出席者●第13次研修生 川述さん、河津祐さん
第14次研修生 河津成さん、清田さん、梶原さん
司会●yuchan
司会 まず、この研修に参加しようと思った動機を聞かせてください。
川述 この研修のことはずっと以前から知っていました。行った人たちと話をしていてもいつも話が合わないんですよね、実際に行っていないと。いつかは行ってみたいと思っていました。
河津祐 ぼくの場合、父親も行ったし、いろいろ話を聞かされ、小さい頃から興味を持っていて、好奇心いっぱいでした。
清田 これから先の地域の発展は若い人の力にかかっているなんで言われていますが、自分を振り返ったとき何をしていいかわからない。何かを見つけようと行ってきました。
梶原 大山にあるせっかくのチャンスを利用して、大いに世界を知りたかった。いろいろな国を旅して、いろんな人々と話して吸収してみたかった。これは大山独特ですからね。
河津成 物事を考えるにはやっぱり比較の対象が多いほうがいい。今回の研修はそのための充電期間ですね。
司会 出発する前に皆さんいろんな期待があったようですが、実際に行ってみての感想はどうですか。
川述 やっぱりいろいろ聞かされるより実際に見たいという感動は違いますね。百聞は一見に如かずです。それから今回の旅行では、全くの自由旅行で、自分たちの行きたい所へ行くためのルート作りからそこへたどり着くための技術というか、要領を身に付けることができました。
河津祐 どこかへ行くとなると、地図を見て、列車の時刻を調べ、わからなければ人に聞き、苦労して目的地にたどり着いた時は感激しますね。
川述 自分で動かなければ何も始まらない。
清田 イスラエルというと、行く前は戦争もやってるし、恐い国じゃないかと思っていました。だけど、イスラエルに着いてから目的地に着くまでヒッチハイクで行ったんです。バスを降りてから3回くらいクルマを乗り継いだんですが、みんなよく止まってくれるんです。優しい人たちだなぁっていうのが第一印象です。キブツに入っておとうさんと子供たちが遊んでいるのを見て、何かしら豊かさみたいなものを感じましたね。
梶原 やっぱり、遊び方を知っているひとかちだなぁって思いました。朝6時から昼の1時過ぎまで働くわけですが、仕事が終わってからのフリータイムを実に良く使っている。自分の趣味を活かしたり、茶会話を開いたり。それに比べて日本人は遊び方を知らなすぎるなぁというのが実感です。
河津成 大山の町作りはキブツを手本にしているという話を聞いていました。実際に行ってみると話の通りの公園みたいなムラがあり、そこで共同生活が行われていました。だけど、日本人があんな生活をしていたら隣近所に気を使ったり、いらぬ気兼ねをしたりして窮屈なものだろうと思いました。さすが個人が自立していつ西洋人というか、自分自身の生活はプライベートとして守っているんですね。良い意味で他人のことを気にしない。
梶原 自分がいいと思うことをするし、悪いと思うことはしない。別にまわりの人のことを気にして自分の身の振り方を決めるってことはないんですよね。
清田 まわりの風景は本当にのどかなものですが、キブツの中には工場もあるし、バイオの研究所もある。そんな感じで時流に乗っていますね。
梶原 キブツ自体は健国当初いろんな国から集まって来た人達が自分たちの国を作ろうと、いってみれば自衛のための手段としてああいった特殊な社会形態をとったわけですが、今ではその目的も達成されている。その後は時代の流れに沿ってやっている。
司会 時代に遅れればどんな素晴らしい農村であっても生き残れない。お金がなければ生きていけないというのが資本主義社会の現実です。
からっとした人間関係 余暇の使い方がうまい
司会 さて、そんなキブツでの生活を経験して大山で再び暮らしはしめてどう感じますか。今の大山町を見て?
川述 みんなセコセコ働いていますね、余裕がない。みんながゆとりをもてばいいけど、そうじゃない。
梶原 日本全体がそうならなきゃ仕方ないですね。今の世の中ゆったりとしていると遅れてしまうような気がするんでしょう働けはたらけ、イスラエルでは日本人の半分くらいしか働いていませんよ。国民性の違いといえばそれまでかもしれませんが、日本で真似していたら半分づつ遅れていくような気がします。
川述 キブツっていうのは時間的にも金銭的にもムダの少ない、とても合理的に作られている社会ですから、日本人がよく働いているといっても結構ムダが多いような気がします。
梶原 休日にはみんながみんなきれいに揃って休んでしまいますからね。あれが日本なら住みにくいだろうなぁと思いましたが。
川述 割りきっていますね。たまに開いているのは食べ物屋くらい。
司会 もっと余暇の使い方を考えなければいけませんね。
清田 大山が田舎だからかもしれませんが、人目を気にしていやですね。日本人特有の義理人情というか、何かに縛られているような気がしますね。
梶原 人間関係がからっとしていますね。キブツでは、13歳になったら親子は別々の家で暮らすし、個人意識が確立しているんです。キブツでの問題点というと、怠けても一生懸命やっても貰う給料は同じということです。怠ける人はほとんどいないけれどとは言っていましたけど。メンバーみんな自分たちがキブツの発展に貢献しているという誇りを持っていると言っていました。
司会 みんなが共同生活をしているということで、このへんがキブツのメリット、デメリットということでしょうね。キブツでは自分の力を100%出せば認めてもらえるということで老人や不自由な人たちでもちゃんと働くというか、仕事ができるような環境作りを行っていたんでしょう。
川述 敷地の一番真中へんの便利のいい場所に平坦地をこさえて、車椅子でも簡単に出入りができる建物があって身障者や老人はここで働くようになっていました。
梶原 それから、電気自動車や特別なクルマも用意されていましたね。また、芸術家の仕事もキブツの仕事として認められているんですよね。
河津祐 共同すればやはり自分一人が頑張っても仕方ないという傾向も出てくるだろうし、張り合いもないんじゃないかと思いましたね。
梶原 キブツに集まっているのはキブツの考え方に納得した人ですから、イヤなら出て行く。
川述 少しずつ変わってきていると思いますけどね。
充実した社会保障 生活するには最高の場所
司会 さて、大山でも後継者問題というと大きな問題ですが、キブツではどうでしたか。
川述 やっぱりあるそうですね。日本でフィリピンからの花嫁さん、ジャパゆきさんが問題になっていると話していたら興味をもっていましたね。
梶原 ぼくらのキブツでは後継者問題はないと言っていました。子供たちはメンバーじゃないし、子供は子供で独立した考えで自分の進みたい道を行け。ここに残りたいならそれもいいし、外に出るなら出るというようにこだわりがないです。親としてはやはり残ってもらいたいらしいですけどね。
清田 日本人とは感覚が感覚が違うんですね。
司会 自分の子供がキブツの後継者になる必要はないんですね。もともと私有の財産もないし。実際に暮らしてみてどうでしたか。そこに残りたいと思いましたか。
梶原 ぼくはやっぱりイヤですね。物足りないっていうか、自分がやりたいことができない。それだけの見返りもない。
川述 そりゃそうですね。
司会 金ばかり追及する日本人らしい考えですね。逆に病気になったりとか、老人になってりした時の社会保障はキブツでは充実していたでしょう。
河津祐 キブツでは生活の保障はあるし、好きで仕事をしているという感じです。日本人の場合は生活の手段として仕事を選んでいる。キブツの場合、生活保障ができているので仕事をしなくてもあまりかわらない。だけどキブツ社会というのはみんなことはみんなで決めるという民主主義が確立されています。
河津成 若い人たちには刺激がないと映るキブツも子どもたちと生活していく場所としては最高の環境ですね。
川述 いいところもあり悪いところもあるということで、そのまま日本人の当てはめても無理がある。根本的に考え方が違う。いいところは吸収し、大山は大山独自でいうように、そこから理想郷というのが見えてくる。
司会 それにはやはり多くの人たちにいろんな世界を見てもらいたいですね。
梶原 やっぱり、自分の知らない世界がたくさんあるというのを見てほしいですね。いってみないと言葉では表現できません。
司会 農村の国際化ということが言われていますが、今回の旅行中感じたことがありましたか。
川述 世界がどう動いているかとか。ほかの国がわかる人がいないと仕方ない。身近なところでは、食べ物にしても海外旅行するのに味噌汁やカップヌードルを持って行ったりして現地の料理を全く食べないとか。そんな態度では外国のことは理解出来ないと思いますね。まず第一歩ですよ。
河津成 マスコミやなんかで報道されている外国のイメージと現地に行ってみるのとではやはり印象がちがう。出会った人たちの印象でガラッと変わる。実際に行ってみると相当ちがう。もうマスコミにはだまされないぞっていう感じです。だけど、日本企業の進出には驚きました。ヨーロッパのどんな田舎町にも日本製品があるんですから。
司会 マーケットなんか行って見ましたか。
梶原 果物は日本ほど形が整っていないですね。取ってそのまま出したという感じで形や大きさよりも。有機肥料を使っているとか、無農薬であるとか、健康面に気を使っているみたいですね。
清田 スーパーやなんかの品揃えは豊富だしディスプレイもキレイでしたね。
シャバット(安息日)にはバスも動かなくなる
司会 3カ月以上にわたる長い研修旅行だったわけですが、旅行中ハプニングというか日本では想像もできないようなことがあったんじゃないでしょうか。
河津成 イスラエルでは4月からサマータイムが実施されるんですが、ぼくらそれらの知らなくて、ぐっすり寝込んでいる時に起こされて、眠い目をこすりながら仕事に出て行ったことがありました。
梶原 あれには参ったね。ぐっすり眠っている時にボランティアの世話係に起こされて、今日からサマータイムで1時間繰り上げるからすぐに用意して仕事に行って来いと言われて、しぶしぶ出て行った。
川述 イスラエルではシャバットといって金曜日の夜から土曜日の夕方までは安息日ということになっているですが、何もかもが休みになります。バスも動かなくなるのですが、それを忘れていて、街で遊んでいて夜になってバスがないっていうんであわてました。結局高い金出してタクシーで帰りました。
河津成 最初日本を出てテルアビブのベングリオン空港に着くわけですが、まったく街の様子もわからず、期待半分、不安半分という感じで、はじめて泊まるベル・ホテルっていうのは研修生にとっては思い出深いホテルになりますね。
梶原 キブツ研修のはじまりはテルアビブのベル・ホテルからっていう感じですね。あんまりいいホテルじゃないけどなじみ深いホテルですね。
司会 研修旅行とはいっても、どこに行って何をしてこいというもんじゃないからほとんど研修生たちに任されているわけです。私たち事務局としても行き帰りの航空券の手配とイスラエルについてから最初のホテルの世話ぐらいしかできませんからね。
川述 行ってみればなんとかなるもんです。だけど研修課題とか、テーマみたいなものを与えないというのは、逆に考えるとプレッシャーになりますけどね。
ヨーロッパ研修旅行の拠点 西ドイツの田舎に姉妹町

アルヌスベルグの議長と夕食 |
| 司会 ハプニングというわけではないですが、西ドイツにも姉妹町ができるかもしれないという話を聞きましたがどうなんですが。
河津成 イスラエルのメギドは日本の大山のように西ドイツにも姉妹町を持っているんです。3月にエルサレムで行われた国際姉妹都市会議の折り、伊藤町長や三笘農協長たち大山からの代表団と西ドイツの代表団がお会いしていたわけです。記念式典や植樹際などのときの写真をもって西ドイツの町を訪問しました。アルヌスベルグ(ARNSBERG)という小さな田舎町なんですが、そこの首長さんが大歓迎してくれたんです。
川述 ぼくら第13次と14次の研修生はケルンで待ち合わせしていて一緒に訪問したわれですが、5人もまとめて本当によく面倒をみてくれましたね。
河津祐 旅行中、一番ゆっくりできた町でした。
梶原 3日間送り迎え付きでいろんなところを案内してもらい、夕食会や音楽会にまで招待してくれました。
河津成 いろんな観光地を案内してもらったんですが、この町自慢のダムにも案内してもらいました。うちの町にもダムがあるし、また新しいダムの建設の計画もある。そんなことでとても興味を持って見て来ました。そのダムは今世紀はじめに立てられた古いダムで、石築の堤防で、ダムというよりむしろ城壁のような感じでした。
梶原 エジプトでアスワンハイダムを見たんですがこれも見事なダムでした。しかしダムというと緑の山の中に突然とコンクリートのかたまりが建っていて自然を破壊し、人間を拒絶しているというようなイメージしかありませんでした。西ドイツのあのダムは風景にマッチしていましたね。
清田 ダムと湖畔が自然公園のようになっていて、日曜日だったせいかたくさんの人出でした。
司会 見るべきところはちゃんと見て来ていますね。イスラエルの研修の後は当てのない旅行が続くわけですが、西ドイツあたりそんな親戚みたいな町ができるといいですね。
河津成 向こうの市長さんも青年研修には趣味を持っているようで、大山の気候風土や産業についても詳しく聞かれました。姉妹町の話についても大変前向きで、書類上の手続きはともかく、これからの研修生にはできるだけのことをしてあげようと言ってくれました。
司会 皆さんのこれからのご活躍を期待しておりました。今日はありがとうございました。(この座談会は1988年7月12日夜、大山町農協原菌センター会議室で行われたものを一部割愛、編集したものです。)
|