天理駅は日中ほとんど列車が来ないのだが、それにはもったいないほど広々としたホームがあり、他にも団体専用ホームなど、総本山の風格たっぷりな駅である。駅前もよく整備された広い空間が広がり、小奇麗なところだ。駅前だけ見れば都市郊外のニュータウンといった趣きだが、町のあちこちに「ようこそ、おかえり」と書いてある辺りに宗教都市の雰囲気がにじみ出ている。
天理の駅から山のほうへ、石上神宮(いそのかみじんぐう)というところに向かって歩く。よく整備された道路の両脇には、千と千尋にでてきた湯屋のような荘厳な建物がいくつも並ぶ。天理教関係の施設なんだろうが、京都の寺々とか奈良の他の地域とはどこか異なる和風建築がこの町の独特な雰囲気を作り出している。
そういえば道行く人々も多くが「天理教教団」と書かれたハッピを羽織っている(おじさんとかだけでなく、女子高生とかも!)。生活の中に宗教があるのは日本では他にあまり例がないのではないかと思う。
天理教の総本山である天理教本部は駅から10分ほどのところにある。とにかく第一印象は、広い。これに尽きる。ゆうに数万人は座れそうな広場の奥には大きな教祖殿が構えている。平日昼間にもかかわらず参拝客は多い。僕もよっぽど参拝していこうかと思ったが、天理教をよく知らないのでやめておいた。
そうこうするうちに山の辺の道と言われる歴史街道にたどり着き、ほどなく石上神宮に到着。この石上神宮は神宮の中の神宮と呼ばれ、日本のあらゆる神宮の一段上に立つ神宮らしい(さて今何回「神宮」と言ったでしょう?)。
そんな石上神宮も小雨のぱらつく平日の昼過ぎには閑散としていて、芭蕉張りに句の一つでも詠んでしまいそうなそんな静けさが漂っていた。建物自体はそれほど大きくないが、風格ある作りをしている。心洗われるようなその落ち着いた空間にしばし一人たたずむ。何も考えない。こういう時間はしばらくなかったなと思う。陳腐な表現かもしれないが、安らぎと言う言葉がここには良く似合う。
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この後は適当に天理の市街で土産を買ったり食事にしたりした。地方の商店街にしては活気がある。たいていどこにでもありそうな食堂やみやげ物屋ばかりだが、多くの店で天理教の教本とか小道具とかが売っていて、その辺はさすがだなと思った。町中には天理教教歌らしき歌がしめやかに流れていた。なんだか白黒フィルムに映せば昭和30年代くらいに見えそうな雰囲気だ。
もちろん、時代は21世紀である。ドラッグストアもあればダイソーもあればミスドもある。別に宗教とか伝統に変に固執しているのではない。普通の生活の一部として、ごく自然に宗教が共存しているのだ。僕の受けた印象はそんな感じである。おせじではなく、町の人はとても親切である。宗教の良い側面が町全体に活気と平穏を与えている。天理と言う町はそういうところである。
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▲天理教関係の施設
▲変わった形の鳥居
▲天理教総本部!
▲石上神宮
天理教本部に比べて静かな感じである
▲「ようこそ おかえり」の看板
(クリックで拡大します)
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