このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

湯布院行 2004年晩秋
(04.12.01)
今年は台風が多い年であった。この九州においては6月からちょっと前まで本当にたくさんの台風が直撃、接近。そして何もかも巻き込みながら東の方へと偏西風に乗って去っていった。そして、クマ出没のニュースがここのところマスコミを賑やかせていた。

クマが何で人里に降りてくるか。台風が与えた野生動物への被害は甚大で、動物たちの餌となる実を付けた枝は飛ばされ、木は根本から折れるわで山に餌がないからだ。幸い、クマについては目撃情報はあるものの宮崎県をはじめとした九州各県では絶滅種扱いで無縁の話である。でも猪、猿についてはそれなりに被害を聞く。

何で台風の話題を冒頭に持ってきたか。実はその1週間前に高千穂経由で阿蘇へ行った。この季節、本来であれば濃緑の山肌にちらほらと朱に染まった部分があるのだが、今年は黄色が目立つ。ハゼの葉が真っ赤に輝くにはもう1週間ほどかかりそうだが、どうやら今年の紅葉はあまり良くないように思える。

今年の秋の湯布院行きは長男が生まれたこともあって自粛しようと思ったのだが、今年の紅葉を見ていたら金鱗湖のもみじの具合が気になってしまった。・・・結局、大分に向けてハンドルを握っているのだから、なんだかなぁ・・・である。
早朝4時半出発。まあ、いつもの裏道経由で宮崎市内からは5時間弱と言ったところか。途中途中のコンビニで休憩を入れながら快調に飛ばしたのであった。

途中、大分の山間部ではまだ災害復旧(路肩がくずれたまま)の箇所があったり、荒廃した竹林など台風の爪痕が残っていた。今年はやっぱりハズレだろうね・・・と湯布院盆地へ入っていったのである。

予定通り10時前に到着だ。この時間だと観光客もそう多くない時間である。余裕で1日300円の駐車場に車を置けるし、写真だって気兼ねなく撮れるのだ。

日が昇ってだいぶん経つので、この盆地特有の深い乳白色の霧は消えていた。金鱗湖畔にある駐車場からは山の間からひょっこりと頂を出した由布岳が見える。
まずは“亀の井別荘”の方へ歩いたが、大分川の上空を覆うように茂っているもみじの上半分には全く葉がない。やはりダメであったか・・・。ここ数年毎年のように金鱗湖の紅葉行脚を続けているが、もっとも状態が悪いようだ。
亀の井別荘”の売店“鍵屋”。 前回、前々回と来たとき には夏野菜一色の地元産野菜を販売するスペースであったが、この季節らしくゆずがおいてあった。その横にはこんもりと葉の茂る中国菜。

これのものではないだろうが、フリースペースにはゆずの香りが漂っている。お茶請けの“ゆず練り”を作っているのだろうか。
観光客が多くないうちに湯の坪の界隈を歩くことにした。一応羽織る物を持ってきたのだが、空気が冷たい。うちの長男坊は風邪をひかないだろうか・・・と自分の手の中で眠っている顔を見ながらてくてくと行く。大分川沿いには先日発生した新潟の地震の支援募金の箱を持ったおばちゃんが立っていた。写真を撮らせてもらったのでちゃんと募金をしましたよ(ん?やって当然のことですって?済みません。おっしゃる通りです)。“猫屋敷”の辺り。大型バスが次々に到着していたが、その中に我らが宮崎の宮崎交通の貸し切りバスが停めてある。本当にこんな所までお疲れさまです。

湯の坪横町”の前にある魚屋で野良猫君に遭遇した。湯布院の町を歩くと猫に遭遇することが多い。しかし奴らはさっと通り過ぎていくのでファインダーを覗いた時には時すでに・・・といった具合なのである。まあ、結局は私の写真の腕がまだまだなのだが、今日出会った猫君は魚屋の軒先のベンチの上で寝っ転がっているのだ。こりゃチャンス。だが、カメラを構えたとたんに家と家の間の隙間に隠れてしまう。

隙間から顔を出すのだが、カメラを向けるとまた奥の方へ入っていく。こういったことを繰り返していると、妻から「注意」が入ってしまった。堪忍してください・・・。たのむから置いてかないでぇ・・・。
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