このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
1931(昭和6)年以来中国侵略を本格化していた日本は、英米蘭からの経済制裁で入手しにくくなった資源の獲得と、東南アジア華僑による中国への援助を断ち切るために、東南アジア侵略を行います。これが1941(昭和16)年12月8日に始まったアジア・太平洋戦争です。この戦争はマレー半島上陸作戦から始められました。日本軍のマレー半島侵略は、アジア太平洋戦争の本質を示す出来事なのです。 日本軍政下を生きのびた華人のお話は、アジアの人々が日本にどのような感情を持ち、そしてどのようなことがあったのかを知る上で重要なものとなります。それは現在の靖国問題など歴史認識問題を考えることにもつながるはずです。 |
呼びかけ人
石田甚太郎さん(作家) 信太正道さん(厭戦庶民の会) 高嶋伸欣さん(琉球大学)
俵義文さん(教科書ネット21)
西野瑠美子さん(wam 女たちの戦争資料館 館長) 林博史さん(関東学院大学)
「
シンガポール華僑粛清 〜日本軍はシンガポールで何をしたのか〜」
高文研発行
の著者である関東学院大学教授の
林博史
さんの講演があります。
蕭 文虎さん
2007年12月8日(土)15時
神奈川労働プラザ(JR石川町駅徒歩5分)
(℡045−833−5413 横浜市中区寿町1-4)
今年の会場は例年(かながわ県民サポートセンター)とは異なります。
蕭文虎さんは、1997年12月の証言集会についで2回目の証言をお聞きします。現在の日本の戦前回帰の風潮とも言われる中で、10年前には語り尽くせなかったこと、最初の証言から10年を経た現在の心境、日本の現状への鋭い視点を体験者の証言とともに語っていただきます。
1942年、当時7歳の蕭文虎さんは、日本軍に父、弟、妹を次々に殺されました。蕭文虎さん自身は、母親が盾になってくれたため、奇跡的に命拾いしました。しかしさんの体には、母親の体を刺し貫いた銃剣による傷が7ヵ所残っています。
アジア・フォーラム横浜 第14回 証言集会
…銃剣は母を貫いた…
証言
蕭 文虎
(ショウ・ブーンホーさん)
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