このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

冬の会津旅行
 PartⅠ 「日中に列車の来なかった日中線へ」
旅の始まりは新宿駅
今回の旅の主目的は、「ムーンライトえちご」(以下MLE)の165系が
引退するとの事で、最後に乗っておこうというものだったのですが、
じゃあ、新潟着いたらどうすんべ?ということになり、時刻表と格闘した結果、
磐越西線経由で未だに乗ったことの無い只見線に乗れることが判明、と同時に、
週刊「鉄○の旅」の磐越西・只見線の号に出ていた日中線の跡というのも気になり、
今回の旅のルートが決まったしだいです。

ちなみに、MLEに乗って新潟から日本海岸を北上すると、お昼頃には秋田に、
夕方には青森に着くのですが、酒田より北がどうやってもロングシートの
701系になるので、よほどの好きな人じゃないと、ちょっと辛いかもしれません。
とはいえ、このページを見る人はそんなことを苦にしない人だと思いますが(^_^.)
新宿駅にて、静かに発車の刻を待つ
22時45分ごろ、MLEの165系が入線してきました。
何両ついているのか数えてみたところ、なんと3両…!
ってヲイヲイ、春休みという青春18期間なのに3両デスか?
とはいえ、3両編成のせいか、新宿発車場面で7割がたの席が埋まり、
放送では「本日は満席です」との放送が流れていて、ホッとしました
客層も18族というより、花の都大東京で遊んだ帰りという感じの人ばかりでした。
実際、レディースシートでもないのに女性一人が座っていたり…。
4月からはレディースシートが増えるから安心して乗れるんでしょうけど。

MLEは高崎で新前橋行きの電車と急行「能登」に抜かされるべく、
20分停車するのですが、急行「能登」の乗車率を見てビックリ!
指定席はおろか、自由席ですら各車輌一桁台の乗車率。
ちょっと、大丈夫なのかな?と思った瞬間でした。

165系サウンドに身を寄せながら、翌朝4時56分に新潟駅に着くのでした。
熱塩駅駅舎を望む
で、新津駅に向かい、磐越西線の始発列車に乗って
阿賀野川沿いをさかのぼりつつ喜多方に向かうのでした。

喜多方といえばラーメン!ということで、
朝8時からやっているラーメン屋で朝食を食べ、
9時10分のバスで熱塩に向かいます。

バスに揺られて30分、「日中線記念館前」停留所でバスを降ります。
バス通りから一歩はいると旧熱塩駅駅舎、今は日中線記念館が見えてきます。

ちなみに、日中線記念館(資料展示室)に入るには、
事前に熱塩加納村役場に予約をしなければならないそうです。
なんでも、地元の方に管理を依頼しているので、
その方の都合の悪いときは入れないとの事。
ちなみに、 熱塩加納村のホームページはこちら 。ここの観光情報内に情報があります
除雪用の貨車って、今では考えられないものです
資料展示室には、日中線が廃止になった時(昭和59年3月31日)の
写真・新聞記事を中心に日中線全盛期の写真と日中線各駅(といっても4駅ですが…)
の駅名板や当時の備品が展示されています。

展示館をホーム側に出ると右側に写真の
除雪貨車「キ100」とオハ61型旧型客車が展示されています。
今、鉄道で除雪するといえば、DD15のラッセル付き機関車や
それよりも小さい保線用の機関車を使うのが普通ですが、
まだ国鉄だった当時はこの貨車を各線に置いて、
そのつど機関車に引っ張ってもらって除雪していたようです。

ちなみに、後ろの客車の室内には立ち入ることは出来ません。
また、客車のほうは、こげ茶色のボディーのはずが
色あせて明るい茶色になっているのが残念なところです。

ほんとなら、この時期だと半端で、雪が積もっている時期か、
駅に植えてある木が芽吹く頃に来るのがベストだと思いました。
駅はずれにある踏切跡から駅舎側を望む
日中線の生い立ちについては、前述の「鉄道の○」を見てもらえば分かるのですが
(別に宣伝している訳ではない…)、栃木県今市と山形県米沢を結ぶ路線の一部とし
建設されたものです。ちなみに今市〜鬼怒川は東武線、鬼怒川〜会津高原は野岩鉄道、
会津高原〜会津若松が会津鉄道(旧国鉄会津線)として残っています。

今回、ここに来るのに往復バスを使ったのですが、乗客も少なく、
鉄道があった時ですら、朝夕しか列車が無くて、
「日中に列車が無い日中線」とまで言われていた話を思い出し、
「廃止になっても当然だったのかな?」と考えてしまいました。

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