を見るのは楽しいものである。
わだらんは40系電車にかろうじて何回か乗った記憶を持っているが、もうそんな茶色の電車などすぐに浮かぶ方などそういないであろう。
ましてや映画の中の40系電車は茶色であるが、のちに新前橋区の40系電車は70系電車転入に合わせてスカ色になったので、
そもそも吾妻線に茶色の電車がいたこと自体発見であった。
何しろ昔の当たり前が今ではなかなかわからない。
そんな昔の映像が映画やそして最近はネット上に転がっているのはなんともうれしいものだ。
そんな昔の映像を見ているのは本当に楽しいものだ。
しかしローカル線の2両の電車は、見ていてなんとなく楽しくなるものである。
桜井和歌山線の105系とか、近鉄ローカルの2両ワンマン電車とか、なんとなくかわいくてわだらんは好きである。
もし福知山にかつていた113系3800番台の2両編成が茶色、
いやヲタ的な呼び名ではブドウ色というが、に塗られていたらどんなにかわいかっただろうか?
しかし旧型国電などと揶揄された113系3800番台も今は鬼籍入り。
それこそ最新の521系2両編成も、こんな車もあったねといつか思い出す日が来るのだろうか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 座って天国、気がついたら別天地
6/22
木曜日、仕事のはかどりが悪く、気がついたら夜9時を回っていた。
大阪駅21;45の3536Mを逃がすと、次は22:40の3542Mまで野洲ゆきの新快速がない。
下手に米原行きに乗って寝過ごすと大変な目に合うので、
野洲ゆきに乗って帰ろうとそれからもう少し仕事場にいて、大阪駅に着いたのは22:32であった。
ホーム最後尾まで歩いて1号車後ろ扉の列に並ぶと、5人目ながら大阪駅で着席ができた。
この時間になると大阪着の時点で空席もあり、車内の客が少ないので座席がとりやすくありがたい。
到着時に車内の客が少ないということは大阪で降りる客も少なく、その分すぐに車内に入ることができ、
場合によっては車内の中央より前の部分でも座席が取れたりする。
いかに降車客の少ない扉を選んで、いかに早く車内に入るか、それが着席のための極意ということになる。
もっともこれは新快速が大阪を通り抜ける構造だからこそのわざであり、同じ新快速でも大阪始発のものや、
大阪始発ばかりの丹波路快速なら単純に整列乗車すればいい話。
比較的長距離になる近鉄大阪線の快速急行など、上本町で長い列ができているのだろうか?
多くの大阪線利用者は鶴橋で環状線から乗り換えのパターンだが、なら鶴橋利用客は少なくとも五位堂まで座れないのだろうか?
実際よく観察したことがないのでわからない。
そういえば大阪を同じく通り抜ける阪和線や大和路線の快速はどうなのだろう?
天王寺で多くの乗客の出入りはあるのだろうが、それまでの環状線区間で座席の確保はできるのだろうか?
おそらくは座りやすい位置があるのだろうし、西九条も弁天町も出口が前より、
一方新今宮は後ろよりが近いはずで、これらが影響しているのかどうか。
実際座りやすい位置というのはそこの区間をいつも乗る通勤客が経験則で一番詳しいと思うのだ。
いわば生活の知恵であろうかと。
3542Mは新大阪で少し客を増やし、高槻で大量に吐き出す。
京都ではわざわざ後ろまでホームを歩く人も少なく、1号車車内は数えられる程度まで空いた。
京都も遅い時間になるとメインは地下鉄からの乗り換え客がほとんどだと思うのだが、
逆に野洲までなら無理に座らなくても、という感覚だろう。
そして座った客の数人は知ってか知らずか、野洲で起こされる。
座った代償が乗り越し運賃とはちょっとかわいそうか。
そう考えると青山町で起こされた人はどうするのだろう?
駅前にホテルはないよな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ ホームで寝る人、改札外のベンチで寝る人
6/17
6月16日は野洲駅の誕生日である。
東海道線湖東線区間開業の2年後、つまり1891年6月16日が誕生日で、ことしで122歳になる。
もちろん開業当時の様子を今に残すものを見つけるのは容易ではないが、ただ駅の位置は変わらず、
そしてホームの位置もおおよそ変わらず、したがって現ホームを少し掘ると、開業時のホームが出てくるはずである。
ちなみに国鉄時代電車用ホームの標準高は1100mmで、一般駅は760mmであった。
少なくとも新幹線開業の頃までは東海道線に一般客車使用の普通列車があったし、
今のようなバリアフリーなどという概念もないので、
おそらくはその頃までおおよそ760mm近くの高さであっただろうから、
その後のかさ上げ分を掘れば昔のホームが出てくるはずである。
野洲駅を作るときにはホーム用の土砂を駅近くの神社から運んできたそうだが、
その頃のホームがどんなものなのか、昔の写真が出てくるとうれしいと思う。
野洲駅誕生日の前日の土曜日、駅北側の居酒屋で酒を飲んでいた。
もう日が変わった12時過ぎ、自宅へ帰りがてら改札を通ってホームへ降りる。
1時過ぎまでの3本、最終電車の運用チェックを含めて野洲どまりの電車を眺めていた。
土曜なので通勤帰りは少ないはずだが、それでも結構な客が降りる。
ドアが開いてまっすぐ階段に向かう人もあれば、電車から出てまずホームのベンチに向かう人、
あるいはホームの時刻表を眺める人。
日中の駅には見られない、ひとりひとりの行動にドラマがありそうな動きである。
車内の客を起こすのに時間がかかって、新快速3350Mは次の920Kが着く時間になってもまだホームを離れられない。
そして場内信号で3分待たされた920kが4両で到着し、がらがら乗客なしと思っていた920kから
ざっと20人程度の客が降りて本日の野洲駅の営業は終了。
ホームのベンチに座った人、階段の途中でへたり込んでしまった人、みんな無事に自宅に帰れたのだろうか。
別に誕生日だから何か特別に違うということはないのだが、少なくとも野洲止まりの最終電車がある限り、
また今日から1年、酔った乗客との格闘はずっと続くのであろう。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ おはようからおやすみまで、というとどこかのCM文言だが
6/14
運用ヲタというのはおかしな人種である。
頼まれてもいないのに、どの電車がどこで夜を過ごしてどこで働いているか、そればかり気にしている。
まぁたたきの対象となる撮り鉄などに比べれば人畜無害、ある面健全である面極めて不健全。
とにかくどうでもいいことが気になって仕方がない。
その意味で特にわだらんにとって網干の221系8連組A編成は特に気になる存在である。
特別な用事がない限り毎朝713Mで出勤するので、まずこのA編成にご挨拶。
しかも直前に同じA編成の711Mが通るので、これも何かとチェックである。
711Mの車両は一日走って夜大阪18:38の810Tになるので、
朝の711Mと夜の810Tが同じ車両ならこの日一日平和であった、
ということになる。
そして大阪20:53の828TもA編成で、これが翌朝の711Mになる。
さらにその15分後にまたA編成がやってくる。
830Tは翌朝の713Mになるので、前日の830Tを見ていると翌朝乗る編成がわかる、というものだ。
いやだからそれがわかっても何の得にもならないのだが。
水曜日の晩に瀬田で人身事故があって、ダイヤが乱れた。
が、発生時間が遅かったこともあって幸いにも大きな乱れにならずに済んだ。
事故のあったことは夜のうちにわだらんも知っていたのだが、
うれしかったのは事故の影響もなく翌朝いつものように
711Mも713Mも221系A編成がやってきたこと。
まぁ考えてみるとこのA編成、野洲でも米原でも比較的夜早く車庫に入っている。
旅行会社のパンフレットなら「早い時間にお宿入り」か。
もちろん早いと言っても夜10時を回るのだから、決して仕事をしていないわけではないが、
まぁ事故にかからない時間に宿に入っていたのは幸いである。
そんな事故の心配などせずとも、平和に一日が過ぎて、仕事を終わるとゆっくり車庫で休めますように。
あってはならないことだが、もし事故が起きるのなら終電間近の深夜に、
などというと不謹慎だがなぁ。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 到着の列車は「城崎温泉から」か「新大阪ゆき」か
6/12
昔、まだ新幹線ができる前の話であるが、特急や急行列車の名前は列車ごとにそれぞれ異なっていた。
つまり同じ区間を走る列車であっても、別の列車名がつけられていた。
電車特急の時代になって第一こだまとかという名前の付け方になってはきたが、多くの列車、
例えば東京大阪間では昼間の急行が「よど」「やましろ」とか、あるいは夜行寝台が「銀河」とか「彗星」など
それぞれ異なった名前を持っていた。
実際それが理由かどうかよくわからないのだが、列車名が違っているほうが電報配達や送迎に
便利だからであったそうである。
電報を駅や列車で扱っていたこと自体、もう化石のような話であるし、
昔は待ち合わせに問題があれば伝言板に書いたものだが、いまはその伝言板すら見当たらない。
ほとんどみなが携帯電話を持っているので、お互い場所がわからなければ電話すればいいし、
あるいは相手の位置を教えてくれるサービスまである。
これなら初めての場所でも間違いなく人と出会うことができるわけで、なんとも便利になったものである。
まぁ中には待ち合わせの風情がなくなったとか思われる方もいるだろうが。
11日、大阪駅9/10番で電車を待っていると、
「こうのとり24号は10分遅れです。ご乗車の方はもうしばらく10番のりばでお待ちください」と案内が入った。
午後に山陰線内で異音感知があって10分遅れだそうだ。
遅れはいいとしても、そもそも新大阪まで特急にわざわざ乗る客がいるのかいな、と悩んでしまう。
もちろん新幹線乗継とか、japanrailpassとか、特急に乗る可能性が全くないというとうそになるが、
でもほとんどいないのは間違いないだろう。
ここは特急なのだから「お出迎えのお客様、もうしばらくお待ちください」と案内してほしかったものだ。
とはいえ、新大阪まで乗る客よりも「こうのとり」を迎えにでる、
しかも入場券を買ってホームに出迎える人間のほうが少ないか、
いやまったくいないだろう。
なかなか今の列車に昔ながらの出向えの風景など期待するのは無理がある。
しかも通勤客の長い列ができているホームでは風情など味わえるわけはないわな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ さすがに鉄道の時刻を水時計で測るのは無理か
6/11
6月10日は時の記念日である。
天智天皇が水時計を使って時を知らしめたというのが記念日の由来である。
そしてその天智天皇を祭るのが、近江神宮である。
実は近江神宮は1940年建立の神社としてはまだ新しく、創建の理由はいささかきな臭い部分がある。
とはいえ、世の中平和であるのが一番だし、そのために天智天皇に守ってもらわなくてはならないなあ、と思う。
鉄道にとっては正確な時計は不可欠である。
まぁまぁのレベルではいつ事故が起こっても不思議ではないし、
正確な時計に支えられるというのも鉄道の完成されたインフラであろうと思う。
もっとも鉄道の時計が正確でなければならないのはあくまで列車ダイヤが過密であるからであって、
例えば明治9年に大阪京都間の鉄道が開通した時は1時間に1本、単線で開通し高槻で上下列車が交換していたそうだ。
まだ通信技術も発展途上であっただろうから、おそらくは対向列車が来るまで出発を待っていたのだろう。
1時間に1本、しかも閉鎖された線路なら少々の列車の遅れは問題ないだろうし、
一方運転時分も列車容量も余裕のあったものなのだろうと思う。
月曜日は大阪17:45の3498Mが大阪着が3分遅れ、結局野洲着は2分遅れであった。
そして火曜日は大阪19:45の3520Mが新大阪で3分の遅れになった。
大きな影響のある遅れではないし、ちゃんと野洲で米原への普通電車の接続もあったので、
目くじらを立てるような話ではないと思うのだが、さて、
鉄道の正確さというのはどこまでが正確なのだろうか?
国鉄時代遅れがなかったかと言えばそうでもないし、列車本数は昔よりずいぶん増えた分、
遅れが生じやすくなっているのは事実だと思う。
まぁ3分、5分程度までなら心に余裕をもって、としておこう。
しかしオランダ鉄道の各駅での列車発着が日本でリアルタイムにわかるのに、
駅に行ってみないと遅れがわからないというのはどうしたものか。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 塗装色は車両のみならず鉄道そのもののイメージつくり
6/7
阪急電鉄が新車を登場させるそうだ。
9000系などまだ出来立てなのにもう型式を変えるのかと不思議に思ったが、
よく考えると9300系の第一編成は2000年登場なのでもう13年も前の話になる。
9300系でそんなに歳が経つのなら、2300系など生きた化石かと笑ってみるが、確かに登場から50年、ずいぶん長生きな電車である。
とはいえ、一般の方にはおそらく2300系と5300系の区別はつかないだろうし、
今年秋登場の1000系でも同じマルーン塗装なのだから、あまり気にしなければ同じ電車に見えるかもしれない。
まぁ阪急電車がステンレスの銀色車体になることはないだろうから、その点はわだらんとしてはうれしい。
どうも銀色のありふれたステンレス車体は電車を見る楽しみを半減させているように思えるのである。
先日帰宅時の新快速の車窓から、京都駅西側の電留線に青の103系が停まっているのが見えた。
基本的に奈良線103系は黄緑だが、この車は日根野から奈良への転入車である、
黄緑の103系は大阪でも京都でも見ることができるが、久しぶりに青の103系を見てちょっとうれしくなってしまった。
今や電車は銀色が当たり前、阪急や近鉄のようにアルミ車体で塗装しているところもあるが、
ほとんどのアルミ車もステンレス車も目地の銀色をそのまま使っている。
電車を色で分けるのが誤乗防止、乗客サービスと言われた時代はもう昔。
電車の色が減っていくのは寂しいものだ。
とりあえず阪急電車の色が続くのはいいことだと考えていると、鴨川で新幹線N700系と並走である。
そういえば新幹線700系もN700系もアルミ車体に白塗装だな、これもきっとこの先長く白の塗装車体だろうな、と思うのである。
東海道新幹線はやはり白車体に青帯でなくてはならないよな。
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○わだらんの琵琶湖線雑記帳▽ 光の色を表現するのは難しい
6/6
今年もわだらんの家のすぐそばを流れる川に蛍が舞う季節になった。
野洲駅のホームが見えている、しかも車の通りの激しい道端ではあるのだが、
そんな身近なところに蛍がいるのはとてもうれしいことで、近所の子供たちもうれしそうに蛍を見ている。
昨年はあまりパッとしなかったのだが、今年はよく舞っていて、楽しませてくれる。
川面を飛び交う光跡は見ていて飽きないものだ。
とはいえ、案外蛍の光の色は難しいもので、青でもなく緑でもなく白でもなく、なかなか言い方が難しい。
まぁ光の色は難しいもので、信号の進行現示も青と言いつつ青ではないよなぁ。
アルファベットで進行現示は通常Gと表示するので、つまり緑である。
でも言葉では青信号というよな。Greenな青信号?
まぁ停止の赤はどう見ても赤で、これは迷うことないのだから、あとの色はまぁどうでもいいと言えばいいのかもしれないが。
ところで、光の色というと221系と223系、そして225系は遠くからでも正面、前照灯が見えれば簡単に見分けがつく。
前照灯が白なら221系、黄色がかって見えれば223系、そして銀色に光れば225系である。
もっとも221系は白といいつつ純白ではないし、225系がむしろ白に近いか、まぁこれも難しいが
だからといってきっちり定義をする必要もないか。
わだらんもリビングのシーリングライトを半年ほど前にLEDに変えてみた。
電球色から蛍光色へと色調が連続して変わるのは面白いが、結局明るい色でしか使っていない。
とはいえ、自在に色が変えられるのだから、夜行の座席車で減光するのに使ってみたら面白いかな、とか。
14系座席車の室内灯がLEDで、白のまま暗くなったらどんな夜になっただろうかなどと無駄な妄想。
で、結局蛍の光は何色なのだろう?
LEDの進行現示の色にそっくりと思うのは思い込みか?
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