このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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東海・山陰・北陸の旅
2008年8月23〜26日乗車
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1日目 〜東海編〜
● 2日目 〜餘部橋梁編〜
3日目 〜北陸編〜
4日目 〜地下駅編〜
2日目 〜餘部橋梁編〜
今日は6時に起きるつもりでしたが,5:30に目覚めました.
旅の日は目覚めるのが早まる傾向にあります.
従妹の母親から朝ご飯を出してもらいました.
ありがたいッス!
6:50発のバスで京都駅へ.
18きっぷで改札を通ったら………
朝もはよからヘアーの乱れをせっせとせっせと整える♪
で,京都7:48発の山陰本線普通福知山行きに乗りました. 後ろ(写真)の221系は全て園部止まりで,前の223系2両が福知山行きでした.
乗ったら,意外にも混んでました.ボクはかろうじて通路側に座れましたが,二条からは満員になり,立席になる人たちも出てきました.
二条で交換した上りの快速はガラガラでした.普通朝は下りのほ うがガラガラになるのですが,山陰本線ではその法則が真逆になるみたいです.
車内は若人からお年寄りまで,年代を問わずにみんな乗っている.
みんなどこへ行くんだろう,みんな餘部橋梁に行くんやったら,大混雑やなぁ(;‾_‾)=3
ボクの隣に乗ってた人が保津峡で降りて行きました.ハイキングにでも行くのかな?
その後は急に町中ななったり,誰もいない山奥になったりと,綾部までは車窓の変貌が著しかったです.
綾部に着いたら,乗客の1/5は降りてゆき,やや空席ができた.
しかし,これも福知山まで………
福知山では,同じ223系2両の普通城崎温泉行きに乗り換えたのですが,もとから福知山線で来た乗客達が乗っていて,そこにさらにボクが乗ってきた列車の乗客が城崎温泉行きの列車に詰め掛け,車内は混み合い,3人中1人は立つことに…. ボクは先頭に立って先頭の眺めを見ます.
9:59,列車は福知山を発車しました.住宅地と田んぼと山が混在する車窓が城崎温泉まで続いた.
さすがのボクも,4時間ずっと同じような車窓を見ていたので,
生まれて初めて車窓に飽きました!!!
城崎温泉に着きました.
城崎温泉からは,いよいよ餘部橋梁を通る,この普通浜坂行きに乗りました.
最初は乗客はあまりいませんでしたが,特急北近畿3号が隣に到着してから乗客が詰め掛けて満席になりました.発車前に先頭を陣取ってるグループもいます.
ボクの向かいの席に青年が座ってきました.話すと,これから餘部橋梁に行くみたいなので,すぐに打ち解けました☆
11:57,普通浜坂行きは城崎温泉を発車しました.
途中の鎧駅を出ると車内が熱くなりました.座っていた人達は立ち上がり,列車が餘部橋梁に差し掛かるのが今か今かと待ち構えました.
そして,トンネルを抜けると………
おおおおお!!!!!!!
思わず窓の外に向かって声を出してしまいました!
これが…餘部橋梁からの眺め!!!
橋梁を渡り終えると列車は餘部に止まりました.
ボクと青年はここで降りました.普段は無人駅なのですが,臨時派遣の駅員がいます.
列車は2分ほど停車したのち,煙突から排気ガスを吹き上げて餘部を発車 して行きました.
さて,写真をバシバシ撮りますきゃぁ♪
ホームから餘部橋梁を望みます.
線路の上から餘部橋梁を見てみます.
特急はまかぜが通過して行きました.
中腹から餘部橋梁を望みます.
真下から餘部橋梁を望みます.
餘部橋梁の説明板です.
すぐそばに,荒々しい日本海が波を打ってきます.
ありがとうの立て札が.橋梁がなくなってしまう2010年に向けてでしょうか.
餘部橋梁を上り普通列車が渡ります.
もっといたかったのですが,時間になってしまったので,14:01発の浜坂行きの電車に乗り,共に行動した青年と餘部橋梁に別れを告げた.
山ばかりでたまに海がチラッと見える区間を走り,
14:16,列車は終点の浜坂に停まりました.
昼ご飯を何も食べてなかったので,ボクは駅の売店でパンと一(お茶)を 買いました.一にはなんと付録で岡山駅の駅名表ストラップがついてきました! モチ,その場で携帯に付けました♪
浜坂14:31発の普通鳥取行きに乗り,パンを食べたら睡魔に襲われた ので,しばし午睡(シエスタ)に入りました.(-.-)zzZ
15:17,鳥取に着いて目が覚めました.よく考えたら,これが生まれ て初めての鳥取県でした!!
初☆鳥取県
鳥取15:26発の因美線普通智頭行きに乗りました.
しかし,事件はここから起こりました.
因美線国英駅付近で人身事故!!
ボクが乗った列車は運転を見合わせることに………
———大変なことになった.
———いつになったら動くんだろう.
———京都で終バス間に合うかな.
———あ,向日町ならもっと遅い終バスあるかも.
ボクは従妹の母親に電話しました.どうやら向日町なら22:12発の終バスがあるとのことでした.
これで2時間は遅れても大丈夫です.
さらに幸福なことに,普通智頭行きが鳥取駅を発車することになりました!!
やったぁ!!
と言えたのも束の間,列車は1つ目の津ノ井でまた止まってしまいました!
待っても待っても列車は動く気配はない….
30分ぐらいは待ったでしょうか,そのとき,隣のホームに郡家方面(今自分が向かおうとしている方面)の列車がやってきました.
この列車はこの先の郡家から三セクの若桜鉄道に直通する列車でした.若桜鉄道の列車は事故のあった国英は通らないので,事故とは無関係にダイヤ通りに運転されていました.これに乗れば郡家までは行けると言われ,ボクはその若桜鉄道の列車に飛び乗りました.
郡家で降りました.若桜鉄道の列車は若桜方面に向けて出発していきまし た.
———さて,本当にこれからどうしよう?
2つ先の駅に来たとはいえ,因美線は未だに止まったままでした.
とりあえず改札を出ました.駅員に聞いても何時に運転が再開されるのか分からないとのこと.
———今日は終バスに間に合わないで,歩いて従妹の家に行くことになるのかな?いや,下手したら今日中に京都に着かないかもしれない.
そんなことを考えて神妙な顔をしていると,地元のおじさんが話し掛けてきました.
「君,どこまで行かれはるか?」
「京都なのですが,終バスがあるので22時頃までには着かないといけないのです.」
「ほんなら鳥取から高速バスがあるで,調べたる.」
おじさんは高速バスで京都への行き方を調べて教えてくれました.
「ほな,今からこのバスで鳥取戻れば,高速バスに乗れるで.それにしてもこんなに長時間止まるとは,因美線では滅多なことではないで.」
「ありがとうございます!!・・・ん??」
ちょうどその時,ホームに智頭方面から特急スーパーいなば5号がやってきました.
運転が再開したみたいです!!時刻は17:15頃.
駅員に聞いたところ,特急列車を優先で順次通すとのこと.
期待通り,鳥取方面から特急スーパーはくと12号がやってきました!本来ならこの特急は郡家17:03発なので20分弱遅れているが,これに乗ってスムーズに行けば京都に20:59に着いて,終バスに間に合う!
「すみません,色々調べていただいて.この特急で帰ります.」
「そか,ほな,気ぃつけてーな!」
おじさんとお別れして,ボクは特急スーパーはくと12号に乗りました.そして,17:23分頃,約20分遅れで郡家を発車しました.
ボクが乗ったのは最後尾の自由席で,このように最後尾の車窓が見れました.
車内です.座席がいつもの特急のシートよりも幅が広くて快適でした.流石は智頭急行線の特急!!
車両の先頭には運転席からの眺めの映像が映されています.
検察が巡ってきて,ボクは郡家〜智頭の特急料金と電車賃1130円,それと智頭急行線智頭〜上郡の特急料金と電車賃1670円,合計2800円払いました.
電車が止まらなければ郡家〜智頭までの1130円は払わなくても済んだのに(汗)
列車は智頭から智頭急行線に入り,130km/hでかっ飛ばしました!
振り子式車両なので,カーブでは大きく車両が傾きました.
中国地方を縦断して上郡に着きました.
上郡から普通姫路行きに乗ります.
4両編成で時間が時間なだけに,東京の通勤電車並に混雑していました.
ボクは立ったままサモンナイトDSをやりました.
気分はいつもの通学とあんまり変わりません(笑)
姫路からは新快速に乗って京都まで2時間乗りました.
ここまで来ると,2時間が非常に短く感じます.
21:10発の終バスに乗って,従妹の家に無事に着きました.
この日は祭りがあったらしく,夕飯はその祭りで買った焼きそばやフランクフルト,それから従妹の父親手製のチンジャオロースーでした.
それから風呂に入って,すぐに寝ました.
つづく
3日目 〜北陸編〜
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