このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

湯布院行 「2008年・夏」
(09.05.14)
2008年3月の寝台特急“なは・あかつき”の廃止から間もないのだが、全国紙で唯一残った九州ブルトレである“富士・はやぶさ”の廃止も目前に迫っている旨の報道がなされるなど鉄道趣味会はここの所忙しい。

私もご多分に漏れず列車の運行区間へと向かうチャンスを狙っていたのであったが、中でも撮影したことのない大分以北での“富士”の姿を捉えたかった。

豊前や行橋付近の田園風景を往く姿も良いが、やはり別府の待ちに入る前に抜ける山間部の姿を撮影したい。それを考えると7月の連休は非常に魅力的だった。
ただ、最近は車中泊も日帰りも体力的に辛くなってきている。

そこでせっかくの連休であるから由布院盆地まで足をのばそうとネットで宿の検索をする事とした。

・・・暫し格闘。

不思議な物でこういう急な行動にも関わらず、駅前にある“ 森のプチホテル 北由布 ”さんを押さえることができた。夕食は付いていないが、その時になって考えればいい。そのような事を考えながら、出発の前日である7月19日は布団に潜ったのである。
翌朝。4時出発。

湯布院行きだけであるならばもう少しゆっくり出ることも出来るのだが、今回は列車の撮影がメインである。日本の鉄道という物は非常に優秀で、よほどのことが無い限りは定刻通り列車がやってくる。非常に当たり前のことであるが、おかげで朝が苦手な私は十二分に余裕を持って目覚まし時計をセットする必要がある。それでも起きれなかったりする訳であるが、今回は嫁女の協力も得まして無事出発です(爆)。

10号線を一気に北上し、別府湾を右手に見ながらカーブを抜ける。日出、杵築・・・と目指すポイントに到達。あまりにも順調に事が進んでしまったので、炎天下にて小一時間待つこととなったわけだが、無事に「コンチクショウ!」と真っ赤なED76に牽かれる濃紺の寝台列車を撮影することが出来たのだった。

ここから由布院盆地をめざすのであるが、普段は大分市より狭間、庄内を抜けて盆地の南端から湯布院入りをする。だが、列車を撮影した杵築からは別府から城島高原を越えていく通称“九州横断道路”を利用するのが手っ取り早い。この区間を利用するのは数年ぶり。ちょうど時間は昼食時なのであるが、ま、観光ルートなのでどこかにドライブインでもあるだろう・・・とハンドルを握ったわけであるが、標高があがるとさすがに眺望はすばらしい。だが、飯屋が見あたらなかった・・・。仕方がないのでホテルのランチバイキングでしょんぼりなランチとなったのだった。
盆地へと入る。

ホテルに車を預け、金鱗湖まで散策を楽しむこととする。

連休ではあるのだが、人は思ったほど多くなかった。時間帯にもよるのかもしれなかったが、ちょっと意外であった。

亀の井別荘

ここのところは湯の岳庵の脇から勝手口を抜けて金鱗湖畔へ行くことが出来る。湯の岳庵では外のテーブルに多くの人が腰をかけ、談笑を楽しんでいる。

そういえば、しばらくここを食事で利用していないな。夕食にでもきてみようか・・・と考えながら、どうもカメラを向ける事が申し訳なく思えて、そのまま静かな午後の光景を通り過ぎた。
天祖神社から湯の坪の町並みを抜けていったのだが、本当にこの界隈は来るたびに風景が変わっていく。民家が新しい土産屋に変化し、どこででも売っていそうな物を『湯布院名物』と銘打って並べている。

いい加減慣れつつあるが、目新しさを感じつつもこの手の店に入ってみる気になれない。

嫁女や子供たちは蜂蜜のソフトクリームを買ってニコニコしているのだが・・・。そのような時、私はといえば大抵がカメラを持ってボーッとしているのであった。

その脇を韓国からのツアー観光の一群が抜けていく。そういえば、目立つようになった。 昨秋 利用した旅館で見た注意書きの中に『浴槽は下着を洗うところではありません。』ってな一文がハングルとともに記載されていたっけか。国際化。いいことだ。その一方での弊害。文化、習慣から来るトラブル。

・・・ま、相互理解の上にこういった細かい部分が修正されていけばいいのであるが。

さて、もう少し歩けば本日の宿である。朝が早かったので夕食まで仮眠をとることとしよう。
次へ行く

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください