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2007年 新田原基地航空祭
(09.05.12)
【エピローグ】

航空自衛隊新田原基地の航空祭は、 昨年 から基地へのアクセスが大きく変化し、特に基地内駐車場への駐車は“抽選”と大きく制限を受けるようになった。

事前に基地の ホームページ に抽選申し込みの要領が発表されるわけだが、私はと言えば、要領の発表初日に応募用の往復葉書を準備し、正座をしつつ必要事項を記入したほどのワクテカ度であった。だって、今年は基地設立50周年。何かがあるはずだ・・・と大きな期待を胸に抱いていたのですね。

さて、そうこうしているうちに、国防の要であるイージス艦の情報漏洩、安倍首相の退陣、福田内閣の誕生といった政の世界の大きな変化、それに伴うインド洋での海上自衛隊によ洋上給油の撤退、自衛隊使用機材に係る不祥事といった諸々の問題が吹き荒れ、しかも支援戦闘機F-2が民間による点検整備中に名古屋空港で炎上事故を起こす、さらには米本土でのF-15Cの空中分解事故に係る飛行停止措置・・・。

青天の霹靂とも言える出来事が巡り巡ったために、「今年の航空祭は開催されるのか?」という不安が増してきたのだった。

それに伴い、一時期、日本の防空を(いくら近代化改修を受けているとはいえ)周辺国の航空力と比較した時に見劣りするF-4EJ改が一手に引き受ける事態となったわけだが、時間の経過と共に上記機種の飛行停止措置が解除された。

というわけでして、12月最初の日曜日である12月2日。無事、2007年度の新田原基地航空祭が開催されたのです。
・・・と思ったのだが、当日の朝、しっかりと寝坊。

少しでも時間を稼ごうと宮崎道〜東九州道と高速巡航モードで移動したわけだが、基地の最寄りである東九州道西都I.Cを目前に4kmの渋滞にひっかっかった。

こりゃ、宮崎西で下りて、佐土原経由の方が早く到着しておったかも・・・。
料金所を抜けるのに約1時間ほどかかってしまったわけだが、その後はスイスイ。

今の職場に異動となる前は、児湯郡を毎日うろうろしていた身である。それなりに抜け道も知っている。自信満々で狭い路地に入り、林道のような道を抜け、基地内駐車場(抽選で当たった人だけが駐車できる)の入り口の一つである西門へと到着したのだった。
誘導に従い、車を停めた途端に所属機がランディング。

先ほど、渋滞にはまっている際、残念ながら基地所属機によるオープニングフライトをフロントガラスの遙か向こうに見ていたのだが、これに参加した機体であった。目の前をタキシングしていくものだから、手を振るパイロットのにこやかな表情がはっきりと分かる。

その笑顔の向こうで、轟音を立てながら2機編隊の
F-15DJが離陸していく。そして左右にブレイク(topの画像です)!

我が家の長男などは、頭上を旋回するイーグルに耳を押さえながら「怖い」と大泣き。「あのね・・・。去年は喜んで見ていたじゃん。それじゃ、立派な飛行機好きにはなれないぞ。根性無したいね・・・。」と親父様は冷静に思っていたのでした。
迫力ある展示機動飛行を終え、地上に戻ってきたイーグル。

私たち滑走路脇で飛行を眺めていたファンは機体を大きなエールと拍手で迎える。

それに手を振って応えるパイロットの表情が見えて嬉しい。
続いて、301SQのF-4EJ改による対地攻撃訓練。

基地の西側に横たわる米良山系より徐々に機体が対地射爆の体制を取りつつ地上に近づいてくる。その後攻撃→上昇という流れの訓練の模様が数回にわたって展示された。

空自のF-4も採用当初は周辺国への配慮のためか、対地攻撃能力が付与されなかったというが、私などは当時の世情など全く存じ上げないので、「せっかく付いている物を・・・。」と意味のない事を考えてしまうのでした(爆)。
リモートで機動展示を行ったのははるばる築城基地からやって来た6SQのF-2。後で画像を確認してみたところ単座であったから、A型って言う事になるかな。

見慣れているのは強力な双発のジェットエンジンで空を駆け上がっていくイーグルやファントムの姿ですから、この飛行機のひらりひらり・・・と軽快に飛ぶ様というのはまた違った意味で爽快感があります。

で、いきなし画像が大きくなったのは飛行機の姿を大きく撮影できなかったから。

手持ちのレンズで一番長い玉は100-300mmの普及版純正レンズであるから、いくらデジカメの影像素子の関係で×1.6倍率のお得効果が得られるとは行ってもぼちぼち不満足。

レンズメーカーの500mmクラスのズームレンズか、純正の400mmにエクステンダー・・・といったような装備を揃えたいところだが、我が家の大蔵大臣の許可はなかなかでないだろうね。特に後者は白いレンズになるはずだろうし。

ともかく、F-2の展示飛行も新田原基地航空祭のプログラムとして定着しましたね。
新田原救難隊のUH-60JU-125Aによる救難訓練飛行の展示が始まれば、ぼちぼちお昼の時間である。基地内を東西に連なる格納庫沿いに歩いていけば、駐車場から会場メインの管制塔前に出る。地上展示機を撮影しながら歩くが、ちょうど昼時という事で周辺は人だかり。

UH−60Jなどヘリとは思えない機動をするので、救難訓練展示とは言え侮れない。時折足を止めては、機体を大きくバンクさせて旋回する機体をカメラで追った。

翌日の朝刊によれば入場者数は7万人との事だったので、例年よりはちょっと少なめの人手だろうか。駐車場の変更などが作用しているのだろうけれど、それにしても多い。最近は自衛隊員の父母会に加えて、旅行会社による日帰りツアーなどのバスも基地内に乗り入れてくるのでその関係だろうか・・・。

で、飯を物色したのだが、あまり弁当も残っておらず、微妙な風味の幕の内弁当を購入するハメに。何だか悔しいので地頭鶏の炭火焼きを買う。
児湯の地元協議会か宮崎の地元協議会かは分かりませんが、『みやざき地頭鶏』と大垣の目立つのぼりが何本も立っていたのですぐ発見できました。

12月とはいえ、当日は結構気温が上がったので、大変だったでしょうね。

肝心の肉だが、やはりジューシー。別格の味でした。
そうこうしていたら、301SQの機動展示が終わってしまっていて(23SQのイーグルによる機動展示も前日に中止。やはり米国での事故による影響が大きく影響していたのでしょうか)、習志野の第1空挺団(陸自)による落下傘降下を支援すべく基地上空に進入してきた入間基地402SQ所属のC-1輸送機から次々と降下する隊員を吐き出していた。

こりゃいかんと思いながら、いそいそと車を停めた所へと戻ったのであった。


【地上展示機編】
今年の地上展示の内容はちょっと寂しかったな・・・というのが正直な感想である。展示飛行も一部プログラムが中止となるなど、基地開設50周年の節目の航空祭としては寂しすぎた。

自衛隊機については基地所属機をはじめ、各基地より種々の機体が集められていた。
CH-47J(チヌーク)は今年も腹を開けて機内展示を行っていたし、昨年3月をもって退役したT-2訓練機が飛行教導隊で89年まで使用された当時の機体色に復元の上、地上展示されている。

だが、例年参加していた岩国の米軍機の姿は無く、どこか盛り上がりのなさを私は感じていた。やっぱり、いろいろ事情があるのでしょうね。はい。
【飛行展示編】
先ほど触れたT-2の地上保存機。

この機体色を見まして、どこかの国が正式採用、運用しているといっても差し支えがないなあ・・・と直感的に思ってしまった。

飛行教導隊は戦技指導を行うある意味特殊な部隊であるが、いくらT-2とは言え、当時の空自戦闘機乗りにはこの機体色と尾翼のコブラは恐怖の対象だったでしょうね。
人気のある機体にはこの様に人だかりができまする。

築城の
F-2A

今年は米軍機の参加がなかったので、人があまりばらけないようだった。

お陰であまり撮影できていない。
まさか、陸自から戦闘車輌の参加があると思わなかった。

第8師団からゲストの74式戦車82式指揮通信車化学防護車の3車輌である。

画像の74式戦車など福岡にいた頃はよく第4師団の基地開放において模擬戦闘訓練展示等でよく見ていただけに、妙になつかしかった。90式が正式化されつつも、配備数、車両重量、使い勝手の良さ等々から未だ日本国防の主力である同形式だが、先日もこの74式の後継と位置づけられているであろう次期国産主力戦車の試作車輌の公開がなされたばかりである。なだらかな曲線のシルエットが特徴な砲塔などいかにも兵器と言った感じでございまして、できればもちっと元気な姿を見ていたい物だ。

後から知ったのだが、航空祭終了後、ギャラリーの前で戦車をトレーラーに実際に載せた様である。見てみたかった・・・。
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